昭和61年

年次世界経済報告

定着するディスインフレと世界経済の新たな課題

経済企画庁


[前節] [次節] [目次] [年次リスト]

第1章 最近の世界経済の動向

第2節 成長鈍化の中の先進国経済

1. 期待に反したアメリカ経済

(1) 85年の減速

最近のアメリカ経済の動向をみると,まず,85年には83,84年のかなりの急拡大からの減速を経験した。しかるに,ドル,金利,原油価格が85年中から86年初めにかけて,いずれも下落したため,86年には成長,物価,国際収支のすべての面で展望は大きく改善するという期待が高まった。しかし,86年の少なくとも前半においては物価の面を除くとそうした期待が裏切られたといってよいであろう。85年の状況を出発点に,最近のこうした状況を以下で取り上げる。

(純輸出の悪化と設備投資の増勢鈍化)

アメリカ経済は82年末から力強い景気拡大を続けたが,84年後半からは拡大速度に鈍化がみられるようになり,85年のGNP成長率は前年の6.4%から2.7%へと低下した。この鈍化の要因を調べると,一つには在庫が調整局面に入った影響が大きかったが,より本源的な要因は主に純輸出の悪化と設備投資の増勢鈍化にあったと考えられる(第1-2-1表)。

まず,純輸出の悪化は,一方で輸出の低迷,他方で輸入の急増を通じて国内生産を圧迫することにより,在庫調整を誘発した。政府もこうした悪影響に対し,懸念を表明していたが,85年2月下旬以降,ドル高が修正に向かったため,対外不均衡の改善は大きく進むのではないかと期待された。しかし,85年中は,そうした期待が実現するには至らず,結局,85年の純輸出のGNP成長率寄与度はマイナス0.7と4年連続のマイナスとなった。

一方,実質民間設備投資は,GNP成長率寄与度でみるかぎり1.1%と,85年の経済成長を支える主要因の一つとなっていたが,これは84年10~12月期の伸び率が前期比年率20.6%と極めて高かったことにもよると考えられる。85年については,後半から既に実質民間設備投資の伸び率が目立って鈍化していたことの方を注目すべきであろう。その背景には,84年後半以降の稼働率の低下,企業収益の悪化等があり,83~84年の投資増の後のストック調整が作用し始めていたとも考えられる。

(その他の需要動向)

こうして,85年には,純輸出の悪化と実質民間設備投資の鈍化が目立ったが,実質民間住宅投資もその伸び率が84年の14.3%から85年には3.9%へと急落している。ただし,この急落は,84年後半の伸び率が大幅なマイナスであったことにも強く影響されており,85年には回復が始まっていたともいえる。

このように多くの需要項目が前年に比べて不振であった中で,個人消費は実質可処分所得の増勢鈍化にもかかわらず,85年も83年以来の堅調を維持し,経済成長を主導した(85年のGNP成長率寄与度は2.2%)。この個人消費の堅調は,乗用車部門において,低利融資等の積極的な販売促進策が展開されたことによっても支えられたと考えられる。特に,この影響は7~9月期に大きく,同期の個人消費はこれを受けて前期比年率5.3%増と上伸した。ただし,10~12月期には,乗用車販売の反動減が影響して,個人消費の伸びが同1.7%増まで低下するという反作用もみられた。

こうして,85年のアメリカ経済は,個人消費に多くを依存しながら緩やかな成長を続けたが,他の需要は基本的に弱く,純輸出の改善も全く実現されないままで終った。通関ベースで名目の輸出入動向をみても,製造業製品収支の赤字が拡大し,農産品収支の黒字幅も減少するなど貿易収支は悪化する方向にあった( 第4章第2節 参照)。しかし,雇用面では,このような景気動向にもかかわらず,年後半には製造業雇用者数が増加するなど緩やかな改善がみられた。

(2) 投資の落込み目立つ86年上半期

(民間住宅投資の盛り上がリ)

アメリカ経済の基本的な成長パターンは86年に入っても大きく変化することはなく,相変わらず個人消費に多くを依存する展開が続いた。しかし,84年後半に落ち込んだあと85年に回復を示した民間住宅投資が,86年に入って一段と増勢を強めた点は注目に値する。民間住宅投資は金利変化に対する感応性が強く,84年7~9月期から86年4~6月期の間に住宅抵当金利が4%ポイント以上も低下したことが強くプラスに働いたものと推測される。金利水準の低下は,消費者信用金利の低下を通じて,個人消費の堅調持続にも好影響を及ぼしたとみられ,85年に入ってから緩和気味の金融政策スタンスが続いたことがこれらの需要部門を刺激したといえるであろう。

金融政策のスタンスが緩和に向かったことは,85年のマネーサプライ(M1)が増加率目標圏を大幅に逸脱して推移したにもかかわらず,連邦準備制度(FRB)がこれらを抑え込もうとしなかった事実からも明らかであろう。しかも,86年に入ると4回にわたって公定歩合が引き下げられ,7月にはボルカー議長が目標圏を上回るM1の伸びを容認するとの議会証言を行うなど,FRBのこうした姿勢はいっそう明瞭なものとなった。

(設備投資の減少と在庫調整の遅れ)

しかしながら,こうした金融政策の緩和は企業部門の設備投資を増加させるには至らず,実質民間設備投資は,85年の増勢鈍化の後,86年上半期には減少に転じた(1~3月期前期比年率15.1%減,4~6月期同0.9%減)。この主たる原因は,石油価格の低落による石油掘削部門の不振から鉱業部門の投資が大幅に落ち込んだことにあったといえよう(第1-2-2表および第1-2-3表)。しかし,製造業だけを取り出してみても,86年に入ってからの設備投資の不振は明白であり,特に一次金属,一般機械,自動車といった部門でこの傾向は著しい。

こうした製造業投資の不振を説明する一つの要因として,在庫調整の遅れがあげられる。先に述べたように,84年後半からの景気拡大速度の鈍化は,個人消費を除く内需および外需の不振から在庫調整が引き起こされことに起因していた。したがって,景気を上向かせるためには,余剰在庫が消滅した後,再び在庫水準が高まっていくことが必要である。そこで,在庫率の推移を調べると,製造段階では,83年から84年初にかけてこれが急激に低下した後ほぼ横ばいが続いている。しかし,流通段階,特に最後の小売段階では,在庫率はいったん低下するという過程を経ずに,じりじりと上昇を続けている(第1-2-1図)。

この最も典型的な例が自動車産業であり,その在庫率は85年後半から86年初めにかけて急速に高まった。自動車産業は86年4月以降更に積極的な販売促進策を実施しているが,これもこうした余剰在庫を一掃することが狙いであったと考えられる。いずれにせよ,流通段階での在庫率からみると,全体としての在庫調整は完全には終了していないものとみられる。このような在庫調整の遅れは当然ながら製造業生産を抑制し,更に製造業投資を落ち込ませていると考えられる。また,これに加えて,税制改革案に投資税額控除の廃止(86年1月に遡及して実施)が盛り込まれていたことも86年の設備投資を抑制する要因になったとの指摘もある。

(景気の拡大へ向けて)

以上のとおり,86年上半期のアメリカ経済は,個人消費の堅調のうえに民間住宅投資の盛り上がりという新たな要因を加えたが,他方では,民間設備投資の減少というマイナス面も伴った。その後の動きを7~9月期のGNPでみると,まず個人消費が大幅増(前期比年率7.2%増)を示したことが目立つ。しかし,これは自動車の積極的な販売促進策に基づく部分が大きく,しかも,この背後で貯蓄率の急減(4~6月期5.1%,7~9月期2.9%)が生じているから,このような個人消費の増加が今後も継続するとは考えにくい。

一方,86年上半期に盛り上がりをみせた民間住宅投資は,依然堅調を維持しているとはいうものの,大幅に増勢を鈍化させた。これには,住宅抵当金利の下げ止まりが影響しているほか,特に集合住宅については,空屋率の上昇,税制改革による投資促進措置の縮減といった要因が強く作用したとの指摘もある。

また,不振を極めていた設備投資は7~9月期には微増した(前期比年率0.3%)が,これは主に石油価格の下げ止まりによって,鉱業関連投資の減少に歯止めがかかったことによるものであり,製造業稼働率の低迷などを考えると,設備投資の本格的な回復にはまだ時間を要するものとみられよう。

つぎに雇用情勢をみると,失業率が徐々に低下していることに示されるとおり,緩やかながらも改善していると考えられる。ただし,部門間,地域間での改善の程度にばらつきがみられることは懸念されよう。例えば,石油価格下落の影響から,鉱業部門の雇用者数は86年初来継続的に減少しており,製造業部門でも一般機械では同様な減少がみられるが,その一方,サービス業は一貫して雇用者数を増加させている。また,地域的にも,こうした部門間の差異を一部反映して,石油を産出するメキシコ湾岸の州や農業を主産業とする南部州などで失業率が高いという現象がみられる( 第1-2-2図 )。しかし,全体として雇用情勢が改善に向かっていることは,今後,個人消費等需要面にも好ましい影響を与えるものと期待されよう。

以上のように,今後のアメリカの景気拡大の鍵は,どこまで個人消費が堅調を持続するか,いつ在庫調整が終了するか,いつドル高修正の効果が純輸出に現れてくるか,の三点にある。

また,中長期的にもアメリカ経済がバランスのとれた成長に向かうためには,依然として大幅な双子の赤字(財政収支赤字,経常収支赤字)の削減が引き続き求められているといえよう。

(3) 財政収支均衡法と予算

1981年度(1980年10月~81年9月)には789億ドルであったアメリカ連邦政府の財政赤字は,1985年度には2,119億ドルへと急速に拡大した,これは,レーガン政権以降の国防費,社会保障費の増大や大幅な減税等によるものであった。このような大幅な財政赤字がここ数年,アメリカの金利を急上昇させるとともに,ドル高,ひいては,経常収支の大幅赤字を生むといった悪影響を及ぼしてきたことは否めない。こうした中,1985年12月,財政赤字の解消を目指した財政収支均衡法(通称グラム=ラドマン=ホリングズ法)がレーガン大統領の署名を受け成立した。

同法は,86年度~91年度の6年間の財政赤字の削減目標額を各年度毎に具体的に定め,91年度には,収支を均衡させることを定めている。このような財政赤字削減を達成するために,同法では,

    ① 当該会計年度の開始2か月前に行政管理予算局(OMB)と議会予算局(CBO)が財政収支見通し,及びこの財政赤字の見通し額が目標額を100億ドル以上上回る場合には,目標額を達成するような一律歳出削減策を作成し,会計検査院に報告する。

    ② 会計検査院はこの合同報告を審査し,必要な場合は修正をした後,大統領に一律歳出削減を勧告する。

    ③ 大統領はこの勧告に基づいて9月1日に一律歳出削減の命令を出す。

    ④ 歳出の一律削減は1/2は国防費,残り1/2は非国防費で負担する(社会保障年金,利払い費,医療扶助費,食糧切符等の施策は例外)こと等を定めている。

同法に基づき,86年度予算については,86年2月1日に117憶ドルの一律歳出削減が大統領により命令された。また,87年度予算についても政府は2月初,同法に基づき,財政赤字を1,436億ドルと同年度の目標額(1,440億ドル)に収めた予算教書を議会に提出するとともに,議会でも6月末には87年度の財政赤字を1,426億ドルとする予算決議を採択し,財政赤字削減のための努力が進められた(第1-2-4表)。こうした中で,7月,財政収支均衡法の一律歳出削減の手続の中で,議会の一部とみなされる会計検査院に事実上歳出削減という行政権限が賦与されている点が,三権分立に反するとして最高裁で違憲判決を受けた。ただし,同法には,一律歳出削減手続が無効とされた場合には,会計検査院長に代り,両院合同協議会(両院の予算委員会の全メンバーで構成)がOMB,CBOの見通しを受けて歳出削減を決議し,両院本会議の決議を経て,大統領に送付するという「代替手続」を定めており,財政均衡法全体が無効になったわけではない。

その後,この「代替手続」により,議会は先の違憲判決で無効となった86年度の117億ドルの一律歳出削除を追認した。一方,87年度予算については,1986年税制改革法による初年度増収110億ドルに加え,議会が117億ドルの財政赤字を削減する予算調整法案を10月に可決し,財政収支均衡法による一律歳出削減は行われなかった。

ただし,今後については①財政収支均衡法の違憲判決により,財政赤字の削減は再び議会審議に依存すること,②歳入については,その時々の景気動向に大きく左右されること等を勘案すると,財政赤字削減達成にはなお紆余曲折があるものと予想される。

(4) 税制改革

第2期レーガン政権の最重要政策課題の一つであった税制改革は1986年税制改革法として86年9月末上下両院本会議で可決した後,10月22日大統領の署名を得て成立した。

同法は,レーガン大統領が85年5月末議会に提出した税制改革案の考え方を基本的に受け継いでいる。つまり,同法は,現行税制における各種の控除・優遇措置等が課税ベースをせばめ,限界税率を高めるとともに,税制を複雑化させ,不公平感を生むと同時に,資本,労働等経済資源の適切な分配をゆがめ,経済成長を阻害しているという見地に立ち,抜本的な改革を試みている。

同法の具体的特色をみると(付注1-2参照),①個人所得税については,現行の14段階(11%~50%)の税率区分を2段階(15%,28%)に大幅に簡素化することにより,最高税率の引下げと累進構造のフラット化を図る一方,各種の控除,優遇措置の廃止,縮減による課税ベースの拡大を図ることにしている。②法人税については,最高税率を引き下げる(46%(5段階)→34%(3段階))一方,投資税額控除(ITC)を廃止し,加速度償却制度(ACRS)をおおむね縮減・合理化するなど政策税制等の縮減・合理化を行うこととしている。③税収効果については今後5年間個人所得税は1,219億ドル減税,法人税は逆に1,203億ドルの増税であり,全体としては税収に変化なしとなっている。ただし,新税制へ段階的に移行するため,年により税収の増減がある。87年度については,個人所得税の最高税率の引下げと累進構造のフラット化が88年1月(87年は経過措置)から,法人税率引下げが87年7月から実施予定であるのに対し,各種の控除・優遇措置の見直しの多くがこれに先立って87年1月から実施(投資税額控除の廃止は86年1月に遡及して実施)予定であるので全体として増税が見込まれている。

さて,今回の税制改革のアメリカ経済への影響をみると,短期的には(87年),上記のように法人増税の効果が所得減税による消費拡大効果を上回り,国内景気に対し一時的にマイナスに作用する可能性が高いものと思われる。しかし,中長期的にみると,まず,①家計部門では個人所得税の引下げにより基本的には消費の拡大が見込まれる。また,②企業部門では特に,投資税額控除の廃止,加速度償却制度の見直しのため,資本集約産業,不動産産業等を中心として投資意欲が大幅に減退する方向に働くものの,投資決定において収益性がより重視されるようになり経済全体としての効率性が高まるものと期待される。

2. 緩慢な拡大続く西ヨーロッパ経済

(1) 緩慢な拡大とその要因

(緩やかながら息の長い拡大)

西ヨーロッパ経済は,82・83年以来緩やかながら息の長い拡大を続けており,EC12か国の実質経済成長率は,85年の2.4%についで86年にも2.5%程度の伸びとなると予測されている(第1-2-5表)。

西ヨーロッパでは85年春以降のドル高修正もあって,対米輸出を中心に輸出が頭打ち傾向を示すようになり,成長の主力は次第に輸出から内需に移っている。また,85年末からの原油価格の急落は,石油輸出国のイギリスなどの石油採取業を中心に直接的な打撃を与えている一方で,インフレの鎮静化を促進しており,個人消費の堅調化を中心に内需拡大を下支えしている。

このように,ドル高修正,原油価格下落の影響は,国別に,部門別に異なっていて複雑である。第3章で分析するように,そのプラス効果はすでに出はじめているとみられるものの,一部打ち消されている面もあって,当初各国などで予測されていたよりも影響は小幅で,しかも出遅れており,西ヨーロッパ全体としての景気拡大が盛り上がりを欠く一因ともなっている。このため,EC委員会の86年成長見通しは,6月の上方修正を10月には再び下方修正(2.7%→2.5%)しており,87年になって2.8%にやや高まるとしている。

86年に入って,主要国では年初の寒波などの影響もあって景気拡大は一時足踏みを示したものの,上期をならしてみると実質GDPの前年同期比はいずれも2.5%程度の伸びとなっている。

鉱工業生産も86年1~3月期には寒波や例年より早い復活祭などから落ち込んだ国が多かったが,  4~6月期にはほぼ回復している。しかし,原油生産が減少したイギリスでは4~6月期にはむしろ足踏みを示した。EC全体としてみると,85年上期(前年同期比)3.6%増,下期3.2%増の後,86年上期も2.2%増と緩やかな上昇を続けている(第1-2-3図)。しかし,水準は低く,西ドイツで85年後半以降,第2次石油危機前のピークをやや上回ったほかは,79年頃のピーク水準を下回るか,もしくは同水準にとどまっている。

(消費需要の堅調続く)

85年後半以降,内需が経済拡大の中心となったが,中でも,個人消費は堅調を持続している。一方,固定投資は総じて拡大しているが,住宅投資の低迷などもあって,個人消費ほどの力強さはない(第1-2-6表)。

イギリスとフランスでは,個人消費の成長率に対する寄与度は85年以降2%台を続けており,安定的な成長要因となっている。また,イタリアでも個人消費は着実な増加を続けており,回復が遅れていた西ドイツでも85年下期以降は増勢が強まっている。EC委員会が作成している消費者信頼感指標(家計の金融状態及び景気全般それぞれについて,現状と一年後の見通し,及び現在の大型消費財購入意欲の5項目についてのアンケート結果の集計値)をみても,81年下期を底に緩やかに上昇傾向をたどり,85年後半以降は急速に改善している。

(高水準の消費性向と可処分所得の上昇)

このような消費堅調の一側面として,消費性向が強含みで推移したことが指摘できる(第1-2-4図)。消費性向は,物価上昇率鈍化の下で81年より各国で緩やかな上昇傾向をたどっており,フランスで82年以降上昇が顕著となっているほか,イギリス,西ドイツでも高水準を続けている。一方,家計の実質可処分所得も増加しており,イタリアも含めた西ヨーロッパの主要4か国における消費堅調の主因となっている。実質可処分所得は,イギリスで85年に前年比2.8%,西ドイツで同1.7%,フランスでも同1.0%,イタリアで同2.4%といずれも増加し,86年にも各国で増加が続いている。

この要因をみると(第1-2-5図),物価上昇率の鈍化により,物価要因(消費デフレータ)は各国で85年下期以降プラスに寄与(マイナス幅が縮小)している。収入要因(賃金及び財産所得)は,イギリス,西ドイツでは賃上げ交渉が高率で妥結していることなどもあって,依然,可処分所得を大きく引き上げている。

一方,家計の正味公的負担(税金及び社会保障負担より社会保障給付を差し引いたもの)は必ずしも軽減されておらず,イギリスでは引き続き所得の引下げ要因となっている。西ドイツでも,86年1~3月期には所得税減税が実施されたこと等から,プラス要因となったが,総じてマイナス要因として働いている。

なおフランスでは,85年には所得税減税や社会保障負担軽減の効果もあって,プラスに転じた。

(設備投資の好調)

住宅投資を含む総固定投資は,上に指摘したように力強さを欠いているが,設備投資は総じて85年以降好調である。

イギリスの設備投資は,政府が初年度特別償却制度を拡充,強化したことや企業収益の増加などを背景に,他のヨーロッパ主要国に比べ82年と早い時期から拡大を続けた(第1-2-6図)。その後この投資促進税制が84年3月より86年4月にかけ3段階に分けて廃止されることになったため,初年度償却率の高い年度に投資を前倒しで行う動きがみられ,85年1~3月期まで設備投資は高い伸びを続けた。しかし,その後はこの反動に加え,企業収益の減速,さらには原油価格下落による収益の大幅減もあって設備投資は低迷している。

西ドイツでも,設備投資は企業収益の回復に加え,82年に実施された投資補助金の効果もあって82年末以降増加基調にあり,さらに85年上期には対米輸出急増の影響で,また86年に入ってからも高水準の稼働率や企業収益の急増の下で,設備投資の伸びは高まっている。

フランスでは,83年,84年の企業収益の回復にもかかわらず,設備投資は低迷を続けた。これは,企業が財務体質の改善を優先させたこと,稼働率が低水準であったことの影響が大きい。しかし,85年以降は稼働率の上昇と企業収益の増加にほぼ歩調を合わせて,設備投資も増加を続けている。

(EC民間企業設備投資動向調査)

86年4月に実施されたEC設備投資動向調査によれば,EC10か国における製造業の設備投資は,実質伸び率で85年実績12%,86年も10%と堅調さを示している。

国別に86年の投資計画をみると,イタリアの13%(85年実績14%),西ドイツの11%(同18%)などが平均を上回っているが,フランスは6%(同7%),イギリスも5%(同4%)と比較的低い伸びとなっている(対象は製造業のみ,国民所得ベースの設備投資の動きと必ずしも一致しない)。

(西ヨーロッパの先端産業関連投資)

先端技術産業については,西ヨーロッパ経済は大きな遅れをとっており,高成長部門での域外からの輸入依存度は72年の7%から82年には17%にまで拡大している(日本5%,アメリカ10%程度)。

全産業を高成長部門,中成長部門,低成長部門に分類し,その設備投資動向をみると(第1-2-7図),高成長部門での日本,アメリカとの格差は他の2部門に比べ顕著である。EC及び西ヨーロッパ主要国は,種々の先端技術産業育成策を実施し,83年以降この分野での設備投資も若干回復した。

(住宅投資)

住宅投資は西ドイツ,フランスでの設備投資の好調と対照的に,減少傾向を続けている。国別にその推移と要因をみると,イギリスでは84年末かなり減少した後,最近では下げ止まりの傾向がみえる。またその動きはほぼ金利の動きに対応したものとなっている(第1-2-8図)。

西ドイツでも82年央頃までは金利低下の影響が認められ,83年初にはとりわけ政策面からの刺激もあって急増した。その後は,金利の低下にもかかわらず,住宅新規受注数量は減少を続けている。フランスでも住宅ローン金利の低下がみられるものの,81年以降住宅投資は減少の一途をたどっている。

このように西ヨーロッパの住宅投資が傾向として不振となっている理由としては,人口の動向等を背景とした空屋率の高まりなどの構造的要因や住宅コストの上昇等が指摘されている。

(輸出の鈍化)

西ヨーロッパ(OECDヨーロッパ)では,外需のGNP成長に対する寄与度は,84年0.8%の後,85年には0.2%と鈍化しており,さらに86年には成長を引き下げる要因となっているとみられる(86年4~6月期の前年同期比成長率に対する外需の寄与度は,イギリス△1.1%,西ドイツ△1.7%,フランス△3.2%)。

この背景には,85年に入ってのアメリカの景気拡大速度の鈍化とドル高修正により,またイギリスではさらに85年末以降の原油高修正も加わって,輸出が伸び悩みないし減少したことがある。

ECの輸出(10か国,ECU建て)は,84年前年比15.1%増と大幅な増加の後,85年に入ると頭打ちの傾向がみられ,85年通年では同9.6%増に鈍化した。さらに86年に入って,1~6月期前年同期比3.9%減とその鈍化,減少の傾向が明確化している。

主要国の輸出動向をドル建て輸出額でみると,85年3月からのドル高修正の下に,イギリスを除き,概ね最近に至るまで大幅な伸びを示しているが,各国通貨建てでみると(第1-2-9図),84年の大幅増加の後,イタリアが遅れたものの85年半ば頃から減少に向っている。また,輸出を数量ベースでみても,各国とも85年以降は,頭打ちないし減少となっており,輸出の鈍化は明らかとなっている(後出第3-2-5図参照)。

他方,輸出仕向け先別にみると(地域別増加寄与度,第1-2-10図),イギリスの輸出は,86年1~6月期でほぼどの地域向けもマイナスとなっており,特にEC向け輸出は,原油価格の低下から最大のマイナス要因となっている。西ドイツの86年に入ってからの輸出鈍化は,主としてECを除く西ヨーロッパ,途上国向けで生じている。フランスでは,ECを除く全地域がマイナス要因となっており,特にアメリカ向けの寄与が大きい。西ドイツ,フランスでEC向け輸出がプラス要因となっており,EC各国の内需の強さを反映している。OPEC向け輸出は,各国ともこのところマイナス要因として働いている。

(原油価格低下とイギリスの石油輸出)

石油輸出がイギリスの総輸出に占める比率は85年には16.6%となっており,原油価格低下の打撃は大きい。原油輸出量は86年1~8月にも前年同期比2.6%増と前年をやや上回る水準を維持しているものの,この間の輸出総額減少はすべて石油輸出額の減少によって説明される(第1-2-11図)。

イギリス政府は,一方で石油輸入国の交易条件改善による輸入需要増,ポンド相場の低下などから非石油輸出増をもたらすとして,原油価格の急落は景気に若干のプラスとなると3月頃にはみていたが,最近では,プラスの効果が出遅れているとしている。

(輸入動向)

西ヨーロッパの輸入は,イギリスを除き,85年末の原油高修正及びドル高修正に伴う輸入物価の低下の下で,数量では増加しているものの,金額では減少しており,各国の貿易収支の改善の主たる要因となっている。

ECの輸入(10か国,ECU建て)は,84年前年比14.8%増と大幅な増加の後,85年初より減少傾向を示し,85年通年では同7.6%増となった。86年には1~6月期前年同期比8.4%減と大幅に減少している。

輸入先別(第1-2-10図)でみても,各国ともここのところOPECからの輸入とアメリカからの輸入がマイナスの寄与となっている。

(経常収支の動き)

西ヨーロッパ主要国の経常収支はイギリスを除いて多くの国で貿易収支の動向をうけ黒字幅拡大ないし改善している。

西ドイツの経常収支は,85年に史上最高の389億マルクに達した後も拡大を続け,86年の上期だけで346億マルクと前年並の黒字額となっている。また,近年経常収支赤字を続けてきたフランスは赤字幅を縮小させ,イタリアでも,経常収支は改善しているものとみられる。しかし,イギリスでは,原油高修正に伴い貿易収支,経常収支ともに悪化している。

(2) 低い物価と高い失業

(物価は一段と落着く)

西ヨーロッパの物価は80年下期以降鈍化傾向にあったが,86年に入ると急速に鎮静化した。OECDヨーロッパ平均の消費者物価前年同月比上昇率でみると,最近のピーク80年5月の15.2%から86年8月の3.9%にまで低下し,また86年に入ってからは1~8月間に2.2%ポイントと急速な上昇率の低下を示している(第1-2-12図)。

主要国別にみても,西ドイツでは86年4月以降前年同月比マイナスが続き,1962年の現行統計作成以来の安定ぶりとなっている。イギリス,フランスでも86年春以降前年同月比2%台の上昇と,ほぼ20年来の低水準となった。70年代以降高率のインフレに悩まされてきたイタリアでも86年7月には5%台に鎮静化した。

(ドル安,原油安の影響)

この急速な鎮静化の主因は,原油価格の下落である。前出第1-1-4図のように,原油価格は86年に入ってドル建てで急落した上に,ドルの下落が自国通貨建て輸入価格を更に引き下げることとなった。エネルギー関連の消費者物価をみると,86年に入って主要国では前年水準を下回っており(西ドイツ9月前年同月比18.3%下落,フランス8月同15.8%下落,イギリス8月同7.8%下落),消費者物価の前年同月比上昇率を,西ドイツ9月2.0%,フランス8月1.6%,イギリス8月0.9%それぞれ引き下げている。

(緩やかな賃金上昇率の鈍化)

賃金上昇率も81年以降鈍化傾向にあるが,物価の鎮静化ほど著しくはなく,OECDヨーロッパの賃金上昇率(製造業,時間当たり)は85年平均で前年比7.9%と前年と同率にとどまった。しかし,86年1~3月期には前年同期比7%と再び鈍化を示している。

物価上昇と賃金上昇の悪循環を断ち切ることがかねてからの課題となっていたイタリアでは,戦後最長となったクラクシ政権の下でスカラ・モービレ(賃金の物価スライド制,1946年導入)の改革が行われた(86年2月)。これは,①従来3か月毎に行われていた物価調整手当の改定を86年以降5月と11月の年2回とする,②賃金のうち58万リラまでは物価上昇に100%スライドさせるものの,それを越える部分については25%に制限するという画期的なものとなった。この結果,86年に入るとイタリアの賃金上昇率は著しく鈍化している(第1-2-13図)。フランスでも86年に入って賃金上昇率は緩やかに低下している。このため,この2か国は国内面での物価押し上げ要因が小さくなり,ホームメイド・インフレの指標となるGDPデフレータの上昇率も86年に入って小幅化している。

これに対し,西ドイツ,イギリスでは86年に入って賃金上昇率は横ばいないし若干の高まりをみせており,GDPデフレータも同様となっているが,いずれも80年代初めに比べればかなり低い水準となっている。

(雇用の改善遅れる)

西ヨーロッパでは,82・83年以来緩やかな景気上昇が続いているにもかかわらず,雇用情勢の改善は遅れている。85年の失業者数は史上最高を記録した国が多く(第1-2-14図),EC12か国では1,580万人(年平均,失業率11.6%),OECDヨーロッパ全体では1,934万人(同,失業率11.0%)に達した。86年に入っても失業者数は更に増加しておりEC12か国計の8月の失業者数は1,606万人(季調値)となっている。国別にみれば一部には雇用情勢の改善がみられる国もあり,フィンランドを除く北欧諸国で84年より,オランダやベルギーなどでは85年以降,そして西ドイツでも85年後半から,失業者数は減少しているが,これも他国の大幅な増加により打ち消されており,失業問題は西ヨーロッパ経済にとって依然大きな課題となっている。

(就業者数の動き)

雇用情勢の改善が遅れている原因は,需要供給両面にあるが,需要面では,西ヨーロッパの景気上昇テンポが極めて緩やかなことがある。アメリカの実質GNP成長率が,83年3.6%,84年6.4%,85年2.7%であるのに対し,EC12か国の実質GDP成長率は各々1.2%,2.0%,2.4%と低い。

EC12か国計の就業者数は,81年以降4年間減少を続けた後,85年に増加(前年比0.6%増)に転じたが,依然としてピークだった80年を2%下回っている。

なお産業別には,サービス産業での雇用増がすう勢的に続いており,85年には75年の水準を16%上回った。一方,鉱工業及び農林業では81年以降サービス部門での増加を上回る減少が続いたが,85年には減少幅は小さくなった(85年は75年比18%減)。

(労働供給面の原因)

西ヨーロッパの高失業は長期的課題とされているが,その理由の一つは,生産年齢人口の増加である。80年代に入って,60年代前半のベビー・ブーム期に誕生した世代が生産年齢に達し,生産年齢人口の年平均増加率が高まった(OECDヨーロッパ計,60年代後半0.6%→80~85年1.2%)。これが失業率悪化の要因としても,大きなウェイトを占めている(第2章第2節参照)。

労働供給面における要因としてはさらに,未熟練失業者の存在が挙げられる。

EC委員会が85年末に行った企業調査結果(Europian Economy,1986No.27)をみても,西ドイツ,オランダを除いて各国の経営者は現在の雇用水準を全体として過剰と判断しているが,熟練者,技術者については不足していると答えている。また未熟練者に高い最低賃金が保障されていたり,熟練者と未熟練者の賃金格差が小さいこと,賃金外費用の高いことが,金利の低下とともに企業を省力化投資へと向わせ,雇用拡大を阻んでいるとみられている。

(3) 政策の動向

(金融政策-金利の低下)

西ヨーロッパでは,第2次石油危機以降,インフレ克服を主目的に引締め基調の政策スタンスを共通してとってきた。しかし,インフレの鎮静を背景に,引締め色はしだいにうすれており,とくに金融面では,85年春以降,ドル高修正によって,高まった自由度を活かした政策運営が行われている。

まず,マネーサプライの管理についてみると,主要な通貨指標(西ドイツ:中央銀行通貨量,フランス:M3,イギリス:M0およびポンド建てM3)について,目標圏を設定して伸びを抑制するという方式を各国ともとっているが,最近では,この圏外に逸脱する動きがあっても,全体としてインフレ,成長などに悪影響を与えるおそれがない限り,容認する傾向がみられる。たとえば,86年に入ってから西ドイツの中央銀行通貨量の伸びは,9月に85年10~12月比年率′7.4%と目標(3.5~5.5%)を上回っている。イギリスのポンド建てM3も昨年急増した。これには,新金融商品の導入などの技術的要因もあるため指標として不適切として,政府は昨年11月以降,目標からポンド建てM3を一時棚上げした。86年度に入って,ポンド建てM3は再び指標とされたが,4~9月の間に年率22.5%増と大幅に引き上げられた目標(11%~15%)を更に上回って増加している(第1-2-15図)。しかし,もう一つの目標であるM0はほぼ目標圏(2~6%)の中に入っていること,また名目GDPの上期の伸びが51/2%程度と年見通しの63/4%増を下回っていることなどから政府はこれを容認している。

金利については,米金利の低下とドル高修正の下で,85年春をピークにいずれも低下傾向を続けており,86年春には西ドイツの公定歩合がアメリカや日本とほぼ同時に引き下げられた(4→3.5%)。フランスでも市場介入金利が漸次引き下げられてきている(86年1月8.75%→6月央7.0%)。

また,国内金利が為替レートの動きに影響される度合が,金融市場の自由化,国際化が進行していることもあって,高まりを示している。特にイギリスの場合には,金利は低下傾向にあるものの,原油価格低下などによりポンド相場が急落した局面では金利の引き上げを余儀なくされており,86年に入ってからも,1月および10月に1%ずつ金利が引上げられ,市中銀行貸出し基準レートは86年10月現在11.0%(プライム・レート12%相当)と高水準となっている。

(財政政策-財政再建の進展)

財政面でも,政府部門の縮小(イギリス),財政再建(西ドイツ,フランス)といった基本的姿勢は変えていないが,これらの目標が徐々に実績をあげつつあることもあって,雇用面への配慮も強められつつある。

歳出(中央政府一般会計)の伸びは,主要国では急速に鈍化している(第1-2-7表)。86年度予算案ではいずれも名目GDPの予想上昇率を下回る伸びとされ,さらにフランスの87年度予算案では予想物価上昇率2.0%を下回る1.8%と,実質的な減額予算が組まれている。しかし,配分については失業や不況業種に対していずれもきめこまかな配慮がなされている。

一方,歳入面をみると,高負担の是正,負担の公平化などを目指す税制改革の一環として,主要国では所得税の減税が実施されている。西ドイツの86,88年度における所得税減税(総額194億マルク),イギリスのインフレ調整のための年々の所得税減税(86年度14.7億ポンド),フランスの87年度予算法案における個人所得税減税(法案段階で約100億フランを予定)などである。一方,こうした減税と同時に,主要国の大半では財源確保や従量税の物価調整の観点から,間接税の引上げなどを中心とする増税も実施されている。

以上の歳出,歳入の動きは基本的に財政再建の枠内にあるといえ,主要国の財政赤字は縮小している。イギリスでは公共部門赤字(PSBR)の対GDP比は,80年代初の6.5%から85年には2.0%に低下しており,西ドイツの中央政府純借入れの対GNP比も85年には1.2%と低い水準となっている(81年は2.4%)。またフランスでも予算の主要目標が赤字額の削減におかれている(対GDP比では86年3%→87年2.5%)。

(フランスの自由化と民営化)

86年3月に発足したフランスの保守政権は,旧政権と同様に規制緩和による経済の活性化策を推進しており,証券外貨制度の廃止や,輸入為替予約の期限撤廃などの為替管理の緩和,また物価統制の一層の解除等の自由化策をより強力に進めている。

一方,保守政権の最重要政策の一つである国有企業の民営化は社会党が反対したものの,86年8月には法案が成立し,86年末までには民間への株式の売却が始まる予定である。この政策の狙いとして,政府は国民と大企業の意識改革や企業の経営体質の強化を挙げている。また労働者解雇の事前許可制も,社会党の抵抗に遭いながらも廃止された。

(イギリスの民営化とビッグバン)

サッチャー政権が79年以来すすめている国有企業の民間移管は,すでに英電信電話公社(BT)などを含めて計画の約4割が実施に移されており,明年初の英国航空(BA)をはじめ今後も積極的に民営化を進める方針である。政府所有株式の売却などによる収入は,85年度の25億ポンドについで86年度は48億ポンドと見込まれ,原油価格の急落による大幅な収入減(86年度約60億ポンド)を余儀なくされている政府にとって貴重な財源ともなっている。

サッチャー政権は各種規制の緩和にも努力しているが,その一環として,証券取引の自由化,規制緩和を主眼とする一連の変更が10月末実施された(通称ビッグバン)。これにより証券売買手数料の自由化,単一資格制度の撤廃,取引所会員権の解放などが行われることとなった。