平成2年
年次世界経済報告 本編
拡がる市場経済,深まる相互依存
平成2年11月27日
経済企画庁
第1章 世界経済の持続的成長と石油価格急騰
先進国の貯蓄・投資バランスは70年代初まで貯蓄超過で,途上国に対してネットで資金を供給していたが,2回の石油危機を経て80年代に入ると逆に投資超過となった。他方,途上国の貯蓄・投資バランスは81年以降恒常的に投資超過となっているが,その超過幅は徐々に縮小し,最近ではかなり均衡に近づいている(注1)。こうした貯蓄・投資バランスの動きに対応する形で,世界の資金循環構造も変化を遂げてきた。世界に対する資本供給国は,かつてのアメリカから,2回の石油危機を経て産油国へ移り,82年以降は経常収支黒字が拡大した西ドイツや日本がその役割を担うという変遷をたどった。
このような状況の下,ソ連・東欧諸国の政治・経済改革の進展,特にドイツ統合は将来の資金需要増大の期待を生んだこともあって,89年秋以来長期金利が上昇した。さらに,途上国においても,成長するための多くの投資が必要であることには変わりない。このため世界的に貯蓄を増加させることが求められているが,最も直接的な貯蓄増強策は,財政赤字を縮小させることである。その際,アメリカをはじめとした先進国が財政赤字削減に向けた努力を継続することが重要である。
以下では,先進国の貯蓄・投資バランス動向をみた後,累積債務問題の最近の状況およびその解決のための処方箋について述べ,途上国の貯蓄・投資バランスに言及する。さらに世界の資金循環構造の変遷について概観した後,世界の資金需給について若干の考察を行い,最近の国際金融・資本市場の動向についてもふれる。
(先進国の貯蓄・投資バランスの動向)
先進国の貯蓄・投資バランス,経常収支各々について,対名目GNP(GDP)比でみると(第1-4-1図),第1次石油危機まで貯蓄超過となっており,経常収支は小幅ながらも黒字となっていた。第1次石油危機期に貯蓄率とともに投資率も低下し,74,76,77年と投資超過のなかで経常収支は赤字となった。70年代末以降は投資超過が定着して経常収支は赤字基調となり,その赤字幅のGNP(GDP)比は60年代の黒字幅を上回るものとなっている(60年代の黒字幅の対GNP(GDP)比の平均0.3%,80年代の赤字幅の対GNP(GDP)比の平均マイナス0.5%)。このような投資超過等を反映して,G7(先進7か国)の実質長期金利(名目長期金利一消費者物価上昇率)(ま80年代に入って高水準となっている(実質長期金利,60年代平均2.7%,70年代同0.1%,80年代同4.6%)。
このような貯蓄・投資バランスの動きを主要国(アメリカ,西ドイツ,イギリス,日本)について概観してみよう(第1-4-2図)。
アメリカは第2次大戦後70年代末に至るまで,一時的に投資超過となった時を除けば長らく貯蓄超過国であり,経常収支も黒字を続けた。しかし,連邦財政赤字が拡大するとともに家計部門の貯蓄率が低下するなかで,82年以降は恒常的に投資超過国となり,その超過幅のGNP比は86年まで拡大の一途をたどった。87年以降は貯蓄率がおおむね横ばいとなる一方,投資率が低下を続け,投資超過幅は縮小してきている。このような動きのなかで,経常収支は82年以降赤字が定着化し,86年にかけて対GNP比で3.6%まで拡大した後,87年以降は縮小傾向が続いている(対GNP比,87年マイナス3.3%,88年マイナス2.5%,89年マイナス2.1%)。
西ドイツは66年以降,第2次石油危機期を除けば貯蓄超過が続いた。大幅な貯蓄超過国に転じたのは80年代に入ってからである。民間部門の純貯蓄が大きい状況の下,80年代前半は財政再建が進み,84年以降は貯蓄率が大幅に上昇して貯蓄超過幅は急速に拡大した。経常収支も80年代に黒字幅が拡大し,86年に対GNP比で4.4%となった後,87,88年と頭打ちとなったが,89年には4.6%とさらに拡大した。
イギリスは80年代に入り,投資率がほぼ一貫して上昇するなかで貯蓄率が低迷し,80年代前半の貯蓄超過から後半は投資超過に転じている。経常収支は87年に赤字に転じた後,88,89年と赤字幅が拡大している(対GDP比,87年マイナス1.0%,88年マイナス3.4%,89年マイナス3.8%)。
日本は60年代後半より,2回の石油危機期を除けば貯蓄超過となっているが,大幅な貯蓄超過が生じたのは,西ドイツと同様80年代に入ってからである。民聞部門の純貯蓄の水準が高いなかで財政再建が進められる一方,83年から86年にかけて投資率がほぼ横ばいとなったことから,貯蓄超過幅が拡大した。87年以降は内需主導の景気拡大の下,投資率が急上昇を示し,貯蓄超過幅は急速に縮小した。経常収支黒字も86年まで拡大が続いたが,87年以降は縮小に向かい,89年は対GNP比で2.O%となった。
(先進国の貯蓄率の推移)
先進国の貯蓄率と投資率の動きをみると(第1-4-1図),貯蓄率と投資率には密接な相関関係があり,投資率の動きはおおむね貯蓄率の動きの跡を追う形となっている。そこで,以下では80年代の各部門別の貯蓄率の動向について概観することにする。
先進主要5か国(アメリカ,西ドイツ,イギリス,カナダ,日本)について部門別貯蓄率をみると(第1-4-3図),民間部門の貯蓄率は近年やや低下しているものの,87年までは家計部門と企業部門の変動が相殺し合う形で推移しており,おおむね横ばいとなっている。このため,国内貯蓄率の動きは政府部門の貯蓄率の動きをかなり反映したものとなっている。なお,家計部門と企業部門の貯蓄率に逆相関関係があるのは,1つには企業部門の貯蓄(内部留保)の増(減)が,株価を高(低)め,資産効果を通じて家計貯蓄率を低(高)めるというメカニズムが働くからとも考えられる。
部門別の貯蓄率の動きを前出の4か国についてみる(第1-4-4図)。アメリカについては,国内部門貯蓄率と政府部門貯蓄率の動きがほぼ類似しているが,80年代半ば以降は,民間部門貯蓄率の低下が国内部門貯蓄率の低下の主因となった。日本では80年代半ば以降,民間部門貯蓄率の低下にもかかわらず政府部門貯蓄率が上昇したため,国内部門貯蓄率は上昇した。西ドイツについては80年代前半まで,イギリスについては70年代前半まで,国内部門貯蓄率と政府部門貯蓄率の軌跡はほぼ類似していたが,西ドイツについては80年代後半になって企業部門貯蓄率の上昇に主導されて国内貯蓄が上昇した。イギリスについては70年代後半以降,民間部門貯蓄率が国内部門全体の貯蓄率の決定要因となっている。
さらに留意すべきことは,G7全体でみた家計部門の貯蓄率が87年までほぼ一貫して低下を続けたことである(付図1-2)。G7の可処分所得に占める家計貯蓄率をみると(GNP(GDP)で加重平均),80年は12.7%だったものが,89年には9.7%まで低下している。これを国別にみると(第4-2-3図参照),西ドイツが83年まで低下した後,84年から88年にかけてはむしろ緩やかな上昇傾向をたどったのに対し,その他の6か国は87年までおおむね低下傾向を示した後,イタリアを除いて88年から89年にかけて若干上昇する形となっている。各国の家計貯蓄率低下の背景としては,①不動産,株式等の既存資産の価格上昇が家計に対して資産効果をもたらし,貯蓄インセンティブが抑えられたこと,②貯蓄動機の一つであるインフレ不安が起こらなかったこと,③イギリス等では金融面の規制緩和が進むなかで,消費者信用の多様化および金融機関の競争激化が,個人の借入れに多くの機会を与えた可能性があること等があげられよう。しかし,このところの貯蓄率の若干の上昇に対しては,①資産効果の剥落に加えて,②金融引き締めにともなう実質金利の上昇等が働いているものと考えられる。
ここではまず,途上国の債務問題の最近の状況を概観し,その対応策等をみた後,途上国の貯蓄・投資バランスの推移をみる。
(発展途上国債務の最近の状況)
発展途上国の債務残高は依然高水準となっているものの,88年に前年比80億ドル(0.6%)の微減となった後,89年には前年比60億ドル(0.5%)の増加にとどまり,1兆2,900億ドルとなった(第1-4-5図)。
89年に対外債務残高が微増にとどまったのは,長期公的債務が増加した反面,民間部門の長期債務が88年に続いて89年も減少したためである。また債務残高のGNP比は88年に経済成長等を反映して低下したが,89年には44.1%と依然高水準である。債務国の債務負担の度合いを示す指標であるデット・サービス・レシオ(債務返済比率,元利返済額/財・サービスの輸出額)も86年をピーダに89年には27.5%まで低下したが,依然として高水準である。
こうした債務残高の推移を債務国の中長期資金フローの面でみると(第1-4-6図),重債務国では82年以降元利返済比率が新規融資比率を上回っており,新規融資が滞るなかで元利返済をそれ以上に行うといういわば消極的な意味で債務残高を減少させているといえる。中債務国の場合,元利返済比率が新規融資比率を上回っている点では重債務国と変わりがないが,重債務国とは異なり元本返済を増加させつつも新規融資も着実に増加している。
(債務問題の解決へ向けた動き)
このような途上国債務の状況の下,89年3月にはいわゆるブレイディー構想が打ち出された。同構想は,それまでのベーカー構想に代わるものであるが,べーカー構想は,①債務国による持続的成長実現のための経済構造調整の実行,②世銀,IMF等の国際機関による経済構造調整の支援強化,③民間銀行による新規融資め3つを柱とし,債務国に対する新規融資を民間銀行に奨励したが,①民間銀行が不良債権の増加を嫌がったこと,②債務国側でもニューマネーの増加が債務負担の増大を招いたこと,等により成果はあがらなかった。
これに対してブレイディー構想は,①元本削減,②金利減免,③新規融資の3つを柱とし,債務国の返済能力をはるかに上回る債務残高を減らすため,債務の一部を免除するという根本的な措置を行った点が特徴である。同構想は90年2月にメキシコと民間銀行団との間で第1号として具体化した。メキシコの場合,民間債務約485億ドルを対象に,①200億ドルの元本の35%削減,②225億ドル分の金利を6.25%固定金利に軽減,③60億ドルの25%の新規融資による債務削減が行われ,フィリピンでは,債務買戻しによる元本削減13億ドル,新規融資7億ドルをはじめ債務の組み換えが行われた。
また債務削減の動きと並行して,近年では債務の株式化によって債務国への投資を促進しようとする動きが活発化している(付図1-3)。債務の株式化は,①債務を株式に置き換えることによる債務の軽減,②途上国が自国通貨で対外債務を削減できるために金利変動リスクを軽減できる,等のメリットをもっている反面,株式化により一般的には国内の通貨供給量が増大し,インフレを加速させるというリスクも有しており,抜本的な債務削減の手段としては期待できない面がある。
(債務問題からの脱却のプロセス)
一般に途上国が離陸する時期には,経済開発に必要な投資を賄うだけの資金が国内にないため,海外から開発資金の一部を調達することから債務が発生するが,その資金が効率的な投資に向けられず生産能力の拡大につながらない場合,長期的な返済能力の改善に結びつかないことから債務問題が発生する。債務問題が顕在化した82年当時,途上国の国内貯蓄率は今日債務問題が深刻化しているフィリピン,メキシコ,ブラジルなどで20%と決して低い水準ではなかったが,投資率はその水準を上回り,投資超過となっていた。そのなかで,非効率な公共投資等投資の効率性に問題があったことが経済成長の鈍化に結びつき,新たな成長のための貯蓄を生み出せなかった。加えて,主として中南米諸国で進められた輸入代替政策は,国内産業の国際競争力の低下をもたらし,投資の非効率性を助長した。また,石油危機,高金利等の好ましくない外生的条件も状現を一層悪化させた。このような状況の下,資金が途上国に取り入れられても,大幅な財政赤字やインフレの高進による劣悪な投資環境等により,自国のための投資・貯蓄には活用されず,アメリカ等の先進国に流出してしまい,単に債務残高だけを増加させるという「資本逃避」も問題をさらに深刻なものとした。
以上のような悪循環を断ち切り,債務問題から脱却するためのプロセスとしては,次の三段階を通じた解決への道のりが考えられる。第一段階は,マクロ経済の安定である。インフレを抑制して経済を安定させることでマクロ経済の安定を回復することが問題解決の大前提である。このためにはしばしば非効率な資源配分の根源となる財政赤字の削減が重要である。現在,この段階に属している国としては,アルゼンチン,ブラジル,ペルーなどがある。第二段階は,構造調整である。産業の国際競争力を強化するためには,参入障壁を除去し,国営企業の民営化や規制緩和の推進によって競争を活発にすることが必要である。またモノカルチャー経済から脱却し,産業構造の高度化を図るととも必要である。この段階に属しているベネズエラ,コロンビアでは,貿易面の保護主義の緩和が行われており,コスタリカでは経済の自由化の進展が目覚ましい。第三段階は,投資の回復である。第二段階で構造調整を終了した国では,投資環境が整備され,民間投資のインセンティブが働くと同時に「資本逃避」のインセンティブは消失する。民間主導の効率的な投資が進むことで,経済は債務の悪循環から脱却することになる。中南米諸国のうちメキシコ,ボリビア,チリはすでにこの段階に達していると考えられ,特にチリでは民間投資の急速な回復と低インフレの下で,景気は拡大している。
民間銀行団が国際金融機関及び債権国の支援を受けながらケース・バイ・ケースで債務の軽減という救済措置をとる一方,債務問題解決のためには債務国側においてマクロ経済の安定と構造調整を図り,経済再建を果たすことが何より重要であり,債務問題解決に向けて債務国の今後一層の自助努力が期待される。
(途上国の貯蓄・投資バランス)
途上国の貯蓄率は,70年代末までおおむね投資率を上回っており,貯蓄超過の状態となっていた(第1-4-7図)。その後,80年代初には投資超過に転じるとともに急激に勉過幅が拡大したが,82年以降は投資超過幅は縮小の方向に向かっている。これは,ラテン・アメリカ等が債務問題の深刻化によって,半ば強制的に投資の縮小を迫られたことに加え,アジアNIEs等の資本蓄積が進んだことから,途上国への資金流入が細ったことによるものと考えられる。
また,貯蓄率と投資率の動きをみると,先進国と同様,貯蓄率と投資率にはおおむね相関関係があるが,82年の債務危機発生以来,貯蓄と投資の乖離は縮小している。
このような動きを,アジア,中南米,中近東の3地域についてみると,以下のようになる(第1-4-8図)。
アジアでは,低水準にあった貯蓄率,投資率双方がほぼ一貫して上昇傾向をたどり,貯蓄,投資の拡大均衡が続くなかで近年は貯蓄超過になってきている。アジアNIEs等では輸出志向型の開発戦略が功を奏し,輸出比率の上昇から資本蓄積が進展した。加えて,最近まで輸出主導型の高度成長が持続し,所得が急増するなかで貯蓄率も上昇し,貯蓄超過に転じた。
中南米では,70年代には貯蓄率,投資率とも比較的高水準であったが,82年の債務危機以来貯蓄率,投資率とも著しく低下し,その後は双方とも低水準で推移し,いわば縮小均衡の状態にある。中南米諸国は,輸入代替を開発戦略とし,70年代には積極的に海外資金を取り入れて,高投資,高成長路線を追求したが,結果的には輸出競争力の伸長が不十分となり,80年代に入って累積債務問題が表面化するなかで,緊縮的な調整計画への方向転換を余儀無くされた。
しかし,構造調整策の成果は一部の国を除いて現れず,国内投資が資金不足がら急減して均衡が保たれている委となっている。
中近東では,第1次石油危機期を頂点に恒常的な貯蓄超過となっていたが,80年代に入って石油価格が低迷した一方,中東,ペルシャ湾地域での戦争状態の継続等もあって政府部門赤字が拡大したため,83年以降はむしろ投資超過で推移している。
以上みてきた先進国,途上国の貯蓄・投資バランスの動きに対応する形で,世界の資金循環構造も変化を遂げてきた。ここでは,世界の経常収支不均衡との関係をながめながら,資本供給国がどのように変遷してきたかをみてみよう(第1-4-1表)。
(世界の資金循環構造の変化)
第2次大戦後,60,70年代末に至るまで,アメリカはほぼ一貫して経常収支黒字を続け(第1-4-2図),世界に対する資本供給国としての役割を果してきた。そのなかで,アメリカの資本供給を受けて戦後復興,その後の高度成長を遂げた西ドイツ,日本は60年代後半には経常収支,あるいは貿易収支が黒字基調となったが,対名目GNP比では2%台を超えることはながった(第1-4-2図)。
70年代から80年代初にかけては,中近東を中心とする産油途上国が,アジア,中南米等の非産油途上国への資金供給を担った(第1-4-8図)。2度の石油危機で蓄積された巨額のオイルマネーはユーロ市場を介して,主として中南米等の途上国の開発資金に振り向けられた。
その後,83年以降は石油・その他一次産品価格の低迷によって,中近東等産油途上国の経常収支が赤字となる一方,先進国ではアメリカの財政赤字等各国の財政スタンスの違い,ドル高等を背景に,82,3年以降,アメリカの経常収支赤字,西ドイツ,日本の経常収支黒字がそれぞれ拡大した。また,少南米では累積債務問題の表面化により半ば強制的に経常収支赤字の縮小を迫られ,アジアではNIEs諸国を代表とした自立的な経済発展により経常収支赤字が縮小し,非産油途上国全体の経常収支赤字は大幅に縮小した。このような状況下,アメリカが最大の資金需要国に転じる一方,中近東等の産油途上国の資本供給が減少するなかで,83年以降は西ドイツ,日本が資本供給国の地位を占めるようになった。しかしながら,アメリカの資金需要は拡大を続けたため,資本蓄積が不十分で,本来的に資本を必要としている途上国への資金流入が相対的に細ってしまうという問題が生じるようになった。
アメリカの経常収支赤字は86年には1,454億ドル,GNP比で3.6%となった後,87年にはGNP比で3.3%に縮小したものの,金額では1,623億ドルと過去最高となった。そうしたなか,経常収支赤字のファイナンスに関しての持続可能性について疑念がもたれた。事実,アメリカの経常収支赤字のファイナンス状況を事後的にみると(付図1-4),87年には公的資金が3割以上を占めており,民間資金の自立的なファイナンスの役割が低下していたことがわかる。また,87年10月の世界的な株式市場の株価急落,その後の米ドル相場の下落等は,国際金融・資本市場がアメリカの経常収支赤字のファイナンスの持続可能性に警告を発したものとして記憶に新しい。しかし,市場は変動性の高まり,国際間の同調性の高まりといった現象を除けばおおむね円滑にファイナンス機能を果たしてきており,アメリカの経常収支赤字自体も88年にはGNP比2.5%,89年同2.1%と縮小し,90年に入ってからは2%を切るレベルになってきている。
西ドイツ,日本の経常収支黒字は,日本が86年のGNP比4.2%をピークに縮小し,89年以降は1~2%台のレベルになっているのに対し,西ドイツは86年にGNP比4.4%と大幅拡大となった後一進一退となっていたが,89年には4.6%にまで拡大した。ただし,その西ドイツについても,ドイツ統一等によって縮小することが見込まれている。
このような状況の下,89年秋以降のソ連・東欧諸国の政治・経済改革の進展,特にドイツ統一は,将来の資金需要増大の期待とあいまって,世界の資金需給への関心を高めるきっかけとなった。そこで,今後の世界の資金需給を考える上で特に大きな影響を及ぼすと考えられる,ソ連・東欧諸国の政治・経済改革にともなう資金需要増を採り上げる。また,世界の貯蓄不足を緩和する上で,アメリカをはじめとする先進国の財政赤字削減が重要な意義を有していることから,ここではアメリカの財政赤字削減にともなう資金供給増を採り上げる。
以下では,これらの規模が世界の民間部門の貯蓄増との対比でどめ程度の規模にあたるのかをみることにする。
まず,世界の貯蓄の地域別現状をみた後,今後の世界の主な貯蓄・投資増加要因の規模,世界の資金需給へのインプリケーションを考えることにする。
(世界の貯蓄の地域別現状)
世界の貯蓄額について大まかな推計を行うと,88年は約3.6兆ドルとなり,そのおよそ8割が先進国に存在している(第1-4-9図)。62年からの推移をみても,世界の貯蓄額のおおむね8割が先進国で生み出されていることがわかる。ちなみに,88年現在の日本の貯蓄額は,世界の貯蓄額の26.4%,先進国の貯蓄額の32.3%と,アメリカのシェア(世界の21.2%,先進国の25.9%),西ドイツのシェア(世界の8.7%,先進国の10.7%)を上回る規模を有している。他方,世界の貯蓄を吸収するアメリカの財政赤字がどの程度の規模がをみると,88年現在(1,551億ドル,連邦政府)で世界の貯蓄額の4.3%,先進国の貯蓄額の5.3%の規模である。また,85年から88年にかけて世界の貯蓄額は約1.2兆ドル増加したが,同期間の日本の貯蓄額は約5,200億ドル増加しており,日本の貯蓄の増加が世界の貯蓄増の4割強も寄与したことがわがる。
先進国の総貯蓄のうち民間部門の貯蓄については,前述したように,その貯蓄率がおおむね横ばいで安定的な動きをしてきたことから,成長率について一定の゛前提をおけば,その将来水準をある程度推計することが可能である。そこで,IMFの見通し(90年10月)によれば,先進国の名目GNPは,90年が前年比6.5%増,91年が6.4%増,92~95年平均で6.6%増となっていることから,先進国の民間部門の貯蓄額は95年には約4.7兆ドルと推計される。89年から95年までの増加額の累計にすると約4.9兆ドルとなる。この民間部門貯蓄増加額の累計をメルクマールにして,次に主な貯蓄・投資増加要因の相対的な規模をみることにする。
(主な貯蓄・投資増加要因)
以下,95年までの世界における主な投資増加要因として,東独の経済再建,その他ソ連・東欧諸国の改革にともなう投資増加を採り上げ,また,主な貯蓄増加要因の例として,アメリカの財政赤字削減の影響を採り上げる。
東独の経済再建,その他ソ連・東欧諸国の改革に伴う投資増加にともなう今後の資金需要を展望するにあたっては,金融制度が整備されていくにしたがって民間部門の貯蓄がどの程度吸収されるのか,生産設備,インフラ等がどれだけ整備されなければならないのか等未知数が多く,資金需要の計測は極めて困難であるが,大体の大きさを知るため,以下のような試算を行う。なお,東ドイツのように西ドイツに編入されるため,統一後は西ドイツからの国内での資金の移転が容易になされる国の場合と,債務問題の深刻化等によって,国際収支の制約上,先進国からの資金供給が限られたものにならざるを得ないその他の諸国との事例は区別して試算することにする。
東ドイツの資金需要については幾つかの推計があるが,IMFの見通し(90年10月)によれば,95年までに約2,276億ドル(IMF見通しによる90年価格ベースの資金需要額約2,130億ドルを,ドイツ連邦大蔵省の中期見通し等によって名目値に置き換えた)が必要となるとされている。その他ソ連・東欧諸国の資金需要(注2)については,現在までの債務残高の推移が一つの手掛かりとなろう。東ドイツを除いたソ連・東欧諸国のハードカ,レンシー・ベースでの対外債務残高は,81年以降年平均5.6%で増加し,89年末には1,033.1億ドルとなっている。仮にこのペースで債務残高の増加が続くとすると,95年には1,433.4億ドルとなり,89年比400.3億ドルの増加となる(注3)。
これら東ドイツとその他ソ連・東欧諸国の資金需要の合計は,95年までで約2,700億ドルとなり,先進国の民間部門の貯蓄増加額累計4.9兆ドルの約5.4%となる。
一方,貯蓄の増加要因としては,負の貯蓄となっている先進国の財政赤字の削減が重要である。ここではその例として,アメリカの財政赤字の削減が貯蓄増にどの程度寄与するのかを試算してみることにする。
アメリカの連邦財政赤字の89年度実績(貯蓄金融機関の整理・清算費用を除く)は1,441億ドルであり,90年度の実績(同)1,739億ドルおよび91~95年度については90年9月の見通しにより順調に赤字削減が行われた場合の赤字額(貯蓄金融機関の整理・清算費用を除く)に基づけば,90~95年度各々の財政赤字と,89年度の財政赤字との差の増分の累計は,2,628億ドルとなる。つまりこの間,財政赤字は89年度レベルより累計で2,628億ドル縮小し,その分世界の貯蓄の供給に寄与することになる。これは,先進国の民間部門貯蓄増加額累計の5.4%の規模にあたる。
このように,東独の経済再建,その他ソ連・東欧諸国の改革にともなう投資増加が約2,700億ドルであり,アメリカの財政赤字の削減による貯蓄増加は約2,600億ドルである。すなわち,東独の経済再建,その他ソ連・東欧諸国の改革にともなう投資増加は,アメリカの財政赤字削減による貯蓄増加とほぽ見合っている。このように,アメリカが多年度にわたり着実に財政赤字削減を進めていくことは,今後の世界の資金需給を緩和する上で重要な意義を有するものといえる。いずれにしても,ソ連・東欧,東独の資金需要は,アメリカの財政赤字の削減など先進国の政府部門あるいは民間部門の一層の貯蓄増加がなければ,金利の上昇を招き,民間部門の投資をクラウド・アウトする可能性がある。
民間部門の貯蓄を政策的に増加させるには限度があり,特に,80年代を通じて低下してきた家計部門の貯蓄率については,将来的な高齢者人口比率の上昇を勘案すれば,その増強をはかっていくには困難があろう。むしろ,より直接的な貯蓄増強策として,政府部門の貯蓄増強をはかることが適当と考えられる。この場合,先進国の財政赤字削減,なかでもその規模からみて,アメリカの財政赤字の削減が極めて重要である。
(長期金利の上昇)
88年上期以降,欧米諸国は力強い景気拡大,インフレ率上昇の懸念を背景に金融引き締めへと転換しており,短期金利は上昇傾向をたどってきた。これに対し,長期金利は金融引き締めがインブレ抑制に成功するとの市場の見方等を反映して,比較的安定した推移を示していた(第1-4-10図)。
このような状況はおおむね89年夏頃まで続いていたが,秋以降は,各国の短期金利がむしろ安定的に推移する一方,長期金利はアメリカを除いて上昇傾向をたどった。とうした動きは,ソ連・東欧諸国の将来的な資金需要増に対して市場が反応したものと考えることが可能である。その後,アメリカの長期金利が89年12月下旬より上昇に転じ,東西両ドイツの通貨統合によるインフレ懸念等が背景となって,各国の長期金利は90年4月にかけて上昇傾向を強めた。さらに,8月には湾岸危機にともなう石油価格の急騰にともなって,各国の長期金利は一段と上昇した。
一方,主要国の金融政策の動向をみると,欧州各国の公定歩合については,89年12月にフランスが引き上げたのを最後に,その後はドイツについては据え置きが,また,イギリス(貸出基準金利),フランス,イタリアについては引き下げが行われてきた。これは,為替相場が強含みで推移したことや,物価上昇率が比較的落ち着いた状態で推移したためである。アメリカでは89年6月以来数次にわたってフェデラル・ファンド・レートが引き下げられてきたが,90年8月初の石油価格急騰以来,金融政策の運営は難しくなってきている。日本では,物価上昇圧力の顕在化を未然に防止するとの理由等から,89年5月以来5次にわたって公定歩合の引上げが行われた。
9月下旬のG7では,8月の湾岸危機にともなう石油価格の上昇により,インフレと経済成長の低下という2つのリスクがもたらされているとの認識の下,これに対処するには,金融政策については,安定を指向する金融政策をとることが重要とされた。
(為替相場の推移)
89年9月半ばまで堅調となっていた米ドルは,9月のG7声明を契機に軟調に転じ,それ以降は90年1~3月にかけて強含んだものの,6月まで概して横ばいないしは弱含みの展開となった(第1-4-11図)。これに対して,89年秋以降上昇したのが,ドイツ・マルクを中心とする欧州大陸通貨である。ドイツ・マルクは,ソ連・東欧諸国の改革の進展,両独通貨統合を睨んだ期待および他国との名目金利差縮小等によって,おおむね1月上旬まで上昇を続けた。その後,通貨統合に関わるインフレ懸念から一本調子の上昇にはなっていないが,おおむね強含みで推移している。その他の欧州大陸通貨についても,ドイツ・マルクと類似の動きを示している。英ポンドについては,2月末から4月にかけて下落したが,ERMへの加盟もあって強含みで推移している。
円は,89年秋以降はおおむね横ばいで推移した後,90年2~3月にかけて下落したが,5月以降はおおむね上昇している。
このような展開のなかで,米ドルは90年7月以来下落してきており,実質実効レートでみたこのところの水準は,85年のプラザ合意以降最低となっていた87年12月頃の水準を下回っている(モルガン銀行発表の米ドル実質実勧相場指数(1980~82年=100)87年12月平均 87.5,90年10月平均 81.8)。また,アメリカの資本収支のうち,直接投資,証券投資については合計で90年上半期にネットで108億ドルの資本流出超となっている(付図1-4)。一方,日本の対外証券投資(取得一処分のネット)は,全体では88年の889億ドルから89年には1,137億ドルに増加した後,90年入り後は大幅に縮小しており (1~6月上半期の年率換算,369億ドル),なかでもアメリカ向けに関しては,88年362億ドル(全体に占めるシェア,40.7%)の後,89年は265億ドル(同23.3%)とシェアが減少し,90年入り後は上半期の年率換算で178億ドルの売り越しとなっている。こうした動きは,日米間の長期金利差が縮小してきていること等が基本的な要因とみられるが,日本の株価が90年に入って下落を続けているなかで,投資家が外国債券等の利食い売りを行っている可能性もある。このような資本をめぐる動向が今後の米ドル相場の展開を探る上で一つの参考となろう。