平成2年
年次世界経済報告 本編
拡がる市場経済,深まる相互依存
平成2年11月27日
経済企画庁
第3章 ソ連・東欧経済の現状と経済改革
ソ連・東欧において70年代後半から経済停滞に陥ったのは,基本的にはこれら諸国が採用している中央指令経済システムに原因があると考えられる。戦後,社会主義諸国では,スターリン・ヒデルと呼ばれるソ連型中央指令経済システムを導入して社会主義建設を行ってきたが,当初は目覚ましい成果を挙(アたスターリン・モデルも次第に行き詰まり,機能しなくなっていった。こうした経済不振の現状(本章第1節)の根本にあるのは何か,また,経済不振から立ち直るためにいかなる点を改革しようとしているのか(本章第3節)を理解するため,本節では,ソ連を例に中央指令経済システムについて検討する。
(共産党による中央指令・官僚統制システム)
ソ連は,1917年のロシア革命(社会主義革命)以降,労働者階級を代表する政治機関でる「共産党」が,政治,経済を初め社会,文化,芸術,学術に至るまであらゆる分野において,社会主義イデオロギーに基づいて命令・支配する体制(プロレタリア独裁)をとってきた。共産党員は約1,900万人(89年末のソ連人口2億8,880万人の約7%)であるが,誰でも入党できるわけではなく,社会において優秀と認められる者が入党を許され,上級党員は中央,地方の政府や重要な政治的・経済的・文化的組織における指導的ポスト(党内のみならず党外の組織も含む)に就き,「特権階級」を形成する。これら指導的ポストに就く党員の指名は「ノメンクラツーラ」と呼ばれる階級的な指名名簿に基づいて行われるため,共産党によるこうした人事権行使システムはノメンクラツーラ制度と呼ばれ,またノメンクラツーラが特権階級そのものを示す言葉としても使われている。
共産党は,経済面においては,政府(約60の各省・各委員会等から構成される)の行政の指針となる経済上の主要目標を設定するとともに,政府を指揮・監督する。こうした共産党の中央指令・官僚統制に基づき,第1次5か年計画の開始(1928年)以降ソ連経済は,西側資本主義諸国のような市場メカニズムによらず,行政的な計画経済により生産物の量,資源の調達・配分,生産要素(資本,労働)の配置,あらゆる価格,労働者の賃金等を決定するシステムを採用してきた。
ソ連において,このような中央指令・官僚統制による計画経済が必要とされた理由は,第1に,ロシア革命後のソ連がまだ遅れた農業国の段階にあり,革命による生産力の減少を回復し,社会主義革命に干渉しようとする内外の勢力に対抗するため,早急に経済力・軍事力を強化する必要があり,そのための基盤となる重工業化を上からの指令・統制により強力に推進しなければならなかったからである。
第2に,「資本家」階級が土地,生産手段(建物,機械・設備等)の私的所有の下で労働者を搾取することがないよう,所有形態を国有や公肴とし,資本家が利潤追求のために行う生産活動を,共産党が代わって人民の福祉のために行うという社会主義イデオロギーが存在したためである。
(省・国家委員会と企業)
ソ連の政府組織(前掲第3-1-2図及び付表3-1)のうち,経済部門担当の省,国家委員会が経済活動を管轄・調整する。省は生産分野ごとに分かれており,それぞれの管轄下の企業(国営)を監督し,企業の業績に責任を持つ。国家委員会は各省間にわたる広範な経済問題を調整する。例えば,ゴスプラン(国家計画委員会)は経済に関わる全省,全国家委員会に対してかなりの権限を有して経済の計画編成に当たり,ゴススナブ(国家資材技術供給委員会)は資材や技術を供給者から調達し,需要者へ配分する。まだゴスコムツェン(国家価格委員会)は価格の設定・監督を,ゴスコムトルード(由家労働社会問題委員会)は労働者の賃金表の設定・監督を行い,ゴススタンダールト(国家品質管理・規格委員会)は品質の基準を定型化し,品質を高める役割を担う。
企業は,上層から降りてくる計画を達成するとともに,中央に対して生産能力,在庫水準等計画に必要な情報を提供する。企業を管轄する省は,党゛の承認の下,企業経営者を任命・更迭し,ボーナスを決定することができる。ソ連の企業は先進資本主義国に比べて集中度・独占度が高く,少数の企業によって大半の資本ストックの保有,労働者の雇用,生産物の生産が行われている。このため,政府は比較的少数の企業と連絡をとりあえば,経済活動のかなりの部分を統制することができる。
ソ連経済は,建前上は共産党の中央指令・官僚統制による計画経済システムですべての経済活動が公正・適切に行われることになっている。しかし,実際にはこのシステム外の非公式の経済取引,すなわち第2経済によって補完されて初めてソ連経済が稼働している。この第2経済とは,主にヤミ市場や投機行為等の非合法経済をいうが,コルホーズ市場(自由市場)等の合法的なものについても,計画経済を補完するという経済的機能からみると,第2経済に類す乞ものと考えられ,いずれにおいても原則として市場メカニズムが作動している。非合法経済の規模はソ連の89年GNPの8~10%に達するともいわれている。では,なぜ建前の計画経済システムだけでは機能していかないかを次にみていく。
(中央指令・官僚統制システムの問題点)
中央指令・官僚統制システムは,初期の比較的単純な重工業化政策には適しているが,現代の複雑化・高度化した段階の経済を,細部まですべて計画によって稼働させるには無理がある。事前の計画によって経済活動をすべてコントロールしていくには,経済実態についての正確で十分な情報が必要となる。しかしながら,価格を例にとってみても,価格のほとんどは国家が決定する固定価格のため,価格が需給バランスの状況や生産・投資の資源配分効率化のためのシグナルとして作用せず,正確な情報が上に伝わらない。このため,人為的に決定された価格は変更されず,価格がコストや資源の稀少性,需給動向を反映しないままとなる。ソ連の価格体系は,原材料・エネルギー,基礎食料品,日用品,公共料金等が非常に低く設定され,資本財や贅沢品とされる耐久消費財の価格は高く設定されている。したがって,価格の安い資源の浪費を生み,こ,のことが,経済全体としての生産効率や経済厚生を低下させている。例えば,パジの価格が非常に安く,家畜用の飼料穀物以下の価格であるため,家畜の餌にパンを与えたり,子供達がパンをサッカーボール代わりに使っているといったことが指摘されており,他方では,貴重な外貨を使って西側から輸入した小麦でパンを作っている,というように非常な資源の浪費が生じている。また,価格の設定に関する・情報は供給サイドからのものに限られており,需要サイドである消費者の商品・サービスへの選好を表す情報は取り入れられていないため,設定された価格で,生産された全ての商品・サービスが需要される保証はない。しかし,ソ連企業は国家独占企業であり,他に競争的な供給者がないため,生産量を落として価格を引き上げても消費者は買わざるを得ず,ソ連経済に物不足とインフレがもたらされることになる。
企業に対する上からの生産指令は,量的な生産目標の達成が主である。また,企業には倒産がなく,必要な資金は低利で融資を受けることができるため,コスト意識が働いていない。そのために企業側は,資本主義国では最も重要な財務目標であるコスト削減努力,在庫圧縮努力に力を入れるどころが,生産目標の達成を確実にするため,過剰人員,過剰在庫を抱える傾向にあり,生産能力も過剰に確保しようとする。このことは,資源の遊休化を生み,生産効率を低下させる。企業は他方で,上への申告においては,人員,在庫,生産能力等についてできるだけ過少に報告し,上からの生産目標のノルマが高くならないように努力する。とのように,企業にとっては,財務改善よりも,上から指令された生産目標の達成に主眼が置かれている。
企業の投資は,中央から投資資金の配分を得て中央の承認の下で行われるが,この投資が非効率となっており,未完成工事残高が増加するとともに,平均産出係数が低下傾向妻続けている(第3-2-1図)。こう,した投資の非効率は,企業が生産ノルマの達成を容易にするために過大な投資計画を申請したり,建設部門の育成が遅れているために建設企業がその能力を超えて多数の建設プロジェクトを抱えている,といった状況から生じている。
労働者も上からの指令に従うだけであり,創意工夫を発揮させたり労働意欲を刺激するシステムがないため,労働者のモラールは低い。このことがソ連経済全体に労働の非効率と企業の赤字を蔓延させた。後述するように,ソ連が現在行おうとしている非独占化・民営化による改革は,企業にコスト意識を持たせ,互いに競争させることでこうした非効率を無くそうとの試みである。
(縦割りの省の問題)
ソ連経済を行政的管理の下に置くため,生産分野別に企業を管轄する省が置かれている。複数の生産分野を持つ企業に対しては,複数の省が管轄するのが原則であるが,現実には省が単位どなって特定の企業を傘下に収め,省別の単位の中で自給自足的な生産が行えるような縦割りのスタイルとなっている。これは,企業が購入資金と当局の購入許可証を持っていても必要な原材料・資材を調達できないという不確実な物的供給システムのかめ,計画の製品を生産するのに必要な原材料・サービスを各省の中で自前で供給する必要があるためである(省は管轄下の企業業績に責任を有するため)。したがって各省は,自己の生産分野とは直接関係がなくそも,管轄下の企業が必要とする物東であれぱ,これを生産し供給する体制を整えなければならない。こうした縦割りの行政システムが資源の効率的な配分を阻んでいる。
(第2経済による計画経済の補完)
中央指令・官僚統制による計画経済システムは,既に述べた様々な問題を抱えつつも,これまで経済成長,工業化,軍事力増強等に一応の成果を収めてきた。消費財の面でも,質・量ともに不十分とはいえ暴動が起こるという状態にまでは至らなかった。これは,中央指令経済システム以昇に別の経済活動(第2経済)があり,これによって補完されることでソ連経済がスムーズに稼働してきたためである。この第2経済には,非合法な取引として,次に述べる企業の計画達成の必要から生じる取引や消費者が消費財・食料品やサービスへのニーズを満たそうとして生じる取引等がある。また,コルホーズ市場(自由市場)等の合法的取引も,その経済的機能からみると第2経済に類するものと考えられる。
ゴスプランやゴススナブが全ソ連の財貨の配分を完全にコントロールすることは不可能であ,るため,生産現場である企業サイドは,物財の購入資金と購入許可証を持っていても満足に調達ができない状態にあり,目標達成のために第2経済を通じて必要な物財を調達している。計画当局もこれを承知しており,計画達成のためにはむしろ暗にこれを期待している面もある。計画当局や管轄省にとっては,たとえ非合法な手段を使ってでも計画を達成するのが良い企業経営者であり,公式ルートのみに頼ったために計画を達成できない経営者はむしろ評価が低い(ボーナスが少なくなるので従業員からも評価が低い)。こうした企業サイドの必要から生じた第2経済の担い手の代表的なものに,タルカーチとシャバーシニキがある。タルカーチは企業の資材調達係を意味するが,これが自立した仲介業者となり,企業長の依頼を受けて供給企業を督促したり,供給企業が他へ回す分を横取りして調達してきたり,企業間の余剰品を需要企業に配分したりするもので,調達に当たってはコネ,や金品の提供等の手段を使うことも多い。シャバーシニキは数人から20人規模の建設請負業者で,全作業工程を一括して請け負い完成物を引き渡すという形をとり,作業迅速,腕前良好,長時間労働可,資材豊富等を売り物としており,コルホーズ倉庫,農村の個人住宅等の建設依頼が多く,こうした農村建設工事の3分の2を担うともいわれている。
消費者も企業と同様に財貨の不足に直面しており,特に高品質・最新技術装備の梢費財や良質なサービスが少ないとの不満が強い。中央指令経済システムでは消費者選好が無視されてきたことから,梢費者二-ズを満たすための第2経済が生じてきた。例えば,農民が自宅周辺の「自留地」で生産した農産物は,ルィノクと呼ばれるコルホーズ市場(自由市場ンで価格も量も自由に販売することができる(合法的取引)。こうした自留地はソ連の耕地面積の2%以下に過ぎないものの,全ソ連の生産する肉及びミルクの約3分の1,卵の約3分の2を生産しており,品質も良く,極めて生産効率の高いものとなっている。梢費者は国営商店の品不足を補完するため,コルホーズ市場を利用することができる(ただし価格は国営商店の数倍,第3-2-1表)。また,消費者どうしがそれぞれの社会的・経済的立場を利用して,お互いに必要としているが公式ルートではなかなか入手できないものを交換する(非合法取引)。例えば,食品店の店貝と劇場の職貝が,肉と入場券を融通し合う,といった具合である。
以上のように,中央指令経済システムの問題点を第2経済が補完しているのであるが第2経済の資本主義的性質を嫌って中央指令経済システムのみを強化すれば,経済は停滞してうまく稼働せず,逆に中央指令経済システムを弱めていく場合には,第2経済の果たしている市場経済の役割を拡大していくのでなければやはり経済が機能しなくなるであろう。