昭和63年

世界経済白書 本編

変わる資金循環と進む構造調整

経済企画庁


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第3章 世界に拡がる構造調整

第5節 社会主義国の構造調整

社会主義経済体制をとるソ連・東欧及び中国においても,従来型の中央指令的経済システムから,市場メカニズムを活用した,より自由主義的な経済システムへの構造転換が図られている。ソ連ではゴルバチョフ政権(85年3月~)による「ペレストロイカ」(改革)が,中国では経済開放政策が,推進されている。ソ連では改革の成果がまだ国民にもたらされていない反面,中国では一定の成果が現れている。

1. ソ連・東欧の構造改革

(1)ソ  連

(改革前の経済構造)

ソ連では,第1次5か年計画(1928~32年)以来,共産党政府による中央指令的な計画経済体制をとってきたが,近年,ペレストロイカの下,経済システムそのものを大幅に転換する改革が推進中である。

中央指令的な計画経済体制は,社会主義初期の時期には成果を収めたが,社会の高度化・複雑化に伴って次第にその非効率性が増し,60年代に入ると生産の伸びが徐々に低下し始め,70年代以降,特に,ブレジネフ政権後半の第10次5か年計画期(76~80年)以降,ソ連経済は著しい停滞に陥り,生産国民所得 ()の伸びが大きく低下した (第3-5-1図)。

そこで,この停滞の原因を探るため,ソ連が従来より行ってきた重工業優先政策とその投資政策,農業の現状,貿易構造についてみた上で,ペレストロイカによりどのような点を改革しようとしているのか,について述べる。

(重工業優先政策)

ソ連は,1928年の計画経済採用以来,西側工業諸国に早急に追いつくことを目標に,工業の急速な近代化と生産能カ拡大のため,重工業優先政策をとり,生産財(資本財)の生産を重視してきた。もともと天然資源の豊富なソ連は,これら天然資源と労働力を大量に投入する外延的成長により,1960年頃までには重工業部門を中心に西側工業諸国に引けをとらない成長を達成し,現在では,石油・天然ガス,粗鋼,化学肥料,セメント等をはじめ,多数の基礎物資の生産が世界第1位となるなど,工業国として高い地位を占めている。このような工業部門の高成長が,生産国民所得で示されるソ連経済全体の成長を引き上げてきたことがみてとれる (付図3-13)。しかしながら,一方では,60年代に入る頃から,労働力人口増加率の低下,資源開発コストの上昇,といった生産要素面での制約も表れはじめ,従来の労働,資源の大量投入型の成長が困難となり,また,技術革新の遅れもあってこれらの投入の制約を補うだけの労働生産性の上昇も得られなかったため,工業部門の成長の伸びが鈍化した。そして,これが経済全体に影響して,70年代以降生産国民所得の伸びの低下につながったものとみられる。

(生産財重視の投資政策)

次に,この60年以降の時期の投資がどのように行われたかをみてみよう。ソ連の投資は第1節でも触れたように,消費を犠牲にしてまで高水準で行われた結果,生産国民所得を生み出す源泉となる生産固定資本(ストック)は,着実に高い伸びを示した。しかし,資本係数(生産固定資本/生産国民所得)をみると,70年以降急速に高まっており (前掲第3-5-1図),このことは,生産固定資本の伸びほどには生産国民所得は伸びておらず,資本効率(上記資本係数の逆数)が低下していることを示している。その理由としては,①原燃料の採掘がシベリア・極東地域へと遠隔化するに従って,工業部門の投資総額に占める原燃料採掘部門の投資シェアが上昇し,原燃料単位生産当りに要する資本規模が増大した,②新設・増設された設備への人員シフトにより,有効に使える既存設備の稼働率が低下した,③生産設備が老朽化して生産能力が低下し,修理部門も肥大化して当部門への投資が増加した,④企業への生産指令の細分化・複雑化により企業の自主性や創意工夫が失なわれた,⑤研究分野での技術開発が企業レベルに迅速に導入されなかった,といったことが挙げられる。

また,近年,投資が生産固定資本として新規に稼働を開始するのが遅延し,未完成工事残高が増加した結果,投資の懐妊期間が長期化しており,投資効率の低下につながっている。これは,固定資本を構築する建設部門企業の建設能力が,同部門への投資シェアが低かったこともあって十分でなく,また一度に多くの建設工事を抱えていること等から,建設完了が遅れていることによるものである。

以上から,生産財生産部門中心の投資政策にもかかわらず投資効率の低下により当部門の生産は拡大せず,一方,住宅投資やサービス部門,消費財生産部門への投資は抑えられてきたために国民の福祉水準を高めるこれら部門の生産も不足しており,投資の非効率・不均衡が経済全体の生産を低下させたとみることができる。

(ソ連農業の特徴)

農業では,ブレジネフ政権時代より改革が指向され(ブレジネフ農政),農業部門への投資も積極的に行われたが (第3-5-2図),農業生産の伸びは他の部門の伸びに比べて著しく低く,ソ連経済全体の成長の足を引っ張ってきた(前掲付図3-13)。

ソ連の農業は,厳しい気候条件もあって生産に不安定さがあり,集団的農業の非効率から農業の労働生産性は他の西側諸国と比べて極端に低い。未開墾地の開拓による播種面積の増大といった外延的拡大は既に望めなくなってきているため,農業インフラストラクチャーの整備,機械化の推進,化学肥料の投入増,輸送のボトルネックの解消,等による生産性向上が必要とされるが,これらへの積極的な投資にもかかわらず生産の伸びはなお緩慢で,国民の需要をまかないきれない状態である。

一方,国民の消費水準向上の要求から,食肉,乳製品など高品質の食料品への需要が高まっており,これらの元となる家畜類への飼料穀物の供給を確保するため,米国,カナダ等を中心に大量の穀物輸入を行っている。ソ連政府は,2000年までには穀物の自給を達成するとしているが,そのためには後述する改革を進め,農業生産性を大幅に高めることが不可欠であろう。

(貿易構造の転換)

近年のソ連の輸出入構造をみると(第3-5-3図),輸出は,その4~5割程度が原油・石油製品及び天然ガスといったエネルギー原料であり,対西側先進国輸出ではこれらが8割程度を占める。一方,輸入は,機械・設備,穀物がかなりの部分を占める。86年には,主要輸出品かつハードカレンシー獲得手段である石油の国際価格の大幅下落により,石油輸出額が急減したため,これに対応して西側からの輸入を厳しく抑制した結果,最近低下していた西側先進国のシェアはさらに低下し,ソ連の輸出入総額は初めて前年を下回った。このような,不安定な原料輸出型の貿易構造に対し,ソ連政府は,工業製品輸出を中心とした工業国型の貿易構造への転換が必要であるとし,工業製品の国際競争力を高めるために,①西側との合弁企業推進により技術導入を図る,②穀物輸入を削減し,その分西側の新技術装備の機械の輸入を増やして資本設備の技術再装備を行う,としている。また,輸出振興を図るため,貿易取引権限を多数の機関・企業に認めて貿易自由化を推進することとしている。ただし,実際にはこのような転換は容易でないとみられ,その実現にはがなりの困難と期間を要するであろう。

(ペレストロイカの狙い)

ゴルバチョフ政権は,西暦2000年までに,国民所得を1985年の2倍にすることを標榜しており,そのために経済全般における構造改革を推進中である。

工業部門では,産業全般の技術再装備の元となる機械工業の生産を高め,その省資源・新技術装備型の機械により既存企業の設備更新を行い,生産コストが上昇している原燃料を節約し,旧設備の累積に伴って増大した修理部門への投資を減らす。このように工業の効率化を進めて労働生産性を高め,それにより解放された労働者をサービス部門や労働不足地域へ再配置する。また,従来のソ連企業は,生産命令の量的な達成に主眼を置いたためコスト意識が希薄で生産効率が低く,品質も悪かったため,88年1月に国営企業法が施行され,企業は経営全般においてより自主的な運営が可能になると同時に,独立採算制・資金自己調達制(88年より生産の6割がこの企業のもとで行われる)により厳しい経営責任を負うこととなり,赤字企業の倒産や労働者の失業が容認された。

農業では,コルホーズ(集団農場),ソフホーズ(国営農場)による集団的農業方式の非効率性を改革するため,「賃貸請負制」の導入を積極的に推進する方針である。「賃貸請負制」とは,これら農場で働く家族や従業員グループに,農場所有の農地・農業機械等を長期にわたって賃貸することで所有意識を持たせて生産意欲を引き出すもので,農業の多様化・自由化の政策を反映したものである。加えて,輸送・貯蔵なども含めた農業インフラストラクチャーの整備,厳しい気候に耐えうる品種改良など,総合的な構造改革を目指している。また,農産物小売価格の引上げ,農業補助金カットによる政府負担の軽減,など,価格面での改革も行われる予定である。

国民生活面をみると,住宅については,後回しにされていた住宅投資が国民の住宅改善への強い要求を背景に近年増加しつつあり(86年は80年比46%増,前掲第3-5-2図),更にこれを進める計画である。サービス部門は,競争原理の導入によりサービスの質の向上を図り,タクシー,レストラン等にみられるような個人営業,少人数の協同組合企業といった形態の活用を進めていく。消費財生産については,優先的に増産を図るとしているものの,一方では資本蓄積を高める政策も計画されている。したがってこれらの両立には,①資本の除却率を高め,また,更新する資本設備の技術革新度を高める,②未完成工事を早急に完成させて稼働資本への参加を促進する,などにより資本効率を高めることを通して消費財生産増大の源泉を確保することが必要であろう。

このような改革の中,最近の経済実績をみると,86年は生産国民所得が前年比4.1%増とやや改善傾向を示したものの5,87年は年初の寒波の影響もあって同2.3%増と大幅な不振に終わった。88年入り以降は,前年の反動もあって1~9月期の生産国民所得が前年同期比4.7%増と回復傾向にあるが,第12次5か年計画(86~90年)達成には一層の生産増が必要である。

なお,88年6月,第19回党協議会では,経済改革を進めるには大胆な政治機構の改革が不可欠との認識から,党と議会の役割分担,行政組織の簡素化等,政治改革についての積極的な討議がなされ,10月にはゴルバチョフ共産党書記長が,最高会議(国会に相当)幹部会議長を兼任して一層の改革推進の体制を強化した。

(2)東  欧

東欧の社会主義諸国においても,傾向的に成長率の低下がみられるが,その対応をみると,改革に慎重でむしろ既存システムの効率化(東ドイツ)や中央のコントロールの強化(ルーマニア)で乗り切ろうとする国と,程度の差はあれソ連型の改革を推進しようどする国(ポーランド,チェコスロヴァキア,ハンガリー,ブルガリア)とに大別される。なお,ユーゴスラヴィアは独自の道を歩んできている。

東ドイツは,87年にやや落ち込みをみせたものの経済実績は比較的良好に推移しており,この実績を背景に今後も当面特に大きな改革には着手せず,現行の政策を堅持するものとみられる。

ルーマニアは,エネルギー供給の大幅不足等から著しい停滞を示しており,政権長期化による対応力の低下,非効率の蔓延等が指摘されている。また,急激な農村改造は国内的及び対外的混乱を発生させている。

ポーランドは,東欧一の累積債務国であり,87年末の対西側債務は392憶ドルにのぼる。債務返済繰り延べを通じて支払い負担を軽減しつつ,西側諸国との合弁企業の導入,輸出促進,不採算企業の清算等の措置により経済活性化に努めているが,かなり厳しい状況にある。86年には経済は比較的良好であったが,87年は生産国民所得が計画を下回り,農業生産も前年比マイナスとなるなど,やや回復に陰りがみえる。

チェコスロヴァキアは,87年の活発な投資にもかかわらず生産国民所得は2%増と計画(3.5%増)を下回った。設備投資不足等から工業製品の競争力が低下しているため,企業の自主権拡大,独立採算等を内容とした国営企業法を施行し,改革に乗り出したものの従来より自由化に反対してきた現体制からすれば,改革は緩やかなものとなろう。

ハンガリーは,基本的には農業国であるが,ソ連に先んじて従来より改革には積極的であり,商業銀行活動や,債券・金融市場などの金融面での自由化は他の東欧諸国に比べてかなり進んでいる。しかし,85年以降の成長策により大幅に減少していた累積債務が再び増加してきたため,88年には消費者価格引上げ,付加価値型間接税及び個人所得税の導入などの個人消費抑制型の経済引締め策に転じた。

ブルガリアは,干ばつの影響等による85年の不振から,87年にはやや立ち直りをみせ,生産国民所得は前年比5.1%増となった。経済改革は徐々に進められてきたが,87年中にも複数の改革案が採択され,国際価格を考慮した価格形成,商業銀行の活発化等をはしめ,今後様々な改革が実行に移される予定である。

ユーゴスラヴィアは,市場メカニズムを早くから社会主義に導入し,独自の自主管理制度をとっているが,累積債務,高率のインフレ,賃金凍結によるストの続発など,多くの問題を抱えており,87年は工業の低成長,干ばつの影響による農業不振等で停滞した。

2. 中国経済の構造変化

中国では,第1節でみたように,その時々の政策動向によって投資の過熱と抑制はあったが,常に重工業中心の投資が行われてきた。第1次5か年計画(1953~57年)では,鉱工業部門への投資は,重工業85%,軽工業15%と規定され,その割合は87年まであまり変化していない。しかし,鉄鋼業への投資が53~75年間平均では18.8%あったのが,76~87年では12.7%になり,一方で,エネルギーの不足に対応するため,電力向け投資が87年に30.6%になるなど,投資の中身は大きく変化した(第3-5-4図)。また最近では,国営企業以外の工業企業(農村工業企業)等を中心に,輸出指向型の労働集約的産業の育成にも重点が置かれるようになっている。こうした変化の背景には,これまでの重工業(生産財)重視政策が,開放・改革の中でうまく機能しなくなったということがあげられる。

(1)重工業偏重政策の問題点

(生産財価格の問題)

中国では,生産財は,①国家統一分配物資(鋼材,石炭等の最重要物資。国家計画委員会,国家物資局が分配),②主管部門分配物資(2番目に重要な物資で産業機械等。主管の各工業政府部門が分配),③地方管理物資(その他の工業品)と分類されていた。50年代初から80年頃まで,①②の生産財は,国家または主管部門によって統一的に買い上げられ,分配されてきた。

政府の買い上げ価格は,原材料,エネルギー等の重要物資ほど,競争力の観点から低く抑制され,石炭産業などでは常に採算割れとなる所も出たとされている。こうした赤字企業に対する国家財政からの補填がしだいに大きくなってきた他,生産財の価格が低すぎることは以下のような問題点を残した。①国家規定価格による一括買い上げは,生産者の増産意欲を引き出すことができながった。②供給不足物資がヤミ価格で取引されるようになった。③加工部門では,生産コスト削減努力が怠られた。④国外価格に比べて原料等が低すぎる。

(投資・生産計画の問題)

中国の国営企業などの生産計画には指令性計画(達成義務がある)と指導性計画(達成義務はない)の2つがあり,80年代に入るまでは,生産財のほとんどが指令性計画に基づいて生産されていた。生産財は政府部門に統一的に買い上げられ,政府からは投資基金,賃金基金が分配された。しがし,企業成績と企業利益が結びつかないこのような制度の下では,企業側にインセンティブが働かず,欠損を出しても倒産の心配がないため,生産効率の向上が遅れた。

(賃金の問題)

中国の国営企業では,工員(主に肉体労働)8等級,職員(主に精神労働)4等級と定められた等級表があり,それぞれの職務に応じた職務級が決められていた。しかし,大躍進,文化大革命といった動乱の中で,物質的刺激によるインセンティブは排除され,57~77年まで賃金はほぼ横ばいであった。個人の能力,成績によらない賃金設定は,悪平等ともいわれ,個人の労働意欲を喚起出来なかった。また,従業員の解雇も困難であったことから,企業は多大な余剰労働力を抱える所もあるといわれている。

(2)経済体制改革と過熱

国家の統一的な生産・投資・価格決定方法や,固定的な雇用・賃金制度の下では,企業・個人のインセンティブを引き出すことができなかった。こうしたことから,文化大革命が終結した後の1978年には,対外開放・経済改革路線に転換し,市場メカニズムの導入等の中で,社会の活性化をはがることとなった。

さらに1984年の中国共産党第12期全国代表大会第3回会議において「経済体制改革に関する決定」が採択され,経済体制改革が本格化した。

しかし,改革の中で様々な経済上の政府統制が緩和された一方,金融,財政面といったマクロ面の引き締め手段が未整備であるため,85年には経済が過熱し,86年には一旦鎮静化したとみられたものの,87,88年にがけ再び過熱している。

(請負経営責任制の導入)

84年から始まった改革では,まず投資・生産計画に弾力性を持たせることから着手した。これが請負経営責任制という生産形態の導入である。請負経営責任制では,企業は国家から割当られた計画分を達成した他は,市場で自由価格で販売できることとなった。また,国家計画も指令性計画の割合を減らし,指導性計画を増やして,企業が,市場の変動に合わせて,政府の認可を待たずに機動的に生産計画を変えられるようになった(例えば上海では,以前は工業の70%が指令性計画によるものであったが,現在では14%に下がり,86%は指導性計画によるものという)。

また,企業の投資基金についても,従来の財政資金の供与から銀行貸出に切り換える改革が85年から始まり,政府と企業のつながりは,生産物上納から法人税納入に転換した。一方政府の,企業経営に対する干渉を少なくするため,工場長責任制も実施された。

(賃金改革)

また85年からは,企業に賃金基金を任せ,企業に賃金支払いの決定権を下放した。従米の固定的な賃金制度から,個人の成績と関連性のある賃金決定方式に移行しつつある。しかし,現在ではまだ労働者の解雇,企業の破産等の制度が一般化されていないこともあって,企業のコスト意識が弱く,投資・賃金の合理的な配分がなされていない。

これは,中国の企業が長い間,従業員の福利厚生(学校,病院,住宅等)をはかるため,生活全般の面倒をみ,一つの地方自治体的な役割を果たしてきたという,昔からの体質によるものとみられる。したがって,企業の競争原理が完全に働いていない現在の状況の下では,企業経営者はコスト削減よりは賃金や住宅基金への積み増しをはかる傾向にあると考えられる。

(二重価格のジレンマ)

生産財は,80年初まではほとんどが国家規定価格で取引されていたが,請負経営責任制の普及とともに,企業が自由価格で販売できる割合が増えてきている。しかし,現在はまだ需要の伸びに供給が追いつかない状態であるため,ひっ迫気味の生産財の価格は自由市場で急激に高まっている。また,国家規定価格の商品を自由市場に流したり,転売したりする例もあるといわれている。

石炭・鋼材等は現在でも80%が国家計画・国家規定価格で取引されているため,最近の生産財の価格上昇の中でも,製品出荷価格を勝手に変えることができず,利潤が薄くなり,赤字化する所も多いといわれている。一方,価格設定の自由度が高い加工部門は,原料の価格上昇にも適応できたため,ますます増産が続いた。こうしたことから,原材料・燃料のひっ迫は深刻となり,現在電力に対しては重点的な投資が行われているが,まだ根本的には解決していない。

こうした加工部門の生産過熱引き締めのために,貸出金利の引き上げを行おうとすれば,ぎりぎりの採算の中でやってきた原材料・燃料部門の赤字がますます悪化してしまう。また,銀行の貸出基準を厳しくするにしても,現在のように,生産財価格が低く抑えられていると,工場の利潤の大きさが,必ずしもその工場の経営の善し悪しを反映していないことから,金融による引き締めは困難な状況となっている。

以上のように,85年から投資・賃金決定等の面で企業の自主権を拡大する改革に着手し,企業の生産は活発化した。またこの時期,投資・賃金基金をこれまでの財政支出から,金融機関の貸出の形に転換するという金融体制改革も行われた。しかし,中国人民銀行から下部銀行(工商銀行等)への貸出限度額が84年第4四半期を基準に決定されることとなったため,84年末には実績づくりのため銀行からの貸出が急増した。85年には,こうした流動性の急増から物価が大幅に上昇(85年前年比8.8%)した。また,企業への権限下放が行われた一方で,企業のコスト意識が広く普及していないために,労働生産性を上回る賃金,採算を考えない投資を行う企業が多く,経済の効率は低下したといわれている。

結局,85年の金利の2度にわたる引き上げもあって,こうした経済過熱は86年にはやや鎮静化した。しかし,依然上述の賃金,二重価格制度等に問題が残されていることもあって,87年後半以降経済は再び過熱している。

企業の改革を本格的に進めるためには,企業の利潤が正しくその企業の業績を反映しなければならない。そのためには,価格・賃金改革に着手する必要があり,89~93年にかけて実施される予定であった。しかし,88年1~9月の鉱工業総生産額は前年同期比17.5%と急増しており,物価上昇率も同16%と高水準であるため,10月には今後2年間は物価の鎮静化や基本建設投資の圧縮等の経済調整策を採る方針が決定した。

(3)過熱のなかで悪化した収支・対外債務

85年の過熱時には,中国経済の弱い部分が明らかにされた。それは,原材料や資本財の自給がほとんど出来ていないため,生産の伸びが高くなるとそれらのひっ迫が激しくなってしまうことであった。特に鉄鋼は,1950年代から一貫して大きな投資がなされてきたにもかかわらず,これまでの企業設備投資の活発化のなかで需要が大きく伸びたため(付図3-14図),国内供給量との差が開いている。他の重工業部門も,依然輸入依存度が高く(第3-5-5図),国内需要超過分を補うための製品が大量に輸入され,貿易収支赤字が大幅に拡大した。84年の改革開始以前は,ほぼ収支均衡していたものが,85年には149億ドル,86年120億ドルと大幅な貿易収支赤字となった (第3-5-6図)。このため86年以降輸入抑制策がとられ,輸入がほぼ横ばいとなったため,貿易収支赤字は急速に改善した(87年38億ドル,88年上半期11.5億ドル)。

一方,対外借入(実績ベース)もこのところ増えており,85年26.9憶ドル,86年50.1億ドル,87年58.1億ドルと拡大し,88年11月時点で対外債務残高は約300億ドルと伝えられている。1990年代前半にこうした対外債務の支払いがピークに達するといわれている。

(4)輸出指向型経済への転換

以上のように,85年以降の大幅な貿易収支赤字や,ここ数年で急拡大している対外債務等の問題があるなかで,外貨の獲得が急務となっている。86,87年にかけアジアNIEsが活発な輸出攻勢をみせる中で,中国も,これまでの輸入代替型産業から,輸出指向型産業中心の経済に移行しようとしている。

78年に開放政策を採るまでは,輸入額をなるべく小さくするために,人民元の対ドルレートは割高に設定されていたが,85年の改革にいたって国内需要が急拡大し,輸入が急増したため,86年には為替レートを実勢にあわせて大きく切り下げた(対ドル15.8%)。このため86~88年では軽工業品,特に衣料,繊維の輸出が好調となっている (第3-5-6図)。

(5)沿海地区経済発展戦略

輸出指向型経済への転換をはかるため,88年には「沿海地区経済発展戦略」の下に,沿海地区が重視されるようになっている。これは国家計画委員会の王建氏によって提唱された「国際大循環論」が理論的根拠になっている。これまで中国は重工業に力を入れてきたが,その重工業の輸入代替化は当分不可能という前提にたち,他のNIEsがたどってきた発展形態に学ぼうというものである。比較的中国に有利性のある労働集約的産業を,輸出に便利な沿海地区に設置し,外貨の獲得を目指す。そして順次内陸部も工業化をすすめる。国内を段階的に工業化する戦略である。

これまで各省・市の地方政府は,利潤が多い所はそれだけ多く中央政府に上納しなければならず,自分の地域で出した利潤が自分の地域で使えない状態であったため,特に上海等のすでに工業化が進んだ大都市ではインフラ等の設備更新もままならなかった。しかし,88年から財政の請負経営責任制が多くの省・市で開始したため,各省・市は毎年定額を中央に収めればよくなり,地域の利潤が増えれば取り分も増えるとあって,沿海地区企業のインセンティブは高まってきている。

こうしたなかで国内の基本建設投資は沿海地区に重点的に行われるようになり(87年シェア51.2%),国全体の鉱工業総生産に占める割合も拡大している(同61.2%)(第3-5-7図)。

一方,沿海地区の都市近郊の農村では,農村部の改革(78年開始)によって豊かになった農村の余剰資金を利用して郷鎮企業(農村工業企業)が発達している。今世紀末までに約1.8億人といわれる農村部の余剰労働力を吸収することにもなり,中国に優位性のある労働集約的製品で外貨獲得も狙えるとして,沿海地区発展戦略の一貫として有望視されている。郷鎮企業は,88年1~8月で前年同期比33.4%増と急成長している。

中国は現在,市場原理を大胆に取り入れる改革を進めている途上である。特に深しん経済特区等では,香港という太平洋圏への窓口を活かし,2000年までに国際的な経済ルールの通じる地域となるべく,法規の整備,国際貿易ルールの導入を進めている。また,他の沿海地区でも,中国の優位性を活かした輸出指向型産業の育成に力を入れている。

88年に入っては,経済が過熱状態(鉱工業総生産1~9月前年同期比17.5%増,小売物価上昇率同16%)となったことから,10月には今後2年間は大幅な改革の前進は行わず,経済調整に力を入れるとの方針が打ち出された(基本建設投資の圧縮等)。

しかし,今後も一層の対外貿易,経済関係を強めていく方向が変わらないならば,経済調整をこなし,豊富な労働力を活かし,アジアNIEsの後を追う形の発展も可能であろう。