昭和58年

年次世界経済報告

世界に広がる景気回復の輪

昭和58年12月20日

経済企画庁


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第2章 今回の景気回復の特徴とその波及の条件

第1節 今回の景気回復の特徴

1. 最近の景気回復の動き

(1)第2次石油危機後の景気後退の特徴

まず,第2次石油危機後の景気後退の特徴を第1次石油危機後のそれと比較すれば以下の通りである。

先進工業国の鉱工業生産の推移をみると,第1次石油危機後は急激な減少がみられたが,第2次石油危機後は減少はより小幅ながら長期化した点に特徴がある(第2-1-1図)。また前回危機後は,北アメリカ,西ヨーロッパ,日本の生産がほぼ同時に急減したのに対し,今回危機後は各々異なったパターンを示している。すなわち,北アメリカでは80年に入ると生産は急速に減少するが,80年末から81年にかけて一時減少前の水準まで回復した後,81年末以降再び急速に減少している。また西ヨーロッパでは生産は80年初から半ばにかけて大きく減少したあと停滞状態が続き,82年後半に再び減少した。日本では,80年半ばに一時小幅な減少をみせたものの,81年末まで生産は緩やかに増加を続けた後,再び緩やかな減少過程をたどった。

このように第2次石油危機後は,先進国間で異なった景気パターンをみせながらも,大きくみると80年から82年まで3年間景気調整過程が続いたことになる。調整過程が長引いた原因については「昭和57年度年次世界経済報告」第2章で分析してあるが,それを要約すると次のようになる。

第1は,第1次石油危機後と第2次石油危機後の政策の違いである。すなわち,前回危機発生後は比較的短期間で財政・金融政策は緩和・拡大へと転じたのに対し,今回危機後は,ミッテラン政権下のフランスで81年半ば以降約1年間,拡大政策がとられたことを除けば総じて引締め政策が堅持された。これは,前回の緩和・拡大政策が景気回復という面では一定の成果を挙げたものの,インフレ抑制という面では問題があり,結局スタグフレーション体質を根付かせることになったという反省の上に立ったものであった。

しかし,その後景気後退が深刻化し,失業率の上昇が続く中で政策緩和への要請が高まったにもかかわらず,各国ともその採用には慎重であり続けた。これは一つには政府規模の拡大が,経済の活力を低下させてきたとの反省に立って,アメリカやイギリスでは小さい政府の実現に強い決意で臨んでいたことのためである。しかし同時に,各国とも大幅な財政赤字を抱えておりインフレ期待も中々鎮静せず,減税や歳出拡大といった政策がとりにくかったことも大きい。更に,アメリカの強い金融引締め策などによる高金利を背景としたドル高は西ヨーロッパや日本の金融緩和を制約した。

第2に,設備投資が減少し,個人消費が弱かったことである。これは財政支出の抑制(福祉関連支出の削減,政府投資の減少等)や高金利等,経済政策に起因する面もある。また,失業率の上昇,賃金上昇率の低下による賃金・俸給所得の減少から実質可処分所得の伸びがマイナスとなったことも大きな要因となった (設備投資については,第3章第2節を参照)。

第3に,輸出の不振である。特に産油国を含めて発展途上国の輸入が大きく減少したことが,82年半ば以降,先進国の景気後退を深刻化させ,調整過程を長引かせた。前回石油危機後は,石油輸出国は豊富な外貨で積極的に国内近代化のための投資を行い,先進国からの輸入を増やした。また,非産油途上国は国際収支の悪化に見舞われたが,オイル・マネーの還流が順調であったことから,これらの国でも輸入を増加させ,経済拡大策をとることができた。しかし,今回危機後は一次産品価格の下落,高金利と累積債務増大による金利負担増等の効果も加わって債務返済が困難となり,輸入削減に努めた国が続出した。また産油国の国際収支も82年以降原油価格の下落から大幅に悪化する状況の下で,ほとんどの国で輸入削減を余儀なくされた。

(2)景気回復への動き

80年から82年まで3年間の景気調整過程の後,先進国では一部を除いてほぼ景気は底入れし,83年初からは景気回復への動きを示し始めた。これを追うように中進工業国の一部にも経済情勢の好転がみられる。

(かなり力強い回復をみせる北アメリカ)

アメリカの景気動向を実質GNPの動きでみると,79年に既に峠を迎えていたアメリカの景気は,輸入原油価格の引上げに価格規制撤廃による国産原油価格の上昇の効果も加わって,80年初に急速に後退したが,80年夏以後回復へと転じた(第2-1-2図)。しかし,この景気回復は短期に終わり,81年夏には景気は再び後退へ向かった。その後82年中底ばい状態を続けたが,83年に入ると急速に回復している。実質GNPは1~3月期に前期比年率2.6%増の後,4~6月期9.7%増,7~9月期7.7%増となり,第1次石油危機後の75年の回復当初に比べても見劣りしない力強い回復となっている。

アメリカの景気回復を反映してカナダでも実質GNPは83年1~3月期に前期比年率7.6%増,4~6月期7.5%増と,第1次石油危機後の回復当初を上回る回復振りをみせている。

(緩やかな回復を続けるイギリス,西ドイツ)

イギリスでは79年5月以降,サッチャー政権による経済再生のための厳しい引締め政策がとられた。このため,イギリスでは他国よりも早く景気後退が始まり,第1次石油危機後に比べ長く深い後退をみせた。その後81年央には他国に先駆けて底入れをみたが,回復は緩やかである。第1次石油危機後は,実質GNPがボトム後2四半期でピーク時の水準を上回ったが,今回の場合7四半期経った時点でもなおピーク時の水準をやや下回っている (第2-1-2図)。

西ドイツでは80年春に景気後退が始まり,その後停滞状態を続けていたが,82年後半からもう一段の後退をみせた。その後83年に入り景気は回復に転じ,1~3月期の実質GNPは前期比年率2.5%増,4~6月には4.3%増を示した。この回復はアメリカに比べれば弱いものの,西ドイツにおける第1次石油危機後及び77年後半の回復初期とほぼ同様の伸びとなっている。

(経済情勢が好転するアジア中進国)

韓国,台湾,シンガポールなどのアジア中進国(又は地域)は,北アメリカの景気回復に伴う対米輸出の増大や,国内における投資・消費の回復などから経済情勢が好転している。しかしフィリピン,香港などは政治的不安定などもあって,景気の先行きはなお不透明である。

(景気停滞が続く諸国)

83年初来,主要先進国やアジア中進国で景気が回復へと転じる中で,なお景気停滞を続けている国もある。それは,第1章でみたように,フランス,イタリア,OPEC諸国,非産油途上国,東欧諸国等である。これらの諸国は総じてインフレ率が高く,対外面では大幅な経常収支赤字,累積債務を抱えており,政策面でも緊縮策を強いられている。

2. 景気回復の初期条件

第2次石油危機後の景気調整過程は,第1次石油危機後と異なり長期化した。長期化した調整過程が終った時点で,インフレ率や賃金上昇率は多くの国で低下したものの,一方では戦後最高ともいわれる失業率がもたらされた。また,財政赤字も各国で大幅となっている。このように今回の景気回復が置かれている初期条件は過去のそれと異なる面が少くない。そしてこれらの初期条件の差は,今後の景気回復に様々に作用していくとみられる。これら初期条件の差を欧米主要国についてみればおおむね次のようなものとなろう。

(1)インフレ率が低いこと

83年初から始まった今回の景気回復過程にとって最大の好条件となっているのはインフレ率が低いことである。第1次石油危機後は75年中に景気が回復へと向かった国が多かったが,その時点ではインフレ率がまだかなり高い水準にあった。しかし,第2次石油危機後は長い調整過程中に物価上昇率が低下を続けたため,景気回復開始時点でのインフレ率は総じて極めて低くなった(第2-1-3図)。

しかし,国によってインフレ率の鈍化度合に大きな差がある。例えば最も厳しい引締め策をとり続けたイギリスとアメリカで鈍化度合が最も大きい。西ドイツの場合は第1次石油危機後からインフレ抑制重視の政策がとられていたこともあり,他国に比べてインフレ率は常に低かったが,今回は前回の回復初期に比ベインフレ率の水準はむしろやや高まった。一方,フランス,イタリアなどでは,目立ったインフレ率の低下はみられないため,引締めが続けられている(第2-1-1表)。

なお今回の回復過程においてインフレ率が低水準となった政策以外の要因として,石油価格やその他の一次産品価格の上昇圧力が弱いことが挙げられる。アラビアンライトの輸出価格をみると,82年に入ってから低下傾向にある(第2-1-4図)。また,一次産品市況をみても,80年からの3年間に大きく低下した。その後82年末から83年8月頃まで上昇したのち,比較的安定的に推移している。

消費者物価上昇率の項目別寄与度をみると,アメリカではエネルギー,住居(住宅ローン金利を含む)の鈍化が大きい(第2-1-5図)。また,西ドイツでもエネルギー,及び豊作を反映して食料品の鈍化が大きい(第2-1-6図)。

(2)高失業下で賃金上昇率が低いこと

3年間の長期にわたる景気調整過程は高水準の失業をもたらした。サミット7か国(米・日・西独・仏・英・伊・加)平均の失業率をみると,第1次石油危機前の73年には3.4%であったものが,75年には5.5%へと高まり,景気拡大期にも目立った改善がみられないまま第2次石油危機を迎えた。その後,景気要因と共に生産年齢人口の増加や女子労働力率の上昇といった労働力供給面の要因などもあって,7大国の失業率は79年の5.O%から82年には7.9%へと上昇し,83年から84年にかけてもなお上昇が見込まれている国もあるなど戦後最悪の事態となっている(失業率の高まった理由については,「昭和57年度年次世界経済報告」第3章を参照)。

こうした高水準の失業を背景に労働側に賃上げよりも雇用確保重視への動きが現われ,賃金上昇率は第2次石油危機後の調整過程中鈍化傾向を強めた。

主要国の実質賃金上昇率をみると,今回景気調整過程の80~82年にかけて,アメリカ,イギリス,西ドイツで伸び率がマイナスとなっている。またイタリアでも82年7~9月期以降伸び率がマイナスとなるなど,第1次石油危機後よりも実質賃金上昇率が低いことがわかる(第2-1-2表)。このことはインフレ鎮静化要因となった(賃金・物価については第3章第1節を参照)。

(3)金利がインフレ率に比して高いこと

欧米先進国では80年以降,不況下での記録的な高金利状態が生じた。これは前述したように,インフレ抑制の見地から金融引締めを継続した国が多く,同時に大幅な財政赤字を抱えていたことが原因となっている。また,アメリカでは79年10月以降マネー・サプライ管理の操作変数を従来のフェデラルファンド金利から銀行準備に変更したことから,金利の変動が大きくなっている。

82年半ば以降,アメリカで金融緩和に向かったこともあって金利はかなり低下した。しかし,インフレ率が低下しているため,いわゆる実質金利の水準は高くなっている。実質GNPのボトムから1年間の金利水準を比べてみると(第2-1-3表),アメリカでは,今回の回復期の名目金利は80年の回復期を下回っている。しかし,当該期の消費者物価上昇率の前年同期比を差引いたいわゆる実質金利でみると,今回は極めて高くなっている。イギリス,西ドイツでは,今回の回復期の名目金利は前回より高まっており,実質金利でみても前回に比べ高くなっている。また,各国とも実質金利は景気循環ごとに高まっている。

(4)ドルが独歩高であること

80年末以降,ドルの独歩高,その他主要通貨の軒並み安という状況が続いた。これはアメリカの金利が相対的に高かった上に,政治・軍事・経済情勢もドル需要を強める方向に作用したためである。ドル独歩高の傾向は,ドル金利が下降に転じた82年後半以降弱められたが,83年に入って再びドルは高水準に推移した。アメリカへの資本移動も継続した。

(5)発展途上国経済が極めて困難な状況にあること

第2次石油危機後,多くの発展途上国で深刻な経済停滞がみられたが,特にメキシコ,ブラジルを始めとする中南米諸国では対外債務の返済が困難となり,輸入や財政支出の大幅削減等の強力な経済調整策を余儀なくされている。また,産油国もほとんど経常収支が赤字となっている。

(6)クラウディング・アウトの懸念が強いこと

財政赤字が増大し,多くの国で民間純貯蓄の大きな部分を吸収するようになった。したがって景気回復に伴って民間資金需要が増加した場合,金利の大幅な上昇の懸念が強まっている。特に,基軸通貨国であるアメリカの場合,財政赤字の民間純貯蓄に対する比率は75年に51.7%,80年には21.6%であったが,83年1~3月期は83.8%,4~6月期は70.8%となった。

(7)その他

①先進国間を中心に貿易摩擦が深刻化していること,②政策面でも,財政政策については,財政赤字が大幅であることもあって裁量的政策の余地が小さくなっていること,③金融政策についても,アメリカを中心に金融市場の自由化が進展しているが,そこにおける金融政策には未だ試行錯誤的な面が強いことなどが今回の初期条件の特徴として指摘できる。

3. 景気回復を主導したもの

2.でみたような景気回復の初期条件に配慮しつつ,今回の景気回復をリードしている需要項目,逆に足を引張っている需要項目の動向をみてみよう。

(1)耐久財消費と住宅が景気回復をリード

(個人消費)

実質個人消費の動向をみると(第2-1-7図),アメリカでは81年後半から82年末までの景気後退期においても実質個人消費は増加を示していたが,83年7~9月期には82年10~12月期比年率5.3%という高い伸びを示し,今回の景気回復における中心的役割を担うこととなった。また,イギリスの場合は前回の回復期よりも今回の方が実質個人消費は順調な増加をみせ景気回復を促進させた。西ドイツでは,第1次石油危機後は景気後退期においても実質個人消費は増加していたが,今回は戦後初めて,しかも長期にわたって実質個人消費が減少した。しかし,83年1~3月期には前期比年率7.5%増と大幅に持ち直したことが,景気回復への足掛かりとなった。

次に個人消費の増加要因を財別にみると,非耐久財及びサービスの着実な増加と共に,自動車を中心とする耐久財購入が好調である。乗用車の販売及び新車登録台数をみると,長期にわたる景気停滞と高金利で抑制されていた需要が82年末から83年にかけてインフレの鎮静化と金利低下とともに顕在化しているのがわかる (第2-1-8図)。

このように,個人消費は今回の景気回復において先導役となったが,それにはどのような要因が寄与したのであろうか。後出第3-3-5図の貯蓄率変動の要因を参照しながら,消費性向上昇の理由をみてみると,アメリカ,イギリス,西ドイツとも82年以降物価上昇率の鈍化が最も大きく寄与している。なお,インフレの鎮静化による実質資産残高の増加に加え金利低下による金融資産価値の上昇が消費を刺激した可能性もある。

また,これを個人所得の面からみると,アメリカでは82年上半期に一時実質個人可処分所得の伸びがマイナスとなったが,82年後半からはプラスとなり83年になってから増加率が高まった (第2-1-9図)。これは,物価の鎮静化に加え,賃金上昇率の鈍化にもかかわらず就業者数や労働時間の増加から賃金・俸給所得が増加した上に,個人所得税減税もあって税負担の伸びが小幅化したためである。一方,80~81年の回復期には大きかった財産所得の増加は金利水準が低下したことから小幅となった。イギリスでは81年末や82年末に実質可処分所得がやや増加したものの基調は弱く,西ドイツでは81年以降減少を続けている。これは賃金上昇率の鈍化,就業者数の減少によって賃金・俸給所得が減少したこと,緊縮財政のため政府からの移転所得の伸びも鈍化し,また,82年後半からは金利低下によって財産所得が減少したことが原因となっている。

消費者信用の面からみると,アメリカで83年に入ってから個人消費が急増したのは,消費者信用金利が82年末までにかなり低下したことも要因となっている。個人所得に対する消費者信用残高の比率をみると,第2次石油危機前の景気拡大期であった79年には15%前後であったものが,その後の景気後退や金利上昇から82年末には12.8%まで低下している。このため債務負担感がかなり軽くなり,個人消費のうち消費者信用を利用する割合が,82年末以降再び高まりつつあるとみられる(第2-1-10図)。

一方,フランスやイタリアは従来個人消費は恒常的に増加傾向を示していたが,83年に入ってからは,可処分所得の減少などから不振を示している。乗用車の新車登録台数をみても,フランスでは81~82年にかけて増加傾向にあったが,83年からは鈍化している。イタリアでは79~82年までは好調だったが,83年には前年比減少に転じている(前掲第2-1-8図)。

(住宅投資)

住宅投資は,個人消費と共に今回の景気回復のけん引車となった。実質住宅投資の動向をみると,アメリカでは,80年初から82年秋までの大幅な落込みの後,82年末から急増を示し,前回,前々回の回復期をはるかに上回る急拡大となっている(第2-1-11図)。イギリスでは80年から81年末まで急減したあと,緩やかな増加を続けている。西ドイツでも80,81年の減少の後,82年春から着実な増加に転じて景気の落込みを下支えし,回復へと導いた。

住宅投資の増加してきた原因には,まず第1に住宅在庫の調整がかなり進んだとみられることがある。アメリカ,イギリス,西ドイツとも住宅投資は78~79年をピークに81年まで大幅な落ち込みをみせた。アメリカ,西ドイツについてみると(第2-1-12図 及び第2-1-13図),これは72~73年のブーム後のボトム(74~75年)の水準であり,イギリスではそれ以下に落ち込んだ。このため,これらの国では住宅在庫の調整がかなり進み,住宅投資は増加局面に入ったとみられる。

第2に人口動態要因がある。アメリカでは,50年代後半から60年代前半にかけてのベビー・ブーム期の世代が世帯をかまえ住宅を取得しようとしている。更に,アメリカでは,70年代後半以降特に顕著となった経済活動の北東部・中部から南部・西部への移動に伴う人口移動によって,これら地域での住宅需要が高まっている。

第3に政策要因がある。西ドイツでは,82年度及び83年度予算で住宅建築促進策(減価償却最高限度額の引上げ,債務利子控除限度額の引上げ等)がとられたことも住宅投資を増加させた。

第4に,金利,物価等,住宅投資環境の好転が挙げられる。アメリカ,西ドイツの住宅抵当金利は81年半ばまで上昇していたが,その後は低下傾向にある。また,アメリカの一世帯当たり個人所得に対する住宅価格は79年以降低下しており,西ドイツの住宅建築価格上昇率も79年から80年にかけて急騰していたが,82年には鎮静化した (第2-1-12図 及び第2-1-13図)。

一方,フランスでは74年が住宅投資のピークであったが,その後長期にわたって住宅投資は停帯を続けている。この原因は,77年に住宅政策の転換を行って,住宅建築に対する援助を削減したこと,更に住宅価格上昇及び家計可処分所得の減少などにある。

(金利と個人消費・住宅投資)

アメリカにおいて,第2次石油危機後最初の景気回復(80~81年)が短命に終わった要因の一つとして,高金利が耐久財消費や民間住宅投資を抑制したことが指摘された。今回の景気回復においても金利水準はピーク時よりかなり低下したとはいえ依然高水準にあり,こうした高水準の金利が今回の景気回復を再び抑制することが懸念されている。

しかし,アメリカ経済には以下のように高金利にもかかわらず消費や投資が拡大しうる面があり,今回の景気回復局面でもこれが現われているとみられる。

まず注意しておく必要があるのは,アメリカの現在の政府や企業の資金調達金利(財務省証券,社債,コマーシャル・ペーパー等)は過去の景気回復期と比べて高いが,個人の資金調達金利(消費者信用あるいは住宅抵当金利)でみると,必ずしも高くないことである(第2-1-14図)。このことは西ドイツについても同様である。

アメリカでは,高金利の発生した79年末以前は,政府や企業の調達金利が市場金利にほぼ連動して変動したにもかかわらず,個人調達金利はほぼ高位で安定していた。しかし,今回の景気回復期においては,市場金利の低下と共に消費者信用金利や住宅抵当金利も顕著に低下し,場合によっては79年末以前の固定的金利を下回っているものもある。

第2点は,金利と税制の関係である。アメリカでは個人所得税の算出の際,住宅向けのみならず,消費向けの支払金利についても損金算入することが認められている。これを考慮すると実効金利はかなり低くなる場合がある。例えば金利が10%で限界税率が30%とすると,支払金利の損金算入を考慮した実効金利は7%へと低下する。もっとも最近は所得税減税が行われているので,この面から考えると金利負担はむしろ増大しているとも考えられる。

(2)在庫削減から積増しへ

個人消費,住宅投資と並んで在庫が削減から積増しへ向かったことが今回の景気回復を支えている。

アメリカにおける第2次石油危機後の実質在庫投資の動向をみると,81年中に積増しをみたほかは,ほぼ一貫して削減が続いた。在庫率(GNPベース)も80年4~6月期のピーク4.07(か月)から83年4~6月期には第1次石油危機前のボトム(77年7~9月期)である3.73を更に下回り,3.42まで低下した。しかし,83年に入ると削減幅は急速に縮小しており,年央以降は積増しへ向かったものとみられる。しかし,企業の在庫に対する考え方は過去の景気回復期と比べて変化してきており,その適正水準についても在庫管理技術の進展や金利上昇による保管コストの上昇に対する配慮から以前よりかなり低い水準が設定されているとみられ (第2-1-15図),今後の在庫積増しの規模は過去と比べて必ずしも大きくならないと予想される。

イギリスでは,80年から82年にかけて大幅な在庫削減が行われた。完成品在庫に対する企業家判断 (第2-1-16図)をみても,82年まで比較的過剰感が強かった。しかし,83年に入ると,過剰感は縮小し,実質GDPベースの在庫投資もプラスとなっている。

西ドイツでは,79年に原材料の値上がりを見越して大幅な在庫投資が行われたが,その後は在庫調整が続いた。完成品在庫に対する企業家判断をみても,80年から82年まで過剰感が強かった。しかし,83年に入ってからは過剰感は縮小しており,実質GNPベースの在庫投資も1~3月期,4~6月期と積増されている。

一方,フランスでは83年に入ると完成品在庫の過剰感はむしろ強まり,イタリアでは80年以降引続き過剰感が根強く,それぞれ在庫調整が続いている。

(3)今後の景気を左右する民間設備投資の動向

今回の景気回復が持続的なものとなるかどうかは設備投資の動向にかかっている。詳しくは第3章第2節で述べることとして,ここでは第1次石油危機以降の民間設備投資の動きについて簡単にみることとする。

アメリカの民間設資投資は第1次石油危機後の景気後退期に急激に落込み,その後景気が回復に転じてからも,当初は回復の仕方は鈍かった(第2-1-17図)。しかし,その後79年までの息の長い上昇を続けた。第2次石油危機後は80年初から夏まで落込みをみせた後,81年夏にかけてレーガン政権登場による石油産業,軍需産業,技術先端産業等における設備投資意欲の高まりもあって増加をみせた。その後減少に転じたが,技術先端産業の投資が堅調だったこともあって落込み方は第1次石油危機後に比べ緩やかであった。

83年に入ってからの民間設備投資の回復の仕方は,第1次石油危機後の回復に比べむしろ出足は早いとみられる。設備投資計画と実績でみても,81年以降常に実績が計画を下回り,計画の下方修正が続いていたが,83年に入ると計画が上方修正されてきている(第2-1-18図)。しかし,上向いた設備投資の内容は,自動車やコンピューターの更新等機械設備が中心であり,工場の新増設といった動きは依然弱いとみられる。

その理由を考えるため,企業の設備投資の決定要因をみると稼働率がまだ低く,収益率,キャッシュ・フローといった指標も改善が進んでいるもののまだ十分でない。金利水準も過去の回復期に比べてやや高い。また設備投資の方向として,より技術先端的な新しい産業への移行に伴う投資が伸びているが,このような産業は必ずしも工場の新増設を必要としないといったことも関係していよう。もっとも,企業収益の改善はかなり大幅であり,また稼働率も採算点といわれる80%に近付きつつある。また経済再活性化政策の一環としてとられた大幅企業減税の効果も出て来よう。

イギリスでは,第1次石油危機後の景気後退期にも設備投資は増加を続け,75年末に一時落込んだあと,再び増加を続けた。その後設備投資は79年一杯堅調な伸びをみせ,80年から81年央まで大幅に落込んだあとは増加に転じた。しかし,設備投資のボトムから7四半期たった83年1~3月期時でもなお,ピークだった79年10~12月期の水準まで戻らず,このことがイギリスの景気回復を緩やかなものにとどめている原因であるとみられる。

西ドイツでは,第2次石油危機が起こった時,ちょうど,設備投資主導型の自律的な景気拡大の途上にあった。このため80年一杯設備投資は底固い動きをみせたがその後,2年間大幅に減少した。しかし,83年に入ってからは前回,前々回を上回る強い伸びをみせている。これには,シュミット前政権時代にとられた投資補助金措置の発注期限が82年末であったため,この効果が現われてきたこと,コール新政権が民間の活力強化のため,投資促進策(営業税減税等)をとったこと,なども効果があった。また,稼働率が上昇してきており,企業収益も賃金コストの低下などから83年に入って大幅な改善をみせていることも寄与していよう。

一方,フランスの国有企業を含めた設備投資は75年後半から増加に転じ,80年初にピークとなった。しかしその後は低下傾向を示し,83年に入ってからも減少を続けている。イタリアでも,総固定資本形成は75年末から増加に転じ,81年初にピークとなった。しかし,その後は減少傾向にあり83年に入ってからも減少を続けている。このように,フランス,イタリアでは設備投資の循環が下降局面にあることも,景気停滞の大きな要因となっている。

(4)不振であった輸出

第1次石油危機後と今回の回復過程で大きく異なっているのは先進国の輸出動向である。

アメリカの輸出は第2次石油危機後不振を極め,80年初以降減少を続けた。地域別にみると,中南米向けの減少による度合が最も大きい。次いでカナダ向け,アフリカ向け,西ヨーロッパ向けとなっており,83年に入ってからは中近東向けも減少している(第2-1-4表)。これには世界的な景気後退,経済不振による需要減退が色濃く影を落としている。とりわけ中南米向けについては,累積債務返済の困難化から大幅な輸入制限措置がとられたことが大きく影響している。一方,品目別では資本財,工業原材料,耐久消費財の落込みが大きく,地域別にみたのと同じ要因が働いていることが推察される。このほかに輸出減少の原因として,ドル高による輸出価格競争力の低下,高金利・国際金融市場のタイト化・財政赤字による政府資金投入の抑制等に起因する貿易信用の縮小等も指摘できる。しかし最も大きな要因はやはり需要そのものが減退したことに求められよう。

イギリスでは80年まで輸出は順調な伸びをみせたが,81年以降は伸びが鈍化した。これは石油輸出が順調だったものの,工業品輸出が不振だったことによる。しかし,石油輸出も83年に入ってから減少に転じた。地域別にみるとやはり石油輸出国,その他途上国,共産圏諸国向けが累積債務問題等から減少しており,EC諸国向けも83年春以降減少した。

西ドイツでは,第2次石油危機後は80年前半に輸出が一時減少したあとは,アメリカやOPEC諸国向けを中心に力強く拡大し,内需の落込みを下支えした。しかし,82年春頃からOPEC諸国,その他途上国向けを中心に減少した。83年に入ると,西ドイツの主要輸出先であるフランスやイタリア向けも両国での緊縮策の影響から減少した。