平成2年
年次世界経済報告 各国編
経済企画庁
I 1989~90年の主要国経済
第1章 アメリカ:景気の基調弱まる
連邦財政収支は,83年度にGNP比6.3%の赤字を記録して以来,89年度には3.0%になるなど改善傾向にあった。しかし,90年度の収支は財政収支均衡法の目標額である1000億ドルを大幅に上回る2204億ドル(GNP比4.1%)となり,絶対額では過去最高の86年度の2213億ドルに次ぐものとなった。これは予算教書(90年1月発表)で示された見通しの1238億ドルの赤字を966億ドル上回っている(第1-13図)。
90年度の財政赤字が拡大した要因として以下の点が指摘できる。第1に貯蓄金融機関の経営悪化に伴う整理・精算費用が,当初見込んでいた23億ドルを大幅に上回る465億ドルに上ったことである。第2に景気の減速により法人税収が民間企業の業績の悪化を背景に伸び悩み,昨年度を絶対額で下回る低い水準となる一方,個人所得税収が低い伸びに止まったことである。この結果,歳入総額は当初見通しの10,735億ドルを420億ドル下回ることとなった。第3に高金利の持続により利払い費用が増加したこと等である。当初見通しでは金利について3か月もの国債は5.4%,10年もの国債は6.8%と予測していたが,90年の第3四半期までの平均ではそれぞれ7.7%,8.6%で推移しており,ともに過少評価となっている。
今後の見通しについては,貯蓄金融機関の整理・清算費用は更に増大する見込みであること,景気の一層の鈍化により税収の伸びがあまり見込めないこと等から,財政赤字の削減は相当の困難を伴うものとなろう。なお,90年12月に議会予算局(CBO)は91年度の財政赤字が2,530億ドルに達するとの見通しを発表した。
91年度の予算審議の状況をみると,90年5月,ブッシュ大統領の呼び掛けにより,財政赤字の大幅削減に取り組むため,政府と議会与野党のトップによる予算サミットが設置された。これは,90年度の財政赤字が財政収支均衡法の定める目標額1,000億ドルを大幅に上回ることが確実となり,さらにこのまま推移すれば91年度の赤字目標640億ドルの達成も危ぶまれる状況となったからである。設置後,予算サミットが断続的に開かれた結果,9月30日の予算協議での合意,合意内容を含んだ予算決議案の下院での否決,10月27日の議会での修正案の可決を経て,11月5日今後5年間にわたる包括的な赤字削減策を盛り込んだ包括財政調整法がブッシュ大統領の署名により成立した。同法による赤字削減効果は初年度431億ドル,5年間で4919億ドルに達すると試算されている。
9月30日予算協議での合意内容からの主要な変更点としては,①医療給付の削減額が縮小されたこと(600億ドル→441億ドル),②個人所得税の最高税率の引上げ(112億ドルの純増),③ガソリン税の引上げが軽減されたこと(450億ドル→250億ドル),④アルコール税引上げによる増収(100億ドル→880億ドル)等である。
同法には財政収支均衡法の改正も含まれている。主な内容は以下のとおりである。①財政収支均衡法の適用期間を95年度まで延長する。②歳出増を抑制するため,裁量的支出の増加については規定された支出額の上限に収まるよう一律削減がなされ,また法律の変更を件う義務的支出の増加については他の義務的支出を減らすあるいは増税等により相殺しなければならないこととする。③赤字額総額について新たな赤字目標額を設定しているが,91~93年度は経済見通し及び技術的仮定の変更により赤字目標額の調整を行う(但し,94,95年度について収支見通しが赤字目標額を超えた場合,予算審議終了後一律削減命令を出すか,あるいは目標額の調整を行うかは大統領に委ねられている)。④社会保障基金を財政収支均衡法の赤字削減目標額から除外する。今回の改正により,赤字目標額が経済状況等により調整される結果,赤字額の水準について政府は責任を持たないこととなるが(もっとも,94,95年については収支見通しが赤字目標額を超えた場合,従来の財政収支均衡法の既定どおり一律削減命令を出すか,あるいは目標額の調整を行うかは大統領に委ねられており,前者を選択した場合は政府が責任を持つこととなる),従来の法律では認められていた年度途中の新たな歳出増に対して一定の制限が加えられるなど,これまでの赤字削減メカニズムに比べより現実的で実効性のあるものといえる。
また,8月初に起こったイラクのクウェイト侵攻により中東への軍隊派遣に伴う追加的費用が必要となった。91年1月,CBO(議会予算局)が発表したところによると,91年度の追加的費用は170~350億ドル(権限ベース)になると試算されている。
89年初も景気は底固く,物価上昇率もさらに高まってきたことから,FRB(米連邦準備制度理事会)は金融引き締め姿勢をさらに強化し,2月に公定歩合を6.5%から7.0%に引き上げた。この引き締め姿勢は,製品および労働需給のひっ迫や石油価格の上昇等による物価上昇率が高まるなかで,おおむね5月下旬まで続いた。しかし,景気が幾分鈍化の兆しをみせ始めてきたことから,6月上旬以降,FRBはフェデラル・ファンド金利を段階的に引き下げて,金融を緩和する姿勢に転じた。同金利の引き下げは12月下旬まで6次にわたって行われ,同金利は6月上旬の9.50%程度の水準から12月下旬には8.25%程度の水準に低下した。この間,短期金利はFRBの金融緩和と歩調を合わせる形で低下し,長期金利も適切な金融政策の下,インフレ圧力が高まらない形で比較的バランスのとれた経済の拡大が続くとの市場の期待等もあって,おおむね緩やかな低下をたどった(第1-14図)。ただ,こうした流れのなかで,89年10月にはニューヨーク市場において87年10月に次ぐ市場2番目の株価急落が起こった。
89年秋より,ソ連・東欧諸国の改革にともなってドイツを中心とする欧州主要国の長期金利が上昇傾向をたどったなかで,アメリカの長期金利は12月中旬までむしろ弱含みで推移した。しかし,長期金利は12月下旬に緩やかな上昇に転じた後,90年に入り,物価上昇懸念が高まるなかで上昇傾向をたどった。
90年2月に議会に提出された同年の金融政策報告によると,90年の実質GNP成長率は1.75~2.0%(第4四半期対比,以下同じ)と,89年7月の暫定目標値(1.5~2.0%)の下限を上方改訂したが,90年1月に発表された政府見通しの2,6%を下回るものとなった。一方,消費者物価は4.0~4.5%と,政府見通しの4.1%と整合していた。マネーサプライの増加目標圏は,M2については3.0~7.0%,M3については2.5~6.5%とし,89年(M2:3.0~7.0%,M3:3.5~7.5%)に比べ,M2は不変,M3は上下限とも1.0%ポイント引き下げることとした。M3については,貯蓄金融機関の整理[清算にともなう同機関の預金減少を見込んで89年7月の暫定目標圏から上下限とも1.0%ポイントずつ引き下げられている(第1-15図)。Mlについては89年同様目標設定は見送られた。
3月から4月にかけては,アメリカの景気の堅調,物価上昇率の高止まりを示す指標が相次いで発表されたことに加えて,REFCORP(整理資金調達公社)債の入札が不調に終わったこと等にみられるように,長期債券に供給過剰感がみられるようになったことから,長期金利は上昇傾向が続いた。こうしたなか,長期債や株式等から財務省証券を中心とする短期債への資金シフトが進んだため,FRBの金融政策スタンスを示すフェデラル・ファンド金利が下げ止まっているにもかかわらず,短期金利は横ばいないし弱含みの推移となった。
その後5月から6月にかけては,景気鈍化およびインフレ懸念後退を示す指標が発表されたこと等から,長期金利は一時弱含み推移となった。
7月に議会に提出された年央の金融政策報告によると,アメリカ経済は拡大を続けており,近い将来不況に陥る可能性は小さいとされた。また,物価も食料・エネルギー価格の上昇という一時的要因が剥落して,このところ伸びが緩やかになっているとの判断を示した。これらの判断の下,90年の実質GNP成長率は前回の見通し(2月)の下限を0.25%ポイント引下げ,1.5~2.0%とし,91年は政府見通し(7月)の2.9%をかなり下回る1.75~2.5%とした。消費者物価については,90年全体では前回の見通しを0.5%ポイント引き上げるにどどめ,4.5~5.0%とし,91年については3.75~4.5%として,政府見通しの4.2%と整合的なものとなっている。90年のマネーサプライ増加目標圏は,M2については前回(2月)の目標圏(3.0~7.0%)を変更せず,M3については貯蓄金融機関の整理・清算にともなう影響を勘案して,前回の目標圏を上下限とも1.5%ポイントずつ引き下げ,1.0~5.0%とした。91年については不確定要因があるものの,貯蓄金融機関の整理・清算等を考慮して,M2の目標圏を90年から上下限とも0.5%ポイントずつ引き下げた(M3については90年と同じ)。なお,Mlについては引き続き目標圏設定はなされなかった。
FRBの金融政策スタンスを反映するフェデラル・ファンド金利は,89年12月下旬以来据え置かれてきたが,90年7月央には,意図せざる金融引締めに繋がりかねない金融機関の慎重な貸出姿勢を緩和する意味で,FRBは同金利を0.25%引き下げて8.00%程度の水準とした。アメリカの商業銀行は,不動産不況による不動産関連融資の不良債権化を通じて収益が悪化しており,銀行の貸出姿勢は慎重になっていた。こうした銀行のいわゆる貸し渋りに加え,貯蓄金融機関の整理・清算が進んでいることから,マネーサプライはM2,M3とも目標圏の下限に近い推移となっている。
8月初の湾岸危機発生による石油価格の急騰は,FRBの金融政策の運営を一段と難しいものとしたが,9月末に予算サミットで政府・議会間が赤字削減について合意に達し,信頼できる財政赤字削減策がとられる見込となったのを受けて,FRBは10月末にフェデラル・ファンド金利を0.25%引き下げて7.75%程度の水準とした。さらに11月以降,景気鈍化を明らかに示す経済指標が相次いで出されたのを受けて,11月央と12月初めにそれぞれ同金利を0.25%ずつ引き下げて7.25%程度の水準とした。FRBはまた,銀行の貸し渋りを緩和するため,12月初めに,満期18か月未満の法人向け定期預金およびユーロ預金についての支払い準備率を3%から0%に引き下げるとともに,12月央には公定歩合を0.5%引き下げて6.5%とし,さらにフェデラル・ファンド金利を0.25%引き下げた。この間,長期金利は石油価格が急騰するなかで上昇していたが,11月央のフェデラル・ファンド金利引き下げ後の段階で湾岸危機発生以前の水準に戻り,その後は弱含みで推移している。
一方,アメリカの金融監督当局は,貯蓄金融機関問題の反省に加えて,商業銀行の収益がこのところ悪化していること,および商業銀行が加盟している連邦預金保険公社の保険基金が減少を続けていること等を踏まえて,金融システムの健全性維持を主眼に置いた包括的な金融制度の改革を検討している。そのなかで,預金保険制度については,手厚い同制度によるいわゆるモラルハザードの発生を防ぐために,リスクに見合った保険料率の導入等によって,連邦預金保険公社の収支改善をはかるほか,銀行の自己責任原則を徹底させるとともに,その経営基盤を強化するために,自己資本比率の引き上げを目指した規制の導入を検討している。他方,商業銀行の競争力を強化するために,銀行の証券業務進出を含めた銀行業務の多様化,州際業務規制の撤廃等についても並行的に検討が行われている。
8月初以降の湾岸危機の発生にともなう石油価格の急騰は,アメリカの景気,物価両面に深刻な影響を及ぼしつつあるが,目下のところ金融面や財政面での本格的な引締めといったマクロ政策はとられていない。こうした政策がとられていない理由として,①過去の2度の石油危機時には景気が世界的に加熱気味となっており,既に物価も高い伸びを示していたのに対し,今回は88年半ば以降金融引締めが続けられた結果,成長率が鈍化し,物価も総じて安定的に推移するなど経済環境が異なっていること,②石油価格の高値推移による影響も過去の石油危機時に比べて軽微との見方が支配的,などがあげられる。むしろ,現在は景気が一層鈍化していることを配慮して,数度にわたり金融の緩和がなされている状況にある。
物価安定措置としては,石油価格上昇の国内物価への波及に対して直接的な規制といった強制手段はとられておらず,物価面への監視を強化することで対応がなされている。例えば,8月上旬にガソリンや航空料金の値上げといった便乗的な動きがみられたが,これらの動きに対して,ブッシュ大統領は,その湾岸派兵の決定を発表する大統領声明の中で,石油企業に対して過度な価格引き上げの自重を要請した。これを受けて一部の石油企業はガソリン卸売価格の値下げや1週間前後の凍結を実施した。
8月中旬にエネルギー省はイラク・クウェートからの禁輸措置にともなう石油輸入の減少分(日量約73万バーレル)を補うために,短期的な対応策を発表した(第1-8表)。それによれば,90年末時点で省エネによって日量28万バーレル,国内供給増で同27万バーレル,合計で同50万バーレルの補填効果があると試算されている。さらに,9月中旬政府は,同計画を補完するものとして,石油から他のエネルギーへの転換促進促進のための規制緩和,北極圏野性保護区での開発見直しを含むアラスカ地区での生産促進等の新規計画を発表した。
また,9月下旬に原油価格が40ドルに高騰したことを受けて,ブッシュ大統領は,石油価格の抑制を目的として,戦略石油備蓄500万バーレルの試験的放出を実施すると発表した。実際に9月下旬から10月にかけて数度市場への放出が行われたが,石油価格への影響は余りなかったものとみられる。