昭和58年

年次世界経済報告

世界に広がる景気回復の輪

昭和58年12月20日

経済企画庁


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第1章 1983年の世界経済

第4節 国際収支と為替相場の動向

1. 明暗分かれる先進国・発展途上国の経常収支動向

第2次石油危機以降赤字傾向を続けてきた先進工業国の経常収支(公的移転を除く。以下同じ)は83年は160億ドルの黒字が見込まれている(第1-4-1表)。このうち,主要7か国合計では,81年から黒字となったが,その他先進工業国は,改善の方向にはあるものの,83年も依然として赤字が残るものとみられている。

産油国(サウジアラビア,ナイジェリア,インドネシア等12か国, 付注1-2参照)の経常収支は,石油価格の低下に伴い,82年に赤字に転じたあと,83年はその赤字幅を更に拡大したものとみられる。これに対して非産油途上国の経常収支赤字は,82年には主に輸入の減少によって縮小したものの,依然として厳しい状況が続いている。83年は先進国の景気拡大から輸出の増加が期待できるものの,巨額の対外利払い等によって,680億ドル程度の赤字を続けているものとみられる。

こうした中で,原理的にはゼロにならなければならない世界全体の経常収支の合計をみると82年には主として貿易外収支段階の誤差の増大から900億ドルの誤差が生じている。しかも近年この誤差が大幅に増大している。このため,全体的な経常収支動向を把握しにくい状況となっている。特にアメリカの国際収支(経常収支+資本収支)の誤差脱漏が82年に約400億ドルの黒字となっている。アメリカのサービス貿易のシェアが大きいことから,アメリカの経常取引の受取額が過小計上されているとの見方が多い()。

(先進国の経常収支動向)

先進工業国の経常収支を国別にみると,アメリカは,貿易収支赤字の拡大から82年後半以降赤字化している。83年には貿易収支の赤字が更に増大すると見込まれるため(米商務省見通しでは通関ベースで600億ドルの赤字),経常収支赤字も拡大するものとみられる。イギリスでは好調な北海石油輸出を背景に77年以降黒字を続け,特に81年には約160億ドルの大幅黒字となった。しかし,83年には,石油価格低下などによる石油輸出の伸び悩みや内需拡大に伴う輸入の増加から大幅に黒字幅が縮小するものとみられる(1~8月では16億ドルの黒字)。他方,西ドイツの経常収支は80年の大幅赤字から82年には黒字に転じた。しかし,EMS通貨調整(ドイツマルクの切上げ)の影響やOPEC向けの不振から輸出が伸び悩み,83年前半は62億マルクの黒字にとどまった。これに対してフランスでは緊縮政策の導入や,フランの切り下げによる輸入の減少から貿易収支が改善し(9月の政府見通しでは83年600億フランの赤字,82年実績933億フランの赤字),経常収支赤字も縮小する見通しとなった。またイタリアでは輸出は増加したものの,83年の経常収支赤字は依然として大幅なものにとまる見込みである。

(産油国の経常収支動向)

産油国の経常収支は,先進工業国と対照的に,80年の1,143億ドルの黒字から82年には22億ドルの赤字に転じた。産油国の経常収支黒字が減少したのは第1次石油危機以後の75~78年に次いで2度目であるが,今回はそのテンポが急速であった。また今回と前回の黒字縮小の原因をみると,前回は主として輸入の増加によるものであったのに対して,今回は輸入制限措置の実施もあって,輸入の伸びが顕著に鈍化した一方,輸出の減少が大きかったことが異なっている。産油国の石油輸出量は79年のピークから2年間で約2/3に減少した。また,この間,小幅な石油輸出価格の低下はあったものの,交易条件は79~80年の水準をおおむね維持したことが特徴的である。

83年には3月の石油価格引下げによるドル建輸出価格の大幅な低下によって,石油輸出収入は78年を下回る水準に落ち込むものとみられる。このため,83年の経常収支赤字は前年を更に上回るものとみられる。

(非産油途上国の経常収支の動向)

非産油途上国の経常収支赤字をグループ別(付注1-2参照)にみると,純石油輸出国(メキシコ,エジプト,マレーシア等12か国)では,輸入の減少と石油輸出が比較的好調であったことから,81年の235億ドルから82年の156億ドルへと経常収支赤字は縮小した。しかし,83年は更に輸入を削減することが困難であることから,経常収支赤字幅の改善は小幅なものにとどまるとみられる。

純石油輸入国の経常収支赤字は,81年の862億ドルから82年には763億ドルヘ縮小した。これは輸入が300億ドル近く減少したためで,対外利払いの増加によって貿易外収支は赤字幅が拡大し,一次産品価格の低下によって輸出も減少した。83年は輸出の増加が見込まれるものの,貿易外収支の大幅赤字が持続するため,依然として厳しい状況が続いている。更に純石油輸入国を主要工業品輸出国(韓国,シンガポール,ブラジル等10か国),低所得国(インド,パキスタン,中国等41か国),その他純石油輸入国(タイ,フィリピン,チリ等)に分けてみると,主要工業品輸出国の大幅な貿易外収支赤字が目立つ。このため同グループの経常収支赤字は80年の376億ドルから82年の343億ドルヘ改善したにとどまった。

2. 国際金融・資本市場の動向

70年代の一部の時期を除いて順調な発展を遂げてきた国際金融・資本市場は,82年に累積債務問題等のリスクを反映して,厳しい状況の下に置かれた。BISによれば,82年の国際銀行貸出及び国際債による国際信用残高の伸びは1,450億ドルにとどまり,前年の1,950億ドルを大きく下回った(前年比25.6%減)。これは国際銀行貸出が81年の1,650億ドルから82年の950億ドルへ減少したことにより,発展途上国向け貸出の伸びが大幅に鈍化したことが大きく響いている。他方,相対的にリスクが小さい国際債の発行が急増するなど,特徴的な動きも生じている。また,国際銀行組織を通じる資金の流れにも変化が生じ,81年第2四半期以降資金の取り手に転じたOPEC諸国に代って,82年はアメリカが資金供給者としての役割を増大させた。

(ユーロ・クレジット市場)

ユーロ・クレジット市場をみると,組成額は81年に大幅な増加を記録したものの,82年及び83年は極めて低調なものにとどまっている(第1-4-2表(1))。これを地域別にみると,発展途上国向けクレジットが82年に前年比8.3%減少し,その中でも弗OPEC諸国向けクレジットが同14.0%減少した。83年に入っても同様の状況が続き,発展途上国向けクレジットは83年1~8月に前年同期比16.3%減少している。これは同地域向けクレジットのリスクの高まりから,銀行の貨出態度が慎重化したことにより,同地域向けクレジットのスプレッド(注1)は83年1~3月期には1.91%(前年同期0.85%)に達した。

一方,先進国向けクレジットは81年に特殊要因(注2)もあって急増した後,82年及び83年は依然として同地域の資金需要が低迷したことを主因として停滞した。しかし,フランスを初めとして対外収支ポジションの悪化に悩む先進国は,政府主導のユーロ資金調達を活発に行った。またほとんど停止されていた東欧地域向け新規クレジットは,83年8月にユーゴスラビア向けクレジットが再開されるなど状況は幾分改善に向かっている。

(国際債市場)

伝統的外債及びユーロ債を含めた国際(注3)債の発行額は,82年に761億ドルと過去最高に達した(第1-4-2表(2))。83年1~8月には累計で前年同期比6.9%減となったものの。ユーロ・クレジットに比較して国際債は順調な発行が続いている。これを発行者の地域別にみると,先進国及び国際機関の発行が好調である。特に後者の発行は,発展途上国を肩代りする形で増加している。また国際債市場では,新種の発行形態をとる債券発行が相次ぎ,ECU(欧州通貨単位)建債,金利スワップ債(注4)も数多く発行された。こうしたことも国際債の発行が好調であった一因とみられる。

3. 米ドル高と欧州通貨の動向

(高水準で推移する米ドル)

1980年央以降上昇を続けてきた米ドルは,82年後半にアメリカの金利低下に伴い82年年末までかなりの低下をみせたものの,83年に入って再び上昇基調をたどった。83年の米ドルの推移をみると,1月から8月にかけては,アメリカの財政赤字の拡大やマネーサプライ(M1)が目標値を上回って推移したことなどから,金利先高感が市場を支配し,上昇基調をたどった。こうした中で,アメリカ,日本,西ドイツ等の通貨当局は,急騰するドルに対して協調介入を実施した。その後,米ドルは9月に入って幾分低下したものの,依然として高水準で推移している。こうしたドル高は,財政赤字を主因として高金利を続けているアメリカヘ資本が引続き流入したことに加えて,国際政情不安の中でドルが避難通貨として選好されたことなどによるものとみられる (第1-4-1図)。

(欧州通貨の動向)

欧州通貨の対ドル相場は,82年8月から12月にかけて一時回復したが,その後はドル独歩高のなかで大幅な下落を強いられた。

EMS内では,82年6月に通貨調整が実施された。しかし,その後も,強い通貨であるドイツ・マルクやオランダ・ギルダーとフランス・フラン,イタリア・リラ等の弱い通貨の間で二極分化が進み,83年3月には再び大規模な通貨調整が実施された(通算7度目の通貨調整)。通貨調整が実施される直前には,フランス・フランに対する大規模な売り投機が生じ,逆にドイツ・マルクには短期資本の流入が顕著となった。通貨調整の結果,ドイツ・マルクはフランス・フランに対して実質8%の切上げとなった(第1-4-2図)。EMSはその後のドル独歩高の中で,ドイツ・マルクがEMSの変動幅内で低位にあったことから比較的落ち着いた推移を示した。しかし,EMSを安定させるための必要条件である参加国の経済パフォーマンス格差の縮小にはまだ相当の時間がかかるものとみられる。

一方,英ポンドは83年前半にイギリスのインフレ低下に伴う同国金利の低下,北海石油価格引下げによる経常収支黒字幅縮小予想等から急落した。しかし,6月の総選挙における保守党の大勝を境として回復し,その後は比較的安定裡に推移している。