昭和57年
年次世界経済報告
回復への道を求める世界経済
昭和57年12月24日
経済企画庁
第4章 困難深まる発展途上国経済
前節で発展途上国の主として短期的調整策における対外借入れの重要性をみたが,本節ではやや長期的視野から途上国の経済発展と外資の関係についてみる。
外資を流入形態別にみると,まず経済協力によるものが1950年代初頭から世界的規模で開始された。そして西側先進国を中心に開発協力が進められ,その後60年代にはソ連を中心とする共産圏,また70年代にはOPECという賜力の新しい担い手が参加し,協力は一段と活発化した。またこの間協力の目標も安全保障,工業開発,社会基盤整備を含む社会開発,農業開発,基礎生活援助(BHNの充実)等へと多様化した。
次に商業条件による外資流入は,従来からのものに加え,74年以降オイルマネーの還流もあって,途上国の金融市場における借款や起債が盛んになり,短期的な資金の移動も活発となった。
しかしながら多くの途上国で経済困難は深刻化し,また外資の取入れが進んだものの,債務が累積している状況は既にみたとおりである。
一方,先進国では,開発援助の効果について確信が持てなくなったこと等からアメリカを中心にいわゆる「援助疲れ」の現象がみられ,また抑制的な財政政策がとられるようになったこともあって,途上国に対する経済協力のための支出の抑制が一部の国でみられる。
また前節でみたように,民間金融市場でもとりわけ途上国に対する資金移動の困難の高まりと資金の先細りが懸念されるに至っている。
そこで,以下では,①途上国の経済成長と外資の関係,②開発援助委員会(DAC)諸国を中心とする途上国に対する協力の実態,③資金移動の阻害要因の強まるなかでの国際開発金融機関の役割につきみることとする。
途上国の経済発展は他の要因も数多くあるが,各々の国における生産力の拡大が大きな鍵となっている。そしてそのための必要条件のひとつとして,生産要素の投入量の増加とその効率的使用が挙げられる。
一方,途上国において工業化が進まない段階では資本形成のための投資が源泉となる国内貯蓄は一般的に不足気味であり)(第4-3-1図),外資はこの投資と貯蓄とのギャップをうめる役割を果たし,それによって開発初期段階において必要となる資本財輸入及び技術導入が可能となった。
次に外資を含む資本と経済成長との関係をみると,韓国,シンガポール,メキシコ,フィリピン等では外資の取入れが多く,これが経済成長を高めたとみられる(第4-3-2図)。
しかしながら,その他の多くの国では外資の流入が投資を増加させ,その結果成長が高められたという明確な関係は必ずしもみられない。また上述の強い関係を持つ国でも石油危機等の要因もあり時期によってその関係は一定ではない。
そこで以下では途上国の中で1人当りGNPが1981年で780ドルと平均的な水準にあり,工業化も進んでいるものの未だ一次産品輸出のウエートが大きいフィリピンを例にとり,外資と経済成長との関係及びその背後にある経済政策等の変化との関連をみることにする。
1960年以降フィリピンでは相当量の外資が流入したにもかかわらず,輸入増加や必ずしも生産につながらない投資の増加もあって経済成長率は漸減した。
しかし,70年代に入ると外資の流入テンポが加速化する中で,70~81年のGNPの伸びは年率6.1%へと上昇した(第4-3-3図)。石油危機という大きな外部衝撃を考慮ずるとフィリピン経済のパフォーマンスは大いに改善されたといえよう。
こうした背景には,まず,69,70年の対外債務支払由難の危機を経験した後も対外借入れの増加を可能にした政策が挙げられる。すなわち第4-3-1表にみられるように為替レートの変動相場制移行及び輸出奨励等の手段がとられ,また効果的な債務管理が行われるようになった。
また国内面ではIMFの勧告もあって従来の輸入代替工業化政策に変えて,①輸出加工区の設置等による工業の分散化,②比較優位にある労働集約及び一次産品加工分野におげる輸出指向型工業の振興等の方針が打出され一定の成果がみられた。69年から79年の実質GNPが年率6%伸びたのに対し,製造業生産は同7.3%の伸びとなり,総生産に占める製造業の割合も69年の22.3%から,79,80年には25.3%へと高まった。その中でも77年以降主要輸出品目に加わるようになった縫製品の生産拡大は著しく,また繊維産業の総固定資本形成が製造業全体の2倍の伸びをみせるなど労働集約型産業の発展が著しかった。
さらに対外面をみると,生産体系の整備に伴い輸入は消費財のウエイトが漸減する一方,生産財の増加が著しかった(第4-3-4図)。また輸出が増加する中で69年に全輸出先の80%を占めていたアメリカ及び日本への輸出が80年には50%強へと減少する一方,西ヨーロッパ及び日本を除くアジアヘの輸出は15%から32%へ拡大するなど輸出先の多様化がみられた。さらに,製品別にみても半導体の輸出ウエイトが高まるなど輸出品目の多様化もみられた。
以上みたように外貨の経済成長に対する直接的な役割は,短期的にはエネルギー消費の80%強を石油輸入に依存している状況にあって,石油価格急騰による所得の流出によって惹起される外貨不足から輸入を減少させ,ひいては成長を低下させることを防ぎ得たことにある。また中・長期的な観点からは国内の投資,生産及び貿易の構造調整のために必要な裁量の余地を創出し得たことにあるといえよう。
1960年代の国内貯蓄は年率8.7%の増加を示したが,実質GNPに対する比率は14~17%台で推移し,すう勢的に高まったとはいえない(第4-3-5図)。しかし70年代に入ると国内貯蓄は70年から80年まで年率7.7%で増加し,実質GNPに対する比率も80年には25%と総固定資本形成の対GNP比率とほぼ同水準にまで達したほか,限界貯蓄性向も相当の高まりをみせた。さらに,資本増加額に対する生産増加額の比率は,60~69年間の24.3%から70~79年間には23.7%へとやや低下する一方で,外資流入額に対する生産増加額の比率は,21.4%から22.0%へと高まりをみせ,外資流入と成長の関係がみられはじめる。
このような動きの背景にはまず財政構造の変化がある。たとえばGDPに対する租税収入の割合は69年の9%から80年には13%へと増加した。このため,税収は政府消費を大きく上回り,公的借入れは主として投資に向けられた(第4-3-6図)。
貯蓄面でも低金利政策の継続にもかかわらず,企業及び家計における貯蓄は70年央から増加を続けた。しかしGDPに対する貯蓄比率は79年以降停滞をみせている。
以上みたように70年以降の外資はそれほど顕著な貯蓄性向の低下をもたらさなくなり,国内の投資に向ったといえよう。
もっとも輸入代替産業に対する資本財輸入関税の減免,設備の加速度償却等の優遇措置が未だ続けられ,輸出奨励策とは不整合な面が残っており,これは今後生産投資の拡大に関する改善の余地を残していることを意味する。
また82年の輸出をみると,世界需要の停滞もあって砂糖・銅・ココナッツなど一次産品加工製品の輸出が低迷し,1~6月期の前年同期比では9.9%の減少をみた。またデット・サービス・レシオについても80年18.2%から81年の22.6%へと拡大し,82年には一層大きくなることが予想され,IMFでは82年の対外借入れを前年比20%減程度に抑えること等を勧告している。
これまでにみたように,外貨が経済成長の促進に寄与するには,①生産を拡大し,輸出所得を増大させるよう適切な投資配分及びそれらと整合的な内需の拡大が図られること,②輸出努力と同時に市場開放努力が払われること,③国内の所得が貯蓄に向うような政策がとられること等が不可欠である。また以上にも増して経済開発のための社会基盤整備,教育の充実等の成長の初期条件が改善されることが重要であるのはいうまでもない。
そして以上のような努力がなされてはじめて先進国からの経済協力の拡大とその効果も期持できよう。
1970年代後半まで順調に拡大を続けてきた途上国に対する経済協力は81年にはDAC加盟国の政府開発援助(ODA)が減少するなど,その基調に大きな変化の兆しがみられたといえよう。
すなわち,DAC諸国から途上国への経済協力を資金の流れ(純支出額ベース)でみると,81年には総額879億ドルで前年に比べ名目で15.3%,実質では18.7%の増加がみられたが,そのうち協力の姿勢を端的に示すとみられるODAは,ドル高もあって約256億ドルと名目でも前年比6.6%減少した(第4-3-7図)。またこの状況をDAC諸国全体のGNPに占めるODAの比率でみても,国連において合意され各国が受諾した(アメリカとスイスは除く)0.7%目標(到達時期は国によって異る)を下回り,80年の0.38%から81年には0.35%へと低下した。またODA中の二国間比率(援助及び被援助国の二国間の政府ベースによる援助)は80年には約66%であったが,一部先進国の二国間安全保障重視もあって国際開発金融機関への拠出が減少し,81年に71.3%へと高まった。多くの先進国政府がインフレ鎮静化のため抑制的な財政政策を採り,緊縮的な予算を編成し,これが途上国に対する援助政策に少なからぬ影響を与えているといえる。
次に民間ベースの資金の流れをみると,ここでも構造変化がみられる。すなわち81年の総額としては前年に比べ名目で27.3%増加して約556億ドルと全体の6割に達したが,この中で途上国に対する輸出信用供与は約104億ドルと前年比17%近く減少した( 第4-3-8図 )。この結果,輸出信用は途上国の借款が増加したこともあって民間資金全体に占める割合でも従来の30%台から19%へと大きく低下した(第4-3-8図)。輸出信用は100か国余りの途上国に供与されており,その減少はこれら諸国の国内需要の停滞と国際収支赤字の調整策としての輸入制限の結果とみられる。
以上のように途上国が一次産品価格の低落,世界貿易の停滞等から既にみた調整策の一環として経済開発計画の減速化を余儀なくされている中で,先進国では国毎に経済協力に対する基本姿勢は異るものの,経済困難の高まりもあって,総じてODA供与の大幅な増大が困難な状況にあるといえよう。
上にみたように81年のDAC諸国によるODAは減少し,また82年に入って国際金融市場でも資金の先細りが懸念される中で,途上国の対外借入れが抑制される傾向がみられる。このような状況下,途上国経済発展のために国際開発金融機関の果たす役割が期待される。
開発資金の量的制約について国際開発金融機関の場合をみてみよう。
国際開発金融機関は大別すると,①国連の専門機関である世界銀行(国際復興開発銀行,IBRD),国際開発協会(第二世銀,IDA),国際金融公社(IFC)などの他,②地域開発金融機関と総称されるアジア開発銀行(AsDB),米州開発銀行(IBS),アフリカ開発銀行(AfDB)等あるいは,③イスラム開発銀行(IsDB)等の機関にわけられる。
ここでは代表的な機関である世界銀行と工DAの82年度における貸付約定額をみると,世界銀行の貸付が前年度比17.3%増加して約103億ドルとなったのに対し,IDAでは前年度比22.9%減少して26億ドルとなった。
この相達は主として両者の資金制約度合の差によるものである。すなわちIDAでは第6次増資(81~83年度の3年間に120億ドル〔91.5億SDR])につき,アメリカ以外の24か国の発効前拠出があったにも拘らず,①増資決議の発効が約1年間遅れたことに伴い払込み期間が4年間に延びたこと,②アメリカの拠出方法変更(3回均等払いを4回逓増払い〔テール・ヘビー]方式に変更)及び③それに対応した各国拠出の分担比例方式にもとずく減額により融資権限枠が不足し,工DAの融資活動の停滞をみた。
既にみたような公的援助や多国間援助機関の資金制約に加えて,82年に入りこれまで潤沢な資金の出し手であったOPECの一部の国々が国際金融市場からの資金調達を増加させたほか,これらの国で経常収支の赤字化が予想されるところから途上国への資金の流動性不足が懸念されている。
このような状況にあって世界銀行を中心に,途上国の資金調達を容易にする方法が検討され,その一部ば既に実施されている。まず既に実施されているものは,①世界銀行の中・長期債の発行による資金調達,②世界銀行の短期借入れの実施,③増資に対する応募未了国への要請,④公的機関だけでなく民間機関との協調融資の促進,⑤投資環境の改善・強化のための国際投資紛争解決センター(ICSID)の活動強化及び「国家と他の国家との間の投資紛争解決条約」批准促進,⑥借入者の負担公平化のための貸付金利の世界銀行平均借入コストによる調整である。また現在検討中のものに,①民間資金の流れを刺激するための国際投資保険機構の設立及び②IDAの第6次増資の不足分を賄うためのIDA84年度における追加的拠出,特別基金の設置及び第7次増資等がある。
そして国際開発金融機関はこれらの施策の適切な選択と実行により財政困難等の諸課題を克服し,同時にそれらが持つ高いプロジェクト審査能力等を通じ民間資本の呼び水となることが期待される。
また,こうして途上国への資金の先細り傾向が解決され,その効率的な活用によって途上国経済が発展し,それがひいては先進国経済の活性化にも資する事が期待される。