昭和59年
年次世界経済報告
拡大するアメリカ経済と高金利下の世界経済
経済企画庁
第5章 世界経済再調整の条件
これまでみてきたように,世界各国の貿易と資本の移動を通じた相互依存関係はますます強まり,しかも,その依存関係がアメリカ経済の再活性化によって大きな変貌を迫られている。現在の世界経済システムは,そのような状況をうまく乗り切っていくことができるだろうか。そのために必要な条件は何であろうか。以上の問いに答えることが本節の課題である。
まず,これまででも述べた世界経済の相互依存関係を,もう一度概観してみよう。
第5-3-1図,第5-3-2図は貿易と資本の流れのそれぞれについて,先進国,非産油発展途上国,OPEC諸国及び先進国の中では日,米,欧に分けて整理したものである。第5-3-1図のように,先進国より途上国への輸出は2,100億ドル,輸入は1,830億ドル,先進国よりOPEC諸国への輸出は930億ドル,輸入は1,230億ドル,途上国よりOPEC諸国への輸出は225億ドル,輸入は575億ドルとなっている。また,全世界の輸出入の合計は3兆4,000億ドルであって,同地域のGNPの36%にも及んでいる。
同様にして先進国同士の結びつきをみると,日本よりアメリカへの輸出は430億ドル,輸入は220億ドル,日本よりECへの輸出は185ドル,輸入は65億ドル,アメリカよりECへの輸出は440億ドル,輸入は440億ドルとなっている。また,これら地域の輸出入の合計は,2兆3,000億ドルであって同地域のGNPの36%にも及んでいる。
一方,第5-3-2図により,世界的な貯蓄の流れをみると,先進国よりネットの資本移動は途上国へ630億ドル,OPEC諸国へは30億ドルであり,OPEC諸国より途上国へのネットの資本移動は10億ドルとなっている。
このような貿易と資本の移動によって密接に結びついた世界では,貿易と資本移動のいずれかの制限によって,現在の所得水準が大きく低下することも生じかねない。先進国と途上国との貿易,資本移動の関係を図式的に述べれば,先進国は資金を貸し付け,生産財を輸出する。途上国は資金を借り入れ,生産財を輸入し,さらに消費財を生産し,輸出することによって外貨を得,資金を返済するという関係が成立している。もし,先進国の側で保護主義が強まれば,途上国は外貨を得ることができず,資金の返済も困難になってしまい,国際経済システムに混乱が起きることにもなるだろう。貿易と資本による結びつきは,先進国と途上国との関係のみならず,途上国間,先進国間においても成立している関係である。
現に1929年より始まる世界大不況においては,アメリカから始まった世界的な不況下の保護貿易主義が単なる不況によってもたらされる以上の世界貿易の縮小をもたらし,世界貿易の縮小が先進国のみならず途上国の外貨不足を招き,外貨不足が資本の流出を招いて大不況をより一層深刻なものにしたといわれている。大不況下の世界貿易と資本移動のデータをみると,確かにこのような過程が生じたことがみてとれる。世界貿易は数量でみても価額でみても縮小し,1938年になっても1929年の水準に戻ることはなかった(第5-3-3図)。1929年に比べてボトム時には,数量で25.4減,価額で66.0減となった。アメリカの資本移動をみると,1929年,30年にそれぞれ8億3,600万ドル,5億5,500万ドルの流出が,1931年には7億1,100万ドルの流入となり,以後流出となることはなかった(第5-3-4図)。このような事実は,世界経済が自由な資本の移動によって密接に結合された世界では,自由貿易の重要性がますます高まることを示唆していよう。
このような状況下での世界経済のさらなる発展の途は,財や資本の移動を制限することによって,不安定性から逃れるという。退嬰的な方策によってではありえない。第1節,第2節で述べたように,財と資本の自由な移動にも助けられて,アメリカはフロンティアの開拓をなしえ,ヨーロッパはマーシャル・プランの援助とあいまって戦災から立ち直り,途上国の少なくとも一部は新興工業国になるなど,世界経済は発展し,その中で日本も高度成長を遂げたわけである。世界経済の求めるものは,財と資本の自由なかつ安定的で円滑な移動である。そのためには何が必要であろうか。
自由な貿易と自由な資本の移動は,最も効率的な資源配分を可能にすると考えられる。しかし,変化する世界での自由な貿易は国内の比較劣位産業の調整問題を引き起こすこともあり,低成長時や産業構造が大きく変化するような時代にあっては,そのような動きはなおさら強まる傾向がみられる。
歴史的にみれば,自由貿易と自由な資本移動の世界経済システムは,19世紀央以来のイギリス,第二次大戦後のアメリカというように,超大国のリーダーシップによって守られてきた面が強い。これらの国々は,国内においては自国内の保護貿易主義的要求を抑えるとともに,相互に利益となる財と資本の自由な移動を各国に求め,大きな成果をあげてきた。
第二次大戦後の世界経済を振り返ってみれば,アメリカを中心として,IMFとGATTが設立され,前者は自由な資本の移動のために,後者は自由な財の移動のために,大きな役割を果たしてきた。さらに,GATTを舞台として,60年代のケネディ・ラウンドなど,アメリカは関税率大幅引下げと輸入制限品目縮小のためのイニシアチブをとってきた。しかし,60年代末よりのアメリカの経済力の相対的低下等を背景として,アメリカにおいて保護主義の高まりがみられることも否めない。しかし,80年代に入って,第2章で分析したようにアメリカ経済は再活性化しているとみられ,これは自由貿易と自由な資本移動の世界経済システムの維持におけるアメリカの貢献も増す可能性もあることを示唆するものである。しかし,アメリカ経済の再活性化が,特に先端技術部門における技術進歩によって生じる面が大きい半面,比較優位の変化によって,アメリカの伝統的基幹産業である自動車や鉄鋼部門の再活性化は,困難になる可能性がある。むろん,これらの産業が先端技術の利用によって回復する可能性もあるが,比較優位の変化は,これらの産業におけるアメリカの保護主義を強める一つの要因である。
このような状況下では,世界のGNPの一割を占める日本の役割と責任はますます大きいものとなろう。日本は,アメリカ,ヨーロッパ諸国,OEC D・GATT・IMF等国際機関とも協力しつつ,安定的な世界経済システムの維持のために,より一層の責任を果たしていくことが期待されよう。
以上の分析から示唆される,安定的世界経済システムの条件は以下のとおりである。
第1に必要なことは自由貿易の一層の拡大強化である。先進国が途上国に資本を貸し付け,その利払い・元本の返済を求めながら途上国からの輸入を規制しようというのは自己矛盾である。
第2に必要なのは資本移動の自由化である。資本の移動が制限されないという保障のあることが,資本の不安定な移動を避けさせるのである。ただし,現在のアメリカへの資本流入には,大幅な財政赤字等による高金利から生じている面がある。安定的な資本移動のためにも,アメリカの節度ある財政運営が望まれる。
第3に必要なのは,海外投資リスクの適切な管理である。リスクを単に軽減することは,世界的にみて必ずしも資本を有効に使用することにはならない。危険な投資は収益性が高く,安全な投資は収益性が低いのは当然である。もし,収益性の高い投資の危険度を,安易な公的介入によって人為的に引き下げれば多くの人々が採算性を十分に見きわめることなく危険な投資に向かうことになるだろう。債権者と債務者の双方が,誤った決定から生まれた損失をある程度受け入れなければ,市場の規律は保てない。リスクに対しては,適切な手数料が支払われなければならない。手数料は,債権をすべては回収できないという形で事後的に支払われるものであってもよいし,危険な投資を安全な投資に転換する保険料という形であってもよい。危険を単に減らすことではなく,危険に対する適切な手数料が支払われることは長期的には経済の成長力を強めるであろう。このようなシステムは,すべての経済主体により効率的な投資プロジェクトを見出す誘因を失わせることがないからである。
しかしながら,海外投資リスクには,第4章第2節で述べたように,発展能力と流動性の2つの問題がある。前述したリスクは返済能力に係わるものであるが,流動性のリスクに関しては,政府やIMFのような国際機関が協力すべき根拠がある。これは,誤った決定を援助することではなく,国際的な信用秩序を維持することである。一つの銀行の債務国への融資額は,累積債務の全体に対しては,通常大きなシェアを占めないであろう。したがって,仮りに一つの銀行が新規融資をしたとしても,債務国の流動性は改善されない。一方,新規融資により,この銀行はリスクの大きい貸付けを増大させることになる。それゆえ,個々の銀行の立場からすれば,仮りに累積債務国の返済能力を認めていたとしても新規融資を中止する誘因がある。しかし,すべての銀行が新規融資を中止すれば,債務国は返済能力があったとしても,流動性の不足から債務不履行に陥ることになろう。その結果,国際的な信用秩序の混乱が生じかねない。したがって,以上のような状況の下では政府やIMFのような国際機関が,国際的信用秩序維持のために協力することが必要となる。