平成2年
年次世界経済報告 各国編
経済企画庁
I 1989~90年の主要国経済
第4章 ドイツ:西の景気拡大,東の生産縮小
東西両ドイツの統合効果の一つとして,西独地域では,西独製品に対する需要の増加が,生産の増加をもたらし,企業収益の好調につながっているのに対して,東独地域では,東独製品に対する需要の減少が,生産の停滞さらには減少をもたらし,企業収益を悪化させ,大量の失業を発生させたという側面があげられる。
このように,ドイツ統一は現在までのところ,西独地域と東独地域で対照的な経済パフォーマンスを生んでいる。
鉱工業生産は,89年に前年比5.1%増と80年代最高の伸びとなった。90年に入ると,1~3月期に暖冬や移民用の住宅建設の増加等により建設業が前期比19.5%増と大幅に増加し,総合で2.5%増となった後,4~6月期にはその反動で建設業が大幅に落ち込み同0.8%減,7~9月期にはエネルギー部門や製造業の好調から,同3.1%増と非常に高い伸びとなった(第4-4図)。このような生産の好調を反映して,製造業稼働率は90年に入り,3月89.3%,6月89.4%,9月89.9%と依然90%近い水準となっている。
受注の動向をみると(第4-5図),製造業新規受注数量は,89年前年比11.1%増と非常に高い伸びとなった後,90年は上半期に前期比横ばいとなった後,7~9月期には前期比6.2%増と著増した。特に国内向けは,90年1~3月期前期比0.6%減,4~6月期2.7%増となった後,7月に通貨同盟が発効し,東独地域からの受注が資本財,消費財を中心に急増したことから,7~9月期同9.3%と大幅に増加し,全体の受注増加の主因となった。一方輸出向けは,90年1~3月期前期比1.9%減,4~6月期同0.4%減と伸び悩んだ後,7~9月期には同1.1%増とやや回復したものの国内向けに比べ低い伸びとなっている。また建設業新規受注数量は,暖冬や移民用の住宅建設の増加等により89年秋から90年春にかけて急増した。
雇用情勢は依然厳しいものの,景気拡大が持続するなかで改善している。ベルリンの壁崩壊(89年11月)の前後から大量の東独・東欧移民が西独地域に流入したにもかかわらず,力強い景気拡大が続くなかで就業者数は大幅に増加し,建設業や製造業を中心とした移民の雇用吸収が進んだことで失業者数は減少した(第4-6図)。
雇用者数をみると,89年に前年比で1.6%増加した後,90年に入ってからも1~3月期前年同期比2.6%増,4~6月期同2.7%増,7~9月期同2.9%増と好調な伸びを示した。このような好調な雇用の伸びを背景に,失業者数は88年4~6月期(227.1万人)以降着実に減少しており,88年の224.2万人から89年には203.8万人に減る少した後,90年に入っても,1~3月期194.8万人,4~6月期191.9万人,7~9月期188.4万人と改善した。また失業率も,88年の8.7%から89年には7.9%に低下し,90年に入っても1~3月期7.5%,4~6月期7.3%,7~9月期7.2%と低下を続けた。
移住者数をみると,東独からの移住者(89年)は34.4万人,その他の東欧からの移住者(89年)は37.2万人であった。東独地域からの移住者の流入ペースは,ベルリンの壁が崩壊した89年11月(13.3万人)と比べて90年に入り鈍化した。しかし依然として東独地域から西独地域への流入が続いており,うち失業者の数は89年12月の13万人から90年5月には10万人へやや縮小した。政府は,移民に対して職業訓練等のプログラムを受けさせる一方,職業紹介を随時行うことで雇用吸収を図った。90年1~5月の職業紹介件数は,東独移住者に7万件,その他東欧移住者に2万件が実施された。
鉱工業生産は,ベルリンの壁が崩壊した89年11月に前月比でマイナスの伸びとなって以来,マイナス幅は次第に拡大した(第4-7図)。この理由としては,①西側の良質で安価な製品が東独市場で流通し,東独製品に対する需要が低迷したこと,②壁崩壊前後からの大量の人口流出による労働力の減少等があげられる。これにより生産の伸びは,90年4~6月期に前年同期比9.4%減と低下した後,通貨同盟が発効した7月には総合で前年同月比42%減(冶金60%,食料品58%,繊維と軽工業で51%減少)と大幅に低下し,8月にも同51%減とマイナス幅は拡大した。69の工業部門のうち,前年比でプラスの伸びとなっているのはトラック輸送機,ポリグラフィック機械,木工・製紙用機械の3部門だけとなっている。また特に競争力のない産業として,電気産業,化学産業,繊維・衣類・靴,カリウム・銅関連の産業があげられている。
統一前には,東独企業の生産性は西ドイツの4割程度,賃金水準は西ドイツの3~4割とされていた。通貨同盟の発効により,東独企業の負債は従来の半分に縮小しその面では負担は軽減されたが,生産性の上昇がないまま賃金が90年5月1日時点の額で1東独マルク対1西独マルクの等価交換とされ,各産業で生産性に見合わない賃上げが行われた(保険産業で50%,化学産業で35%,金属産業22~26%等)ことから東独企業の経営は苦境に立たされた。通貨同盟の影響で倒産した企業は,8月央に120社に達したとされている。
生産の減少による企業の収益悪化と倒産は,東独市民の大量解雇という事態を発生させた。政府は短時間労働を奨励し,雇用機会の均等化を図ることで打開策を見出そうとしたが,操短労働者は実際にはほとんど仕事に従事しておらず,実質的な失業者と何ら変わらないものであった。
東ドイツの雇用情勢は,90年7月以降急速に悪化し,失業者数は7月末の27万人の後,8月末36万人,9月末44万人,10月末54万人と増加を続けた(第4-8図)。また実質的な失業者とみなされる操短労働者の数も,7月末66万人,8月末150万人,9月末173万人,10月末177万人と急増した。10月で失業者と操短労働者の合計は231万人となり,これは統一前の東独の労働人口850万人の約3割に相当する。操短労働者が多い産業としては,農業18.9万人,電気13.7万人,機械11.5万人,繊維11.0万人,化学・プラスチック9.3万人,建設業6.2万人等となっている(90年8月末)。