平成元年

年次世界経済報告 本編

自由な経済・貿易が開く長期拡大の道

経済企画庁


[前節] [次節] [目次] [年次リスト]

第3章 世界貿易の拡大と構造変化

第5節 ヨーロッパ貿易の構造

1. EC貿易の特徴

(ECの性格)

欧州共同体(EC)は,ECSC(欧州石炭鉄鋼共同体),EEC(欧州経済共同体),EURATOM(欧州原子力共同体)の三者を1967年に併合して発足した。

欧州共同体(EC)は,発足当初から,共同市場の設立と加盟国間の経済政策の漸進的接近による共同体全体の経済活動の発展,加盟国の関係の緊密化を促進することを目的としている。すなわち,ローマ条約においては,第一の目標として,共同市場内での関税同盟の設立を掲げ,域内関税を漸次引き下げ,最終的には全廃し,また域内輸入制限をも撤廃することとし,他方,域外に対しては,共通関税を設けることとした。また第二の目標として,域内では,通商,社会条件,財政,通貨等経済の全分野にわたって政策の統合を図ることとし,第三の目標としては,超国家的な機関を設けてこれに運営を委ねることとした。

欧州共同体(EC)の性格は,域内自由貿易の達成にとどまらず,経済統合を志向し,最終段階においては政治統合をも目指すものである。関税同盟については,その後比較的順調に進行し,1968年6月には,域内関税を撤廃,域外共通関税を設置し,計画よりも2年早く達成された。域内関税の引き下げ,輸入制限の緩和により,域内貿易が促進された。すなわち,関税同盟の効果として,貿易創出効果(域内関税引下げにより,域内国が他の域内国から新たに輸入する)と貿易転換効果(域内関税引下げにより,従来域外から輸入していたものを域内からの輸入に転換する)が生じたからである。

また,農業面でも大きな進展が見られた。すなわち,1968年8月共通農業政策(CAP)により,莫大な農業補助金等の問題を残しながらも,農産物についての単一市場が創設された。EC農業共同市場は域内に統一価格を敷いて,農産物の自由流通を実施するとともに,価格が一定限度以下に下がる時には介入機関が無制限に買い入れることによって,農家に対して所得保障を与え,一方域外に対しては関税のほか,輸入品価格と域内価格の差額を課徴金として徴収(輸出の場合は払い戻し)することにより域内価格の安定を図る仕組みとなっている。

関税同盟,共通農業政策(CAP)と大きな進展がみられた後,70年代に入ってEC統合への動きは,通貨不安と2度の石油ショックによって,後退を余儀なくされた。しかし,80年代に入って欧州各国は経済状態が徐々に回復したことから,EC統合へ向け再び動きだした。すなわち,現在ECはローマ条約での第二,第三の目標へ向け進んでいるのである。

(EC貿易の地理的特徴)

ECの域内貿易シェアは関税同盟成立による効果もあり,年々高まる傾向にある。第3-5-1図はECの域内貿易シェアの過去30年間の推移を表しているが,1959年には輸出32.4%,輸入33.4%だったが,1988年には輸出59.9%,輸入57.8%へと高まった。また,EC経済が1983年より息の長い拡大を続ける中にあって,1984年以降域内貿易シェアは急速に高まっている。これは,ECが当初加盟国6カ国でスタートし,漸次加盟国が増加したことにもよるが,関税同盟の効果による地域経済統合化が進行していると考えられる。

一方,ECが域内貿易へ重点を移すなか,ECの域外貿易相手地域でシェアを伸ばしているのは,EFTA諸国,アメリカ,日本等先進工業国である(第3-5-2図)。域外貿易に占める先進工業国の割合は,1975年輸出47.6%,輸入44.4%から1988年輸出57.6%,輸入57.0%となっている。逆に発展途上国はシェアが低下し1975年輸出52.4%,輸入55.6%から1988年輸出42.4%,輸入43.0%となるという特徴がみられる。先進工業国の中で特に日本からの輸入は1975年4.3%から1988年11.0%と飛躍的に拡大し,またEFTA諸国もEC輸入においては1975年15.1%から1986年23.5%へと伸びている。逆に輸出については,対アメリカが1975年11.9%から1988年19.9%とシェアが高まり,対日本,対EFTA諸国のシェアの微増と対照的である。また発展途上国の中では,OPEC諸国のシェアが低下し,逆にアジアの新興国のシェアが伸びている。OPEC諸国の場合は,原油価格の安定及び北海油田の採掘による貿易量の減少が主因と考えられる。

(EC貿易の業種別特徴)

EC貿易の輸出・輸入における業種構成にも大きな特徴がみられる。EC域外貿易における輸入においては工業製品が増加し,農産物,エネルギー等一次産品が減少している(第3-5-3図)。特に工業製品の内,組立・機械工業製品の伸びは著しく,1975年15.6%から1986年には29.3%と10年間でシェアが倍増している。この組立・機械工業製品部門には,電機製品,乗用車の他コンピューター等ハイテク製品が含まれている。他方,EC域外貿易における輸出に顕著なことは,ここ10年間業種構成があまり変わっていないということである。素材型重化学工業がわずかに減少,組立・機械工業がわずかに増加しているものの,構成は硬直化している。すなわち,ECは,関税同盟の成立による域内関税の撤廃や域外共通関税の設置により域内貿易依存を強め,域外国に対する輸出競争といった刺激が乏しくなり,産業構造が硬直化した結果,域外貿易輸出の業種構成も固定化してしまったと考えられる。

このような産業構造の硬直化の延長線上にあるのが,EC全体の競争力の低下と世界経済における地盤沈下である。1992年EC統合は,まさにこのような硬直化した産業構造を立て直し,競争力の低下したEC経済の復権を目指したものにほかならない。ECベースでも域内各国ベースでも,EC統合へ向けて,産業再編成,M&Aによる企業体質の強化等の動きがすでに始まっている。ECが次第に貿易を域内にシフトする傾向にあり,要塞化するとの懸念もいわれているが,短期的にはともかく,長期的にはメリットが少ないことは,歴史が物語っている通りである。このEC統合が域外に対して開かれたものとなり,域内企業が域外企業との競争の中で競争力を回復し,産業構造も柔軟に変化したとき,EC統合の果実はより大きなものとなり,その時には域外貿易の構造にも,多くのダイナミックな変化が現れているであろう。

2. EFTA貿易の特徴

(EFTAの歴史とその性格)

EFTA(欧州自由貿易連合,EuropeanFreeTradeAssociation)は,欧州におけるECと並ぶもう一つの経済地域である。EFTAは当初,ECに対抗して形成されたものである。すなわち,戦後,西ヨーロッパ大陸の西ドイツとフランスを中心にイタリア,ベネルクス3国の6カ国間に共同市場形成の計画が進む中,イギリスは,これに代わる案として,OEEC(欧州経済協力機構)諸国を含む自由貿易地域の構想を提示していた。しかし,英米への対抗意識の強いフランス,西ドイツの主導により,1951年4月ECSC(欧州石炭鉄鋼共同体),1957年3月EEC(欧州経済共同体),EURATOM(欧州原子力共同体)が相次ぎ設立された(1967年この3者を併合して,ECが成立した)。イギリスの自由貿易地域案は加盟国を縮小せざるを得なくなった。1960年1月,オーストリア,デンマーク,ノルウエー,ポルトガル,スイス,スウエーデン,イギリスの7力国の間に欧州自由貿易連合(EFTA)を設立する条約が署名を受け,同年5月発効した。また1961年6月には,フィンランドが準加盟した。

しかし,その後のEFTAは,拡大を続けるECとは対照的に,縮小の一途を辿っている。1970年にアイスランドの加盟があったものの,1973年にはECへの加盟の方が有利と判断したイギリス,デンマークがEFTAを脱退し,1986年には,ポルトガルもEFTAを脱退してECに加盟している。同年フィンランドはEFTAに正式加盟し,結局,現在はスイス,オーストリア,アイスランド,スウエーデン,ノルウエー,フィンランドの6カ国となり,EFTAは規模においてはECに大きく劣後することとなった。すなわち,ECのGDPが88年4兆7000億ドルと,同年アメリカのGDP(4兆8000億ドル)に匹敵する規模となっているのに対し,EFTAのGDPは87年6300億ドルと,同年ECのGDP4兆3000億ドルの約15%にとどまっている(付表3-8)。

EFTAは,ECとの比較では,統合の程度がはるがに弱い。域内関税を漸次引き下げ,最終的に撤廃し,域内に自由貿易を実現しようとした点は,ECと同一である(1967年1月より域内関税撤廃)が,域外に対しては,共通関税を設けておらず,その性格は言わば,関税同盟にも至,らない緩やかな結合といえる。また,貿易以外に経済政策の結合はなく,Eしが単一市場設立を目的として,超国家的性格を持つ最高機関に,各国の主権の一部を委譲して共通政策を実施する強化な経済結合であるのは,対照といえる。

(EFTA貿易の地理的特徴)

EFTA貿易の構造の特徴は,貿易相手のうちOWCD加盟国等の先進工業団の割合が圧倒的に高いことである。しかも,輸出,輸入ともその割合が年々高まっている。逆に発展途上国及び東欧諸国のシェアは減少傾向にある。先進工業国の中では,日本,アメリカもシェアを伸ばしつつあるものの,やはり,EFTA,ECのヨーロッパ諸国のシェアが圧倒的である。これは,EFTAが自由貿易地域として,域内貿易を活発化させていることのほか,大経済圏であるECがEFTAの近隣に位置していることが最も大きな要因である。しがし,EFTAは,ECとは異なった特徴を持っている。EFTA貿易の大きな特徴は,まず第一に,域内貿易依存度が低いということである。付表3-9は,1987年のEFTA諸国の貿易構造を表しているが,各国とも域内貿易シェアが低い。スカンジナビア諸国間で北欧同盟を結んでいるスウエーデン,ノルウエー,フインランドにしても20%程度であり,EC各国の域内依存度の高さとは,対照的である。

EFTA諸国の域内貿易依存度が低いということは,逆に言えば,域外貿易に対する関心が高いことを意味する。第3-5-4図の通り,EFTA諸国は域外でも特にECへの依存度が高いことがわかる。これが,EFTA貿易の第二の特徴である。EFTA諸国の内,ソ連と友好協力相互援助条約を結び東欧との貿易が相対的に多いフィンランドを除き,その他の5カ国は,いずれもECとの貿易割合が,輸出,輸入とも50%を越え,スイスに至っては,ECからの輸入が72.4%という高さである。

上記二つの特徴は,時系列的にみても,加速していることがはっきりしている。第3-5-5図は,EFTA設立当初10年間(1959年~68年)と最近10年間(1979年~88年)におけるEFTA域内貿易とEC貿易のシェアの推移をグラフ化したものである。1959年EFTA設立以来,域内貿易は,輸出・輸入とも高まりをみせ,1959年輸出17.9%,輸入16.2%だったものが,1967年には,域内関税が撤廃されたことによる貿易転換効果もあり,域内貿易の比重が高まり,1968年には輸出23.5%,輸入20.3%となった。しかし,逆に最近10年間は,1979年輸出15.4%,輸入13.5%に対し,1988年輸出14.1%,輸入13.1%と低水準に推移している。一方,EC貿易依存度は,1959年輸出23.2%,輸入28.1%から,1968年輸出25.0%,輸入30.8%と微増にとどまった後,1979年には輸出51.9%,輸入55.8%と急拡大し,1988年輸出56.1%,輸入60.4%とここ10年間でも引き続き拡大傾向にある。

EFTAのEC貿易依存度が高まった背景としては,勿論イギリス,デンマーク,ポルトガルがEFTAからECへ移ったことも一つの要因だが,EFTA自身の限界を指摘することもできる。すなわち,域内貿易が自由化されたものの域内各国のみで貿易を拡大し得る余地は,規模の小さいEFTAの場合,非常に限られていたということである。このことがEFTAをしてECほどの徹底した結合に至ることを阻んだ原因であり,統合を徹底し得なかったことがまた域内貿易の緊密化を阻んだとみられるのである。

3. ヨーロッパ貿易の現状と将来

(ECとEFTAの貿易)

EC域内貿易の特徴はEC諸国がもともと似かよった発展段階,産業構造を持ち,相互に水平分業を行っていることである(昭和62年度「年次世界経済報告」)。

それでは,相互依存を強めるECとEFTAの貿易にはどのような特徴があるのだろうか。第3-5-6図によれば,ECはEFTAより木材,紙,ゴム等軽工業製品の他,素材型重化学工業製品,組立・機械工業製品とほぼまんべんなく輸入している。他方,ECからEFTAへの輸出も軽工業の割合が若干減少,組立・機械工業の割合が若干増加しているものの,ほぼEFTAからの輸入と似かよった構成となっている。

ECとEFTAは,太平洋地域貿易においてASEAN,NIESが日本,アメリ力と重層構造を形成しているような関係ではなく,EC諸国が域内で行っている貿易と全く同様の「棲み分け」,すなわち,水平貿易を行っているのである。

つまり,貿易業種別の輸出入構成が類似している。しかも,過去からの推移をみるとEC,EFTAとも同程度の発展段階にあるため,似たようなペースで進んでいることがわかる。ECもEFTAも相互の貿易においては,軽工業から次第に組立・機械工業へと重点を移しつつあるものの,そのペースは遅いのである。

他方,地理的にもEFTAがECと同質化している事実を付表3-10のヨーロッパ各国の貿易マトリックスで明らかにしよう。1958年時点でも,すでにEFTAは域内のまとまりを欠いていたといえる。すなわち,イギリス・北欧諸国はともかく,スイス・オーストリアは,すでにEFTAよりもECに強く結びついていたのである。1986年では,EFTAは結合力の点においては,北欧同盟と変わらなくなってしまった。EFTAがECほど発展しなかったのは,EFTAの限界,つまり,EFTA域内に強い吸引力を持った軸となる国が存在しなかったことが主因である。1958年当時はEFTAにイギリスがあり,ある程度の吸引役を果たしたが,イギリス以上にEFTAに対して強い吸引力を持っていたのが,EC内の西ドイツだったのである。1986年においては,イギリスはすでにEFTAを離脱,EFTA域内が空洞化し,逆にEC域内にEFTAにとっての重要貿易相手国である西ドイツ,イギリスが,存在することから,EFTA諸国同士の結合が薄れてしまった。EFTAがEC依存を強めてきたのも域内貿易の限界に起因するものである。その結果,EFTA諸国は今やEC諸国同様ドイツ,イギリスを軸として動かざるを得なくなったのである。

また,西ドイツが軸になっていることから,容易に考えられるのが貿易不均衡問題であるが,西ドイツとEFTAの間にもECと全く同様の貿易不均衡が生じており,しかも拡大する傾向にある(第3-5-1表)。EFTA諸国は西ドイツを主要相手国として貿易を行い,西ドイツに対して巨額の貿易赤字を抱える等EC諸国と貿易構造においても,あまり変わるところがない。

以上のように,ECとEFTAは,貿易業種構成においても,貿易相手構造においてもほぼ同質化しているといえるのである。

(ヨーロッパ域内貿易の将来)

1992年EC統合を控え,ヨーロッパ域内貿易は大きく変貌しようとしている。

EC域内で各種の障壁が取り除かれ,規模の経済がその効果を表し,対外競争力を回復することになると,EFTAの欧州での立場は相対的に弱まっていくこととなろう。

しかし,EFTAはECにとっても主要な貿易相手地域であり,ECが域内貿易のみに固執することは,欧州のどの国にとっても利益をもたらさないことはEC側でも理解しているところである。そこで,1984年EFTAとECの各加盟国は欧州経済圏(EES,European Economic Space)の創設に合意し(ルクセンブルク宣言),協議に乗り出している。EESは最終的には,ECを越えたヨーロツパ全域での,人・物・サービス・資本の自由移動を可能にし,より緊密的な共同市場の形成を目標としている。そのためにEC,EFTA間の友好関係の範囲を拡大し,法律的,制度的な相違を協議することとしている。1988年を通じて,この交渉は加速している。

すでに貿易面では,実質的に一体化していることから経済的にも一体化が可能であると考えられるものの,政治的にはEFTAとECには,自由貿易連合と政治統合と言った性格の違いがあり,一体化には相当の時間が必要となるであろう。人・物・サービス・資本の自由移動を目指すことになれば,そこには当然,主権の一部移譲といった政治絡みの調整が必要となってくるからである。

EFTA諸国の内,スイス,オーストリア,フィンランドの永世中立国がECのような超国家的な政治構造に簡単に合致できるかどうかは疑問が残る。ソ連等東側諸国の反発も予想される。

さらに,EESの創設を目指すことになれば,EFTAにおいてもECと同様に,貿易不均衡,所得格差等の経済力の違いが問題となろう。

また,欧州経済圏のような地域貿易は,短期的には地域経済の活性化に役立つであろうが,域外に開かれた市場とならない限り長期的には世界貿易にとってはマイナスとなる。そもそも,EC統合はドロール委員長の発言のとうり,「ECが競争に勝つ」ためのものなのである。EESの協議も基本的には,強い欧州の実現を目指したものということで考え方は同じであろう。ヨーロッパ全域での競争力向上を目指したEESが規模の経済により競争力を回復する可能性も確かにあるが,域内の殻に閉じこもることが長期的には,再び競争力を低下させ,柔軟な経済構造を作り得ないことは,EC,EFTAの過去の歴史が教えるところである。欧州経済圏が出現するにしても,地域に固執することなく,域外に開かれたものとなることがヨーロッパ自身にとっても,また世界貿易にとっても望ましい姿といえるのである。