昭和55年
年次世界経済報告
石油危機への対応と1980年代の課題
昭和55年12月9日
経済企画庁
第4章 供給管理政策の登場とその課題
戦後の先進国経済は,自由貿易体制,安価で豊富な資源・エネルギー,総需要管理政策の効果的運営等により,経済成長,雇用機会の確保,生活水準の向上等大きな成果をあげてきた。しかし,その過程でクリーピング・インフレーションが始まり,70年代には2度にわたる石油危機の影響もあって,先進国は総じてスタグフレーションに陥った。
先進国経済のパフォーマンスを第1次石油危機以前と以後とで比較すると,まず,OECD加盟国の実質成長率は63~73年の10年間は年平均5.0%であったが,74~79年の6年間は同3.1%に鈍化した。失業率は第1次石油~危機以前の平均3.0%から以後の4.9%へ高まり,消費者物価上昇率も同4.5%から10.0%へ悪化した。
失業率と消費者物価上昇率を足し上げたいわゆるスタグフレーション度はその結果,OECD全体でみると,7.5%から14.9%に倍増している(第4-1-1表)。いいかえると失業と物価のトレード・オフ(失業が減少すれば物価は上るという関係)は傾向的に悪化している。たとえば,アメリカについてこれを見ると,両者の関係は右まわりのループを描きつつ,はっきり右上にシフトしてきている(第4-1-1図)。
また生産性(GNP/雇用)の上昇率も,第1次石油危機までは7大国の平均で年3.8%であったが,それ以降は1.5%に落ちている。
60年には,19.1%だったOECDl次エネルギー消費の輸入石油依存度も73年には38.4%に高まり,79年でも35.2%となっている。
80年代初頭の先進国経済は,こうして高率のインフレと失業の共存,生産性の伸び悩み,輸入石油への過度の依存という70年代からの後遺症を引継いでいるのである。
70年代に先進国経済がこのようにスタグフレーションに陥ったのは,総需要管理政策が拡張的にすぎるなどうまく行かず,また外的条件がより厳しくなったことのほか,先進国経済内部における構造的硬直性が強まったためである。その原因は複雑多岐にわたり,また国ごとに特殊要因もあるが,主要国で共通した要因としては次の5つが挙げられよう。
その第1は,設備投資,したがって資本ストックないし生産能力の伸びが不十分だったことである。7大国の設備投資の伸びは第1次石油危機以前の10年間は平均6.5%であったが,それ以降は1.8%となった。その結果,資本ストックの伸びも低下したと見られる。この間,雇用の伸びが著しく低下した西ドイツなどでは資本装備率の伸びは高まったものの,アメリカ,イギリスでは第1次石油危機以降,資本装備率の伸びは大幅に低下した(第4-1-2表)。
第2は,賃金決定メカニズム,労働市場,労使関係等における硬直性の強まり等である。インフレが悪化する中で物価スライド条項等を含む賃金協定の普及も手伝って,賃金が主に消費者物価と相関的に決定されるようになり,好・不況にかかわらずその下方硬直性を強めてきた。また諸々の構造変化に対しては労働力が弾力的に移動してこれに対応することが求められるが,労組の配置転換等に対する反対,先任制や住宅問題などの阻害要因から労働の流動性も弱まっている。そのほか,労働供給に占める若年,女子のウェイトの高まり,失業保険の普及・充実に伴う労働インセンティブの低下等も生産性向上を阻害する要因となっている。
第3は,保護主義の強まり等による競争の減退である。欧米主要国を中心にスタグフレーションが強まる一方,先進国間の貿易摩擦や,中進国の追い上げが激しくなっているため,保護主義的な動きが目立つようになっている。そのため産業構造の調整も遅れがちで,生産性の改善を阻害している。
第4は,政府部門の拡大と政府規制の増大である。主要国の政府支出のGNPに占めるシェアは,70年代に入ると急速に上昇し,70年代後半には西欧主要国で40%前後,アメリカで30%強に達している(第4-1-3表)。これは政府サービスの範囲の拡大に伴う人件費増等のほか,人口の高齢化等から移転支出が増加したのが主因である。とくに移転支出の中には,物価上昇と自動的または政策的にスライドするものが少なくなく,先進国のインフレ圧力の強まりに伴い政府支出が膨張する要因の1つとなっている。
政府支出の増加は必然的に税負担の高まりとなってはね返っている。税および税外負担(社会保険拠出金を含む)の国民所得に占める比率は60年代初にすでに35%を越していた西ドイツ,フランスなどが40%以上となっているのをはじめ,主要国はほとんど35~40%の水準に達している(第4-1-4表)。
計量的に把握することはむずかしいが,各国における政府の広範な規制も政府支出のシェアの増大と相まって,民間活動とそのインセンティブを阻害する要因となっていると指摘されている。
第5として,省エネルギー,代替エネルギー開発の遅れが指摘されねばならない。このため石油ショックに対する脆弱性が克服されず,石油危機の度に経済的パフォーマンスの悪化を余儀なくされて来たのである。
供給管理政策はこうした70年代への反省として登場した。すなわち,80年代に先進国が再びインフレなき持続的成長を実現するためには,短期的需要管理政策だけでは不十分であり,より中長期的観点から生産性の向上,生産能力の拡大,経済構造の弾力性の回復を目指す「供給管理政策」が必要不可欠であるという認識が,主要国で70年代末から急速に高まって来たのである。これは内在的にも生産性が伸び悩む要因を抱えた上,産油国の力の強まりにより,交易条件の悪化を通じて絶え間なく所得移転を迫られている先進国の対応の1つのあらわれと見ることができよう。
こうした政策思想の変化は,とくにパフォーマンス悪化の著しいアメリカ,イギリスで顕著であるが,その他の国にとっても共通の問題である。たとえば,日本と並んでパフォーマンスの秀れている西ドイツにおいてさえ供給管理の重要性が強調されている。
こうした中で,80年6月ベニスで開かれた主要国首脳会議は,次のように供給管理政策の推進を最重点課題の1つにかかげたのである。
「……われわれはまた,生産性を向上させるために投資及び技術革新を奨励し,新たな雇用機会を創り出すために,衰退部門から成長部門への資源の移動を助長し,さらに各国内及び各国間の資源の最も効率的な利用を促進することをコミットしている。このためには,資源を政府支出から民間部門へ,また消費から投資へ振り向けること,及び特定の産業あるいは部門を調整の厳しさから保護するような行動を回避あるいは注意深く制限することが必要である。この種の措置は短期的には経済的かつ政治的に困難であるかもしれないが,インフレなき持続的成長及びわれわれの主要目標である雇用の増大に不可欠である。」