平成元年

年次世界経済報告 本編

自由な経済・貿易が開く長期拡大の道

経済企画庁


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第3章 世界貿易の拡大と構造変化

第6節 自由貿易の維持・強化

(これまでの議論の意味するところ)

本章においては,世界貿易の歴史的推移と1980年代の構造変化の状況,キャッチ・アップの歴史的比較と今日の典型的産業の追いつき追越しの状況,アジア・太平洋貿易やヨーロッパ貿易の活況について順次見てきた。これらから共通にいえるのは,世界貿易が各国経済のダイナミズムを高める,という基本的役割を果たしていることである。これは世界全体でも,アジア・太平洋,ヨーロッパ等の地域でも同様にいえることである。そしてそのダイナミズムの根源は絶えざる技術革新の進展と伝播により,産業構造・貿易構造が変化し,各国の比較優位が変わっていくことにある。このようななかで,先行国は追い上げ国に対し,不公正な手段で優位に立とうとしているとの見方を取りがちであり,追い上げ国は後発である立場を長期にわたって主張しがちである。このようにして保護主義がエスカレートしていく姿は歴史的に見てきたところであり,それを繰り返すことは避ける必要がある。本章で見てきたように,先行国アメリ力はかつてのイギリス同様,絶えざる技術革新のなかで,発展性の高い技術の選択に遅れがでてきている。そしてその背景として,財務偏重の短期業績主義による生産的投資の不足,研究開発や教育訓練の遅れが明らかになっている。

これらの供給側の要因の改善は,マクロの需要圧力の抑制とは独立に,現在の貿易収支不均衡縮小のために重要となってきている。自由貿易による世界経済のダイナミズムを維持していくためにも,日本,ドイツの追い上げ国が構造調整を進めながら輸入拡大を続けるとともに,先行国アメリカがこれらの構造的障害を除去し,産業の生産力,国際競争力を再強化することが必要であることは,これまで見てきた各節の種々のアプロ一チの一致した結論といえよう。

(経常収支不均衡縮小政策の実施状況)

経常収支不均衡は基本的には,資本の国際移動が自由な現在の国際経済においては当然生じ得る現象であり,1国が所得を上回って支出し他国が所得を下回って支出する場合でも,そのファイナンスが円滑に行われれば短期的には経済的な問題とはならない。現在の経常収支不均衡を縮小し,国際金融資本市場への依存を軽減し,ファイナンスが円滑に維持できるかどうか,の不確実性を減少させることが重要である。しかし他方,経常収支赤字により所得を上回って支出し,能力以上に厚生を高め得たことを貿易面から見ると,貿易収支赤字,世界貿易に占める自国の輸出シェア低下を意味し,この現象を自国の国力の低下ないし他国の不当な利益と見て貿易制限措置を取るべしとする保護主義的解釈が生まれる。このように経常収支不均衡の意味する様々な現象の発生メカニズムを軽視し,対応だけを論じるような状況が拡がるようなことは好ましくない。種々の要因が複雑に絡み合って生じている経常収支の不均衡を,円滑なファイナンスが持続できるように縮小していくためには,これらの要因を解きほぐすように種々の政策が各国によりとられる必要がある。そのような政策の主な柱はほぼ出そろっているが,その実行の程度は,分野により国によりまちまちである。

そこで今一度,各国の合意している政策コミットメントをまとめておこう。

(1)マクロ経済政策では,アメリカの財政赤字の削減,日本,ドイツのインフレなき内需拡大,(2)構造政策では,アメリカの貯蓄増強,製造業の国際競争力強化,保護主義圧力への抵抗,日本の市場アクセス拡大,構造調整,ドイツの構造的硬直性の除去がこれである。

その実行状況を見ると,日本は内需主導型成長への転換と輸入の大幅な拡大によりコミットメントを実行していることは,すでに国際的に認められており,これをさらに維持・継続することが求められている。市場アクセスの拡大や構造調整は,輸入拡大の可能性を一層高め,経済厚生の向上に資することにもなろう。ドイツは内需が高い伸びを示し,輸入が大幅に拡大しているものの,近隣諸国の設備投資ブームにより輸出も大幅に伸びており,この結果,88年以降経常収支黒字幅は拡大傾向を示している。アメリカは,財政赤字の削減が貿易収支赤字の縮小に最も有効である,との国際的に広く認められている見方に同意し,自らもグラム・ラドマン法による削減努力を行って来ているが,なお一層の努力が必要である。民間貯蓄については消費と借入れを刺激する様々な制度的インセンティブが働き,貯蓄率が過去のトレンドを2%程度下回っている。

製造業の国際競争力強化の必要性は,1985年の大統領産業競争力委員会報告(ヤング報告)や1989年のMIT産業生産性委員会報告等の種々の同種の報告の指摘にもかかわらず,設備投資,技術進歩の取り入れ,研究開発・教育訓練の生産とのリンク等製造業自身の努力による,国際競争力の強化が必ずしも十分であるとはいえない。そして保護主義圧力への抵抗については,1988年の包括貿易・競争力法の成立とその運用により,むしろ大きく後退している。

典型的なものはスーパー301条であり,将来,不公正貿易慣行として301条本体により報復する可能性を前提として,対象とする国と分野を特定し,期限付きで調査し交渉し結果を得なければならない,というものである。1989年5月USTRは,日本の衛星・スーパーコンピュータの政府調達および林産物貿易の技術的障壁,ブラジル,インドの輸入,投資制限を対象として特定した。アルシュ・サミットでは,このようなユニラテラリズムに反対することで合意されたところである。

(アメリカ等の保護主義的議論の問題点)

アメリカは戦後の自由貿易体制を支えてきており,現在もその維持・強化のためウルグアイ・ラウンドの推進に積極的に貢献してきている。しかしながらアメリカの一部には,包括貿易法を背景として,各種の保護主義的議論の高まりがみられる。これらの見解は一部のものにとどまっているが,議論が複雑多岐にわたっているため,以下,このような保護主義の議論の問題点を整理しておこう。

第1は,国際的経常収支不均衡の経済メカニズムおよびその縮小のためのマクロ経済的な政策協調を理解していても,これによって見るべき成果が出ていないとして,貿易措置を正当化しようとするものである。しかし,経常収支不均衡は,日本,アメリカでは,GNP比では2%前後まで縮小してきており,為替調整以降の政策協調の成果は明らかに出ている。これを確実なものとするために,日本の内需主導型成長の維持と一層の市場アクセスの改善と輸入拡大の継続が必要である。アメリカの政策協調のコミットメントである財政赤字の削減,貯蓄の増強,製造業の国際競争力強化にも改善がみられ,今後の一層の推進が期待される。

第2は,経常収支不均衡の経済メカニズムよりも,2国間・セクター別貿易収支に注目し,その赤字相手国に対して貿易措置をとるというものである。この議論は,貿易の決済は多角的に行うとの原則も無視しており,国際的には受入れられる議論ではないことはアルシュ・サミットでバイラテラリズム,セクター主義が否定されたことが示している。また,比較生産費に基づく国際分業の貿易論は,もともと資本移動のない静学的な世界における物々交換を説明するものであり,動学的に,国際的な資金の貸借により,一方の国が所得を上回って支出を続け赤字を出し続けることを可能とするような現在の国際経済には単純には当てはまらない。東京ラウンドの結果日本の工業品の関税率はアメリ力,ECより低くなっており,アクション・プログラムにより市場アクセスは大きく改善している。むしろアメリカの種々の貿易制限措置の存在にもががわらず貿易赤字が続いていることは,このようなマクロの赤字要因が基本にあることを示している。2国間・セクター別貿易収支は,さらに動学的には技術進歩のとり入れによる国際競争力によって影響されていることは,先にみた通りである。

第3は,自由貿易の経済学とルールは,消費者の短期的利益の充足を主たる対象としており,長期的視野で生産を重視する国は,これらに反する行動をとっており,文化的障壁を持っている,従ってこうした国に対して貿易措置が正当化される,という議論がある。しがし,企業が長期的な収益の現在価値を最大化するように技術革新や設備投資を行えば,技術進歩率の高い国は期待収益率が高く,長期的な資本蓄積量が大きくなる。これは企業の株式価値の最大化をも意味するから,株主に対しても合理的行動であり,むしろ当期配当最大化は合理的行動ではない。また,シェア拡大も資本蓄積量を拡大する企業の経済合理的な行動の結果として生ずると考えられ,シェア拡大自体をルール違反とする議論もまた根拠に乏しい。

(自由貿易を正当化する根拠)

現在の保護主義の行動の高まりのなかで,自由貿易の根拠自体を疑問視する議論が拡がってきており,上記のような考え方に対しても,さらに疑問を呈する向きもあろう。しかし,保護主義に対して闘い,自由貿易を維持・強化していくことが現在の長期にわたる世界経済と世界貿易の拡大を続けて行くうえで極めて重要である,という認識が依然各国の合意するところとなっていることの重みは充分評価される必要がある。すなわち,アルシュ・サミットでは,「世界貿易は昨年急速に拡大した。しかし,保護主義は依然として現実の脅威である。我々は,あらゆる形態の保護主義と闘う決意を強く再確認する。

我々はまた,多角的貿易体制とウルグアイ・ラウンド交渉を害するおそれのあるユニラテラリズム,バイラテラリズム,セクター主義及び管理貿易への傾斜に反対することを誓約する。」と日本,アメリカを含め主要国が合意しているのである。ここでは自由貿易がいかに正当化されるか,を経済学,制度,歴史の各面から最近の議論も踏まえてとりまとめておこう。

伝統的なミクロ経済学の議論では,完全競争のメリットと,自由貿易のメリットの2つが柱である。一国の経済では,消費者,生産者が個々には価格に影響を与えることが不可能なほど充分小さく,価格を所与のものとして,完全競争によりそれぞれ効用の最大化,利潤の最大化を図るとき,それを実現させ,かつ需要と供給をバランスさせるような価格が決まってくる。この一般均衡状態では,他の構成員の効用を低めることなしには,ある構成員の効用をこれ以上高めることが出来ない,というパレート最適の状態になっている。これが完全競争のメリットである。次にこのような国が,自給自足の閉鎖経済から離れ,自由貿易に対して開かれた開放経済に移行すると,より資源配分が効率化し,その国の厚生水準を高めることが出来る。これが自由貿易のメリットである。

消費者の効用や生産技術の構造に技術的な前提はあるものの,アダム・スミスのレッセ・フェールの思想の理論的裏付けとして,広く受け入れられている。

以上は自由貿易を正当化する伝統的説明である。しかし,静学的な経済学では,もともと貿易収支がバランスする世界を前提としており,貿易収支インバランスをどう考えるかが明らかでない。また,完全競争を前提としているが,現実の事象は寡占的競争である,と見るほうが理解し易い業種も多い。これらを理由として,自由貿易のメリットに疑問を投げかける見方もある。しかし,現在のより精緻な議論によれば,これらの現実的要因を考慮してもなお,自由貿易が正当化されるのである。

まず,マクロの国際経済学では早くから,経常収支不均衡は自由な資本移動のもとでは国際間の貸借によりファイナンス出来ることから,当然起こり得る現象であると考えられ分析されてきた。現在では,自由な国際資本移動のもとで,消費者は将来にわたる効用の現在価値を最大化し,生産者は同じく将来にわたる利潤の現在価値を最大化するように,それぞれ消費行動,投資行動を決定するとき,どのような要因で経常収支不均衡が生ずるか,が明らかになってきている。第1は,現在の消費を重視するか,将来の消費に備えるか,という時間選好の高低である。時間選好の高い国,すなわち現在の消費を重視する傾向の高い国は,時間選好の低い国から資金を借入れつつ,経常収支赤字をファイナンスする結果となる。第2は,生産性の高低である。生産性の高い国は,当初,投資の期待収益率が高いため,より多く投資し経常収支は赤字となるが,長期的には,高い生産性,高い資本蓄積のため,経常収支は黒字となる。これは,研究開発の成果を生産性上昇につなげる効率の相違によっても,同様に起こり得る。金利や為替レート等の相対価格は,多時点間の需給を調整するために変動するが,このような経常収支不均衡を除去する訳ではない。これまで見てきたような,アメリカの財政赤字や過少貯蓄は,アメリカの時間選好が高いことを意味し,また,アメリカが生産技術の選択で新技術の採用に遅れてきたことは,アメリカの生産性の伸び悩みに反映されている。これらは,いずれもアメリカの経常収支赤字が,アメリカ自身や日本等相手国の行動についての善悪の価値判断とは無関係な,純経済的要因によって説明されることを示している。

次に,寡占的競争についても,その存在が直ちに自由貿易のメリットを否定するものではないことが明らかになってきている。第1に寡占的競争のもとでも,完全競争に近い,企業の超過利潤がゼロに近くなるような状況が存在し得る。これは既に19世紀には指摘されていたが,これを一般化したコンテスタブルな市場(参入可能市場)の議論では,現に新企業の参入がない市場でも,参入の可能性があるだけで,既存の企業は効率的に行動することが示されている。

国内的,国際的に市場がコンテスタブルであれば,自由貿易のメリットが存在すると考えられるのである。第2に,寡占的競争のもとでも,各国が貿易障壁を引き下げることにより,各国とも経済的厚生を高めることが出来る,と言う結果が,応用一般均衡モデルによる実証分析でも明らかになってきている。これは,自由貿易が市場競争を強化し,産業構造を合理化する効果を持っからである。逆に,第3に,寡占的競争のもとでは市場介入により,相手国の犠牲のもとに自国の経済的厚生をさらに高めることが出来る,という議論には多くの反論がなされている。市場介入を正当化しようとする議論の典型的なものは,最適関税の議論と同様に,相手国の戦略をすべて知ることが出来,がっ相手国が受動的に行動するという前提にたって,自国の利益を最大化するように市場介入(貿易措置,補助金等)を行う,というものである。しがし,これは相手国の対抗策を考えていないこと,コンテスタブルな市場においては,市場介入によって得られるような超過利潤は,既存企業の価格引下げが,他企業の新規参入により消滅しているはずであること,ある財への補助は他の財への不利を意味するから,全体としての効果は不明であること等,多くの反論があり,大方の支持を得るには至っていない。第4に,最近の規制緩和や民営化の動きは,自然独占や公益事業等,これまで政府の規制が必要と考えられて来た分野の中においても,競争原理を活用することにより,経済をより効率的なものにすることが出来るものもある,という考えに基づいている。貿易に関しては介入が必要であるとの議論は,「政府の失敗」もあり得るとする,このような流れに逆行するものである。以上が,現実の状況を考慮したうえでの,経済学的な自由貿易の正当化のエッセンスである。

制度的,歴史的にはすでに第1節で見たように,1930年代の保護主義,ブロック化,世界恐慌を繰り返さないために,戦後のGATT体制のもとで自由貿易の強化が図られてきたのである。世界貿易の安定的拡大が世界の安定と平和のためにいかに重要か,を各国は歴史の教訓として学びとったのであり,そのために多くの困難をへて現在の形で機能しているGATTに関して,加盟国は協定の遵守,GATT精神の維持,ウルグアイ・ラウンドを通じたGATT機能の強化の責務がある。

しかし制度面,歴史面についてアメリカ等に根強い議論は,GATTが弱体であるから自国独自の保護措置をとることが正当化される,との議論,および自由貿易は強者の論理であり,覇権が揺らげば,自由貿易からは利益を受けないと考えざるを得ない,との議論である。これまで見てきたように,これらの議論は産業革命以降150年以上にわたる世界貿易の変動の意味するところを充分に考慮していないもの,と言わねばならない。覇権が揺らいだために自由貿易に興味を失う傾向をみせた国はアメリカが初めてではなく,19世紀末のイギリスもそうであった。しかし,19世紀末以降の世界貿易の長期的な低迷こそ世界経済にとって深刻な影響をもたらしたのであり,1930年代の保護主義はその頂点として位置づけることが出来る。このような世界貿易の長期的低迷を繰り返さないことが,各国の迫られている真の課題であろう。当時,いかなる世界貿易に関する国際フォーラムもなかったことをかえりみれば,GATTの存在の意義は極めて大きいものであることが分かる。自由貿易のメリットが明らかであり,また第3節で見たように,覇権国が他の国に追いつき追越しを可能とさせた要因が,企業の短期業績主義による技術進歩のとり入れの遅れ,投資不足,研究開発・教育訓練の問題点等によることが明らかであるとすれば,自由貿易の維持・強化と覇権国の再強化を両立させることが考えられるべきである。つまり制度的,歴史的に考えても,GATT体制の強化と,アメリカの産業の国際競争力の再強化とを両立させ,自由貿易の維持強化を図ることが世界貿易にとって最も望ましい方向であると考えられるのである。


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