昭和62年

年次世界経済白書

政策協調と活力ある国際分業を目指して

経済企画庁


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第2章 世界的な貿易収支不均衡-その原因と影響‐

第8節 経常収支不均衡と政策協調の考え方

1. 経常収支の不均衡はなぜ問題か

経常収支の赤字は一国が所得(生産)を超える支出を行い,海外に対して債務を発生させている状態であり,将来において所得の稼得能力,すなわち,競争力の改善が見込まれない場合には,債務の返済時における生活水準の切り下げにつながるなどの深刻な問題をはらんでいる。もちろん,資本不足を解消すれば発展のきっかけをつかむことができ,将来の債務返済能力が高まるような場合には,赤字もむしろ必要な現象として評価できるという場合もある。また,過去の2度にわたる石油ショック時における不均衡のように一時的なものであれば問題ではない。しかし,現在の不均衡の場合はやはり大きな問題であるといわざるを得ない性格のものであろう。現在のアメリカや累積債務発展途上国の赤字は長期化しそうであるからである。

また特にアメリカに関しては,第1に基軸通貨国であり,これまで世界経済のリーダーシップを取ってきた国が赤字となっているという問題もある。基軸通貨の価値の信認が揺らぐと,戦前のポンドの例のように(1931年から33年の間に為替レートは対ドルで31.4%の下落を示した)急激な為替レートの変動を生じかねない。第2に,アメリカで保護主義的な動きが強まり,それ自体が世界貿易の健全な発展を妨げると同時に,これがウルグァイ・ラウンドなどの世界的な自由貿易体制の維持・推進の努力に水をさすことになる,などの危険も無視することができない。

なお,アメリカがすでにネットで債務国となっていることが上記の第1の点との関連で問題視されている。純債務残高が数千億ドルにのぼれば,投資収益の支払いが巨額になり,赤字が赤字を呼ぶ結果になるという懸念である。しかし,第5節でみたように,アメリカの対外資産の収益率が外国の対米資産の収益率をかなり上回っていることなどから,当面は投資収益収支が赤字になることはないとみられる。したがって,債務国化の影響という側面をあまりに過大視することはできない。ただし,経常収支の現在のような大幅な赤字が何年も続くこととなればやがてはこの面からもなんらかの問題が生じることはありえよう。

2. 経常収支不均衡とドルの信認

(ドルの信認と為替レート)

1970年代のように,ほとんどの国において国際資本取引がかなり規制され,国内資本市場と国際資本市場が分断されていた時には,一国の通貨の信認が失われた場合には,為替レートに影響が集中しがちであった。為替レート以外に市場の中で需給の調節をするものがなかったといってもよい。多少の資本取引があってもその量に制限があれば,売り圧力,買い圧力を吸収するのは難しくなる。

しかし,日,英,独などで1970年代末に,国際資本取引が相次いで自由化されるにともなって,通貨に対する売り買いの圧力は以前とくらべて厚みをもった市場に分散されるようになったともいえる。すなわち,現在では為替レートに加えて,金利という国内金融市場の変量にも影響が分散されるのである。為替に圧力がかかった場合の自動的な金利の上昇だけで,為替の安定が得られるとは限らないが,各国の金融政策が調整されて必要な金利の上昇がもたらされることも期待してよいであろう。

今年4月頃,ドルが弱含んだ局面において,アメリカの金利が同時に上昇するという現象がみられた(第1章第4節参照)。ドルの実効レートは3月13日から4月24日の間に3%強切り下がった(モルガン銀行作成の実効レートによる)一方,アメリカの10年物の長期国債の金利は7.17%から8.44%へ上昇している。これに対応して円の対ドル・レートも切り上がっているが,日本でも金利に影響がかなり出ており,利付き国債(指標銘柄)の利回りは2月末の4.68%に対して4月末3.0%と低下した。

この間のアメリカの資本収支をみると,昨年中は外国の民間部門の対米資産の増加(資本の流入)が経常収支と同額かあるいはそれをかなり上回るペ―スで続いたが,1987年の1~3月期からはこの動きがやや鈍っている(第2-8-1図①)。また4~6月期には財務省証券の外国人の売り越しが増加しているが,商務省によると,金利の上昇の目立った4,5月頃にちょうどこの動きが顕著であったとされている。

また,日本の資本収支の動きについては,3月から5月にかけて;本邦資本の証券投資の流出超過幅の縮小の動きを中心に,資本取引の流れに変調がみられた(第2-8-1図②)。

このようにドル通貨に対する需要が滅少すると,その価格(為替レート)が引き下げられるだけでなく,ドル建て資産全体に対する需要が減少し,ドル建て資産の金利が上昇すると考えることができる。こうして金利が上昇し内外金利差が拡大すれば,結果として為替レートの変動は金利が動かなかった場合に比べて相対的に軽微なものにとどまるであろう。さらに,金利の上昇がアメリカの有効需要を縮小させ,輸入を抑制することを通じて,為替の安定に寄与するという経路も考えられる。

また,FRBの議長の議会証言によれば,この頃においてはFRBはやや引き締め的な政策スタンスをとっていたということであり,為替レートが弱くなる際に中央銀行が輸入インフレを警戒する態度にでることを示唆している。

ドルの暴落については以上のような歯止めが期待できるとしても,ドルの暴落のかわりに起こる金利の上昇が大幅なものであるとすると,累積債務国の負担の増加や,アメリカの景気の急激な下降などの別の問題をはらんでいることには注意しなければならない。

以上のような問題に対しては,黒字国からの資金還流をスムーズにすることが有効であると思われる。「資金還流」については,アメリカの経常収支赤字をファイナンスする資金のフローは事後的には必ず起こることになるが,発展途上累積債務国への資金のフローについてはある程度政策的にこれを確保する必要がある。わが国がすでに発表している200億ドルの資金還流措置はまさにこうした要請に応えるものとして意義深いものであろう。

(ファンダメンタルズと為替レ―トの安定性)

ところで,為替レ―トがファンダメンタルズからかけはなれたものなることは,各国経済の経済構造,産業構造にかなり長期的残存効果をもたらすものと思われる。例えば,1980年代前半のドル高期において,アメリカの工作機械産業などのように市場の大きな割合を失い,工場閉鎖などが相次ぐケースもみられたが,こうした産業が,仮に逆にドル安となった局面で新たに立地し,工場を建設し,操業を開始するとしても,それには相当の時間を要する。ファンダメンタルズに対して,為替レートの変動が行き過ぎたり,逆方向に進んだりする場合には,国際収支の均衡に役立つとは限らず,これがかなり長期的な後遺症を残す可能性があることはこのような事例からしても充分に考えられることである。このように国際収支の不均衡に対して,これを調整するメカニズムとして期待される為替レートの変動も,ファンダメンタルズから大きく乖離する状態にまでいくと問題が生じないわけではない。

以上のような点を考慮すると,変動相場制の利点を生かしていくことが必要であると同時に,為替相場がファンダメンタルズから大きく乖離しないという意味での為替レートの「安定」も求められよう。すでに1985年9月22日の5か国蔵相・中央銀行総裁会議(G5)の合意(いわゆるプラザ合意)においては,「為替レートが対外インバランスを調整する上で役割を果たすべきであることに合意した。このためには為替レートは基本的経済条件をこれまで以上によりよく反映しなければならない。彼らは,合意された政策行動が,ファンダメンタルズを一層改善するよう実施され強化されるべきであり,ファンダメンタルズの現状及び見通しの変化を考慮すると,主要非ドル通貨の対ドル・レートのある程度の一層の秩序ある上昇が望ましいと信じている。」との声明がなされており,このためのより密接な協力への用意も表明されていた。

また1987年2月22日のいわゆるルーブル合意においては「今や各通貨は基礎的な経済諸条件におおむね合致した範囲内にあるものとなった点に合意した。

各通貨間における為替レートのこれ以上の顕著な変化は,各国における成長及び調整の可能性を損なうおそれがある。それゆえに,現状においては,大臣及び総裁は,為替レートを当面の水準の周辺に安定させることを促進するために緊密に協力することに合意した。」という声明が発表されている。このルーブル合意は,その後の87年4月8日の7か国蔵相・中央銀行総裁会議(G7),ヴェネチア・サミット,87年9月26日のG7などにおいて再確認されている。この9月のG7では「ルーブル合意及びワシントンにおける4月のG7会合以来の,大きなできごと,政策の進展及び外国為替市場の展開を吟味した。彼らは,為替レートの安定が達成され,それが参加国の経済政策及び経済パフォーマンスに良い影響をもたらしてきたことを歓迎した。」との声明が出されている。

これらのような,その時々における為替レートの評価や,為替レートの安定のための各国の行動についての言及がみられるようになったことは,第2-8-1表に掲げたような最近の一連の国際的合意の傾向といえよう。

(為替レートと政策協調)

かつては,変動相場制のもとでは,各国は自国の国内経済の均衡のみを念頭において,いうなれば他の国の動向を無視して,財政・金融政策をとることができる,という説もみられた。これは一定の条件が満たされた理論上の純粋な状態に関するものであり,現状はそうした条件を必ずしも満たしていないが,それでも,石油危機などの外生的ショックが為替相場の変動に吸収されることによって,各国の国内の経済変動一物価や景気の動きーが緩和されたことは評価しなければならない。

しかし,①前項のような為替レートのファンダメンタルズからの乖離が起こりうる,②しかも為替レートの変化は国際収支の改善の効果を持つものの,効果の発現には時間がかかるうえに,それだけでは改善といっても限界があり,他の悪化要因―例えばアメリカの輸入の所得弾力性が高いこと―を乗りこえることができるとは限らない,などの問題が生じてきたことも事実である。そこで,前項でみたように為替レートの「安定」の必要性についての合意(上の①に対応する動き)が見られるとともに,為替レートを「安定」させるためのマクロ経済政策の国際協調が必要とされるようになった。同時に,為替レートの国際収支調整機能を補完するためのマクロ経済政策の協調(上の②に対応する動き)も最近の一連の国際会議の合意事項に頻繁に現れている(第2-8-1表)。

アメリカの財政赤字の削減をとってみても,ある時期はドル高修正の必要性の観点(上の①に対応)から主張されていたが,ドル高の修正が進んだ結果,最近ではそれでも経常赤字が大幅に改善しないという問題との関連(上の②の問題との関連)で必要だとされている。

なお,かつてはドル高の修正に必要であるとされたものが,為替レートの「安定」が要求されている時点でも依然として必要だとされているのはなぜであろうか。これは,経常収支の赤字が大きくなり,アメリカの純債務残高も累増の見通しとなってきたことから為替レートに与えるこれらの要因の比重が高まってきているためであると思われる。すなわち,財政赤字の削減は金利を引き下げ,ドル安方向の影響をもたらすにしても,最近ではそれよりも財政赤字の削減が貿易収支の改善を通じて為替レートに与えるドル高方向の影響の方が大きくなっている可能性もある。だとすると現在においても財政赤字の削減はやはり必要であろう。

アメリカの財政赤字の削減が経常収支の赤字の減少につながるかどうかの問題に関連して注目される点が2点ほどある。第1は,9月に終わった87会計年度の財政赤字は前年度に比べて大幅に減少したが,これがかなりの程度キャピタル・ゲイン課税の強化に伴う駆け込み納税の動きによっていたために,民間貯蓄が減少してしまい,経常収支の赤字縮小につながらなかったことである。

第2は,財政赤字の削減は資金需要を減少させ,金利を低下させるという効果を潜在的には持ち,これは民間投資の増加(クラウディング・アウトの逆)という将来の生産力,競争力に貢献する現象も引き起こすが,同時に耐久消費財や住宅などの需要を強くする効果を持ってしまうことである。いずれにしても,財政,金融いずれかによって,あるいはその双方によってある程度の景気後退をおこすことにならなければ,アメリカ一国だけのマクロ政策による経常収支赤字の削減は難しいことには注意しなければならない。

(政策協調の意義)

以上のような経済政策協調の努力に対しては,赤字国の側の努力が基本となるべきだという見方もありえようが,アメリカのような規模の経済が,しかも現在のように巨額の経常収支赤字を抱えている時に,赤字国であるからといって,短期的,集中的な改善を図るための需要面の政策-財政赤字の削滅-をとれば,効果は大きいかもしれないが,短期的な副作用,すなわち世界経済に対するデフレ的影響もそれだけ大きい。そこで,黒字国の側での内需拡大もあわせて行うことによって,世界経済に対する収縮的影響を緩和することにも意味が出てくる。これは赤字国と黒字国の協調の意義である。

また黒字国一国の行動ではおのずから限界がある(例えばある黒字国が一国だけで内需拡大を行っても,その効果のうち赤字国の赤字縮小につながらず他の黒字国へ漏出してしまう分が大きく,歩どまりが悪いといった問題)が,黒字国全体の協調により,赤字国のいずれかには必ず効果が及ぶ。これは黒字国と黒字国の協調の意義といえよう。

1987年2月のルーブル合意のように会議の参加国すべてについて採るべき政策を列挙するという例も見られるようになっており(第2-8-2表),以上のような観点からの政策協調の必要性が強く認識されるようになってきていることが窺われる。しかし,その後,わが国が大規模な内需拡大策を決定,実施しているほか,西ドイツでも減税の前倒し実施(88年度)に続く90年度の大型減税が予定されており,厳しい財政環境下で政策協調努力が行われているが,現在のところ西ドイツの政策は十分な貿易不均衡是正効果を生じていない。また,アメリカでの財政赤字が87会計年度については前年度の約2210億ドルから約730億ドルも減少したが,これは前項でもみたように一時的要因による税収の増加に負うところが大きいため,民間貯蓄の減少を伴ってしまっており,貿易赤字の減少に結びついていない。

3. 貿易赤字と保護主義

(アメリカにおける貿易赤字と保護主義的な動き)

大幅な貿易赤字が毎月発表されるたびに,米議会の貿易法案を推進している議員たちは,これこそが貿易法案を必要とする理由である,という反応を示してきた。なかには貿易赤字の原因はアメリカ自身の側に相当あることを認め,貿易法案は赤字を是正するよりも,外国の保護主義的なやり方を改めさせるために必要であるとする議員もいるが,結果的には下でみるように貿易法案の上院案,下院案とも,米国の貿易政策を保護主義色の濃いものに変えようという意図があらわなものとなってしまっている。

こうして,アメリカの赤字であるにせよ,黒字国の黒字であるにせよ,国際収支の不均衡が結果的にアメリカの保護主義的な動きを擁護する材料として使われている。第1章でみたように,アメリカの雇用は予想外の改善を示しており企業収益も好調である。かつてはしばしばみられた「輸入が雇用機会や経営に対する脅威となっている」という主張もいまやあてはまらない状態になっているために,貿易収支,経常収支の赤字が残された拠り所として使われるようになっている。

このように,国際収支の不均衡が保護主義的な動きを強めていることに対しては,アメリカに対し保護主義の危険性を訴えるとともに,各国による経常収支の不均衡の改善努力が必要であろう。ことにわが国にとっては,経常収支の黒字の削滅のための政策として考えられている,社会資本の整備,労働時間の短縮,輸入の拡大などは,国民の生活の質を改善するものであり,経常収支の大幅な黒字がなくとも,むしろ積極的に推進するべきものであろう。

(アメリカにおける包括貿易法案の動き)

アメリカにおける貿易立法についてここでまとめておこう。

まず1986年5月に,下院本会議は3分の2の圧倒的多数で包括貿易法案(正式名称「1986年貿易・国際経済政策改革法案」)を可決した。しかしこれは,第99議会では上院で未審議のまま時間切れ廃案となっている。

1987年にはレーガン大統領も,まず一般教書において,競争力強化を訴えた。

アメリカの優秀さを高めることによって,生産性の向上をはかり,これによって長期的には生活水準を切り下げることなく,競争力を改善するべきであるという考え方をしめした。さらに,大統領は2月に,議会に競争力強化の具体策である「1987年貿易・雇用・生産性法案」を提出した。この法案の特色は,第1に,目標を生産性の向上においていることである。具休的には学校教育の充実,労働者の再教育,科学技術の振興などがもりこまれている。より細かい具体策のなかでは,国防,宇宙を含む政府機関の研究成果の商業化の推進などが注目される。そのほか,政府の規制・介入を減少させるべきであるという,従来からの考え方に基づく方針を打ち出している。

議会では1987年に入ってすぐに多数の貿易関連法案が提出された。そして下院では4月30日に「1987年貿易・国際経済政策改革法案」が290対137で可決された。上院においても7月21日に「1987年包括貿易・競争力法案」が71対27で可決されている。両案は上下両院の協議会で調整されつつあるが,大統領は可決後の下院案,上院案のままであれば拒否権を発動するとしている。しかし,大統領が拒否権を発動しても,両院が3分の2以上の多数をもってこれを覆す(オーバーライド)可能性もある。両案の可決の際の賛成票がすべて,オーバーライドにまわるとは限らないが,こうした危険性はある。いずれにせよ,保護主義色が薄められ,大統領が署名可能な案が両院の協議の結果成立することが望まれている。

上院案,下院案とも,非常に多くの条項を含む「相乗り(オムニバス)法案」の形をとっているが,主要なポイントは「74年通商法」第301条(不公正貿易慣行に対する対抗措置)や同法201条(輸入被害に対する救済)を大幅に改訂,強化することなどにある。両者の違いは付注2-7に要約したとおりであるが,いずれも,①GATTに違反する,②特定国に標的を絞っている,③自動的に制裁,報復を行う,といった性格を持っていることでは共通している。これらの特徴は,戦後の自由貿易体制を支えてきた無差別,多角的(マルティラテラル)な取り決めを,という理念に真正面から抵触するものである。

1986年の9月からウルグァイ・ラウンドの交渉が始まり,自由貿易体制の維持・強化の努力が続けられているが,アメリカで保護主義的色彩の強い貿易法案が成立することは,本ラウンドの進展に対する各国の意欲をくじくことにもなりかねず,大いに憂慮されるといわねばならない。


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