昭和57年

年次世界経済報告

回復への道を求める世界経済 

昭和57年12月24日

経済企画庁


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第1章 1982年の世界経済

第1節 回復の遅れる先進国経済

世界的な高金利と多くの国の抑制的な財政政策の影響から,82年の世界景気は同時停滞を強めている。

最近の先進国経済をみると,アメリカでは80年夏以降回復に転じた景気が,81年夏から再び後退局面に入り,依然として景気回復の確かな兆しがみられない。西ヨーロッパ経済も81年後半に底入れしたものの,その後の回復力は極めて弱く,82年に入ってから一段と停滞を強めている(第1-1-1表および第1-1-1図)。

この結果,欧米諸国の経済動向を中期的にみると,第2次石油危機後の80~82年の3年間にわたって,景気停滞が続いている。

このように,世界の景気停滞が長期化し,回復が遅れている最大の原因は,①アメリカで異常に高い長期実質金利水準が長期間続いていること,②世界の多くの国で財政支出,財政赤字の削減策が実施され,抑制的に財政が運営されていることである。このため,高金利の影響を受げやすい設備投資,住宅投資を中心とした内需の不振が続いているほか,世界経済の同時的停滞から輸出も減少に転じている。また,景気停滞の長期化に伴って,失業が記録的水準に達するなど,世界経済はきびしい情勢に直面している。

1. 後退を続けたアメリカ経済

(アメリカの景気の足どり)

80年7~9月期から回復過程に入ったアメリカ経済は,高金利が長期化するに伴って,81年8月以降再び後退局面に入った。高金利の影響から乗用車販売,住宅着工等が急速に減少したため,鉱工業生産が81年8月から減少に転じたほか,実質GNPが81年10~12月期,82年1~3月期と2期連続して前期比年率5%強も減少した。その後,在庫調整の進展,個人消費の底固さ,住宅投資のゆるやかな増加から,実質GNPは4~6月期に同2.1%増,7~9月期も同0%(第一次改定値)となった(第1-1-2表)。

しかし,82年初来金利がゆるやかな低下傾向にあるものの,依然として高水準の実質長期金利が続いているため,設備投資が大幅に減少しているほか,乗用車販売,住宅着工の回復基調も極めて緩慢であり,加えてドル高から輸出が大幅に減少している。

このように,今回の景気後退の初期には,乗用車販売,住宅投資,純輸出が減少し,81年末から82年初にかけて在庫投資の減少が景気後退の主役となったが,その後は設備投資,純輸出が景気を引き下げる要因として働いた(第1-1-2図)。

このような需要の動きを反映して,鉱工業生産の減少幅が次第に小さくなりつつあるが,1年半も減少期間が続いている。

この結果,第2次石油危機後の実質GNPは80年0.4%減,81年1.9%増のあと,82年1.5%程度減少するとみられ,中期的にみると,アメリカ経済は3年間にわたってほぼゼロ成長が続き,長期停滞色が強まった。このため,失業率が42年ぶりに2ケタ台へ上昇したほか,製造業稼働率も第1次石油危機後の後退期の水準を更に下回るなど,経済情勢が悪化している。

(長びいた景気後退の原因)

景気を後退させた需要要因は景気後退の時期によって異なっていたが,大方の予想に反して今回の景気後退を長びかせた原因はいくつか考えられる。

その第1は高水準の金利,特に実質長期金利が長期間続いていることである。このため,81年末に底に達した乗用車販売と住宅着工の回復テンポが過去における回復パターンと著しく異なり,極めてゆるやかであるほか,民間設備投資が期を追って悪化した。

景気後退とインフレ低下による名目需要の鈍化を反映して,金利は低下傾向にある。81年7月に20.5%に達したプライム・レートは,82年11月には11.5%へ低下したほか,連銀も公定歩合を81年10月14.0%から8回にわたり引下げを行い,82年11月には9.0%となった。これに対し,長期金利(Aaa社債利回り)も低下傾向にあるが,その低下幅は短期金利よりも小さく,81年7月の14.4%から82年10月12.1%への低下にとどまっている。加えて,将来の予想財政赤字の大幅拡大によるクラウディングアウトの懸念もあって,長期の実質金利(=長期名目金利=消費者物価上昇率)が高水準になっている。長期の実質金利は,80年代に入ってから急速に上昇し,景気後退局面に入った81年8月の4.0%から82年1月7.6%へ上昇したあと,その後8%程度の高水準が続いている。このように長期の実質金利が6%を超えたのは戦後初めてである。このような高水準の実質長期金利が乗用車販売,住宅着工の本格的回復を遅らせると同時に,民間設備投資を減少させた最大の原因である(第1-1-3図)。

第2は,大幅個人減税の実施が本格的な景気回復のテコになるとみられていたが,個人消費の下支えの要因にとどまったことである。個人減税は,81年10月の限界税率一律5%の引下げにつづいて,82年7月に一律10%引下げられた。特に,7月実施の個人減税は年率約330億ドル(国民所得統計ベース,商務省推計値による)で個人可処分所得の1.5%程度に相当する大規模なものであった。しかし,失業増加等の経済情勢の悪化から,個人所得が低い伸びにとどまった(82年7~9月期1.8%増)ほか,個人貯蓄率が7~9月期7.0%へと僅か上昇したため,実質個人消費が7~9月期年率1.1%の増加にとどまった。

第3は,高金利等によるドル高の長期化に伴って,純輸出(=輸出―輸入)が依然として減少しつづけていることである。81年末から再び高騰した米ドルの影響から,輸出の減少傾向が目立っており,このため実質純輸出が景気のマイナス要因に働いている。

こうした中で,レーガン政権は引続き経済再生計画にもとづいて経済運営を行なっている。財政赤字の削減を図るため,82年8月に保健・福祉関係費を中心とする歳出削減(83~85年度175億ドル)と不公正税制改正を主体とした増収策(83~85年度983億ドル)からなる法案が議会で成立した。しかし財政赤字は82年度の1107億ドルから83年度1550億ドル(議会予算局見通し)へ拡大すると予想され,財政赤字の削減が重要な課題となっている。他方,金融面では,連銀のマネー・サプライ管理政策は,82年10~12月期に,81年10月導入の1年もの非課税貯蓄証書の満期による預金増からM1が目標値を一時的に上回ることを容認したものの,中期的にはM1目標値2.5~5.5%内で,マネーサ・プライの増加テンポを鈍化させる方針が貫かれている。

政府は,83年には,本格的な景気回復に入り,4%程度の経済成長率という強気の見通しを打ち出している。これに対し,景気はなお当面停滞が続き,自律的な回復力は弱いとする見方も多く,アメリカの景気のゆくえが注目されている。

(深刻なカナダの景気後退)

カナダでは,81年央以降景気後退が続いている。82年4~6月期の実質GNPは4四半期連続して減少し,前年同期比6.2%減と戦後最大の落ち込みを記録した。

これは,高金利等を背景とした個人消費,民間住宅投資の減少,石油価格軟化等によるエネルギー開発,大規模投資計画の延期,中止を中心とした民間設備投資の急減,大幅な在庫べらしなどに起因したものである。

7月の鉱工業生産は81年6月のピーク比16.0%の大幅減となったほか,失業率も81年4~6月期平均7.1%から82年10月には12.7%ど戦後最高の水準となった。

一方,高水準を続けてきた物価上昇率は,81年央以降やや鈍化傾向をみせており,貿易収支は輸出が伸び悩んでいるが,輸入の減少から改善し,82年4~6月期の経常収支黒字は5.9億加ドルと戦後最高を記録した。

このように大幅かつ急速な景気後退が進行する中で,政府は年度途上の6月末,雇用確保,中小企業救済,住宅建設促進等の部分的な景気刺激策と,連邦公務員等の賃上げ制限によるインフレ抑制策を骨子とする新予算を発表した。こうした景気後退や歳出増から82年度(4~3月)の財政赤字見通しは,当初予算の105億加ドルから236億加ドルヘ倍増している。こうした中で大蔵大臣は10月末の議会において来る83年度予算編成では支出洗い直しにより,雇用対策,住宅対策,輸送対策を推進するものの,従来通り歳出抑制の堅持を図ると表明した。

2. きわめて回復力の弱い西ヨーロッパ経済

西ヨーロッパ諸国の景気は81年後半に底入れしたとみられるものの,消費,投資の停滞等からその後の回復力はきわめて弱い。EC経済をみると,81年の実質GNPは0.6%減少したあと,82年1~3月期1.2%増,82年4~6月期に外需の減少等から1.1%減と低迷が続き,雇用情勢の悪化が続いている(第1-1-3表)。

(景気回復力の鈍いイギリス経済)

イギリスの景気後退は81年央にようやく底入れしたものの,その後の回復力は弱く,82年に入ってからも一進一退を続けている。実質GDP(生産ベース)でみると,80年の2.9%減少の後,81年上期には前期比年率2.5%減,下期同1.5%増(81年平均は2.4%減),82年上期は同0.4%減と,過去1年間ほぼ横ばいとなっている(第1-1-4表)。

景気回復力が弱いのは,①底入れを支えた在庫削減が積み増しに転じる力が弱いこと,②内需の盛り上がりがみられず,輸出も非石油輸出を中心に減少していることによる。固定投資は,流通サービス業,民間住宅の立直りもあって,81年後半から82年初に急増したものの,その後は再び停滞傾向にある。とくに製造業設備投資は,金利の低下がみられるものの,景気回復のおくれ,稼働率の低水準,利潤率の低さ,受注減などから依然として減少している。また,個人消費はインフレ率の鈍化にもかかわらず,賃上げ率の鈍化,雇用減などから実質可処分所得が低下を続けているため基調が弱く,79年下期以来ほぼ横ばいを続けてきた。しかし,82年夏以降は賦払信用規制の撤廃,ローン金利の低下などから増加している。非石油工業品輸出数量は82年に入って世界貿易が一段と悪化するなかで,ポンド相場が相対的に堅調なこともあって減少傾向にある。

一方,賃金上昇率はこの間に12%台から9%台に鈍化しており,消費者物価上昇率も,11.7%から7.3%に鈍化した(いずれも9月の前年同月比)。

経済政策のスタンスは引続き引締め基調を維持しているものの,金融面では,マネー・サプライの伸びの目標を82年度について年率8~12%に引上げたほか(改訂前は5~9%),81年8月以降,新金融調整方式の下で,買いオペによる積極的金利引下げを随時誘導している。このため,市中銀行の貸出し基準レートも81年10月以来通算14回累計7%引下げられて9%(11月5日)となった。

82年11月の政府見通しによれば,82年の経済成長は投資の回復が遅れ,輸出が減少するため実績見通しは実質0.5%増にとどまっている。83年度については,歳出規模は抑制するものの,国民保険料の使用者追加負担の引下げなど減税も予定されており,個人消費の増加(実質2.5%増)を中心に総固定資本形成の増加(同5%増)なども加わり,実質1.5%の成長が見込まれている。

(景気停滞色を一層強めた西ドイツ経済)

西ドイツ経済は,80年4~6月期以降2年間の景気停滞状態のあと,82年夏から停滞色を一層強めている。これは,消費,投資等内需の不振に加え,景気支持要因となってきた外需が82年春以来減少に転じたことによる。

個人消費は実質可処分所得の減少,高金利等による貯蓄率の上昇等から81年初来減少傾向にある。

固定投資は80年初来減少傾向にある。82年に入ってからも,労働コスト上昇率の鈍化,金利の低下,投資補助金の実施などにもかかわらず稼働率の低下や企業倒産の増加を背景に企業の投資意欲は盛上りをみせていない。しかし,住宅建築については81年末に底入れした後,82年初来持直している。

第1-1-5表 西ドイツの需要項目等の動向

81年中景気支持要因となった輸出は,82年春以降減少に転じた。特にOP EC諸国,発展途上国向けが減少している。

こうした中で,連邦銀行は,米国の金利低下等を背景に,81年10月より逐次金利を引下げている。81年2月に12%の高金利水準で導入された特別ロンバート貸付(注)も,82年5月には金利9%で通常のロンバート・貸付に戻った。また,80年5月来7.5%の戦後最高水準を続けていた公定歩合も,82年8月,10月,12月の3度にわたって引下げられて5%へ,ロンバート・レートも同様に引下げられて6%となった。金利と並んで重要な政策手段となっている中央銀行通貨量増加率も,79~81年は目標を下回る低い伸びに抑えられていたが,82年については,目標圏4~7%の上半分を狙った政策運営がなされている。

財政面では,82年7月,83年度予算案が閣議決定されたが,10月に保守・中道の新連立政権(コール首相)が成立したことから,10月末新たな83年度予算案が閣議決定された。歳出額は前年度第2次補正後比2.9%増,純借入れ額は415億マルクとなっている。福祉関係支出や補助金の削減で歳出を抑制する一方,付加価値税の引上げ,高所得者層に対する無利子国債の強制割当などで歳入増を図り,住宅建築や企業投資の促進策に充てる計画となっている。

政府,五大経済研究所の見通しによると,実質GNPは83年上期まで減少を続けた後,下期には緩やかな回復が見込まれるものの,83年平均ではほぼゼロ成長とみられている。

(フランスの政策は緊縮型へ)

フランスの景気は81年5月に成立した社会党政権の積極的な景気対策等により81年央に底入れしたものの,その後の回復は,はかばかしくない。81年の実質GDP成長率は0.3%にとどまり,82年も政府の当初見通しの3.3%を大幅に下回る1%前後とみられている。

政府は,景気対策として金融政策を緩和気味に運営する一方,財政面でも積極的な大型予算を組み(81年度補正予算及び82年度予算),社会保障給付の増額,公務員増員を中心とした雇用拡大,公共投資等への重点支出を行なった。この結果,消費主導型で景気は81年4~6月期より回復に転じたが,輸出の減少,設備投資の不振から回復力はきわめて弱いものとなった。82年に入ってからも4~6月期に実質GDPが高い伸びを示した(第1-1-6表)ものの総じて停滞気味に推移している。

こうした政府の積極的景気拡大政策はインフレの高進・財政赤字及び貿易収支赤字の拡大,フランの急落等をひき起こす結果となった。このため政府は82年に入り,景気・雇用重視のリフレ政策からインフレ抑制重視の緊縮政策への軌道修正を余儀なくされている。6月半ばから10月末にわたる賃金物価凍結の実施や緊縮型83年度予算案(歳出の前年比伸び率は11.8%,82年予算は27.7%)の策定など具体的措置がとられているが,労働組合の反発も強まっている。

(再び停滞したイタリア経済)

イタリアでは,80年初をピークとして下降に転じた景気が,81年後半から82年初にかげて回復の気配をみせたものの,82年央になって再び停滞している。

実質GDPの動きをみると,消費,投資等の減少から81年4~6月期,7~9月期と減少したあと,政府消費を中心とした消費の増加等により10~12月期,82年,1~3月期と増加したものの,輸出,投資の減少から4~6月期には再び減少した。

この間,生産活動は,81年中は一進一退を続けほぼ横ばいに推移していたが,82年に入ってからはほぼ一貫して下降してきており,特に鉄鋼,自動車等の生産減少が目立っている。

一方消費は,乗用車の登録台数は輸入車の増加もあって82年に入ってからも高水準で推移しており,小売売り上げもこのところ堅調に推移している。

81年の2度にわたる通貨の切り下げもあって徐々に改善してきた外需は,EC諸国の景気低迷による需要減退等からこのところ伸び悩んでいる。

こうした中で,政府はインフレ抑制を第一として財政引締め政策を行ってきたが,公営企業の赤字拡大等から,公共部門の赤字が拡大したため,82年8月には増税等を中心とした財政赤字削減策を実施するとともに,83年度も引き続き抑制的な財政政策の継続を決定している。