昭和61年
年次世界経済報告
定着するディスインフレと世界経済の新たな課題
経済企画庁
第3章 ドル高修正,原油高修正の影響
西ヨーロッパ経済は,1985年以降輸出の増勢が鈍化したものの,内需の拡大がこれを補って緩やかな拡大を続けている。一方,対外収支面をみると,西ドイツでは,依然として巨額の貿易収支黒字を計上している。
本節では,このような西ヨーロッパにおける内需の拡大と対外不均衡に対してドル高,原油高修正が与えた影響について,第1節の議論を踏まえた上で検討することにする。まず,85年後半に主要国で内需に成長のウェイトが移ったことを確認した後,この基本的背景として,交易条件の改善と物価の鎮静化を指摘する。そして,これが内需の拡大へとその影響を波及させたことをみる。
一方,対外収支については,輸出の伸びが鈍化あるいはマイナスになったにもかかわらず,西ドイツにおいて対外不均衡が拡大を続けたが,今後は縮小に向かうと考えられることを指摘する。
西ヨーロッパ経済は,84年にはアメリカ経済の力強い拡大やドル相場の上昇の下で増加した輸出に引っ張られる形で成長を続けた。しかし,85年に入ると輸出の伸びが鈍化し,年央頃からは各国とも内需中心の成長に転換している(第3-2-1図)。
イギリスでは,82年より一貫して内需の拡大傾向が続いているが,85年2月を底に対ドル相場が上昇に転じたことやアメリカ景気の拡大鈍化などから,85年下半期には外需は成長に対しマイナス要因となっている。西ドイツでも,85年央頃から内需が拡大傾向を強めたのに対し,外需は減少に転じている。フランスでは,85年央以降,内需は景気のプラス要因,外需はマイナス要因という傾向が一層明瞭に示されている。
拡大した内需の内訳をみると,個人消費では各国とも乗用車やビデオなどの耐久消費財の増加が大きい。固定投資では,住宅投資は西ドイツやフランスで依然低水準を脱していないが,機械設備投資は各国とも総じて好調である。
こうした内需中心の成長を数字でみれば,85年4~6月期からの1年間で,イギリス,西ドイツ,フランスはそれぞれ1.8%,3.3%,2.7%の経済成長を遂げたが,そのうち内需の寄与度は,2.9%,5.0%,5.9%となっている。
ドル高,原油高修正の内需への影響をみる場合,第1節で述べたように,交易条件(輸出デフレータ/輸入デフレータ)の変化を一つの大きな要因として考えることができる。西ヨーロッパ各国の交易条件は, 第3-2-2図 の通り,85年に入って改善に転じている。この背景としては,ドル相場の下落に加え,一次産品市況の軟調も指摘できよう。英ポンドの対ドル相場は85年2月を底に,マルクと仏フランは同3月を底に上昇を続けた。ロイター商品相場指数(SDR換算)も84年春以降低下し,85年を通じて低迷を続けた(84年平均1,041,85年同954)。このため,輸入デフレータは,イギリスでは85年1~3月期をピークに,西ドイツ,フランスでも同4~6月期をピークに下落を始めた。一方,輸出デフレータも下落したものの,相対的に小幅の下げであったため,各国とも交易条件は改善した。
しかし,86年に入ってからの動向をみると,85年末からの原油価格の急落は,ポンド相場の軟調と相まって,石油の輸出国であるイギリスの交易条件を著しく悪化させている。他方,石油輸入国である西ドイツ,フランスでは,86年に入ってからも自国通貨がドルに対して総じて上昇傾向を続けており,ドル安と原油安が二重に交易条件を改善させている。
ここでは,こうした交易条件の改善が,輸入デフレータの下落を主因とする物価の鎮静化を導いていることを検討するが,一国経済全体の物価水準を包括的にとらえるために,物価指標として総需要デフレータをとり,さらに総需要デフレータをGNPデフレータと輸入デフレータに分解して,その推移をみてみよう(第3-2-3図)。GNPデフレータは,生産物1単位当たりの付加価値額(賃金コスト及び企業利潤)を表すものであり,その上昇は,生産性を上回る賃金の上昇や,生産コストを上回る価格の引上げなど,いわゆるホームメイド・インフレが生じていることを示している。一方,輸入デフレータは,輸入された財貨とサービスの価格を示しており,これが上昇することは,輸入インフレを意味する。
輸入デフレータの総需要デフレータの上昇(前年同期比)に対する寄与度は,第3-2-3図の通り,イギリス,西ドイツとも,ドル高修正の始まった85年1~3月期をピークに低下を続け,年内にマイナスに転じている。これは,自国通貨の上昇がかなりの程度輸入物価に浸透したことを示している。86年に入ってからは,原油高修正が加わって,特に西ドイツで,輸入デフレータは大きく低下している。
しかしながら,ホームメイド・インフレの指標であるGNPデフレータの推移をみると,ドル高修正が始まってからはむしろ騰勢が強まっている。これは,イギリスや西ドイツにおける賃上げの高率妥結や企業収益の改善などを反映したものであるが,ドル高修正,原油高修正の国内経済に与えた影響の一側面とみることもできよう。
総需要デフレータ全体では,輸入デフレータの下落がGNPデフレータの上昇を上回っており,例えば,西ドイツでは85年4~6月期の2.6%(前年同期比上昇率)から86年4~6月期にはマイナス0.1%へ低下している。このように,ドル高修正及び原油高修正は,全体としてみれば西ヨーロッパにおける物価の鎮静化に大きく寄与している。しかし,イギリス,西ドイツ等では国内的要因によって物価が低下しているとはいえず,今後とも物価の動向に注意を払う必要があろう。
ドル高修正,原油高修正は,交易条件を改善し,物価を鎮静化させてきている。これに伴い,第1節で述べたように,実質所得が移転して国内需要が刺激されると考えられるが,ここでは,こうした交易条件効果が,実際にどのように各国の内需に波及していったかをみることにする。第3-2-4図は,各時点において,その時点までの1年間における交易条件累積変化額と個人消費,設備投資(3期移動平均)の前年同期比変化率を比較したものである。
西ドイツにおいては,個人消費,設備投資とも,ややタイム・ラグを伴いながらも,おおむね交易条件の変化に歩調を合わせて動いている。特に83年以降,個人消費は交易条件の変化を強く反映しており,85年下半期からは,交易条件の急激な改善に伴い個人消費の伸び率も高まっている。
ただし,設備投資には,個人消費ほど交易条件との強い相関は認められない。
交易条件の改善は,原材料コスト等の低下を通じて企業収益を増加させ,設備投資を増加させる方向に働くが,それが為替レートの変化によってもたらされた場合には,輸出の価格競争力を低下させ,輸出部門の設備投資を抑制する圧力を同時に伴うものと考えられる。さらに,設備投資は景気の循環要因や金利,税制等の影響も受けやすい。83年における同国の設備投資の急増は,投資促進策に刺激された面が強く,84年末から85年上半期にかけては,マルク相場(対ドル)の下落とアメリカ経済の拡大を背景に,能力拡張投資が活発に行われた。
なお,82年には交易条件の改善がみられたが,超緊縮的な財政運営がなされていたこともあって,そのプラス効果はすぐには経済活動の活発化に結びつかず,83年に入って漸くその効果が顕在化した。このように交易条件変化の国内需要への波及は政策運営の態度に大きく依存するとともに,かなり長期間を要することもある。
フランスでも,西ドイツと同様に個人消費,設備投資と交易条件との間に相関が認められるものの,設備投資には経済政策スタンスの強い影響も働いていて相関は比較的弱い。85年に入ってからは,交易条件の改善に歩調を合わせ,個人消費,設備投資ともに増勢を強めている。なお81年から82年にかけて,西ドイツとは逆に大幅な景気刺激策がとられたため,交易条件の悪化にもかかわらず個人消費は増加している。
イギリスでも,個人消費は基調として高い伸び率を維持しながら,交易条件の変化と強い関連をみせている。個人消費は86年に入ってからも拡大を続けているが,86年初来の原油価格下落は産油国イギリスの交易条件を悪化させており,今後の個人消費への影響が懸念されよう。一方,設備投資にも交易条件の影響は認められるものの,税制要因(初年度特別償却制度の拡充,強化及びその段階的廃止)等の作用が相対的に大きかったことを示している。
以上を要約すれば,80年代の西ヨーロッパの主要国では,交易条件効果は通常1年程度で個人消費に波及している。一方,設備投資は今回の交易条件改善局面では,これに歩調を合わせて伸びているものの,一般的には景気の動向や税制,金利等により大きな影響を受け,交易条件との関係はそれほど強くないといえよう。
ここでは,ドル高修正が貿易数量の変化を通じて,西ヨーロッパの景気に与えた影響を検討する。
まず輸出数量をみると,84年には西ヨーロッパ各国は対ドル為替レートの下落やアメリカ経済の急拡大により,輸出数量を大幅に伸ばした。しかし,85年に入ってからは同年3月からのドル高修正の進展,アメリカ景気の減速の下で,輸出数量は増勢鈍化,あるいは減少に転じている(第3-2-5図)。
イギリスでは85年に入ってから,輸出数量の伸びは急速に勢いを失い,その後一進一退が続いている。フランスでも84年末より輸出数量の増勢は鈍化し,86年上半期には減少が続いた。一方,西ドイツでは輸出への影響はこの2国と比較すればまだ大きくないものの,その増勢は著しく鈍化した。
輸出価格の動きをみると,西ドイツ,フランス,イギリスとも85年央からかなり低下しているが,その中ではドイツ・マルクの対ドル相場の上昇率が,英ポンド,仏フランに比べて高かったにもかかわらず,西ドイツの輸出価格の低下幅は最も小さい。これは,西ドイツの輸出数量の動きを考慮すると同国の輸出産業の非価格面での国際競争力の強さを示唆しており,第4節2.でも述べる通り,西ドイツの輸出産業は他のヨーロッパ諸国と比べると輸出数量は減少しにくく,その減少も遅れる傾向があるといえよう。
一方,輸入数量は西ドイツ,フランスで85年にはドル高修正や国内需要の拡大から増加基調を続け,さらに86年に入ってからは石油価格の急落による数量効果も加わって増勢を強めている。西ドイツでは内需が堅調であることから,こうした輸入数量増は国内産業の生産にあまり圧迫は与えていないといえる。
しかし,フランスでは85年から輸入数量の増加が続いており,特に86年には国内景気の回復から工業品の輸入が急増し,国際競争力や供給能力の弱さを露呈している。一方,イギリスではこの3国の中では景気の足取りが遅いこともあり,輸入数量の拡大は小幅にとどまっている。
このように,西ドイツではドル高修正による数量効果は輸出,輸入両面でそれほど大きくはないが現れ始めており,フランスでは輸出数量減,輸入数量増により,イギリスでも輸出数量減で相対的に大きな打撃を受けているといえよう。
本来,ドル高修正の下ではアメリカの巨額な貿易収支赤字の是正が期待されており,対米収支黒字国にその効果が現われるとみられている。86年央までの情勢をみると,西ヨーロッパ最大の黒字国である西ドイツに対しては,まだドル高修正の効果は明確には現われていないものの,基調としては黒字縮小の兆しが認められる。
西ドイツでは,84年から86年央まで貿易収支黒字額(マルク建て)の拡大が続いた。これは,西ドイツの輸出産業の非価格競争力の強さやJカーブ効果がドル高修正の効果を小幅かつ遅れたものにしたのに加え,原油価格の急落が一時的に貿易収支黒字額を膨らませたためと考えられる。
西ドイツの貿易収支に占める対米収支黒字の比率は,アメリカからの輸入額の減少幅が他の地域からの輸入額の減少幅より小さかったこともあって,85年平均の31.6%から86年4~6月期には29.3%に低下した。一方,対EC収支では,85年の43.1%に対し,86年4~6月期も43.3%とほぼ横ばいにとどまっている。
86年に入ってからは,原油価格の急落により,西ドイツの黒字額は大幅に膨らんだが,この要因を除くと4~6月期には若干の縮小をみせている。実質値(1980年価格)でみると,ドル高修正の進展や西ドイツでの内需の拡大に加え,原油輸入量の増加によって,実質貿易収支黒字は大幅に減少している(第3-2-6図)。今後は,数量効果の浸透により一層の実質収支黒字の縮小が見込まれ,また,名目収支と実質収支のかい離も徐々に小さくなるものと考えられる。
このように,ドル高修正は基調的には西ドイツの貿易収支不均衡を縮小させる方向にあると評価できよう。
最後にドル高修正,原油高修正の西ヨーロッパ経済に与えた影響を総括すると,西ドイツではこれまでのところ,数量効果による外需への抑制効果を,交易条件効果による内需の増加が補い,景気は緩やかな拡大を続けている。輸出産業に対する影響も,第4節で述べるような西ドイツ経済の構造的な要因もあって,まだそれほど大きいとは考えられない。また対外収支の不均衡も,数量効果の浸透に加え,内需の拡大もあって縮小に向かいつつあると評価できる。
一方,イギリス,フランスについては,ドル高,原油高修正の交易条件効果が浸透し,内需は拡大しているものの,数量効果のマイナスが大きく,国内生産は圧迫を受けているといえよう。