昭和55年

年次世界経済報告

石油危機への対応と1980年代の課題

昭和55年12月9日

経済企画庁


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第4章 供給管理政策の登場とその課題

第2節 主要国における供給管理政策の展開

1. アメリカ

(1) パフォーマンスの悪化とその原因

(パフォーマンスの悪化)

アメリカ経済は戦後の世界で圧倒的な経済力を誇り自由世界の経済をリードしていた。しかし,1970年代に入る頃からその基礎的なパフォーマンスが悪化するようになり,最近になってその傾向が一層早まっている。

その第1の現われは生産性の伸び悩みである。戦後第1次石油危機に至るまでのアメリカ経済は年平均2.9%(民間部門)の生産性上昇率を達成して来たが,73年から78年の間はその伸びは約1/3に低下し,さらに79年以降はマイナスとなった(80年央まで)。

その結果もあって,第2の現われとしてインフレが悪化している。アメリカのインフレは60年代央のベトナム戦争の拡大に伴い加速し始め,68~73年には消費者物価上昇率は年平均4.9%となったが,その後も悪化が著しく74~79年は8.6%,80年上期は14.3%となっている。74年以降の悪化には,石油価格等の影響があることも否めないが,いわゆるコア・インフレ(OPEC石油価格引上げ等により突発的に生じたインフレや需要サイドから発生したインフレと区別される。労働コストと資本コストの上昇率で規定されるインフレ)も68~73年の3.7%から74~78年の7.4%,79年の8.2%へと悪化している。こうしたことからドルの国内での購買力は70年から79年の間に86.9%目減りし,また対外価値は23%下降した。

こうしたことから第3に主要産業の国際競争力が著しく弱まっている。

たとえばアメリカを代表する産業である自動車の輸出は62年には世界の自動車総輸出の22.6%を占めていたが,79年にはそのシェアは13.9%に低下した。反面国内市場における輸入車のシェアは66年の7.7%から79年の21.5%へと高まった。また鉄鋼についても粗鋼生産量の世界に占めるシェアは62年の24.5%から79年の16.5%へ低下する一方,鋼材輸入依存度は62年の5.6%から79年には15.2%へ高まった。世界の総輸出に占めるアメリカのシェアも65年の14.6%から79年には11.7%へ低下している。

アメリカ経済のパフォーマンス悪化の第4は海外石油への依存度の高まりである。70年には23.4%だったアメリカの石油の輸入依存度は73年には37.6%へ,また77年には50.8%へと急速に高まった。その後はアラスカ原油の生産が始まったため低下に転じたが,79年でなお47.4%となっている。

(その原因)

こうして世界経済最大の大国がそのパフォーマンスを崩して行ったのには経済,社会,政治,文化のすべてにわたる複雑多岐な原因があるに違いない。ここでは,最も基本的な生産性の伸び悩みについてアメリカでの分析結果に準拠しつつ,その原因を探ってみよう。

生産性の伸び悩みは,アメリカ自身にとっても最大の問題となっており,多くの学者がその原因解明に取り組んでいる。ここではその1つを参考としつつ,アメリカの生産性の伸び悩みの原因を考えてみよう(第4-2-1表)。

第4-2-1図 アメリカの民間就業者1人当り資本ストック伸び率

アメリカの民間部門の労働生産性は,48~73年の年率2.9%から73~77年の1.0%へ1.9%低下した。これをもたらした要因は,第1に農業部門からより生産性の高い非農業部門への労働移動が完了したことであり,第2にエネルギー集約的生産方式から資本,労働集約的(つまりエネルギー節約的)生産方式への転換が生じたことである。第3には環境,安全規制等に資源が向けられたためであり,第4には女子,若年労働等未熟練労働力の労働力供給に占める比重が高まったことである。これらの要因については今後自然に解消または逆転することが期待できるものもある。たとえば第4の要因については今後労働力の成熟化が進むにつれ,減少すると考えられる。

しかしながら,このような分析で数量的に分離できる要因は,生産性上昇率鈍化分1.9%の内の半分の1.0%でしかない。残りの0.9%は政策の影響を受けていると思われる部分であるとされている。

この分析では,環境・安全規制等の影響の半分を恣意的に政策の影響があると思われる部分の方に入れたり,設備投資の伸び悩みによる資本装備率の立ち遅れを,それに入れたりしており,問題はあるが,アメリカの生産性伸び悩みのかなりの部分が政策の影響をふくんだ,より広い経済社会的な原因に基因しているという点は,その他の分析でも共通して指摘されているところである。そこでここでは,政策の影響を受けていると思われる諸要因について一つづつ検討してみることにしよう。

その第1は設備投資の伸び悩みとそれに基づく資本装備率の立ち遅れである。アメリカの設備投資は第1次石油危機以降も諸外国と比較するとより順調な伸びを示したが,第1次石油危機時の落込みが大きかったためもあって,長らく低迷し,対GNP比率が10%水準に達したのはようやく78年になってからだった(65~73年の平均は10.3%)。これに対して労働力の伸びが高まっているため,資本装備率は65~73年の年平均2.1%の伸びに対し,76年から78年にかけては同マイナス0.5%と低下している(第4-2-2図)。公害防止や省エネ,代替エネルギー開発により一層の資本が必要なことを考えると,資本不足は一層顕著となる。生産性上昇率確保の必要性と照らしての設備投資のこうした伸び悩みの第1の原因は,石油危機による経済の落ち込みが大きかったために,なかなか設備の過剰感が解消しなかったことである。製造業の稼働率は長らく80%前後で推移した後79年1~3月にようやく86.9%に達したが,これは73年7~9月の87.8%,66年4~6月の91.6%を下回っている。

設備投資伸び悩みの第2のより重要な原因は収益率の伸び悩みである。税引前企業収益率(国民所得ベース,国内企業総所得に対する比率)は,第1次石油危機後の74~79年平均が17.9%と1960年代から73年までの平均18.7%と比較してそれ程落込んでいないが,税引後かつインフレによる在庫評価益及び実質的減価償却不足分を調整した収益率を見ると,74~79年の平均は6.0%と60~73年の平均8.5%の7割に落込んでいる(第4-2-2図)。インフレによって見掛けの利益が増え,それに対して課税されるため,企業の生産拡大のための直接的な資源が減少してきているのである。第1次石油危機以降の企業収益の伸び悩みには労働分配率の高まりも影響していよう。

なお第1次石油危機以降,連邦政府の財政赤字が拡大し,また個人の貯蓄率が低下して,総貯蓄のGNPに占める比率が減退した。78年以降は財政赤字のシェアが減るに従って総貯蓄率は第1次石油危機前の水準に戻っているが(第4-2-2表),今後完全雇用経済になっても必要な設備投資水準を維持するためには,企業部門の内部留保の充実,政府部門の赤字の解消,個人貯蓄の増強等が必要とされよう。

生産性の伸び悩みをもたらしている要因のうち政策の影響があると思われるものの,第2は研究開発の停滞である。すなわちGNPに占める研究開発投資のシェアが傾向的に低下しており,そのため資本に体化される技術の進歩も鈍化して来ているものと見られる(第4-2-3図)。

第3に政府支出のシェア及び政府規制の過度の増大が挙げられる。まず中央政府支出のGNPに対するシェアの推移を見ると60年代前半には年度平均19.1%だったシェアはベトナム戦争をきっかけに上昇し出し,70年度に20.5%になった後,76年度には不況の影響もあって22.6%に達した。その後景気回復とともに低下に向ったが,79年度でなお21.3%の高水準にある。

また従来は金融,輸送,通信等に限定されていた連邦政府の規制も70年代に入ると環境,安全,エネルギー等広範な分野に広がり,その数も急増した。ある計算によると規制下におかれたGNPのシェアは65年には8.2%にすぎなかったが75年には23.7%に増大した(第4-2-3表)。しかもこうした規制は急激に増大したため大気汚染防止,自動車安全対策等をめぐって相互に整合的でないものもでてきていると指摘されている。政府支出や政府規制はそれなりの社会的役割を担っているのは云うまでもないが,行きすぎると生産に向けられるべき資源の圧迫,投資,労働,技術革新意欲の阻害,コスト・アップ等生産性向上,経済成長を阻害する要因となるのである。

第4に賃金決定メカニズムの硬直化がもたらす,賃金コストの上昇等の問題がある。生計費調整条項を含んだ賃金協約の存在も手伝って,インフレの高進につれて,賃金が労働市場の需給要因等によるよりも,消費者物価に強く感応し下方硬直的に決定されていることがあげられる。これは特に自動車,鉄鋼等大労働組合の存在する産業で典型的にみられる。これら産業の賃金水準はその結果他産業と比較して著しく高く,賃金コストの上昇から企業収益の圧迫,ひいては国際競争力の弱化をもたらす要因となっている。

労働面では,さらに労働意欲,労働倫理の減退も挙げなければならない。これは数字で実証するのがむつかしいが,近年病気以外の理由での欠勤率とそれに基づく喪失労働時間が増えているのはその反映と見ることができよう(第4-2-4表)。

また経営側でも短期的な資本回収のみを考えて,長期的観点からの投資を避ける傾向などの問題点が指摘されている。

(2) 供給力対策の必要性への認識の高まり

こうした現実を前にして,アメリカでは最近生産性の向上等供給力についての対策がアメリカ経済のパフォーマンスの回復にとって基本的に重要であるという認識が急速に高まって来た。

これは,従来から伝統的にこうした見方をとって来た産業界,金融界,共和党等保守派の間だけでなく,それに対立していた民主党等進歩派の間でも高まっている。たとえば,議会合同経済委員会の79年合同経済報告では,30数年に及ぶ同委員会の歴史で初めて,少数意見が分れていない一致見解が発表されたが,それはインフレ対策,生産性向上,設備投資振興を重視する少数派共和党の意見に多数派,民主党が同意したからであった。

こうした認識の変化は,貿易相手国としての日本に対する見方にも現われている。すなわち,従来日本の強い国際競争力については,低賃金,ダンピング等不公正競争によって支えられている。という反応も出されがちだったが,最近では,むしろ日本の競争力の秘密は労働者の高い参加意識とそれに支えられた品質管理,経営者の長期的視野,官民の理解と協力関係にあるという客観的な見方が主流を占めるようになっている。たとえば日米貿易摩擦問題を取り扱っている連邦議会下院歳入委員会貿易小委員会はその報告書(通称第2次ジョーンズ・リポート)の中で当面日本に一層の門戸解放を迫るべき分野が残っているとしながらも,「長期の問題は日本の輸入障壁によるよりもアメリカ国内の競争力と品質等の構造問題に基因するもので,日本から学ぶべき点はいくつもある」と述べている。

認識の変化は,政府,議会等政策当局者だけにとどまらず,広く国民有識者の間にも広がりつつある。80年6月にビジネス・ウィーク誌が「アメリカの再工業化」という特集を組み,NBCが「日本にできて何故アメリカが?」という番組を放送したのは,こうした世論の流れを象徴している。

(3)供給管理政策の展開

(カーター政権の供給管理政策)

民主党カーター政権も,こうした流れの中でその政策の一環として供給管理政策を打ち出していた。すなわち,4年前の登場時にも,失業削減を経済政策の最優先課題としつつも,同時にインフレ抑制のため,連邦支出のGNPに対するシェアの引下げ(81年に21%)及び連邦財政の均衡化(1981年度目標)。政府規制の改革,生産能力,生産性の増大等をもその課題に掲げた。連邦支出のシェアの引下げと連邦財政の均衡化は,経済が不況に陥ったためもあって果せなかったが,(81年度予算年央改訂見積によれば,81年度の連邦支出シェアは22.9%,赤字見積額は298億ドル),政府規制については,経済的規制に関して航空運送規制緩和法(78年10月成立),預金金融機関規制緩和法(80年3月発効),トラック輸送規制緩和法(80年7月発効),鉄道貨物運送事業規制緩和法(80年9月上下両院通過)を成立させており,また環境,安全等社会的規制については規制検討委員会を通じて,行きすぎや重複の再検討を進めてきた。

生産能力,生産性の増大のためには,まず設備投資の促進が重要であるとされ,たとえば,1978年歳入法では法人税が引下げられたほか,設備投資税額控除の適用範囲の拡大及びその恒久化,キャピタルゲインの軽課が図られた。また79年10月には「大統領技術革新推進策」において,産業界の技術革新を促進するため,①技術情報移転の促進,②基礎応用科学技術研究の充実,③特許制度の改革・強化,④反トラスト法との関係の明確化等9項目から成る対策が発表された。80年に入ると8月には不況救済とアメリカ経済の再生をねらった「経済再生計画」を打ち出した。

(共和党次期政権の基本的考え方)

以上のようにカーター民主党政権も,アメリカ経済の客観的ニ-ズに沿って供給管理政策をそれなりに重視していたが,カーター政権に1981年から取って替るレーガン共和党政権はより一層純粋な形で供給管理政策を打ち出して来るものと考えられる。

大統領選挙直後の時点ではまだレーガン政権の具体的な政策は明らかになっておらず,変更の可能性もあるが,共和党政策綱領等に盛られたその基本的考え方は次のとおりである。

すなわち民主党政権のアプローチが,エネルギー政策面での政府の介入,賃金,物価に対するガイドライン政策等それなりの政府の役割を重視しているのに対して,共和党政権は徹底して政府の介入を排除する「小さな政府」主義をその基本的政策理念としている。これはアメリカ経済のパフォーマンスの悪化は政府介入の増大が民間部門が本来備え持つ自由な活力を阻害したためであるとの基本認識に基づいている。そのため,減税と政府支出の抑制による連邦政府のシェアの縮少,エネルギー政策面をふくめて政府規制の一層の縮小,及び州,地方政府への権限委譲等を主張している。

すなわち,まず財政面では,個人所得税を81年に一律10%カットするのを手始めに,3年間にわたり現行個人税率14~70%を10~50%に引下げ,その後は税率区分に対し物価スライド制を導入することによりインフレに基づく自動的増税を避けることを主張している。またキャピタル・ゲイン課税についても上限税率を現行28%から25%へ引下げるとしている。企業に対しても減価償却方式の簡素化,加速化等による減税を提案している。

民主党の減税案とは反対に,共和党減税案では個人のシェアが90%(81年)と圧倒的に高くなっているが,これは個人税率,とくに限界税率を引下げることが,労働,投資,貯蓄意欲を促進する点で最も重要であるという認識に基づくものである。

減税しつつ財政を均衡させ,政府支出のシェアを引下げるためには政府支出の一層の抑制が必要である。そのため必要とあらば,国家緊急事態を除いて,連邦支出を制限し財政を均衡させることを政府に義務づけるよう憲法を改正することも求めるとしている。また大統領就任後直ちに連邦公務員の採用を完全凍結すると主張している。

また,政府規制の一層の縮小については,新規連邦規制の一時的凍結,中小企業に対する規制及び書類提出義務の部分緩和,エネルギー,運輸,通信業での規制廃止等を主張している。

州・地方政府への権限委譲については,地方交付税制度(Rqvenue shar-ing)の拡充や補助金のひもなし化(B10ck Grant Program)を主張している。またカーター政権が新設したエネルギー省及び教育省も連邦政府の権限強化であるとして非難している。

次にインフレ対策については,実質経済成長率に見合った通貨供給,信頼できる通貨基準の復活,連邦準備制度理事会の独立の尊重,賃金,物価,信用統制への反対等マネタリズム的色彩の強い政策を主張している。

国際経済政策面では,ドルの安定,輸出の振興を重視している。とくに輸出の振興のためには,輸出インセンティブを阻害している各種規制を廃止する外,相互性と公正性に基づき,貿易相手国に市場の開放を強く求めるとしている。

以上のような基本的考え方に基づいてレーガン共和党次期政権は,その政策の具体化を図っていくことになる。その過程で現実の問題に対する配慮,これまでの経緯等様々な要因の影響を受けようし,また議会の審議を通じての変更も受けようが,今後アメリカが「強いアメリカ」の復活を目指して,より純粋な形の供給管理政策を打ち出してくることは確かであろう。

カーター政権がこれまでそれなりに実行し,レーガン次期政権がより強い形でこれから実行しようとしている政府規制の再検討,政府部門のシェアの引下げ,設備投資の振興等が効を奏して,アメリカ経済が再び強さを取り戻すのを世界は期待している。

2. イギリス

(1) サッチャー政権登場の背景

スタグフレーション,国際競争力の喪失といった現代先進国の困難をしばしば「英国病」と言い表わすように,イギリス経済のパフォーマンスの悪化はアメリカ等他の先進国に先んじて現われた。その最も典型的な微候は非工業化の進展である。

イギリス経済は60年代初までにすでに工業部門(製造業,鉱業,建設業,電力・ガス・水道業)のシェア(付加価値生産)が40%に近づいていたが,その後も非工業化過程はさらに一段と進行し,70年代末には35%強にまで低下した。とくに製造業のシェアは70年代末には25%を割っている。こうした非工業化は,経済発展の必然的プロセスと見るべき面があることも否定できないが,問題なのは,それが生産性向上を伴わず,国際競争力の急速な低下によってもたらされたことである。70年代のイギリス製造業の生産性の伸びは年平均2.8%にすぎず主要国中最低となっている。

こうした「英国病」の原因は多岐にわたっている。ジョセフ産業相は,①過度の政府支出,②高い直接税率,③行きすぎた平等,④過度の国有化,⑤反企業的文化風土,⑥政治化した労組運動をその主因として挙げている。

たとえばGDPに占める政府部門支出の比率は70年代後半では40%強に上り,また60年代初には22%程度だった雇用のシェアも,教育,福祉部門に加えて国有企業の増大から70年代後半には28~29%へ高まっている(第4-2-5表)。資本投資面でも78年時点で住宅の41%,機械設備の32%が政府所有となっている。こうしてイギリスでは政府が所得,労働,資本の利用の3割~5割を占めており,民間部門の活躍する分野が著しく狭められている。

79年4月の総選挙でサッチャー保守党が圧倒的多数で政権を獲得した背景には,こうした諸要因に対する国民の批判があったものと考えられる。

(2) サッチャー政権の経済政策

サッチャー政権の経済政策は徹底した自由主義経済理念に基づいている。ハウ蔵相の予算演説(79年度)によると,それは次の4つの原則で表わされる。すなわち第1に,勤勉と才能が適切に報われるように労働インセンティブを強化すること。第2に,国家の役割を縮小して個人の選択の自由を拡大すること。第3に,民間活動の余地を拡大するために公共部門赤字を削減すること。そして第4に,賃金交渉の当事者がその帰結についてよく理解し責任ある行動をとるようにすること,がそれである。

こうした原則に基づいたサッチャー政権の経済政策の最優先の柱は通貨供給量の厳格な抑制である。イギリスでは76年7月以来通貨供給量(ポンド建て,M3の抑制目標値が公表されるようになったが,79年6月以降この目標値は年率7~11%という名目GNPの伸びを大幅に下回る水準に据え置かれている。

さらに80年3月の80年度予算案発表時にはこの目標は83年度までの中期戦略の一環として設定され,年々漸減されることとなった。こうした通貨供給量の抑制を達成するためにも,同時に財政面で,歳出の削減を図ることにより政府部門借入れ所要額(PSBR)を縮小することが目標とされた(第4-2-6表)。

第2は政府介入の縮小である。これは主として政府支出の削減及び国有産業の民営化という2つの方法で実行されている。前者については79年度予算案で約15億ポンド削減されたのを手始めに,80年度についても前年比実質ほぼ横ばいとされ,さらに83年度までの中期政府支出計画では,実質ベースで毎年支出水準を削減していくこととされた。

こうした支出削減に,ひき続き中心的役割を果しているのは行政経費算定に適用されているキャッシュ・リミット制(Cash Limit,政府支出の大部分について時価による単年度支出上限を設定するもの)である。この制度により80年度の行政費は物価上昇率を下回る14%増以下に抑えられている。この結果中央政府を中心に公務員の削減も積極的に進められており,79年度2.2万人減についで,80年度にも5万人の削減が計画されている。

国有企業の民営化については,すでに,造船・航空機といった比較的最近(77年3月,国有化法成立)国営化された部門等の民間移管の方針が示されており,またBP(ブリテッシュ・ペトロリアム)を中心に政府持株の放出(79年10億ポンド,80年5億ポンド)が実施されている。

郵便,電力といった国家独占が伝統とされていた部門でも,その業務の一部(小包・手紙の配達,電力供給)に民間企業の参入を認めることを検討中である。また,造船ドックに民間資本の導入を可能とするような法律の改訂も進行している。さらに産業の国際競争力強化を主目的として「1975年産業法」によって設立された国家企業庁(National Enterprise Board,NEB)の機能も所有持株の放出など漸次縮小の方向で検討が進められている。

第3は,労働市場等の硬直性の改善である。雇用政策面では前労働党政権の失業対策は維持しつつも,労働意欲の向上,職業訓練の拡充,労働移動促進のための移住手当の支給等労働市場の硬直性を打破することに重点をおいている。とくに,労働意欲の向上については,税負担を直接税から間接税ヘシフトさせるという税制面での改革がすすめられている。79年度予算において個人所得税が減税(基本税率の引下げ,33→30%など平年度総額45.7億ポンド)される一方で,付加価値税の大幅引上げ(標準税率8%および割増税率12.5%を-率15%へ,平年度総額41.8億ポンド)が行われたほか,82年度からは,失業手当受給者についても一定所得以上については課税することとされている。

労使関係の正常化のためには「雇用法」が制定された(80年8月)。これは①ピケの規制,②クローズド・ショップ制の改正(組合から恣意的に除名された者は,裁判所に提訴のうえ補償を請求する権利を与えられる),③秘密投票制の奨励(役員の選挙,スト決議等に郵便による投票を実施し,国家資金による援助を行う),などを主な内容とするものである。

賃金決定メカニズムに対しても所得政策による介入は廃止し,通貨供給量抑制下の自由市場に委ねている。

第4は,設備投資と研究開発投資の促進である。投資一般についての奨励策は従来からも重視されてきたが,サッチャー政権下では,とくに中小企業の育成と結びつけられており,また地域開発との関連で取上げられているのが特徴である。

中小企業育成については72年以降,軽減税率(42%,標準は52%)が適用されてきたが,79年度からはさらに40%に引下げられ,課税所得基準も年々引上げられてきた。さらに,中小企業の産業用建物についての初年度全額償却制(3年間),ベンチャー資本制(非上場株式投資による欠損を企業所得から控除),非公開会社投資用の借入資金への支払利子にたいする税制上の優遇措置の適用条件の緩和などきめ細かい措置がとられている。

地域開発については,従来からの地域開発補助金が政府支出節減計画によって縮小の方向にある一方で,新たに企業地区(Enterprise Zone)の設立が検討されている(80年度予算案および7月末の計画案)。これは高失業の都市部における投資を税制上優遇し(①土地開発税の免除,②工業・商業資産にたいする固定資産税の全免,③工業・商業建築にたいする初年度全額償却など),企業誘致を促進しようとするものである(必要な政府資金は地方税減収の補償分約1000万ポンド)。この構想はハウ蔵相が産業再生にたいする新たな,より冒険的な試みとしてとくに重視しているものであり(10か年計画),これにより民間企業の創意が発揮され,高収益と高雇用を生むことが期待されている。

また先端技術の育成のためには特別の配慮がはらわれており,マイクロチップ(インモス社の工場建設にNEBから2500万ポンド出資)やタイヤ(ダンロップ社の近代化投資のために610万ポンドの助成)部門などへの投資計画が決定された(いずれも80年7月)。

第5は,競争の促進,市場メカニズムの回復のための直接的な政策措置である。

まず,「1980年競争法」(Competition ACt,1980年4月成立)により,72年秋以来の一連の価格規制を担当してきた価格委員会(Price Commission)を正式に廃止するとともに,企業間の競争を促進するため,反競争的行為にたいする公正取引庁(OFT,Office of Fair Trading)や独占及び合併委員会の調査,監督権限の強化が図られた。

また為替管理について,ポンド相場が北海石油の産出もあって堅調を続け,従来のような資本の大規模流出を心配する必要がなくなったのを背景に,79年6,7月の部分的緩和に続いて,同年10月末,全面廃止に踏み切った。一部ローデシア制裁のための規制が残されたが,これも12月に廃止された。

(3) 今後の課題

サッチャー政権下1年半の間にイギリスの経済は極めて悪化した。インフレは鎮静化の方向にあるものの,景気は深刻な後退に陥り,失業は記録的高水準に達している。また通貨供給量M3も80年2~9月の伸び(不規則変動調整後)が年率19%と目標を大幅に上回っている。こうした中でサッチャーの政策に対する批判が野党,労働組合側のみならず,与党,産業界,学界からも高まってきている。

とくに野党側では,マネタリズムに基づく緊縮政策は短期的にはもちろん,中期的にもイギリス経済の成長力を壊すものであるとして,成長促進,完全雇用の実現,生活水準の向上のため政府による需要創出を求めている。

サッチャー政権はマネタリズムの長期的有効性を信じて断固Uターンを拒否しているが,その成否は次の2点にかかっていると言えよう。

その第1は,インフレ鎮静化をより確実なものとするため今秋以降の賃金ラウンドで賃金上昇率を控え目なものに収められるかどうかである。その第2は,より中期的に,インフレ鎮静化に成功したとしてもそれが企業の投資意欲の回復をもたらし,生産能力の拡大・強化,生産性の向上,国際競争力の改善を生みだすかどうかである。いずれの面でもイギリス経済の体質改善のためには国民に大きな犠牲を強いざるを得ない。サッチャー政権の経済政策が真価を問われるのはこれからである。

3. 西ドイツ

(1) 成長と雇用確保のための設備投資の促進

日本と並んで良好なパフォーマンスを誇る西ドイツにおいても供給管理の重要性が強調されている。しかも西ドイツの場合は米,英でその重要性が一般に認識される以前の76,77年から経済専門家委員会等によりそれが主張され,設備投資の振興と中長期的観点からの政策運営がなされてきた。

そのきっかけとなったのは76年春の景気回復の腰くだけである。景気回復が腰くだけとなった主たる理由は,設備投資が持続的に回復しなかったことであるが,とくに雇用創出的な拡張投資が不振を続けた。これは需要不足という循環的要因によるよりも,むしろ供給面の構造要因によるところが大きかった。すなわち,70年代初以降の賃金高騰とマルク高による企業収益の圧迫や,中長期的不確実性の増大がそれである。そのため政策的対応の重点は中長期的視点に立った構造調整を中心にすべきとされた。

政府は77年以降,将来の成長のあい路となるとみられる環境問題等の障害を取除くことを目的とした公共投資多年度計画である「未来投資計画」の策定(77年3月),「減税と投資促進計画」の決定(77年9月),さらにはボン首脳会議の決定に沿った有効需要政策も含む「需要強化と経済成長改善計画」(78年7月),等と次々に手を打ってきた。

その効果もあって,西ドイツの設備投資は78年より力強さを増し,79年には景気上昇を支える最大の柱となった。

(2) 経常収支の赤字転落と国際競争力強化の必要性

しかし80年に入ると,成長と雇用の促進という従来の観点とは別の面から供給管理政策を一層強化する必要性が叫ばれるに至っている。それは国際競争力の強化のためである。

西ドイツの経常収支は79年に101億マルクの赤字と14年ぶりに赤字に転じた後も拡大を続け,80年は1~9月ですでに245億マルクの赤字となり,年間の赤字額は300億マルクになんなんとするものと予想されている。これは貿易外,移転収支が外国旅行,外国人労働者の本国送金,公的移転等を中心に傾向的に赤字を拡大しているのに加え,ここへ来て貿易収支の悪化テンポが早まっているためである。80年1~9月の貿易収支の黒字額は61億マルクと前年同期比73%減となっている。

80年1~7月の地域別貿易収支を79年1~7月と比べてみると(第4-2-7表),対ECを除きすべての地域で貿易収支が悪化している。対OPEC収支の悪化には石油価格の大幅上昇が,またその他地域収支の悪化には,西ドイツの景気が相対的に強かったことがその一因として挙げられるが,それとともに西ドイツの国際競争力が海外市場及び自国市場で競争相手に対して衰えて来ている面があるものと考えられる。たとえば,西ドイツにおける完成品輸入は76年には輸入数量全体の50.6%であったが,79年には54.8%へ高まっている。

西ドイツにおける国際競争力の衰えの最も大きな要因はマルク高であろう(第4-2-4図)。マルク高は物価安定には貢献したものの,インフレ格差以上に進行したために国際的に賃金コストを高めて(第4-2-5図),投資を国内よりも海外に導くこととなった。海外投資は60年には国内投資の1.5%にすぎなかったが,70年には3.8%に高まり,78年には6.4%にも上っている。マルク高は旅行収支赤字と外国人労働者送金を促進することにより経常赤字の構造原因の1つを作り出してもいる。

またエレクトロニクス,オートメーション等先端技術の一部では,研究開発のおくれやマイスター制度と呼ばれる職人制度の存在などから日,米と比べると立ち遅れが目立っている。たとえば,工作機械内需のNC比率は73年以降ずっと日本より低くなっているし(第4-2-8表),78年の工作機械の生産のNC比率も日本の29.6%,アメリカの25.5%に対し西ドイツは16.7%となっている。また電気機械装置のエレクトロニクス化水準(電気機械装置生産額に占める半導体消費額の比率)をみても,79年で日本の9.2%に対し,西ドイツは5.6%となっている(アメリカは78年で6.0%)。

国民の価値観も,実質所得の向上や福祉政策の推進により生活水準が向上するに従って,労働と所得よりもレジャーや環境等にシフトしていると見られる。西ドイツの製造業労働者の平均労働時間は週37.3時間(1978年)と,アメリカの39.1時間をかなり下回っている。ラムズドルフ経済相が労働者に勤労の重要性を訴えた背景にはこうした事実があるものと思われる。

もちろん,西ドイツ経済の総合的パフォーマンスはいぜんとして他国を圧してすぐれている。企業も外国からの競争に打ち勝つため投資増大を怠っていない。80年上期は企業収益が鈍化傾向にあったにもかかわらず,企業(住宅と金融機関を除く)の粗固定投資(実質)は前年同期比61/2%増加した。

西ドイツのように貿易依存度の高い国は,技術進歩において立ち遅れるようなことがあってはならず,それは企業の課題であるとされている。一方,政府の任務は企業に対して技術進歩,イノベーションおよび投資に有利な前提条件を作り出すこととされている。

このような観点から,政府は「よく機能する市場」を作り出すため,競争制限禁止法の強化,構造温存的な補助金の削減,リスクの多い新分野への投資に対する援助,研究開発要員に対する補助金支給,職業訓練促進政策などを実施している。