昭和63年
世界経済白書 本編
変わる資金循環と進む構造調整
経済企画庁
第2章 変貌する世界の資金循環
経常収支赤字の拡大に伴い資本輸出国から大幅な資本輸入国に転じたアメリかに替わって,今日では日本と西ドイツが資本輸出国として大きな役割を果たすようになっている。このような資本輸出国の交代は,単に資金の流れの方向を変えるだけでなく,世界全体の資金循環の構造や国際金融取引の形態をも変化させる可能性がある。本節では,日本と西ドイツの資本輸出に焦点を当て,その特徴をみた上で,両国がアメリカに替わって世界の資本輸出国となったことの意味についても考えてみることとする。
戦後,アメリカの援助等により復興を開始した日本と西ドイツは,当初は経常収支の赤字の中で資本輸入国であったが,戦後の復興が進むにつれて強化されてきた輸出競争力を背景に,経常収支は黒字傾向に転じ,資本輸出国となった。
両国のこ札までの足取りをみると,必ずしも同じような発展過程をたどったわけではなく,西ドイツでは1950年代後半にはすでに経常収支の黒字傾向を示していたのに対し,日本の経常収支が黒字基調に転じるのは1965年頃であるというような差がみられる(付図2-4)。しかし,80年代に入ってからは両国とも,①ドル高の下で対米競争力が強化されたこと,②財政政策のスタンスがアメリカと逆になったこと,等を背景に経常収支黒字が大幅に拡大し,現在では世界の主要な資本輸出国となっている。
80年代に入ってからの経常収支黒字の拡大は,対外純資産を急速に拡大させることになり,ストックの面でも両国はがってのアメリカに替わる世界の債権大国となっている。西ドイツの対外純資産残高は86年6月末で833億ドル,日本の対外純資産残高は87年末で2,407億ドルとなっており,共にGNP比で約1割の規模に達している。
こうした対外純資産の積み上がりをグロスの資産・負債に分けてみると,西ドイツでは80年末で対外資産残高のGNP比が32.9%,対外負債残高のGNP比が28.5%となっており,以前から資産・負債ともに規模が比較的大きかったことがわかる。それに対し,日本では同じく80年末で,それぞれ15.1%,14.0%にすぎず,最近に至るまで資産・負債のグロスの規模が小さく押さえられてきたということができる (第2-3-1図)。
この背景としては,第1に両国の資本取引自由化の進展の違いがあげられる。西ドイツでは1961年の対外経済法で居住者による資本輸出が自由化され,70年代には非居住者からの資本輸入の自由化が大幅に進展する(81年に資本輸入に関する残存規制が全廃)など比較的早期から自由化が行われてきた。それに対し日本では,80年に外国為替管理法が改正され為替管理が原則自由化されたものの,外国為替先物取引に関する実需原則,外国為替の直物持高規制は84年まで継続していた(付表2-1参照)。日本では,こうした資本自由化の遅れが資産・負債の両側をにらんだポートフォリオ管理を困難にしていたものと思われる。しかし,最近における自由化の進展とともに,日本でもこのところ対外資産・負債の両建での積み上がりが進んでいる。
また第2に,西ドイツについては,その隣国であるルクセンブルクを中心とした国々との間の取引がある程度の役割を果たしているものと思われる。すなわち西ドイツの銀行は,本国においては①総与信規制及び大口与信規制,②最低準備制度による準備積み立て義務が課されていることなどもあって,相対的に金融規制の緩いルクセンブルクなどの近隣諸国へ以前から進出している。こうした銀行は,いったん本国から短期で資金を取り入れたうえで,本国の企業に対して長期資金を供給するという行動をとっているものとみられ,このような国境を越えた信用の増大により,西ドイツでは以前から対外資産・負債が両建で積み上がっているものと考えられる。
ちなみに西ドイツ国内銀行の対外債権・債務残高の国別シェアをみると (第2-3-1表),債権・債務ともにルクセンブルクの占めるシェアが1割前後となっている。これはイギリスを除く他のヨーロッパ諸国やアメリカ,日本のシェアと比べてもかなり高く(88年6月末,債権側,イギリス15.7%,フランス5.5%,イタリア4.6%,アメリカ4.4%,日本3.0%),ルクセンブルクが西ドイツにとって,イギリスとともに重要なユーロ市場となっていることを示しているものといえよう。
日本と西ドイツの資本輸出を形態別,地域別にみてみると,いくつかの点でかつてのアメリカとは異なった特徴を示している他,日本と西ドイツの間でも相違点がある。
第2-3-2図は,日本と西ドイツの経常収支黒字がどのような形態で海外に還流しているのかをみたものである。これによると日.本は,87年には経常収支黒字が870億ドルであるのに対し,証券投資のネット流出幅が938億ドル,外貨準備を除く金融勘定(為銀の短期ポジション)のネット流入幅が688億ドルとなっており,主に証券投資によって資本を出す一方で,経常収支黒字を上回る資本流出については,主に為銀部門の短期の資金調達によって補っていることがわかる。すなわち,①短期借り・長期貸しの構造となっている他,②長期の資本流出の中でも特に証券投資が中心となっている点に特徴があるといえよう。
資本流出の中でも特に証券投資が中心となっているのは,円が基軸通貨ではないため対外資産の多くが外貨建て(主にドル建て)になっており,為替リスクがかかるために,個々の主体にとって,流動化しやすいという意味でリスク管理が比較的容易な証券に投資対象が偏り易かったという事情が考えられる。
また,国全体としての短期借り・長期貸しという構造の背景としては,まず第1に,①外国為替銀行(為銀)による短期借り,②生保・投資信託等といった機関投資家による長期貸し,という2つの国内の主体の異なった行動をあげることができる。すなわち,機関投資家は主に国内の円資金を原資としたいわゆる「円投型」の対外証券投資を行っているが,それに必要な外貨については,為銀が主にユーロ市場から短期で借り入れて調達することになる。為銀はその一方で,貿易決済を通じて経常収支の黒字分だけ外貨を得ることになり,それによって借り入れの返済を行うが,経常収支黒字を上回る分については,ネットの対外短期負債を積み上げていくことになる。80年代に入ってからは,資本自由化措置が取られる中で,①運用先を多様化し,投資効率の向上及び天災等による資産価値減少リスクを分散させる必要性が認識されてきたこと,②アメリカの金利上昇により日米間の名目金利差が拡大したこと等から,機関投資家が対外証券投資を急拡大させ,それに伴って,上記のようなメカニズムを通した為銀の短期の対外借り入れが同時に拡大することになった。
また第2の背景としては,為銀の独自の対外投資が近年増加してきたことがあげられる。機関投資家が「円投型」の投資を中心としているのに対して,為銀は外国為替の持高規制を課されており,為替持高を生じない形で投資を行う必要があるため,外貨を短期で取り入れたうえで外貨建て債券を購入するという「外・外型」の投資を中心としている。このような為銀の「外・外型」証券投資は,①86年までの金利低下(二債券価格上昇)等によるキャピタル・ゲインの発生,②金融の国際化の進行による投資ノウハウの蓄積等により急激に増加し,日本の短期借り・長期貸しの構造をさらに強めることになった。
ただし,「長期貸し」という構造は,必ずしも投資家が長期にわたって資産を手元に持ち続けることを意味するわけではない。証券の場合はいつでも市場での売買が可能であり,実際,近年ではかなり長期債保有の短期化という現象が指摘されている。これは,①近年増加した為銀の「外・外型」の投資が,主に短期のキャピタル・ゲインをねらったものであること,②長期運用を基本としている生保等の機関投資家も,85年以降のドル安の進展により,キャピタル・ロスの恐れから市場の動きに敏感になり,短期売買の度合いを高めてきていること等によるものである。
一方,西ドイツは,86年には経常収支黒字が391億ドルであるのに対し,短期資本収支のネット流出幅が522億ドル,証券投資のネット流入幅が242億ドルとなっており,短期資本収支が流出超過になっている一方で,経常収支黒字を上回る短期資本流出については,近年では主に証券投資の流入によって補っている。すなわち,日本とは逆に長期借り・短期貸しの構造となっているという特徴がある。これは先に述べたようなルクセンブルク市場との緊密な関係によるところが大きいものと思われる。
しかしながら,87年には,経常収支黒字が450億ドルであるのに対し,短期資本収支のネット流出幅が114億ドル,証券投資のネット流入幅が47億ドルと,共に縮小するなどの変化がみられる。特に,87年後半以降は,西ドイツからの長期資本の流出傾向が顕著であり(第2-3-3図),88年には1~6月累計で既に506億マルクの流出超過となっている(87年の年間の流出超過幅は236億マルク)。この内訳をみると,87年1~3月期まで大幅な流入超過であった外国資本の対西ドイツ証券投資が,4~6月期以降ネット流入幅を縮小し,10~12月期には流出超過に転じたこと,西ドイツ資本の対外証券投資が88年1~3月期以降ネット流出幅を拡大したことが注目される(付図2-5)。この西ドイツ資本の流出は,ポンド建て債,豪ドル建て債,加ドル建て債,米ドル建て債等内外金利差の大きい債券に向かっている。
このように長期資本の中でも,特に証券投資の流出が著しく,西ドイツ国内債に対する投資の魅力が相対的に小さくなっていることが窺われる。その理由としては,①87年の春から秋にかけてアメリカの長期金利が上昇したのに対し,西ドイツの長期金利は86年以降おおむね6%前後で推移しており,対米でみて内外金利差が拡大したこと,②87年10月に,89年から債券などの利子等に10%の源泉徴収税を課すという政府方針が示されたことなどが考えられる。また,これは88年に入って生じたマルク安傾向の背景ともなっている。
さらに,86年から87年にかけて流出が大きかった外国資本の対西ドイツ証券投資を地域別にみると (付表2-5),EC諸国を中心に西側先進国の対西ドイツ証券投資が全体的にネット流入幅を縮小している。86年から87年にかけては,日本のネット流入幅が拡大しているが,87年中の動きをみるとやはりネット流入幅の縮小傾向がみられ,10~12月期には流出超過に転じている。
第2-3-4図は,アメリカと日本及び西ドイツの対外資産・負債構成を,各項目のシェアでみたものである。まず,日本と西ドイツの特徴を比べてみると,先にみたフローの資本収支の特徴を反映して,日本は資産側で証券投資の割合が高く(87年末,31.7%),負債側で民間部門の短期負債の割合が高い(87年末,70.2%)のに対し,西ドイツは資産側では民間部門短期資産の割合が高く(86年6月末,銀行部門と企業・個人部門の合計で35.0%),負債側では日本に比べて長期の負儂の割合が高い(86年6月末,民間部門長期負債41.0%)ことがわかる。
しかし,このように両国で違いはあるものの,日本・西ドイツともに,対外資産の構成において,直接投資及び銀行部門の貸付が中心であったかつてのアメリカとは大きく異なったものであることが注目される。特に,日本とアメリかについてみると,87年末で直接投資のシェアカが日7.2%,アメリカ26.4%,証券投資のシェアが日本31.7%,アメリカ12.6%となっており,証券投資中心の日本と直接投資中心のアメリカとではかなり対照的である。
このような対照性は,債権国化するに至った経済力の強さが,通貨制度等の国際経済システムにおける役割の重要性や政治的な発言力を伴ったものであるか否かによるものであると思われる。すなわち,かつてのアメリカの場合は,①経済力だけでなく国際社会に対する影響力という面で全般的に強い力を持っていたため,直接投資によって外国に固定化された自国資産の安全性をある程度確保することができたし,②基軸通貨国であるため金融資産のほとんどが自国通貨建てであり,為替リスクを受けず,銀行部門の貸付という短期的に流動化しにくい資産を大量にもつことが可能であった。それに対し日本の場合は,①経済力の拡大にもかかわらず,自国の力のみで外国にある実物資産の安全性を常に支えることは困難であるし,②近年円の国際化が進んできたとはいえ,外貨(主にドル)建てで資産をもつことが多く為替リスクが生じるため,比較的流動化しやすい証券投資中心の資産構成となっている。
また,西ドイツもアメリカと比較すると,日本と同様に直接投資のシェアは低く (86年6月末,9.6%),対外資産の固定化の度合いが小さいが,日本ほど証券投資中心型ではなく銀行部門の短期資産及び借款のシェアが高くなっている(86年6月末で,それぞれ1・4.9%,14.7%)。この背景の1つとしては,西ドイツがECという独自の経済圏の中で主導的な立場にあるため,特にEC域内ではマルク建てでの金融取引が以前からある程度行われており,こうした域内の取引においては為替リスクをあまり気にしなくても良かったという事情が考えられる。金融取引面での各国通貨の役割を,銀行のクロスポーダー・ポジションの通貨別構成でみてみると (第2-3-2表),債権側でみて85年末に円のシェアが6.3%であったのに対し,マルクはその2倍弱の11.9%を占めており,マルク建てでの取引が以前から多かったことがわかる。ただし,近年の円の国際化の進展により円のシェアがこのところ急速に拡大し,87年末では債権側で13.0%となっており,マルクの13.3%にほぼ並ぶにいたっている。
アメリカと比較して対外資産に占める直接投資のウェイトが低いことが,日本・西ドイツの大きな特徴の1つであるが,日本ではこのところ直接投資の伸びが高まっているなど,直接投資の重要性は高まりつつある。
日本と西ドイツの直接投資残高(日本については累計額)は,各々1,393億ドル(87年度末),1,494億マルク(86年末)となっている。この業種別シェアを比較すると(第2-3-5図),日本では87年末で製造業が25.9%,非製造業が71.3%となっており,非製造業のシェアが高いのに対して,西ドイツでは86年末で製造業が44.1%,非製造業が55.9%となっており,最近低下してきてはいるものの日本に比べて製造業のシェアが高いことがわかる。また,日本では金融・保険業,不動産業のシェアの高まりが顕著である。
こうした特徴の背景としては,日本では,①急速な債権国化と金融の国際化によって,金融機関の活動規模・範囲も飛躍的に拡大したため,金融取引の中心であるアメリカ,ヨーロッパへの進出が必須であっとこと,②ドル安の進行によって割安となったアメリカの不動産への選好が高まったこと等があろう。
また,西ドイツの場合には地理的に他のヨーロッパ諸国と隣接しているが,こうした国は投資リスクが低く,貿易面でも相互依存関係が強いため,財の輸出を代替するかたちでの製造業の進出が促進されたことが考えられる。
また,地域別にみると(第2-3-6図),日本はアメリカ向け,アジア向けが大きなシェアを占めている。82年度末ではアジア向け(27.4%)が,アメリカ向け(26.3%)を上回っていたが,近年の金融業や不動産業の多くがアメリカを中心とした先進国向けであるため,87年度末ではアメリカ向け(36.0%)がアジア向け(19.1%)を上回るようになっている。一方,西ドイツはアメリカ向けのシェアが86年末で28.0%とやはり大きいが,ヨーロッパ向けが同47.8%と圧倒的に大きなシェアを占めている。
両国にとってアメリカ向けが大きなウェイトを占めている背景としては,①従来から両国の大きな輸出市場となっており,経済的に緊密な関係にあること,②投資リスクが小さいこと,③ドル安の進行によってドル建て資産が割安になっていること等が挙げられる。また,日本にとってのアジア,西ドイツにとってのヨーロッパは,経済関係が緊密な上,ともに地理的に近く歴史的にも密接な関係にあること等によるものと思われる。
直接投資による資本輸出は,投資先の国・地域の産業構造に対して大きな影響を及ぼす可能性があり,単なる資本移動以上の意味をもつものである。特に製造業の直接投資の場合には,その企業の持つ技術・ノウハウの移転が伴うため,投資先の産業力の強化につながる可能性を持つ。その意味で,豊富な資本と同時に高い技術力を持った日本及び西ドイツの企業の直接投資は,発展途上国の開発やさらにはアメリカの産業競争力の回復に対して,今後重要な役割を果たすことが期待されるところである(第3章第2節参照)。
日本・西ドイツの資本収支を国・地域別にみると(第2-3-7図),共に地理的,歴史的なつながりを強く反映した構造となっている。日本の場合はアメリカ向けの資本流出が,87年610億ドルと圧倒的に大きいのに対し(ただし統計の制約上,長期資本のみ),西ドイツでは西ヨーロッパ向けの資本流出が87年138億ドルと,アメリカ向けの同95億ドルよりも大きくなっている。また,日本は発展途上国に対しでも200億ドルの流出超過となっており,アジア諸国を中心に発展途上国向けにも流出超過幅が大きいことがわかる。
しかし,両国とも直接投資や相対型の金融取引の比率が低いため,必ずしも両国の資金が最終的にこれらの国・地域で利用されているわけではないことに注意する必要がある。証券等を媒介とする市場型の資金供給は,いわば世界全体としての資金のプールに対しての資金供給であり,最終的な資金の利用は世界の金融システムの機能に委ねられているといえる。
このように,世界における資本輸出国が基軸通貨国であるアメリカから非基軸通貨国である日本・西ドイツへと交代したことにより,世界の資本の流れはアメリカを中心とする直接投資,銀行貸付を主体とするものから,国際金融市場の機能を通じた間接的なものへと変化している。このような市場型の資金の配分は,個々の投資家にとっては第5節でみるようなリスクヘツジの手段の利用や,必要に応じた資産の流動化が比較的容易にできるため,より進んだリスク管理を可能にし,効率性を高めることにもなる。しかし,市場における期待の形成いかんによっては,投資家の一方方向への行動が集中することなどによって市場が不安定化することもあり,大きなキャピタル・ロスを発生させることにもなりかねない。今後とも,こうした市場型の資本の流れは,世界の資金循環の主流にならざるを得ないものと思われるが,以上のような観点から,各国の協調によって市場の安定性を図っていくことが望まれる。