昭和61年
年次世界経済報告
定着するディスインフレと世界経済の新たな課題
経済企画庁
第1章 最近の世界経済の動向
ドル高修正と金利低下,原油・一次産品価格の下落が発展途上国経済に及ぼした影響は一様ではない。
非産油国の中でも韓国・台湾はドル高修正と原油価格の下落等から,景気は拡大している。また,ブラジルでも原油輸入の減少に加え,物価凍結等の新経済政策の下に,景気は拡大している(第1-3-1表)。 一方,産油国では原油価格の下落から輸出は減少している。石油収入の減少は産油国の財政支出の削減をもたらし,86年もマイナス成長が予想されている。また一次産品輸出国は国際商品市況が下落傾向にあり,景気は停滞している。
韓国では,85年上期には輸出の減少,投資の伸びの低下等から景気拡大の速度は鈍化したが,下期には輸出が急回復し成長率も再び高まった。86年に入っても輸出と投資が好調なことから,実質GNPは1~3月期9.6%増(前年同期比),4~6月期12.1%増(同)と拡大を続けている。
輸出(名目・ドル建て)は,主な輸出先であるアメリカの景気拡大のテンポが鈍化したため,85年上期に減少したが,下期から回復し,86年1~3月期に27.6%(前年同期比),4~6月期19.4%(同)の増加となった。輸出が急増した背景には,85年春からのドル高修正の下でウォンが対ドルレートでは減価気味横ばい,対円・欧州通貨では大きく減価となったことがあげられる。輸出が急増した86年1~6月期について内訳をみると,機械(前年同期比43.0%),はきもの類(42.6%),電子(22.7%),繊維(19.1%)が大幅に増加した。また輸出先別(名目・ドル建て)では,輸出の約4割を占めるアメリカ向けが27.6%増加したほか,欧州向けも39.8%の増加となった。
一方,輸出増加が輸入増加をもたらしやすい貿易体質もあって,輸入は,85年初から7~9月期までは輸出の低迷から減少を続けていたが,10~12月期からは輸出の増加,国内景気の拡大により増加を続けている。しかし,輸出の伸びが輸入を上回っているため,貿易収支は改善を続け86年上期には8億ドルの黒字となり,年を通しても黒字が予想されている。貿易外収支は旅行受取の増加はあるものの,中東経済の不振から海外建設収入が大きく落ち込んでいる。
輸出の急増により製造業生産は,85年上期の輸出低迷下での停滞から,85年下期以降には拡大へと転じた。業種別には,繊維,電子,自動車では輸出増加に支えられて,鉄鋼,機械では輸出のほかに国内設備投資が好調なこともあり,生産は高い伸びを示している。
雇用情勢は海外建設労働者の大量帰国,景気拡大速度の鈍化から,85年初がら86年初にかけて悪化していたが,景気が拡大するに従って改善し,失業率でみても85年4.0%から86年1~3月期5.9%(前年同期5.1%),4~6月期3.4%(前年同期3.6%)と低下している。
物価上昇率は,円高により日本からの輸入品価格が上昇する懸念もあるものの,輸入原油価格の低下による影響が大きいため,安定的に推移した。
韓国経済は,ウォンの相対的減価による輸出競争力の強化,原油価格の下落による輸入額の減少,国際金利低下による利子負担減という好条件を「三低」と称しているが,この好影響は以上のように顕著である。
韓国政府は,85年上期の実績を前提として86年下期について,①原油価格の下落による輸入減として11億ドル,②対外債務残高が多いため国際金利低下による利子負担減分として1.7億ドル,一方,③円高による日本からの輸入増として5.5億ドルの輸入増,差し引き7.1億ドルの改善となると試算している。
台湾でも,85年には対米輸出の不振から実質GNP成長率5.1%と景気拡大速度は鈍化していたが,85年末以降,日本・欧州通貨に対して新台湾元がやはり切り下がったため,輸出が急激に伸び,実質GNP成長率の86年見通しは,8.8%と高いものとなっている。
鉱工業生産は,夏までは前年同期を下回っていたが,輸出の伸びとともに前年同期比増加に転じ,86年1~3月期前年同期比9.3%増,4~6月期同10.8%増と大きな伸びを示した。7,8月は,新台湾元の切り上げ予想から駆け込み生産が行われたため,前年同月比増加率が15%を超えた。
物価は,原油等の価格下落から卸売物価が84年9月以降,消費者物価が85年5月以降,共に前年同月を下回って推移している。しかし,貿易収支黒字増大に伴う外貨準備の増加,マネーサプライの急拡大によって物価上昇圧力が強まっており,消費者物価は86年5月から再び前年同月比上昇に転じている。
雇用情勢は好調に推移し,失業率は85年8月の4.1%から低下し,86年6月には2.3%まで改善している。
輸出(fob,ドル建て)は,85年央には前年同期に比べ減少していたが,9月以降日本・欧州通貨に対して新台湾元が切り下がったため増加に転じ,前年同期比増加率はしだいに伸びを高め,7~9月期には33.5%に達した。輸入(cif,ドル建て)は,86年に入り前年同期比で増加に転じたが,輸入に占めるシェアが20%近くを占めていた原油の価格下落から伸び率は輸出に比べ小幅に推移している。
この結果貿易収支黒字は拡大を続け,86年1~9月で110.6億ドルとなり,85年同期の78億ドルを大幅に上回った。
台湾の輸出の半分はアメリカ向けであり,輸出の急増につれアメリカに対する貿易黒字が拡大している(台湾は日本,カナダ,西ドイツに次ぐ対米出超国)。
86年8月の台・米間の定期の貿易会議では,58品目の関税引き下げなどが決定したほか,アメリカ向け鉄鋼自主規制,自動車輸出比率問題等の話し合いがなされた。また新台湾元の対ドル・レートについても,7月末にアメリカから,為替について台湾・韓国と話し合う用意があるとの発言が伝えられたことにより,市場における元切り上げ圧力が高まり,8月初以降1ドル=38元を割り込み,10月には1ドル=36元台となっている。
「経済建設委員会」の試算によると,元レートが1ドル=36元に切り下がると,87年の輸出の実質成長率は10%に低下し,1ドル=35元では,6.2%と,経済成長率目標の8%を下回ることになるとされているが,輸入も減少するため,なお貿易収支は130億ドル程度の黒字になるとされている。
NICsではないものの,タイでは,85年には米,すず等の一次産品価格の下落による輸出の減少と,国内投資の不振から実質GDP成長率は4.0%(84年6.2%)と停滞したが,86年上期には繊維,ボールベアリング等の工業製品,日本向けの農産品等が高い伸びを示し輸出は増加に転じた。一方,輸入は原油価格の低下,景気の停滞等から減少した。なお,金融政策面では,86年に入ってから公定歩合を3回引き下げた。
ブラジルは,84年に,先進国経済の回復に伴う輸出の急増をてこに3年に及ぶ停滞から脱し,4.5%の実質GDP成長率を達成した後,85年に入ると,最低賃金の引き上げ実施等から,消費を中心に8.3%と高い実質GDP成長率を記録した。
86年に入っても,鉱工業生産が大幅な伸びを示しているほか,2月末に打ち出された物価凍結を中心とした新経済政策によるインフレ鎮静化・実質賃金の上昇を受け個人消費も依然好調となっており,政府は,86年の実質GDP成長率を7%と予測している。雇用情勢も改善しており,全国6大都市平均失業率は,86年に入っても改善が続き7月には3.6%(85年7月は5.4%)となった。
消費者物価は,85年にはインフレを上回る最低賃金の引き上げや消費需要のたかまり,干ばつによるコーヒーの急騰等から上昇率が加速し,85年12月には前年同月比233.7%と84年に続いて史上最高を記録,86年に入っても2月には,同255.2%とさらに加速した。
このため政府は,1年間の賃金・物価凍結,デノミ(1,000クルゼイロ=1クルザード),対ドル・レートの固定,インデクゼーションの廃止等を内容とする前記の新経済政策を2月末に発表した。これにより,消費者物価は2月末から9月末までの累計で8.19%の上昇はあったものの,新経済政策実施以前と比べれば低率の伸びにとどまっている。
しかし,物価上昇率低下の下で急速な消費拡大や商品の公定価格での供給激減等新政策のひずみも目立ってきており,こうした事態に対処するため,政府は7月に新経済政策の補完政策及び86年から89年までの4か年で総額約1千億ドルの国家投資計画を発表した。その内容は,強制貯蓄制度の導入により消費の過熱を抑え,その資金等をもとに国家開発基金を創設,社会資本の充実に用いることとなっている。
国際収支は,85年には石油の国内生産増加による石油輸入の減少を主因に124.5億ドルと84年に続いて大幅な貿易収支黒字となった。86年には,輸出(名目ドル建て,fob)は,商品相場の低迷もあリコーヒー輸出減少等から1~3月期前年同期比13.7%の増の後,4~6月期同0.6%減,7~9月期同8.8%減と減少傾向となった。一方,輸入(fob)は景気拡大や国内供給不足対策等から,1~3月期前年同期比5.0%増,4~6月期同4.4%増,7~9月期同5.0%増となった。そのため,1~9月の貿易収支黒字は,87.6億ドル(前年同期91.3億ドル)と前年同期を下回った。経常収支は,85年は利払い額が95.9億ドルにのぼったものの2.8億ドル(速報)の黒字となり,86年1~6月期も3.9億ドルの黒字となった。なお,対外債務残高は,85年末で1,051.2億ドル(84年1,020.4億ドル)と巨額となっており,ブラジル政府は,86年7月に直接民間銀行団と対外債務残高の約1/3に当たる310億ドルの民間債務繰り延べ協定を締結した。
産油国(OPECにメキシコ,その他6か国を加えたもの)の経済をみると,第1節でみたような石油需要の低迷,原油価格の下落等の下で,実質GDPも85年には前年を下回るなど苦境に直面している。
輸出額は,石油需要の低迷や,北海油田等の増産等によって,80年をピークに減少を続けている。84年には世界的景気拡大等の下で石油需要が持ち直し,輸出額もほぼ前年の水準を維持したが,85年には世界経済の拡大鈍化から再び前年を下回り,1,945憶ドルとピークの80年(3,281億ドル)の約60%の水準にまで低下した。さらに86年には,原油価格急落の影響等から,輸出額は1,335億ドルヘー段と減少することが見込まれている。一方,輸入額の方も,輸出収入の減少から少し遅れて,82年から一貫して削減されており,85年には1,262億ドルとピークの81年(1,903億ドル)の約70%となり,86年にはさらに1,153億ドルへと削減されるとみられる。経常収支の推移をみると,82年に赤字(182億ドル)に転じた後,輸出額の減少傾向にもかかわらず,輸入の大幅削減等により,赤字幅は85年(43憶ドル)にかけ縮小した。しかし,86年には,赤字幅は再び389億ドルにまで拡大すると予想されている。
実質GDP成長率も,輸出の減少のため82年,83年とマイナスとなった後,84年には石油輸出がやや持ち直したこと等から1.4%増のプラスとなったが,85年には鈍化し(0.1%増),86年にはさらに1.2%減に低下すると予想されている(第1-3-1図)。 物価は,輸入物価の安定と引き締め政策の実施などから,81年の前年比13.3%上昇から,84年9.2%,85年7.3%と上昇率は低下してきている。国別にみるとサウジ・アラビアは84年1,0%低下,85年3.4%低下と安定しており,他の国も80年,81年の2桁台の上昇から低下しているものが多いが,ヴェネズエラ,ナイジェリア等累積債務国では悪化している。
また,インドネシアでは,86年9月ルピアが大幅に切り下げられたこともあり,インフレが懸念されている(第1-3-2表)。
財政面では,石油収入の減少のため歳入が大幅に減少しているが,歳出は各国の長期的な開発支出計画実施の必要性もあり,83年までは歳入ほどは減少せず,財政赤字は拡大し続けた。84年以降ようやく歳出が大幅に削減されはじめ,赤字も縮小の方向に向かっている。例えばサウジ・アラビアでは,85/86年度の予算が3年振りに均衡予算となったほか,86/87年度の予算については,原大幅に延期されるという異例の事態にまでなっている。
一方,こうした財政支出の削減は,将来の石油資源の枯渇に備える意味で重要な開発プロジェクトの削減にまでつながっている。中東諸国のプロジェクト発注額は81年の700億ドルをピークに減少を続けており,85年には248億ドルと81年のわずか35%程度となっている(第1-3-3表)。また,プロジェクトの内容をみると,「工業」,「電力・淡水化」は相変らず主流を占めているものの,「炭化水素」,「公共施設」,「住宅」などのシェアが落ちこんだ。これは主公共建設の一段落のほかに,石油市況低迷の下で石油精製,石油化学関係のプラント建設が見直されている事情もあるとみられる。
80年9月に戦火が拡大したイラン・イラク紛争は今年2月にイランがイラクのファオを陥落させ,占領したほか,両国の攻撃は石油関連施設にも及んでおり,緊迫した動きが続いている。こうした石油関連施設への攻撃は両国の原油輸出量に影響を与えており,原油市場に対しても,不確実性要因となっていることから,今後の動向が懸念される。
メキシコ経済は,84年には回復したものの,85年末からの原油価格の下落などによりGDPの8.4%(85年)を占める石油輸出が86年に入って約6割減少,86年1~8月の貿易収支黒字額は前年同期の約1/3に激減した。このため財政金融両面での緊縮政策とあいまって消費・投資が落ち込み,雇用情勢も悪化しており,86年の経済成長率はマイナス4%と予想されている(政府)。
このような貿易収支黒字額の縮小に伴い経常収支は86年1~6月期には11.5億ドルの赤字(前年同期0.9億ドルの黒字)となり,85年末に977億ドル(84年末967億ドル,国連ラテンアメリカ経済委員会)とされる累積債務の問題が深刻化したが,その後,国際的な協調の下で,各国政府・民間銀行等による支援が具体化しつつある。
一次産品輸出国は,80年以来の一次産品価格の低下・低迷に加え,最近の先進国の経済拡大速度の鈍化により国際収支の不均衡に悩み,経済成長も低下するなど苦しい情勢にある。一次産品輸出国の輸出数量の伸び率は,先進工業国の成長鈍化もあって84年の前年比8.4%から85年には2.1%に低下した。また,これらの国の85年の交易条件は一次産品価格(除く石油)が前年比12.2%下落したことを受け2.4%悪化した(第1-3-4表)。
そのため輸入削減・国内需要の引締め策とあいまってブラジルを除く一次産品途上国の経済成長率は,84年の3.2%から85年には1.7%に低下し,特に鉱物品輸出国は,84年の3.9%から85年には0.8%へと大きく低下した。なおブラジルが内需中心に高成長(85年8.3%)したため一次産品輸出国全体では85年は84年とほぼ同じ3.6%となった。
地域別には,一次産品に多くを依存するラテンアメリカ諸国(除くブラジル)の低下が大きく,85年の経済成長は全体で僅か0.9%にとどまり,一人当たりGDPでは1.5%減少(80年の水準の90%)した。例えばペルーでは,輸出が亜鉛や鉛等の市況低迷のため85年前年比5.7%減となり,政府の緊縮策もあって実質経済成長率は84年の4.7%から85年には1.9%に低下した。アルゼンチンにおいても,穀物輸出価格が前年比約20%という低下にみまわれ,物価凍結や政府の緊縮策等もあって不況に陥り,経済成長率は84年の2.3%増から85年には4.4%減となった。また,サハラ以南のアフリカ(除く南アフリカ)の経済成長率も,1.2%にとどまり,地域の一人当たり所得は引き続き低下し,1980年からみれば16.6%減少した。86年に入っても一次産品価格の低落傾向が続いていることから,これら諸国の経済環境は厳しいものがある。
なお,発展途上国ではないが,資源先進国の代表としてオーストラリアをみると,全輸出額の約40%と高いシェアを占める一次産品(羊毛,小麦,鉄鉱石,石炭等)価格が低迷していることから経常収支赤字は大幅に拡大してきており,赤字幅は83/84年度の72.4億豪ドルから85/86年度には137.1億豪ドルにまで悪化している。また,この経常収支の大幅赤字等の下で豪ドルが,85年初から急落し輸入物価を押し上げていることから,消費者物価はかなりの上昇を続けており,85/86年度には前年度比8.4%の上昇となった。一方,豪ドル防衛及び物価抑制のために金利は高水準となっている。プライム・レート(百万豪ドル以上当座貸越金利)は,85年12月末に21.0%の史上最高となった後,86年8月末でも18.5%の高水準となっており,この高金利等の下で,住宅投資,設備投資などの需要項目が不振となり,実質GDP成長率も85/86年度は3,7%(前年度は4.4%)と鈍化している。