昭和59年
年次世界経済報告
拡大するアメリカ経済と高金利下の世界経済
経済企画庁
第4章 途上国の調整とその困難
第1節で述べたように高金利・ドル高によって,累積債務を持つ国々は困難な調整問題を抱えている。しかし,その程度は,これからみていくように,国によって大きく異なっている。本節では,アジアNICsのうち韓国,ASEAN諸国のうちフィリピン,中南米諸国のうちメキシコ,ブラジル,アルゼンチンの経済を概観し,これらの国々の累積債務問題と開発戦略をみることにしたい。
まずこれら諸国の主要経済指標を見ておこう(第4-2-1表)。一見してわかることは,アルゼンチン,ブラジル,メキシコの経済パフォーマンスの80年代初頭からの急激な悪化である。すなわち,アルゼンチン,ブラジルでは81年より,メキシコでは82年より,GDPの成長率がマイナスとなり,物価上昇率は,卸売物価でも消費者物価でも急激に上昇し,83年にはいずれも100%を超える上昇率となっている。また,経常収支も急激に悪化している。
一方,韓国では,80年に農業の不振,緊縮政策等により,マイナス成長を記録したが,その後は高成長を続け,債務は問題となっていない。
フィリピンでは,比較的高い成長を続けてきたが,83年より政治情勢の悪化によって,成長率が低下している。
こうした中で,1980年に入って,これら諸国のうち特に中南米諸国の対外債務返済能力に疑念が持たれるようになり,累積債務問題が顕在化した。
もっとも,1982年より,IMFを中心として,債務国と銀行団との債務繰り延べ交渉が行われた。1983年には,ブラジル,メキシコについて,経済調整政策を採ることと,リスク・プレミアムを示すスプレッドを上げることを条件に,民間銀行も債務支払いのための新規貸付けに応じ,危機は一応回避された。その後,これら諸国の経済パフォーマンスも改善をみせ金利スプレッドは縮小している。また,アルゼンチン,フィリピンについては,IMFとの間で経済調整政策につき実質的に合意されており,現在,関係者間で救済策を協議中である。しかし,危機が回避されたからといって,これら諸国の長期的な発展問題が解決されたわけではない。
累積債務の現状については,第1節で説明したので(第4-1-1表),ここではその意味について説明することとする。累積債務問題とは,いうまでもなく,対外債務の累積もしくはそれが大きいことが問題であるとしているわけだが,借金の額が大きいこと自体が問題というわけではない。個人の場合でも,住宅を買ったがゆえに負債が増えるのをいちがいに不健全とはいえないし,企業の場合でも,盛んに設備投資をしている成長企業の中には多額の借金をしているものも多い。大切なのは,借金が投資として有効に使われ,長期的にみて返済能力があるかどうかである。返済能力といえば,債権国の立場からの命名であるが,それは同時に効率的な投資をする能力でもあるから,発展能力ということでもある。また,返済は外貨によって行われなければならないわけであるから,輸出に力を注ぐことも必要である。ただし,長期的に投資が果実を生み,債務を返済することができるとしても,投資の利益の回収スケジュールが長期であり,債務の返済スケジュールが短期であれば,一時的に,資金の流動性に困難を来すことがあり得る。すなわち,累積債務問題には,返済能力と流動性の二つの問題がある。IMFの融資及びコンディショナリティは債務国の経済調整のための自助努力を助けるものである。また,IMFのサーベイランスは調整期間を超えた中・長期的な経済運営の適正化に重要な役割を果すものである。いずれにせよ,今や,当面の流動性の問題は山を越し,発展能力の問題に主眼が移りつつあるともいえよう。以下に,各国の累積債務増加要因を分析しつつ,債務国の発展能力を高める開発戦略を探ってみよう。
これら諸国の累積赤字及びアメリカの高金利・ドル高により生じた外的要因については,既に第1節でみたので(第4-1-2表),この累積債務の増加が,どのような途上国経済の内的要因によって生じたかを考えてみよう。
対外債務の増加は,次のような内的要因によって起こると考えられる。まず第1は,財・サービスの輸入が輸出を上回ったことによるものである。これは,経常収支の赤字に等しい。第2には,外貨準備を積み増したことによるものである。外貨準備を増加させずに,対外債務の返済もできるわけであるから,これも対外債務の増加要因である。第3は,対外投資の増加である。対外投資をする代わりに既存の対外債務を返済すれば,対外債務を減少させることができたわけであるから,これも対外債務の増加要因である。第4は,直接投資の減少である。海外からの直接投資の減少は,債務ではない外貨の流入が減少することであるから,ネットの直接投資流入が減少して債務に代替すれば,対外債務の増加要因となる。直接投資の受入れが対外債務増の要因ではないというのは,次のような意味においてである。直接投資も利潤・配当の送金を期待して流入してくるわけであるが,その利潤や配当は投資額の一定割合というように固定しているものではなく,成功報酬の性質を持っている。したがって,第1節で分析した70年代末からの債務増のように,予期せぬ対外環境の悪化によってプロジェクトの採算が悪化したときには,必ずしも利潤・配当の国外送金を必要とせず,受入れ国経済の負担とはならないからである。
以上のような考え方に従って,1976年より82年までの累積債務の増加の要因を示したのが,第4-2-1図である。図の折れ線グラフ(実線)は累積債務の増加額を,棒グラフはそれぞれの要因を表している。
ここで注意すべきことは,累積債務とはネットの概念ではなく,グロスの概念であるということである。つまり,一国の対外債務が増大していれば,同時に対外債権が増大していたとしても,累積債務が増大することになる。
このことを明らかに示すのは,中南米諸国の要因分解である。アルゼンチンでは,対外投資の増加が1976年からの債務増大の84%を説明している。これは,同国が,総体としてみれば,対外資産を得るために,対外借入れを行ったことになり,海外資本を使う国内投資家に補助を与え,国内資本に対してはそうではなかったということになり,海外資本の有効な利用という見地からみて問題があることが示唆されるのである。このことは,これら諸国の政府が外国人には安全で有利な投資対象を約束し(結果的には累債積務問題によってそうはならなかったわけだが),自国人には安定的な投資環境を提供しなかったことを示唆している。また,対外債権と債務が同時に増大しているのであれば,一国全体としての債務という観点からは,問題の深刻さは割り引いて考えられるべきであろう。一国の経済について考える際,より深刻な問題となるのは,ネットの対外債務であるはずである。
このネットの対外債務残高の増加額を推計したのが第4-2-1図(前出)の点線の折れ線グラフである。ネットの債務増加額とは,経常収支の赤字からネットの直接投資流入を差し引いたものである。外貨準備の増加と対外投資の増加は,一国全体としてみれば,それを用いて対外債務を返済できるはずであるから,ネットの対外債務の増加にはならないはずである。ネットの対外債務の増加をみると,グロスのそれとはまた異なる状況がみてとれる。韓国,アルゼンチン,メキシコの債務増加額は1970年代末期より80,81年にかけて急速に拡大し,83,84年に急速に縮小している。一方,フィリピン,ブラジルについては,83,84年においても債務増加が続いている。
このネットの対外債務の増加(外国資本の純流入)は,経常収支赤字マイナス直接投資の受入れであるが,経常赤字は,-さらに民間の投資超過と政府の財政赤字とに分解できる。これは,国内貯蓄によって賄えない投資と,税収によって賄えない政府支出との和は,海外からの借入れ又は投資によって賄うしかないということである。以上の考え方に基づき,ネットの対外債務の増加要因を分解したのが第4-2-2図である。この図から理解されることは,韓国,フィリピンでは,財政赤字によってネットの対外債務増加(外国資本の純流入)の3分の1程度が使われているのに対し,アルゼンチンとメキシコでは,国内の貯蓄超過以上の財政赤字によって,ネットの対外債務増加(外国資本の純流入)が使われてしまっていることである。つまり,アルゼンチンとメキシコでは,財政赤字を埋めるために対外債務を増加させたことになる。ブラジルでは財政赤字は少ないが,これは財政赤字が政府系企業等の赤字として処理されているからだとみられる。米州開発銀行(IDB)の推計によれば,政府系企業を含んだ公的部門の財政収支は赤字となっている(IDB“ExternalDebt and Economic Deve1opment in Latin America”表8参照)。
この財政赤字は,国によって異なるものの,食糧価格補助金,大規模な工業開発プロジェクト等に使われたとみられるが,後者は計画のずさんさ,対外環境の悪化等によって,十分な収益を生むに至らなかったとみられる。とくに,アメリカの高金利に伴う資本コストの上昇は,資本集約的な開発方式の再検討を迫るものとなろう。
対外債務の増加要因は,国内投資を賄えない貯蓄にあるわけだが,途上国の貯蓄率はそれほど低いわけではない(第4-2-3図)。図からわかるように,途上国の国内貯蓄率は1983年で経済パフォーマンスの悪いフィリピン,アルゼンチン,ブラジルでも20%を超え,韓国,メキシコは25~30%に至っている。にもかかわらず,経済パフォーマンスの悪い国が多いことは,貯蓄の量とともに,それをいかに有効に使うか,すなわち投資の質,投資の効率性が問題であることを示している。
投資の質を高めるためには,経済環境の改善が必要である。次に,効率的な投資がなされるための大きな阻害要因となるインフレーションについてみておこう。
インフレーションは,経済の不確実性を増大させ,民間の生産的な投資を阻害する。ラテンアメリカで一般的な高級マンションなどへの投資はインフレ・ヘッジのための非生産的投資の一例である。また,インフレーションの過程で相対価格体系が歪むことも効率を低下させる要因となる。この点で影響が大きいのは,インフレの過程で,為替レートが国内インフレの影響を相殺するほど低下せず,結果的に過大評価となってしまうことである。レートの過大評価は,輸出を減少させ,輸入を増大させて,経常収支の赤字を拡大させる要因となる。これはまた,輸入財である資本財の価格を過小評価させ,国内財である労働の価格(労賃)を過大評価させ,途上国の資源賦存状況に適合しない非効率な資本集約的投資を行わせる要因ともなる。
したがって為替レートを適正に保つことが重要であるが,為替レートの低下は前節でも述べたように実質債務を増大させる面がある。この矛盾を解決するためには,債務国の輸出が増加することがぜひ必要である。
(インフレの要因)
次に,これら諸国のインフレの要因をみておこう。第4-2-4図は,各国の物価上昇率とマネーサプライ(M1とハイパワード・マネー)の動向を表したものである。図から明らかなように,マネーサプライの増加に伴って,物価上昇率が上昇している。このように,インフレを抑えるためには,マネーサプライの抑制が必要であるが,そのために何が必要であろうか。マネーサプライとは,現金と銀行預金からなっておりハイパワード・マネーとは現金と中央銀行への準備預金からなっている。銀行預金は銀行と一般国民の行動から決定されるものであって,必ずしも政策当局が短期的にコントロールできるものではないが,決済の必要のためには現金ないし準備預金(すなわち,ハイパワード・マネー)が最終的には必要となってくる。そこで,中央銀行は,ハイパワード・マネーをコントロールすることによって,窮極的にはマネーサプライをコントロールすることができることになる。
このようなハイパワード・マネーは,外貨準備の増加と中央銀行にょる政府への貸付け増,民間銀行への貸付け増によって供給される。これをみたのが,第4-2-5図である。図にみるように,一般にハイパワード・マネー増加に占める政府の要因は大きく,財政赤字を中央銀行からの借入れでしのいだことがインフレの主因であったことが理解される。
各国の経済政策の検討から,以下のような結論が引き出せよう。
第1に必要なことは,国内の投資環境を改善することである。グロスとネットの債務残高の違いは,国内の人々がその貯蓄を国内で投資するよりも,海外で投資した方が有利だと考えていることを示唆している。これは,経済政策上重要なことは,海外の資本を導入することを考えるよりも,まず国内の投資家から信頼されるような経済環境を作り,国内の貯蓄を有効に使うことであるということを示している。そのためには,着実な財政金融政策,安定的労使関係を求めるなど良好な経済環境を形成することが必要であろう。
第2は,インフレの抑制である。ハイパワード・マネーの要因分解が示しているように財政赤字の解消は,この面からも重要である。
第3に,直接投資の受入れが重要である。直接投資に対しては,途上国のナショナリズムに基づく反発が強く,直接投資は一時減少していた。しかし,直接投資には以下のような利点があり,受入国の環境整備によって直接投資の高まる可能性がある。第1節で述べたように,累積債務の増大には,予想できないドル高・高金利,一次産品(石油を含む)価格の下落など,必ずしも累積債務国の経済政策運営の責にはできない要因が含まれている。そのような危険に対処する最も有効な方法は直接投資の受入れである。大規模な開発プロジェクトを直接投資で行えば,経済環境の悪化によって,プロジェクトの経済性が悪化したときには,その損失は海外の投資家によっても負担されるわけである。一般にいわれているように,資産運用において,豊かな人が貧しい人よりも危険回避の度合が小さいとすれば,その関係は豊かな国と貧しい国とでも妥当するはずである。すなわち,そのような危険を引き受けようという豊かな国の投資家は,存在するはずである。そのような投資の成功によって生まれた高利潤は,危険負担によって生じたものであって「搾取」によるものではないことも理解される必要もあろう。危険を負担する直接投資は,投資プロジェクトの質を高めるためにも重要である。途上国政府保証の借入れであれば,個別のプロジェクトの経済性をチェックする誘因は弱まってしまうであろう。すなわち,先進国の投資家が政府保証債務に応ずるか否かで重要なのは,個別投資の経済性とともに,途上国政府の保証能力ということになる。政府の保証能力は,その国の全体としての経済発展能力とは関係があっても,個々のプロジェクトとは必ずしも一義的関係がない。それゆえ,国民経済的にみて望ましい投資プロジェクトがなされる誘因が低下することもさけられないであろう。いずれにせよ,世界的資本コストの上昇を一時的なものと考えず,これに適合した開発戦略を組み立てる必要があろう。その場合,為替レートを過大に評価することなく適正に保つなど,プライス・メカニズムを活用することを特に重視すべきであろう。