平成2年

年次世界経済報告 本編

拡がる市場経済,深まる相互依存

平成2年11月27日

経済企画庁


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第3章 ソ連・東欧経済の現状と経済改革

第3節 ソ連の経済改革の現状と課題

1. これまでの経済改革の内容と問題点

ソ連の旧来の経済システム,すなわち第2節で述べた中央指令・官僚統制による計画経済システムは,1930年代のスターリン時代に確立し,その後も基本的にはこのシステムが続いてきたのであるが,65年には利潤原理に基づく企業の独立採算声Jを中心としたコスイギン首相の改革,82年には労働規律や社会規範の強化を目指したアンドロポフ書記長の改革等も行われた。しかし,これらはいずれも既存の体制を変えることなく,経済システムの一部を改善しようとするものに過ぎなかったため,十分な経済的成果をもたらすには至らなかった。ゴルバチョフ政権による初期のペレストロイカ政策もこの立場を超えるものではなく,89年11月以降の「革命的ベレストロイカ」の段階になって初めて,旧来の社会主義経済システムの放棄・市場経済への移行が志向されるようになった。90年10月現在で経済改革の進捗状況をみると(第3-3-1表),制度面・法律面ではかなり前進したものの,実体経済面の成果にはまだ結びついていない。このため,ロシア共和国では短期間で急進的な市場経済化を目指す「500日計画」(後述)が同共和国最高会議で独自に採択されている(90年9月)。他方ゴルバチョフ大統領は,「500日計画」をベースに連邦政府の漸進的改革案を取り入れて調整した「国民経済安定化と市場経済移行の基本方向」を連邦の最高会議に提出して採択され(90年10月),「500日計画」よりも幾分の後退はあるものの市場経済への急進的な移行を目指している。

(1)経済改革の進展状況

(初期のペレストロイカと問題点)

85年3月に成立したゴルバチョフ政権は,「ペレストロイカ」(改革,立て直し)の掛け声の下,共産党指導者層にはコネ・縁故主義,汚職,怠慢を厳しく糾弾して公務の誠実な執行を求め,他方,労働者層には,飲酒労働の禁止や職務精励を求める,といった規律強化による精神的引締め政策を実施した。また,「ウスカレーニエ」(加速化)政策により,2000年の国民所得を1985年の2倍にする(毎年4.7%の成長が必要)という高度成長政策を志向するとともに,他方で,,機械製作部門への大規模投資を行って新技術装備の機械を大幅に増産し,これにより旧式の機械・設備を大規模に更新して生産効率を上げる政策をも同時に採用した。この大規模な設備更新の理由は,先進資本主義諸国では,2度の石油危機を経る中で技術革新・省エネに努め,産業構造の転換を図ったのに対し,ソ連では主要輸出品である石油の価格高騰により増加した外貨収入を十分に生かせず,西側産業の技術革新・ハイテク化や情報化・ソフト化といった波に乗り遅れ,機械・設備の老朽化・陳腐化が限界にきていたためである。

こうした初期のペレストロイカ政策は,旧来の中央指令・官僚統制による計画経済システムには変更を加えず,精神面での規律強化と設備更新による生産効率化で経済成長の加速化を達成しようとするものであったため,十分な経済的成果を挙げることができなかった。すなわち,縁故主義や金品の授受といった指導者層の規律の乱れは,第2節でもみたとおり,建前のシステムだけでは動かないソ連経済の欠陥を補完するところがら生じた面もあり,また,労働者への規律引締めも,社会主義的怠惰に慣れた労働者には労働強化と映り,アルコール減産政策は労働者の反発を招いただけでなく,国庫の酒税収入の大幅減少を引き起こすなど,lB来のシステムと新しいペレストロイカ政策が両立しなかったのである。また,ウスカレーニエ政策は,高度成長と設備更新の双方を達成しようとするものであったが,結果的に高度成長も設備更新も目標達成には至らず,その間,消費財部門への投資は後回しにされたことから,後の消費財不足を招く一因ともなった。

(「革命的ペレストロイカ』と経済改革の基本的フレームワーク)

89年11月,ゴルバチョフは「社会主義の理念と革命的ペレストロイカ」と題する論文を発表し,初期のペレストロイカ政策の反省の下に,旧来のスターリン・モデルに基づく中央指令・官僚統制による計画システムから脱却し,政治的には「人間的で民主的な社会主義」を,経済的には「市場経済」を目指す方針を明確にした。こうして,ペレストロイカは,ロシア革命以来の第2の革命としての「革命的ペレストロイカ」の段階へと進むべきことが示された。

このような「革命的ペレストロイカ」の方針を受けて,各種の経済改革が次々と実施されるが,これらを2つの基本的フレームワークに分けて整理すると理解し易い。すなわち,「経済安定化のための措置」と,「市場経済化のための措置」であり,おおむね次のように整理される。

「経済安定化のための措置」とは,ソ連経済に現存する①財政赤字,②過剰なマネーサプライ,③消費財不足,④名目所得の高い伸び,といったいずれもインフレ圧力をもたらす不安定要因を除去する措置である。

「市場経済化のための措置」とは,市場経済システムを構築するための措置であり,①法体系の整備(市場経済を円滑に機能させるための経済法体系の整備),②市場創設の措置(法体系の整備を行った上で,企業の民営化を進め,活発な国内市場を創設),③経済管理手法の転換(従来の直接的・行政的管理手法から,税制や金利を利用した間接的・経済的管理手法へ転換),④対外開放政策の推進(外国資本の積極的導入と,そのための通貨ルーブルの外貨交換自由化),⑤社会保障制度の充実(市場経済化に伴う所得分配の不平等や失業への対策),といった措置が挙げられる。

こうした経済安定化と市場経済化の両措置については,その実施方法をめぐって,後述のように漸進改革派の立場と急進改革派の立場があり(ただし,両措置の基本的フレームワーク自体の理解については,両派,とも上述のような理解で一致じているものとみられる),その段階的実施(漸進改革派:経済安定化を達成した後,市場経済化を実施する)か同時的実施(急進改革派:経済安定化と市場経済化を短期間に並行して行う)かについて論争がなされてきたが,ロシア共和国では急進改革派の「500日計画」が採用され,連邦レベルでも「500日計画」,をべースに連邦政府の漸進改革案を取り入れた改革プログラムにより市場経済への急進的゛な移行が志向されている。

(2)制度改革の進展状況

89年11月以降の「革命的ペレストロイカ」政策の方針を受けて,保守派と急進改革派との間で論争が繰り諷される中,今後の市場経済を構築するための制度面・法律面での枠組みは順次整備されてきた。これらは,従来の社会主義イデオロギーに基づく経済関係を根本的に変革し,資本主義的な市場経済へ移行するための基礎を構築するものである。

以下では,ソ連の各経済制度について,最近時点でどのような段階まで法律面・政策面での改革が進展しているかをみる(ただし,実体経済が直ちに新しい制度に則して稼働しているとは限らない)。

(所有制度)

社会主義経済下では,生産手段の私有は認められないのが通例である。しかし,このことが労働意欲を阻害するとともに市場経済実現の障害となっているとの認識の下,徐々に私有を認める方向に所有改革が進んでいる。

89年11月の・「賃貸借法」は国営企業,・.国営商店,国営・集団農場(いずれも公的所有)の全部または一部をそこで働く労働者集団に質貸し,労働意欲の刺激を図るものである。労働者自身が生産・販売管理を行い,生産物は労働者集団に帰属するため,労働者の増産へのインセンティブが高められる。その後,90年2月には「土地基本法」が成立し,個人による土地の終身占有と当該占有権(所有権ではない)の相続を認めることで将来の「土地の私的所有」に道を開くこととなった。同法は特に個人農の育成に重点を置いており,生産性の低いコルホーズ(集団農場)及びソフホーズ(国営農場)中心の農業から,これら農場で働く農民が個人的副業経営として目覚ましい収穫を挙げている「自留地」中心の農業,(自留地の私的所有を基礎とした個人農中心の農業)への転換を目標にしている。

90年3月の所有法では,市民所有・(個人の所有)を国家所有(全ソ連邦,共和国,自治共和国の所有),集団所有(貨貸企業,労働集団,協同組合等の所有)と対等とし,生産手段を含めた個人の私有財産制を制限付きながら承認した。90年5月の「宅地所有に関する大統領令」は,住宅事情の改善のため,住宅(建造物)及びその底地としての「宅地」について私的所有と当該所有権の相続( 2月の土地基本法では土地の終身占有と当該占有権の相続であり,所有権ではない)を認めるものである。この措置に基き,住宅,宅地,建設資材(セメント,木材等)の流通市場を創設して個人の住宅・別荘の取得(その底地も含めて)を促進し,かつ,過剰なマネーサプライの吸収に役立てることを狙っている。

(企業経営)

独占的な国営企業が中央からの指令により生産を行う体制が,種々の非効率を生んでいるという認識の下,企業経営の自主権を拡大する方向で,これまで制度改革が進んでいる。この分野の改革は,①87年5月の「個人労働法」によりタクシー,レストラン等のサービス業における個人経営の承認を行ったこと,②88年7月の「協同組合法」により小規模の協同組合企業に法的基礎を与えたことにみられるように,生産全体の中でも比較的,ウェイトの小さいものに大きな自主権を与えることから始まった。国営企業についても88年1月の国営企業法により独立採算制,資金自己調達制を導入し,経営の自主性を高めようとしたが,生産指令に代わる「国家発注」に依然として依存せざるを得ないこと,原材料・資本財の卸売市場が未発達で企業が独自の調達を円滑に行えないことから,期待された成果を上げていない。独立採算制は他方で,企業の利潤増加や赤字転嫁のための安易な製品価格引上げを招き,インフレ高進の一因になったとの指摘もある。

「革命的ペレストロイカ」に踏み出した後,市場経済下の生産を担う企業により多くの自主権を与えるとともに,自己責任の原則を徹底させるため,90年6月には「企業法」が成立した。企業法は国営企業,協同組合企業,個人企業等の自主権を大幅に拡大するもので,各企業は独自に価格を設定して商品を販売する権利が認められ,国家による価格設定は独占的企業の製品だけに限られる。企業は賃金の決定,株式・債券の発行を自由に行うことができ,企業倒産についての規定も置かれている。ただし,こうした企業法の理念が直ちに現実化される状況にはなく,後述する「基本方向」によりその実現に向けて取り組もうとしている。

(銀行制度)

国営企業法による企業の独立採算制,資金自己調達制への移行(88年1月より)に伴い,企業に円滑な資金供給を行うための銀行の役割が一段と高まったため,88年より銀行制度の再編が実施され,①国立銀行(中央銀行),②対外経済銀行,③工業・建設銀行,④農工銀行,⑤住宅・社会銀行,⑥貯蓄銀行の6銀行体制となった。

90年11月に「国立銀行法」(国立銀行をアメリカ型の連邦準備制度に改編)及び「銀行及び銀行活動法」(他の銀行を商業銀行とする)の成立が予定され,今後は政府から独立した中央銀行制度,商業銀行制度となる。中央銀行は通貨発行,公定歩合操作,マネーサプライ管理等のマクロ金融政策を行う役割を担う。商業銀行は自らも独立採算制の下で企業との商業ベースの関係を築いて利潤確保を目指し(現行2%程度の低金利を91年以降8~10%程度に引上げる予定),従来のように政府の補助金散布の窓口として赤字企業に放漫な貸付を行うことは許されない。銀行は融資を通じて企業経営を監督・助成する役割を期待されており,企業側も効率的な資金調達を通じて,経営合理化を図ることが求められている。

今後,市場取引による原材料・資本財の流通が活発化するためには,これら資材を需要する企業が,いつでもその支払資金を調達できる発達した金融市場が不可欠である。他方,ソ連国民の貯蓄銀行への預金残高は,物不足で買うものがないこともあって増大しており,世帯当たりの貯蓄率も高まっている(前掲第3-1-1表)。商業銀行は,この高い貯蓄率を活用して金融市場に資金を仲介する役割を果たすことが求められている。

(税制)

個人への所得税,企業への法人税を導入して一元的税体系を構築し,従来の過度の企業利潤納付金や取引税の上納から,個人所得や企業利潤に応じた課税への転換が図られた。

90年4月に成立した「所得税法」は,ソ連市民とソ連在住外国人について,累進課税による個人所得税が課せられるものである。従来の最高税率は13%で頭打ちだったが,同法では,税率は所得別に多段階に区分されており,月収ベースの平均税率をみると,I)0~100ループルは非課税,II)101~150ルーブルは1ルーブル刻みで50段階(税率0.3~9.8%),III)151~3,000ルーブルは6段階(同9.8~34.9%),IV)3,001ルーブル以上(同34.9%~),となっている。

90年6月に成立した「法人税法」は,ソ連企業・組織,合弁企業等の利潤について30~55%(基本税率45%)の法人税率で課税を行うものである。従来は国営企業の利潤のかなりの部分が国庫に上納されてきたが,今後は企業利潤に応じた,課税となる。

(社会保障制度)

市場経済への移行に伴って所得分配の不平等や失業の発生が懸念されるため,所得補償や失業保険等の社会保障制度の整備が進められている。例えば,90年5月に成立した「年金法」もその一環であり,インフレによる年金生活者の救済を図るため,年間460億ルーブルの財政手当増(現行650億ルーブル)により年金引上げが実施されるものである。ただし,現行の財政赤字(89年920億ルーブル)に更に負担を課すこととなるため実施は段階的に行い,完全実施は93年になる予定である。

(農業改革)

ソ連の農業は,コルホーズ(集団農場)を中心としている。1920年代後半から,スターリンによって大規模な農業の集団化政策が推進され,国家が農民から土地を取り上げて国有地として集団化し,これをコルホーズに無償貸与して農民を労働者としてそこで働かせ,その収穫物を国家が買い上げる,という方式を採ってきた。このため,農民の労働インセンティブは刺激されず,農業の生産性は欧米の半分以下となっている。また,フルシチョフ政権期以降,未開拓地の開拓を目指した農業投資が積極的に行われたが,開拓地が土地の肥沃度や気象条件の劣悪な辺境地に拡がるにつれて投資効率が低下し,生産の伸びも緩慢であっだ。さらに,このような農業投資資金に加え,多額の農業補助金,大量の穀物輸入等は国家財政を圧迫する要因となってきた。

こうしたことから,89年には,「賃貸借制」を導入して個人,家族グループ,協同組合グループ等に対して公的所有の農地,農業機械,家畜等の長期にわたる賃貸・相続を認め,農民に生産手段の所有意識を持たせて生産意欲を刺激しようとする政策が採られた。この方向は,90年2月の土地基本法(前述)で更に強化され,個人農創設力体格的に推進されることとなった。

(対外開放政策)

貿易については,87年1月に外国貿易が自由化され,外国貿易省以外の省・公的機関,企業,協同組合等にも貿易,外貨割当等の貿易権限が与えられ,西側との取引活発化が目指された(注1)。さらに90年5月は,ソ連が申請していたGATT(ガット,関税と貿易に関する一般協定)へのオブザーバー参加が,同定例理事会において承認された。こうしたソ連の西側機関への加盟は,市場経済化を進めるゴルバチョフ政権にとって,今後予定されている通貨ルーブルの外貨交換自由化へ向けて,世界市場との経済関係を一段と強化するものとなる。

外国企業との合弁を推進するため,87年1月に合弁企業法が制定さ,れた。同法は,ソ連国内で主に西側資本との合弁により企業を設立し,西側の新技術や経営管理手法を導入してソ連工業の技術再装備・輸出振興を図るものである。

同法はその後,当初の外国企業の出資率上限49%の枠が取り払われる等制限が緩和されており,90年10月には100%外資企業を認める大統領令が発布されている。90年7月1日現在,登記された合弁企業数は1,830件となっている。

また大統領令により90年11月1日から,貿易商品別に約2,000種に及ぶ「外貨係数」と呼ばれる外国貿易レートを,1ドル=1.8ルーブルに一本化し,西側通貨との交換性実現を目指す措置が採られている。この結果,ループルの外貨交換レートは,公認のものとして,前述の新たな外国貿易レート(1ドル=1.8ルーブル),公定レート(1ドル=0.56ルーブル),旅行者用特別レート(1ドルミ5.6ループル)の3つと,非公誌のものとして,ヤミ市場での実勢レート(1ドル=約20~30ルーブル)が存在することとなる。

2. 今後の経済改革の主要課題

(1)ペレストロイカ政策の矛盾と国展の見方

(ペレストロイカ政策の矛盾)

「革命的ペレストロイカ」政策を掲げて急進的な経済改革に取り組んでいるにもかかわらず,90年後半になってもソ連経済にはさしたる成果が現れず,それどころか90年の経済成長率は前年比マイナスとな゛ることが確実視されている。このような経済の現状と問題点についてば本章第1節でも蓬べたが,その理由として,旧来のシステムの欠陥に源を発するもの(ブしジネフ政権から引き継いだ負の遺産)や,アフガン出兵の後遺症,不運な事故によるもの(チェルノブイリ原発事故,アルメニア大地震等)等の影響も大きいが,次に述べるようなペレストロイカ政策そのものがもたらした問題,ペレストロイカ政策が機能するための前提条件の問題がある。

(ペレストロイカに対する国民の見方)

ソ連経済は,確かにブレジネフ政権後半から停滞したとはいえ,国民の消費水準をみると,徐々に向上しており,西側先進国と比べても,贅沢品とされる耐久消費財はかなり劣るものの,食料品については上回るものも多い(第3-3-2図)。しかしペレストロイカの開始によって,政治面では民主化とグラスノスチ(情報公開)がもたらされたものの,経済面では論争ばかりが続く間に国民の梢費水準は逆に低下し,政府が約束した経済ペレストロイカの成果が一向に現れてこないことに国民は苛立ちを強めている。ペレストロイカ開始以降もたらされた経済不振の現状に対する不満から,ストライキやサボタージュが蔓延し,生産の減少や物不足等に拍車をかけている。したがって,いかなる内容の経済ペレストロイカを実施するに当たっても,基本的に国民の支持がなければ,改革の成功は覚つかない。そこで,経済ペレストロイカについて国民がどう感じているかを全ソ世論調査センターが実施した一連のアンケート調査結果から探ってみる(付表3-2)。

89年後半に全連邦レベルで実施された営論調査では,政治面での民主化が経済に肯定的影響を与えているとする者が半数近くあり,否定的にみる者(約4分の1)を大きく上回った。しがし,経済の実情については9割が不振とし,危機意識をもってみる者も全体の6割に達した。この傾向は,物不足がより深刻化している現在では更に強まっていよう。経済ペレストロイカ下の国民生活については,賃金や社会保障面での改善は世論調査結果でも支持されているものの,食料品や消費財の供給,サービス提供,環境等の面での状況悪化が指摘されている。また,国民は物価問題等,身の周りの問題に対する関心が高く,多くの者が物価高騰を訴えた。こうした経済悪化の理由として,相当の人がペレストロイカ開始以降の経済政策の問題点を指摘している。

これまでの経済ペレストロイカの成果が芳しくないとはいえ,ペレストロイ力以前の中央集権的な計画経済休制に戻ることを求める国民はほとんどいないと言ってよい。むしろ,ペレストロイカが目指している分権化,私的所有や個人の経済活動の容認等,旧来の社会主義体制下では半ばタブーとされてきたことでも,多くの世論が支持を与えている。突き詰めれば,市場経済への移行は原則的には国民に容認されていると言っても間違いではない。ただ国民は,物価引上げによる実質的な生活水準の低下というような,自らの犠牲の下でペレストロイカが強行されることに対して,強い警戒心がある。特に,年金生活者や労働者菱,社会的弱者層にそうした意識が強い。90年5月に実施された「市場経済への移行」に関して賛否を問う世論調査(第3-3-3図)でも,インテリ層は賛成意見や楽観的見方が多いのに対し,そうした弱者層は反対意見や悲観的見方が多かった。

ペレストロイカの成杏については,,89年9~10月調査時点では,約3分の2が失敗の危険性有りとし,その根拠として党や政府官僚の抵抗を挙げる者が多く,また,ヤミ経済の増殖が障害とする意見も多かった。

いずれにしても,経済ペレストロイカをさらに徹底して進めていくためにも,ゴルバチョフ大統領を初めとするソ連の政策責任者は,民主化の進展とグラスノスチで力を持つようになった国民世論に耳を傾けざるを得ない。世論調査結果から判断して,これまでも,多くの経済政策が世論の動向を意識しつつ巧みに決定・実施されてきたものと理解される。したがって,経済ペレストロイカの行方を見定める上で,今後ともこうした世論の動きを注視する必要があろう。

(2)市場経済化へ向けての急進的な動き

89年11月にゴルバチョフにより「革命的ペレストロイカ」に基づく市場経済への移行方針が示された後,その方法論に関して各種の政治勢力,経済学者,労働団体等の間で様々な論争が行われてきた。こうした中で,従来の社命主義経済システムから全面的な市場経済システムへの移行を唱える急進改革派が台頭してきた。しかし中央・地方の政権中枢には依然として共産党による中央指令経済システムを維持しようとする保守的官僚層の勢力も根強い。ただし保守的グループといえどもゴルバチョフ以前の強力な中央集権体制への復帰を目指しているわけではなく,市場経済化の流れには逆らえないとの認識の下で,従来のシステムに依拠しつつ漸進的な改革を支持していく方向にある。以下では,このような市場経済化へ向けての動きを,2つの立場から分析する。

(市場経済化をめぐる2つの立場)

ソ連における市場経済化への改革方針に関しては,その進め方を巡って2つの立場が対立してきた。1つは保守的官僚層の支持を受けた連邦政府(ルイりコフ首柘)の漸進的改革の立場であり,もう1つはエリツィン・ロシア共和国最高会議議長等を中心とする急進改革派の立場である。連邦政府がこれまで示してきた漸進的な経済改革(注2),と急進改革派の「500日計画」(第3-3-2表)とを比較すると,その主要な相違点は,①中央集権対地方分権,②改革のスピードの緩急,③国家所有対私的所有,に集約される。この3点についての両者の立場の違いをまとめると次の.とおりとなる。

連邦政府の立場は,①連邦政府・共産党の中央指令・官僚統制を残しつつ上からの指導・育成により,②5年程度をかけて漸進的に市場経済化を進めようとするもので,③土地や生産手段の所有形態はあくまで国家所有を基本とする。

急進改革派の立場は,①主権国家たる共和国が主体となり,②500日という短期間に一気に市場経済への移行を達成しようとするもので,③土地,生産手段を初めあらゆるものに対する私的所有(個人及び民間法人等による)を基本とする。

このような2つの立場の対立は,急進改革派のエリツィン・ロシア共和国最高会議議長がロシア共和国の「国家主権宣言」(90年6月)を行って,ロシア共和国の主権がソ連邦の主権に優位することを宣言した頃から表面化した。更にエリツィン議長は,500日という短期間で急進的な市場経済化を目指す改革案を公表(8月)し,90年10月1日からロシア共和国だけでこの経済改革を実施する,として漸進的な連邦政府案に対抗,した。ロシア共和国最高会議は,連邦の最高会議での審議を待たず,ごく一部の修正を施した「500日計画」案を独自に採択した(9月11日)。ゴルバチョフ大統領は連邦政府案と「500日計画」案との調整を行い,「500日計画」案をベースに連邦政府案の一部を取り入れて調整した「国民経済安定化と市場経済移行の基本方向」(以下「基本方向」と略す)を連邦の最高会議に提出し,採択された(10月19日)。しかしエリツィン議長はこの「基本方向」を厳しく批判し,実施を1か月延期していた「500日計画」を11月1日からロシア共和国で実施するとし,同時に同共和国の独自の通貨,関税,軍隊の創設を唱えるなど,ゴルバチョフ・中央政権の方針に公然と反発している。今後とも改革は紆余曲折を経るものとみられるが,基本的な流れは急進改革派の路線に近いものとなろう。

他方,エリツィン議長による,ロシア共和国の「国家主権宣言」に対し,ゴルバチョフ大統領は,「主権国家連合」を提唱し,連邦崩壊の危機を乗り越えようとしている。「主権国家連合」とは,各共和国が諸民族の文化・伝統・歴史等に基づいた主権国家として,新たな条約により自由な連合を形成するものである。こうした地方への権力分散による「主権国家連合」と,共和国主権を強調する急進改革派の「500日計画」とは密接に関係しており,今後のソ連の政治・経済体制を基礎づけるものとなろう。

(「基本方向」による市場経済化計画の内容)

ロシア共和国が標榜する「500日計画」は,共和国主権の下で私的所有を基本として短期間で急進的な市場経済化を目指すものであるが,これは,いわば資本主義化を目指すものであり,同計画の最終的な策定者であるシャターリンもそのことを否定していない。他方ゴルバチョフ大統領は,そもそも市場経済は資本主義の発明物ではなく古代ローマ時代から存在したもので,これを効果的に導入することは資本主義の復活を意味するのではなく社会主義の強化・発展につながるとしている。すなわち,ペレストロイカをあくまで「社会主義」の立て直しと捉えており,社会主義イデオロギーを公式に放棄してはいない。

このことは「基本方向」にも表されている。しかし実際には「基本方向」も「500日計画」をベースとしており,市場経済に必要な要素を大幅に盛り込んだもので,従来の社会主義の基本原則を根本的に転換する可能性を有するものとなっている。

「基本方向」による市場経済化計画は次の4つの段階に分けられ,1年半~2年をかけてこれを達成する計画となっている。

    第1段階(緊急措置):財政赤字削減による,過剰なマネーサプライの吸収,銀行制度改革及び預金金利引上げ,所有の非国有化に着手,生活必需品を除く価格の段階的引上げに着手。

    第2段階(財政緊縮と柔軟な価格形成システム):全商品の3分の1について国家統制価格を維持,所有の非国有化及び中小企業の民営化の推進,国民への所得補償としての賃金の物価スライド制導入。

    第,3段階(市場形成):消費財市場及び資本財市場の安定化(供給増加推進),住宅市場の創設,価格の自由化を推進,賃金改定の実施及び最低賃金制度の導入,自由な一企業活動の推進とインフラ整備。

    第4段階(安定段階への到達):非独占化・非国有化の一層の推進及び私有化・競争政策の推進,均衡予算及び需給を反映した価格形成により通貨ルーブルの国内交換性を回復,外国資本投下への優遇措置の実施。

「基本方向」は,連邦政府の漸進的な要素を取り入れたために「500日計画」と比較していくつかの点で後退がみられる。すなわち,①第1~第4段階までの段階ごとの期限が明確にされておらず,最終期限も500日から1年半~2年に伸ばされている,②中央指令・官僚統制的色彩が強い,③農地,宅地の私的所有が明確にされていない,④各段階ごとの国営企業民営化への具体的目安を示していない,⑤財政赤字削減を唱えながら補助金全廃や軍・KGB予算の具体的削滅計画は示しておらず,他方で賃金の物価スライド制等の財政負担を増加させている,といった点が急進改革派からは後退として批判されている。

しかしこのような点はあるにしても,連邦政府のこれまでの改革案に比べれば,市場経済への急進的な移行を目指すものと評価することができる。

(市場の役割と国家の役割)

ソ連のぺレストロイカが成功するためには,市場がなすべきことと国家がなすべきことを明確に区別し,国家は,市場が円滑に機能するのを妨げる要因を除去するという役割に徹することが必要である。すなわち,物財の生産,流通,販売や価格の決定等は市場に任せ,国家の役割は,①非独占化の推進により,市場経済の下で公正な競争が行われるようバックアップすること,②間接的・経済的管理手法に基づくマクロ経済政策により,経済安定化を図ること,③市場経済化に伴う失業,インフレ等に対し,所得補償を含む社会保障制度を整備すること,等に限定すべきであろう。

これらの結果,新たな市場経済体制が軌道に乗り,より効率的でスリムな形にソ連経済が再編成されれぱ,もともと豊富な資源と人口を有し,ある程度の経済水準を達成してきたソ連は,再び回復へと向かう可能性もあろう。