昭和58年
年次世界経済報告
世界に広がる景気回復の輪
昭和58年12月20日
経済企画庁
第3章 持続的成長と経済再活性化の条件
第2次石油危機後,主要国では中長期的観点から主として供給面の強化を目的とした,経済再活性化のための政策パッケージが相次いで導入された。
この政策は,スタグフレーション体質から脱却して,持続的成長の基盤を確保するために,経済の構造変化を進めようとするものである。
これらの政策は,展開過程で当初の計画を離れたものも少なくないが,不況期にもかかわらずその基本的意図は維持されてきた。この結果,最近では,インフレ率の顕著な低下,賃金決定の弾力化など,主要国経済の供給感応度に改善がみられる。また,民間企業の収益率が部分的ながら増加するなど,投資環境にも改善の兆しが出始めている。
しかし,一方では,こうした方向での政策運営が,必要以上の引締めにより,高金利などから景気の回復力を弱め,失業者の急増を招いたという強い批判も行われている。こうした事態にかんがみ,最近では経済再活性化政策を含めた政策全般について,より柔軟かつ弾力的な適用がみられるようになっている。
本節では,主要国の経済再活性化のための政策展開を当初計画と実績を対比しながら後づけて評価するとともに,これまでに現われた政策の効果と,今後に残された問題を検討する。
レーガン政権が1981年2月に発表した「経済再生計画」は,①連邦支出の増加率の抑制,②大規模減税の実施,③政府規制の緩和,④安定的な金融政策,と四つの柱からなっている。これらの政策は,とりわけ70年代に悪化した経済パフォーマンス―低成長とインフレに同時に対処することをねらいとしている。
具体的には,低成長に対しては歳出抑制,政府規制の緩和により政府部門を縮小し,減税により労働意欲・貯蓄・投資意欲を刺激し民間部門を活性化する。これらにより,生産性を向上させ,実質供給の増加を図る。また,インフレに対しては,マネー・サプライ管理を重視し,名目需要の伸びを抑えることでインフレの鎮静化を図ることとした。
この計画に沿って具体的な政策が行われた結果,インフレは鎮静化しつつある。しかし反面,財政赤字の増大,高金利等の問題が発生しており,所得税減税による貯蓄の促進も最近まではあまり成果が現われていない。
再生計画では,国防と真に必要な社会保障を除き,その他の連邦政府の施策をすべて削減対象として,84年度には財政均衡を達成することとしていた。あわせて,歳出のGNPに占める比率は81年度の23.O%から84年度には19.3%に引下げることを目指していた。しかし,3年にわたった不況や高金利などのため,歳出の抑制は計画どおりには進まず,84年度(見通し)の歳出のGNPに占める比率は23.3%と当初の計画を大きく上回り,財政赤字幅は1,797億ドルに上ると見込まれている(第3-3-1表)。
当初の計画に沿って,81年8月「1981年経済再生租税法」(以下「ERTA」という)が成立した。この減税法の柱となるのは,個人所得税率の一律引下げ及び企業の早期投下資本回収制度の導入である。この結果,82年度(実績)の減税額は356億ドルとなった。しかし,急速に拡大しつつある財政赤字に対処するため,82年8月「82年税負担の公正と財政責任に関する法」(以下「TEFRA」という),83年1月「82年ハイウエー歳入法」(以下「HRA」という)が成立した。これらの法律は,ERTAによって定められた減税の緩和,間接税の導入等を含んでおり,83年度については純増税となった。しかし,貯蓄・投資の促進という考え方は基本的には変っておらず,ERTAの柱である個人所得税率の引き下げ,早期投下資本回収制度は引続き実施されている (第3-3-2表)。
その後,83年に入り「83年社会保障改革法」が成立し,社会保障税の引き上げ等が決定された。
すべての行政機関における規制活動を再検討することとし,次のような規制緩和措置が相次いでとられた。
① 国産原油価格規制の即時完全撤廃(81年9月)
② 賃金・物価ガイドラインの廃止(81年1月)
③ バス業の規制の緩和(82年11月)
④ 鉄鋼業の大気汚染規制基準達成の3年間延長(81年)
⑤ 少額貯蓄証券の金利自由化(81年8月)
⑥ 放送事業の認可等に関する規制の緩和(81年2月)
⑦ 商業銀行,貯蓄金融機関の業務拡大(82年10月)
⑧ 預金金利の完全自由化(83年10月)
⑨ 電気通信事業の業務拡大(82年8月)
政府は,マネー・サプライの伸びを抑制的,安定的に調節している連邦準備制度理事会の金融政策を支持し,計画では,86年までに当該伸び率を80年(M1,6.7%)に比べ半減させることを期待していた。実積値をみると81年のM1の伸びは5.1%であったが,82年8.5%と当初の計画を上回った。この点に関しては既に第2章第2節で詳述しているが,不況の長期化,メキシコの累積債務問題の顕在化,マネー・サプライ管理上の問題等から,やや緩和的運営へと連銀の方針が変化したものといえる。しかし,83年5月から連銀は再び引締め気味に政策スタンスを変えており,インフレ抑制を目指したマネー・サプライの安定的管理という基本的考え方は変っていない。
上のパッケージとは別に,産業政策として84年度予算教書は,「産業地区」優遇税を提案している。また,83年9月には,アメリカの産業の生産性の向上,技術革新の促進を図るため「83年米国生産性・革新法」を議会に提出した。
これらが成立するか否かは不明であるが,その概要は次の通りである。
現行「都市開発援助法」(UDAG)では,経済的に地盤沈下している地区の再開発に対し,資金調達面での優遇しか与えられていない。これに対し,この提案では,83年から毎年25地区(75地区まで)を「産業地区」とし,次のような各種の優遇制を84年から講ずるとしている(20年間,一部は8年間有効)。すなわち,①対象資産からのキャピタル・ゲインを非課税とし,②被用者に対し賃金所得のうち最初の1,050ドルに対し5%相当を税額控除し,③雇用主に対し賃金支払の増分の10%相当を税額控除する。④配当面で損失を出した雇用主に対しては,被用者のうち3年未満の者への賃金支払額の50%相当の税額控除(ただし,4年目から10%ポイントずつ引下げ)を認め,設備投資税額控除を通常の場合の50%増しとする。⑤また,建物の新築・改築投資に対し10%の投資税額控除を認める。
この法案の直接的な効果としての税収の減少額は,84年1億ドル,85年4億ドル,86年8億ドルと見込んでいる。
政府は,アメリカ産業の生産性及び競争力を強化するため,独占禁止法・知的所有権の保護に関する法律の改正を骨子とする「1983年米国生産性・革新法案」を議会に提出した(83年9月)。
公的部門の研究・開発資金は84年度予算案で,470億ドル計上されている。租税制度面からも増加試験研究費(試験研究のための給与支給額等が基準年より増加した金額)の25%税額控除がERTAにより時限的に行われており,民間の研究開発の刺激が図られている。これらに加えて本法案は,民間の研究・開発投資の環境改善を意図したものである。すなわち,①技術革新を促進するために,共同研究開発について,競争を制限しない限り,独占禁止法違反とはしないものとしている。特に,②知的財産を持つが,その財産を実用化する資金を持たない中小企業への配慮から,知的財産保有者の正当な報酬を確保し,そのライセンス生産を促進するため,その知的財産を生かすために結ぶライセンス生産契約は,競争を制限しない限り,独占禁止法違反とはしないものとしている。このほか,③特許権者の利益を守りアメリカの競争力維持のため,外国企業が製法特許を用いて海外で製品化した物のアメリカへの輸入を制限することができるものとしている。
79年5月に成立したサッチャー政権の経済政策は,民間の活力回復を中心として経済を長期停滞から脱却させることを目指したものである。第2期目に入った83年6月以降もこの政策スタンスが維持されている。過去4年以上にわたる政策の一貫した適用により,当面の最優先課題であったインフレ抑制には,既に予想以上の成果をあげているほか,賃上げ率の小幅化など労働市場に弾力化の兆しがみられ,国有企業の民営化,中小企業の育成などを通じる産業構造の変化も進行している。
政権発足時に示された政策の基本方針は,①手取所得分の増加による労働インセンティブの強化,②国家介入の縮小,③公共部門赤字幅の削減,④労使の責任ある賃金交渉であった。この方針の下で,当面インフレ抑制を,中長期的には供給面の強化を図ろうとした。
インフレ抑制のためには,マネー・サプライの伸びの抑制を重視している。しかし,80年度以降は単年度の目標ではなく「中期財政金融戦略」として中期的に漸減させる方式がとられている。この方式は,金融面ばかりでなく財政面との整合性を同時に考慮する政策パッケージとなっているのが特徴であり,①インフレ抑制を短期間に達成することから生ずる景気面への悪影響,②金融政策に過度に依存することのひずみなどを避けることを意図したものとみられる。
国有企業の民営化は,サッチャー政権の産業政策にとって当初より重要な役割を占めており,これまでもかなりの実績をあげて来た。政権の第2期目に入って民営化計画は更に野心的となっている。
民営化のねらいは,主として,民間企業による経営がより適している分野に政府が参入するのを制限して,産業の効率を高め,国際競争力を強化することにある。同時に,政府支出増の抑制政策の一環ともなっている。
国有企業の民営化には,①国有企業株を株式市場で民間個人に売却する,②国有企業の従業員に株を売却する(社員持株制による引受け),③政府保有の国有企業株の処分,④国有企業と民間企業の合併,⑤国有企業の一部の分離・独立,⑥国有企業の独占的地位の廃止や,政府独占部門への民間企業の参入許可など多くの方法がとられている。これまでの民営化の実績及び今後の計画は第3-3-3表の通りである。
②の方式によって自社株を保有することになった従業員数は,過去4年間に約50万人増加しており,これによる企業経営への好影響が報告されている。例えば,貨物輸送公社は81年にこの方式で民営化されたが,民営化後の経常利益はそれ以前の平均利益の約2倍に増加している。また,英国電気通信公社(BT)は82年に⑥の方式により業務の一部に民間競合企業の参入などを許しているが,その後,経営方式やサービスが向上していると評価されている。
イギリス国民のインセンティブを回復することも主要な政策目標の一つである。
特に,労働意欲の低下が著しく,就業するよりも社会保障給付で暮す方がよいという,いわゆる「失業のわな」が指摘されている。これは,各種の社会保障給付の網が張り巡らされ,その給付水準も相対的に高いことによる。
列えば,83年4月時点の雇用者の週モデル賃金手取り額は98.5ポンドであるのに対して,家族の各種給付をあわせると83ポンドと84%にも達しており,ほぼ同水準の生活が維持できることが影響しているとみられる。このため,82年度からは,追加的失業給付(ERS)が廃止され,失業給付も所得税の対象とするなど税制面からの適正化措置がとられている。
また,公的負担(直接税,社会保障費)の増加を抑制するために,79年以降,①基本税率の引下げ,33-30%(79年度),②最高税率の引下げ,83→60%(79年度),③基礎控除のインフレ率に見合った引上げが,81年度を除いて,年々実施されている。この結果,インフレによる自動的な負担増はほぼ相殺されたとみられる。
新しい雇用機会の創出増加に結びつきやすいこともあって,特にイギリスでは中小企業の役割を重視する方式をとっており,税制面及び金融面から各種の優遇策を導入している。この結果,中小企業の創業が最近目立って増えており,79~81年間の純増は約2万に達している(第3-3-4表)。
中小企業に対する金融面での助成措置の中心は政府債務保証制度(81年6月発足)である。83年度予算案では,この制度を更に1年延長し,融資枠を3億ポンド拡大して6億ポンドとした。これにより約5万の新企業が助成されると予想されている。この外の政府による中小企業助成措置としては,①小規模作業場(2,500ポンド以下)に対する初年度全額償却(85年3月まで),②地方中小企業委員会(COS工RA)による融資(81年度430万ポンド,290企業,83年度1,870万ポンド),③情報及び経営指導,④政府助成計画による新技術の導入促進などがある。
企業地区(EnterpriseZone)は主として税制面からの優遇措置を特定の地域に適用することによって企業の育成を促進するもので,サッチャー政権の産業政策の一つの柱となっている。既に11の企業地区が81年6~10月間に設立されている(12番目も準備中)のに加えて,更に第2期として14の企業地区の設立が発表されている。
企業地区では,①産業用,商業用資産に対する地方税の免除,②土地開発税の免除,③産業用,商業用建物への資本支出に対する法人税及び所得税に対する初年度全額控除,④職業訓練税の免除及び産業訓練局に対する情報提供の免除,⑤計画手続きの簡略化,など各種の優遇措置を受けることができる。
82年5月までの調査によると,企業地区に設立された企業数は約300社で雇用者数は3,000人である。うち新規雇用は約40%にとどまり,投資誘発効果もまだ限られたものにすぎないが,政府はこの方式を更に拡大強化していく方針である。
企業地区の設立と平行して,造船,鉄鋼など構造不況産業を抱える地域を中心に,技術先端産業育成を図っている。特に,「82年産業開発法」はマイクロ・エレクトロニックス,ロボット,光ファイバー,オプト・エレクトロニクスなど一連のプロジェクトに対する財政資金の投入を決めている(助成総額約7,600万ポンド, 第3-3-5表)。
政府は,これまでのサッチャー政権による政策パッケージは,インフレ抑制,金利引下げ,労働コストの低下などを通じる自律的景気回復をもたらしつつあり,当初の成長を阻害するという批判は当たらなかったこと,また,忍耐を要するこのような引締め政策でも,十分明確に説明すれば,人々に理解されて,政治的にも受入れられることを今度の総選挙の結果はよく示しているとしている。しかし,一方では,高水準の失業,国有企業の民営化などに対する批判も依然として強い。
西ドイツでは,経済再活性化計画といった政策パッケージはみられなかった。しかし,70年代央頃から,税制上の優遇による民間設備投資の促進,技術革新の促進,労働者の職業訓練の強化,労働移動の促進など供給面の改善を主目的とした政策が相次いで導入されてきた。これは,第一次石油危機後の不況過程で顕在化した成長,雇用の伸びの鈍化に対して,従来のような短期的総需要管理政策だけでは不十分であり,中期的ないし構造的対応が重要であるとする考え方が広まったことによる。
82年秋に発足したコール政権の経済政策は,供給面に関する政策が前政権の政策より一段と前面に押し出されている。特に政策相互間の整合性,一貫性が重視されており,取り組み方が積極化している。
83年1月の年次経済報告に述べられた経済・財政・社会政策の基本方針は,
① 社会的市場経済原則による一貫した,矛盾のない枠組み条件の重視
② 中期財政計画をより効果的に使った漸進的,持続的な財政再建
③ 税制措置による投資,技術革新の促進や勤労意欲の強化
④ 物価安定の維持と成長に十分な資金供給を目指す金融政策及びこれと整合的な財政政策
⑤ 側面支援的な労働市場政策
⑥ 労組,使用者間の対話による問題解決
⑦ 国際的政策調整,協力の推進
などである。
これは前政権の財政赤字削減に対する取り組みが不十分であったことに対する反省に立っている。例えば,70年代後半以降とられた政府支出比率,租税負担率の引下げ努力は十分成果をあげていない(70年から82年の間に前者は39%から50%以上へ,後者は36%余から42%以上へ上昇)。これにより民間のイニシアティブが阻害され,企業投資意欲,勤労意欲,自己責任により将来に備える意欲と能力が弱められたと考えられている。また,政府債務累増は高金利の原因となっている。利払いが政府支出増加の四分の三近くにも上って,財政政策を利用する余地がほとんど失われたことも指摘されている。
既に82年10月に,経済回復と失業克服のための緊急計画が発表されているのに加えて,政府は84年度連邦予算案及び83~87年度中期財政計画(83年6月発表)の中で,一連の財政措置を発表した。
この中で,重視されているのは,①住宅建築促進(債務利子控除,利子補給),②企業投資の促進(企業所得に対する税制上の優遇),③開業助成などである。これらの措置は主として中小企業を助成して,雇用増を始め多くの分野に好影響を及ぼすとされている。
81年5月に成立したミッテラン政権は,公共部門の拡大,地方分権化,企業運営の民主化などにより,所得分配の不平等を是正し,国民的連帯を強化するという,社会主義的な経済社会の構造改革を目標とした。
前章でみたように,その経済政策パッケージは,短期的な景気対策面では一年もたたない内に政策転換を余儀なくされたが,中長期の産業政策については,当初計画通りに進められている。
最も中心的な政策は産業の国有化である。82年2月に五大産業グループ,銀行(42行,うち21行は7月より),金融会社(2社)を対象とする国有化法が成立し,株式が国に移管された。株の所有者には引換えに政府保証債が渡されることになった。これにより,公的部門のシェアは産業総販売の29%,雇用の22%,投資の52%に拡大した。特に,大規模企業の中で占めるシェアは雇用及び販売の約半分近くに達している (第3-3-6表)。
政府と国有企業は3~5年にわたる「契約計画」によって,企業経営の自主的運営の範囲を決め,政府の産業政策との整合性を確保することになっている。83年初来,鉄鋼,化学,自動車,航空機,エレクトロニクス部門の12産業グループとの交渉が進んでいる。
政府はこの新国有化企業に対して,82年150億フラン(財政支出はうち100億フラン),83年200億フランの投資支出計画を認め,生産構造近代化を加速化しようとしている。しかし,経済活動全体が不振であることも影響して,これまでの新国有企業の業績は,化学部門で改善がみられるのを除いて,むしろ赤字幅が拡大するなど悪化している。
産業政策については現在,検討が進められている「84~88年産業開発法案」によれば,技術先端産業ばかりでなく伝統的部門においても生産体制の近代化を促進することが目標となっている。
まず技術先端産業に対しては,①「研究開発の指針と計画法」(82年成立)は,研究開発費の対GDP比を81年の1.8%から85年には2.5%に引上げる。
②「83年予算法」は非軍事研究予算を実質17.8%増(82年は14.1%増)へ拡大する。また,③第9次五か年計算案でも,エレクトロニクスに重点が置かれ,5年間で1,400億フランの投資が行われることが予定されている(うち国家投資分が550~600億フランとされている)。このうち,エレクトロニクス,自動事務機,ケーブル,生化学など幾つかの部門では既に実施段階に入っている。
また,伝統的産業は主として労働集約型であるため,雇用創出の観点から振興が図られている。既に,皮革,家具,玩具,工作機械,繊維・衣料の五部門については個別計画が実施されている。計画には,雇用助成,設備近代化,同産業内の生産工程と流通面での合理化などが含まれている。
経済再活性化政策の効果のうち,短期的なマクロ面での効果については,既に 第2章第2節で検討した。したがって,ここではより中長期的な構造面での効果について検討してみよう。
現在,インフレ抑制については,フランスなど一部の国で直接的な賃金・物価規制が行われている。しかし,大部分がマネー・サプライの管理を通ずる間接的な規制方式をとっている。
そこで,名目GNPの伸び率とインフレ率の変化を主要国について比較すると,当然ではあるが,イギリスやアメリカのように相対的に厳しい引締め措置をとった国ほど名目GNPの伸びの鈍化は大きい。また,それにほぼ対応してインフレ率の鈍化の度合も大きくなっている(第3-3-1図)。
しかし,マネー・サプライと名目GNP,物価の関係は,特に短期については不安定な場合が少なくない (第2章第2節参照)。
このため,マネー・サプライの伸びと物価上昇率の間には直接的関連は必ずしも明らかではないが, 第1節でも示したように,当局によるインフレ抑制のスタンス堅持は,インフレ及びインフレ心理の鎮静に間接的ながら有効に作用しているとみられる。
先進国のスタグフレーション悪化の一因となった労働市場の硬直性についても,80年代に入って一部に緩和の兆しがみられるようになった。これは一つにはインフレの鎮静化が進む一方で,記録的な失業の高水準が持続しているという環境の変化を反映したものである。しかし,こうした変化も結局はこの数年にわたって主要国が導入してきた経済再活性化政策の直接的ないし間接的な影響とみることができよう。
労働市場の硬直性の内容は国によって多様であり,その程度も異なっている。以下では,主要国にほぼ共通してみられる特徴とその変化をできるだけ指標化して示すことにしよう。
労働市場の硬直性の緩和は,まず賃金上昇率が景気の動きに対してより感応的になっているかどうかによって判断することができる。主要国における名目賃金率が景気局面に対応してどのように変化したかについては,第1節で分析した通りである。今回の不況期には失業率の急速な高まりに伴って,名目賃金率の伸び率も,国によって差はあるものの,概して大幅に鈍化した。また,名目賃金上昇率と物価上昇率の間のスパイラルについても,名目賃金率の鈍化によるインフレ率の低下がインフレ心理の緩和をもたらし,更に名目賃金率の鈍化につながるという良い方の循環が作用しているようにみえる。この結果,主要国の実質賃金率の上昇は第2次石油危機後は抑制され,多くの国でマイナスとなった(前掲第2-1-2表参照)。
このような賃金面での硬直性の緩和は,基本的には高失業を背景とした労働市場の調整力によるものである。しかしこれに加えて,これまでこうした調整力の作動をはばんできた労働協約ないしは制度的要因が柔軟化したことによるところも大きいとみられる。以下では,こうした制度面での主な変化を取り上げて検討してみよう。
賃金インデクセーションは,インフレによる購買力の低下から労働者を保護するために,物価の変動に合わせて賃金を自動的(あるいは半自動的)に調整する制度で,欧米では戦前にも導入されていた。しかし,この制度が広く利用されるようになったのは戦後であり,特に50年代以降のことである。
実際に適用されている方式は国ごとにかなり異なっており (第3-3-7表),その効果を一概に論ずることは難しい。しかし,それが物価の急騰に伴って大幅な賃金上昇をもたらすことが多く,インフレ加速要因とみる立場が強まっている(例えば,マックラケン報告)。特に第2次石油危機後は,石油価格の上昇のような外的要因による物価上昇に対する賃金スライドは,必要とされる相対価格の変化を通ずる調整を阻害するものであるという批判が高まった(例えば,EC委員会)。このため,賃金インデクセーションの手直しを行う国が多くなっている。
手直しは,主として,次の4点について行われている。
第1は,賃金インデクセーションの適用を一時的に停止するものである。
アメリカでは,生計費調整条項(以下「COLA」という)が,81年から82年にかけて,企業収益が一定水準に回復するまでという条件付きで,一時的に適用停止される例がみられる。ヨーロッパでもオランダ(80年4月~12月),ベルギー(82年3月~5月末),デンマーク(80年3月,83年3月~85年2月末)などで一時停止が実施された。いずれも,インフレ,国際収支赤字,為替危機などに対する経済再建策の一環として行われた。
第2は,調整の適用延期や調整頻度の削減である。アメリカでは,82年にフォード社やGM社でCOLA適用が9か月延期され,ルクセンブルクでも年6回の調整が3回に削減された(82年12月)。
第3は,基準となる指数から,石油製品など外的要因を取除く措置がとられていることである(デンマーク,80年1月より石油製品価格を除く)。
第4は,調整方式の手直しによる実質的な調整率の引下げである。83年1月に合意されたイタリアのスカラ・モービレやオランダの適用率引下げ(81年,予定2.7%→0.7%)などがその例である。
賃金インデクセーションの適用率は国によって異なる。イタリア,オランダ,ベルギーデンマーク,ルクセンブルクのようにほぼ全労働者をカバーする国もあり,フランスのように,最低賃金(SMIC)及び公的部門・民間部門の一部に限られるものもある。しかし,アメリカでCOLA適用率が77年の61%をピークに低下傾向を示している(83年58%,第3-3-2図)のを初めとして,適用率は低下しつつあるとみられる。これには景気情勢の悪化を背景に,特にインデクセーションの適用が進んでいる部門で雇用減が大きいことなども影響している。
アメリカでは一般的に契約期間は3年であるが最近賃金契約期間が短縮している。72年には3年以上の労働者の比率は70%を越え,1年以内の比率は2%にも満たなかった。しかし82年をみると,30か月以上の比率は,58.8%と減少している。これは,契約期間を短縮させ,賃金の調整を早めており,インフレの終息期には急速に名目賃金の上昇率を低下させる効果をもつとみられる。
業種間の賃金格差も拡大している。業種間の賃金の標準偏差を平均で除した値(変動係数)の推移をみると,アメリカでは,70年代後半,上昇が鈍ったものの80年に入り再び上昇している (第3-3-3図)。また,イギリスでは変動係数は77年から急上昇を示している。一方,西ドイツ,日本では70年代後半に低下がみられ,80年以降上昇している。総じて,80年代に入り,各国とも上昇している。産業間での労働生産性格差が特段拡大していないことを考えれば,以前の画一的な賃上げ交渉に反し,企業の業績,生産性上昇率等を重視し,業種独自に賃上げを決定する傾向が出てきていることを示している。画一的な賃上げの傾向が弱まることは,生産性上昇率格差の存在に基づくインフレを緩和しているといえる。
以上のように,最近名目賃金の弾力性が回復し,賃金調整の期間の短縮,業種毎の独自の賃金決定の進展など,労働市場の硬直性の緩和が進みつつあるといえよう。こうした背景には,労働組合の柔軟化がある。最近のアメリカでは,労働組合が生産性の向上,企業のコスト低減を図るため「職種の専門化」から「復数の職種」をこなす方向への転換をしている。また,チーム・ワークや従業員参加を重視した新しいシステム作りに対して組合も受入れる姿勢を示しているといわれる。このような変化は労働市場の硬直性の緩和と合わせて注目に値しよう (第3-3-8表)。
イギリスでも,サッチャー政権の下で労働組合の閉鎖的,独占的要素を緩和するための一連の法的措置(雇用法の改訂,80年,82年)がとられている。職場外での争議参加や,クローズド・ショップ制の乱用などが禁止され,無記名秘密投票制の採用などが相次いで導入された。
こうした措置や政府の「現実を直視しよう」という説得も効果があった。
しかし何よりも,不況下で組合員の賃上げを重視する従来の労組の方針が招いた帰結に対し,労組内部からも反省の声が高まったことが大きい。こうした中で,組織再編や経済政策の手直しが進められている。
この結果,賃上げなどを目的としたストライキは減少している(ストによる労働損失日数,79年2,947万日,83年1~3月期の年率603万日)。また,極端に専門化されていた職能が弾力化され,ブルー・カラーとホワイト・カラーの区別も従来ほど明瞭ではなくなっている。
イギリス産業の生産性は,過剰人員の整理に加えて,こうした労働パターンの弾力化もあって急速に改善を示している。例えば,83年1~3月期の鉄鋼生産は雇用者一人当たり,230トンと西ドイツ(208トン)を上回った。全製造部門の生産性も80年初来13%上昇している。
個人減税,貯蓄奨励策は,可処分所得の増加,税引後の利子率の上昇を通じて貯蓄促進を図ろうとするものである。
アメリカの場合,所得税減税の主体は限界所得税率の一律引下げである。
これに伴い最高限界税率が70%から50%に引下げられ,また,共稼ぎ世帯の負担を軽減している。これらの措置は,貯蓄率の高い高所得者層,共稼ぎ世帯の可処分所得を増加させることにより,貯蓄率の上昇をねらったものである。貯蓄奨励策としては,利子所得の部分控除制度を創設している。また,個人退職年金勘定(IRA)を利用する機会をすべての勤労世帯に広げるとともに,拠出金に対する控除額を引上げている。
その後, TEFRA,HRAの実施により医療費控除,雑損控除対象額の引下げ,間接税の引上げ等が決定された。TEFRAでは,利子配当所得への増税となる10%源泉課税が決定されていたが,議会で否決された (注)。
これらの措置の貯蓄に与える効果をみるために,個人所得に占める公的負担のシェアと貯蓄率の関係をみると第3-3-4図の通りである。貯蓄率を
① 所得要因(可処分所得水準の増加によりエンゲル係数の低下等から貯蓄率は上昇する。)
② 習慣要因(所得の伸びが高いほど貯蓄率は上昇する。消費は恒常所得により決まる。)
③ 雇用情勢要因(雇用情勢が悪化すると将来の所得に対する不安から貯蓄率は上昇する。)
④ 公的負担要因(公的負担比率が高まれば,それは可処分所得の水準の低下及び家計の貯蓄に代替することを通じて貯蓄率を低下させる。)
⑤ 物価要因(物価の上昇は,将来の生活不安の増大及び金融資産の実質価値の低下を通じて貯蓄率を上昇させる。)
といった要因によって説明してみる(第3-3-5図)。
アメリカでは,70年代後半には公的負担率の上昇,所得要因が貯蓄率低下の要因となっており,一方,労働情勢の悪化,物価の上昇が上昇要因となっていた。80年代に入ると,81年後半から減税のため公的負担率の低下が貯蓄率を押し上げたが,景気回復による労働情勢の改善,物価上昇率鈍化が大きな低下要因になった。その結果,貯蓄率は81年後半に若干上昇したが,以後,低下を続けている。その他の国でも,公的負担が増大する中で,景気の回復に伴う労働情勢の改善,物価の下落により貯蓄率は低下傾向にある。
今後,アメリカでは,所得の増加や物価の上昇が貯蓄率を上昇させるとみられるが,労働情勢の一層の改善,「83年社会保障改革法」に負担の増大が盛込まれていることは,貯蓄率の低下をもたらす要因であると考えられよう。
アメリカの所得税制では,一定の場合には(注),消費者ローン等にかかる利払いは所得控除の対象となっており,これが税引後の金利水準を引下げ,貯蓄を減らし,消費を増加させる大きな要因として指摘されている。例えば,公的負担や所得水準がほぼ同程度であるが,支払い利息の所得控除制度を採用していないカナダの貯蓄率は,アメリカを約8%上回っている(83年1~3月期アメリカ4,4%,カナダ12.4%)。アメリカにおける税引後実質金利の推移をみると (第3-3-6図),82年に入り上昇して,ERTA実施前と比べると0.2~0.5%高くなっている。しかし,貯蓄率は82年以後,低下を続けており,税引後実質金利上昇による貯蓄促進効果はあまり出ていないとみられる。
アメリカにおける法人税減税は,早期投下資本回収制度(以下「ACRS」という)の導入,少額所得企業の税率引下げ,試験研究活動に対する税制上の優遇を通じて経済の活性化をねらったものである。
ACRSでは回収期間を3・5・10・15年の4クラスに簡素化し,かつ短いものとする一方,回収率も法定され,85年度,86年度と段階的に回収率を引上げる予定としていた。(産業設備の平均投下資本回収期間は8.6年から5年に短縮。リース契約にも適用拡大。)投資税額控除はACRSの導入に伴い改訂され,控除率が6%及び10%となった。また,増加試験研究費等に優遇措置をとっている。繰越欠損金や投資税額控除の繰越期間も7年から15年に延長され,その効果を長期間享受できるようになった。
その後,TEFRAではACRSに関して,85年度以降引き上げる予定であった法定回収率を据え置くとともに,リース契約の拡大適用を取りやめるなどの変更を行っている。これらの結果,ERTAよりも増税となっているものの,ERTA以前に比べるとかなりの減税,投資刺激効果を有している。
法人企業のキャッシュ・フロー(税引後利益+回収引当額+在庫品評価調整額)の動向をみると,ACRSが導入された81年に回収引当額の上昇から増加が著しい。更に83年に入ると景気回復の影響もあって,税引後の利益も上昇している(第3-3-7図)。
ACRSの投資に与える効果をみるため,投下資本回収費を考慮した投資額メドル当たりのネットのコストをみると (第3-3-8図),TEFRAの実施によりコストは若干上昇したものの,ERTA実施以前から比べるとかなり低下した。このようにACRSの実施は,投資のネットのコスト・を引き下げ,投資を刺激しているとみられる。
アメリカでは,高度な技術力を持ち将来性はあるものの経営基盤の弱い企業(ベンチャー・ビジネス)が多数,技術先端産業部門へ参入している(第3-3-9表)。しかし,ベンチャー・ビジネスへの投資は,大きなリスクを伴い,普通の間接金融はなじみにくい。したがって,必要資金は主にベンチャー・キャピタルと呼ばれる企業または投資家グループにより供給されている。ベンチャー・ビジネスへの投資は通常株式保有の形で行われ,企業の成長によるキャピタル・ゲインの享受を目的としている。そのためキャピタル・ゲインに対する課税率が,その動向に対して大きな影響を与えている。 第3-3-9図をみると,78年の課税率の引下げ(49%→28%)以後,ベンチャー・キャピタルへの民間資金流入量が急増している。更に,81年ERTAで20%まで引下げられたことにより流入資金量は11億ドルと急増している。このように,キャピタル・ゲイン減税が,ベンチャー・キャピタルの急増という形で投資を促す結果となっている。
ここ数年にわたる経済再活性化政策の実施過程で,主要国が学び得た教訓を要約すると次の通りである。
経済再活性化のための政策パッケージは,その国の事情にあわせて政策措置の内容も組合せも異なっていて多様である。例えば,財政赤字の縮小にしても,アメリカでは当初,減税と歳出減の組合せをとっており,その他の国で増税措置が重視されたのと対照的である。また,国有企業の役割についても,一方でイギリスのように民営移管を強力に進める方式をとっているものがあり,他方でフランスのように,主要企業の国有化により競争力を強化する方式をとっているものもある。
しかし,共通の要因もいくつかある。その一つは,インフレ抑制を当面の優先的目標としていること,その二は,財政の構造的赤字縮小を重視していることである。前者については,ミッテラン政権が当初,失業を重視する政策をとったが,インフレ高進や貿易収支の悪化などからフラン危機を招き,政策の転換を余儀なくされたことがとくに教訓的である。また,後者に関しては,景気後退期における自動安定化装置の働きが必しも排除されていない点を指摘できよう。
しかし政策パッケージを構成する措置は,しばしば当初の意図とは異なった効果をもたらした。例えば,アメリカの所得税減税は,税負担の軽減,実質金利の引上げによる貯蓄促進を主な目的としていたが,既にみたように,影響は主として,実質可処分所得の上昇による消費増となって現われた。同時に財政赤字の拡大をもたらす要因の一つとなり,ひいては金利の高止まりにつながったことは注意を要する。これに対してイギリスでは,79年度予算措置による付加価値税の引上げ(8.5-15%)が行われ,第2次石油価格の引上げ等によるインフレ率の加速化(80年5月の消費者物価の上昇,21.9%)という事情もあり,結果として個人消費が停滞することになった。
このように,試行錯誤や意図しない影響がみられたものの,経済再活性化政策は,総じてみればそれぞれインフレの鎮静化,労働市場の硬直性の一部緩和など,一定の成果をあげている。今後もこうした中長期的観点からの政策をとり続けることが,とりわけインフレ心理の再燃を予防する上で有用であると考えられる。しかし,その際現在のような国際的相互依存が緊密になっている環境の下では,一国の経済パッケージはその当事国のみならず,その他の国にも影響を与えることに留意する必要がますます高まっているとみられる。
以上のように,経済再活性化政策は各国で次第にその効果を現わしつつある。しかし,今後にはなお種々の問題が残されている。
その最大のものは,アメリカにおける減税政策の効果が,本当に設備投資の回復につながるかという問題である。アメリカの減税は主として消費増となって需要面から設備投資を刺激しているが,他方その結果生じた大きな財政赤字はアメリカ,ひいては世界的な高金利の原因となっており,資本コストの上昇を通じて設備投資に悪影響を及ぼしている。したがって,設備投資の本格的な回復は,アメリカ等の財政赤字削減の努力など,今後の政策運営いかんに依存するところが大きい。
しかし,経済再活性化政策はもう一つの大きな問題を残している。それは失業率が1930年代以後最高となり,それが大きな経済的損失を招いているばかりでなく,保護主義の温床となり,景気回復の足かせとなりかねないことである。先進諸国で失業率が上昇した原因については,昭和57年次世界経済報告で詳しい分析が行われているので,ここでは述べない。しかし失業は西ヨーロッパ諸国や発展途上国などで一層深刻であり,そのもたらすコストの大きいことについては十分配慮する必要がある。
失業の経済的コストについては,よく知られているので,ここでは社会的コストについて検討してみよう。社会的コストとしては,失業者及びその家族の健康状態の悪化,自信の喪失などからくる心理的ストレスの高まり,犯罪の増加のほか,家庭の不和・崩壊や失業者に対する反感,人種間の対立による社会内部の緊張の高まりといった問題が指摘されている。
こうした社会的コストの視点からみると,若年失業者及び長期失業者の増加傾向は大きな問題を投げかけている。OECDの雇用見通しによると,若年者の失業率はサミット7か国で82年の16.5%から83年は181/4A%へ上昇し,84年にも18%と高水準が続くものと予想されている(全体の失業率は82年7.9%,83年,84年共に81/2%)。特に西ヨーロッパ諸国において,若年者の失業率の水が高く,加つ84年にも更に悪化する点が懸念される。 (第3-3-10表)。また,一年以上失業している人の全失業者に占める割合がOECD諸国で拡大している。この場合にも西ヨーロッパ諸国の情勢は厳しく,長期失業者の割合が非常に大きい。例えば82年におけるベルギーフランス,イギリスでのその割合は各々59.5%,39.8%,33.3%となっている(79年では各々58.0%,30.3%,24.5%)(第3-3-11表)。そして84年には,OECDの推計によると,フランス及びイギリスの当該割合は各々45%,40%に達するとみられている。
まず,若年失業者の問題を考えてみよう。OECDの「教育と労働ー若者の意見」という報告書は,若者が「労働倫理」を拒絶しているという懸念は根拠薄弱であると指摘している。むしろ,若者の最大の要求は労働や家庭といった伝統的な形で成人となることであり,先輩と並んで社会の完全な一員になることである。大ていの若者は成人の生活の重要な要素である労働に高い価値を置いている。したがって,大部分の若年失業者は,職が無いため社会的に認められていないことに苦痛を感じている。次の社会の構成者となる彼らは,将来に関し混乱し,疑いを抱き,不安すら感じており,社会に「置去り」にされたという感情が一般的にみられるとの指摘を同報告書はしている。また,こうした結果,若者の一部は既に分裂的ではないが,社会の正常な基準からはずれる行動をとっている。例えば,若者の犯罪が大ていの国で増加しており,アルコールや薬物の消費が若者の間で増加している。また,若者の自殺率も上昇している(第3-3-12表)。
次に長期失業者についてみると,失業の長期化に伴い心理的負担は増大する。当初の楽観的考え方は悲観的なものに代わり,自信や自尊心が失われ,そして無関心が現われ,時々病的な落ち込みを惹起する。健康の悪化の問題も指摘される。こうした困難は,失業者の実質所得減の補てんの度合が失業の長期化につれて小さくなることによって一層強まる。一たび長期失業に陥ると,本人の労働意欲の減退,技能の質の悪化,雇用者側の長期失業者を雇いたがらないことなどによって一層失業が長期化するという悪循環がみられる点が,長期失業の問題をより難しくしている。また,失業の長期化に伴い,家庭内の不和,対立が起こり,家庭が崩壊するという影響もみられる。
最近のアメリカの調査によると,黒人の失業率が相対的に高い中で,黒人の家庭の41%が夫がいない女性によって支えられている。この割合は10年前と比べ1/3近く増大している。同期間に黒人の離婚率は倍増し,片親だけの家庭にいる黒人の子供の比率は,32%から49%へ上昇した。一方,西ヨーロッパでは,高失業の中で外人労働者に対する風当たりが強くなっていることが報じられている。
このように,失業問題は単なる経済問題ではなく,健全で平穏な社会の基礎を損いかねない問題であることに注意しなければならない。