昭和58年

年次世界経済報告

世界に広がる景気回復の輪

昭和58年12月20日

経済企画庁


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第1章 1983年の世界経済

第2節 インフレの鎮静化とOPECの原油値下げ

1. 鎮静化した先進国のインフレ

先進諸国のインフレは,各国の金融引締めの強化,世界的な長期不況による実需不振等から,1980年春をピークに鎮静化に転じた。アメリカ,西ドイツ,イギリスでは83年に入って物価は一段と鎮静し,60年代後半以来の低い上昇率となった。一方,フランス,イタリアその他多くの小国ではなおインフレが続いているが,OECD全体では消費者物価の上昇率は5%台と鎮静化してきている (第1-2-1表 及び第1-2-1図)。この物価の鎮静化の原因としては,原油価格の低下,失業率の上昇などによる賃金上昇率の低下,生産の回復に伴う生産性の上昇,更に,80年末以降の一次産品価格の低下などがある。

しかし,83年に入って,アメリカの異常気象等の影響による農産物の値上がり,先進国の景気回復に伴う需要増予想から,非鉄金属等の価格の反発がみられた。また,公共料金の引上げ等もあって,8月以降,鎮静した諸国での物価に下げ止まり感が出てきている。

(鎮静したアメリカのインフレ)

アメリカの消費者物価上昇率は,80年央以降低下してきており,83年4~6月期には前年同期比3.3%と鎮静している(第1-2-1図)。

こうした物価鎮静の原因をみると,その第1は,輸入価格の低下である。

輸入価格は,第2次石油危機の影響で80年1~3月期に前年同月比34.0%と急上昇した。しかし,81年初以降は世界的な長期不況に伴う原油価格及び原料用一次産品の値下がりに,ドル高の効果が加わり,輸入価格の上昇率は鈍化を続けた。その結果,81年10~12月期には同0.8%低下と前年水準を下回り,83年1~3月期には4.9%下落と一段と低下している。

第2は,原油輸入価格の下落を受けたガソリン,灯油等のエネルギー価格の下落である。エネルギー価格は80年に前年比37.9%,81年も同21.6%と大幅に上昇したが,82年には1.2%低下した。更に,83年1~3月には内需不振による1月からのガソリンの値下がり等により前年同期比4.9%低下した。また,4~6月期は3月のOPECの公式販売価格の引下げに伴う値下がり等から同4.7%の下落と続落している。

第3は,食料品価格の安定である。81,82年はおおむね好天で穀物等が2年連続史上最高の豊作となった。このため食料品価格は79年の前年比10.8%の上昇,80,81年の同8%前後の上昇から82年には同4.O%の上昇に落ち着き,83年上半期は前年同期比2.3%の上昇にとどまっている。

第4は,住居費の鎮静である。80年に前年比15.7%と高騰したあと,82年には前記の燃料代等の値下がりや,住宅価格の落ち着き,住宅ローン金利の低下等から同7.2%の上昇と落ち着いた。83年4~6月期は前年同期比2.3%の上昇と一段と鎮静化が進んだ。

第5は,長期の景気停滞による卸売物価や賃金の安定である。完成財卸売物価の上昇率は,80年の前年比13.5%から82年には4.0%に鈍化し,83年上半期は前年同期比0.9%とほぼ横ばいとなった。また,賃金(製造業,時間当たり)上昇率も81年4~6月期の前年同期比11.O%をピークとして低下し,83年1~3月期には4.3%と落ち着いてきた。これには,失業率が82年12月に戦後最高水準となり,一方就業者数が減少傾向を続け,賃金改訂交渉においても賃上げ率が小幅化したことが大きく影響した。

しかし,83年央以降,ガソリン等が値を上げており,また,異常気象により穀物等の農産物が値上がりするなど,今後,消費者物価の上昇率がやや高まる気配をみせている。

(なお高い西欧のインフレ)

西ヨーロッパの消費者物価の上昇率は,80年春をピークとして低下してきている。しかし,83年4~6月期の前年同期比上昇率は,OECD加盟のヨーロッパ諸国では多くの小国の上昇率が高いため,総平均が8.1%とOEC D平均の5.4%を大幅に上回っている。

EC加盟国全体では,82年7~9月期に前年同期比上昇率が一桁台に低下したものの,その後の下落幅は小幅化している。

主要国についてみると,イギリスではポンド相場の低下もあって81年央以降82年央まで輸入価格があまり下落しなかった。しかし,金融引締めの堅持により,消費者物価は80年4~6月期の前年同期比21.6%の上昇から82年4~6月期には同9.3%の上昇と一桁となり,83年4~6月期には同3.8%の上昇と鎮静した。西ドイツは,マルク相場がEMS内で度々切上げられ,EC主要国の中では,輸入価格が82年央以降前年水準を下回る唯一の国であった。このためもあって,消費者物価の前年同期比上昇率は最高でも81年10~12月期の6.5%にとどまり,83年4~6月期には2.8%と鎮静している。しかし,フランス,イタリアでは,為替相場の下落による輸入物価の上昇及び賃金の物価スライド制の影響などもあって上昇率はなお高い。フランスでは,消費者物価上昇率は積極的な景気拡大策により加速した。このため政府は82年7~11月間に賃金・物価凍結を実施した。この結果,上昇率は鈍化し,82年10~12月期以降前年同期比が一桁台に低下した(83年4~6月期同9.0%)。

しかし,その解除後は賃金,諸物価,公共料金等の引上げが続いていることもあって,83年7月以降,前年同月比上昇率は再び高まっている。イタリアでは,フランスより更に上昇率が高い。80年7~9月期の前年同期比21.8%をピークに低下しているものの,83年4~6月期においても同16.3%となお高い水準にある。しかし,不況の深刻化等から小幅ながら低下傾向を続けている。

2. 基準原油価格値下げとOPECの再結束

国際石油市場では,81年以降需給緩和が続いていたが,82年後半からOP EC石油に対する需要が一段と減少した。

こうした中で,83年3月,OPECはロンドン総会で結成以来初めて基準原油価格の値下げ(アラビアン・ライト34ドル/バーレル→29ドル/バーレル)と,全体の生産上限を日量1,750万バーレルとすること(サウジ・アラビアは「スウィング・プロデューサー(供給調整生産国)」となる。)等を決定した (第1-2-2図)。OPECは価格引下げによる需要換起及び供給調整を通じて,石油市場の需給改善に努めた。

83年第3四半期に入り,アメリカでは景気回復から石油需要の回復がみられ,石油市場は需給が改善し,スポット価格もやや上昇した。しかし,ヨーロッパ,日本では需要が減少を続けており,需要回復の速度は緩やかである。また,OPECの生産が,7月以後生産上限を上回っており,国際石油市場の需給は,第4四半期に入り再び緩和しつつある。

以下ではこのようにOPEC石油に対する需要が減少した理由を,まず検討してみることとする。

(OPEC石油に対する需要減少の理由)

80年より減少し始めたOPECの原油生産は,83年2月には日量1,424万バーレル(以下2において,在庫量の水準を示す場合を除き,「日量」を略す)と77年の年間平均生産量の半分以下まで低下した (第1-2-2図)。このように生産が急落した原因として

    ① 消費国の景気後退による消費の減少

    ② 代替,省エネルギーの進展

    ③ 暖  冬

    ④ 非OPEC諸国の増産

    ⑤ 在庫取崩し

    ⑥ 消費国による石油供給源の多角化

等が考えられる。

最初に,消費面をみると,80年から3年にわたった世界的な景気後退は,消費量を減少させた。これに省エネルギーの進展も加わって,一次エネルギー消費は石油換算で毎年100~200万バーレル程度減少した (第1-2-2表)。また,石油代替エネルギーである石炭・原子力は,毎年100万バーレル(石油換算)程度増加している。このような一次エネルギーの減少,代替エネルギーの増加に加え,81,82年の暖冬の影響もあって,石油消費量は,約200万バーレル減少する結果となった。また,81,82年と大幅な在庫取崩しが行われたこともあって,石油生産の減少は,実際の消費の減少より大幅なものとなった。

次に,石油の生産面をみると,非OPECの原油生産は,2回の石油価格上昇により,原油生産コスト面で経済性を獲得したこと,また柔軟な価格政策をとったこと等から毎年100万バーレル程度増加している。国別では,イギリス,メキシコ,ソ連等の増加が目立っている。

また,消費国は,70年代後半のOPEC石油に片寄った輸入構成からの脱却を図り石油供給源の多角化を進めている。このような傾向も,80年からのOPEC原油需要を減少させる要因となっている。最大の石油輸入国であるアメリカの石油輸入国別構成をみると,OPECのシェアは,77年の70.3%をピークとして低下し,82年では42%まで低下している(第1-2-3表)。国別では,サウジ・アラビア,イラン等が急減しており,逆に,非OPECであるイギリス,メキシコが急増している。83年に入ってもこの傾向は続き,OPECのシェアは31.9%へ低下している。地域別では,アメリカの原油輸入先が中南米諸国にシフトしていることもあって中東地域の低下が著しくなっている。

以上の要因が働いた結果,OPECの原油生産は,毎年約400万バーレル減と大幅に減少した。

83年に入り,OPECの原油価格引下げや景気回復による効果からアメリカでは石油消費の回復がみられる。しかし,ヨーロッパ,日本では消費は依然減少している。消費の回復がこのように弱いため短期的には,在庫調整の動向が,石油需給を大きく左右する要因となろう。

(在庫調整とその終了)

在庫の変動をみると,第1次・第2次石油危機に積み上げられた在庫は,81,82年と大幅に取崩されている(第1-2-3図)。この要因として,①在庫過剰感,②原油価格低下予想,③季節要因の変化,等が考えられる。

まず,在庫過剰感からみると,第2次石油危機時の79年には,供給不足予想から100万バーレル以上の積増しが行われた。しかし,80年から消費が減少したこともあり,日数ベースでみた在庫は,79年の88日分から81年上期には108日分と増加し,このため在庫過剰感が生じた。

次に,原油価格の先行指標であるスポット価格をみると,82年初から公式販売価格を下回り,特に82年後半から83年初にかけては,公式販売価格をバーレル当たり6ドルも下回った。このため原油価格低下予想が生じ,在庫評価損を避けるための在庫取崩しを招いている。

最後に,需要の季節変動をみると,79年までは,需要期である冬期と不需要期との需要量の差が800万バーレル程度みられた。しかし,82年には,暖冬の影響もあり約400万バーレルに縮小している (第1-2-3図)。このため,冬期需要に備え,7~9月に積増される在庫量は,以前に比べ少なくてすんだ。また,81,82年には,在庫過剰感も生じていたことから,逆に取崩しさえみられた。

このような結果,80年末のIEAの在庫は32.7億バーレルあったのに対し,82年末では30.9億バーレルまで減少している。

その後,83年に入っても在庫調整は進み,第1四半期で430万バーレル,第212四半期で30万バーレルの取崩しが行われた。その結果,日数ベースでみた在庫は,第2四半期で101日まで低下している。第3四半期に入ると,アメリカでの需要回復,またOPECの供給調整が進み,冬期需要期の供給不足感が生じたこと等から,160万バーレルの積増しがあったと推定され,在庫量も31.O億バーレル(93日分)となっている (第1-2-4表)。

(OPECの対応)

OPECは,石油需要の減少に,石油価格引下げ,供給調整,販路拡大策等で対応している。

まず,OPECは,83年3月のロンドン総会で原油値下げを決定した。その結果,OPEC平均の原油価格は33.01ドル/バーレルから28.63ドル/バーレルへと低下している。同時に供給調整策として,全体の生産上限1,750万バーレル及び国別生産割当を設定した。それに加え,サウジ・アラビアを需要に合わせ生産を調整する「スウィング・プロデューサー」(供給調整生産国)とし,需要が低迷しても,同国の減産により供給過剰の状態は避けられるようにしている。また,イギリス,メキシコ等非OPEC諸国に対し,生産・価格での協調を推進している。

次に,販路拡大策の動きをみてみよう。サウジ・アラビアは,従来のアラムコ,ペトロミンといった販売ルートに加え,ノルベック社等を通じた販売を開始しているといわれている。現在ノルベック社は,サウジ・アラビア原油を,1年未満の短期契約及びスポット市場において20万バーレル程度を販売している。また,クウェートは,83年3月に欧州におけるガルフ・オイルの石油精製施設・販売施設を買収し,海外で直接石油販売を行うことになった。この結果,クウェートの精製能力は約90万バーレル(生産上限割当の80%を超える)となった。ベネズエラ,リビア等でも海外への石油製品販売促進のための計画がある。このようにOPEC諸国は,市場の変化に伴い,生産だけの体制からメジャーのように,生産から製品販売までの総合支配へと政策を転換しつつあるといえよう。

(今後の不安要因)

中東の政治情勢をみると,レバノン紛争,イラン・イラク紛争と予断を許さない状態が続いている。

このたびのレバノン紛争の引金となったのはイスラエルと,レバノンを拠点とするPLOの抗争であった。82年6月イスラエルはPLO掃討のため,レバノン侵攻を開始,9月にはPLOはレバノン撤退を余儀なくされた。83年に入り5月にはイスラエル・レバノン撤兵協定が結ばれたが,イスラエルは同じくレバノンに駐留するシリア軍が撤退しないことを理由に現在でも全面撤退を拒否している。一方,レバノン国内のキスリト教徒民兵及び政府軍と国内左派の間の紛争が8月頃より激化し,アメリカ,フランス等からなる多国籍軍も政府軍を支援して戦闘に参加した。サウジ・アラビア,アメリカの調停もあり9月25日停戦が合意されたが10月23日には多国籍軍であるアメリカ・フランス軍テロ事件が発生,また11月に入ってはレバノン北部でPL Oの内紛が激化するなど事態はいまだ流動的である。

80年9月に戦火が拡大したイラン・イラク紛争は,83年に入っても終了せず,むしろ情勢は一時に比し悪化しつつある。9月に入っても,フランスから新鋭ミサイル「エグゾセ」を搭載可能な戦闘機がイラクヘ近く引き渡されるとの憶測が広まると,イランはホルムズ海峡の閉鎖を示唆した。また,イランの他国石油積出し施設への攻撃も懸念されるなど,事態は緊張の度を増している。アメリカ議会調査局は,仮にホルムズ海峡が82年1月から1年間閉鎖されたと仮定すると,石油不足量は先進7か国の消費量の18~19%(500万~530万バーレル)になり,原油価格は65ドル/バーレル~130ドル/バーレルに達したであろう旨の調査結果を発表(58年9月)している。

このように,大油井地帯である中東の政治情勢は不安定であり,今後の石油情勢を左右する重要な要因として注視しなければならない。

3. 上昇力の弱い一次産品市況

一次産品市況の動向をロイター指数(SDR換算)でみると,80年11月の1,354.8をピークに下落し,83年1月の957.5まで低下したあと,上昇している。

長期にわたる低下の一つの要因は,穀物類,砂糖の豊作,欧米先進国の景気停滞による実需不振から綿花,天然ゴム,牛原皮が値下がりしたためである。また,銅,鉛等の非鉄金属のロンドン相場はほぼ横ばいとなっているが,この間の英ポンドの対SDR相場の下落(23.7%)を考慮すると20%前後低下したことも影響している (第1-2-4図)。

今回の下落期間は26か月に及び,前回の第1次石油危機後の74年3月のピークから75年6月のボトムまでの15か月より長かった。しかし,下落率は今回(19.3%)の方が前回(30.8%)より小幅であった。これは,前回の場合72年6月のボトムからピークまで2.28倍と急騰したあとであったのに対し,今回は,77年8月の底から47.3%の上昇にとどまったあとであることも大きく影響したとみられる。

一方,商品別にみると,以下のような特殊事情が各商品にある。

まず,穀物類,砂糖,綿花等は,80年に世界的な異常気象で熱波,干ばつ,台風それに豪雨等の被害が発生し,80年秋まで相場が急騰した。その後投機の反動安,南半球での豊作予想等から値下がりした。更に,81,82年は2年連続の世界的な豊作となり,82年秋まで低下した。82年10月には,砂糖は72年以来,大豆,とうもろこしが77年以来,小麦は78年以来,綿花は81年以来のそれぞれ安値となった。

その後,穀物類と綿花はアメリカでの減反政策,83年3月末のPIK(現物支給による新減反補償計画)への農家の多数参加による大幅減反等から反発してきた。更に,7月以降のアメリカ中西部での熱波,干ばつ等の影響で値上がりしている。砂糖も83年5月になって世界的な天候不順による減産予想等からやや反発している。

実需不振から低下してきた天然ゴムは,アメリカの自動車生産の回復から,また,牛原皮はオーストラリアでの82年中の熱波,干ばつによると殺増加の反動で輸出が減少したために,83年に入りそれぞれ反発している。

コーヒーは81年7月にブラジルの主産地に霜害が発生,その後の干ばつも加わって82年産の大幅減産が予想され,82年2月まで値上がりした。3月以降やや反落したあとは,ICO(国際コーヒー機構)の輸出割当量の削減等により比較的安定した価格で推移している。

非鉄金属は80年年初来先進国経済の不振から低下傾向(英ポンド相場調整済)をたどってきた。しかし,銅は82年8月に安値感から反発,83年初には先進国景気の回復予想から更に値を上げたが,5月央以降実需不振から値崩れしている。すずの実需は不振であるものの,ITC(国際すず理事会)の積極的な買い支え等により81年央,83年初に値を上げたが,その後値下がりしている。

しかし,亜鉛は需給バランスの改善を背景として,83年央より上昇している。羊毛は,74年に導入されたAWC(オーストラリア羊毛公社)の買い支え価格の度々の引上げ,買い支え等により,先進国,共産圏向け輸出の不振にもかかわらず,引続き値上がりしている。

このように,一次産品市況は,83年に入って異常天候,景気回復等から上昇しているが,夏頃一服ないし下落している商品が少なくなく,上昇力は弱い。