平成元年
年次世界経済報告 本編
自由な経済・貿易が開く長期拡大の道
経済企画庁
第1章 軟着陸をめざす世界経済
88年に縮小したアメリカ,日本の経常収支不均衡は,ここへきて,アメリカの貿易収支赤字の緩やかな縮小傾向のなかで経常収支赤字は横ばい傾向となり,日本では経常・貿易収支黒字とも89年4月~6月期には縮小した。これに対して,西ドイツでは経常・貿易収支黒字とも拡大している。本節ではまず,アメリカ,日本,西ドイツの3大国について経常収支の動向を概観し,その構成要素としての貿易収支及び貿易外収支,移転収支についてやや詳しくみることにする。
次に資本収支の動向に目を転じ,資金流入が民間投資を中心とするものに戻りつつあるアメリカ,経常収支黒字を上回る長期資本の流出が続いている日本や西ドイツの姿をみ,加えて,対外純債務がさらに増えたアメリカ,及び日本,西ドイツの対外資産・負債ポジションについて概説する。
最後に,国際金融・資本市場での重要問題の1つである,発展途上国の累積債務問題をとりあげ,現段階での債務の重さ,途上国間に生じている地域間格差,債務問題解決への最近の動きについてみることにする。
88年全体としてみると,アメリカの経常収支赤字及び日本の経常収支黒字は縮小した(第1-3-1表)。
アメリカの赤字は1,265億ドルと前年に比べ約170億ドル縮小し,名目GNP比では2.6%と,ピークであった前年の3.2%より低下した。貿易収支(通関べース)でみるとこの傾向は一層明瞭であり,88年の赤字は1,185億ドルと前年に比べ約336億ドル縮小し,名目GNP比では2.4%と,前年の3.4%より1.0%ポイント低下した。
日本の経常収支黒字は,ドル建てでは796億ドルと前年に比べ約70億ドルの縮小にとどまったが,名目GNP比では2.8%とピークであった86年の4.3%からは大幅に低下した。さらに円建てでみると,88年の黒字10.2兆円は,86年の14.2兆円の約7割に縮小したことになる。
しかしながら,四半期毎の動きをみると,アメリカでは87年10~12月期に経常収支赤字が大幅縮小となった後は,縮小ペースに鈍化がみられるようになった。貿易収支は88年7~9月期,10~12月期には赤字幅の縮小が停滞したが,89年に入ってからは緩やかながらも縮小してきている。しかし,投資収益収支は87年までの200億ドル以上の黒字から,88年には20億ドル程度に急減し,対外純債務の増加を反映して89年に入って赤字に転じてきている。これを背景に貿易外収支の黒字も急速に縮小し,89年4~6月期には赤字となったため,経常収支赤字は縮小傾向が鈍化している。日本では,88年央から経常収支の黒字幅が一進一退ながら縮小傾向にあったが,89年4~6月期には大幅に縮小し,経常収支黒字の名目GNP比は1.8%となった。
アメリカ,日本両国の縮小に対して,西ドイツでは88年全体でも経常,貿易双方の黒字は拡大し,89年入り後もこの傾向に変化はみられない。88年の貿易収支黒字は1,280億マルクと史上最高を記録し,名目GNP比では6.0%に達した。経常収支黒字は貿易外収支の赤字によって852億マルクに減少するが,名目GNP比では4.0%と依然高水準にある。
次に3大国の貿易収支について財別にみてみよう(付表1-10)。
まず,アメリカの貿易収支を財別にみると以下の通りになる。
①消費財収支,自動車収支は,88年にはそれぞれ722億ドル,554億ドルの赤字を記録したが,89年に入り消費の鈍化及び輸入車を含めた乗用車販売の不振から,双方とも赤字が頭打ちとなっている。
②資本財収支は,88年には106億ドルの黒字を計上し,前年より黒字幅が80億ドルも拡大し,同年の貿易収支赤字縮小に24.8%も寄与した。89年に入ってからは,輸入が国内の投資ブーム等の影響により堅調な増加を続けているものの,輸出が1~3月期を除いて堅調な伸びを示していることから黒字が続いている。
③工業用原材料は88年には赤字が113億ドルも縮小したものの,89年初の原油輸入価格の上昇に加えて,原油の輸入依存度の高まりもあって,赤字幅は5月まで拡大したが,その後原油価格低下により縮小している。
④食・飲料収支は,88年には80億ドルの黒字を計上し,前年に比べ80億ドルの収支改善となったことから,同年の貿易収支赤字縮小への寄与率も最大の25.0%となった。89年に入ってからも同収支の黒字は引き続き拡大している。
他方,世界的な設備投資ブームで資本財貿易が拡大しているなかで,日本は輸入が輸出よりも拡大しているのに対し,西ドイツでは輸出がより拡大している。
①日本の場合,従来からの工業用原料に加えて,乗用車・二輪車を除いた消費財収支においても赤字は拡大している。資本財の輸出については,世界的な設備投資ブームの影響があるものとみられ,88年10~12月期まで増加傾向にあったが,その後は一進一退の推移をたどっている。一方,資本財の輸入は着実に増加しているものの,その絶対額が同輸出の5分の1程度と小さいことから,同収支は輸出の動向を反映したものとなっている。
②西ドイツは,完成品で高い水準の輸出を続け,その額も若干の振幅はあるものの,増加傾向にある。資本財についてはヨーロッパ内でのかねてからの比較優位に加えて,EC統合を睨んだEC諸国内での生産能力の近代化への動きが,西ドイツの資本財への需要を高めていることから,資本財の輸出は高水準にある。
アメリカの貿易外収支は,85年以降の黒字増加基調から,88年には黒字幅が前年比147億ドルの大幅な縮小となり,著しい変化を示した。また,89年1~3月期には15億ドルの黒字を計上したにとどまり,さらに4~6月期には赤字となった(第1-3-1図)。これは,旅行・運輸収支等が黒字の増加を続けているものの,経常収支赤字の持続による対外純債務残高の累増によって,対外利払い負担が増大し,投資収益収支がこれまでの黒字基調から赤字に転じ始めたためである(対外純債務についての試算は後述)。投資収益収支は,単純には前期末対外純資産に収益率を乗じたものと考えられるが,対外資産の評価の問題があることに加え,収益率の相違,為替相場変動によってかなり不規則な値を示している。つまり,アメリカの持つ対外資産の方が対外負債よりも一般的に高い収益率を挙げるといわれている(88年,対外投資収益率が9.2%に対し,対内投資収益率は6.8%(付表1-11))ものの,評価の時点での金利によって収益率減に変動が生じること,及び外貨で得た収益をドルに評価する際の為替相場が関連するためである。しかし,対外純債務が今後さらに累積してくれば,投資収益収支は基調としての赤字が定着するものと思われる。このため貿易収支赤字を一部相殺する形で経常収支の赤字が膨らむことを抑えてきた貿易外収支も,今後は経常収支赤字の増加要因となっていく可能性が高い。
一方,日本は貿易外収支,移転収支双方で赤字を計上し続けており,経常収支の黒字幅が一層小さくなる要因になっている,これらの経常収支黒字削減に対する寄与は拡大しつつある(貿易外収支赤字+移転収支赤字の経常収支黒字削滅に対する寄与率,88年1~3月期8.5%→89年1~3月期14.1%→4~6月期77.6%)。対外純資産の積み上がりによって投資収益の黒字が急速に増大しているが,昨今の海外旅行ブーム等によって旅行・運輸収支等の赤字が拡大していることや,ODAの拡充による移転収支赤字の増加が見込まれているからである。特に旅行収支の赤字については,88年は157.9億ドルと,西ドイツの165.9億ドルには僅かながら及ばなかったものの,89年の上半期には日本が90.5億ドル,西ドイツが68.7億ドルと日本が上回った。
西ドイツは,投資収益収支及び運輸収支で黒字を計上している。しかしながら,旅行収支が大幅な支払い超となっていることに加え,特許権使用料,手数料等を含むその他サービス収支の赤字幅も大きいことから,貿易外収支は87,88年と赤字が拡大した。しかし,89年以降投資収益収支黒字が増加したため,若干の黒字となっている。移転収支が赤字となっている点は日本と共通であるが,EC拠出金や外国人労働者の自国向け送金が移転収支の赤字を巨額なものにしており,その額は貿易収支黒字の3割近くを削減するほどに達している。
アメリカの経常収支赤字は,87年から88年にかけて約170億ドルの減少を示したが,経常収支赤字をファイナンスする資本収支の動向をみると,ネットの民間資本流入が逆に増加を示したのが大きな特徴である(第1-3-2図)。それに比べネッ,トの公的資本流入は顕著な減少を示し,結果的に経常収支赤字のおよそ4割をファイナンスする姿となった87年から,88年は約3割ウエイトを占めるにとどまった。しかも,公的部門による資本流入はその半分以上が1~3月期に集中している。総じて88年は,経常収支赤字のファイナンスが民間部門を主体とするものに戻っており,なかでも証券投資,直接投資がファイナンスする形となっている。この傾向はドル相場が堅調に推移している89年に入ってからも続いている。
88年中のネットの民間部門の資本流入をみると,証券投資のうち株式は,87年の株価大幅下落時の大幅売り越しの影響が88年にも残り,5億ドルの売り越しとなったほかは,アメリカ国債や社債等の証券投資は86年の勢いには及ばないものの,底固い動きを示した。為替相場が安定的に推移するなかで,アメリ力の金利が相対的に高かったことが影響したものと思われる。
ネットの民間部門の資本流入のうち,直接投資が著増を示したのも88年の特徴である(ネットの民間部門の資本流入に占める直接投資のシェア,85年0.9%→86年8.8%→87年3.1%→88年41.4%)。これをグロスでみてみると,88年の対米直接投資は前年に比べ584億ドルの増加となったのに対し,アメリカの対外直接投資は前年に比べ175億ドルの増加にとどまり,対米直接投資の増加ペースがアメリカの対外直接投資のそれを上回っていることがわかる。対米直接投資の増加に最も寄与したのはイギリスと日本であり,特に日本は87年の75億ドルから88年には178億ドルと2倍以上となった。この結果,88年末の対米直接投資残高は,3,289億ドルとなり,国別には第1位イギリスの1,019億ドルに次ぎ,日本が534億ドルで第2位となり,第3位オランダの490億ドルを上回った。
日本は87年に引き続き88年も,経常収支黒字を上回るネットの長期資本の流出となった。ただし,内訳をみると,本邦資本の流出超過幅が1,499億ドルと史上最高となったものの,外国資本が87年の37億ドルの流出超過から,88年には一転して190億ドルの流入超過となったために,ネットの流出超過幅は小幅の縮小となった。本邦資本については,証券投資の流出額が878億ドルと前年に引き続き半分以上のシェアを占めたものの,対外直接投資が342億ドルと2倍近くの増加を示し,本邦資本の流出超過額全体に占める割合を22.8%に伸ばした。証券投資のうち債券投資は,アメリカとの金利差と為替相場の安定的推移から,おおむね堅調な増加を示した。外国資本については,対内証券投資が87年の61億ドルの処分超から88年には203億ドルの取得超となり,対内直接投資が87年の12億ドルの流入超から88年には5億ドルの流出超となり,両者は対照的な動きとなった。
西ドイツは,88年に資本収支に構造的な変化がみられた。西ドイツの資本収支の伝統的な構造は,短期流出,長期流入であったが,これが利子源泉課税導入の決定により,87年末から大幅な長期資本流出超に転じた。86年に338億マルクの黒字であった長期資本収支は,87年には233億マルクの赤字に転じていたが,88年は経常収支黒字額852億マルクに匹敵する849億マルクものネットの長期資本流出が起こった。他国との金利差とともに89年1月に導入予定の利子源泉課税をきらって,本邦資本の流出増,外国資本の流入減が大規模に起こったためである。このような長期資本の流出は,89年4~6月期以降は,89年7月に,1月に遡及して利子源泉課税が廃止されたため縮小し,再び長期資本流入超という伝統的なパターンに戻りつつある。対外直接投資はアメリカやEC諸国向けを中心に増加を示した(87年162億マルク→88年183億マルク)のに対し,対内直接投資の流入は,88年は29億マルクの流入にとどまった。ブンデスバンクの対外資産は88年に347億マルクもの減少となった。
アメリカの対外純債務残高は88年末で5,325億ドル(名目GNP比10.9%)に達し,87年末に比べ1,542億ドル増加した(付表1-11,第1-3-2表)。グロスのアメリカの対外債務は1兆7,862億ドルで,87年末に比べ15.4%増加した。その内訳をみると,証券投資のうちアメリカ国債への投資が87年のマイナスの増加額寄与率からプラスに転じたことや,対米直接投資及びアメリカ国債以外への投資が高い水準の寄与率を示していることがわかる。残高ベースでは日本のシェアが更に高まり,対米直接投資が16.2%,アメリカ国債以外の証券に対する投資が12.4%となった。前者は業種別にみると,不動産関連の増加分に対する日本の寄与率が9割近くに達していることが注目される。後者は,日本の投資家によるアメリカのM&A(企業買収・合併),LBO(レバレッジド・バイアウト,第2章第2節参照)関連の債券購入が増えていることも影響しているものと思われる。
一方,アメリカのグロスの対外債権は1兆2,537億ドルで,87年末に比べ7.2%増加した。内訳をみると,銀行部門資産の寄与率が64.6%と最も高く,民間部門の対外直接投資,証券投資がそれに次いでいる。
部門別のネットのポジションをみると,公的部門,証券投資は従来から負債超過であったが,1988年には直接投資,銀行部門も負債超過となった。
アメリカとは対照的に,日本,西ドイツは対外純資産を増加させた(第1-3-2表)。
日本の対外純資産残高は88年末で2,917億ドル(名目GNP比10.2%)となった。グロスの対外資産は1兆4,693億ドルに達し,そのうち直接投資が前年に比べ44%増加し,証券投資の26%増,借款の27%増に比べ高い伸びとなったのが特徴である。グロスの対外負債は,民間部門の金融勘定が残高においても増加分においてもその大宗を占めている。
西ドイツの対外純資産残高は88年末で2,060億ドル(名目GNP比17.3%)となった。87年末に比ベグロスの資産は270億ドル増加したが,グロスの負債が190億ドル減少したため,ネットの資産は470億ドルの増加となった(四捨五入のため,グロスの合計はネットに一致していない。)。
ここで,アメリカの対外純債務残高の展望について,モデルに基づき試算を行ってみよう(付注1-1)。
貿易収支赤字国が対外純債務国であるとき,対外資産と対外債務の収益率が等しい場合には投資収益払超となるため,投資収益収支の悪化を通じて,貿易収支赤字よりも経常収支赤字がさらに増幅される(以下では便宜上,運輸・保険・旅行等の投資収益以外のサービス収支及び移転収支は貿易収支に含めて議論を進める)。当期末の対外純債務残高は,資産再評価及び為替評価を除いて,前期末の対外純債務残高に当期の経常収支を加えたものに等しい。このため,経常収支赤字は対外債務額をさらに増幅することになる。既に述べたように,アメリカの投資収益収支は巨額な経常収支赤字の下,基調としての赤字が定着しつつあり,経常収支赤字によって増幅された対外債務がさらに投資収益払超を招くといった悪循環が続いていくことが充分予想される。
モデル分析によれば,貿易収支赤字の縮小幅がある程度に至らない場合には,対外純債務への利払いの増大を相殺出来ず,長期にわたって経常収支赤字,対外純債務の累積が続くことがわかる。このことは,アメリカの対外債務の問題は,短期的な解決が極めて難しいが,着実な貿易収支赤字の縮小が不可欠であることを示唆しているものといえよう。
発展途上国の債務残高は,増加を続けており,IMFの推計によると88年末には1兆2,397億ドルとなり,さらに89年末には1兆2,790億ドルにのぼると予測されている。これは,途上国全体のGDP)の35.6%(88年末)に相当する巨額なものとなっており,債務危機の顕在化した82年末の8,15億ドルからは,約1.5倍に膨れ上がっている。なお,とのうち,民間金融機関債務(短期債務と中長期民間金融機関債務の合計)は,88年末で5,500億ドルと,途上国務全体の44.4%もの大きな割合を占めている。また,債務返済負担の重さを示す指標であるデット・サービス・レシオ(債務返済比率,元利返済額/財・サービスの輸出額)は,88年末19.6%となり,86年末の23.0%からはやや低下しつつあるものの,依然20%近い高水準にあり,債務返済負担の変わらぬ厳しさを示している(第1-3-3図参照)。
ただ,債務残高の伸びは82年末の前年比13.2%増がら,88年末は同0.7%増,89年末も同3.2%増(予測)と,このところ鈍化傾向をみせている。これは,債務の株式化,債務の債券化,債務の買い戻し等の債務国による債務削滅の効果もその一因となっているものの,82年から続いている,金融機関を中心とする民間からの新規融資額の減少による影響が大きいとみられる。民間新規融資額は81年の921億ドルから88年には500億ドルまで縮小している。またこうした新規融資額の減少にもかかわらず,民間債務の元利返済額は,年々増大しており,81年の733億ドルから87年には876億ドルまで増加している。そのため,発展途上国の中長期純資金フロー(中長期新規融資額-中長期債務元利返済額)をみると,民間からの純資金フローは,83年に流出に転じた後,流出額が年々増大し87年には390億ドルに達した。また公的機関からの中長期純資金フローも,公的機関への元利返済の増加によりこのところ縮小しており,87年には9億ドルの流入にとどまった。この結果,公的機関と民間を合わせた全体では,87年には381億ドルの大幅な流出となり,また88年には430億ドルへとさらに流出額が拡大したと見られる(第1-3-4図参照)。この多額の資本流出は,途上国の債務についての大きな問題の一つとなっている。
また,せっかく資金が途上国に取り入れられても,途上国の大幅な財政赤字や高インフレなど国内投資環境の悪さ,経済の不安定さから,自国のための投資・貯蓄には活用されず,アメリカ等先進諸国へ流出してしまい,単に債務残高だけを増大させる,いわゆる「資本逃避」も大きな問題となっている。「資本逃避」について,ブレイデイ米財務長官は89年3月の,後に新債務戦略の基本となる提案において,「資本逃避の額が債務残高を上回るケースが多い」と,その巨額さを指摘している(なお,アメリカのある大手銀行の調査では,1977~87年の資本逃避の額はブラジル,メキシコ,アルゼンチン,ベネズエラの4か国合計で1,100億ドル強と推定(4か国合計の対外債務残高,88年末3,221億ドル))。
次に,15重債務国の国内投資率(対GDP比)をみると,このところ低迷を続けており,1975~79年平均26.8%から87年には17.1%まで落ち込んでいる(付図1-3参照)。投資率低下の原因としては,国内貯蓄率の低い状況の下,新規融資額の減少と元利返済額の増大による多額の資金流出や「資本逃避」により,途上国の国内投資に用いるべき資金が不足していることが主因として挙げられる。また,「途上国が懸命に投資を行い,その結果輸出を増大させてをその収益の大部分は債権国への元利払いに消えてしまい自国にはほとんど残らず,そのため投資意欲が起こらない」という,巨額の債務残高と元利払いの重圧による途上国自身の投資意欲喪失も大きな要因とみられる。こうした投資率の低下は,引き続く大幅な財政赤字や高インフレ等とともに,途上国の構造調整を遅らせており,そのため,経済成長はさらに弱まり,自国経済へめ信任を失わさせー層の資金流出・資本逃避を招いている。このように,重債務途上国の経済は低投資・低成長と多額の資金流出・資本逃避の悪循環に陥っている。
地域別に債務状況をみると,債務問題を抱える国の多いラテン・アメリカでは,債務残高は88年末4,122億ドルで,途上国全体の33.2%と大きな割合を占めている。また比較的金利の高い民間金融機関からの債務が債務全休の57.7%を占めている。デット・サービス・レシオは,88年末41.6%,債務残高の対GD P比も同44.0%に達するなど,他の地域より状況の悪さは際立っている。また中長期純資金フローは,民間からの新規融資の激滅から83年に100億ドルの流出に転じた後,毎年100~220億ドルもの流出を続けており,87年には民間からの中長期純資金フローの流出に加え,公的機関からの中長期純資金フローがわずかながら流出に転じ,公的機関と民間を合わせた合計で186億ドルの流出となった。83年~87年累計では890億ドルに達する多額の資金の国外流出は,巨額にのぼるとみられる「資本逃避」と合わせて,もともと低水準にある国内投資率の一層の低下を招き,債務返済能力をさらに低下させる要因となっている。
次に,アフリカでは,公的債務の割合が全体の56.4%を占めており,債務残高も増加傾向にあるものの88年末1,946億ドルと,途上国全体の15.6%にとどまっている。しかし経済成長の低さから,88年の債務残高の対GDP比は49.8%,デット・サービス・レシオも28.8%に達しており,債務返済負担はけっして軽いものではない。
一方,アジアをみると,債務残高は緩やかながら増加しており,88年末3,192億ドルとなっているものの,比較的金利の低い公的債務の割合が88年末44.2%と高い。また,NIEs諸国を中心とする近年の好調な経済成長から,88年末の債務残高の対GDP比は25.1%,他の地域に比べ低水準にあったデット・サービス・レシオも11.4%へとさらに低下するなど,状況は改善している。
このように途上国の間には,改善のみられるアジアとむしろ悪化しているラテン・アメリカやアフリカにみられるように,地域間格差が表れている。
また,一部東欧諸国においても,債務問題は深刻なものとなっている(第2章第6節参照)。
累積債務問題の解決に向けて,これまで多くの対応策が提案,実施されてきている。そのうち最貧国については,88年のトロント・サミットでの合意に従い,パリ・クラブにおいて,公的債務の①債務残高の3分の1の免除,②繰り延べ期間の延長,③金利の減免等の3方式のいずれか又はその組み合わせを選択することを主内容とする債務救済策が適用されている。またそれと合わせて,先進諸国は独自の債務救済措置を決定している。例えば,日本は,後発開発途上国に対する88年3月までに供与を約束した円借款(約55億ドル)について,元本及び金利返済と同額の新規贈与により実質的に全額免除すること等を決定しており,これらの大規模な債務救済措置により最貧国等における債務問題については,かなりの進展をみている。
一方,ラテン・アメリカ諸国を主とする中所得・重債務国については,85年10月にベーカー構想が発表され,次いで87年10月には同構想を補完するものとしてメニュー・アプローチが発表されるなど過去数々の対応策が先進国側から講じられてきた。しかし,それにもかかわらずその経済成長や国内投資は低迷を続け,中長期純資金フローは流出となるなど,債務の重圧により困難な経済状況にある。そのため,こうした状況を打開するための新たな対応策として,88年9月には,日本提案(宮沢構想),フランス提案(ミッテラン構想)が相次いで発表され,89年3月には,日本提案等を踏まえて,ブレイデイ米財務長官の提案が発表された。そして,その後ブレイデイ提案に基づき,新債務戦略が,89年4月の7か国蔵相・中央銀行総裁会議(G7)で大枠の合意に達し,7月のアルシュ・サミットと9月のG7において,支持を受けた。
新債務戦略では,まずこれまでの債務戦略の柱,①成長指向,②債務国の構造改革,③海外からの資金流入の必要性,④ケース・バイ・ケース・アプローチの4原則についてはその有効性は変わらないとしている。
新債務戦略の特色は,従来のニュー・マネー重視の観点から債務削減・利払い軽減に重点を移したことであり,さらにこれを容易にするために国際機関,民間銀行に対してより具体的な支援方策を提唱していることにある。また,債務国に対しても,従来の成長指向型の構造調整努力に加えて,逃避資本を還流させ,外資導入を奨励するなどにより資本の自己調達努力を要請する等,債務戦略の転換を示すものとなっている。
発表された新債務戦略の骨子は,①対象国は,IMF等と中期経済調整プログラムに合意して,これを着実に実施する債務国とする,新債務戦略の前提として,②債務国は,資本流入の奨励,国内貯蓄の増強,逃避資本の還流に十分配慮する,③民間銀行については,リスケジュールにもニュー・マネーにも協力しない銀行も協力した銀行と同様の弁済を受けられるような現行の契約条項を3年間停止する,④ニュー・マネーを補完する形で,民間銀行と債務国との間の自発的かつ市場指向型の債務削減・利払い軽減策により重点をおく(例,債務の買取,債務の債券化,利払いの軽減,債務の株式化等),⑤こうした債務削減・利払い削減策に対応して,IMF,世界銀行も新たに経済調整融資の一部を債務の債券化の元本保証のための外貨準備の増強に使用する,また利払いを支援するための資本手当を行うなどの方策をとる,⑥また債権国政府は,債務削減,利払い軽減策への阻害要因を除去するために,銀行監督規則,会計規則,税制等を見直す,等となっている。
89年7月に合意され,新債務戦略の第1号となったメキシコの債務救済策(メキシコの対外債務,88年末1,074億ドル)をみると,(1)IMFは,今後3年間総額36億ドル,また世界銀行は総額15億ドルの新規融資をそれぞれ決定し,メキシコの経済構造調整に用いるとともに,その一部を民間債務の削減に用いることを認める,(2)民間銀行は,対メキシコ中長期債務のうち527億ドルを対象に,次のいずれかを選択することにより債務削減に協力する,①元本削減ー融資債権を35%削減して,額面の65%相当額のメキシコ政府30年物債券(金利は現行のロンドン銀行間取引金利(LIBOR)プラス16分の13%)と交換する,なお,メキシコ政府は同時に米国財務省の発行する30年物のゼロ・クーポン債を購入して,メキシコ政府債の元本の担保とする,②金利減免一融資債権を同額の低金利(年6.25%)のメキシコ政府30年物債券と交換する,③新規融資一今後4年間に保有債権の25%相当額の新規融資に応じる,なお,メキシコからの利払いをこれに充ててもよい,等となっており,メキシコ政府と民間債権銀行団のコミュニケによれば,これにより年間30億ドル以上のメキシコ側負担が軽減されるものとみられる。
なお日本は,89年7月のアルシュ・サミットにおいて新債務戦略の円滑な実施のための総額100億ドル以上のアンタイド資金の供与を表明するなど,債務問題解決に積極的な姿勢をとっており,メキシコの債務救済に対しては,日本輸出入銀行のIMF及び世界銀行との協調融資20億5千万ドルの供与を発表した。
その後,メキシコに続きフイリピンが新債務戦略の適用国となり,債務救済策がとられた。債務救済策のとられた両国では,財政赤字の削減,インフレの抑制,国内投資環境の改善等,IMFとの合意にもとずく中期経済調整プログラムを着実に実行することが前提となっている。これにより自国経済への信任が取り戻されれば,「逃避資本」も還流し,債務削減,利払い軽減,新規融資等債務救済策の効果と合わせて,国内投資・経済成長を回復,向上させてゆくものと期待される。
新債務戦略は,現在のところ適用を受けた国が限定され,また適用国も適用から間もないためその効果を測定することは難しい。しかし,債務問題解決に向けて大きな一助となったことは疑うまでもない。新債務戦略の適用を受ける国は増加してゆくものとみられるが,今後とも,本戦略にみられるように,債務国,民間銀行,債権国,国際機関等が国際協調の下に債務問題解決への対応を続けることが重要である。