昭和57年

年次世界経済報告

回復への道を求める世界経済 

昭和57年12月24日

経済企画庁


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第4章 困難深まる発展途上国経済

第1節 第2次石油危機後の経済困難の実態と原因

発展途上国経済は,第1章第6節でみたように全般に極めて困難な情勢下にある。以下では,やや長期的視野に立って,まず,途上国経済の困難の実態を国内面に絞って概観し,続いてそうした困難をもたらした原因について検討する。なお,途上国の国際収支と債務累積問題については,第2節において詳しくみることとする。

1. 経済困難の実態

(1) 不振に陥った生産

(1人当りGDPは50年代末以来初めて減少)

発展途上国の実質GDP成長率は,国連推計によると,1960年代の年平均5.7%から70年代には同6.0%へと高まった。先進工業国の同成長率が60年代の年平均5.7%から70年代には石油危機によって同4.2%へと低下したのとは著しい対照をみせた。しかし,80年代に入ると途上国の成長率も目立って低下している。実質GDP成長率は,80年に前年比2.9%,81年は同0.6%と極めて低い水準に止まった。このため81年の途上国の1人当りGDPは1950年代来以来初めて実質で前年を下回った。

(低成長の広まり)

とはいえ,発展途上国の経済動向は国により地域によりさまざまである。そこで,途上国をIMFにならって,第4-1-1表のように所得水準,経済構造等の面で共通な特質を持つグループに分けて( 付注1-1 参照)その経済動向をみてみよう。

産油国の実質GDPは,世界的需要減退による石油部門の減産のため1980年前年比2.7%減,81年同4.6%減と連続減少した。第1次石油危機後の75年にも石油の減産によって実質GDPは前年比0.3%減少したが,今回ほど長く大幅なものではなかった。

非産油途上国(中国を除く)の実質GDP成長率は第2次石油危機が始まった70年代末から鈍化し,81年には前年比2.5%と第2次石油危機直前の78年の同5.5%の半分以下となった。また,これは第1次石油危機後の75の値を1.4%ポイント下回り,今回の景気停滞の深刻さを窺わせる。さらに非産油途上国の各グループをみると,純石油輸出国では,石油価格高騰の恩恵を受けて第2次石油危機時にはむしろ成長率が高まる傾向がみられた。もっとも,最近の石油需給の緩和は,産油国と同様に純石油輸出国にも困難をもたらしている。これにひきかえ,非産油途上国の中でも石油を輸入に頼らなければならない国の経済は石油価格の高騰によって少なからぬ影響を受けている。とりわけ,工業品主要輸出国では,第2次石油危機の影響が最も顕著であり,成長率は79年の6.3%から81年のマイナス0.2%へと急激に低下した。

また,主として一次産品を輸出するその他の石油輸入国の成長率も第2次石油危機を境に5%台から3%台へと目立って鈍化した。一方,低所得国では第2次石油危機の始まった79年にほぼゼロ成長となったものの,その後は成長率は低いながらも徐々に高まった。他のグループ同様,低所得国にとっても石油危機は大きな痛手となったものの,このグループは経済の一次産品部門への依存,とりわけ農業への依存が大きく,経済成長率は農業生産動向に大きく左右された。

(南北所得格差の拡大)

世界銀行の推計によると,途上国全体(高所得石油輸出国を除く)の1人当りGNPは1980年に730ドルと先進国の1人当りGNPの僅か6.9%であった(第4-1-2表)。一方,南の各グループについて1人当りGNPをみると,80年には高所得石油輸出国が11,080ドル,中所得国1,580ドル,低所得国260ドルと途上国内部でも資源の偏在,経済パフォーマンスの違い等によって所得格差は歴然としている。

そうした中,発展途上国の1人当りGNPの伸びは1981年に前年比0.2%と先進国の0.7%を下回り,南北所得格差は再び拡大した。

(製造業生産も減少)

発展途上国の成長率が第2次石油危機時から目立って鈍化しているのは,これまで成長の牽引力となっていた鉱工業部門の不振によるところも大きい。第4-1-1図にみられるように,途上国の鉱工業生産は第1次石油危機後の1975年に鉱業の著しい低下のため前年比4.1%減少した後,急速に回復,拡大した。しかし,第2次石油危機の発生により鉱工業生産は80年前年比0.7%減,81年同0.3%減と再び減少した。第1次危機時と同様石油部門を中心に鉱業が需要減退を反映して落ち込んだほか,今回は製造業生産も,石油危機とその後の景気停滞の長期化によって初めて減少した。

(経済成長を下支えした農業)

2度の石油危機とそれに伴う世界景気の停滞は,途上国経済への重圧となっている。そうした中で,第4-1-2図にみられるように,農業生産が比較的順調に推移したことは,途上国経済の拡大の下支えとなった。途上国の農業生産は,1970年代初に不作が続き,このため食糧危機が叫ばれ,また農産品価格高騰の原因となった。しかし,その後は天候に恵まれたことや多収量品種の普及などによって生産は上昇傾向をたどった。順調な農業生産の増加は,所得の増加のみならずインフレや貿易収支にも良い影響をもたらした。

とはいえ,途上国の全ての地域で農業生産が順調であったとはいえない。

アフリカ地域の農業生産は,過去10年ほどの間に2割程度の増加しかみていない。このため1人当りの農業生産は1971~80年に年平均1.1%の減少をみた。この地域の多くの人々が絶対的貧困に苦しみ,満足な栄養摂取もできない状態にあることを考えれば,1人当りの農業生産が減少を続けていることは極めて深刻な事態といえよう。

(2) 執拗なインフレの持続

(再び悪化したインフレ)

発展途上国のインフレは,第4-1-3図にみられるように第2次石油危機によって多くの国で悪化した。

これをグループ別にみると産油国の平均消費者物価上昇率は,第2次石油危機によってやや高まりはしたものの,先進国や非産油途上国のように悪化はしなかった。しかし,消費者物価上昇率は平均して二桁の高水準にあり,インフレ改善は緩慢である。

他方,非産油途上国の消費者物価上昇率は第2次石油危機によって急速に高まり,1978年の20%から80年には32%まで上昇した。81年には石油価格が軟化し,また多くの国でインフレ抑制に向けた安定化政策がとられたにもかかわらず,消費者物価上昇率は80年に比べて1%ポイントしか低下しなかった。もっとも,80年,81年の高水準インフレと78年から80年にかけての消費者物価上昇率の急速な高まりは,ブラジル,アルゼンチン等の一部の主要非産油途上国のインフレ悪化を反映している。そこで,中央値(メディアン,対象を大きさの順に並べ中央に位するものの数値)で非産油途上国のインフレをみれば,消費者物価上昇率は78年の9.5%から80年には15%へと高まり,81年には加重平均消費者物価上昇率と同様に1%ポイントしか低下しなかった。これによっても,第2次石油危機によるインフレ悪化が広汎なものであったことがわかる。

第2次石油危機による非産油途上国のインフレを第1次石油危機時の水準と比べると,1980・81年の年平均消費者物価上昇率は74・75年のそれを9%ポイント上回った。しかし,これは既に述べた一部の主要非産油途上国のインフレ悪化を反映したものであり,中央値では80・81年の方が74・75年を2%ポイント下回っている。

(3) 雇用問題の深刻化

発展途上国がその貧困を克服し,生活水準の向上を図るためには増大する労働力を雇用へと吸収していかなければならない。しかも途上国では人口増加率が非常に高く,加えて工業化と農村の疲弊によって農村人口が都市に流入して失業者・不完全就業層を形成しており,このため都市部を中心に雇用拡大への要請が極めて強い。

ところで工業部門が先導した途上国の高目の経済成長はそうした労働力増大の圧力をある程度緩和する役割を果してきたとみられ,第1次石油危機後も途上国が成長率をあまり落とさなかったのも雇用問題の深刻化を招かないための政策的配慮があったためと考えられる。

しかし,第2次石油危機後の途上国を取り巻く経済環境は低成長を避けえないものとし,このため雇用問題は再び重大化している。輸出の低迷,経常収支改善のための輸入抑制,さらにはインフレ抑制のための金融引締めは途上国の近代的製造業部門を停滞させ,1981年には多くの国で都市部の失業を増大させた。80年末と81年末の失業率を比較すると,例えばブラジルのリオ・デ・ジャネイロでは6.5%から8.3%へ,サンパウロでは4.4%から6.0%へ,チリのサンチャゴでも10.7%から13.5%へと悪化している。また,幾つかの国では,非農業部門の雇用が絶対数でも減少したといわれる。

2. 経済困難の原因

(1) 2度の石油危機の影響

(前回とほぼ同規模となった第2次石油危機の衝撃)

石油価格の突然の大幅な上昇という石油危機の衝撃は,先進国経済に対すると同様に石油を輸入しなければならない多くの非産油途上国経済にデフレ効果と物価上昇圧力(インフレ効果)の双方をもたらした。

今,石油危機による非産油途上国経済に対する一次的デフレ効果を石油純輸入額の変化でみれば第4-1-3表のようになる。前回危機時(73・74年)の石油純輸入額の増加分,すなわち石油危機による所得流出額は石油価格の上昇の推移から大まかにみると100億ドル余りであったとみられる(73年の所得流出額は確定できないが,前回の石油危機は72年末から石油価格が徐々に上昇し,73年末に急騰したことを考えれば,それはそれほど大きなものではなかったと考えられる)。これに対して今回(79・80年)は193億ドルと前回の約2倍に拡大した。しかし,これを前年の名目GNPに対する比率でみると,前回と今回では大きな差はなく非産油途上国経済への石油危機の衝撃は今回も前回とほぼ同程度であったとみられる。

他方,第4-1-3図にみられるように,非産油途上国の物価は石油危機後に目立って上昇しており,先進国と同様に石油価格の動向に大きく影響されたとみてよいであろう。

(第1次石油危機の調整途上で発生した第2次石油危機)

非産油途上国,とりわけその中でも相対的に工業化の進んだ国は,第1次石油危機で先進国以上の衝撃を受けたが,先進国とは違った対応をとり,その困難な事態をうまく切り抜けた。既にみたように,第1次石油危機後,非産油途上国は,先進国のように成長率を急速に低下させることはなかった。また,石油危機による所得流出で貯蓄・投資ギャップが拡大したにもかかわらず対外借り入れを増やすことで投資率は逆に高まり,これがさらに成長を促した。

インフレや経常収支赤字もある程度の改善をみた。しかし,幾つかの点で非産油途上国の経済調整には問題があったとみられる。

第1は,石油輸入依存度を低下させることが出来なかったことである。非産油途上国経済の対外石油依存度は,第4-1-4図にみられるように石油危機後に急速に高まっている。

第2は,インフレ体質が十分には克服されなかったことである。特に主要工業品輸出国での高率インフレは安定的な経済発展を困難にしている。

第3は,経常収支赤字が縮小したものの,均衡とは程遠い状態にあり,このため対外債務を累積させる結果となったことである。

こうした,いわば第1次石油危機の後遺症が癒えない段階で非産油途上国経済は新たな石油危機に遭遇した。それだけに,第2次石油危機は非産油途上国経済にとって苦痛であった。

(2) 先進国の景気停滞の影響

(途上国産品の需要減退と保護主義の動き)

発展途上国経済が長期的にみて順調に発展してきたひとつの要因は,貿易拡大を通じて国際分業の利益にあずかってきたことである。途上国の輸出額の対GNP比率は,1960年の19%から80年には31%へと高まった。そうした中でも先進国との取引きの比重は大きく,80年で輸出の70%,輸入の63%が先進国との取引きで占められている。このため,世界景気の動向,とりわけ先進国の景気動向は途上国経済に大きな影響を及ぼす。

第2次石油危機後の先進国の景気停滞の長期化は,途上国の輸出産品への需要を減少させ,途上国の輸出拡大を困難にしている。

また,先進国では景気停滞等から途上国の輸出拡大にとって重要な伝統的な産業分野のみならず,資本集約的な産業分野に対しても不安を抱かせるような保護主義的な動きもみられ,途上国の輸出環境は一層悪化している。

(再び減少に転じた途上国の対先進国輪出)

先進国の景気停滞による需要減退と保護主義への動きに加えて,後述する一次産品価格の低落を反映して, 第4-1-5図 にみられるように発展途上国の先進国(OECD諸国)向け輸出は1981年初より減少傾向にある。第1次石油危機後の75年にも先進国の景気後退と一次産品価格の下落から輸出は減少したが,その期間は3四半期と短かった。しかし,今回は先進国の景気停滞が長期化しており,途上国にとって一層厳しい情勢にある。

(3) 一次産品価格下落の影響

(低迷する一次産品価格)

発展途上国の輸出所得に大きな影響を与える一次産品価格は,第4-1-6図にみられるように1980年をピークに81年には急激に下落し,82年もさらに下落を続けている。また,一次産品の価格を先進国の工業品輸出価格との相対価格(交易条件)でみると,第4-1-6図にみられるように81年,82年(8月)と第1次石油危機後の最も低かった75年の水準を割り込み,ここ四半世紀で最も低い水準へと落ち込んでいる。

一次産品価格の低落の要因としては,①世界的な景気停滞による需要減少,②生産過剰とそれに伴う市場獲得競争の激化,③高金利による在庫負担増大を避けるための在庫の放出,④世界的高金利に伴う余剰資金の実物資産から金融資産へのシフト,⑤さらに長期的にみれば,代替品の出現,嗜好の変化等による需要構造の変化等があり,これらが重って現下の一次産品価格の記録的低落をもたらしている。

(非産油途上国の交易条件悪化の継続)

こうした一次産品価格の低落の影響を強く受けて,第4-1-7図にみられるように一次産品輸出の多い非産油途上国の中のその他の石油輸入国,低所得国の交易条件の大幅な悪化が続いている。1978年から81年までの交易条件の悪化を累積すると工業品主要輸出国で9.5%,その他石油輸入国で22.6%,低所得国に至っては33.5%の悪化となった。

そして,こうした交易条件の悪化が,第2節でみるように,非産油途上国の経常収支赤字の一因となっている。

(4) 経済政策の影響

(困難を助長した非産油途上国の拡張的財政・金融政策)

非産油途上国の近年の経済困難は,その多くが外的要因にもとづくとみられるものの,その一方で,そうした経済困難を助長するような経済政策による影響も大きかった。

多くの発展途上国では開発促進を重視し,拡張的な経済政策を実施してきたが,問題はインフレを加速させ,対外ポジションを悪化させるような政策が続いたことである。

IMFによれば,第2次石油危機後も多くの非産油途上国で過度の国内需要を惹起するような拡張的な財政・金融政策がとられた。非産油途上国(中国を除く)の財政赤字の対GDP比は,中央値で1974・75年の3%から76・79年には4%,そして81年には6%へと高まっている。非産油途上国では,国債等の政府資金調達の市場が狭く,民間貯蓄も限られているので巨額の財政赤字はしばしば通貨の増加の原因となった。さらに,こうした財政赤字の拡大とそれに伴う通貨の膨張は,変動相場制をとっている国では為替レートの切り下げとインフレの悪循環を生じさせた。他方,固定相場制をとっている国では相対価格の歪みが生じ,輸出産業や輸入競合産業を困難へと導いた。いずれにせよ過度の拡張的な財政・金融政策が維持されたことで,第2次石油危機で悪化した非産油途上国のインフレや対外ポジションはさらに悪い方向に向ったものとみられる。

(慎重化した産油国の経済政策)

産油国では,1979年以降の石油価格の大幅引き上げによる石油収入の新たな大幅増加を背景に,大半の国で79年末から80年にかけて政府支出が増加するなど,それまでの緊縮策から拡張策への転換がみられた。また,一部の国では,金融政策の緩和が財政拡張策を補強した。しかし,そうした経済拡張策への転換も73・74年の石油価格大幅引き上げ後にみられたような拡張策への転換に比べると概して穏やかなものであった。前回は急激な拡張策に転じたことによって,非石油部門の急成長がみられたものの,供給面での隘路が表面化し,またインフレも悪化し,さらに一部の国では外人労働者への依存度が上昇したこと等によって社会的緊張の高まりがみられた。今回は,拡張策に転じてもこうした経験に照らして,供給面の隘路発生やインフレ悪化を招かないような慎重な政策姿勢がとられた。

さらに,81年に入ると石油市況の軟化を背景として,一部の国では石油収入の減少に合せて政府支出の伸びを抑制する傾向がみられ,こうした傾向は,82年になってさらに強まり財政困難に陥っている国もでてきている。