昭和61年
年次世界経済報告
定着するディスインフレと世界経済の新たな課題
経済企画庁
第3章 ドル高修正,原油高修正の影響
本節では,ドル高,原油高修正のアメリカ経済に与える影響を特に景気,物価の両面から考察することとする(経常収支への影響については,4章2節参照)。
ドル安は,基本的にはアメリカの輸出入価格の変化を通じて,アメリカの輸出数量を増加させ,輸入数量を減少させる。したがってドル安により純輸出が改善すれば,経済成長にはプラスに寄与するはずである。しかし85年春以降ドル高の修正が進んでいるにもかかわらず,アメリカの実質GNPに占める純輸出の寄与度は,依然としてマイナス(86年4~6月期の純輸出の寄与度△3.1%)である(第3-3-1図)。
これは第1に,為替レートの変化の輸出入の数量面に対する効果の発現に遅れがあるためと考えられる。しかし77~80年のドル安期をみても,ドル安に伴い輸出の伸びが高まるとともに徐々に輸入の伸びが鈍化し,純輸出の寄与度はプラスに転じており,ドル安の効果は今後次第に発揮されるものと思われる。
第2は,石油価格低下のため石油(製品を含む)輸入数量が急増(86年4~6月期前期比年率66.0%増)していることである。この石油輸入数量の増加は,86年4~6月期の輸入(実質)増の87%を占めている。
一方,これまでのアメリカの実質成長率の伸び率と純輸出の寄与度の関係をみると,両者は85年以降ほぼ平行して動いている。しかし,過去についてみれば,72~73年,74~75年,77~78年,81~82年を除いて両者は,ほぼ反対の方向に動いている。83~84年の景気拡大期では,純輸出が成長にマイナスに寄与しつつも,成長率は高まっている。
これは,85年以降においては,総需要の伸びが低下している中で,輸入が増加したため,国内生産が圧迫を受け,結果として純輸出が成長の足を引っぱることになったと考えられる。一方,83~84年の景気拡大期には,総需要が著しく拡大した中で,輸入が急増したため,純輸出のマイナスはそれほど成長を制約することにはならなかったとみられる。
以上のように,純輸出の動向と成長率の間にはその時々の経済情勢や為替等の動向が介在しており,両者を単純に結びつけることはできない。しかし,純輸出が成長にプラスに寄与するためには,少なくとも,輸出が増加するとともに,総需要が輸入に浸食されないよう,国内製品の競争力を強化することが必要である。今回のドル安はこの意味で効果を持つものと考えられるが,以下では,マクロの景気,物価に対する影響にしぼって議論を進めることにする。
まず,ドル高修正のアメリカへの景気の影響については,第1節でみたように次の二つが考えられる。
第1は,貿易数量面を通じて働く効果(数量効果)である。ドル安は,アメリカの輸出価格(輸出相手国通貨建て)の低下による輸出数量の増加がアメリカの需要を拡大させるとともに,輸入価格(ドル建て)の上昇によるアメリカ国産品の相対的有利化が輸入数量を減少させ国内生産を活発化させるため,この効果はアメリカの場合,景気刺激的要因になる。
第2は,価格面を通じて働く交易条件効果(価格効果)である。ドル安になると,アメリカの輸入価格(ドル建て)は外国の輸出業者がドル建ての輸出価格を引き上げるため上昇する。一方,アメリカの輸出価格(ドル建て)は,アメリカの輸出がほとんどドル建てである(98%)こと等から,比較的為替レートの変化の影響を受けにくい。このため,交易条件(輸出価格/輸入価格)は悪化する。したがって,これまでと同じ数量の輸出入を行ってもアメリカ全体としての海外への支払い額は増加し,国内から海外に所得が移転することになる。この効果は具体的には,輸入物価の上昇が国内物価に波及するという形で現われ,企業,家計の実質所得を低下させ個人消費,設備投資等国内需要を.抑制する要因となる。
一方,石油価格の低下のアメリカの景気に与える影響は,輸入石油代金支払い額減少を通じて海外から所得が移転し,国全体の実質所得が増加し,景気刺激的に働く。ただし,石油価格の低下による石油輸入数量の増大は,国内石油生産を圧迫するため上記の効果はその分相殺される。
これらの効果は,それぞれタイム・ラグを伴い,複雑に組み合わされて現実の需要に波及するが,ここでは一定の単純化の下に,今回のドル高・原油高修正のアメリカの景気に対する効果を「水際」の効果についてのみ,輸出入,卸売物価関数(付注3-2参照)を用いて試算した(第3-3-2図)。ドル安の効果については,85年1~3月期以降ドルの実効レートを不変とした場合と比較してみると,86年4~6月期までの段階では交易条件効果が数量効果を上回り,景気に対してはマイナス要因であったことがわかる。
また,石油価格低下の効果については,石油輸入数量は増加したものの,価格低下による輸入代金支払額の減少はこれを上回る大きな交易条件改善要因として作用しており,これまでのところ景気にはプラス要因であった。ドル高・原油高修正の両方の効果を総合すると,原油高修正の効果がドル高修正の効果を上回り,86年4~6月期では海外から年率約190億ドル(名目GNP比0.45%)の所得が移転したことになり,全体として景気に対しプラス要因となっている。
しかし,これはあくまで「水際」の効果であり,現実の需要に対しては潜在的な効果であることに留意する必要があろう。
アメリカの物価をみると,86年初以来,卸売物価(完成財総合)は,前年同月比でマイナスを続けており,消費者物価も前年同月比1%台に低下し,極めて安定的に推移している。これは,主に石油製品等のエネルギー価格の大幅下落が卸売物価,消費者物価の低下に寄与したためである(第3-1-5図,第3-3-3図)。
一方,ドル安は,輸入物価(ドル建て)の上昇が国内物価に波及することにより物価上昇要因となる。石油輸入価格の急落による影響を除くため,石油製品を除いた輸入価格によって今回のドル安の影響をみると,これは,ドルが減価したほど上昇していないが,86年初来やや上昇してきている(第3-3-4図)。したがって,これまでのところドル高修正の物価上昇効果が原油高修正の物価下落効果に打ち消されていたといえる。
ただし,①ドル安が輸入価格にフルに反映されるまでには,タイム・ラグが存在し,今後さらに輸入物価の上昇が予想されること,②原油価格が86年8月のOPEC総会以降反発したこと等,インフレ懸念材料もないとはいえない。しかし,ホームメイド・インフレの指標となるGNPデフレータ,賃金の推移をみると,伸び率(前年同期比)は80年以降急速に鈍化してきており,84年以降は4%以下の低い水準で安定している(第3-3-5図)。したがって,インフレ期待もかなり鎮静化していると考えられ,前述のような輸入物価の面の問題はあるものの,ホームメイド・インフレ発生の可能性は少ないと考えてよいであろう。