昭和63年
世界経済白書 本編
変わる資金循環と進む構造調整
経済企画庁
第2章 変貌する世界の資金循環
戦後のアメリカの経常収支およびその裏側の資本収支を概括すれば,80年代に入るまではおおむね経常収支の黒字傾向,資本の流出傾向が続いたが,80年代に入り状況は一変し,経常収支が赤字となり,アメリカは資本の流入国に転じた。本節では,アメリカの70年代までの資本流出と80年代に入っての資本流入への転換の状況,並びに資本の国際間移動の要因について考えてみることとする。
戦後のアメリカは,80年代に入るまでは世界経済にとっての基本的な資金供給国であった。アメリカの経常収支は,70年代には石油輸入代金の拡大により,その黒字比率を減したものの,おおむね80年代に入る前までは黒字基調であり,その裏側で世界への資本供給がなされ,アメリカのネットの対外投資ポジションは累積していたのである。
このアメリカの資本供給の内容の特徴を時期的にみると,まず50年代にがけては援助等が中心であった。戦災からの復興過程にあり,ドル不足の状態にあった西欧,日本等に対して,マーシャルプラン等の形で援助がなされ,ドルの流動性が供給されたのである。これに対して60,70年代を通してみると (第2-2-1図),アメリカの多国籍企業の発展を反映して,直接投資の形での資金供給が大きなウエイトを占めている。また,70年代には銀行部門の資本供給も著しく増加した。このように,戦後のアメリカによる資本供給は比較的安定的な形態の資金によってなされていたといえよう。
ただし,一方でドルについては,60年代以降の西欧諸国の復興・高成長の中でドル不足からドル過剰へと転じ,また,貿易収支が赤字に転じてドルが切り下げ圧力にさらされる等のため,71年にはアメリカは金・ドル交換を停止し,変動相場制への移行につながったことに留意する必要がある。
まずアメリカの対外直接投資をみると(第2-2-2図),米企業の海外進出は60年代以降増大し,特に石油産業とヨーロッパへの製造業の進出が主流となった。対ヨーロッパ投資増大の要因としては,短期的利潤の追求よりもむしろ市場の確保が大きかったとみられ,ECやEFTAの形成が米企業のヨーロッパ進出の特に重大な契機となった。ヨーロッパは成長市場であり,EC等の形成は規模の経済の見込める大市場の形成を意味したのであるが,一方でそれが関税同盟であるがゆえに,アメリカ企業は輸出よりも直接投資による現地生産・販売形態の方を選択したのである。また,中南米も潜在的に大きな市場を持つが,ここでも市場確保のための投資が行われた。
70年代に入ると,71年のニクソン・ショック,世界的なインフレの高まり,変動相場制移行後のドル減価等に加えて,それまで米企業の強みであった技術優位がECや日本の追い上げで相対的に弱まり,さらに石油危機に刺激された資源国のナショナリズムの高揚もみられるなど,米多国籍企業を取り巻く環境には厳しさもみられたのであったが,アメリカの対外直接投資は70年代を通じてヨーロッパを中心に引き続き順調に拡大した。
次にアメリカの対外銀行勘定をみると(第2-2-3図),60年代は総じて対外預金受け入れによって資金流入超であったものが,主要米銀の国際金融業務の活発化に伴い70年代に入り流出超に転じ,特に対外投融資規制の撤廃(74年1月)以降は対外貸出急増により,流出幅も急拡大した。この多くは,この時期に米多国籍企業の進出に伴ってその数を急増させている米銀の在外支店に対する貸付とみられ,ユーロ市場拡大の大きな要因となった。地域別には,米多国籍企業の進出やユーロ市場,カリブ海オフショア金融センターに対する貸付,ラテン・アメリカ諸国への貸付等を反映して,イギリスをはじめとする西欧と中南米のウェイトが高かった。
80年代に入ると状況は一変し,82年に貿易収支赤字の拡大等により経常収支は赤字に転じ,その後もドル高やアメリカの相対的高成長などもあり,赤字幅が大きく拡大して資本の流入国に転じている。 第2-2-1図 および付図2-2は,アメリカの80年代の経常収支の赤字への転換・拡大とそれをファイナンスするための資本の流入状況をみたものであるが,その特色をみれば,海外民間主体による対米証券投資が大きく拡大するとともに,銀行部門が83年を境に貸出から借入へと大きく転じ,直接投資は受け入れ基調となった。また,公的資金が86年以降純流入となっている。
このような資金フローの変化の積み上げによりストックとしてのアメリカの対外純資産ポジションは大きく変化した。81年に1,411億ドルの対外純資産残高を誇ったものの,82年以降の経常収支赤字により85年末には対外純債務残高が1,107億ドルと債務国に転じ,しかも世界最大の債務国となった。87年末にはこの純債務残高は3,682億ドルに達している。87年末の対外債務残高をグロスでみると1兆5,360億ドルであり,政府・民間債務残高合計8兆773億ドルの約2割程度となっている(80年末約13%)。家計のホーム・モーゲージ,消費者信用,企業の社債,銀行借入など民間の種々の債務残高の80年末から87年末までの年平均伸び率がおおむね10%前後となっているのに対し,政府債務残高,対外債務残高はそれぞれ約15%,17%と相対的に高い伸びとなっている (第2-2-1表)。
資本流入の背景を実体経済面からみれば,81年のレーガン政権による「経済再生計画」において,大幅減税の一方で社会保障費,国防費等の歳出が増大し,大規模な財政赤字を生み出したことがある。この財政赤字拡大のなかで国内需要の強さを反映して輸入が拡大する一方で,82年央以降の中立的ないしやや抑制的な金融政策のもとで実質高金利・ドル高が継続し,これが貿易収支・経常収支赤字の拡大とその裏側の資本収支黒字の拡大をもたらしたのである。
そのアメリカの財政赤字は,第1章第3節でみたようにアメリカの貯蓄率が低下し家計等も借金が増えているなかで巨額化してきており,83年度以降86年度まで各年度ともほぼ2,000億ドル前後となった (第1-3-2表)。これに伴い赤字補填のための国債の発行残高も80年末9,302億ドルから88年3月末には2兆4,876億ドルと約2.7倍の規模まで膨らんでいる。これを所有者別にみると,全体の約7割を民間投資家(外国政府を含む)が占めているが,そのうち海外の所有額は,88年3月末で3235億ドルと,商業銀行や保険会社等の他の所有者に比べても大きい。民間部門に占める海外の所有シェアは,85年以降高まってきているが,特に87年以降はその限界的シェアの急激な高まりにより,88年3月末には18.2%となっている。さらに海外の米国債保有残高(中長期債)を地域別にみれば,88年3月末ではヨーロッパが50%,アジアが40%のシェアを保有しており,このうち西ドイツ,日本とも総残高のほぼ25%ずつを占めている (第2-2-2表)。なお,国債残高の巨額化に伴い発行側である政府には長期化を指向する傾向がみられ,民間保有分米国債残高を満期別にみても,1年未満のシェアが低下し(80年末48.7%→87年末33.9%),20年以上の長期物のシェアが高まってきている(同5.0%→10.5%) (付表2-4)。また,米議会において30年物国債の発行上限が撤廃された(88年10月)。
一方,資本流入の金融・資本移動的な観点からの要因には,大きく分けて,①ドル建て金融資産の収益性等の要因,②制度的変化による要因,及び③直接投資に関連する要因の3つを考えることができよう。
第1のドル建て金融資産の収益性を考えるには,さらに①金利要因,②資産価格変動要因(キャピタル・ゲイン/ロス),③為替要因を考慮する必要がある。
国債等固定金利商品では,①は表面金利,②は流通価格の値上がり・値下がり期待に相当し,株式等では,①は期待配当率,②は株式市場における値上がり・値下がり期待に相当する。いずれも,外国人が自国よりアメリカの方を有利とみれば,ドル資産への需要が高まりアメリカへの資本流入要因となる。③の為替要因については種々の要素がある。(ア)ドル安時には,外国人が自らのポートフォリオにおけるドル資産が相対的に過少と判断することからドル資産への需要が高まる。また,ドル安に伴い将来のドル高期待のある場合,ドル資産への投機的需要が高まる。逆にドル先安期待の強い状況ではドル資産の自国通貨建て価格は下落するため,上記①,②との総合が必要である。なお,ドル資産への選好の高まり自体はドル高要因である。(イ)ドル高時においても,一層のドル先高期待があれば,ドル資産は選好される。しかしながら,ドル高,外国人のドル資産選好,アメリカへの資本流入のスパイラルは,これが継続すれば市場は安定的でない。この安定性のためには,ドル高に伴うドル先安感の醸成により,ドル資産選好が弾力的に減少する時点がくる必要がある。
このように考えると,まず80年代前半には,アメリカの高金利が資本流入の誘因として作用し,これがドル高をもたらしたが,一層のドル高期待から資本流入が続いた。その後85年初からのドル高修正は,市場の安定化の動きとも考えられる。しかし,85年以降のドル相場が低下した局面においても,ポートフォリオ選択の観点,為替先行き期待の観点および流通利回り低下のもとでのキャピタル・ゲインの観点を総合して,その収益性は86年前半までは資本流入の要因として働いたと考えられる。その後86年後半から87年には,次項3.でみるように,アメリカへの証券投資の流入は大幅に減少した。これはドル先安期待が強まり,金利要因,資産価格変動要因よりも,自国通貨建て価格の下落の懸念が強まったためといえよう。この中で,外国人は国債は売り越し,社債取得は減少し,かわって株式取得を増加させ,株価上昇期待の続く中でポートフォリオの調整を行う形となった。しかし,これは本章第5節でみるように,国債価格下落と株価上昇という金融資産価格の逆方向の動きとなり,87年10月の株価大幅下落により両者の裁定が急激になされることとなった。また,88年に入っては,ドル相場が比較的安定しているなかで,金利格差が再び資本流入側の要因として作用している。なお,収益性とは若干異なるが,82年以降の累積債務問題の顕在化は,リスクの大きい中南米向け融資の縮小という形で,ネットでみた資本流入の要因として働いた。
第2の制度的変化による要因では,これをさらに,①アメリカ自身の金融自由化等の進展による,アメリカの金融・資本市場の魅力増加という面と,②アメリカ以外の資本自由化の進展による,ドル資産への潜在需要の顕在化という面に分けることができよう。
アメリカ自身の要因については,70年代後半からのインフレの高進,市場金利の上昇と預金金利の上限規制等との相互作用のなかで,銀行の預金獲得・貸出という活動が不利となったことへの対応として現れてきた,①IBF(ニューヨーク・オフショア市場)の創設と,②金融革命という要因を挙げることができる。IBFの創設は,第1節で述べたように,国外のユーロ市場等へ流出しがちだった米銀の活動をアメリカ国内に引き戻すとともに,様々な金融商品の輩出,規制緩和を伴った金融革命と並んで,アメリカの金融・資本市場の効率性を高め,内外の金融取引主体にとってのアメリカ市場での取引の魅力を高めたのである。なお,本来この要因は,資本流出入にとっては中立的であるが,アメリカの経常収支が赤字となるという環境の下では,その円滑なファイナンスに寄与したと考えられる。一方,アメリカ以外の主要国でも,78年のIMF協定改定で,資本取引についても国際収支上の理由による規制が禁止されたこと等を契機に,80年代半ばにかけて資本の自由化が大幅に進展した (付表2-1)。これは従米,規制の下に潜在需要として存在していたドル資産への需要を顕在化させたという点で,資本流入の要因となったと考えられる。
第3の直接投資に関連する要因の内容は様々である。IBF等によるアメリカの金融・資本市場の活性化は,他国の金融機関にとってアメリカ国内での金融活動の魅力を高め,その対米直接投資を促進したであろうし,また,貿易摩擦や85年以降のドル安も対米直接投資の促進要因として働いたのである。輸出自主規制や輸入数量制限のような量的規制がある財については,アメリカにおける財の価格上昇から期待収益率も上昇する。このため,貿易摩擦要因とはいっても,収益上の裏づけがある経済合理的な直接投資になる。またアメリカの消費者にとっても,アメリカ国内生産の拡大により価格が低下し,便益を受ける。
このように,貿易上の量的規制により引き起こされる対米直接投資は,アメリ力および投資国の双方にとって,量的規制により減じられた貿易の利益の一部を回復するという意味で経済的利益があろう。
80年代のアメリカの資金フローについて,まず民間の対米証券投資の動向をみると (第2-2-1図 及び第2-2-4図),84年に急増し始め,86年前半まで増大した(民間対米証券投資残高,83年末1,477億ドル→86年末4,003億ドル)。84,85年の増加は米国債と社債が中心であった。この背景には,アメリカの財政赤字の拡大に伴う米国債の増発に加え,アメリカ国内の企業買収が増え,そのファイナンスのための社債発行が増えていたことや,外国人に対する源泉利子課税撤廃(84年7月)等があると思われる。また,この時期は第2-2-5図のようにアメリカの金利が低下しドル・レートも低下傾向にあったが,ドル建て金融資産の収益率について,金利低下によるキャピタル・ゲイン期待がそれによる収益性低下や為替差損予想を補って余りあると考えられたことがあったと思われる。株式への投資も株価上昇を受けて85年後半から86年前半にがけて増大した。
しかし,86年後半以降,証券投資は徐々に減少した。これは主に内外金利差の縮小,ドルの先行きに対する不安の高まりによるとみられる。米国債はドル減価の中で86年後半から87年7~9月期まで売り越しとなった。一方,社債は米国債に比べ減少の始まる時期もペースも遅いが,これは必ずしも債券がドル建てではなく為替リスクが少ないこと等によるものと思われる。また,株式は86年後半に株価の伸び悩みにより減少した後,債券投資からのポートフォリオ調整や株高基調を反映して87年前半は高水準の投資となったが,87年10月の株価大幅下落(本章第5節参照)により売り越しに転した。証券投資全体でみると,87年4~6月期以降の長期金利上昇による社債への投資減少や10~12月期の株式の大幅売り越しから,10~12月期には売り越しとなった。この結果,87年末の投資残高は4,228億ドルとなり,86年末残高からはわずがな増加となった。債券別にみると,米国債784億ドル,社債1,710億ドル,株式1,734億ドルとなっているが,社債については83年末の約10倍の規模まで膨らんでいる。また所有国・地域別には,社債・株式残高の70%と多数をヨーロッパが占めているほか,日本11%,カナダ9%などとなっている。88年1~3月期には株価大幅下落後の欧州等の金融緩和に伴う内外金利差の拡大や景気拡大の持続から,主に米国債への投資が増大したほか,株式の売り越しもほとんど無く,再び買い越しに転じ,その後も民間対米証券投資は再び増大している。
なお,以上の流れをあらためて国・地域別にみると,日本は85年の対米長期国債投資の中心を占めたが,その後は投資の中身を社債,株式にシフトし,特に87年には投資の大半を株式に振り分け,株価大幅下落後も主要国が軒並み売り越しに転ずるなかで買い越しを続けた。また88年1~3月期には米国債を大きく買い越している。西ドイツは対米長期証券投資の大半を米国債に振り向けており,86年以降増加している。イギリスはユーロ市場での起債が多い関係から社債が圧倒的に多いが,米国債,株式についても比較的高水準の買い越しとなっており,総額では最大の対米長期証券投資国となっている。株価大幅下落後は株式を売り越し,その分米国債を大きく買い越している。この他,台湾をはじめとするアジアNIEsの米国債投資が急増しており,87年には西ドイツに次ぐものとなった.(アメリカ財務省)。
次に外国政府の対米資産増加の動向を米側統計でみると(付図2-3),85年以降のドル相場の下落と他の主要通貨に対する金利差縮小により,ドル建て資産は非居住者にとってその魅力を低下させたため,86年にはアメリカへの民間資本のネット流入では経常収支赤字をかなり下回った。その反面,結果として外国中央銀行の公的準備資産が大幅に積み増しされた。さらに87年前半にはこの傾向が加速し,7~9月期にドル相場がやや堅調で公的資金のネット流入は大幅に縮小したものの,10月の株価大幅下落によりドル相場は再び下落して,公的資金の流入は再び急増した。この結果,87年末の外国政府対米資産残高は2,831億ドルとなった(85年末2,026億ドル)。これらのほとんどは米国債で運用されており,その87年末残高は2,191億ドルとなっているほか,銀行預金318億ドルなどとなっている。また,ヨーロッパが総残高の45%を占めている。その後も88年1~3月期まで高水準の公的資金流入(247億ドル)が続いたが,4~6月期には流入はわずかなもの(58億ドル)となっている。
外国政府の対米資産純増を先進国,OPEC,その他に分けると,OPECが石油収入の減少を賄うためドル資産を取り崩しマイナス基調となっている一方で,先進国の資産増加が著しい。この外貨準備の増加のながには非ドル準備の評価額増大および非ドル準備そのものの増大もかなりあるが,これを割り引いても,第1章第3節で述べたように,87年には1,307億ドルの増加となり,アメリカの87年の経常収支赤字の大宗を結果としてファイナンスした形となっている。ドル安の継続のなかでアメリカ経常収支赤字ファイナンスの主体が外国の民間部門から政府へとシフトがみられたともいえよう。
このところの対米資本流入で顕著な増加をみせているものに直接投資がある (第2-2-6図)。まず,80年代全体を通した資本流出入のネットベースの動きをみれば,80年代前半はアメリカ以外の相対的低成長によりアメリカの対外直接投資は鈍化し,中盤以降はアメリカの直接投資自体は回復したものの,アメリカへの直接投資が盛んとなったため,おおむね受け入れ基調となった。ただし,87年にはアメリカの対外直接投資も増大したため純流出となった。対米直接投資をグロスベースでみると82,83年にはアメリカの景気後退の影響により落ち込んだものの,その後,アメリカ産業のリストラクチュアリングの進行等に伴い増加し,さらに86年以降増大して87年は対米資本流入のうち直接投資は420億ドルと,全体に占めるシェアは約2割に達している。
87年の投資額を業種別にみると,総額420億ドルのうち製造業204億ドル(86年総額341億ドル中119億ドル),サービス業88億ドル(同169億ドル),石油64億ドルなどとなった。この結果87年末投資残高は2,619億ドルとなり,そのうちサービス業1,094億ドル(卸・小売471億ドル,金融・保険378億ドル,不動産245億ドル),製造業910億ドル,石油354億ドルなどとなっている。また,地域別にみると,年間投資額の約8割をヨーロッパが占め,そのうちイギリス186億ドル,オランダ79億ドルなどとなり,次いで日本が62億ドルであった。年末残高内訳は,ヨーロッパ1,780億ドル(イギリス749億ドル,オランダ470億ドル,西ドイツ196億ドル),日本334億ドル,カナダ217億ドル,中南米153億ドルなどとなっている。
このように対米直接投資が増加してきていることは,ドル安の継続のなかでアメリカの経常収支赤字ファイナンスの投資対象を証券投資から直接投資へとシフトさせてきているともいえよう。しかし,アメリカの直接投資増については,製造業とサービス業に,そしてサービス業のなかでも不動産とそれ以外に区別する必要があろう。基本的に製造業の直接投資について,為替レートはその直接的決定要因というよりは加速要因と考えるべきであろう。ドル安の下で対米製造業直接投資が増加したのは,ドル安そのものよりもむしろ貿易摩擦回避,企業のグローバリゼーションの強化などがその基本にあると考えられる。
最近の対米直接投資の多くを占めるのはサービス業への投資である。サービス業投資は製造業に比べて早期に高い収益を生み出せるといえよう。サービス業の中では,現地販売機能強化から卸・小売が増加し,またIBFの設立による金融機関の対米進出および取引実績作りなどといった金融のグローバリゼーションにより金融・保険も増えている。さらに最近,特に注目されるのはM&A及び不動産投資の増大であり,この不動産投資は証券投資とかなり代替的傾向があり,ドル安の効果を最も強く受けている投資といえよう。
対米直接投資の増加は,特に製造業分野での貿易収支改善や競争力強化につながることが期待される。なお,対米直接投資の増加について投資摩擦問題等を懸念する向きもあるものの,外国の対米直接投資ストックのアメリカ国内の資本ストック(民間非住宅)に占める割合はわずかなもの(86年末3.2%)となっている。
以上みたように,アメリカは80年代に入って経常収支赤字を継続させ,その中でそれに対応する資本流入は,83年以降銀行部門が,さらに84年以降は証券投資が大きなウエイトを占めてきたが,86年から88年初にかけてはドル安や金利上昇局面でのキャピタル・ロスへの懸念が発生するなかで,民間資金の証券投資が減少し,外国政府の公的資金とキャピタル・ロスの恐れが比較的少ない直接投資へとシフトした。今後の資本取引については,ドル・レート等の動きに負うところも大きいと考えられるが,直近の88年4~6月期の資本流入状況をみると,M&A等に伴い直接投資や銀行部門の流入が増加したほか,5月以降ドルが上昇基調となるなかで証券投資が回復し,公的資金流入はわずかなものとなった。
80年代の資本流入の結果,アメリカは世界最大の債務国に転じたが,これはアメリカの貿易・財政の赤字が累積し,政府・民間とも対外債務を大幅に増加させたためである。例えば,アメリカの87年のインタレスト・サービス・レシオ(=投資収益支払い額/財・サービス輸出額)は20%,87年末の対外債務残高(グロス)の名目GNP比,財・サービス輸出額比はそれぞれ34%,361%となっている。これは本章第4節でみるとおり,数字の上では中南米や中南米を含めた重債務国とほぼ等しいものとなっている。もちろん,基軸通貨国であることや,債務返済能力等を含めた債務管理面において,両者には大きな違いがあろうが,アメリカが国際金融・資本市場から受ける,あるいはそこへ与える影響は大きくなってきており,アメリカの慎重な経済運営が望まれる。