昭和62年
年次世界経済白書
政策協調と活力ある国際分業を目指して
経済企画庁
第2章 世界的な貿易収支不均衡-その原因と影響‐
本節では,アメリカの長期的,構造的な貿易収支赤字拡大要因を供給面から考えてみる。その場合,アメリカの製造業の国際競争力を低下させた要因として労使関係,経営姿勢の問題があり,また,海外調達拡大の要因として企業の多国籍化,サービス経済化の問題が重要である。さらに,サービス経済化の進展が貿易収支赤字拡大による急速な債務国化の問題とも相まって,アメリカ経済の「空洞化」懸念を引き起こしていることから,この面についても取りあげてみた。
アメリカの労使関係をみる場合,まず第1に注目される点は,強固な産業別労働組合と一部大企業による寡占体制が確立されていたことである。製造業の中では,特に鉄鋼業と自動車産業においてこうした傾向が強かった(第2-5一1図①)。産業ごとに組合が組織され,その組織率が高かったため,高い賃金水準,賃上げや労働争議による生産停止は国内の企業間の競争にはあまり影響を与えなかった。また,大企業の寡占がすでに戦前から確立されており,戦後も長らく大きな国際競争力の脅威にさらされることが少なかったため,鉄鋼業や自動車産業では市場シェア獲得のための競争をする必要が乏しかった。こうしたなかで,これらの産業では長年の間,製造業の中でも高い賃金水準,賃金上昇率を維持してきた(第2-5-1図②)。一方,経営者は収益率を維持するために,賃金の上昇等によるコスト上昇を生産性の上昇でカバーすることなく,直接製品価格に転嫁する傾向がみられた。こうした傾向は,例えば鉄鋼業などにおいて顕著にみられ,そのため鉄鋼製品価格は工業製品価格全体の伸びを上回る上昇を示してきた(第2-5-1図③)。強力な労働組合が賃上げを要求すると,収益重視の経営者はその分を製品価格に転嫁するという形で労使は合意を続け,この悪循環がこれらの産業の国際競争力を著しく低下させる方向に作用したと考えられる。また,労働争議による生産停止も輸入を増加させる要因になったとみられる。
次に注目されるのは,科学的労務管理の問題である。伝統的なアメリカの科学的労務管理(テイラー・システム)では労働者の職務範囲,分担が細分化,単純化されており,ラインである労働者は一定の賃金の下で,与えられた職務を厳密な作業手順によって遂行することを要求されるのが通例であった。一方,経営面については経営者や技術,管理スタッフがすべて決めることであり,労働者は介入すべきでないとされていた。このため,労働者は与えられた条件の下で最大限の賃金を獲得することのみを追求する傾向が強かった。このような労使関係は,生産現場と企画・管理部門の乖離ともいいうる状況を生じる原因となったといわれている。すなわち,こうした労使関係は,一方ではレイ・オフが頻繁であったこと等とも相まって,生産現場の労働者の労働意欲を損なう一因となったとみられるほか,故障率の高さに象徴される品質の相対的低下等につながり,他方では開発過程で生産現場のノウ・ハウを吸収することが重要なポイントとなるような応用技術開発・導入の遅れの背景となったと考えられる(例えば,産業用ロボットの汎用化・実用化)。
以上のようなアメリカの労使関係の特徴が,70年代を通じて産業の国際競争力を低下させる方向に作用してきたと考えられる。しかしながら,82年の不況以降,輸入製品のシェア拡大等の国際競争激化や組織率の低下傾向などもあって,アメリカの労使関係にこれまでと異なる動きが出てきているのも事実である。自動車,鉄鋼業等の労働組合は伝統的な賃金決定方式の柱である生計費スライド方式(COLA:物価上昇に対する名目賃金の調整としで支給される生計費調整手当)の実施延期などを含む労働協約を結ぶなど,賃金上昇よりも雇用確保を優先するため労使交渉において柔軟な姿勢をとるようになった,そのため,賃金上昇率も落ち着きをみせ,生産性上昇努力の強化とも相まって,80年以降の賃金コスト上昇率では日本と同程度のものとなっている。しかも,最近の大幅なドル高修正もあって,コスト面からみた競争力回復には着実な進展がみられる(第2-5-1表)。一方,労務管理においても,QCサークルなどを通じて労働者に参加の機会を与え,勤労意欲,生産性向上を図り,労使間の協調を目指す企業が増加しているといわれている。
アメリカの企業経営における第1の目標は,高い収益率の維持と株価の上昇といわれている。これに対し,日本の企業では市場占有率や新製品比率の拡大など中・長期的な企業成長が第1の目標に上げられ,収益率等にはあまり高いウェイトは置かれていない。事実,日米の代表的な企業(製造業)の財務指標を比較してみると(第2-5-2表),アメリカの企業が圧倒的に高い収益率を誇っていることがわかる。こうした経営姿勢の違いについては,歴史的,文化的な背景もあって一概にいえないが,日本では「企業は労使の運命共同休」と考えられるのに対し,アメリカでは「企業は株主の所有」と考えられるところに根本的な理由があるものとみられる。アメリカの企業は,最近でこそ外部借入れのウェイトが高まり自己資本比率は低下傾向をみせているが,伝統的には内部調達比率が高く,外部資金も株式等の有価証券による調達が多かった。そのため,株主の期待に応える収益率と株価の上昇を重視したのである。また,アメリカのように年金,信託が発達している国では,配当収入を株式保有の第1の目的にしている投資家の比率が高く,こうしたことも株主の影響力を強める一因になっているとみられる。
以上のような特徴をもつアメリカの経営姿勢が,産業の国際競争力を低下させる方向に作用した例として,ここでは80年代の自動車産業をみてみよう。石油危機後,日本等からの小型車の輸入増加を背景に,81年4月から日本の乗用車の対米輸出自主規制が実施された(81~83年度168万台,84年度185万台,85~87年度230万台)。しかし,こうした庇護の下でアメリカの自動車産業は,国産車のシェアを高めるよりも,国産車の価格を引き上げることで,収益の増加を図ったとみられる(第2-5-2図)。さらに,この傾向は85年春以降のドル高修正下においてもみられ,輸入乗用車価格(ドル建て)の上昇に便乗する形で,国産車の価格が引き下げられた。こうしたこともあって,国内乗用車販売に占める輸入車のシェアは依然として低下傾向がみられなかった。このようにアメリカの自動車産業は実質的な輸入規制による庇護やドル高修正を競争力回復,市場シェア拡大のチャンスとして活かすより,もっぱら自らの収益を増加させることに利用したとみられる。
このほか,アメリカの経営姿勢の特徴に起因するもので,産業の国際競争力を低下させているとみられるものに企業買収・合併の盛行があげられる。もちろん,企業買収・合併には長期的な展望に立って企業の不採算部門,不要部門を売却するとともに,自社に欠けている事業,特にハイテク,情報部門を有する企業を買収することで,企業のリストラクチャリング(再構築)を図り,企業の活性化を進めているというプラスの面があることも事実である。しかしながら,買収を防止するために四半期ごとの収益を上げ,株価を高めに維持するとともに,市場から自社株を買い戻すことに多大の経営資源を費やし,長期的な投資計画を先送りせざるを得ないなど,競争力強化がなおざりになっている面も否めない。
アメリカの製造業における労使関係や経営姿勢の特徴が,一方で産業の国際競争力を低下させる方向に作用してきた例についてはすでにみたが,他方で企業の多国籍化を大胆に押し進める方向にも作用し,アメリカ国内における長期的な製造業のウェイト低下,その裏側としてのサービス経済化の進展を促してきたとみられる。こうした長期的な傾向が,80年代前半の貿易収支赤字拡大による急速な債務国化に直面して,アメリカ経済の「空洞化」懸念を引き起こすことになった。「空洞化」については,例えば,「60年度年次世界経済報告」では「製造業が競争力を失い,国内から重要産業が撤退して直接投資等を通じて国外に流出し,国内にはサービス産業のみが滞留し,成長力が弱化する状況」と定義している。ただし,「空洞化」の定義は人によって様々であり,定義の仕方によってアメリカ経済が「空洞化」しているかどうか判断が分かれることになる。ここでは,「空洞化」の議論の背景を成す長期的な傾向のうち,①企業の多国籍化の影響,および②サービス経済化の影響について整理,評価してみた。
アメリカは60年代の後半以降,市場の維持,拡大を目指すとともに,高い収益率を求めて,ヨーロッパを中心に海外直接投資を増加させていった。しかし,80年代に入ると,全休の海外直接投資はむしろ減少し,逆に外国からの対米直接投資が増加している。したがって,80年代以降の多国籍化の影響の中で注目されるのは,全体の海外直接投資動向ではなく,第3章で詳しくみるように,アメリカの海外直接投資に占める比率はまだ低いものの,特に電機・電子の分野でアジア途上国等へ安い労働力を求め,生産基地の海外移転,進出を図り,親会社には本社機能と研究開発部門が残るというアウト・ソーシング現象であろう。こうした現象は,確かにアメリカの輸入拡大,貿易収支赤字拡大の一因となるとともに,国内の雇用に悪影響を与えている可能性があると考えられる。
しかし,これはあくまでアメリカ企業の主導の下に行われており,アメリカの企業が弱休化したわけではない。むしろ効率的な海外調達を拡大することで,国内物価の安定等に寄与している面も大きいとみられる。
「空洞化」の議論に関するもう1つの背景は,サービス経済化の問題である。まず,60年から86年にかけての名目GNP構成比および雇用者構成比を各産業別にみると(第2-5-3図),製造業のウェイト低下,サービス業のウェイト上昇が傾向的にみられる。特に,サービス業の中でも金融・保険・不動産業やその他サービス業で着実な上昇がみられる(第2-5-4図)。
こうしたサービス業のウェイトが上昇するという意味でのサービス経済化の進展に対しては,それが経済全休の生産性を低下させ,経済の「空洞化」を招くということがしばしばいわれる。実際,各産業の生産性上昇率をみると(第2-5-5図),製造業では70年代後半に若干の鈍化がみられるが,80年代に入って再び比較的高い上昇を示している。他方,サービス業では運輸・通信業のように大量輸送への移行や情報機器の導入等により,生産性向上が図られたとみられる業種もあるが,全体としては製造業に比べて低い伸びにとどまっている。
しかしながら,サービス業の生産性には,その基礎となるサービスの実質化が統計上困難(サービスの質の向上が価格の上昇ととらえられる場合が多い)なこと,製造業の中にも経営の多角化等からサービス関連の生産割合が高くなっているにもかかわらず,統計上製造業生産に算入されるなどサービス業の生産額自休が統計上の未整備から過小計上されているなどの問題があることに留意する必要があろう。
したがって,サービス業の生産性の低さをもって「空洞化」と結びつけるのはやや短絡的とみられ,むしろ,製造業の着実な生産性上昇が伴う限り「空洞化」懸念はかなり緩和されよう。現に,アメリカにおけるサービス経済化の進展の背景には製造業の高度化,生産性の向上があり,例えば,先端技術産業とソフトウェア産業のように,先端技術分野での技術革新,生産性の向上が新たなソフトウェア需要を生むと同時に,逆に新たなソフトウェアの開発が製造業の生産性を高めるという,サービス業が製造業を下支える面もみられるなど,サービス業と製造業は互いに密接不可分の関係となっている。
アメリカはサービス経済化の進展において最も先行しており,このことはサービス貿易の面でアメリカが比較優位を有していることを示すものとみられる。そこで,広義のサービス貿易収支といわれる貿易外収支の動向をみてみよう。貿易外収支の内訳は大きく投資収益収支,運輸・旅行収支,特許料・その他サービス収支に分けられる。このうち投資収益収支については,アメリカの債務国化の問題と合わせて後述するとして,最近の貿易外収支の構造を概観すると(第2-5-6図),輸送・旅行収支が赤字となる一方,特許料・その他サービス収支および投資収益収支は黒字となっており,全休では投資収益収支の黒字とほぼ同程度の黒字となっている。
まず運輸・旅行収支についてみると,80年代に入るまでは若干の赤字(旅行収支は80,81年と黒字化)にとどまっていたが,83年以降ともに赤字幅が急拡大した。これは,前者については83年以降の輸入急増による貿易収支赤字拡大(実質ベース),後者についてはレーガノミックス下におけるドル高と消費支出増大が大きく影響しているとみられる。しかしながら,85年春以降のドル高修正により実質ベースでの貿易収支赤字が改善傾向にあることなどから運輸収支の赤字幅縮小が見込まれる一方,旅行収支についても,外国人旅行者数が急増しているのに対し,アメリカ人の海外旅行者数が減少するなど赤字幅縮小が見込まれている(86年中はドル高修正による名目ドル支出額の急増から赤字幅縮小は小幅にとどまった)。
特許料・その他サービス収支は一貫して黒字基調を続けており,技術,ソフト,レジャー関連・娯楽の輸出などサービス業におけるアメリカの比較優位を最も端的に反映しているとみられる。特に,特許料については支払額が受取額に比べて極端に少なく,アメリカが圧倒的な技術輸出国であることを示している。確かに民生部門や応用研究の分野で他の先進国の追い上げが厳しいといわれているが,基礎研究,国防・宇宙開発,大型コンピューターなどの分野ではアメリカが依然として優位性をもっている。
アメリカは80年代前半の経常収支赤字拡大により急速に債務国化し,しかも純債務残高は85年末の1119億ドルから86年末には2636億ドルと急拡大している。そのため,債務に対する利払いが巨額化し,貿易収支赤字の改善を相殺することから,経常収支赤字の改善はさらに遅れるのではないかとの悲観的な見方が一部でなされている。
この問題を考える場合,まずアメリカの対外資産が過小評価されている可能性があるほか,統計上の信頼性にも問題があるとみられ,したがって,純債務残高の数字についても幅をもってみる必要があろう。
次に,アメリカが世界最大の債務国になっているにもかかわらず,投資収益収支は依然として黒字基調を維持している点に留意する必要がある。国際収支統計では,投資収益収支は直接投資部門,その他民間部門,政府部門の3つに分けて計上されている。最近の収支動向をみると(第2-5-7図),政府部門が緩やかな赤字拡大傾向を続けるなかで,これまで黒字基調を続けていたその他民間部門も85年以降急速に黒字が縮小し,赤字転落への兆しをみせている。しかし,直接投資部門は逆に85,86年と黒字が拡大し,全休の投資収益収支はなおかなりの黒字を維持している。
投資収益の受取・支払は,基本的には,それぞれに対応する資産・負債残高の規模と収益率によって決まると考えられる。そこで,それぞれの受取・支払に対応する資産・負債の当年末の残高と前年末の残高の平均から算出した収益率を比較してみると(第2-5-8図),直接投資部門では受取・支払の収益率格差が大きく,しかも,85,86年と格差は拡大している。受取の収益率はドル高修正の影響もあって85,86年と高まったが,支払いの収益率は82年以降かなり低い水準にある。これは,外国からの対米直接投資残高の半分以上が82年以降のものであるなど歴史が浅く,未だ十分な収益を生むに至っていないという事情があるものとみられる。
その他民間部門は若干のタイムラグがあるものの,受取・支払ともおおむね米ドル金利の動向を反映した動きとなっている。両者の収益率格差は,米銀が世界の銀行としての役割を果たしていること,アメリカの大企業の調達金利が総じて低いこと等を反映したものとみられる。政府部門は,支払側が米国債金利の動向を反映する一方,受取側は長期政府借款等の利払い開始等に伴い緩やかな上昇傾向をみせている。
以上を合計した全体の動向をみても,なおかなりの収益率格差が存在し,この点が債務国化に伴う投資収益収支の悪化を緩和している。今後については,経常収支赤字の大幅縮小が早急には見込まれないことから,負債の増加ペースは資産のそれをかなり上回るものの,依然として収益率格差が継続することに加え,資産も増加を続けると考えられるので,投資収益収支は悪化傾向をたどるとしても赤字化する事態は当面ないものとみられる。しかしながら,経常収支赤字の累積による残高効果は大きく,その点はその他民間部門および政府部門の収支動向に端的に現れている。したがって,経常収支赤字の大半を占める貿易収支赤字の縮小が求められることはいうまでもない。