昭和58年

年次世界経済報告

世界に広がる景気回復の輪

昭和58年12月20日

経済企画庁


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第2章 今回の景気回復の特徴とその波及の条件

第2節 景気回復と経済政策

1. 前回と今回の政策展開の相違点

第1次石油危機後の景気後退はインフレを伴っていたため,先進諸国は1974年夏頃まで総じて総需要抑制策を維持した。しかし,不況が深刻化するに伴い,74年秋頃から漸次引締緩和措置がとられ,75年夏から秋までにはほとんどすべての国で本格的な景気対策がとられることになった。これが大きく貢献して,先進諸国は,75年中次々と景気回復に転じていった。

しかし,インフレが十分鎮静しなかった状況下で景気が回復に転じたため,インフレ期待が完全に克服されなかった。そして,ほとんどの国がインフレ体質を抱えたまま,第2次石油危機を迎え,その後深刻なスタグフレーションに陥ることとなった。また,75年の景気拡大策により財政赤字の対GNP比率が大幅に上昇した。その後も低成長の中で法人税収等が伸び悩む一方,社会保障関連支出の増大に伴う歳出が増加するなどして,総じて先進諸国の財政赤字の対GNP比率は目立って縮小しなかった(第2-2-1表)。このため,第2次石油危機後の不況に際し,財政から景気を刺激する余地は非常に限られたものになっていた。更に政府部門の規模の拡大は,経済全体のパフォーマンスにもろもろの悪影響を与えているとの反省が強くなっていた。

以上の反省や制約から,今回の不況に際しては,先進諸国は一時期のフランスを除き,インフレ抑制を最優先させ,また財政赤字を中長期的に縮小していくことを重視する政策運営を行った。このため,金融面では,ほとんどの国で82年央まで強い引締めスタンスがとられた。すなわち,アメリカ及びイギリスを中心にマネー・サプライの伸びの抑制を重視する金融政策が展開された。マネー・サプライの増加目標値は79年から82年にかけて多くの国で前年並みないしこれを若干下回る数値で設定された(第2-2-2表)。

一方,財政面では,ほとんどの国で意図した刺激策はとられなかった。歳出面の動きを中央政府歳出の対GNP比率でみると,予想以上の失業増による歳出増があったにもかかわらずイギリス,西ドイツでは今回不況期の方が上昇度合が小さいことがわかる(第2-2-3表)。一方,アメリカでは,国防費,失業給付等所得保障費の増加などから当該比率は前回不況時と同じ程度上昇している。フランスでは,81年5月に成立したミッテラン政権が当初景気刺激策をとったため,当該比率は81,82年にかなり上昇したが,その後引締めへ政策転換した。こうした各国の抑制的な財政政策のスタンスにもかかわらず,多くの国で結果的に財政赤字が増加した。

2. 財政赤字の増加と現在の財政政策

(1)財政赤字の増加とその原因

先進諸国の財政赤字の対GNP(GDP)比率(以下「財政赤字比率」という)は75年に大幅上昇した。その後,さほど改善をみないまま第2次石油危機を迎え,80年以降再び上昇して81,82年と上昇テンポが速まった。しかしイギリス(82年),日本(81年)など,低下した国もある(第2-2-1図)。

(赤字増加の原因)

第2-2-1図は主要7か国の財政赤字比率の前年からの差でみた上昇幅(パーセントポイント)と,それに占める自動安定化要因(不況に伴う税収減等の歳入減,失業給付等の歳出増など)の割合を示したものである(OECD推計)。まず7か国計でみると,71年から82年までの上昇幅4.1%ポイントのうち,自動安定化要因による部分は3.1%ポイントにも達しており,不況の影響の大きいことがうかがわれる。特にフランス,アメリカ,イギリス,西ドイツでは,この要因のみがこの間の財政赤字を増加させた。次に年代順にみると,74~75年及び80年以降の両期で,同要因による赤字幅の拡大が顕著である。しかし75年(イギリスは73年)不況時には大規模な景気刺激策がとられたことにより,全体の財政赤字比率の上昇幅は同要因による上昇幅を大きく上回った。一方,80年以降はイギリス,西ドイツを中心に全体の財政赤字比率の上昇幅が75年より小幅で,かつ同要因の上昇幅より小さくなっており,各国とも総じて財政を引締め的に運営したことを示している。

(構造的財政赤字の大きさ)

各国の財政健全化の努力にもかかわらず大幅な財政赤字が続いているのは,前述のように不況に伴う歳入減,歳出増という景気循環的要因による面が大きいが,医療・福祉などの社会保障関連支出や国債の累積による利払い費の増大等の構造的要因も大きい。ここでは西ドイツとアメリカの構造的赤字の規模についての試算を紹介しよう(第2-2-2図)。

西ドイツではシュミット前政権当時から社会保障,補助金関係の支出や公務員給与の削減を図ってきた。このため構造的財政赤字額は81年をピークに82,83年と減少し,これに伴い全体の財政赤字もわずかながら減少すると見込まれている(経済専門家委員会(五賢人)の試算(82年10月)による)。

アメリカでは商務省試算によると,高雇用失業率を6%と前提すれば,82年の連邦財政赤字は1,471億ドル,このうち循環赤字は899億ドルとなり,572億ドル(38.9%)が構造的赤字を示す高雇用赤字となっている ()。高雇用赤字は83年1~3月期年率712億ドル,4~6月期同599億ドルとなったあと,7月の個人所得税減税の実施により,7~9月期には,同1,118億ドル(財政赤字総額の52.4%)と増加が予想されていた。一方,行政管理予算局(OMB)の試算(83年1月時点)は83年度の高雇用赤字をより大きくみており(1,540億ドル),その財政赤字(2,250億ドル)に占める割合を69%に達すると見込んでいた。また,政府の赤字削減のための諸提案が立法化に至らない場合,88年度に至っても対GNP比6%以上の財政赤字(3,150億ドル)がなお残るとしていた。

しかし,83年度の現実の赤字は1,954億ドルにとどまった。また,失業率が10.1%であったことから推計すると,循環赤字は約1,000億ドルに上り,高雇用赤字の比率は約50%にとどまったものとみられる。したがって,OM Bの試算はやや過大であったと考えられる。このように,アメリカの景気回復が予想以上に力強いことから,財政赤字は83年1月のOMBの試算よりかなり小さくなる可能性が大きい。

(2)現在の財政政策スタンス

アメリカ,フランス,イタリアなど82,83年度の財政赤字が拡大している国はもちろん,イギリス,西ドイツなどやや改善がみられる国においても,財政赤字削減が依然喫緊の課題となっている。一方,イギリス,西ドイツなどインフレが鎮静化した国では赤字削減努力継続の枠組の中で雇用,投資などにも配慮した減税等の景気促進策を84年度予算案に盛り込む余地が生じている。

(アメリカ)

83年1月に議会へ提出された84年度予算教書(83年10月~84年9月)は,「経済再建計画」の4本柱を堅持する姿勢を示すとともに,短期的な景気浮揚策に否定的な態度をとった。また増大する財政赤字が金融情勢の不確実性を高めて景気回復の足かせとなる懸念があるとして,もろもろの赤字削減策を提案した。すなわち,①連邦公務員の給与・退職年金の1年間凍結,社会保障給付の物価スライドの6か月凍結などを内容とした84年度歳出の実質ベースでの凍結,②医療保険制度の改革,民間健康保険の税制優遇措置の圧縮,社会保障制度の改革等による歳出の抑制,③条件付で86~88年度に発動するスタンドバイ増税措置等が盛り込まれている。この結果84年度の歳入は前年度比10.4%増加する一方,歳出は同5.4%増にとどまり,財政赤字は1,888億ドル(82年度1,106億ドルの赤字,83年度1,954億ドルの赤字)に縮小する見込みとなっている。その後予想を上回る景気回復の影響を考慮して7月の年央改訂見通しでは84年度の財政赤字見通しは1,797億ドルに下方修正された。しかし,83年度の財政赤字(実績)は改訂見通しよりも145億ドル縮小したことから,84年度の財政赤字も更に縮小することが見込まれる。

一方,議会の方では6月に両院協議会で第1次予算決議が成立したものの,大統領案との差は依然大きい。このため84年度予算成立の目どはまだたっていない。

(イギリス)

12%を超える失業率にもかかわらず,一貫して「財政赤字の削減」を重視している。歳入面では83年度予算案(83年4月~84年3月)において,酒・たばこ等間接税引上げ,国民保険負担料率引上げなど,従来どおり「中期財政金融戦略」の目標に沿い,財政赤字削減,インフレ抑制計画を進めている。公共部門借入れ所要額(以下「PSBR」という)の目標値は80億ポンド(前年度実績91億ポンド),対GNP比23/4%(前年度予算に同じ)に抑制された。

一方,インフレの鎮静,82年度のPSBRの目標以上の削減により,景気の持続的回復に資するため所得税減税等の減税措置(総額19億ポンド)や児童手当ての引上げ,追加雇用対策などの新規施策を盛り込む余地が生じた。

しかし,83年度政府支出計画(83年3月発表)も基調としては抑制的な方針を堅持している(伸び率は81年度12.8%,82年度8.O%,83年度5.8%)。その後PSBRの大幅増がみられたことから支出を計画内にとどめるため,7月に緊急対策として,中央政府行政費(人件費を含む)の1%削減,国有企業の借入れ額の2%削減等により),合計で約5億ポンドの支出削減を決定したほか,国有資産の売却増により約5億ポンドの増収を図ることとした。

(西ドイツ)

コール保守・中道連立政権は財政再建を基本政策としている。このため9%を超える失業率の中で83年度予算(83年1~12月)では社会保障費の削減,失業保険料率引上げによる雇用庁への補助金削減等,社会福祉関連を中心に歳出見直しを行った。歳入面でも付加価値税の引上げ(83年7月1日より13%→14%)等の措置を講じた。一方,高所得者層に対する投資促進課徴金制(無利子国債の強制割当)の導入(所得税額の5%,1990~92年に還付の予定)を財源に,住宅投資や不況業種への助成措置が図られている。

更に,84年度予算案も失業手当の削減,公務員給与の抑制等消費的支出を65億マルク削減して,歳出を前年比1.8%増(83年度の歳出は同3.5%増)に抑える緊縮型となっている。純借入れ額は83年度予算の409億マルクから84年度373億マルク,更に87年度には225億マルクヘ縮小させる計画である。他方,83年度に実施された付加価値税引上げによる84年度の増収分を財源に,36億マルクの企業減税(財産税引下げ,特別償却の新設等)が盛り込まれるなど,企業の投資促進による景気回復を目指す姿勢がうかがえる。

(フランス)

83年3月のフラン切下げを契機に,財政赤字抑制,対外収支均衡などを目的とした10項目の緊縮強化措置が実施されている。これは,150億フランの歳出節約等により,83年度予算(83年1月~12月)について200億フランの赤字削減を図るほか,公共料金の8%引上げ,社会保険料の引上げ,国債の強制割当実施などの内容となっている。政府はこれにより83年の内需を650億フラン(GDPの約2%)抑制し,貿易赤字を2年間で一掃するとしている。

また,84年度予算案は歳出の前年度比伸び率を6.3%(83年度は同11.8%),財政赤字を名目GDP比3%以内とするという極めて緊縮的なものである。歳入面では中・高所得者層に対する超過累進付加税導入等により税収確保を図っている。歳出面では一般事務費の伸びを3%増と物価上昇率(84年平均見込み6.1%)以下に抑えているが,研究開発・産業界への補助,雇用対策等の関連予算には重点的配慮が払われている。

(イタリア)

84年度予算案(84年1月~12月)は,対策を講じなければ130兆リラ,G DP比21%に達すると見込まれる財政赤字を90兆リラ(82年度80兆リラ,83年度見込み89兆リラ以上)以下にするか,または対GDP比15%以内に削減することを目標とする緊縮型となっている。40兆リラの赤字削減は,利子所得税,建物登録税等の増税による10兆リラ増収と,社会保障支出関連等の歳出削減30兆リラによることを予定している。

(3)雇用対策

第1次石油危機後の雇用情勢の悪化に対処するため,先進諸国は財政金融両面から景気刺激策をとったのに加え個別雇用対策をとった。これに対して,第2次石油危機後は,失業の急増にもかかわらず,ほとんどの先進諸国でインフレ抑制を最優先させ引締的なマクロ政策のスタンスを堅持した。しかし,失業,特に若年者の失業の急増を無視できないため,その経済,社会的コストを考慮して各種の個別雇用対策を実施している。これらは,職業訓練,若年者雇用に対する補助金,ワークシェアリングの促進などが中心である (第2-2-4表)。

3. 最近の金融政策

(1)不況等への弾力的対応

今回の不況期には,インフレ抑制を最優先として総じて厳しい金融政策が堅持されてきた。しかし,インフレの鎮静,不況の長期化,累積債務問題等を背景として82年央頃からアメリカを中心に多くの国で金融政策が若干緩和された。逆にフランスでは,83年に入って金融政策は引締めへ転換された。

(アメリカ)

82年央までの連銀の政策運営をみると,マネー・サプライM1の伸びの目標値の一時的超過を容認するなどやや弾力的な姿勢がうかがえるものの,基本的には強い引締めスタンスが維持された。しかし,インフレの鎮静化傾向やメキシコの累積債務問題の顕在化等から82年9月以降連銀は政策スタンスをやや柔軟化させたものとみられる。すなわち,82年10月に満期の到来したASC(非課税貯蓄証書,81年10月発売)の資金がM2からM1へ大量にシフトしたという特殊要因もあって,M1の伸びが82年10~12月期に前年同期比8.5%と目標上限(5.5%)を大きく上回った。M2の伸びも82年末のMMDA(参照)の導入などから同9.3%と目標上限(9.0%)を同様に上回った(第2-2-3図)。また,公定歩合も82年7月以降計7回,3.5%ポイント(12%→8.5%)引下げられた。

(西ドイツ)

当局は82年央までは金利の引下げに非常に慎重であった。しかし,不況が深刻化する中で,82年央からのアメリカの金利低下に伴い,公定歩合が82年8月以降計4回,3.5%ポイント(史上最高水準の乙5%から4.0%へ)引下げられた。一方,マネー・サプライ(中央銀行通貨量)の伸びも79~81年までは目標圏下限付近に抑制されてきたものの,82年に入ってからは目標上限近くで推移した。更に83年に入ってからはマネー・サプライは目標圏をかなり上回って増加している(第2-2-4図)。このように,82年央以降西ドイツの金融政策は緩和に転じたといえよう。

(イギリス)

サッチャー政権成立以来の厳しいマネー・サプライ管理重視の金融引締め策の結果,ポンド建てM3(参照)の伸びは82年中徐々に鈍化し,目標圏内に収まった (第2-2-5図)。更に83年もマネー・サプライの伸びの目標値を引下げるなど,金融政策の引締めスタンスは基本的に維持されている。しかし,インフレが急速に鎮静化し,また,アメリカの金利が低下したことなどから,金融政策も景気や為替相場に配慮して,より機動的に運営されるようになった。すなわち,82年8月から11月にかけて介入金利は引下げられた。その後83年初のポンド相場の急落に対処して一時的な介入金利の引上げはあったものの,ポンド相場の落ち着きを背景に3月以降介入金利は徐々に引下げられた。

(フランス)

ミッテラン政権は成立後積極的な景気刺激策を展開した。金融面からもマネー・サプライ伸び率目標値の引上げ(81年10%,82年12.5~13.5%),貸出準備率の引下げなどの量的緩和が行われた。また,フランス銀行の市場介入を通じた金利引下げが実施された。しかし,その後インフレ高進,貿易収支の悪化から83年3月までにフランは3回切下げられ,金融政策も引締めへ転換された。マネー・サプライ増加率目標値は83年の10%が9%へ下方修正され,更に7月より市中貸出し規制枠が削減される(貸出増加率を83年末前年比で一般金融機関については3%から2.5%へ,割賦信用専門機関については5%から3%にそれぞれ引下げる)などの引締め強化が実施された。

また,為替相場や物価動向を勘案して高水準の市場介入金利が維持されている。

(2)金利の高止まり

82年央以降多くの国で金融政策が若干緩和され,名目金利が低下したものの,83年に入ってから金利,特に長期金利の高止まり傾向がみられる。この間インフレ鎮静化が進んでおり,期待インフレ率を消費者物価上昇率と等しいものと仮定すれば,実質金利はむしろ上昇している (第2-2-6図)。

この世界的な金利高止まりは,第一義的にはアメリカの金利動向が原因であり,それが為替相場の動きを通じて他の諸国に波及しているものとみられる。西ドイツを例にとるとアメリカで83年初来金利が上昇した一方,3月に西ドイツで金利引下げ措置がとられたこともあり,内外金利差が再び拡大して資本流出が起こり,マルクの対ドル相場が軟化した。こうしたこともあって,西ドイツ連銀は9月に入ってロンバート・レートを5%から5.5%へ引上げた。

アメリカの金利が高止まっている主因としては,大幅な財政赤字が続くとの予想があげられる。すなわち,大幅な財政赤字予想から,景気回復に伴う民間資金需要の盛り上がりがクラウデイング・アウトをもたらすという懸念や,連銀が最終的に財政赤字の資金手当てをするためインフレが再燃するという予想が,金利高止まりに大きく貢献しているという見方が有力である。この他,M1が83年に入って急増し目標値を上回ったことが5月以降の金利上昇に寄与している。それにより,市場がインフレ再燃懸念や連銀の引締め政策への転換予想を強め,そのため金利が上昇したとみられる。事実,5月以降連銀はやや引締気味に政策スタンスを修正した。また,毎週発表されるマネー・サプライの数値が新規預金商品の登場等によって予想外に変動するため,金利の先行きに対する不確実性が高く,リスク・プレミアム()が大きいという要因も働いている。しかし,アメリカでは,M1の伸びが8月以降目標圏内に収まっていることを背景として,5月以降上昇した金利も8月から若干低下している。M1の伸びが目標圏内に収まったのは,連銀がM1の急増という現実を踏まえM1の目標値を上方改訂した一方,前述のような連銀の政策スタンスの微調整,新規預金商品登場の影響の一段落などからM1の伸びが鈍化したためである。このように,連銀の政策スタンス,新規預金商品登場等による金利高止まりの要因は8月以降弱まっており,財政赤字大幅増加予想が残された大きな問題となっている。今アメリカの長期金利の動きを,インフレ率,資金需給比率(連邦政府借入残高と商工業貸付残高のM1に対する比率)によって説明すると,79年以降の金利の高騰は80年末までは物価要因が主因であった (第2-2-7図)。その後物価要因は急速に弱まったものの,資金需給要因が金利を下支えしている。特に82年に入って連邦政府借入残高の寄与が大きくなっていることがわかる。

(3)マネー・サプライ管理の問題点

石油危機後の金融政策の対応として,今回はマネー・サプライ管理が重視された点が前回の金利重視の対応と異なる点である。これは,71~72年及び75~77年の経験を踏まえマネー・サプライの増加が若干の遅れを伴ってインフレにつながるとの認識が有力となったためである(第2-2-8図)。このほか,インフレ高進期には適正な名目金利水準の設定が困難であること,操作変数である金利の変更は金融政策スタンスの変化とみなされ政治的圧力が加わりやすいことなどが,マネー・サプライ重視への変化の理由としてあげられる。

しかしながら,こうしたマネー・サプライ重視の金融政策運営にも幾つかの問題点が発生した。アメリカではマネー・サプライの数値を毎週発表することが義務づけられている。しかし,短期的にマネー・サプライを管理することは非常に困難なため,しばしばそれが予想外の動きを示し,これに市場が過敏に反応して金利が大幅に変動するというケースが繰り返された。次に預金金利自由化の過程でスーパーNOW勘定やMMDA等の新規金融商品が相次いで登場し(),預貯金間の大量の資金移動が生じた。このため,マネー・サプライ管理の対象としてM1やM2がはたして適切で信頼できるものなのか否かという疑問を惹起した。

(流通速度の低下)

更に,82年に問題となったのが流通速度(名目GNP/マネー・サプライ)の大幅低下,すなわち不安定性である。

アメリカの流通速度は,大統領経済諮問委員会によると,61年から81年まで年平均でM1が3.2%,M2が0.2%各々安定的に上昇してきた。しかし,82年からの低下は極めて大幅であり,81年10~12月期から82年10~12月期までにM1で6.5%(6.95→6.57),M2で5.9%(1.70→1.60)各々低下した。このため,トレンドからのかい離も歴史的にみて異例といえる程大きかった(第2-2-9図)。

流通速度変化の要因としては,通常景気循環要因と金利要因があげられるが,今回はこれに新規金融商品登場に伴う影響が加わった。通常,流通速度は好況(不況)期にはトレンドを上回(下回)る動きを示す。これは,通貨需要が名目GNPの変動よりも小さな変動をするためで,それは通貨需要が恒常所得(臨時的収入以外の定期的に入ると考えられる所得)という,名目GNPよりも安定的な要因で決定されるためと考えられる。次に,金利要因をみると,通常金利が下(上)がれば通貨保有需要が増加(減少)するため,流通速度は低下(上昇)する。不況期の後半には金利が低下するため,流通速度はトレンドを下回ることになる。今,M1の需要を名目GNPと金利の要因によって説明すると,第2-2-10図の通り82年後半からは金利の低下や,GNPの増加要因では説明できない程,M1が急増したことがわかる。このため流通速度は大幅に低下したのであるが,これには新金融商品の登場も一つの原因として指摘できる。

例えばM1に定義されるNOW勘定やスーパーNOW勘定は利子付きのため,取引動機に資産保有動機が加わって従来よりM1の需要を高め,M1の流通速度がトレンドを下回る要因となっている。しかし,実際の流通速度の低下の規模はこれら三つの要因だけでは説明しきれない程大きいとの見方も有力である。

いずれにしろ,流通速度の予想以上の低下―不安定性―はマネー・サプライの伸びが安定的であっても名目GNPの予想外の増減を招くこととなり,マネー・サプライを管理するだけでは充分ではないことを浮彫りにしたという有力な問題指摘がなされた。

(各国の対応)

以上のような問題の発生に対して,各国とも適切な金融政策のあり方について模索中である。しかし,さしあたりは,(i)金利目標設定に再びもどることは不適切とするものの,(ii)マネー・サプライ管理についても資産需要の変化などを考慮して管理対象の拡大,目標圏の修正を行うとともに,マネー・サプライ以外の経済指標にも配慮するという柔軟な対応を行っているものとみられる。

例えば,アメリカでは,82年以降の金融政策緩和の一つの理由が流通速度の大幅低下を懸念したためであるといわれている。更に,82年10月以降M1よりもむしろ,より広義のM2,M3を重視した管理を行っているのは,金融資産シフトの影響をできるだけ回避しようというねらいからである。また,M1の増加率目標も実態に合せて83年7月に,ベースを4~6月期平均に変更するとともに上方改訂(上下限とも1%ポイント)された。

イギリスでも,82年度以降マネー・サプライ管理の対象として,従来から使われていたポンド建てM3,により狭義のM1,及び最も広義のPSL2が加えられた()。更に,実質金利,為替レート,生産動向なども金融政策の目安として当局が注視せざるをえなくなっている。

4. 各国のポリシー・ミックスと部門別貯蓄・投資バランス

ここではまず,主要国のポリシー・ミックス(金融と財政政策の組合せ)が景気にどう影響したかを総合的に概観する(第2-2-11図)。次に今回の長期不況から回復への動きの中で特に注目すべき政策展開として,(i)アメリカの減税策の意図と現在までの効果及び(ii)フランスの経済政策の転換の原因について述べることとする。最後に各国の済経主体(家計・企業・政府・海外)の貯蓄・投資バランスの変化をみることとする。

(1)各国のポリシー・ミツクスとその評価

(アメリカ)

82年の財政赤字の対GNP比は,75年当時とほぼ同じ大きさにまで拡大した。財政政策のスタンスは裁量的政策を否定するなど引締めを図ったが,減税の本格化,歳出削減の不充分さなどから現実には景気刺激的となったとみられる。一方金融政策は79年以降82年央まで厳しい引締めが続き,インフレ抑制には一般に期待されていた以上の効果があったものの,不況を長期化・深刻化させた。しかし,82年央以降マネー・サプライの量的緩和,金利の低下がみられた。このようなポリシー・ミックスは,82年10~12月期を底とした景気の急回復に大きく貢献したものと考えられる。

(イギリス)

79年以降財政・金融政策とも強力な引締めが図られたが,81年には不況の影響から財政赤字幅が拡大した。金融面では実質金利がインフレ低下により81,82年と急上昇し,実質マネー・サプライも81年に急増する結果となった。しかし,82年に財政赤字幅が縮小しマネー・サプライが目標値に収まっ各国のポリシー・ミックスの推移たことから,83年度予算案では景気にも配慮した財政運営が行われ,金融面でも83年春以降金利が引下げられるなどやや緩和している(75年はマネー・サプライは減少したが,物価の急上昇もあって実質金利は非常に低く,金融は緩和的であったとみられる)。

(西ドイツ)

財政は75,78,79年に拡大策がとられたほかは総じて引締められている。

しかし81年には不況の影響から赤字が拡大した。金融は79年以降引締め策がとられた。81年には財政赤字が増大しアメリカの高金利から金利が急騰した。82年央以降は金融緩和が進む一方財政は再建を目指して一段と引締められている。

(フランス)

前回は75年に財政・金融で本格的な拡大策をとった後76年には早くも引締めに転じた。今回も81年から82年にかけて財政・金融で刺激策をとったが,金融面についてはフランの軟化,世界的な高金利から金利を高水準にせざるを得ず前回に比して景気刺激効果は小さくなったとみられる。82年央以降経済情勢の悪化から引締めが次第に強化されていった。

(イタリア)

財政政策は75年に景気刺激策がとられたあとほぼ一貫して引締めスタンスにあるが,財政赤字は物価スライドによる歳出増,国債利払い増などの歳出膨張を主因に拡大している。金融政策も76年に引締められ,以後もほぼ引締め的である。81,82年には財政赤字の急拡大,実質金利の急騰がみられた。

(2)アメリカの所得税減税策

(所得税減税の当初の目的)

アメリカの減税政策は,過少貯蓄を解消して生産性上昇のための民間投設備投資拡大に必要な資本を形成することを意図していた。もともとアメリカの家計部門の貯蓄率は日本などに比し低いが,インフレ高進による実効税率の高まりなどのため,貯蓄性向は更に低下した(73年8.6%,80年5.8%)。

それが産業資金の供給不足を通じて過少設備投資,生産性の停滞をもたらした原因とされた(労働生産性上昇率65~70年平均2.4%,73~80年平均1.4%)。減税政策はこうしたアメリカ経済の弱体化傾向の原因を克服し,民間経済の活性化を目指したものであった。

減税の規模は,所得税の限界税率25%引下げ(81年10月5%,82年7月10%,83年7月10%)等により1,198億ドルとなっている。

(現在までの効果)

しかし実際の貯蓄率は,減税実施後一時的に上昇した後はむしろ低下傾向を示している (第2-2-12図)。これは物価の安定,実質可処分所得の増加に加え,82年央以降の金利低下もあって金利感応度の高い自動車等の耐久消費財需要が刺激されたためとみられる。民間設備投資は,4~6月期に前期比年率8.0%増と6四半期振りにプラスに転じたが,企業の外部資金需要は現在までのところ内部留保が増大していることもあってまだ小さい。しかし,今後設備投資が本格化し,外部資金需要が増大すれば,クラウディング・アウト発生の懸念が強まる。このことは,少なくとも83年前半までに関する限り,所得税減税の意図した効果が十分現われていないことを示し,今後の動向が注目される。

(3) フランスの政策転換の要因

81年5月に発足したミッテラン政権は雇用拡大を最重点に,金融・財政面から大規模な景気拡大策に着手した。しかし現実には消費増大による一時的な成長が見られたものの(81年央~82年初),本格的な景気回復には至らぬまま,インフレ高進,失業の増大,貿易赤字の急増等の経済情勢の悪化を招いた (第2-2-13図)。このため政府は賃金物価凍結措置(82年6/11~10/31)等による軌道修正を行い更に83年3月には内需抑制,対外収支均衡を図るため緊縮政策を強化することとなった。

以上のような政策転換を余儀なくされた要因として次の点が挙げられる。

第1に,他の主要国が総じて引締め政策を推進していた中で,フランスが独自でリフレ策をとるだけの強い経済体質を備えていなかったことである。自動車・家電など耐久消費財産業の国際競争力が弱いため,消費の拡大が輸入増大に結びつきやすい。全産業の輸入浸透度(輸入/生産+輸入ー輸出)は70年の20.6%から82年には36.5%へ上昇している(OECD試算)。また技術先端産業関連の輸出に占めるシェアも70年の24%から81年の25%と停滞している(EC試算,第2-2-5表)。1964年以降の景気回復局面には,いずれも輸入の増加が輸出の増加を上回り,需要増がまず輸入品に向けられていた。今回も堅調な消費が貿易赤字急増へとつながったのである。

第2に,政府は景気刺激策の背景として,81年下期以降先進主要国の景気が回復し,それに伴いフランスの輸出も増加するものと見込んでいた。しかし,西ヨーロッパでは81年後半の回復力が極めて弱く,82年に入って一層停滞色を強めた。またアメリカでも81年夏から再び景気後退局面に入るなど,世界経済は同時長期不況に陥り,こうした内外の景気局面のスレ違いもフランスの輸出低迷・輸入増を促進する方向に働いた。

第3に最も重要なものとして政策的要因が挙げられる。政府は内外の経済環境が不十分なものであったにもかかわらず,82年の実質経済成長率目標を3.3%とし,景気刺激策を推進していった。しかし,このため支払ったコストは非常に大きなものとなった。

まず前政権から引き継いだ強いインフレ心理の下で,財政赤字を拡大させマネー・サプライの増加,賃金率の引上げ等を実施したため,インフレを加速させ,それがまた賃金インデクセーションを通じて更なるインフレを生む結果となった。これが政策転換を余儀なくされた最大の要因と考えられる。

次に,雇用拡大や分配所得の平等化等のため社会的改革を急いだため,企業側はその結果生じた労働コスト高を生産性の上昇で吸収できず,企業体質を弱めることとなった。この背景には国有化などの経済統制強化や,高金利などによる設備投資意欲の減退が指摘されている。このような企業負担の増加は,製造業を中心に新規求人意欲を抑え,他方労働力人口の増加による供給圧力の根強さが重なり,失業の増加をもたらした。

また,景気の回復力は予想よりも弱く82年の実質経済成長率は2%にとどまり,税収減からくる財政赤字が当初意図されていた以上に拡大し,これが物価上昇の原因となるという悪循環がみられた。

(フランスの政策転換の意味するもの)

フランスの景気拡大策が,わずか一年後に緊縮政策への転換を迫られたことは,他の主要国に経済を活性化しインフレ期待を鎮静させることが持続的な回復に不可欠であるという確信を深めさせた。また,83年3月以降フランスが緊縮政策を強化したことから,主要先進国の政策スタンスはかなり似通ったものになったと考えられる。しかし,各国ごとに引締め政策実施時期のズレ,その度合に差異がある。現時点ではアメリカ,イギリス,西ドイツ等の調整の進んだ国と,フランス,イタリア等の遅れている国という相違が見られる。これが景気局面のは行性をもたらすとともに,回復局面にある国々にとり外需の増加が期待ができないという困難の原因ともなっている。

(4)部門別貯蓄・投資バランスの変化

一国の経済を家計,企業,政府,海外部門に大別し,各部門の貯蓄2・投資バランス(総貯蓄―総投資)をみてみよう (第2-2-14図)。

前回の不況の末期75年は各国とも政府部門の投資超過(=財政赤字)が大幅に拡大したが,今回82年は国によりかなりの相違が認められる。アメリカやカナダでは政府部門の赤字が大きく拡大し,フランスも景気刺激策の結果同様となった。しかし多くの国では財政赤字縮小に努め,赤字の対GNP比率はイギリス,西ドイツ,日本などで低下もしくは横ばいとなった。

次に民間部門では75年,82年共に黒字が大幅に拡大した。74年には石油価格,労働コストの上昇から企業収益が減少し,企業部門の赤字は拡大した。

しかし75年に入り設備投資,在庫投資の大幅削減から赤字は急減した。また,家計部門は,実質可処分所得が伸び悩んだものの先行きに対する不安から73~75年に貯蓄を増大させた。この結果,民間部門は各国とも75年までに貯蓄不足から大幅な超過に転換した。一方第2次石油危機の発生した79年にも企業部門の赤字が拡大した。しかし労働コスト等が前回ほど上昇しなかったこともあり,企業部門の赤字は73,74年当時のような悪化には至らなかった。そして82年には,企業の減量経営の結果もあって企業部門の貯蓄・投資バランスは大幅に改善された。また家計部門も高金利などから住宅投資を減らし,消費を抑制するなどの防衛的行動として貯蓄を増やした。このため82年には全体としての民間部門の黒字は各国とも拡大し,前回75年とほぼ同様な傾向を示した。家計部門の黒字はアメリカ(貯蓄率の低下よりも住宅投資の落ち込みが大きかった),カナダで特に大きく増加した。しかし,イギリスでは81,82年と家計部門の黒字が減少した。これは実質可処分所得の減少,住宅投資の回復などのほか,インフレの鎮静化や金利の低下から資産の目減りに対する防衛的な貯蓄意欲が減少したことも寄与しているとみられる。

以上のような各部門別の貯蓄・投資バランスの変化は海外部門に反映される。イギリス,西ドイツ,日本など比較的政府部門の赤字を抑制できた国では,80~82年の間に国内部門が全体として貯蓄超過となり,経常収支の黒字を通して海外部門は投資超過に転換した。一方アメリカでは82年に政府部門の赤字分が家計の貯蓄超過分とほぼ見合う水準に達し,企業部門の資金需要は経常収支赤字となってドル高を通じて海外からの資金流入により調達された。同様にフランスも政府部門の赤字が拡大し,海外からの資金調達が増加した。しかしカナダは82年の政府部門の赤字が大幅に増加したが,民間部門の黒字がより拡大したため,海外部門は投資超過に転じた。

このような国内外の貯蓄・投資バランスの変化は,各国の経済主体の行動の結果である。しかし,それは今後の景気の回復が続くとともにアメリカなどでのクラウディング・アウトの可能性の増大,また国際収支の不均衡の拡大と貿易摩擦の強まり,ドル高など,国際経済・金融上の種々の問題を産み出す可能性がある。国民所得統計上の投資,貯蓄などの概念は,金融統計上のそれと必ずしも同一ではないが,両者の間には密接な関係があることも事実である。

上でみたような諸国間の貯蓄・投資のギャップを調整するものとして国際貿易・国際金融が作用している。特に最近の資本移動の規模の拡大やその速度の増加などのため,国際金融を通じて各国の政策や利子率,インフレ率の変化などが他国に影響を与え合う度合が強まっている。したがって,政策の展開に際しても,その国際的波及に一層注意し,国際協調を図る必要がある。