昭和61年

年次世界経済報告

定着するディスインフレと世界経済の新たな課題

経済企画庁


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第3章 ドル高修正,原油高修正の影響

第4節 ドル高修正,原油高修正と産業調整

ドル高修正,原油高修正は第1節で述べたマクロ的な影響とともに各産業にミクロ的な影響を与えている。本節では,まず,原油高修正による産業への直接的影響をアメリカを中心にみた後,ドル高修正の輸出産業に与える影響を西ヨーロッパを中心に述べる。

1. 原油高修正に伴うミクロ的調整

(1) 原油高修正と需要調整

原油高修正は,86年に入って石油採取業を中心に北アメリカの産業に大きなインパクトを与えているが,こうした原油の価格の低下の影響を,アメリカの例に即して概括的にみてみよう。原油価格の低下は,可処分所得が同一である場合には,原油需要を増加させると考えられる。例えば,ガソリン需要をみると,消費者はガソリン価格の低下によってドライブの回数を増やすとか,他の交通機関の代わりに自動車を使用することでガソリンの使用量を増加させる(第3-4-1図)。さらに自動車需要についても,時間的なラグは伴うが,消費者は自動車を購入する際にはより大型の車種を指向するようになると考えられる。第3-4-2図は,アメリカのクラス別の販売台数のシェアの推移をみたものであるが,2回の石油危機以降は大型車種のウェイトは大幅に低下している。一方,83年には逆に同年初の原油価格低下の影響もあって, 一時的に大型車種のウェイトが高まっている。さらに85年末からの原油価格低下の下で,86年に入って国産車における大型車のウェイト低下には歯止めがかかりつつある(86年1~6月のウェイト53.5%,85年同51.9%)。このように,原油価格低下は大型車の需要を高めていくとみられるため,比較的大型車の生産に優位を持つアメリカ自動車産業には有利となると考えられるが,需要のシフトには時間がかかるため,現在のところはまだこうしたプラスの影響は生産面までは現れてはいない。このような傾向は自動車購入のみにとどまらず,消費需要全体でも同様なことがいえ,全般的に石油多消費的な財へと向かっていくと考えられる。また,これは消費のみではなく,設備投資についても当てはまる。

すなわち,社会が現在の原油価格の低下を将来においても続くと考える場合には,従来比較的多く採用されていた省エネルギー設備のための資本財は需要を失っていき,社会の需要がエネルギー多消費的な財へ向かっていく傾向を持つと考えられる。これは同時に,従来原油価格が高価であった時には有利であった省エネルギー的な生産方法のうち優位性を失うものがあることを示しており,エネルギー多消費の生産方法をとる企業も従来ほどの不利は被らなくなるとともに,未償却の省エネルギー設備を持つ企業は,償却等の面で相対的に不利にさらされることとなると考えられよう。

(2) 原油高修正の北アメリカの産業に与える影響

(石油採取業への影響)

アメリカは原油の純輸入国(85年の原油・石油製品輸入は日量約500万バーレル)であるが,国内生産も日量約890万バーレルで世界第2位となっている。石油価格の低下は,まず,この業種の収益を著しく圧迫する。しかも,アメリカの油田は中小油田が多く,それらは採掘コストも高いため,操業短縮や停止につながりやすい。第3-4-3図は,アメリカにおける石油・ガス採取業の生産・雇用・設備投資の推移をみたものであるが,第2次石油危機の時期には,生産・雇用・設備投資とも大きく増加している。これは,一部には,レーガン政権の行った規制緩和の影響もあるが,主として原油価格上昇の影響によるものとみられる。その後83年初の原油価格の低下の際には,この産業の指標はいずれも悪化している。今回の原油高修正の影響も大きく,86年1~6月間では,生産・雇用はそれぞれ10.7%,19.8%低下している。また,石油関連各会社の投資も前年同期比20~50%の減少と大幅なものとなっている。

カナダについても同様な傾向がみてとれ,鉱業における生産・雇用は本年に入ってともに落ち込んでいる(第3-4-4図)。なお,81年~82年において今回以上の落ち込みがみられるが,これは,80年に導入された「国家エネルギー計画」の下に石油業に対する課税が強化されたためである。なお,この課税も85~86年にかけて撤廃されてきており,石油関連の投資が伸ることが期待されていたが,今回の原油価格低下によりその効果も小さなものとなっている。

(銀行及びその他産業への影響)

こうした石油採取関連業の著しい経営の悪化に伴って,これらに資金を貸し付けているアメリカの銀行も,その債権が不良化することにより経営を圧迫されている。とくに,石油採取関連事業に対する貸し付けの多いのは,コロラド州,テキサス州などの地方銀行であるといわれている。これら地方銀行は,銀行全体に占めるウェイトが小さく,その経営悪化によって直ちに銀行制度全体を揺るがす問題となるとは考えられないが,これらには大銀行から再貸し付けが行われている可能性もあるため,石油採取関連業種の経営悪化は,大銀行にもある程度の影響を与える可能性がある。さらに,こうした大銀行は同時に中南米諸国等の累積債務の主たる債権者であるため,メキシコ,ヴェネズエラ等の石油収入の低下は,その債権回収を困難にしている可能性がある(第3-4-1表)。事実アメリカの有数銀行の中にも,海外部門融資を中心に86年4~6月期に6億ドル強の赤字を計上したものもあり,原油価格低下による悪影響がでてきている。

また,原油価格低下の直撃を受ける石油採取関連産業は,一次金属製品の大口の需要者でもあるが,原油の掘削リグの稼働数の減少(第3-4-5図)は,その大幅な需要減少をもたらしており,鉄鋼生産メーカーにも悪影響を与えている。例えば,アメリカの有力鉄鋼メーカーが7月に連邦破産法に基き会社更生手続を申請したが,これはここ数年不振であった同社の鉄鋼,エネルギー部門の収益が,最近の石油開発用掘削リグの稼働数が急激に低下したことを主因として,大きなマイナスとなり,資金繰りが悪化したためである。一方で,原油価格の低下は一次金属産業のコスト削減要因ともなると考えられるが,現状では一次金属産業には原油価格低下のマイナス面がより強く出ており,86年1~6月間で生産・雇用はそれぞれ13.5%,4.6%低下した。設備投資計画をみても86年名目3.4%減(商務省7,8月実施調査)となっていることから,プラス面が出てくるにはなお時間がかかるものとみられる。

(3) 原油価格低下とイギリス経済

(北海原油とイギリス経済)

イギリスは,北海油田の開発とともに70年代後半に入って石油の純輸出国となった。北海油田の生産量はすでにピークに近いとみられるものの,86年7月現在,日量260万バーレルの産油量があり,イギリスは非OPEC自由世界ではアメリカに次いで第2位の産油国となっている。このため85年末以来の原油価格の急落,86年8月からの反騰といった原油価格の大幅な変動の影響を受ける度合は他の先進国に比べ相対的に大きいとみられる。

北海石油は現在のイギリス経済にとって,生産,投資,輸出,雇用,財政収入など多方面にわたってきわめて重要な地位を占めている(第3-4-2表)。GDP(名目)に対する原油・ガス付加価値生産の比率は,76年の0.5%から急速に高まり,85年には5~6%に達している。このため,もし北海石油・ガスがなかったならば,イギリスの84年までの10年間における名目成長率は直接的な寄与だけをみても年平均約1%弱低目となったと推定される。とくに,石油・ガス関連の設備投資は,二度の石油危機後の不況の中でも相対的に堅調な伸びを示し,開発のピークである70年代央には非住宅投資の1割強を占めていた。

今回の原油価格急落の中で,イギリス政府はOPECによる減産圧力に対して,原油生産は石油会社が決定するものであるという立場を取ってきた。ノルウエーが10%輸出削減の意向を表明しているのに対して,86年9月のノルウェーとの首脳会談でもサッチャー首相は原油価格の決定は自由市場の実勢に任せるべきだという態度を貫いた。86年に入ってからの原油・ガス生産の動きをみても,例年の夏の補修・点検期に急減したのを除いては,前年の平均的水準を維持している(前出第1-2-11図参照)。

原油価格低下の影響は,これまでのところ主として輸出面にあらわれている。

原油輸出数量については,年初の高水準からは低下を示しているものの,1~8月合計では前年同期比2.6%増と若干増加している。しがし,価格の低下が大幅であるため,原油輸出額は1~8月計約44億ポンドと前年同期の91億ポンドの半分以下となっている。

このためこれまで急増を続けて来た石油関連企業収益(在庫評価調整後)も86年4~6月期には前期比51%減(前年同期比68%減)となった。こうして86年上期の石油関連企業収益が総企業収益に占める比率は約16%に低下している(83年のピークでは38.2%)。

財政面への影響は実績としてはまだ計上されていないが,86年度予算案の歳入見積りでは石油関連収入は61億ポンドと85年度実績113.8億ポンドから半減すると見込まれている。これは,北海関連収入の大宗をなす石油収益税(PRT)の収入が85年度実績64億ポンドから86年度には約24億ポンドに減少することが主因である。

このほか雇用面では,石油・ガス関連産業の雇用者数は,本年に入ってからも約3.4万人と従来の水準は維持しているが,夏期には一時的な解雇も行われ,とくに石油基地となっているスコットランド地方の平均以上に高い失業率を更に引上げたとみられる(86年7月13.7%,全国平均11.7%)。

2. ドル高修正下の西ヨーロッパの輸出産業

(西ドイツの輸出産業)

西ドイツ経済は,輸出依存度の極端に高いベネルックス3国ほどではないが,輸出額(通関ベース)の対GNP比が85年で約3割に達しており,輸出の動向がマクロ経済に与える影響の度合が相対的に大きい経済構造となっている。しかし,今回のドル高修正進行の中で,西ドイツの輸出産業は,日本などと比較すると,ドル安による打撃を少くともこれまでのところではそれほど受けていないようである。

西ドイツの主要な輸出産業である一般機械(総輸出に占めるウェイト17.6%,1980年),自動車(同15.3%),化学(同13.8%),電機(同10.2%)などについて,85年2月以降の輸出比率(輸出額/売上額)の動きをみると,いずれも85年後半にかけてやや低下しているものの,86年に入ってからはほぼ横ばいとなっているものが多い(第3-4-6図)。この中で,これら輸出産業の生産は,鉄鋼や繊維などの一部を除いて,緩やかな上昇傾向を示している。これには伸び悩み,ないし不振となっている輸出に代って,内需が活発化していることが影響しているのはいうまでもないが,このほかに,以下に示すような理由によって,西ドイツの輸出産業が今回のドル高修正から直接的影響を受ける度合が,少くともこれまでのところ比較的弱いものにとどまっているということがあると考えられる。

第1に,西ドイツの輸出産業は,一般機械,自動車,事務機器など投資財部門に集中しており,最近時(85年7~9月期)の部門別輸出/売上比率は,基礎財部門27%,消費財部門20.7%に対して,投資財部門では40.1%にのぼっている(製造業平均は同29.5%)。投資財は一般に価格弾力性が基礎財に比べて低いこと,注文生産の比率が高いこと,非価格競争力(品質,デリバリーの確実さ,サービスの良さ等)が強いことなどから,為替レートの変化を反映した輸出価格の変化によって輸出数量が影響を受ける度合が短期的にはそれほど大きくないと考えられる。

第2は,ドル高修正の影響を直接受けるドル圏向けの輸出比率がもともと低いことである。対米輸出シェアは80年の6.1%から85年には10.3%に上昇したが,対EC貿易のそれが85年に5割弱に達しているのと格段の差がある。こうした地域別輸出構造もあって,これまでのところ輸出数量は85年6.4%増に対して,86年上期の前年同期比2.2%増と伸びが鈍化したにとどまっている。しかし,今後はEC全体としての対米輸出が,NICsや中南米の一部のドル・ペッグの国と比較して,相対的に不利になっていることもあって,更に影響を受ける可能性があろう。

このように輸出数量への影響が出遅れているとみられるのに加えて,価格面での影響も以下の要因で弱くなっているとみられる。

まず,西ドイツの輸出建て値は80%強がマルク建てであるため,輸出業者の直接的なマルク建て手取り額が安定していることなどが指摘されている。EMS(欧州通貨制度)参加通貨に対しては,85年2月~86年9月間に6.3%の上昇と小幅の上昇にとどまっている(実効レートでは同13.9%,対ドル・レートでは同39.2%)。

第2は,こうした有利な輸出構成や自国通貨建て比率の高さ,競争力の強さなどを反映して,輸出価格への転嫁率が高く,収益の安定要因となっていること(第3-4-3表)である。

(イギリスの非石油輸出産業)

85年春以降のドル高修正は,イギリスの非石油輸出産業にも影響を与えているが,ポンド相場が原油価格の動きにひきずられて大きく動いていることもあって,その影響もその他通貨の場合とはやや異なっている。

イギリスの非石油輸出額(ポンド建て)は70年代に年率19%台の伸びを示した後,80年代に入ってからも平均すると年率8.5%増と増加しているが,ドル建てでみると,ポンド相場の急落によって81~85年には年平均7.5%の低下となっており,この間の世界工業品貿易の年平均約2%減少をかなり上回って減少している。このため,世界工業品貿易に占めるイギリスのシェアは,70年代初の9%強から80年代には6%台に低下している。

こうした工業品輸出の相対的な地位の低下は,イギリスが70年代後半以降,石油の純輸出国に転じたことも一因となっているとみられる。70年代後半,特に第2次石油危機にかけて,ポンド相場はかなり上昇し,相対輸出価格(イギリスの輸出単価を主要輸出競争国の加重輸出価格で割ったもの)の上昇=価格競争力の低下もみられた。81年から85年春にかけては,ドル相場が急上昇し,石油価格も低下を続けたことから,ポンド相場は大幅に低下し,特に85年初には1ポンド=1.07ドルを記録した。このため相対輸出価格も緩やかに低下した(第3-4-7図)。

85年春以降のドル高修正局面では,年初の水準が低かったことから,ポンド相場は当初は急速に立直り,85年2~9月間に約30%上昇したが,その後,年末から原油価格が急落したため,その他通貨に比べて対ドル・レートの上昇は小幅なものにとどまっている。この間,ポンド建ての非石油輸出も85年4~6月期をピークに減少に転じている。このように,非石油輸出額がドル相場の動きにかなりよく反応して動いているのは,①イギリスの対米輸出のウェイトが85年で14%と西ドイツなどより高いこと,②貿易契約に占める自国通貨建ての比率が比較的に低いことに加えて,非価格競争力が相対的に弱いことなどが一般に指摘されている。