平成元年
年次世界経済報告 本編
自由な経済・貿易が開く長期拡大の道
経済企画庁
第3章 世界貿易の拡大と構造変化
世界貿易の発展と構造的特徴については,既に本章第2節で詳しくみてきた。
そこで,本節では,世界貿易の中でも,近年,最もダイナミックに発展し,世界貿易拡大の推進力となっているアジア太平洋貿易について,その特徴と現状を明らかにし,貿易拡大の背後にある経済のダイナミズムと域内各国の相互依存関係の深化,拡大について多面的角度から検討を行っていきたい。
なお,本節では,アジア太平洋地域の範囲を決めるに際し予断を持ってかかることなく,統計の許される限り当該地域の出来るだけ多くの国々・地域を対象とすることとし,日本,北米,アジアNIEs(韓国,台湾,香港,シンガポールの4か国・地域),アセアン(インドネシア,タイ,フィリピン,マレーシアの4か国),中国,オセアニアの環太平洋諸国・地域はむろんのこと巨大な人口を抱え,将来の発展の可能性を持つ南西アジアについても分析の対象を広げている。
アジア太平洋貿易は,過去10年程の期間をとってみても世界貿易の伸びを上回る勢いで拡大し,世界貿易に占めるシェアも拡大している。アジア太平洋貿易の拡大を輸出額(名目,以下断り無い限り貿易額は名目値)でみれば,1980~88年の間に1.90倍と同期間の世界輸出額の伸びの1.44倍はもとより,ECの経済統合の進展によりEC域内輸出の拡大を中心に大幅な拡大をみたEC4大国(英,西独,仏,伊)の輸出総額の伸び1.54倍をも上回っている。とりわけ,アジアNIEsの輸出拡大は目覚ましく,同期間中に3.98倍の拡大をみた。この結果,アジア太平洋地域の輸出総額は,1988年には1兆1,000億ドル余に膨らみ,世界輸出総額に占めるシェアも約4割に達した(1980年は約3割)。
こうしたアジア太平洋貿易の急速な拡大とともに,域内の貿易関係も深まりをみせている。アジア太平洋地域内各経済グループの貿易関係を輸出結合度でみたのが第3-4-1図である。輸出国のマーケットの大きさに比例して輸出している時の輸出結合度を1とすると,各経済グループの相互間の輸出結合度はおおむね1を上回る値を示し,輸出入を通じて相互に密接な関係を持っていることがわかる。特に,日本とアジアNIEs,日本とアセアン,日本と中国,そして,アジアNIEsとアセアン,アジアNIEsと中国間の相互の輸出結合度が相対的に高く,北米への輸出結合度も高い。日本はアジアの唯一の先進工業国として,輸出指向型の工業化を進めるアジアNIEs,アセアン,そして,経済近代化に向け対外経済開放姿勢を強める中国に資本財,中間財等を供給し,他方,これら諸国・地域では,比較優位を持つ労働集約的工業品等を域内で相互に供給したり,北米等の先進国に輸出するといった構図がこの背後にある。最近は,アジアNIEs,アセアンの対米輸出は大幅な拡大が困難となっており,代わって,内需主導の経済成長を続ける日本のアブソーバーとしての役割が高まっていると考えられ,そうした変化が輸出結合度の変化にも徐々に現れて来よう。
北米,オセアニアは,アジア太平洋地域を形成する重要なメンバーとして,世界経済の成長拠点として重要度の高まるアジアNIEs,アセアン等が位置する西太平洋地域との経済交流を活発化させている。北米,オセアニアのアジア地域に対する輸出結合度は対ECの輸出結合度に比べて遥かに高く,アジア指向が強いことが分かる。アジアとECの間の輸出結合度も低いことから,アジア太平洋地域と西ヨーロッパ(EC4大国)との間の相互の輸出結合度は世界平均を下回っている。
西太平洋地域では,日本,アジアNIEs,アセアン,中国と次々と工業化に向け離陸を開始する国々が現れ,それぞれの発展段階の違いが上手く噛み合わさる形で,ダイナミックな国際分業体制が構築されている。また,アジアNIEs,アセアンが輸出を通じて高度成長を遂げることで所得水準が高まり,そのことがまた,消費や投資等の内需の拡大をもたらし,更に,内需拡大による輸入増加がみられるといった好循環にあり,この地域における貿易の急速な拡大を支えている。
アジアNIEsの貿易をみると,輸出は1983年以降拡大傾向にあり,特に1986年以降は二桁の増加を続けた(第3-4-2図)。他方,輸入も資本財,中間財の生産基盤の脆弱性もあり,それらの輸入を中心に著しい拡大をみせてきた。貿易収支は,輸出の好調もあってシンガポールを除いて近年,黒字が定着していたが,最近では,台湾が黒字幅を拡大させている外は,輸出の伸び悩みと引き続く輸入拡大から黒字幅の縮小(韓国),赤字転落(香港),赤字幅の拡大(シンガポール)がみられる。「四匹の龍」にたとえられて躍進の目覚ましかった,さしものアジアNIEsも貿易面で曲がり角を迎えつつある。
アジアNIEsの貿易構造を地域構成についてみると,輸出では対米輸出比率が大きく,1988年に4割近くを占めた。次いで日本が大きく,1割強となっている(付図3-7)。近年,韓国,台湾が対米貿易を中心に貿易黒字を累積させていることに対し,アメリカから市場開放を強く求められていることから,これら諸国・地域では対米貿易黒字圧縮に向けて輸出の多角化等に努めているため,アジア域内輸出比率の高まりがみられる。とりわけ,内需主導の経済成長を続けることで輸入を増やしている日本への輸出が増えている(第3-4-3図)。他方,輸入では,同じく88年に日本からの輸入が全体の1/4を占め,高かった。次いでアメリカ,中国からの輸入が大きいが,アジアNIEs,アセアンからの輸入は未ださ程大きくない。
品目構成についてみると,アジアNIEsの87年の輸出の約9割が工業品で占められた。特徴的なことは,機械類が全体の3割程度にまで拡大しているものの,その他の工業品のシェアが大きく,依然として労働集約的な工業品の比率が高いとみられることである(第3-4-4図)。他方,輸入でも,工業品の比率は高く,特に機械類が輸入全体の半分近くを占めた。また,最近は,これら諸国の所得水準の向上から消費の高級化傾向も認められ,それに市場開放の進展が加わって,消費財輸入も急増しているものとみられる。
エネルギー・一次産品価格の低迷による輸出不振から停滞を余儀なくされたアセアンの貿易は,1985~86年を底に急回復をみせている(第3-4-2図)。輸出は,脱エネルギー・脱一次産品化の進展による工業製品の輸出拡大と一次産品価格の堅調等から1987年,88年と20%を上回る拡大をみせ,アジア太平洋地域では,アジアNIEsに次ぐ急増を示した。一方,輸入も経済開発の加速化,海外直接投資の急増を背景とした資本財等の輸入の増加から輸出同様20%以上の急増となり,アセアンの貿易は輸出入ともに大幅な拡大をみせている。この間,貿易収支の基調は大きくは変化しなかったが,貿易収支赤字国のタイ,フィリピンでは,赤字幅が拡大した(付表1-5)。
アセアンの貿易構造を地域構成についてみると,1984年には対日輸出がアセアン輸出の中では最も大きかったが,このところ,そのシェアは低下し,北米,アジアNIEsとほぼ同率となった(付図3-7)。他方,輸入でも,かつては対日輸入比率が最も大きかったが,88年には輸出同様,対米,対アジアNIEs輸入とほぼ同率となっている。
品目構成についてみると,アセアンの輸出商品構成はアジアNIEsとは大きく異なっている。1987年の輸出の約2/3が依然として一次産品・エネルギーによって占められ,工業品の比率は,相対的に低かった(第3-4-4図)。しかし,工業品のシェアは着実に拡大しており,この点に留意する必要があろう。他方,輸入は,アジアNIEs同様,工業品の比率が高く,87年には約8割が工業品によって占められた。
貿易面では,国内経済活動の活発化等から輸入需要は旺盛であり,ややもすると不均衡になり易い構造にある。貿易収支の大幅な赤字が顕在化すると,直ちに輸入を引き締めると言う,言わば,試行錯誤の繰り返しの中で,貿易は振幅を伴いながらも大幅な拡大を続けている。
中国の輸出は,1984年以降拡大を続けており,85~86年と一時期伸び悩んだものの,87年以降は二桁の拡大を示している(第3-4-5図)。近年の輸出拡大は,85年央以降の元レートの低下,輸出指向の海外直接投資の増加が結実してきていること,更に,輸出振興に向けた制度改革やインセンティヴ付与の成果である。他方,輸入は85年の急拡大の後,86年は減少したが,87年以降拡大し,88年は経済過熱から再び大幅な増加をみせた。
中国貿易の1988年の地域構成を見ると,輸出では,香港経由の中継貿易が大きいため,その約4割がアジアNIEs向けであり,次いで日本向けが大きく約17%を占めた。北米向けは約8%であり,アセアン,オセアニア向けは小さい。
他方,輸入では,アジアNIEsからの輸入が全体の約13/4を占め,対日輸入は約2割,北米からの輸入も輸出比率に比べ大きく,15%となった。輸出同様,アセアン,オセアニアからの輸入は小さい。
中国では,香港,マカオを経由した中継貿易が盛んであり,近年,国交の無い韓国や台湾等との貿易が中継貿易によって急速に膨らんでいる。1988年の香港経由の中国の貿易は,判明分だけで輸出が126億ドル,輸入は87億ドルであった。その内,対韓国貿易は輸出が8.4億ドル(前年比29.4%増),輸入が12.2億ドル(同127.4%増)であり,対台湾貿易は輸出が4.8億ドル(同65.5%増),輸入が22.4億ドル(同82.6%増)であった。
南西アジアの貿易は,輸出では1986年以降,輸入は84年以降拡大を続けており,特に,87,88年の輸出の伸びは,アジアNIEs,アセアンの伸びに比べても遜色がない(第3-4-5図)。南西アジアの輸出商品構成をみると,工業品の比率が急速に高まり,1987年には,この地域の輸出総額の約3/4を占めた(75年は約1/2)。その相当部分が,衣類や履物,手工業品等の労働集約的工業品と目される。収集可能な統計によって1986/87年度の衣料品関係の輸出をみれば,インドの既製服輸出は0.95億ドル(前年比9.3%増,輸出総額に占める比率は9.8%),パキスタンの衣類輸出は4.52億ドル(同73.0%増,同じく12.3%),バングラデシュの縫製品輸出は0.3億ドル(同127.7%増,同じく27.8%)であった。近年,これらはそれぞれ目覚ましい拡大を示している。
アメリカ経済の持続的成長は,アジア太平洋貿易の発展に重要な役割を果たした。とりわけ,輸出主導の工業化を進めるアジアNIEs,アセアンは対米輸出を大幅に伸ばすことで高度経済成長を実現した。1987,88年のアメリカのアジアNIEs,アセアンからの輸入の伸びは,輸入全体の伸びを上回った(第3-4-6図)。他方,アメリカのこれら地域や日本への輸出もこれら地域の需要の旺盛さから高い伸びとなっている。
日本,アジアNIEs等の対米貿易黒字拡大は,貿易摩擦となってアジア太平洋貿易の流れに変化をもたらした。日本は,内需主導の経済成長を続けつつ,市場アクセスの改善,製品輸入の拡大等により,アメリカやアジアNIEs等からの輸入を大幅に増やし(第3-4-6図),拡大均衡に努めている。アジアNIEsも,為替レート調整,輸出市場の多角化,市場開放等,構造調整を進めることで対米黒字は縮減しつつある。日本の輸入拡大は,対米輸出に重点を置いたアジアNIEsの輸出構造に対し市場多角化の効果をもたらしている。
オーストラリア,ニュージーランドは,その豊富な一次産品・エネルギー資源を背景に,アジア太平洋経済における資源供給基地としての役割を担っている。
オーストラリア,ニュージーランドは,共に一次産品輸出国であり,輸出の約7割が食糧や原燃料の一次産品で占められている(第3-4-4図)。輸出に占める工業品のシェアは僅かながら拡大する動きもあるが,他の先進国に比べ小さい。
アジア太平洋地域には,経済規模の大きい国から小さい国まで大小様々であり,所得水準も高い国から低い国まで幅広く,歴史,文化,民族,言語の違いを勘案すると実に多様な国家・地域群が存在していると言わねばならない。ただ,所得水準,工業化段階,地域的特性の違い等,幾つかの経済的基準によって,これらを大まかなグループに分けることはできよう。
付表3-6は,アジア太平洋地域の先進国を除く主だった国・地域について主要経済指標を一覧表化したものである。所得水準(1人当たりのGNP)でみれば,アジアNIEsと呼ばれる国・地域も,それぞれの所得水準には大きな開きがあるものの,途上国一般に比べ遥かに所得水準が高く,一部は先進国並みの高さを示している。これに対し,南西アジア地域の各国は,1人当たりのGNPが500ドルにも満たず,いわゆる,後発途上国に属している。アセアンは,所得水準からみれば,その中間に位置するといえよう。
経済成長と産業構造の変化についてみれば,アジアNIEsの成長率は,1965-80年の15年間で年平均二桁前後の値と極めて高く,更に,80-87年の期間には若干の鈍化がみられるものの,他地域に比べ高かった。国内投資伸び率をみると,アジアNIEsは極めて高く,高度経済成長は,こうした大幅な投資拡大によって支えられたといえる。しかも,工業部門の成長率が,おおむね経済全体の成長率を上回っており,工業化によって高度成長を実現してきたと言える。この結果,工業の対GDP比は高まりをみせ,今日,韓国,台湾では4~5割近くにも達している(工業化と平行して国際金融・商業地として発展し,サービス経済化の進んだ香港はむしろ低下した)。これに対し,農業のシェアの低下は著しく(香港,シンガポールは,もともと低い),1割ないしそれ以下となり,産業構造の高度化が進んでいることが分かる。さらに,特徴的なことは,アジアNIEsの輸出の対GDP比は目立って高まっており,香港,シンガポールに到っては,100%以上にもなり,輸出主導の工業化,経済成長を裏付けている。
アセアンも,60年代央から70年代を通した成長率は年平均6~8%と高く,また,アジアNIEs同様,工業の成長率が全体の伸びを上回り,工業が成長を牽引した。しかし,産業構造を対GDP比でみると,工業は全体の3割強であり,他方で,依然として農業のシェアが高い。輸出の対GDP比をみると,タイ,マレーシアでは,顕著に高まっており,その他のアセアンも僅かながら比率は高まりをみせ,貿易が経済に与える影響は大きくなっていることが分かる。
中国も,経済開放による工業化で成長率を加速させている。輸出の対GDP比は高まりをみせ,産業構造では工業生産のシェア上昇と農業生産のシェア低下が顕著となっている。
南西アジアにおいては,アジアNIEsやアセアンに比べ成長率は相対的に低いが,80年代に入って中国を除く他のグループが成長率を鈍化させているのに対し,成長率はむしろ高まりをみせている。ここでも,概して工業が経済全体の成長率を上回っており,工業化が経済成長の加速に寄与したものとみられる。
このように,本地域の途上国は総じて高い成長を実現しているが,一方,これに伴ってアジアNIEs,アセアンを中心に輸出依存度の高さ等,経済の脆弱性・不安定性,産業発展基盤の整備の遅れ,産業公害・エネルギー問題への対応の必要性等,様々な経済問題も顕在化してきている。
途上国では経済開発を進める上で投資資金の確保が重要な問題であるが,所得水準が低く,諸制度が未整備なため,資本蓄積が進まず,国内投資が国内貯蓄を上回る結果,その不足分を対外資金に依存するパターンが一般的である。付図3-8は,アジア途上国の貯蓄・投資バランスをみたものであるが,台湾は従来から,貯蓄が投資を上回っている。その他のアジアNIEsも,近年漸く貯蓄が投資を上回るようになっており,外資依存から脱却しつつある。アセアンでは,インドネシア,マレーシアなど,エネルギー資源を多く持つ国では,その輸出稼得の大きさから概して貯蓄が投資を上回る傾向にあり,タイ,フィリピンでも貯蓄と投資はほぼ均衡している。しかし,南西アジアでは,どの国においても投資が貯蓄を大幅に上回っており,経済協力等,外部資金依存の強いことが分かる。
アジアNIEsは,ある程度の人口規模と国土面積を持つ韓国,台湾と,人口規模も小さく,国土面積も狭い都市型の香港,シンガポールに分けられる。これらは,おしなべて天然資源には乏しいものの,人的資源は教育・技術水準の高さという点で豊かである(付表3-6)。そうした良質かつ豊富な労働力を背景に,経済自立を目指して早くから工業化に乗り出した。国により一様ではないものの,当初はどこも輸入代替工業化を目指したが,おおむね60年代に,労働集約的工業部門を中心に輸出主導の工業化をとる方向に路線を転換した(香港については,特別な産業政策や貿易政策は当初からなく,自由放任,自由貿易であった)。輸出工業団地や輸出加工区の設置,輸出振興公社の設立,金融・税制上の優遇措置等,輸出産業への種々の支援・保護がこうした方向を物語っている。アジアNIEsは,こうして輸出基盤を強化しつつ,それぞれがお互いに競争する中で競争力をつけ,更に輸出を増やすというパターンで高度成長を実現してきたといえよう。
アジアNIEsの工業化をみれば,経済規模の違いや経済立地条件の違い等もあって,工業化の経路は一様でなく,また,比較的短期間で工業化を達成したため,たとえば,日本の様なフルセット型の工業生産構造は持たず,どちらかと言えば組立産業等,労働集約的な川下工業部門の育成が進み,逆に,それを支える中間財,資本財生産部門の育成は遅れた。アジアNIEsは,資本・技術集約的な資本財や中間財の供給は,地理的に隣接し,そうした財の生産に比較優位を持った日本からの供給に頼ることで代替し,川下部門に特化することで工業化のスピードアップを図る方向を結果的に選択したと言える。また,国によっては部品組立産業を支え,産業の裾野を広げる中小企業の育成も遅れ,工業生産基盤は必ずしもバランスのとれたものとはなっていない。このことは,貿易にも端的に反映されており,製品輸出を増やすと必然的に中間財,資本財の輸入も増える構造となっている。
アジアNIEsは,80年代に入って,対外指向を一層鮮明にし,輸出拡大に努めた結果,対米輸出の不振等により一時期,成長率の鈍化・停滞に見舞われることはあったが,その後の石油価格の低下,低金利,為替レートの低下等,経済環境の好転と先進国景気の長期拡大もあって,輸出を急伸させたことは既にみた。
ここでは,国際競争力の変化に大きな影響を与えたとみられる為替レートの変動を,実質実効レートでみてみよう。第3-4-7図にみられるように,アジアNIEsの実質実効レートは,おおむね1982~3年頃より切り下がり始め,80年代央には著しく低下した。この時期,香港ドルを除くアジアNIEsの通貨は,管理フロート制を採っており,程度の差はあるものの,自国通貨を米ドルに対して切り下げ,対米輸出を増やす政策をとったとみられる。80年代の実質実効レートのピークからボトムまでの低下率は,韓国で28.4%(ボトムは1987年),台湾で13.2%(同86年),香港で12.2%(同87年),シンガポールで15.6%(同87年)であった。これによって,アジアNIEsは国際競争力を強化し,輸出を急増させたといえる。
アジアNIEsでは,高度成長が続く中,賃金の大幅上昇,労働力不足が顕在化し,また,貿易黒字の累増を背景に為替レートの上昇等がみられ,従来,これら諸国・地域の高度成長を支えた要因が剥落してきている。第3-4-8図は,アジアNIEsの実質賃金とドル換算賃金コスト(国際競争力の変化をみるため,為替レートの変化も折り込んだ賃金コスト)の推移をみたものである。アジアNIEsの実質賃金は,高度経済成長の恩恵を受け,ほぼ一貫して上昇してきた。こうした所得水準の向上は,消費や貯蓄の増大をもたらし,経済の更なる発展に資することになる。事実,最近では,アジアNIEsの経済成長は,輸出の伸び悩み,停滞にもかかわらず,投資,消費等の内需が下支えする構図がみられる(第3-4-9図)。しかし,他方で,生産性を上回る急激な賃金上昇は,為替レートが低下する時は,それに吸収される形で国際競争力の低下にあまり響かなくとも,為替レートが上昇する時には,逆に,増幅される形で輸出主導の経済にとって痛手となる。為替レートの切り下げ等によって対米貿易の黒字を累増させているとの非難から,最近では,為替レートは切り上げ調整を強いられており,そうしたマイナスの面が出てきている。
また,高度経済成長の影で,所得格差も拡大していると言われ,そうしたことを背景に,一部の国では労使紛争の多発化,社会秩序の乱れ等,経済の安定的発展を阻害する要因が顕在化している。
他方,アジアNIEsの輸出拡大の多くを吸収してきたアメリカ市場は,成長率のスローダウンによる吸収余力の低下や貿易赤字の継続から,従来のようなペースでアジアNIEsの輸出増加を受け入れられる環境ではなくなっている。逆に,韓国,台湾では,対米貿易黒字の累増から,市場開放,輸入拡大を求められている。これを受けて,韓国,台湾では,輸入数量規制緩和・撤廃,関税率の引き下げ,為替レートの切り上げ調整,為替・資本市場の段階的自由化等,市場開放化措置の実施に努めている。
アジアNIEsは,こうした厳しい国際経済環境下で,経済成長を維持し,近い将来,先進国の仲間入りを果たすためには,貿易・産業構造の高度化に向けた構造調整を進め,内需の拡大を引き続き図ると共に,輸出競争力の維持と輸出多角化に努める必要がある。既にみたように,為替レートの切り上がり,賃金コストの上昇等によって,アジアNIEsの工業,とりわけ労働集約的工業部門は急速に競争力を失いつつある。アジアNIEsでは,こうした比較優位を失いつつある部門,工程を直接投資受け入れに積極的なアセアン,中国,南西アジア等,未だ比較優位を持つ国々に移転することで国際分業のメリットを得ようとしている。その一方で,欧米や日本から先進技術の導入を促進したり,高度技術部門への直接投資を奨励することで,産業構造の高度化を目指し,先進工業国にキャッチ・アップしようとしている。こうした努力の一貫として,従来から,あまり重点が置かれなかった基礎科学研究等,研究開発部門への投資を増やす動きも出てきている。
アセアンは,経済自立化を図るため,エネルギー,非鉄金属,農林産品等,比較的豊富な天然資源と労働力を背景に工業化に努めてきた。国内貯蓄を上回る投資は,先進諸国からの経済協力等,外部資金の取り入れを図ることによって確保し,長年にわたり経済・社会インフラの整備,工業基盤の強化等に努め,相対的に高い経済成長を実現してきた。アセアンも工業化の初期段階には;アジアNIEs同様,輸入代替工業化を目指したが,おおむね70年代初から80年代にかけて外向きの工業化の方向を強めていった。
もっとも,輸出構造が一次産品やエネルギー中心で,経済開発を進める上で重要な輸出所得が天候や国際価格の変動に影響され易いと云うモノカルチャー的経済体質は容易には変わらず,80年代央には,石油・一次産品価格の低迷の結果,アセアン経済は停滞に見舞われた。しかし,最近では,輸出主導の工業化の方向を更に鮮明にし,外資導入の積極化等,対外指向,経済自由化に努めている。こうしたことを背景に,日米やアジアNIEsからの直接投資が急増しており,脱エネルギー・脱一次産品に向けた工業化努力が工業品の輸出拡大となって漸く成果を納めつつある。この背景には,アジアNIEsが賃金コストの上昇,為替レートの上昇等によって競争力を失うことで,アセアンの相対的競争力が上昇していることもある(第3-4-7図)。アセアンは,アジアNIEsの輸出市場に食い込みを図りつつ輸出を伸ばし,アジアNIEsを追尾する勢力として急速に台頭しつつある。
アジア太平洋貿易が目覚ましい拡大を示している背景には,この地域における国際分業のダイナミックな展開がある。途上国が工業化を進める過程では,一般的に言って,労働集約的産業が先ず育成され,次いで,資本蓄積が進み,技術力の向上が図られるのに従って,資本集約的産業,技術集約的産業へと産業の中心が移行して行くパターンがよくみられる。第3-4-10図は,アジアNIEs,アセアン,日本について用途製品別の貿易特化係数をとることによって,当該国・地域の産業の国際競争力,産業構造の変化をみようとしたものである。
アジアNIEsでは,非耐久消費財(繊維製品,はきもの,雑貨等),耐久消費財(家電製品,自動車,陶磁器等)の輸出特化が顕著であり,労働集約的中間財(織物,皮革製品,木製品,ガラス等)に関しても,韓国,台湾は輸出特化となっている。このようなアジアNIEsが従来より強い製品に加え,資本財(機械・プラント,通信機器等)が急速に力を付けてきており,輸入特化から輸出入均衡に到っている。
アセアンでは,非耐久消費財,労働集約的中間財が輸入特化から輸出特化に転化しており,アジアNIEsが得意としていた分野に「追い上げる」形で急速に浸透を図っている。また,工業化の進展に伴い,その他の財についても輸入特化の度合いを低下させつつある。
他方,日本では,非耐久消費財は早くから輸入特化となっているが,労働集約的中間財,資本集約的中間財(化学品,鉄鋼品,非鉄金属品等)が輸出特化から輸出入均衡の方向に向かいつつある。ただ,耐久消費財は,製品の高度化,高級化等によって差別化を進めることで輸出特化を維持しており,また,資本財については依然として日本の競争力が強いとみられ,輸出特化はむしろ高まる傾向をみせている。
このように,日本,アジアNIEs,アセアンは,互いに競争する中で産業構造の高度化,多角化を図り,国際分業を進展させている。
中国の経済構造改革努力については既に前章でみてきたが,アジア太平洋貿易,とりわけ日本,アジアNIEs,アセアンの貿易においては,地理的にも近い中国との貿易・経済関係の拡大は,国際分業によるメリットの享受,新たな市場の確保という観点から重要な意味を持つものとなっている。「経済特区」,「沿海開放都市」重視による沿海地区経済発展戦略は,豊富な労働力を背景に原材料輸入と製品輸出をワンセットとした加工貿易産業,労働集約的産業の重点発展による経済開発戦略であり,外資導入の積極化で経済開発の加速化を目指している。従って,こうした開発戦略の本格的稼働は,この地域の貿易を飛躍的に拡大することとなる。しかし,経済自由化の途上で発生した経済不均衡の拡大とインフレ加速は経済過熱のみならず社会の混乱をも引き起こした。このため,経済社会の安定化に向け厳しい調整を余儀無くされている。
中国経済の対外開放は,後退することの出来ない地点にまで来ているとみられるものの,こうした経済調整が長引いたり,不調に終わる場合には,経済開放のスピードの鈍化・停滞は免れない。そうした場合,中国との貿易・経済関係の発展によって国際分業を進めようとしていた国々はもとより,アジア太平洋地域の経済協力関係発展にも少なからぬ影響があると考えられるため,中国の対外開放政策の行方,調整の成り行きが注目される。
南西アジア地域の多くは,依然として農業部閂が経済の中核を成しており,このため,天候異変や国際商品価格の変動の影響を受け易い経済体質となっている。しかし,安定的経済開発を進める上で,そうした経済構造から徐々に脱却すべく,豊富な労働力とアセアンよりも更に低廉な賃金を武器に衣料品,履物等,労働集約的工業部門の育成に注力している。国営企業の民営化,経済統制の緩和等,経済の自由化に努めつつ,産業近代化,輸出産業育成を促進するため,外資導入に向けての体制整備,輸出加工区の設置等の対外経済開放努力を強めており,最近,漸くこうした努力の成果が,貿易面にも現れ始めているとみられる。
繊維製品等,労働集約的工業品の輸出拡大は,綿糸,綿織物等を除き未だ端緒に付いたばかりであり,こうした動きを加速する海外直接投資の増加もまだ本格的とはいえず,規模としても小さい。また,インフラ整備も未だ十分ではないため,今直ちに,アセアンを追い上げる勢力としてこれら地域の存在を強調するには無理があるが,将来,アジアNIEs,アセアンがそうであった様に,豊富且つ低廉な労働力を武器にしてアセアンを追い上げる可能性は十分にあるとみられる。
(2) 多面的に展開するアジア太平洋の経済交流
アジア太平洋貿易の拡大,国際分業関係の深化の背後には,あらゆるビジネス・チャンスを捕らえて企業の生き残り,利益の最大化を図ろうとする先進国やアジアNIEs等の活発な企業行動がある。先進国企業やアジアNIEs等の企業は,世界規模での事業・競争を展開しており,企業競争力の維持,市場確保を図るため,欧米はもとより,西太平洋地域においても直接投資を活発に行っている。
西太平洋地域に対する直接投資は,良質な労働力や相対的に整備されたインフラを求め,当初は,アジアNIEsに集中していたが,これら諸国・地域で為替レートの上昇,労働コストの上昇,供給制約等が顕在化して,労働集約的な製造業については進出のメリットが次第に失われるようになると,地道な工業化を進め,ある程度の経済インフラが整ったアセアンに行く先を求めるようになっている。第3-4-1表は,アジアNIEs,アセアン等の直接投資受入れをみたものであるが,アジアNIEsへの直接投資は,1986~87年に著しく拡大した後,88年は伸び悩みを示すようになっている。これに対し,アセアンへの直接投資は,むしろ加速する傾向がみられる。ただ,対アセアン投資の増加は一様ではなく,まず,タイ,マレーシアヘ,続いてフィリピン,インドネシアへと向かっていることが分かる。また,経済自由化,経済開放を図る中国は積極的な外資の導入政策を採ったため,対中国投資も増えている。更に,規模としては未だ小さいが,南西アジアへの直接投資も目立って増えている。
日本は,円高,労働コストの上昇等により,急速に競争力を失った労働集約的製造業部門ないし製造工程を中心に,生産拠点をアジアNIEs,アセアン等に移転してきた。このため,日本の対アジアNIEs,対アセアン直接投資が1986年以降,再び目立って増加している(第3-4-11図)。海外進出に積極的であったのは,大手企業というよりも,国際競争力の低下を内部的に吸収することが困難な,どちらかといえば中小企業,地場産業の輸出企業であった。アメリカのこの地域の製造業に対する直接投資は,日本やアジアNIEsと激しい競争を強いられている電機・電子工業が中心となっており,特に,アメリカ国内ではコスト高となって競争力を持たない労働集約的生産工程をアセアンに移転し,そこで生産したものをアメリカに再輸入するといったアウトソーシングが特徴となっている。また,日本も最近では,アジアNIEs,アセアン等への直接投資の結果,その地で生産されたものを輸入するアウト・ソーシングのケースが増えている。
従来,日本やアメリカ等の先進国からの直接投資の受け入れ主休であったアジアNIEsにおいても,労働力不足,賃金の大幅上昇,為替レートの切り上げ調整,アセアンの追い上げ等によって労働集約的工業部門が比較優位を失いつつあり,海外直接投資による産業移転,工程委譲が進みつつある。
対アセアン投資の急増には,外向きの工業化を加速するため,海外直接投資の受け入れ拡大を目指して体制整備を進めたアセアンの努力も見逃せない。
このように,経済環境の変化に対応した直接投資の進展が,域内各国の産業構造の高度化を進めるとともに,域内各国間でより広範でかつより厚みをもった国際分業関係を形成しつつある。
アジア太平洋地域の経済発展にとって,民間資金と共に先進諸国や国際機関等の政府開発援助(ODA)の果たした役割も大きい。先進諸国のアジア途上国に対する政府開発援助は,これら諸国の経済・社会インフラ等の基盤整備に役立っており,また,技術協力による技術移転も経済開発に重要な役割を果たしているものと考えられる。アジアNIEs,アセアンが短期間に経済離陸を成し得たのも,自助努力が有ったことはむろんのこととして,こうしたODAが資金・技術流入の先導となり,それに民間資金が合流する形で経済開発を加速したといえる。アセアンの対外債務残高の対GNP比をみると,マレーシア,インドネシアではメキシコ並みの高さ(約70%),タイではブラジル並みの高さ(約40%)となっているが,ODAに加え民間の新規資金も順調に流入している。これは,外向きの工業化に重点を置いた経済開発を進め,経済成長を高めているからであり,新規資金の流入を図ることに苦慮している中南米の重債務国とは大きく異なっている。
アジア太平洋地域では,自ら経済協力実施主休に変わりつつある韓国,台湾等のアジアNIEsは別として,アセアン,南西アジア,太平洋嶋嶼国にとって,ODAの役割は今なお大きい。アジア太平洋地域へのDAC諸国・国際機関及び中東諸国の政府開発援助は,世界のODAの約1/4を占めている(付表3-7)。ODAの新たな動きの中で注目されるのは,韓国,台湾が規模は未だ小さいながらも途上国援助を開始いていることである。韓国は,近い将来,純債権国に移行する見通しであり,台湾は,巨額の貿易黒字累積を抱えており,外交的配慮とともに,こうした経済的余力が経済援助に向かわせているものと考えられる。
アジア太平洋地域の貿易・経済関係の発展と深化は,他方では人の移動・交流を活発化している。第3-4-2表は,アジア太平洋地域の主だった国・地域を観光,ビジネス,その他の目的で訪れた外国人(一部は,海外在留同胞を含む)の数を示したものである。国によって,統計の中身・性格が異なり,また,統計採取時点が必ずしも一致していないため,単純な比較は困難であるが,概して,アジアNIEsを中心に来訪者数が目立って増えていることが分かる。これらの相当部分は,観光客とみられるが,この地域を舞台とした国際的貿易・金融・サービス産業の隆盛によってビジネスを目的とする人の入国も相当数に昇るものとみられる。アジア太平洋地域では,南西アジアやアセアン等の中に,労働力過剰で失業問題や社会不安に悩む国も多く,これら諸国では事態の緩和と外貨獲得の両面を狙って,出稼ぎ労働者を送り出している。以前は,石油収入で潤う中東諸国に送り出すケースが殆どであったが,最近では,中東諸国も石油収入の減少で雇用吸収力は落ちており,出稼ぎ労働者の一部は,代わって,賃金水準も高く,高度成長下で人手不足に悩むアジアNIEs等に向かっている。単純労働力の受け入れについては慎重な国も多く,条件つきながら制度的に門戸を開いている国はシンガポール等,限られている。西太平洋地域が世界の成長拠点として脚光を浴びれば浴びる程,国際的労働移動の圧力は高まり,そうした問題に対する対応もますます重要な政策課題になってこよう。
所得水準の高まり,外貨持ち出し規制の緩和等に伴って,海外旅行をする人も増えており,欧米や日本の観光客に加え,最近では,アジアNIEsの半外旅行者数も目立って増えている。韓国では,純粋に観光目的の海外渡航は,1986年の3千人から,規制緩和もあり,88年には13万4千人に増えている。こうした国際観光事業の発展は,観光事業が国民経済にとって重要となっている香港,シンガポール,タイ等の多くのアジア諸国やオセアニア諸国にとって,外貨獲得,雇用創出等の面で好ましい影響を生んでいると考えられる。
既にみたように,アジア太平洋貿易の急速な拡大,その背後にあるアジア太平洋地域経済の活力ある発展は,世界経済におけるこの地域の地位を着実に上昇させている。そして,相互依存関係の急速な深まりは,21世紀に向けてこの地域が更なる経済発展を続けてゆく上で,新たな地域協力関係を模索させている。
アジア太平洋地域には,種々の協力を目的とした諸機関・組織,フォーラムが既に多く存在するが,政府レベルの会議として,アジア太平洋経済協力閣僚会議の第1回会合が11月初にキャンベラにおいて開催された。
世界経済の長期拡大の中でのアジアNIEsの高度成長,アセアンの追い上げ,中国の経済開放等,アジア太平洋地域の経済は,自由で開放的な貿易関係の発展を軸にダイナミックな展開をみせている。こうした経済ダイナミズムを将来に向けて失わないようにするためには,なお一層の経済自由化の推進,保護主義的動きの防止,経済の脆弱性・不安定性,産業発展基盤の整備の遅れ等の発展のボトルネックとなる恐れのある経済問題に対応するため,マクロ経済,貿易,投資,技術移転,人材育成といった様々の分野において協力を進めていく必要がある。また,北米,日本,アジアNIEs,アセアン,オセアニア,中国と幾重にも重なり合って協力・発展する経済関係を開がれたものとし,次第にその輪を近隣諸国にまで更に広めていくことが必要である。このようなアジア太平洋地域における経済協力の推進のため,わが国の建設的な役割が望まれる。