昭和61年

年次世界経済報告

定着するディスインフレと世界経済の新たな課題

経済企画庁


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第4章  変わる国際収支不均衡の構図

第3節 NICsの国際収支の変化

韓国,台湾の経済は,86年に入って再び目覚ましい拡大を示している。他方ブラジルや香港なども順調な工業の発展を遂げつつあるなど,概して新興の工業国・地域は高い成長率を取り戻しつつある。しかもこれらの国・地域においては経常収支の赤字解消あるいは黒字拡大という傾向がみられる。以下では,韓国と台湾を中心として,NICsにおけるこうした経常収支改善の要因と,その背景としての経済発展の概況をみることとする。

1. NICsの経済発展の回顧

韓国は,1960年代に「漢江の奇跡」と呼ばれた急速な成長を遂げたあと,1970年代,80年代においても2度にわたる石油危機という試練があったにもかかわらず,やはり高い成長率を示してきた。台湾はアメリカや日本という同じ太平洋地域の国々とも正式の国交を失うという状況に遭遇しつつも,韓国と同程度の2けた成長を実現している。これらの成長テンポはかつての日本の高度成長に匹敵する。また,その重化学工業化,輸出構造の高度化のテンポは日本が経験したものよりもかなり速い。

両者の高度成長の内容をみると,需要面では,総需要に占める輸出の比率が高いことが共通している(第4-3-1表)。したがって成長率に対する輸出の寄与度も高く,日本の高度成長期のそれを上回る。ことに台湾の場合はGNPの増分がすべて輸出によってもたらされる年もあるなど,需要面の輸出依存体質が目立っている。

もっとも60年代前半までは輸出が成長を牽引する力は弱く,投資が需要拡大の基点になっていたが,こうした高い投資比率が供給力の過剰に結びつくのではなく,輸出の増大となって,さらに技術資本,原材料などの輸入能力を高めていった点は日本とも共通しているといえよう。

供給面では,高い投資比率が資本ストックの高い伸びを保証したし,技術については,海外に全面的に依存することによって単に先進工業国に追尾することができただけでなく,後発であるがゆえにむしろ先端的な設備,機械を既存の設備の償却を待つことなく導入できるという利益を享受した。この点もかつての日本と共通している。韓国の例でみると,最近でも海外からの技術導入が相次いでいる一方,自主開発技術に対する資源の注入はまだ本格的とはいえないようである(第4-3-2表)。

高い投資比率を当初支えたのは,外国資本の流入であった。まず韓国については,1960年前後においては,総投資の6,7割が外国資本によってまかなわれたことになっているし,その後70年代前半まで3,4割の外国資本への依存が続いた。しかるに,70年代半ば頃から,個人貯蓄,政府貯蓄などが目立って増大し,「国民貯蓄率」がある程度「投資率」に見合うところまできた(前出第4-3-1表)。

台湾では,50年代までは,韓国ほどではないにせよ,資本形成の半分近くを海外からの資本に依存していたが,70年代,80年代を通じて20%前後という高い個人貯蓄率に支えられて,高水準の投資比率をむしろ上回る総貯蓄率を保ってきた。

以上のように両者とも,日本の高度成長を説明した要因の多くを共有するようになってきており,今後に向けて持続的成長を遂げていく条件を備えているといってよい。

2. 成長と貿易立国に資した経済計画

韓国,台湾では前述の通り輸出依存度は高い。両者は自らの市場の狭さもあって早くから輸入代替・輸出振興を眼目とする経済計画によって経済発展の推進を試みてきた。また,産業構造に関しては初期においては軽工業を中心とする工業化,ついで重化学工業化,さらに技術集約化へと目標を高めてきている。

① 1950~60年代

韓国の初期経済計画は輸入代替を目標としており,1962年から72年の第1次・第2次の計画は産業基盤の整備,消費財の輸入代替化(第1次),中間財の輸入代替化(第2次),等を重点目標としたものであった。第1次計画では電力,セメント,化繊糸等の産業を,第2次計画では合繊,石油化学,機械産業を主要育成産業に指定する一方,輸出産業工業団地を造成し政府により道路,港湾,電力等の社会資本が整備された。

投資資金は貯蓄率の低さもあって,公共借款,商業借款,経済援助などに大幅に依存していた。税・金融面では輸出稼得に対する法人税・所得税の減免,輸出産業への優遇金利(6%)の適用などの政策がとられた。

以上の2つの計画期間中のGNP成長率は計画値を上回ったが,産業基盤整備のための資本財の輸入増により輸出の増加にもかかわらず貿易収支は悪化した。

台湾では韓国より早く経済計画に着手しており,1953年から60年にかけての第1次,第2次の計画では,農業生産の増大,労働集約的軽工業の育成による輸入代替化の促進が主な課題であったが,これは概ね達成された。例えば,軽工業のなかの「繊維・皮・木製品」は計画期間初には輸入依存度が高かったものが,1962年にははやくも輸出が輸入を上回るようになった。この間,国内産業育成のため関税及び輸入規制等の措置がとられた。

第3次から第5次計画(1961~72年)では一歩進めて輸出志向の方針がとられ,これによる国際収支の改善が重点目標とされた。輸出品の内訳も製品輸出が割合を増し,なかでも資本集約的な「電気機器」が「繊維・皮・木製品」に次ぐ割合となった。貿易収支も1972年から黒字基調となった。

1960年代は投資奨励条例により外資・民族系を問わず税の減免,工業用地取得時の優遇措置がとられ,実効をあげた。

② 1970年代

韓国の第3次計画(1972~76年),台湾の第6次計画(1973~75年)では共に重化学工業化が目標とされた。

韓国の第3次計画では機械,鉄鋼,電子,造船を主要育成産業に指定し,重化学工業のために資本財輸入関税の負担軽減(分割払い化,関税払戻し),工業団地の造成や外国からの資金導入が図られた。

台湾では1973年実施の「十大建設計画」のもとで一貫製鉄所,造船所,石油化学工場の建設が進み,多くの基礎資材の自給比率が向上した。

その後,韓国では第4次計画(1977~81年)から,また台湾では経済建設計画(1976~81年)から,重化学工業に加えエレクトロニクス産業の育成が重点目標に加えられている。

この時期においては韓国では国内貯蓄の増大,経常収支の改善,資本財等の国産化率の引き上げが重点目標とされ,一方,台湾では社会資本の一層の整備に加え,高付加価値商品の輸出,輸出品目の多角化及び輸出仕向地のアメリカ以外への分散が重点とされた。

③ 1980年代

韓国は1982年からの第5次計画,84年からの修正計画で物価の安定,国際収支の均衡等を目標としている。原油価格の下落やドル高修正のおかげで目標は実現されつつある。

一方,台湾は1982年からの経済建設計画及びこれと並行する1980年からの10か年計画でエレクトロニクス産業を引き続き重視している(第4-3-3表)。

以上のように韓国,台湾ともに経済計画初期には輸入代替化を主眼とし,その後輸出振興を基本方針とし,軽工業化,重化学工業化,技術集約化へと目標を移してきたが,政府による戦略的産業への投資,インフラストラクチャーの整備,税・金融面での優遇措置が効を奏して,石油危機前後を除いて概ね目標を達成してきた。最近における両経済の好調は,環境条件の好転という外的な要因が下でみるように作用しているが,上記の経済計画に盛られた政策も経済発展と貿易構造の高度化に貢献し,今日の好調の基礎を築いたといえよう。

3. 韓国・台湾の輸出構造

韓国の輸出をみると,1970年以前は労働集約的製品が主力であり,中でも繊維・同製品,衣類が全輸出の35.8%(70年)を占めていた。しかし,労働集約的製品の占める割合は71年をピークに低下した。代わって資本集約的製品がシェアを高め(72年の21.3%から84年の49.9%へ),83年以降は労働集約的製品のシェアを上回っている(第4-3-1図)。

1985年の輸出品目では電子・電気機器,船舶が全輸出の28.6%を占め主要輸出品となっている。また自動車も85年においては全輸出の1.7%であったものの,86年には,2月に対米輸出を開始した「現代自動車」を中心に輸出台数を急増させている(1~9月期の前年同期比増加率166%)。機械機器の輸出先はアメリカ(35.2%),EC(14.4%)が多く日本へは8.0%と少ない(第4-3-4表)。

台湾も韓国と同様に現在では工業製品が輸出の大部分を占めている。50年代前半は農水産物・加工品が大半であったが,その後の工業化の進展とともに工業製品の割合は増加し,現在では約90%が工業製品となっている。1976年までは労働集約的工業製品のシェアの増大が続き,同年に全輸出の57.1%に達した(資本集約的工業製品は27.9%)。77年以降は重化学工業化の政策もあって,そのシェアは低下してきたが83年時点でもなお54.6%と資本集約的製品の35.0%よりも大きい。

1985年の輸出の品目別構成をみると,電子・電気機器,繊維・衣類,機械・輸送機器の比率が高く,特に電子・電気機器に含まれる電子産品(電子部品,カラーテレビ,ラジオカセットなど)は16.0%と大きな割合を占めている。最近ではパーソナル・コンピューターの輸出が韓国の追い上げを受けつつも急増しているが,その部品の輸入依存度はまだ高い(後述)。輸出先をみるとアメリカ向けが多く,アメリカの需要動向に影響を受けやすい体質となっており,輸出地の分散化が課題となっている(第4-3-5表)。

なお,両者を比較した場合,韓国では資本集約的製品への移行が急速であり,1983年の輸出に占める割合をみても,台湾に比べ資本集約的製品が高くなっている。

4. 韓国・台湾の輸入構造

韓国,台湾の経済構造をみると,輸出の比率が非常に高いことと同時に,輸入依存度も相当高いことが目につく。これは,中間財-特に部品-や資本財の供給を海外に依存する度合が高いためである。

まず,中間投入の輸入品比率を韓国の83年の産業連関表でみると,たとえばテレビ,自動車,造船といった部門で中間投入の輸入品比率が高いのが目につく。これらの部門では素原材料の直接の投入はほとんどないから,中間投入の輸入品比率が高いのは主要な部品ということになる(第4-3-6表)。比較のために日本をみると,これらの部門の輸入品の比率はどの投入項目をとっても非常に低く,産業構造の裾野の広がり方が異なることがわかる。特定の産業の中間投入の輸入品比率のみならず,需要部門合計(総需要)でみても日本が素原材料(農林水産品,鉱産品)のところでのみ輸入依存度が高いのに対して,韓国では工業品,特に中間需要のそれも高いため,経済全体として輸入依存度が高くなっている(第4-3-7表)。以上のような投入構造の違いのため,輸出が1単位増えた場合の輸入誘発係数一輸入への漏れ率-は日本よりも韓国のほうがかなり高くなっている(日本〔1980年,72部門〕の0.17(1983年,71部門,0.14)に対し,韓国〔1983年,64部門〕は0.36)。

これは経済発展にとっては不利な状況とみられなくもないが,逆にいえば,あらゆる産業がワン・セットでそろっていなくても,まさにテイク・オフといってよい経済発展は可能であったということになる。

次に,韓国における資本財の国産化率をみると(第4-3-8表),設備投資金額の半分以下が国産となっているに過ぎない。

中間財,資本財両方の輸入依存度が高いため,必然的に輸入の構成も日本にくらべてその部分の比重が大きくなっている。台湾についても輸入構造をみると類似の傾向がみられ,投入構造,資本の国産化比率についても韓国と同様の状況にあるものと思われる。

韓国の場合,資本財,中間財の輸入は日本,アメリカの両国の比重が目立って大きいが(第4-3-2図),特に日本からの輸入は最近の円高で価格が上昇しており,輸入も輸出につれて急増する要因となっている。このため韓国政府は輸入先を日本以外に転換するよう民間企業に呼びかけている。

以上のように輸入構造にはなお日本などと異なる特徴を残してはいるものの,原油などの資源の輸入も経済に対して大きな比重を持っていることから,下でみるような原油,一次産品価格の低下の好影響を相当うけていることにも注目しなければならない。

5. 韓国・台湾の為替レートと輸出

韓国,台湾とも貿易依存度が高く,したがって為替レートの変動は経済の動向に大きな影響力を持つ。韓国為替制度の最近の推移をみると,74年にそれまでのアジャスタブル・ペッグ制から固定制へ,さらに80年にバスケット・ペッグ制へと移行している。台湾は78年にそれまでの固定制から管理フロート制へ移行し,その後80年3月,82年9月には若干為替管理を緩和している。

韓国の1980年の制度変更後のウォンの対ドル実質レートの動向をみると,ドル高期にほぼ一貫して減価し,85年3月期以降のドル高修正局面でもバスケット・ペッグであるにもかかわらず85年末までは減価を続けた。その後は横ばいとなっているが,輸出競争力はそれまでにかなり強化されたことになる。一方,新台湾元の推移をみると,やはり81年から実質で切り下ったがウォンに比べ減価率は緩やかであった。85年末からは増価傾向にある(前掲第4-2-1図)。両通貨のこうした動向は,韓国・台湾の輸出数量の動向にも大きな影響を及ぼしている。

韓国の輸出数量について世界需要と価格要因によって簡単な輸出関数を作成しその要因をみてみると,為替レート要因は常に輸出にプラスに作用していることが注目される。特に80年,82年には主たる輸出先のアメリカがマイナス成長となるなど世界的に需要が低迷したにもかかわらず,為替レート要因が大きく作用し輸出を伸ばしている。また,85年には円,欧州通貨が対ドルで増価する中でウォンはドルに対して減価しており,為替レートが輸出増の大きな要因となっている。

一方,台湾の輸出数量について同様の輸出関数を作成しその増加要因をみてみると,為替要因は78年,79年には輸出に対しマイナスに作用したが,1981年以降は84年を除いて小幅ながらもプラスに作用している。しかし,上でみたように,台湾元はウォン程減価していないことから為替レート要因による増加寄与は韓国に比べて小さい(第4-3-3図)。

85年3月以降の今回のドル高修正局面において韓国ウォン・台湾元とも米ドルに対しては,円や欧州通貨に比べ切り上げ幅はわずかであることから,主な輸出国であるアメリカにおいて日本,ヨーロッパからの輸出品に比べて競争力を持つことになる。ウォンは85年3月から86年6月にかけて米ドルに対しては4.1%(名目)の切り下げであるが,円に対しては36.7%切り下がっている。台湾元についても同様であり,米ドルに対し3.6%の増価であるが円には28.2%の減価となっている(第4-3-4図)。

韓国・台湾とも日本からの輸入割合が多く,また輸入価格の変化を通じる効果のみについていえば,円高は輸入金額の増加要因である。しかし,現在のところ一方で原油価格の下落がこれを相殺した形となっている。