昭和59年

年次世界経済報告

拡大するアメリカ経済と高金利下の世界経済

経済企画庁


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第2章 高金利下のアメリカの景気拡大

第1節 アメリカの景気拡大の特徴

アメリカ経済は82年11月を底に景気回復に転じた。今回の景気回復については,当初は金利水準が非常に高いことから,設備投資の増加にはつながらず,短期間の弱い回復に終わるとの見方が多かった。また,高水準に達していたドル相場が,急速に下落してインフレを招来し,景気回復の腰を折るとの見方もあった。しかし,その後のアメリカ経済の動向をみると,実質GNP成長率は景気の谷から1年半で10.8%増と朝鮮戦争時の景気拡大(1949年~1953年)以来最も急速な拡大を示した。

今回の景気拡大が,大方の予想を上回る力強いものとなった最大の原因は,高金利下にもかかわらず設備投資が著しい増加を示したことにある。また,ドル相場は,経常収支の赤字幅急増にもかかわらず,むしろ現在に至るまで強調裡に推移してきた。さらに,景気が回復に転じてから2年近くを経た現在も,物価は安定基調を持続している。本節ではこれら今次景気拡大過程における特徴を概観し,以下の各節で経済政策やアメリカ経済の中で起こりつつある自律的な変化の影響を考察するための手がかりとしたい。

1. 高金利下の投資拡大と低水準を続ける貯蓄

今回の景気拡大が70年代以降のそれと異なる最も大きな点は,実質金利が非常な高水準にあるにもかかわらず,設備投資が急速に拡大していることにある。

実質金利は79年末来急速に上昇し,第2次世界大戦後,例をみない高水準となった(第2-1-1図)。82年央から83年初にかけ,名目金利の軟化から一時やや低下したものの,その後,84年央に至るまで再び上昇傾向をたどった。

一方,今回の景気拡大局面における設備投資の拡大には目ざましいものがある。景気回復1年目の83年10月~12月期の前年同期比は14.2%増と,朝鮮戦争時の景気拡大以来の高い伸びを記録し,84年に入ってからは年率20%を越える高い伸びを示している。70年以降の景気拡大局面と比較してみると,その伸びが著しく高いだけでなく,景気の谷から2四半期目には対GNPの伸びを上回り,過去に比べ早い段階から景気拡大を押し上げる働きをしてきたことが読み取れる(第2-1-2図)。

このようなGNPの拡大を上回る設備投資の増加は,70年代末以降のアメリカの中期的な投資の動きとも関連させて考えられるべきであろう。アメリカの設備投資のGNP比率は77年以降急速に上昇し,第2次世界大戦後最高の水準で現在まで推移している。

一方,個人貯蓄は実質高金利下にもかかわらず,低水準を続けている。個人貯蓄率は,第1次石油危機後上昇したあと,70年代後半から現在に至るまで実質金利の上昇にもかかわらず低水準で推移している。特に,83年には,第2次世界大戦直後の一時期を除けば最低の水準まで低下したのである。

このような投資の増加,貯蓄の減少の結果,民間部門における貯蓄超過額(貯蓄マイナス投資)は83年初来急速に縮小している。

2. 経常収支の赤字幅拡大とドル高

今回の景気拡大期の第2の特徴は経常収支赤字の急速な拡大と,それにもかかわらずドルが強調を持続していることである。

アメリカの経常収支は81年の46億ドルの黒字から,82年には景気後退期にもかかわらず112億ドルの赤字に転じた(第2-1-3図)。景気が回復に転じた83年には416億ドルの赤字と史上最高を記録し,その対GNP比率も1.3%とアメリカとしては異例の高水準となった。さらに84年には赤字額は900億ドル(IMFの見通し,対GNP比率では約21/2%)程度まで拡大すると見込まれている。

このような経常収支赤字拡大の原因としては,①実質でみたドル相場の上昇,②83年初以降については貿易相手国を上回るアメリカの景気の拡大,③累積債務問題の深刻化によりアメリカの主要貿易相手地域の1つである中南米諸国との貿易収支が82年央以降急速に悪化したこと等が挙げられる。経常収支の赤字化が,アメリカの景気回復,累積債務問題の深刻化以前から既に進行していたこと,84年に入り中南米諸国の景気に一部持ち直しがみられるにもかかわらず,大幅な赤字が継続していること等から,これらの要因の中で実質ドル相場の上昇が経常収支赤字の最大の原因と考えられる。経常収支の赤字拡大は先にみた民間部門の貯蓄超過額(貯蓄マイナス投資)の縮小,さらに,政府部門の投資超過額(財政赤字)拡大により高金利,ドル高が発生した結果と理解することもできる。

一方,このような経常収支赤字幅の拡大にもかかわらず,ドル相場は名目でみても実質でみても強調を持続している。一般的に経常収支が赤字化すると,その国の実質通貨価値は下落する(長期的にみた購買力平価の成立,経常収支赤字拡大によるリスク・プレミアムの拡大等から)と考えられている。それにもかかわらず,実質でみたドル高が続いている最大の原因は,アメリカの実質高金利にある。アメリカの実質金利が上昇し,ドル建て資産の保有に伴う期待収益率の上昇が経常収支赤字の拡大によるリスクの上昇を上回る時には,ドル建て資産に対する需要は増加し,ドル価値を押し上げるからである。その他,アメリカの経済的,政治的,軍事的安定性を見込んだ資本の流入,特に中南米諸国からのそれが,ドル建資産に対する需要を下支えしている面もあると考えられる。さらに,名目でのドル相場の上昇には他国と比較したアメリカの物価上昇率の低下が大きく寄与しているとみられる。

このように,アメリカの高金利はドル高の基本的な原因であり,ドル高は経常収支赤字拡大の主要因と考えられる。したがって,高金利,ドル高,経常収支赤字は三者一体として捉えられる必要がある。

3. 物価の安定基調の継続

(インフレの鎮静化とその要因)

アメリカの物価動向をみると,79年から80年にかけ第2次石油危機の発生を受けて消費者物価上昇率は2桁を記録したが,80年央をピークに低下をはじめ,82年には,景気の後退とともに急速に鎮静化に向かった。しかも物価の鎮静化傾向は景気回復の始まった83年に入っても継続し(83年の消費者物価上昇率は3.2%で,67年以来の低水準),景気の谷から2年近くを経た現在でも物価は極めて落ち着いた推移を示している。

近年の物価の安定には,①労働コストの安定,②石油等エネルギー価格の安定,③ドル高の3つが大きく寄与しているとみられる。これらが物価に与えた影響をみてみよう(第2-1-4図)。

まずエネルギー価格からの影響をみると,第2次石油危機に伴うエネルギー価格の上昇は79~81年にかけての物価上昇の大きな原因となった。しかし,その後,83年3月はOPECが石油価格を引き下げるなどエネルギー価格の安定が続き,82年以降は,物価に対する影響は極めて小さく,むしろ物価上昇率に対してマイナスに働いた時期もあった。このようにエネルギー価格の安定は近年の物価鎮静化の一つの重要な要因といえる(第2-1-5図)。

次にドル高は,輸入品価格の引下げを通じて81年以降年率1%ポイント程度の物価鎮静効果を発揮している。図では考慮されていないが,ドル高は輸入品と競合する国内財の価格に対しても抑制効果を持つとみられるためその効果は図示された以上に大きい可能性もある。

しかし,最近の物価安定の最も重要な原因は労働コストの安定である。第1次石油危機以降のアメリカにおけるインフレ高進には,単位労働コストの上昇が大きな影響を及ぼしてきた。しかし83年に入り単位労働コストの上昇による物価上昇圧力は急速に縮小し,60年代前半並みの水準まで低下している。特に,従来,景気が回復するにつれ上昇をみせた単位労働コストが,現在も安定していることは,景気回復下の物価安定という現在の特徴を説明する大きな要因となっている。

(単位労働コスト安定の原因)

単位労働コスト上昇率は,賃金上昇率と労働生産性上昇率で決定される。このうちまず,賃金の動向についてみてみよう(第2-1-5図)。民間非農業部門時間当たり賃金上昇率は,60年代後半から70年代に入り急速に上昇した。70年代にはインフレの高進もあって7~8%の高水準で推移し,81年には8.9%と過去最高を記録した。しかし,82年から鈍化を始め,83年,84年上半期と60年代前半以来の低水準で推移している。このような賃金上昇率の低下には失業率が戦後最高を記録するなど82年末に至る雇用情勢の悪化が大きな影響を及ぼしたことはいうまでもない。しかし,景気が回復に転じ,失業率が急速な低下をみせた83年以降においても賃金が落ち着いた動きを続けている原因は,インフレの鎮静,雇用確保を重視する労働組合の柔軟な態度等に加え,政府の政策運営姿勢が寄与しているとみられる。79年末以降,連邦準備制度がマネーサプライ管理を従来以上に重視する姿勢を明確にし,81年に成立したレーガン政権も安定的金融政策を支持するなど,金融政策の安定性(特に,物価に対する)が高まったことが,インフレ期待の抑制を通じて賃金上昇率の安定に寄与したものとみられる。

単位労働コストを左右するもう一つの要素である労働生産性の動向をみてみよう(第2-1-6図)。労働生産性の上昇は主に資本装備率の上昇と全要素生産性の上昇(技術進歩による生産性上昇。計算方法については付注2-1参照)によりもたらされる。70年代後半に大きく落ち込んだ労働生産性上昇率が80年代に入って急速に回復した理由は,技術進歩を主因とする全要素生産性上昇率の上昇による面が大きい。後に詳しくみるように,このような全要素生産性の上昇は,70年代後半の研究開発の盛り上がりが80年代に入り,技術進歩として結実したこと等によるものと考えられる。

このように,最近の物価の安定基調は,石油価格の低下やドル高からの好影響もあるが,基本的には,安定的な金融政策等によるインフレ期待の鎮静化や技術進歩等による労働生産性の向上に伴い労働コストが低下したことが最も重要な原因となっている。