昭和63年

世界経済白書 本編

変わる資金循環と進む構造調整

経済企画庁


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第1章 不均衡縮小傾向の中で拡大続く世界経済

第2節 やや高まりを示す物価上昇率

87年10月の株価大幅下落後,やや鈍化するかにみえた先進国の景気は88年に入り個人消費,設備投資を中心に再び拡大テンポを速め,失業率の顕著な低下,高水準の稼働率,賃金上昇等需給ひっ迫状況がアメリカ,イギリス等でみられるようになった。また,米貿易収支赤字の縮小や内外金利差等を背景に88年に入り米ドルが堅調に推移してきたなかで,西ドイツを中心に自国通貨下落による輸入コスト上昇懸念が高まった。インフレの再燃がもし生ずれば景気転換をもたらす可能性が大きく,88年6~8月には主要国で政策金利の引上げが相次ぐなど,警戒的な動きがみられた。本節では,アメリカを中心に最近の主要国の物価上昇の背景,今後の持続性等につき分析してみよう。

1. 7大国の物価動向

(80年代の物価動向)

7大国の物価動向をみると(第1-2-1図, 付図1-6),70年代とは対照的に80年代は落ち着きを取り戻している。消費者物価前年同期比上昇率は80年央にピークをつけた後,第2次石油危機による石油価格高騰の影響一巡や各国での厳しい金融引締め,景気後退などを経て急速に低下傾向をみせ,83年には4%台となった,その後,86年の石油価格急落などもあって物価はさらに鎮静化し,87年に入ってエネルギー価格を中心にやや反発したものの物価はなお落ち着いた範囲内にある。

こうした物価安定の背景としては以下の点が指摘できよう。

(最近の動き)

ところが,88年に入ってからの物価上昇率をみると各国ともやや高まりがみられる。アメリカとその他の主要国では若干事情が異なるものの,前述した物価安定要因のうち⑤以外は,87年以降徐々に物価上昇要因に転じ始めたとみられる。まず,石油・一次産品価格が86年後半以降回復傾向をみせる一方,ドル安進行の動きがアジアNIEs等にも及び,工業製品全体のドル建て輸出価格上昇率が高まった(ただし,石油価格は88年に入って再び軟化している)。また,ドル安進行のテンポも87年以降大幅に鈍化し,88年に入ってからは米貿易収支赤字の縮小や内外金利差が評価されたことなどの下に,逆にドルが堅調に推移してきたなかで,西ドイツを中心にアメリカ以外の主要国では自国通貨下落による輸入コスト上昇が懸念されるよラになった。さらに,製品需給の面でも,設備稼働率が87年後半以降上昇テンポを速め,88年央現在,前回ピークに近い(アメリカ),ないし前回ピークを上回る(イギリス,西ドイツ,日本)水準となっており,賃金上昇率も最近の失業率の顕著な低下を背景に徐々に高まりを示すようになった。

こうしたなかで各国金融当局は,株価大幅下落後にやや緩めにしていた金融政策を,88年春以降再び引き締め気味の運営に切り換えた。年初来のポンド高の下で政策金利を引き下げていたイギリス,景気刺激の意図から利下げを図っていたフランスを除いて,各国とも程度の差はあるものの長短金利が上昇に転じた (第1-2-2図)。その後,イギリスでも国内景気の過熱傾向,輸入拡大による国際収支悪化等を背景に6月以降,9回連続して政策金利が引き上げられた。西ドイツでは,内外金利差や源泉課税問題等を背景とした年初来のマルク安が加速したことなどもあって,7月,8月と2回にわたって公定歩合が引き上げられた(このうち8月はフランスも含む西欧各国との同時引上げ)。アメリカでも,それまでの市場金利の上昇を追随する形で8月に公定歩合が引き上げられた。このように各国金融当局はインフレ抑制の姿勢を鮮明にしているが,実際にインフレが加速するかどうかについては為替,景気動向等の面からのインフレ圧力がどの程度のものかを各国別に更に分析する必要かあろう。

2. アメリカの動向

アメリカの景気はドル安を背景とする輸出増を契機に設備投資が活発化し,87年以降急速に拡大テンポを速めた。87年中の実質GNP成長率はおおむね年率5%台と,これまでの潜在成長率(IMF推計,80~87年2.8%)を大幅に上回り,88年に入ってからも同3%台と,アメリカとしては依然として比較的高い成長率を維持している。こうしたなかで,87年10月の株価大幅下落後,一時的に後退していたインフレ圧力が再び強まっている。以下,インフレ圧力を構成する要因ごとに分析してみよう。

(賃金コスト要因)

製造業生産性,時間当たり賃金,単位労働コストの上昇率をみると (第1-2-3図),生産性は70年代の低迷に比べ,83年以降の景気拡大の中で比較的順調な上昇を続けている。ただし,83,84年頃に比べて最近の上昇率が鈍化していることは否めない。これは相対的な設備投資不足等によるものと推定される。一方,時間当たり賃金上昇率は80年代中おおむね鈍化傾向を続け,86年後半には1%台と70年代以降最低の水準にまで落ち着いた。そのため,単位労働コストは今回の景気拡大期間中おおむね前年比マイナスとなり,70年代とは対照的な賃金・物価の逆スパイラル現象が生じた。しがし,賃金上昇率(時間当たり・民間非農業)は87年に入って緩やかながら上向きに転じた後,雇用情勢の引き続く改善の下にこのところやや高まりをみせ,88年4~6月期には3%台後半と,消費者物価上昇率に近づいた。失業率は87年後半以降6%を下回り,88年9月現在で5.3%(軍人を含む系列)とかなりの低水準となっており,70年代の経験に従えばインフレ加速を警戒する水準に達しているといえよう。

しかし,失業率と賃金インフレの関係については以下に述べるような理由から,現在は70年代とは異なった関係にあるとみられる。

(製品需給要因)

次に設備稼働率とインフレとの関係をみてみよう(第1-2-5図)。70年代の経験に従えば,設備稼働率が82~84%に達した段階からインフレ加速が生じている。設備稼働率の推移をみると,82年末以降景気回復とともに急上昇した後,84年秋から87年初にかけて緩やかに低下し,このことが景気拡大期間中のディスインフレ要因として作用した。その後,87年後半以降景気拡大テンポの高まりとともに稼働率は再び上昇に転じ,88年7~9月期現在83.8%となっている。

このところの稼働率上昇の背景としては,①ドル安による輸出増,設備投資増の好循環,②雇用改善等を背景とした個人消費の堅調,③ドル高期に生産設備の合理化や廃棄,海外移転が起こり84年以降生産能力が伸び悩んでいたこと等がある。特に,ドル安の恩恵を強く受けた一次金属,繊維,紙・パ,化学等では,それまでの極端な生産設備の縮小もあって稼働率水準は90%前後の高さとなっており,こうした業種の製品価格(中間財段階の卸売物価)にはかなりの高まりがみられる。

70年代の全般的なインフレ加速期には,いわゆるインフレ・ヘッジとしての耐久財商品への超過需要が生じ,耐久財産業での稼働率の急上昇という現象がみられた。そこで,過去2回のインフレ加速期の財別稼働率の推移と現在の動きとを比較してみると(第1-2-6図),非耐久財,耐久財産業ともにインフレ加速が生じ始めた過去の水準を超えてきているものの,非耐久財では高水準ながら88年に入って稼働率上昇のピークは過ぎたような動きとなっている。一方,耐久財では過去の推移に比べて上昇のテンポはなお緩やかなものとなっている。非耐久財では,ドル安効果の一巡とともに生産の伸びがやや鈍化するなかで,87年中にすでにかなりの設備投資増をみたことから,生産能力の増加テンポがキャッチアップし始めたものとみられる。また,耐久財でも87年後半以降設備投資の増加力体格化している(第1節参照)。今後の景気拡大テンポとの兼ね合いもあるが,引き続きアジアNIEs等からの安価な輸入品との競合もあり,企業の生産,価格見通しは慎重なものにとどまるとみられる。また,インフレ期待の強かった70年代だけをみずに,60年代の経験も合わせて参考にすれば,インフレ加速を生じないまま稼働率が上昇する余地はなおかなり残っているともいえる。

(輸入コスト要因)

70年代以降の輸入デフレータの推移をみると(第1-2-7図),アメリカの場合は為替相場よりも,石油価格に触発された世界的なインフレの影響が強いことがわかる(輸入デフレータに占める石油のウェイト7.8%)。80年代前半には,石油価格低迷とドル高の両方の要因から輸入デフレータは低下傾向を続け,85年以降の大幅なドル高修正にもかかわらず,86年にかけて石油価格のもう一段の低下を受けて更に低下した。その後,石油・その他一次産品価格が供給抑制強化,在庫調整一巡などもあって反発したことから,輸入デフレータも上昇に転じたものの,88年に入ると石油価格が再び軟化し,上昇のテンポは急速に鈍化した。その他一次産品価格は,アメリカ中西部での記録的な干ばつの影響もあって,一部農産品価格を中心に88年半ばにかけてなお上昇を続けたが,それ以降は比較的落ち着いた推移となっている。

一方,85年以降のドル高修正は,先進国の工業製品の量産効果や原料安による価格低下や,海外輸出業者の価格転嫁のラグ,さらに輸入数量制限下の品目はすでに価格が上昇していたこともあって,当初はあまり輸入デフレータ上昇圧力とならなかった。しかし,87年に入って通貨調整が長期化したことや一部アジアNIEs通貨に対しドル安になったこともあり,また,それまで抑制されていた海外輸出業者の価格転嫁がみられるようになった。その後,87年中のドル安進行のテンポはそれ以前に比べて大幅に鈍化したこと,88年に入ってからは米貿易収支赤字の改善傾向が顕著になったこと,米金融当局のインフレ抑制姿勢が強いことなどもあってドルはおおむね堅調に推移し,為替相場の面からの輸入デフレータ上昇圧力はかなり小さなものとなっていた。

(マネーサプライ要因)

マネーサプライ伸び率とインフレの関係をみてみると(第1-2-8図),60年代後半から70年代末にかけて約1~2年のラグを伴ってインフレが加速していることがわかる。しかも,当時は金利規制下にあったため,インフレ加速という事態に対して金利変動が柔軟性に欠け,実質金利がしばしばマイナスとなったことが人々のインフレ期待をさらに増進した。こうしたなかで,米金融当局は金利自由化への動きを段階的に進める一方,79年10月にインフレ抑制と安定的な貨幣供給をねらいとした新金融政策を打ち出し,市場金利はかってない高金利時代を迎えた。その後,第2次石油危機の反動と世界的な景気後退を経て急速にディスインフレが進行するなかで,実質金利もかつてない高水準が維持されるようになった。

80年代に入ってからのマネーサプライの動きをみると,83年にやや突出した伸びがあるものの,86年にかけておおむね8~10%の伸びで推移した。83年は前年からの金利急低下と景気回復に伴う貨幣需要の増大に加え,定期預金金利の規制撤廃という事情が重なったためとみられる。ただ,ディスインフレが定着するなかで,実質でみたマネーサプライが過大であるとの見方もあり,特に,85年以降金融が緩和気味に運営され金利が低下したことから実質マネーサプライの伸びが高まったこと,為替安定に向けての国際政策協調への配慮等もあって,87年にはマネーサプライの伸びが顕著に抑制された。その後,株価大幅下落への対応から一時的に金融が緩和されマネーサプライは増勢に転じたが,88年春以降は再び抑制されつつある (第1-2-9図)。

金融政策運営目標としてのマネーサプライの重要性は82年秋以降やや低下し,Mlについては85年以降実質的に目標値は棚上げされ,87年には目標値自体の設定が取り止められた。これは,金利低下,ディスインフレの定着とともに人々のインフレ期待が後退し通貨保有が増大する一方,金融制度・構造上の変化が著しく,マネーサプライと実体経済の関係が希薄になったことが背景にある(OECDによれば,各国ともマネーサプライとインフレの関係は,70年代に比べ80年代には弱まったとされている)。しがし,M2,M3については引き続き目標値が設定されており,マネーサプライが重要視されていることに変わりはなく,これと実質金利の高さとが慎重な金融政策をあらわしている。

(品目別,財別物価動向と干ばつの影響)

これまでインフレ圧力を構成する要因についてみてきたが,最後に品目別,財別物価の動きを確認しながら,記録的といわれた88年央の干ばつの影響についても若干触れておこう (付図1-8)。まず,品目別消費者物価の動きをみると,70年代前半のインフレ加速期は食料・エネルギー主導であり,70年代後半は賃金インフレ主導であったといえよう。その後,86年から87年にがけての石油価格の大幅下落と急反発を受けて,総合指数にやや動きがみられたが,食料・エネルギーを除いた指数およびサービス価格指数は84年以降きわめて安定した推移をたどっている。次に,財別卸売物価の動きをみると,70牟代には原料財価格の高騰から中間財価格の上昇を経て,最終財価格の上昇に至る過程が明瞭にみてとれる。しかし,80年代には原料財価格を除いで全体の変動幅が縮小し,原料財価格の変動も前年比マイナスからプラスへの変動となっており,波及過程はそれほど明瞭にみられなくなった。コストに占める原料財価格のウェイトが相対的に低下していることや輸入品との競合圧力が最終財価格の安定に寄与しでいるとみられる。

88年に入って石油価格が軟化するなかで,替わってインフレ懸念の材料として台頭してきたのが,アメリカ中西部の干ばつによる一部農産品価格の高騰とそれによる食料品価格上昇懸念である。これは,減反政策の継続に加えて,ソ連,中国の不作による買い付け増から,大豆,穀物を中心に需給がタイトになっていたところに記録的な干ばつが襲い,大量の投機資金が流入して先物相場を中心に高騰したものである。ただ,投機色の強い相場だったことや7月の降雨もあって,相場自体は6月にピークを打ってからは落ち着きを取り戻している。なお,9月に発表された米農務省予測によると,88年の食料品価格の前年比上昇率は3~5%と,当初予測比1%ポイント上方改訂になっている。今後の天候,作柄等にもよるが,消費者物価に占める食料品のウェイトは約16%と比較的小さいこと,南米等での増産が期待されること,エネルギー価格の下落等から消費者物価の上昇は限定的とみられる。

3. イギリスと西ドイツの動向

(上昇率の高まったイギリスと安定的な西ドイツ)

イギリスでは,第1節でみたような景気の過熱傾向を背景に,消費者物価上昇率がじりじり高まりを示していたが,最近では,住宅ローン金利の引き上げもあって前年同月比6%弱(9月同5,9%)とほぼ85年末の水準まで上昇している。卸売物価(工業品生産者価格)でみても,同程度の上昇となっている(9月同5.0%)。

これに対して西ドイツでは,消費者物価上昇率は87年秋頃から前年水準を上回るようになったが,最近でも前年同月比1%台ときわめて小幅にとどまっている(9月同1.4%)。しかし,年初来のマルク相場下落もあって輸入物価が上昇に転じ(87年12月から88年8月までの上昇率3.6%),卸売物価(工業品生産者価格)も,88年春頃から上昇テンポをやや速めるようになった(88年1月前年同月比0.2%→9月同1.7%)。

また,マネーサプライの伸びはこのところイギリス,西ドイツそれぞれ年率10~11%,6~7%と両国とも目標値を上回っている(第1-2-9図)。イギリスでは景気の過熱,貿易収支赤字の拡大,西ドイツではマルク安による輸入物価上昇懸念から,いずれも金融面で引締め基調の政策に転じ,特に6月から8月にかけて政策金利が相次いで引き上げられた。

(イギリスの最近の高まりの要因)

イギリスの最近の消費者物価上昇率の高まりは,住居費やサービス関連の上昇も大きいが,基本的には,第1節でみたような景気の過熱傾向を背景としたものである。

87年後半以降内需の堅調から実質GDPの伸びは年率4~5%となり,政府見通し(88年3%,88年3月の予算案発表時)や,潜在成長率(IMF推計,80~87年2.5%)を大幅に上回っている。鉱工業生産も87年3.8%増,88年1~7月の前年同期比4.1%増と伸びを高めて拡大している。設備投資も88年上期には前年同期比14.5%増と急速な増加を示しているが,生産能力の拡大までには結びついておらず,設備稼働率は上昇を続けている。製造業稼働率(EC資料)は,88年4月現在,94.8%と前回ピーク(1979年,87.6%)ばかりでなく,過去のピーク(1973年,90.6%)をも上回っている(第1-2-10図)。もっとも,稼働率の高さが今後の生産増を阻害するとみる企業数はそれほど多くなく,供給側の制約が過去の景気の転換点に匹敵するほど強くはないという指摘もみられる。

賃金上昇率は,80年代の失業率上昇を背景に急低下していたが,86年秋以降は失業率が連続低下する中で下げ止まり,87年後半には一段高となっている (付図1-9,付表1-3)。ただし,失業率は8.0%(9月)とまだかなり高水準であり,労働市場が全般にひっ迫しているとはいえない状態にある。過去2年間にわたる失業率低下の一部は,86年に導入された再出発計画(Restart Pro-gramme)により長期失業者(1987年,約40%)はすべて失業手当て受給に面接が義務づけられたため手続きをしないものが増え,労働力から抜け出したことによる。こうした層の失業者の減少は,賃金交渉にほとんど影響を与えていないため,失業率の低下が直ちに賃金上昇率の加速とはならないことに留意する必要がある。他方,賃金上昇率高止まりの理由としては,インサイダーとしての就業者の力が賃金決定に支配的で,アウトサイダーの失業者が現行賃金より低い賃金で働きたいとしても,現実の賃金決定に影響を与えられないことが指摘されている。

輸入インフレの要因は,これまでポンドの実効レートが緩やかに上昇してきたこともあって,最近まで輸入物価は低下傾向にあったが,88年6月頃からのポンド安により上昇圧力となっていた。

金融面では,このところマネーサプライMOの伸びが,88年3月比年率10~11%と目標値(88年度,1~5%)を大きく上回って増加するようになっている(第1-2-9図)。また,インフレ抑制のためにとられた金利の大幅引き上げが,住宅ローン金利の引き上げ(88年8月大手住宅金融組合9.8%→11.5%)に波及して,住居費の急上昇をもたらしている。

住居費(88年ウェイト,16.0%)は87年1月から88年8月までに15.8%上昇し,この間の総合では7.9%の上昇となったが,住居費を除く総合では6.4%の上昇となっている。

87年以降,製造業の賃金上昇率(前年同期比)7~8%に対し,生産性上昇率も6~8%と比較的高く,単位労働コストの上昇率は小幅にとどまっていた(付表1-3)。総需要抑制のための金利引上げから,ディマンド・プル・インフレの要素が抑制されるとしても,成長率の鈍化とともに生産性も伸びが鈍化するとみられる。これによるコスト・プッシュ・インフレの芽が急成長しないように賃金上昇率の高まりを中心に警戒していく必要があろう。

(西ドイツの物価安定の要因)

西ドイツではマルク安からの輸入インフレの要因があって,卸売物価にいくらかその影響がみられたものの,消費者物価の上昇まではつながらず,物価は安定した動きを維持している。

その背景となる国内要因としては,第1節でもみたように西ドイツの景気上昇が,変動はあるものの概して盛り上がりを欠いていることが影響しているとみられる(87年の実質成長率は潜在成長率(IMF推計,80~87年2.2%)をやや下回る1.8%にとどまっている)。製造業稼働率(IFO経済研究所調査)も,88年9月には87.4%と比較的高水準となっているものの,なお既往ピーク(1971年)の92.0%を下回っている。失業率も,83年以降は9%前後に高止まりしている(88年9月,8.7%)(第1-2-10図)。

しかし,国内的にコスト上昇圧力がまったくないわけではない。まず第1は,失業率の高止まりとともに,これまで低下を続けてきた賃金上昇率が下げ止まり,最近ではほぼ横ばいとなっている (付図1-8,付表1-3)。これには,失業率の地域格差が大きいにもかからず,産業別賃金交渉によって賃金上昇率はほぼ全国的にならされるためとの指摘もなされている(OECD,EDRC)。第2に,このところマネーサプライの伸びが87年10~12月期比年率6~7%と目標値(88年,3~6%)を上回って推移していることである(第1-2-9図)。

その後,88年9月以降は為替相場もマルク高に転じ,この面からのインフレ圧力は後退している。

4. 一次産品価格の動向

(80年代の低下傾向)

一次産品価格(SDR建て,除く原油)は,70年代の2度の石油危機を契機として大幅に上昇したが,80年代に入って次第に下落へと転じていった(付図1-10)。その下落の原因をみると,まず,実物面では,需要国側における省エネ,技術革新等に伴う原材料の消費原単位の低下,供給国側における累積債務返済,外貨獲得等を目的とした増産傾向,などが相互に作用して,世界的な需給緩和,在庫増大の傾向がみられた。次に,金融・為替面では,主要国の金融引締めによる実質金利の上昇から投機需要,在庫需要が減退し,ドル高によりそれぞれ自国通貨建てでみた一次産品価格が上昇したことから,市場の裁定が働いてドル建て一次産品価格への下落圧力が生じた。

これらのことから,一次産品価格は80年代前半を通じて,実物面及び金融・為替面の双方から超過供給圧力を受けて,低下傾向を示した。

(86年央以降の動向)

80年代前半を下落基調で推移した一次産品価格は,86年央を底に以後緩やかな回復基調をたどり,とくに87年後半からは,銅などの非鉄金属や羊毛等を中心に,また88年には砂糖やアメリカ中西部の干ばつの影響をうけた穀物等の急騰により,上昇が加速した(第1-2-11図)。この背景には,前述した80年代前半の下落局面とは逆の現象,すなわち,先進国等の景気拡大による需要増と供給抑制による在庫調整一巡,実質金利の低下,ドル高修正などから一次産品価格への下落圧力が減少したことが挙げられる。その後,緩やかな世界的景気拡大による需要増は続いているものの,物価,金利,為替等は比較的安定しており,投機的な動きも88年央を過ぎてからは落ち着いてきている。しかも,次に述べるように石油価格が88年に入って再び軟化しており,このような環境の下,一次産品価格が急騰してこれが即座に世界的な物価上昇にはね返る,といった可能性は少ないものとみられる。

5. 石油価格の動向

80年代前半のディスインフレ進行の背景の一つには石油価格の低迷があった。アラビアン・ライト・スポット価格は80年にピークに達した後,低下し始め,同公式販売価格も83年には引き下げを余儀なくされた。さらに85年末から86年央にかけ石油価格は急落した。この大幅な石油価格の下落は,世界的な石油需給関係の構造的変化によるものといえよう。

需要側の変化については,先進国,発展途上国とも第2次石油危機後の経済成長が石油危機前に比べ相対的に低く,これに伴い世界のエネルギー消費,石油消費は低迷した。エネルギー消費,石油消費の低迷は,先進国における省エネ等の技術革新,サービス化といった産業構造変化によって強められた。加えて,代替エネルギーへの転換が促進されたことにより,エネルギー消費のうち石油消費の減少が特に著しかった。OECD諸国の石油消費の動向をみると,80年代前半には石油消費原単位(実質GDPl単位当たり石油消費量)及び一次エネルギー消費に占める石油消費のシェアが大きく低下している(付図1-11)。

一方,供給側の変化についてみると,北海やメキシコ,さらにはソ連などの非OPECの石油生産が増大し,価格低下への圧力がかかった。この中で,OPECは生産制限を行ったが,それによる石油収入の減少からOPECは減産態勢等を崩さざるをえず,これが85年末からの価格急落にっながった。

しかし,需要側について86年以降,石油消費原単位並びに一次エネルギー消費に占める石油消費のシェアが下げ止まるなど,新たな変化が現れてきている。

これは先に述べた85年末からの石油価格の急落により,省エネルギー化や石油代替エネルギー開発・導入等が足踏みしたことによるものと考えられる。特にアメリカにおいては,80年代前半に石油輸入量は減少したが,85年末からの石油価格低下局面において石油需要が拡大したほか,生産コストの高い自国産石油から低価格の輸入石油への代替が進み,86年以降現在まで石油輸入量は増加してきている。石油輸入依存度の高まり(85年31.4%→87年39.1%)は,アメリカの貿易収支赤字の一因ともなっており,ドル下落による輸入物価上昇を招く恐れがある。

だが一方,供給側についてみると,石油価格に大きな影響を与えるOPECの石油生産は80年代前半を通じて低下し,その世界に占めるシェアは79年の約50%から約30%まで大きく低下した。これに石油価格の大幅下落とが重なって,石油収入は80年の2,800億ドルから86年750億ドル,87年970億ドルと激減し,経常収支は82年以降赤字傾向となっている(第1-2-12図)。さらに85年以降のドルの大幅減価を考え合わせると,OPEC諸国の石油収入の低下は実質的にがなり厳しいものであり,これが石油増産への誘因となり,ひいては石油価格の低下をもたらす可能性がある。

中長期的には石油は有限な資源であることに変わりはなく,需給のひっ迫が進むと考えられる。しかし,当面上記のように需要側において石油価格を上昇させる可能性がある一方で,供給側においては価格低下をもたらす可能性が高いと言えよう。

88年の原油価格の動き(北海ブレント・スポット価格)をみると4月以降低下が続き,10月には一時的に11ドル/バーレル台と86年央以来の低水準となった(第1-2-13図)。これは非OPECの原油生産がわずかずつだが増加傾向にある中で,OPECの生産は87年後半から高水準となっており,OPEC総会等においても価格安定に向けての実効ある決定がなされていない等のためである。現在の高水準の生産・在庫といった需給ファンダメンタルズからみると,当面大幅な価格上昇は考えにくいといえよう。