昭和63年
世界経済白書 本編
変わる資金循環と進む構造調整
経済企画庁
第1章 不均衡縮小傾向の中で拡大続く世界経済
世界経済は全体としてみると息の長い拡大が続いている。これは,アメリカ経済が82年11月に,1年半にわたる不況から立ち直りを示したことがきっかけとなっている。その後85年までは,アメリカの経常収支赤字の拡大を伴いつつ,物価安定下でのアメリカの内需の拡大が世界貿易の拡大を通じ世界経済の牽引力となり,日本,西ヨーロッパ,アジアの景気回復に寄与した。86年はアメリ力,日本を始めとする先進国経済が成長をやや鈍化させる中で,アジアNIEsを中心とした非産油発展途上国経済が拡大した。87年以降は日本経済が内需主導型の急成長を遂げ,アジアNIEs経済の好調とともに世界経済の拡大に貢献している。アメリカ経済は依然根強い拡大を続け,西ヨーロッパ経済も88年には成長を高めている。しかし,中南米では緊縮政策から景気後退が続いている。
このように今回の世界経済の長期拡大は,全般的なインフレ鎮静化の中で,経常収支不均衡の拡大から縮小のプロセスにおいて金利の低下,主要国の内外需パターンの変化を伴い牽引力となる国・地域が変化しつつ世界貿易の伸びを維持してきたことが一つの特徴となっている。また,86年の石油価格の低下により,金融緩和の余地が広がったこともその要因として指摘できよう。本節では,まず最初に87,88年の経済動向について概観し,その後やや長期的な観点から,80年代に入って始まった息の長い世界経済の景気拡大過程について,アメリカ,イギリス,西ドイツを中心にその要因と持続性について検討する。
世界経済は,全体としてみると82年を底として長期の拡大過程にあり,85年以降やや鈍化したものの,87年には3.2%成長(実質,以下同じ)と緩やかな拡大を続けた。88年に入ると工業国を中心に拡大のテンポを速め,全体では3.8%の成長(以下IMF見通し)と,予想を上回る拡大を続けている(第1-1-1表)。
工業国全体の87年の成長率は,86年を上回り3.3%と緩やかな拡大を続けた。
これは主として,アメリカの成長率が純輸出のプラスへの転換と内需の堅調によって3.4%(86年2.8%)に高まったこと,86年に景気後退局面にあった日本が87年には内需主導型で着実に回復から拡大へ移行したことによる。また,西ヨーロッパ経済も内需を中心に緩やかな拡大を続けた。88年に入っても,当初アメリカを中心に懸念された87年10月の株価大幅下落による需要の後退は軽微であり,アメリカ,日本,西ヨーロッパ共通に,民間設備投資が好調となっている(第1-1-2表)。このため各国とも予想を上回る根強い拡大を続けており,全体では3.9%の成長が見込まれている。
発展途上国についてみると,まず非産油国の成長率は86年の5.7%から87年は4.6%と伸びをやや鈍化させた。これは韓国,台湾を中心としたアジアNIEs諸国が好調を維持したものの,インドが干ばつ,ブラジルが引締め政策で不振だったこと等による。石油輸出国でも石油収入の減少に伴う緊縮財政により,87年の成長率は0.6%(86年1.0%)と伸びを低めた。以上から,世界経済(共産圏を除く)の約2割を占める発展途上国全体の成長率は,86年には4.2%と伸びを高めた後,87年には3.4%とやや伸びが低下した。88年に入ってからもアジア経済が引き続き好調を維持していることから,前年と同程度の成長が見込まれている。なお,87年のアジアNIEsの輸入額の合計(1,566億ドル)は,日本の輸入額を上回る水準となっている。
世界貿易の動向をみると,輸出数量ベースで,83年以降85年を除き世界実質GNPを上回る伸びを続けている。86年の4.5%増に続いて87年には伸びを高め5.8%増となった。この高い伸びは,工業国の輸出が伸びを5.3%に高めるとともに,アジアNIEsを中心とした非産油発展途上国が12.1%と更に大幅な伸びとなったことによる。88年についても,景気の拡大を背景として,工業国を中心に伸びを高めて7.5%増と更に拡大するものと見込まれている。
次にアメリカ経済をみると,87年の実質GNP成長率が3.4%となった後,88年に入ってからの2四半期とも前期比年率で3%台の成長となり,7~9月期には同2%台になったものの引き続き拡大を続けている (第1-1-3表)。87年は,個人消費は通年では経済の拡大の主因となったものの,その伸びは鈍化し,住宅投資は低迷した。一方,民間設備投資が回復に転じるとともに,純輸出もドル安の効果等によりGNP成長率への寄与がプラスに転じ,景気拡大の主力が家計から企業部門と輸出に移行を見せた。88年に入ると個人消費の緩やかな拡大と,住宅投資の低迷が家計部門の活動を特徴づける中で,民間設備投資は機械設備を中心に堅調となっている。さらに,純輸出の寄与度もプラス幅が拡大するなど,民間設備投資,純輸出主導の成長がより明確になっている。
需要項目別にみると,個人消費は,87年4~6月期,7~9月期には貯蓄率が3%以下の歴史的にみても低い水準となったことなどから高い伸びを示した。87年10月の株価大幅下落等により87年10~12月期には前期比年率2.1%の減少となり,87年全体では前年より伸びが鈍化した。88年に入ってからは個人消費は株価大幅下落の影響もあり伸びは鈍化したものの依然として緩やかな伸びを続けている。
このように株価大幅下落の影響が小幅にとどまった背景としては,①この時の約5,000憶ドルにのぼるキャピタル・ロスはちょうど87年に入ってから上昇した分に相当しており,このうちの多くは投機的なものと考えられて,資産効果も逆資産効果も働かなかった可能性があること,②個人の株式保有が高所得層に集中していたこと等から逆資産効果が小さいものとなったとみられる。他方,当初考えられた逆資産効果が過大であった。株価大幅下落当初は,特にアメリカの場合,株式全体に占める個人の保有率が60%超(日本20%程度)とかなり高く,また家計の金融資産に占める株式の割合が25%程度と高いため,個人消費への影響も大きいと考えられた。CEA(大統領経済諮問委員会)等の試算では,消費関数における資産のパラメーターでみると個人部門のキャピタル・ロスのおおむね4~5%が個人消費減少額になるとされていた(付表1-1及び「昭和63年度世界経済レポート」参照)。このため,各機関ともこうした個人消費の減少とその波及効果も考えあわせて88年の実質経済成長率の見通しを約1%下方修正し(DRI~株価大幅下落前2.6%→下落後1.7%,BlueChip~同2.8%→1.9%),アメリカ政府の88年当初見通しも2.9%と,0.5%ポイント程度前年より低下が見込まれていた。しかし,88年央にかけてこうした見通しは上方修正され,アメリカ政府の88年央見通しも3.5%に引き上げられている。なお,消費関数において消費の一期前を説明変数とした恒常所得型の関数に資産を入れた通常の定式化は,恒常所得説と整合的でないことを考慮して別途推計すると,そのパラメーターは2.1%とかなり低いものとなり,過大推計を避けることができる(付図1-1)。このように,成長率見通しの修正の背景には,当初の逆資産効果の分析が過大評価であったこともあるが,株価大幅下落後の金融緩和による金利の低下や,輸出が大きく伸びたこと等から経済活動が維持されたため,マイナスの要因が相殺されてきたと考えられる。
住宅投資は,空屋率の上昇等から87年以降低迷が続いている。住宅着工件数でみても,88年に入って低下傾向には歯止めがかかってきているものの,依然として低い水準にある。
民間設備投資の動向をみると,86年から87年1~3月期にかけては,成長率の鈍化に伴う企業収益の悪化に加えて,税制改革による影響(投資税額控除の廃止等),石油価格の下落によるエネルギー部門の低迷等により低迷したが,87年4~6月期以降は大幅に増加してきており,堅調となっている。この要因としては,86年後半以降の輸出の好調な伸びを背景として,輸出関連部門を中心に生産が伸び,稼働率が上昇してきていること,金利がなお比較的低い水準にあったこと等があげられる。また,株価大幅下落の民間設備投資に対する影響については,70年代半ばから比較的安定していたデット・エクイティ・レシオ(負債/株式市場価値)が上昇する等企業の負担の増大に対する不安要因が高まったものの,アメリカ企業は内部金融指向が強く(87年内部資金調達比率70.1%),増資による資金調達の重要性が比較的小さいことに加え,設備投資需要の増加や金利水準の低下があり,あまり問題ではなかったといえよう (付表1-2,付図1-2)。商務省設備投資計画調査(7,8月実施)によると,88年の設備投資計画は実質ベースで前年比11.6%増の高い伸びとなっている。
なお,在庫は,株価大幅下落から87年10~12月期に積み上がったが88年に入ると在庫投資の減少が続いている。干ばつによる在庫投資の減少は実質で130億ドルと見込まれており,GNP統計上は88年4~6月期に23億ドル,7~9月期に37億ドル,残りは10~12月期に分割されることとなっている。また,政府支出は財政赤字の削減から寄与度は小さくなってきている。
純輸出の動向をみると,86年末以降改善傾向にあり,87年の実質GNP成長率への寄与度がプラスに転じた。この傾向は88年に入ってから,更に確かなものとなってきており,88年1~3月期,4~6月期には成長率の5割以上の寄与となった後,7~9月期には僅かにマイナスとなった。輸出は,ドル安の効果,世界経済の好調等から87年4~6月期以降高い伸びを続けている。一方,輸入は,アメリカの内需の好調,為替調整が遅れていたアジアNIEsからの輸入増等により87年は大幅に増加したものの,88年に入って,伸びは鈍化してきている。
日本経済は,85年後半からの大幅な円高により,85年6月から86年11月まで景気後退局面に入り86年の実質GNP成長率は2.4%と日本としては低い水準にとどまった。しかし,86年末以降,金利が低い水準にあったこと,交易条件改善効果の顕在化等により緩やかな回復を示した。87年後半には,6兆円規模の「緊急経済対策」の効果もあって,回復から拡大へ移行し,87年は内需の寄与度が5%,純輸出の寄与度がマイナス0.7%と内需主導による4.3%の成長が実現した(第1-1-4表)。88年については,高成長から着実な成長へと移行しつつあり,民間設備投資,個人消費による内需主導の着実な成長が続くものとみられる。
西ヨーロッパ経済は全体としてみると,87年10月の株価大幅下落の影響は,家計の金融資産に占める株式の割合が低いこと,アメリカの影響が軽微だったため世界貿易の鈍化につながらなかったこと,主要国で同時に政策金利が引き下げられたこともあって,そのマイナスの影響は軽微であり,87年に引き続き88年も内需中心の緩やかな拡大を続けている(第1-1-5表)。EC(欧州共同体,12か国)の88年実質成長率見通しは,当初(87年9月)の2.3%から,株価大幅下落の効果を考慮して88年初に1.9%に引き下げられていた。しかし,年央には2.6%,さらに88年10月には3.5%へと上方改訂されている。88年には,引き続き堅調な個人消費に加えて,設備投資が回復し,景気拡大の中心となっている。西ヨーロッパの設備投資の堅調は,企業収益の回復,稼働率の上昇に加え,アメリカ,日本に比べて遅れている新技術の導入や92年市場統合等の要素が重なったものと考えられる。この間,EC全体としてみた外需は,輸出が伸び悩む一方で,輸入が増加しているため,86年,87年ともGDPに対する寄与度はマイナスだった。
イギリスでは,個人消費,設備投資とも堅調で,内需は年率5%を上回る速い上昇となり,景気は過熱ぎみとなっている。西ドイツでは,内需が88年に入って設備投資を中心に持ち直し,外需も製造業輸出向け受注が年初来急速に回復し,4~6月期には外需寄与度がプラスとなるなど,景気見通しは明るくなっており,3.5%の成長率が見込まれている。フランスでも,87年春以降は設備投資中心の拡大を続けており,88年の成長見通しは3.1%へ上方改訂されている。イタリアでも,個人消費,設備投資など内需の好調から拡大を続けており,3.6%の成長が見込まれている。このように,設備投資が各国とも好調であることから,西ドイツの対EC諸国への資本財を中心とした輸出が拡大し,西ドイツの貿易黒字,イギリス,フランス,イタリアの赤字が拡大している(第3章第3節参照)。
主要国の経済動向をみると,アメリカでは83年以降景気拡大の主役が交代しつつ,息の長い成長が続いており,87年以降は成長の主役が家計部門から純輸出,民間設備投資へと移行しつつある。イギリスでも81年以来内需を中心に息の長い成長が持続しているが,このところ景気は過熱ぎみとなってきている。
さらに,西ドイツでも低成長ながら長い景気拡大が続いている。以下ではアメリカ,イギリス,西ドイツを中心に各国の長期拡大の要因とその持続性について検討する。
アメリカの戦後最長の景気拡大局面は61年2月から69年12月までの約9年間であり,82年11月を谷にして始まった今回の景気拡大はこれに次いで戦後2番目の長さを記録している(88年11月で6年)。ここでは,今回の景気拡大の持続性について検討することとする。
83年以降の景気拡大を三つの局面に分割してみると,第1の局面は,83年1~3月期から85年10~12月期までであり,この局面では,ドル高の影響もあって純輸出のGNP成長率への寄与度のマイナス幅が拡大する一方,個人消費・民間設備投資が大幅減税の効果等もあって大幅に増加し,加えて,政府支出のプラス寄与度が拡大している。第2の局面は,86年1~3月期から87年1~3月期までで,成長率の鈍化に伴う企業収益の悪化,石油価格の下落によるエネルギー部門の低迷等により民間設備投資が低迷する中で,個人消費が下支え役となった。第3の局面は,87年4~6月期以降であり,個人消費がやや鈍化する中で,ドル安の効果等から純輸出が改善し,それに引っ張られる形で民間設備投資が回復・拡大に転じた(第1-1-1図)。
以下では,86年前半の第1局面から第2局面への転換期の状況と87年第2四半期以降の第2局面から第3局面への転換について説明し,現在進んでいる成長の主役の交代,即ち個人消費から民間設備投資,純輸出への移行を確実にしていくことがアメリカ経済の持続的成長の最大の鍵であることを指摘したい。
第1局面から第2局面への転換期において,86年4~6月期が前期比年率でマイナス成長(△0.8%)となるなど,86年全体の実質GNP成長率は2.8%と伸びをやや低めた。これは,85年末以降の石油価格の低下が,物価の安定に大きく寄与したものの,景気に対しては,石油輸入の増加,国内石油産業関連の設備投資の減少等の形でむしろマイナスに作用したことが大きい。アメリカ商務省によると,構築物の投資の減少のうち86年1~3月期のほとんどすべて,4~6月期の約半分は石油掘削関連部門の投資減少によるものとしている。このため,86年10~12月期には87年初から廃止される加速償却制度の適用をねらった駆け込み的投資が起こり,一時的に民間設備投資は増加したものの,86年の民間設備投資の寄与度はマイナス0.6%と低迷した。加えて,純輸出の寄与度は85年初来のドル高修正が純輸出の増加となって現れるまでに時間を要し86年10~12月期からプラスに転じたものの,86年を通じては依然として0.9%のマイナスとなった。こうした中で,連邦準備制度(FRB)は86年中に公定歩合を4回引き下げるなど85年から続けていた金融緩和スタンスをいっそう明瞭なものとしていった。
一方,こうした金融緩和の下で,個人消費の寄与度は2.7%と85年の3.1%と同水準を維持し,住宅投資の寄与度も0.6%(85年は0.1%)に増加するなど家計部門が経済全体を下支えした。
86年に石油価格の低下等から減少した民間設備投資は,86年10月に成立した税制改革の影響による駆け込み的投資の反動から87年1~3月期には大幅減となった。金利の低下を背景に84年以降低下を続けていた資本コストはこうした各種の投資優遇措置の廃止や金利の上昇のため,上昇に転じたものとみられる。
しかし,87年4~6月期以降,民間設備投資は前期比で増加に転じ回復傾向を示した。この背景には,85年春以降のドル安による価格競争力の改善等により輸出が急増し,その結果,生産の増加,稼働率の上昇がもたらされたことがあげられる。対外不均衡を縮小させつつ,純輸出と民間設備投資主導による成長を可能とするため,輸出に引っ張られる形で増加している民間設備投資の増加が,供給能力を向上させ,輸出余力のある生産能力を生み出すという好循環が持続可能かどうかを見極めることが必要となっている。
こうした動きをより詳しくみるために,財別の動向で比較してみよう (第1-1-2図)。まず,輸出についてみると,非耐久財輸出は,87年前半に伸びを高めた後,87年後半以降やや頭打ちとなっている一方,耐久財輸出は,非耐久財にやや遅れる形で87年後半以降その伸びを急速に高めており,全体として輸出の増加傾向が続いている。これは,非耐久財の方が総じてドル安による効果がより早く現れたことによる。これに対して,耐久財はドル安の効果がすぐには現れず,世界経済の拡大が持続する中で,ようやく87年後半になってその効果が顕著に現れるようになった。このような輸出の動向を反映して,87年後半以降,非耐久財の民間設備投資が耐久財に先行して急増した。耐久財の民間設備投資は輸出と同じようにやや遅れる形で,88年に入ってから急増している。さらに,民間設備投資等によってもたらされる生産能力をみても,非耐久財が耐久財に先行する形で増加を続け,88年に入ると非耐久財の伸びが一段と高まってきており,輸出の増加→民間設備投資の増加→生産能力の増加という循環がラグを持ちながら起こっている。
さらに,業種別に動向をみると(付図1-3),紙,化学,繊維といった非耐久財産業では,87年前半に輸出の伸びを高め,なかでも紙,化学では88年に入ってからも高い伸びを続けている。また,一般機械,電気機械,航空機といった耐久財産業の輸出は,87年後半から急速に伸びを高めてきている。業種別民間設備投資の動きをみると,紙,化学,一般機械,電気機械といった高い輸出の伸びを維持している産業では,輸出の伸びからやや遅れて87年後半から民間設備投資の伸びは高まりを続けている。これに対して輸出の伸びが比較的低い繊維等では,87年前半の高まりもあって相対的に低い伸びにとどまっている。さらに,こうした民間設備投資の動きは,生産能力の面にも反映されてきており,紙,化学,一般機械等が比較的高い伸びとなっている。なお,自動車については,輸出,生産とも変動が大きく稼働率も低いことから設備投資は低迷している。このように業種によってやや違いはあるものの,輸出の増加→民間設備投資の増加→生産能力の増加という循環が起こっていると考えられよう。
60年代の長期拡大は,ケネディ・ジョンソン政権の拡大的財政政策によるところが大きい。61年から景気が回復過程にある中で,大幅減税が実施され,社会福祉支出,国防支出が増大された。こうして,個人消費とともに,政府支出も高い寄与度を68年まで維持し続けたのである。ただし,需要が力強く,長期にわたって拡大する中で供給制約が顕在化し,60年代後半には純輸出の寄与度はマイナスに転じ,9年間にも及んだ長期拡大は,供給制約からのインフレ高進と貿易収支悪化という形で終焉を迎えたのである。
これに対し83年以降の景気拡大の特徴は,牽引力となる需要項目間で大きな交代があり,それが比較的順調に行われたことであろう。すなわち,第1局面から第2局面においては,個人消費,民間設備投資,政府支出主導による成長から,個人消費中心に移行した。また,第2局面から第3局面にかけては,個人消費がやや鈍化する中で,民間設備投資,純輸出主導の経済成長に転換・定着しつつある。この転換には,ドル高からドル安への転換等にみられるように政策が大きな役割を果たした。
このところ輸出にやや頭打ち感はあるものの,民間設備投資の増加が続いており,ややラグを持って生産能力が高まってきている。生産能力の向上が続けば,今後とも比較的高い水準の輸出を可能とすることが期待できよう。第2節で扱う物価上昇の問題はあるものの,こうした循環の中で,成長の主役が家計部門から純輸出,民間設備投資へ転換・定着するといった第3局面への移行が可能となってきている。しかしながら,成長の持続に伴う可処分所得の増加により個人消費は依然として根強い。総需要抑制の観点から,これまで比較的依存度の高かった金融政策に加えて,財政赤字の削減,貯蓄率の上昇による政府支出,個人消費の抑制を図っていくことが必要であろう。
今回のイギリスの景気上昇は,81年来のもので戦後最長となっている。実質GDPでみると,前期比で2四半期続けてマイナスとなることはなく,82~87年の平均成長率も3.5%と,71~73年の短期的急上昇期の同5.1%を除くと,戦後の上昇局面では最も高いものとなっている。こうした息の長い景気拡大は,外需は弱かったものの,内需がインフレ鎮静下で,個人消費を中心に堅調だったこと,また,供給サイドの改善をめざす政策の継続によって,企業の投資意欲に改善がみられたことなどを背景としたものである。しかし,このところ景気が過熱ぎみとなる中でインフレ圧力が高まってきており,その持続性が注目されている。
イギリスの第二次石油危機後の不況は,外需が石油純輸出国となってプラスであったにもかかわらず,大幅賃上げによる高インフレ,財政引締め政策などから内需の落ち込みが大きかったため,きわめて厳しいものがあった。しかし,80,81年に連続して低下した実質GDPは,固定投資や在庫投資増などから,その他主要国に先がけて上昇に転じた。82年以降は,個人消費の回復を中心に内需が堅調となり,さらに,87年後半からは設備投資の回復がみられ,このところ経済はやや過熱ぎみとなっている(第1-1-3図)。
需要項目別の動向をみると,個人消費は,今回の景気上昇過程ではほぼ一貫して景気の牽引力の役割を果たしてきたが,これはインフレの鎮静化,個人所得減税,雇用増等による実質可処分所得の着実な増加などを背景としたものである。貯蓄率がこの間に大幅に低下し,記録的な低水準となっている(81年15.1→87年5.4)ことも大きな要因である。
設備投資は,法人税の改正(83年度以降段階的な法人税率の引下げ・特別加速償却制の廃止)の影響もあって不規則な動きとなっているが,高利潤,稼働率の高まり等を背景に底固く推移している。特に,87年後半からは,製造業の投資も回復し,88年の設備投資はブーム化している。しかし,製造業の投資の中心は合理化投資であって,その水準がようやく過去のピークに達したところであり,供給力の拡大にはまだ反映されていないものとみられる。
住宅投資も,根強い需要,持ち家の奨励,豊富な住宅ローンなどを背景に好調を持続していた。
今回の景気上昇局面では,輸出は83年以降増加に転じ,85年には対米輸出好調の持続もあって純輸出がプラスの寄与度となったが,全体としては,輸入の伸びがより大きかったため,純輸出はマイナスとなることが多かった。これは,イギリス産業の競争力が相対的に弱く,内需増→輸入増のパターンが依然としてみられたためである。
輸入(GDPベース,実質)は,82年の景気の立直りとともに増加に転じ,輸入のGDP比は81年の24.8から87年には29.9まで高まっている(88年上期は31.7)。イギリスの輸入は価格弾性値が低い一方で,所得弾性値は高いという構造になっている(NIESR推計では各々0.47,1.38)。国内の供給余力が次第にひっ迫してくるにしたがい,このところ輸入が急速に伸びてきているものとみられる。
これまでも景気がピークに近づくと貿易収支の赤字幅が拡大し,経常収支赤字の対GDP比のマイナス幅も拡大している(付図1-4)。しかし,今回は経常収支の赤字化につながるまでに,従来よりも時間的余裕がみられ,景気の腰を強くした。今回の景気上昇期では,経常収支が赤字化したのは86年以降であり,景気が上昇に転じて3年以上たってからであった。これには,北海石油の寄与が大きく,もし石油収支の黒字がなかったなら,経常収支は83年頃には赤字化していたことになる。88年に入ってからは,経常収支赤字の対GDP比は急拡大し,上期には2.6となっている。
こうした中で,これまでの供給面重視の政策によるイギリス企業の競争力強化を続けながら,経常収支赤字に対処するため6月以降8回にわたり金利が引き上げられた。これにより,過熱ぎみの個人消費を中心に国内需要を鎮静化させ,経常収支赤字幅を縮小させるという望ましい循環につながることが期待されている。
83年初から始まった西ドイツの今回の景気上昇はすでに6年が経過している。しかし,83年から88年上半期までの年率成長率は2.5と,63年以降5回の拡大期の平均成長率約6%,また前回の拡大期(78年4~6月期から80年1~3月期)の4%と比較しても極めて低い伸びにとどまっている。
今回の景気拡大局面では,アメリカの急速な景気拡大(83~85年)や,マルク相場の変化などを背景に,景気拡大の主役が内需から外需へ,そして再び内需へと移っていったのが特徴であり,これが景気拡大を息の長いものにしている。
景気回復が起こったのは82年末であり,82年夏以降の金利の低下,その秋の政権交替にともなう企業家マインドの改善,投資補助金の期限が82年末となっていたことなどから設備投資が回復に転じたことによる。83年に入ると,個人消費も増加に転じるなど内需の拡大から本格的に景気が回復し始める一方,外需は対OPEC輸出の減少からマイナスの寄与となった(第1-1-4図)。84年,85年は,アメリカでの景気の急拡大やドル高もあってアメリカ向けを中心に輸出が大幅に伸び,外需寄与度がプラスとなった (付図1-5)。内需も増加を続けたが,84年春から夏にかけての自動車産業の労使紛争の影響や住宅投資の減少などから寄与度は低下した。86年,87年は減税や,石油価格の下落にともなう実質的な所得増効果による個人消費の増加,設備投資の回復から内需が寄与度を高め,再び内需主導の拡大となる一方,外需寄与度はドル高修正もあって大幅なマイナスとなった。88年上半期は,減税や暖冬の影響もあって内需の拡大が続いたほか,マルク安にともない春以降は外需も増加しており,このため設備投資も堅調となってきている。
また,今回の景気拡大期のもう一つの特徴は,インフレが鎮静過程にあったということであり,これには石油価格下落という要因が大きく寄与している。
二度の石油危機後にはインフレ抑制のために厳しい金融引締め政策が採られ,景気拡大が短命に終わったのに対し,今回は金融政策が総じて緩和基調を維持することができ,景気拡大を長続きさせる要因となった。
上述のように,内需と外需が交代で景気拡大の主役となったことは,景気拡大を息の長いものにした反面,低成長にした原因でもあった。86年,87年についてみると,内需は好調であったものの輸出の伸びがほぼゼロとなり,外需の悪化が成長率を引き下げた。特に,西ドイツの商品輸出の約半分を占めるEC諸国向けは,同諸国での成長が西ドイツに比べ高かったにもかかわらず86年は伸びなかった。またアメリカ向けもマルク高もあり減少に転じた。さらに,石油価格低下の影響等からOPEC諸国向け輸出も83年以降減少を続けている (付図1-5)。
また,総固定資本形成の伸びが総じて弱かったことも成長率を低める原因となった。企業設備投資についてみると,資本分配率は82年以降上昇して70年代初の水準まで戻っており,金利も低下するなど投資環境は改善している。しがし,84年の労働時間短縮をめぐる長期ストや,86~87年のマルク高を背景とした輸出の低迷により企業設備投資は伸びを弱めた。さらに,公共投資は財政赤字削減が最重要課題となっていたため,86年に大幅増となったのを除くと,今回の拡大局面ではマイナスかほぼ横ばいにとどまり,景気支持要因とはならなかった。加えて,住宅投資は,過剰ストックの存在や人口減少など構造的要因もあって長期的に低迷している。
政策面では,西ドイツは経常収支黒字国として諸外国から内需の一層の拡大を要請され,既に決定されていた税制改革の前倒しや,復興金融公庫を通じた低利融資等の措置を行った。しかし,依然として経常収支黒字が大幅である他,主要国中でみれば低成長が続いているため,公共投資の拡充や構造政策の推進等を通じた一層の内需拡大が国際的にも要請されている。
フランスでは,ミッテラン社会党政権誕生(81年5月)後の積極的な金融・財政の緩和策により,81年央より景気回復が始まった。しかし,個人消費の急増によるインフレの高進や貿易赤字の拡大,財政赤字の拡大からフラン相場が下落し,引き締め政策への転換を余儀なくされ,82年後半から景気は再び停滞した。特に,総固定資本形成は,81年から84年まで4年連続で前年比減少を続けた。
84年以降,景気は再び上昇を始めたが,成長率は84年~87年平均で約2%と低い水準にとどまっている。84年には,EC諸国やアメリカ向け輸出の増加などによる外需の改善が寄与した。85年~87年には,外需寄与度がマイナスを続けたものの,設備投資の回復,個人消費の増加など内需寄与度が増加した。88年に入ってからも,設備投資を中心に内需が好調を続けているが,輸入の増加から外需は引き続きマイナスとなっている。
イタリアは,他のヨーロッパ諸国よりやや遅れて,83年半ばに景気回復に転じた。81年から減少を続けていた総固定資本形成が増加に転じたこと,個人消費の回復など,内需の拡大が寄与しており,87年の内需寄与度は約5%へ高まった。一方,外需は内需好調による輸入の増加からマイナスの寄与度を高め,成長率は84年から87年まで約3%となっている。88年に入ってからは,内需の好調に加え,輸出の伸びが高まっていることから,成長率も高まってきている。
なお,こうしたイタリアの景気拡大の持続は,スカラ・モビレ(賃金の物価スライド制)の改訂や石油価格の下落によるインフレの急速な鎮静化(80年21.0%→87年4.6%)によるところが大きいといえよう。
カナダでは,83年初来,個人消費,民間住宅投資の増加など内需を中心に景気は回復に転じた。84年は,アメリカの景気拡大にともない,対米輸出が急増し(カナダの84年の対米輸出シェアは76.2%),外需寄与度がプラスとなって成長率が高まった。85年には,輸出の鈍化から外需寄与度が再びマイナスとなり,また,86年には石油価格低下の影響,輸出の減少に加えて内需の伸びが鈍化したため,成長率は大幅に低下した(84年6.3%→86年3.2%)。しかし,87年には,石油価格の回復から設備投資が拡大して再び成長率が高まり(4.0%),88年に入ってからも内需中心の拡大が続いている。
オーストラリアでは,先進国での景気回復にともなう輸出の増加,個人消費の持ち直しから,83年央より景気回復に転じた。84年,85年は,輸出の急増,設備投資の回復から,成長率は6.9%,5.1%と高い伸びを示した。86年には,経常収支赤字の大幅拡大から豪ドルが下落する中で,金融が引き締められたことから,設備投資や住宅投資が減少し,成長率も2.2%へ鈍化した。しがし,87年には一次産品価格の上昇による輸出拡大,内需の回復から再び成長率が高まり(3.9%),経常収支赤字の縮小や雇用,物価面での改善がみられた。88年に入ってからは,内需がおおむね増加基調にあるものの,外需は伸び悩みとなっている。
韓国では,83年から回復し85年にはやや伸びが鈍化したものの85年末・86年初以降,87年にかけて輸出が大きく伸び,設備投資が誘発される形で10%以上の高成長が続いた。これは,産業構造の高度化に成功してきたことと,この時期のウォンの対ドル相場の上昇が,日本,西ヨーロッパ諸国の通貨の対ドル相場の上昇に比べるとかなり小さいことから,相対的に価格競争力が強化されたことがあげられる。87年は労使紛争やウォンの切り上げなどから,若干の成長鈍化が懸念されたものの,輸出,設備投資を中心に引き続き高い成長となった(87年,12.0%)。88年に入るとウォンの更なる切り上げ等から輸出の伸びがやや鈍化してきており,このところ10%前後の経済成長率となっている。また,87年央以降,物価がやや高まりを示してきており,賃金の大幅上昇もあって懸念材料となってきている。