平成元年
年次世界経済報告 各国編
経済企画庁
I 1988~89年の主要国経済
第1章 アメリカ:軟着陸に向かう
(やや減少した89年度の財政赤字)
連邦財政赤字は,86年度(85年10月~86年9月)に過去最高の2,212億ドル(実績については資産売却を含むベース,収支実績見込み及び収支見通しについては資産売却を除くベース,以下同様)となった後,87年度は1,497億ドルと大幅に減少した。88年度は,①87年初にキャピタル・ゲイン課税が強化されたが,それを控えての駆け込み的な資産売却による税収増が87年度に集中した反動で,歳入の伸びが鈍化したこと,②歳出の伸びが87年度にみられた小幅化の反動もあって高まったことなどにより,財政赤字は1,552億ドルとやや拡大した(第1-13図)。
89年度予算については88年2月に予算教書が出され,そこにおいて①87年12月の財政赤字削減合意の遵守,②同合意による財政赤字削減及び経済成長による財政赤字目標(1,360億ドル:新グラム・ラドマン法ベース)の達成,③新たな増税を行わずに優先度の高い政策を実施すること等が盛り込まれた。歳出は3.6%増の1兆942億ドルに引き続き抑制するとともに,歳入は法人税,社会保障税の伸びを中心に6.2%増の9,647億ドルを見込み,89年度の財政赤字を1,295億ドルとしていた。その後,議会における予算決議の可決(6月),政府行政管理予算局(OMB)による財政見通し年央報告(7月),議会における歳出予算法案の可決(9月)を経て,10月にOMBは最終的に財政赤字を1,455億ドルとする見通しを発表した。これにより,89年度の目標額(1,360億ドル+100億ドル=1,460億ドル)を僅かに下回ったため,一律歳出削減措置は行われなかった。
なお,議会予算局(CBO)の見通しは,1,518億ドルであった。
しかしながら,90年度予算教書(89年2月)における89年度実績見込みでは,S&L(貯蓄貸付組合)救済支出等が加わったために,支出が高い伸びを示したことから,赤字額は1,702億ドルに上方修正された。89年11月に発表された89年度の実績では,歳入が景気上昇持続による個人所得税,法人税の税収増から前年度比9.1%増の9,908億ドルとなった一方,歳出も同7.5%増の1兆1,428億ドルに達したため,収支は結局1,520億ドルと前年度に比べ32億ドルの若干の赤字縮小にとどまった。
(90年度予算審議の経緯)
90年度予算教書は,89年1月にレーガン前大統領が発表したものを基礎にして,2月にブッシュ大統領により修正予算教書の形で再提出された。その内容の骨子はいわゆる「フレキシブル・フリーズ(歳入に名目GNP以上の伸び率を期待しつつ,歳出を物価上昇率なみの伸び率に抑え実質前年同額とすることにより,財政収支の改善を図るもの)」の考え方を採用したものであり,①国防費をほぼ前年度並みに止めるなど,歳出を抑制する(前年度比1.2%増),②増税なしの公約を前提に,経済成長に支えられた税収の順調な伸びや,キャピタル・ゲイン減税の実施による増収効果によって,歳入の着実な増加(同8.8%増)を見込む,となっていた。その結果,90年度の財政赤字は948億ドルとなり,新グラム・ラドマン法上の赤字上限(1,000億ドル)に収まることになっていた。
このブッシュ大統領の修正予算教書をベースに政府・議会間で財政収支目標額についての合意が成立(4月,収支目標額1,051億ドル)し,その内容に沿った形で5月には上下両院で予算決議(同1,054億ドル)が採択された。さらに,OMBは7月の年央改訂見通しにおいて財政収支を1,050億ドルの赤字とした後,8月には同1,162億ドルに,さらには10月の最終報告では1,161億ドルとした。これを受けて10月16日,ブッシュ大統領は新グラム・ラドマン法にのっとり,161億ドルの歳出一律削減命令(国防費,非国防費それぞれ81億ドル)を発動した。なお,CBOの財政収支見通し(10月)によれば,同法ベースで1,413億ドルとなっている。その後,議会は11月22日こ90年度の財政収支の赤字を147億ドル削減する包括財政調整法を可決した。同法では,90年2月7日までグラム・ラドマン法による一律削減を続けることで約46億ドルを削減することとしているほか,種々の増収措置により約29億ドル,郵政公社をオフ・バジェットに移す等の歳出削減措置により約72億ドルを削減することとしている。
FRB(米連邦準備制度理事会)は,インフレ圧力を緩和すべく88年8月に公定歩合を6.0%から6.5%に引き上げた(第1-14図)後,10月以降はドル安の進行,雇用情勢の一段の改善等もあって引き締めを強化した。こうしたなか,FF(フェデラル・ファンド)レートの目標レンジは順次引き上げられ,88年末には9%程度まで高まった。89年に入ってからも景気は底固く推移し,また物価上昇率もさらに高まってきたことから,FRBは金融引き締め姿勢をさらに強化した。この結果,短期金利は87年10月の株価急落直前頃の水準まで上昇し,マネーサプライの伸び率も,88年初頭には目標圏の上限に近かったものが,89年初にはM2が目標圏の下限をも下回る状態となった(第1-15図)。この間,適切な金融政策の下,インフレ圧力が高まらない形で比較的バランスのとれた経済の拡大が続くとの市場の期待等もあって,長期金利は安定的に推移した。イールド・カーブ(利回り曲線)は,金融が引き締めに転じ始めた88年春の段階では,金利が残存期間の短いものから長いものへと順次高くなる形状を示していたが,引き締めが強化されていた89年初には金利が短期金利を中心に上方にシフトし,長短金利が逆転する姿となった。
89年2月に議会に提出された同年の金融政策報告によると,89年の実質GNP成長率は2.5~3.0%(第4四半期対比,以下同じ)と88年7月の暫定目標値(2.0~2.5%)を上方改訂したが,88年12月に発表された政府見通しの3.5%を下回るものとなった。消費者物価は4.5~5.0%と政府見通しの3.6%をかなり上回るものとされた。マネーサプライの増加目標圏は,M2については3.0%~7.0%,M3については3.5%~7.5%とし,88年(M2,M3ともに4.0%~8.0%)に比べ上下限ともM2は1.0%,M3は0.5%引き下げることとした。これは88年7月の暫定目標値と同じであり,インフレ圧力を抑えるために引き締め気昧の政策スタンスを維持するという意図を反映している(第1-15図)。Mlについては昨年同様目標設定は見送られた。
2月24日,FRBはインフレ圧力を考慮して,公定歩合を6.5%から7.0%に引き上げ,引き締めスタンスを強化した。FRBの引き締め姿勢は,製品及び労働需給のひっ迫や石油価格の上昇等による物価上昇率が高まるなかで,おおむね5月下旬まで続いた。しかし,景気が幾分鈍化の兆しをみせ始めてきたことから,6月上旬以降,FRBは段階的に金融を緩和する姿勢に転じた。
7月に議会に提出された年央の金融政策報告によると,89年前半のアメリカ経済は,ここ2年間の拡大ペースがかなり鈍化したものの,雇用は堅調に拡大しており,失業率も70年代初頭以来最も低いレベルにあるとしている。インフレ率も上昇したが,エネルギー・食料価格の上昇による一時的要因もあり,それらを除いたコア・インフレ率はおおむね前年の水準にあるとの判断を示した。
これらの判断の下,89年の実質GNP成長率は前回の見通し(2月)を0.5%下げ,2.0%~2.5%とし,90年は政府見通し(7月)の2.6%をかなり下回る1.5%~2.0%とした。消費者物価については,89年全体では前回の見通しを0.5%引き上げるにとどめ,5.0%~5.5%とし,90年については4.5%~5.0%とし,政府見通しの4.1%を上回るものとなっている。89年のマネーサプライ増加目標圏は,M2,M3とも前回(2月)の目標圏(M23.0%~7.0%,M33.5%~7.5%)を変更せず,90年については経済・金融の見通しが不透明であるということから,暫定的に89年と同様の目標圏とした。なお,Mlについては引き続き目標圏設定はなされなかった。
FRBの金融政策スタンスを反映するFFレートは,公定歩合が引き上げられた2月下旬以降9.75%程度のレベルが持続していたが,6月上旬以降は段階的に下がり,11月には8.5%程度まで低下した。長短金利はともにFFレートに先行する形で3月下旬以降低下し,マネーサプライは金融緩和を反映して,M2,M3ともに7月より目標圏に入ってきている。10月13日,ニューヨーク市場において87年10月に次ぐ史上2番目の株価急落(下落率,ダウ平均株価の終値で前日比6.9%)を記録したが,これは一企業のLBOのための資金調達不調が引金となって,全般的な株価の急落につながったものであり,LBOの行き過ぎに対する市場の警告を現実に示したものである。