昭和59年
年次世界経済報告
拡大するアメリカ経済と高金利下の世界経済
経済企画庁
第1章 1984年の世界経済
80年代における国際金融面での大きな特徴は,アメリカの経常収支赤字の拡大,累積債務問題の顕在化及びドルの大幅な上昇である。本節では,まず経常収支の動向を中心に先進国及び発展途上国の国際収支動向をみた後,アメリカへの資本流入,債務問題の顕在化に伴う国際金融・資本市場構造の変化をみる。最後に国際通貨市場におけるドル高,欧州通貨安の状況を概観する。
1983~84年における各国・各グループの経常収支をみると,第2次石油危機によって生じた国際収支不均衡は総じて改善しつつある。しかしながら,債務国を中心とした国際収支の調整問題はなお残り,先進国間では各国の経常収支のばらつきはむしろ拡大している。
共産圏諸国を除く世界全体を先進工業諸国,石油輸出諸国,非産油途上諸国の各グループに分けて,それぞれの経常収支(公的移転収支を除く,ドル建て)をみると,先進工業諸国の経常収支は81~83年にほぼバランスした(第1-4-1表)。主要7か国のうちで80年以降も赤字を続けていたフランス,イタリアも83年3月の欧州通貨制度(EMS)内の通貨調整,それに伴う緊縮策の進展及び世界貿易の拡大を背景とした輸出の増加から黒字化しており,79年の石油価格上昇に対する調整は各国とも完了しているといえよう。しかしながら,世界経済の回復局面にあって,景気回復力の違いや80年以降の為替相場の大幅変動に伴う輸出競争力の変化等から,各国ごとの貿易収支,経常収支のばらつきは大きなものとなっている。とりわけ84年のアメリカの経常収支赤字は前年の420億ドル(貿易収支赤字は610億ドル)から倍増して,900億ドルに達するとの見通しもある(IMF見通しによる)。これに対して日本の経常収支黒字は84年1~9月期に既に240億ドルに達しており,その他の諸国に比較しても大幅な黒字を記録している。
アメリカの経常収支赤字拡大の要因は,アメリカの景気拡大が相対的に強かったことによる輸入の大幅増,80年央以降のドル高の影響,主要輸出相手国である中南米諸国向け輸出の減少による貿易収支赤字の拡大が主因であるが(詳細は第2章第3節参照),こうしたアメリカの大幅経常収支赤字は世界経済に対して景気拡大効果を持つものの,今後の不安要因となっている。
一方,西ドイツの経常収支はEMSにおけるドイツ・マルクの切上げ(83年3月),主要貿易相手国であるフランス,イタリアの輸入抑制策により輸出が低迷したことから,83年の黒字幅は小幅なものにとどまった。84年についても1~3月期は,アメリカ向けを中心に輸出が大幅に増加したが,その後のストライキ等の影響もあって,黒字の大幅拡大は見込まれていない。また81年以降石油関連貿易収支が黒字化しているイギリスでは石油価格の低迷が経常収支黒字縮小要因となっているものの,純輸出の増加から経常収支黒字を維持している。
次に途上国グループの経常収支をみると,産油国(サウジアラビア,ナイジェリア,インドネシア等11か国,付注1-2参照)の経常収支は,石油価格の低下,石油需要の低迷によって82年以降赤字となった。
輸出は80年の2,970億ドルをピークに石油輸出の減少から1,759億ドルへと大幅に減小した(石油輸出は80年の2,804億ドルから83年には1,579億ドルヘ減少)。このため貿易収支黒字は80年の1,708億ドルから,83年には425億ドルの黒字と黒字幅が大幅に縮小し,経常収支は赤字化した。しかしながら84年の経常収支は主として輸入の抑制から赤字幅の縮小が見込まれている。輸入の抑制は主にナイジェリア,ベネズエラ,エクアドル等の債務国で実施されている。
一方,非産油途上国の経常収支は83年に第2次石油危機以降悪化してきた交易条件の改善,主要債務国の輸入抑制による調整策の進展,世界貿易の拡大に伴う輸出の増加から次第に赤字幅は縮小しつつある。特に主要25債務国(ただし,4カ国が石油輸出国グループに含まれる)の経常収支赤字は81年の800億ドルから83年には400億ドルヘ急速なテンポで縮小している。しかし一方では,84年のアメリカにおける金利の上昇が利払い負担を増加させることもあって,厳しい状況が続いていることには変わりない。また低所得国については,赤字幅が81年の155億ドルから83年には130億ドルにわずかに縮小したにすぎない。
他方,原理的にはゼロにならなければならない世界全体の経常収支の合計は83年も673億ドルの赤字と不突合が残っており,全体的な経常収支動向をみるうえでの障害となっている(ただし公的移転収支,共産圏諸国は除く)。
アメリカの大幅な経常収支赤字は,国際金融・資本市場を通じる資金の流れにも大きな影響を与えている。アメリカの経常収支赤字のファイナンスについては,これまでの赤字期と比較すると大きな相違点が見出される。アメリカは70年代に2度経常収支が赤字となった期間があったが,その赤字ファイナンスは主として公的資本の流入によって賄われた(第1-4-1図)。これは主にドル防衛のための為替市場介入による外国通貨当局のドル準備の増加である。しかしながら,今回の赤字ファイナンスはドル高下で民間資本の流入によっており,特に83年以降の民間銀行部門が仲介した資本流入が大きな役割を果たしている。また誤差脱漏項目を未確認の資本移動と考えると,これも経常収支赤字をファイナンスする形となる。このなかには債務問題を抱える中南米諸国からの資本逃避(キャピタル・フライト)がかなりあったものとみられる。
このように今回の赤字ファイナンスにおいては,民間資本が大きな役割を果たしているが,こうしたアメリカへの資本流入に加えて,82年8月のメキシコの債務危機によるリスクの高まりも国際金融・資本市場を通じる資金フローを変化させるのに大きな効果を持った。
国際決済銀行(BIS)によれば,83年の国際銀行貸出し及び国際債による国際信用残高の増加額は1,300億ドルと推定され,81年から急減した82年を更に下回る結果となった(81年1,950億ドル,82年1,450億ドル)。これは82年に続き新規国際銀行貸出しが低迷したことによるものであり,逆に国際債の新規発行は順調に増加した。
国境を越えた銀行の与信活動が国際銀行貸出しであるが,その大宗を占めるユーロ・クレジット(外貨建貸出)の動向をみると,83年には,途上国向け貸出しの低迷から信用供与総額が前年を12.7%下回った。84年に入って,一部の途上国向けクレジットは依然として低迷しているものの,先進工業国向けクレジットの急増,スプレッドの全般的低下など,これまでの貸し手市場から借り手市場へ転化の兆しもみられる。地域別にスプレッドの推移をみると,83年の先進国(OECD諸国)向けクレジットは平均0.64%にとどまっている一方,途上国向けクレジットのスプレッドは同1.70%にまで上昇した。84年には,フィリピンを除くアジア諸国向け及び東欧諸国向けクレジットのスプレッドが縮小しているが,先進国向けと比較した途上国向けクレジットのスプレッドの格差は依然として大きく,銀行の選別化の動きはなお強い。これは84年の金利上昇とも相まって一部途上国の国際金融市場からの借入れが引き続き厳しい状況にあることを意味している。
第1-4-2表 ユーロ・クレジット組成額とユーロ債及び外債の発行額
伝統的外債及びユーロ債を含めた国際債の発行額は82年に過去最高の780億ドルを記録した後,83年も高水準を維持し,84年に入っても好調を持続している。これを発行者の地域別にみると,ユーロ・クレジットと同様,途上国の発行は困難な状況は続く一方,先進工業国の発行は,変動利付債やゼロ・クーポン債を中心に活発なものとなっている。こうした先進国を中心とした国際債の活発な発行は,投資家のリスク回避の動きを反映したものであり,資金調達手段が国際銀行貸出しからシフトしたものとして注目される。
通貨別の発行では,ユーロ債についてはユーロ・ポンド債やECU債の発行の増加が目立ち,外債については円建て外債の発行が増加している。なお,84年7月からアメリカでは,非居住者に支払う利子に係わる源泉徴収税(30%)が廃止された一方,10月に西ドイツでも同様に国内債の非居住者保有分に関する源泉徴収(25%)を廃止する旨閣議決定された。
80年央以降上昇を続けてきた米ドルは,84年1~3月期にアメリカの財政赤字の拡大,経常収支赤字の拡大に起因した「ドル暴落説」を背景として,一時的に下落したものの,その後は力強い景気拡大を背景として米国金利の上昇を主因として再び上昇した。実効相場でみたドルの上昇率は,84年9月時点で80年6月比40.0%,83年平均比11.5%の上昇となった(月平均比)。また83年1月から84年9月までの日本円及びドイツ・マルクに対する上昇率はそれぞれ7.5%,22.5%であり,この間のドルの上昇は主として欧州通貨に対する上昇であったといえる(第1-4-2図)。
ドルが長期間にわたり上昇している要因はアメリカの物価上昇率が急速に鎮静化した一方,相対的な高金利が継続していることにより,その他の通貨建て資産に比して実質ベースでみてもドル建て資産への投資が有利であったことに求められる(第2章2節参照)。
ドルの上昇に対して,84年も主要欧州通貨は大幅な下落を続けた,84年1~3月期には景気回復の遅れていたヨーロッパでも経済パフォーマンスの改善を示す指標が発表されたこと,アメリカとの金利格差が縮小したことなどから,欧州通貨は総じて強調裡に推移した。しかしながら,夏場に入って金利格差が再び拡大したことに加えて,西ドイツ,イギリスのストライキの影響もあって,再び軟化基調に転じた。フランス・フラン,イタリア・リラを始めとして欧州通貨は軒並みドルに対して史上最安値を更新し続け,西ドイツ・マルクも9月には3.0マルク台を割り込んだ。また石油価格の低迷に加えて,実質ベースでみても金利の低下が目立った英ボンドの下落も大幅なものとなった。しかしながら,ヨーロッパ諸国の通貨当局は総じて金利の引上げ等自国通貨防衛策の実施には前年より消極的な姿勢をとった。
他方,欧州通貨制度(EMS)内では,81年から83年3月まで約半年おきに都合5度の通貨調整が実施されたが(発足以来では7回),83年3月の通貨調整後は,84年初のドル安局面でのドイツ・マルクの上昇から一時的に緊張が高まった時期を除いて比較的落ち着いた推移を続けた。これは中心通貨であるドイツ・マルクの上昇力が弱かったことにより,ドル高下でのEMSの安定が続いたためといえよう(第1-4-3図)。こうしたなかで84年中,EMS内で自国通貨が上位で安定を保ったフランスやイタリアでは夏場にかけてそれぞれ金利引下げ措置が実施された。
なお,EMS内における制度面の改革では,欧州通貨基金(EMF)設立等のいわゆる第2段階へ向かっての前進はみられていないが,9月15~16日の蔵相理事会では欧州通貨単位(ECU)のウエイト変更及びギリシャ・ドラクマをECU構成通貨に含める旨の決定がなされた(第1-4-3表参照)。