昭和63年
世界経済白書 本編
変わる資金循環と進む構造調整
経済企画庁
第2章 変貌する世界の資金循環
一般的に,経常収支不均衡は国際金融・資本市場を通じてファイナンスされる一方,不均衡自体はより一層の国際金融・資本取引への需要を生み出している。そのため,経常収支不均衡の問題と国際金融・資本市場の発達は密接不可分の関係にあるといえる。70年代のオイルダラー・リサイクル問題,80年代のアメリカの経常収支赤字ファイナンス問題を契機として国際金融・資本市場は質,量ともに飛躍的な発展を遂げてきた。さらに最近では,こうした発達した国際金融・資本市場の存在が,逆に経常収支不均衡の問題を中長期的に存続可能なものにしているとの指摘もなされている。以下,本節では経常収支不均衡と国際金融・資本市場の規模拡大を振り返りながら,世界の資金循環構造,貯蓄・投資バランス,債権・債務関係の変化を概観する。
国際金融・資本市場は,①石油価格の大幅上昇で巨額のオイルマネーが発生し,これが主にユーロ銀行等で運用されたこと,②主要国が変動相場制に移行し,各国の短・中期的な国際収支制約が緩和され,国際金融・資本市場活用への制度的条件が整備されたこと等の下に,70年代半ば以降急激な拡大を示した。さらに,80年代に入ってからは,アメリカの経常収支赤字ファイナンスに伴う国際金融・資本取引への需要の高まりや,主要国での資本自由化の進展等を背景に,累積債務問題の表面化といった抑制要因にもかかわらず,国際金融・資本市場の規模は飛躍的に拡大した。また,各国の国内金融・資本市場も,金融 機関の相互進出(第5節参照)により結びつきが緊密となり,世界全体として金融・資本市場の国際的な一体化の傾向が強まってきている。
まず,国際金融・資本市場の規模を主要国のそれや実体経済と対比しながら概観してみよう (第2-1-1表)。第1にユーロ貸出残高(グロス)は80年末の1兆3,219億ドルから,87年末には4兆1,572億ドルと約3.2倍に拡大し,その拡大のテンポは年率17.8%に達した。これに対し,日本を除く主要国の国内金融市場の拡大テンポはおおむね10%前後にとどまった。日本は他の主要国に比べ,いずれの指標でみても伸び率は著しく高い。第2に資本市場については各国とも80年代に入って株価が急上昇したことや証券化等の動きもあって,その拡大テンポは内外ともに金融市場の拡大テンポを大きく上回っている。ただし,国際資本市場の規模については非居住者による各国内証券取得,外債発行,スワップ,さらには国際金融・資本取引の頻度自体の高まり等も考え合わせると,表中の数字はかならずしも実体をとらえているとはいえない。第3にロンドン,ニューヨーク,東京の世界3大市場での1日の為替取扱高をみると,グロスで2,400億ドル(86年3月時点)を上回っでおり,このことは貿易,その他の経常取引以外での様々な国際金融・資本取引に伴う為替需要が巨額になっていることを示している。国際金融・資本市場の拡大テンポが年率21.4%に対し,世界貿易額は同3.2%,4か国名目GNP合計は同7.8%となっている。このように,80年代の国際金融・資本市場の規模が,国内金融・資本市場や実体経済の規模をはるかに上回って拡大していることは明らかである。
次に,国際金融センター毎の規模をみると(第2-1-2表),国際金融・資本取引の活発化や金融機関相互の進出もあって各センターとも規模は急拡大している。地域別では,イギリスが最大であることに変わりはないが,アメリカ,日本が自国内にオフショア勘定を設置したことなどもあって規模拡大が著しく,特に日本は債権残高ベースで87年末には5,762億ドルと,イギリスの8,756億ドルに次いで世界第2位となっている。しかも,イギリス,アメリカ各市場で最も活発に取引しているのは日本の銀行であり,その意味では国際金融市場における日本のシェアはさらに高まるとみられる。また,アメリカの債務国化に伴って,アメリカ所在の銀行が国際金融市場に対し,87年に債務が債権を上回り,従来の資金流出超から流入超に転したことも注目される変化の一つである。
さらに,各国国内金融・資本市場と国際金融・資本市場の一体化が完全に進んだと仮定して,両者を単純に合計した世界の金融・資本市場の規模をみると(第2-1-1表),アメリカ,イギリス,西ドイツ,日本及びユーロ市場の合計で87年末に31兆5千億ドル強(うち金融市場13兆6千億ドル,資本市場17兆9千億ドル)で,これら4か国の名目GNPの約3,6倍の規模に達し,80年代中はGNPの約2倍のスピードで拡大している。
アメリカの経常収支赤字ファイナンスに伴う資金需要の高まりに対し,アメリカとその他先進国の長期金利はそれを円滑化する方向に作用した(第2-1-1図)。すなわち,83年1~3月期から84年にかけて,アメリカでは民間貯蓄率の低下の中で,財政赤字の大幅拡大とそれに主導された景気回復・拡大の下で金利が上昇する一方,その他先進国ではアメリカより貯蓄率が高く,また,おおむね財政が抑制基調を維持したことなどもあって金利は低下傾向を続けた。その結果,アメリカとの金利差は拡大を続け,ドル建て金融資産の収益率の高さに魅かれて,アメリカの経常収支赤字拡大を上回るテンポでの資本移動が生じ,これがドル高の背景となり,さらにドル高が経常収支赤字の拡大を加速するスパイラル現象となった。しかし,84年後半以降アメリカの景気拡大テンポが鈍化し,金融緩和の余地が広がったことや,その後の国際的な政策協調の下で,アメリカとその他先進国との金利差を縮小する形で全体の金利水準が低下するようになり,これがドル高修正に大きく影響した。この間,金利差は縮小に向かったものの,なおアメリカの金利水準は高く,金利低下によるキャピタル・ゲイン期待などもあって,アメリカの経常収支赤字ファイナンスは比較的順調に行われた。87年に入ると,金利低下余地の後退やドル安進行が大幅となったことなどもあって,国際金融・資本市場は動揺を示すようになり,結果的に赤字ファイナンスに占める公的資金のウエイトが高まる形となった。その後,ストックベースでの不均衡はなお拡大を続けているものの,88年に入ってフローベースでは改善傾向となり,アメリカとその他先進国との金利差がやや拡大するなかで,民間の国際金融・資本取引は再び活発化している。
80年代に入ってからの,国際金融・資本市場の急拡大の背景には,新商品の開発など市場自身のもつ内部要因のほかに,基本的に①基軸通貨国アメリカの経常収支赤字の巨額化,②世界的な資本自由化の進展‐の2つの要因があったとみられる。しかし,①の要因は②の要因の背景の一つにもなっているという関係にある。
国際金融・資本市場の発達とアメリカの国際収支悪化の間には密接な関係がある。ユーロ市場の成立,拡大,金・ドル交換停止などを経て変動相場制移行に至る過程の背景に,アメリカの国際収支悪化の問題があったことはよく知られている。こうして,戦後の国際金融体制が制度的に大きく変質したことと,2度にわたる石油危機という世界的な経常収支不均衡の問題とが重なり,70年代における国際金融・資本市場の量的な拡大が決定的となった。80年代には,石油危機に替わってアメリカの経常収支赤字ファイナンスの問題が生じ,その規模が過去に例をみない巨額なものとなったことから,国際金融・資本市場の様々な面で量的,質的な変化を促すことになった。
アメリカの経常収支赤字は,80年代には平均して名目GNP比1.7%に達したが,とりわけ85~87年の3年間では同3.2%,実額で4,000億ドルを越える規模となり,国際金融・資本市場に対して膨大な資金需要を提供した(BIS(国際決済銀行)の推計によれば,この間の国際金融・資本市場におけるネット資金調達額は7,350億ドル)。このことは,見方を変えればアメリカの国内金融・資本市場を広く非居住者に提供することを意味するが,非居住者にとってはドル建資産の増大による為替リスク回避等のため,債権・債務両側での取引が活発に行われ,折りからのディスインフレに伴う金利低下の影響もあってドルに対する資金需要は急拡大した。
次に資本自由化の流れを整理すると(付注2-1),第1には,すでに述べたような世界的な経常収支不均衡の中で,資金の出し手,取り手双方の資本の国際的移動に関する規制が緩和される必要があったことがある。特にアメリカ側からみれば,資金余剰状態にあり金利が相対的に低い国の資本市場からの資金調達がコスト低減のためにも求められ,資本輸出国側の企業・金融機関としても,金利の高いアメリカ等での資金運用が求められた。
第2は,アメリカのIBF(InternationaiBankingFaci1ities:ニューヨーク・オフショア市場,81年12月)や本邦オフショア市場(86年12月)の開設等にみられる先進国でのオフショア市場開設の動きである。オフショア市場ないしユーロ市場自身はそれ以前から存在し,①為替管理や金利規制がないことを基本に,②法律上の預金準備率がないこと,③法律上,ないし慣習上,預金保険が義務付けられていないこと,④利子源泉課税がないこと,加えて場合によっては,⑤所得税等の減免等のメリットの下に,次第にその規模を拡大させていた。しかし,80年代以前のこうした市場は,自然発生的なロンドン,香港の他は,発展途上国等が自らの金融産業振興をねらいとして内外の金融市場を分断した形で育成したもので,シンガポール市場を除けば多分にタックス・ヘイブン的な性格をもっていた(付注2-2)。
これに対してアメリカのIBFは,巨大かつ自由な国内金融市場をもつアメリ力が,一層の規模拡大と自由を求めてオフショア市場を開設したところに大きな意味があった。その直接的なねらいは,預金金利上限規制(レギュレーションQ,86年3月撤廃),預金準備率,預金保険制度等の国内の金融規制を嫌ってユーロ市場等に流出していた国際銀行業務を還流することにあったが,こうした形でアメリカが自国内での国際金融・資本市場を拡大させたことは,改めて国際金融取引の拡大には資本自由化が大きな影響力をもつことを示し,その後の主要国の資本自由化の加速化や,日本のオフショア市場開設等の一つの大きな背景となった。
第3には,各国独自の自由化への動きのほかに,アメリカからの資本自由化の働きかけがあった。80年代前半のドル高の主因は,アメリカ自身の財政・金融政策の動向にあったと考えられるが,アメリカ国内の一部等には,資本輸出国側の資本市場開放の遅れ等を指摘する向きがあった。また,在米金融機関の活動に比べて,諸外国における米系金融機関の活動が制約されているとの相互主義的な不満もあり,これらを背景に,例えば日米円・ドル委員会等の場において,アメリカ側から資本自由化の働きかけがなされた。
以上,いずれもいわばアメリカ側の実体経済上,金融上の事情が資本自由化の契機となったが,同時に,ある国際金融センターの資本自由化は,相対的に他の国際金融センターの地盤沈下要因になることもあって,多くの国で並行的に資本自由化が進展した。
ここではアメリカの経常収支不均衡,さらに一般に世界全体の経常収支不均衡との関係を眺めながら,資本供給国がどのように変遷してきたかをさらに詳しくみてみよう(付表2-3)。第2次大戦後,60,70年代末に至るまでアメリカはほぼ経常収支黒字を続け (第2-2-1図),世界に対して資本供給国としての役割を果たしてきた。それは日本や西欧の戦後復興,その後の高度成長にも大きく貢献した。ただ,当時の国際間の資本移動は極めて限られており(アメリカからの援助,直接投資形態が大半),また固定相場制には外貨準備の天井もあって,必然的に各国の経常収支不均衡もわずかなものにとどまっていた。しかし,西ドイツ,日本は50,60年代後半には経常収支,ないし貿易収支が黒字基調となり,対名目GNP比率でみても (付図2-4)単年では2%程度となった年もあった。
70年代から80年代初にかけては,2度にわたる石油危機の影響もあって各国・地域の経常収支は大きく振れているが,先進国ではアメリカの経常収支悪化・赤字が定着する一方,西ドイツ,日本の経常収支黒字の拡大傾向がみられるようになった。しかし,この時期の最大の資本供給国は石油輸出国で,巨額のオイルダラーはユーロ市場を介して,主として中南米諸国等の途上国の開発資金に振り向けられた。中南米諸国等では積極的な開発戦略の下に経常収支赤字が増大したが,同じ途上国でもアジア諸国の経常収支赤字はある程度管理された範囲内に収まっていた。
83年以降では,石油・その他二次産品価格の低迷,アメリカの財政赤字等各国の財政スタンスの違い,ドル高等を背景にアメリカの経常収支赤字,西ドイツ,日本の経常収支黒字がそれぞれ拡大する一方,石油輸出国の経常収支が赤字に転落し,非産油途上国の経常収支赤字は大幅に縮小した。ただし,非産油途上国の中では,中南米諸国が累積債務問題の表面化により半ば強制的に経常収支赤字の縮小を迫られたのに対し,アジア諸国では,韓国,台湾に代表されるように自立的な経済発展により経常収支黒字が定着,拡大したことが全体の経常収支赤字を縮小させた。ここにきて,かつての石油輸出国に替わって西ドイツ,日本が資本供給国としての地位を固める一方,世界で最も豊かな国の一つであるアメリカが大幅な資金の取り手となり,資本蓄積の不十分な途上国への資金流入は相対的に細ってきていることが注目される。
世界の資金循環構造の変化の背後には,各国・地域の貯蓄・投資バランスの変化があり,その中には財政赤字等の構造的な部分がかなり含まれている。このことは,経常収支不均衡が今後もかなり持続することを示唆している。
まず,戦後長らく貯蓄超過国であったアメリカは,80年代に入って投資超過国に転じているが (第2-1-2図),その過程をみると,①金融引締めと減税・財政拡張により,連邦財政収支赤字が拡大し,次いで②景気回復・拡大による民間純貯蓄の急減がある。連邦財政収支赤字は,86年税制改革等の影響で87年には一時的に縮小をみたものの,今後については,歳出面では社会保障費,国防費等の削減が困難,歳入面では増税が困難とみられるなど,かなり構造的な問題を含んでいる。民間純貯蓄については,景気循環による振れがあるものの,重要なのは家計貯蓄率が80年代に入って一貫して低下傾向を続けたことである。そのため,西ドイツ,日本等に比べてもともと低かった家計貯蓄率は一段と低下し,貯蓄不足が定着している。今後の景気拡大の持続を前提にすれば,貯蓄率の急上昇や投資の急減はあまり期待できず,海外からの資金流入に頼る構造も中長期的に継続する可能性が高いとみられる。
一方,西ドイツ,日本は80年代に入って大幅な貯蓄超過国に転じている。両国では,①70年代後半の財政悪化の反省等から,80年代前半は財政再建が進み,政府部門赤字は縮小傾向を続けた。また,②内容に違いはあるものの,民間純貯蓄は大きかったことが背景にある。ただし,87年には西ドイツの経済成長率が低下し予期せぬ税収減となったのに対し,日本では円高メリットの波及や金融緩和,さらには緊急経済対策の効果等もあって内需が絶好調となり民間純貯蓄が急減する一方,財政赤字は予期せぬ税収増のなかで縮小し,海外部門の貯蓄超過も同時に縮小するなど,不均衡改善に積極的に貢献した。
非産油途上国においては,依然投資超過であることに変わりはないものの,投資超過は縮小傾向にある。ただし,その背景については地域によってかなりの差異がみられる。典型的な例としてアジアNIEsと中南米NIEsとを比較してみよう。アジアNIEsでは輸出指向型の開発戦略が成功し,資本蓄積の進展,資本財輸入比率の低下,輸出比率,貯蓄率の上昇から発展段階の上で赤字体質を脱却した。加えて,為替レートの面で相対的に先進国に比べ有利化したこともあって,輸出主導型の高度成長が持続し,所得が急増するなかで貯蓄率も上昇して,韓国,台湾のように急速に貯蓄超過に転ずる例も現れた。
それに対し,中南米NIEsでは,輸入代替を開発戦略とし,70年代には積極的な海外資金取り入れによる高投資・高成長路線を追求したが,結果的には輸出競争力の伸長が不十分で,80年代に入って累積債務問題が表面化するながで,IMF主導の緊縮的な調整計画への方向転換を余儀なくされた。しかし,緊縮政策の成果はなかなか現れず,政府部門赤字はなお拡大傾向にある一方,国内投資が累積債務問題表面化による資金不足から急減し,かろうじて海外部門のバランスが保たれている状態である。
産油途上国では,かつて2度の石油価格高騰を背景に大幅な貯蓄超過を誇ったが,80年代に入ると石油価格の低迷,中東,ペルシア湾地域での戦争状態の継続等もあって政府部門赤字の拡大傾向がみられる一方,国内投資は低迷し,海外部門は82年以降おおむねバランスしている。
経常収支不均衡の継続は,結果的に債権・債務関係の変化をもたらす。80年代に入ってからの主要国の対外資産・負債残高の変動のなかで,特に注目される点は,①81年には世界最大の対外純資産残高を誇ったアメリカが,85年末には債務国に転じ,87年末には3,682億ドル,さらに今後も急速な債務残高の増加が見込まれること,②日本の対外純資産残高が急増し,85年末には1,298億ドルと世界最大となり,87年末には2,407億ドル,今後もかなりの増加が見込まれることである(第2-1-3表)。西ドイツも資本供給国の一つであるが,日本に比べると規模の点で約半分にとどまっている。
また,こうした主要国の債権・債務関係の変化をアメリカの地域別の対外純資産残高でみると (付図2-1),アメリカは①西ヨーロッパや日本に対しては純債務国でああるが,②中南米やカナダ等に対しては引き続き純債権国となっており,事後的には,日本や西ドイツ等西ヨーロッパ諸国から資金供給を受けながら,世界の銀行としての役割を果たしているようにみえる。しかし,中南米やカナダに対する純債権残高も減少傾向にあり,フローベースではほぼ全地域から資金供給を受けていることになる。
こうした主要国での債権・債務関係の変化に伴い,国際金融・資本市場でのシェアにも大きな変化がみられるようになった。BIS(国際決済銀行)の統計によれば,日本を母国とする民間銀行の対外債権残高(グロス)は,83年末の4,507憶ドルから87年末には1兆5,521億ドルとなり,国際金融市場でのシェアは21%から35%強に上昇した。また,西ドイツを母国とする民間銀行の対外債権残高も,83年末の1,439億ドルから87年末には3,479億ドルに増加し,シェアは同6.7%から7.9%に上昇している。一方,アメリカを母国とする民間銀行の対外債権残高は,83年末の6,310億ドルから85年末には5,902億ドルに減少し,87年末には6,476億ドルまで増加したものの,国際金融市場でのシェアは29.5%から14.8%へと低下傾向を続けた。これには,アメリカ系銀行の資産内容悪化による米通貨当局の自己資本比率規制の導入やドル安等が大きく影響しているものの,資本供給国の交代というマクロ的な変化なしには考えにくい事態といえよう。
しかし,対外純債権ないし純債務残高というのは,それが外国通貨建てで記帳されている限り為替リスクを回避することができない。第3節でもみるように,日本,西ドイツ等では対外純債権残高の大半が為替リスクにさらされている(資産内容の違い,マルクの国際化等により西ドイツの負っている為替リスクは相対的に小さいといわれている)。一方,基軸通貨国アメリカにとって,為替リスクの問題はあまり考慮する必要がない。最近の日本の対外資産・負債残高や日本を母国とする民間銀行の対外債権・債務残高が両立てで急増しているのも,外貨建て債権の増加に伴う為替リスクを回避するために,民間企業がインパクトローン取り入れやユーロ市場での資本調達など外貨建ての負債を増加していること,それに伴う本邦為銀の本支店取引が増大していること等による部分が大きいとの指摘がなされている。また,がっての石油輸出国が資本供給国といっても,国際金融・資本市場ではあくまで大口顧客の地位にとどまっていたのに対し,先進国内部の債権・債務関係の変化は金融・サービス摩擦,国際通貨調整,累積債務問題への対応といった様々な面で国際金融・資本市場に新たな問題を投げかけるようになった。