昭和55年

年次世界経済報告

石油危機への対応と1980年代の課題

昭和55年12月9日

経済企画庁


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第3章 オイル・マネーの再出現と国際通貨問題の新展開

第1節 オイル・マネーの再出現

1. オイル・マネーの再出現

世界の国際収支構造は70年代石油ショックにより2回に亘り大きな変化を強いられた。石油輸出国の経常黒字の大幅拡大(オイル・マネーの出現)とそれの裏側としての工業国の経常黒字から赤字への転落,非産油途上国の経常赤字の拡大がそれである。

当然のことながらこうした国際収支構造の根本的変化は,世界的な資金循環構造に大きな変化を強いることとなった。すなわち石油危機以前の構造的黒字国である工業国と構造的赤字国である非産油途上国とは貿易で直結しており,後者の赤字を前者は自然にファイナンスする形になっていた。しかし石油危機以後の構造的黒字国であるOPECと構造的赤字国である非産油途上国との間にはこのような貿易を通ずる自然な結びつきが少ない。また急速に構造的黒字国に変化したOPEC諸国はその余剰資金の運用先として対外信用力の低い非産油途上国を避けその余剰資金を相対的には赤字ファイナンスの必要性の小さい先進国の金融市場に投資した。つまり石油危機以前に存在していた構造的黒字国と構造的赤字国との間の直接的な資金の流れは石油危機以降細まってしまったのである。ここにいわゆるオイル・マネーの還流が重要問題として世界経済の舞台に上ってくる基本的な理由があった。

(オイル・マネーの運用状況)

オイル・マネーの還流とそれにまつわる問題を分析するためには,まずオイル・マネーがその所有者であるOPECによってどう運用されたかを調べる必要がある(第3-1-1表)。

第1次石油ショック後のオイル・マネーの運用は2つの特徴を持っていた。その第1はユーロ市場を含む先進国への資金流入がその大部分を占めたことである。74年の石油輸出国の総投資額532億ドルの内84.2%に当る448億ドルは何らかの形で先進国へ流入している。これに対して途上国への資金の流れは全体の9.2%であり,国際機関をふくめても15.8%にとどまっている。

また先進国内部を見るとアメリカが46.9%,イギリスが26.1%と両者で先進国全体の約73%を占めている。

第2に銀行預金,政府短期証券等流動性の高いものの割合が高いことである。74年に先進国に投資された448億ドルの内81.7%にあたる366億ドルがこれらに振り向けられている。もっとも第3にその後は株式,社債,不動産等流動性の低い資産への投資比率が急速に高まった。すなわち74年にはわずか15.4%にすぎなかったこれら資産に対する投資比率は75~78年の4年間の平均では43.3%となった。それと裏腹に短期性資産への投資比率は75~78年平均では29.1%に低下した。

こうした石油輸出国の資産運用方式は,石油輸出国が何よりもまずその資金の安全を第1に考えていることを示している。今回の石油ショックに際しても,先進国への投資,まず流動資産の取得という基本的行動は変っていない。79年の先進国投資比率は90.9%,また流動性資産投資比率は75.5%となっている。

しかし今回の石油輸出国の投資行動には次の2つの変化が見られる。その第1は,アメリカ離れである。アメリカへの投資シェアはすでにドル低下の始まった77年から減少し,ドル不安の高まった78年には13億ドルと全体の投資額の約10%に低下していた。79年には銀行預金の増加を反映してシェアの増大が見られるものの,79年11月のイラン資産の凍結もあって,80年第1四半期の投資額は前期の水準を下回った。

第2は,今回はサウジアラビアの西ドイツ政府長期証券の購入,クウェートの日本の株式購入等に見られるようにアメリカ離れと合わせて,比較的早い内から長期投資へ進出していることである。

2. 前回オイル・マネーが危機をもたらさなかった理由

多くの問題をはらむオイル・マネーも,しかし,第1次石油ショック後は心配された危機をもたらさなかった。

(オイル・マネーの急速な縮小)

その最大の理由はオイル・マネー自体が急速に縮小したことである。石油輸出国の経常黒字(公的移転前)は1974年に678億ドルに急増した後,75-77年は300-400億ドルの範囲で推移し,78年には50億ドルとなった。これは第1次石油ショック発生時の予想をはるかに上回る減少スピードだった。

第1次石油ショック発生以後78年まで石油輸出国の経常黒字が急速に減少した原因は以下の3つである。

第1は石油輸出国の急速な輸入の拡大である。商品の輸入額は73年の200億ドルから78年には1,000億ドルと5倍に達した。輸入数量でみても,輸出数量が74-78年の間にわずかながら減少を示しているのに対し,年平均23.8%の高い伸びとなった。こうした商品の輸入だけでなく,サービスの輸入,,民間の移転も急速に増加した。これは専門的サ一ビスに対する支払の増大,外国人労働者の大量の流入による本国送金の増大による。このサービス,民間移転収支の赤字幅は73年の122億ドルから78年の361億ドルへほぼ3倍に増加した(第3-1-1図)。

第2はこの間に石油の実質価格が横ばいないしは低下したことである。石油輸出国側の交易条件は74年をピークとして悪化する傾向にあり,78年には74年対比10.6%の悪化となった。

第3は石油消費国における石油輸入の鈍化である。第1次石油ショック後の先進国の不況とそこからの回復が緩やかであったことから,世界(共産圏を除く)の石油消費量は74~75年と減少しその後も低い伸びにとどまっている。1974年から79年の年平均の伸びは1.9%となっている。またこの間非0PEC地域での原油増産が進んだことも,OPEC石油への需要を抑える力となった。

(オイル・マネーの順調な還流)

オイル・マネーが第1次石油ショック後危機をもたらさなかった第2の理由はオイル・マネーが順調に還流されたことである。

前に見たように石油輸出国のオイル・マネーはまず主として先進国の金融市場に流入し,ここから真の資金需要国である非産油途上国に対して還流した。オイル・マネーの還流における民間銀行の国際貸付は金融の国際化の進展を背景に予想よりもはるかに弾力的に行われた。ここで中心的役割を果したのは米銀・ユーロバンクを中心とした民間金融機関であった。

先進国の金融機関では石油輸出国から流入するオイル・マネーによって資金的基礎が与えられた(前述第3-1-1表)ことに加え,第1次石油ショック後先進国が不況に陥ったため貸出先を途上国に求めるようになった。潤沢な資金を背景とする民間銀行の貸出し競争からスプレッド(London Inte-rbank Offering Rate.LIBORへの上乗せ金利,いわゆる利ざやのこと)の縮小,貸付け期間の長期化,貸付け規模の拡大等借り手にとって借りやすい条件が作られていった。中期ユーロ市場の平均スプレッドは77年第4四半期の1.17%から79年第四半期には0.64%まで低下し,貸出期間は同期間に7年から9年3か月に延びている(第3-1-2図)。

また経常収支赤字額を大きく上回る借入れが行なわれたこともこの時期の特徴である。特に国際金融市場が借り手市場となった76~78年(一部は79年も)には非産油途上国が有利な条件で借り入れを進め,76~78年の間に428億ドルの公的準備が積増されている。その結果第1次石油ショック後の非産油途上国の経常収支赤字ファイナンスと外貨準備積増し額に占める民間長期資金の比率は,78年までほぼ一貫して上昇している(74年22.6%,78年46.5%)。

なお,IMFもオイルファシリティー等を創設して,MSAC(石油危機で最も影響を受けた途上国)等のファイナンスに貢献した。

第1次石油ショック発生時には非産油途上国の信用力がまだ概して悪くはなかったこともオイル・マネーの順調な還流に役立った。対外公的債務残高のうち条件の緩い公的債権者(政府,国際機関)の占める割合が1972年には68.9%も占めていた(78年末でこの割合は54.2%に低下)。債務返済比率(年間の元本償還,利子支払額の財・サービス輸出額に対する割合)も途上国全体で11.7%(1970年)とその後の高まり(1978年19.1%)を考えると相対的に低かったと言えよう。(詳しくは第3節)

3. 今回は前回とどう違うか

こうして前回オイル・マネーは真の危機をひき起さず,大方の予想よりはるかに早く収束した。

しかし,世界は再び膨大なオイル・マネーの重圧の下にある。78年に50億ドルにまで縮小したオイル・マネーは,第2次石油ショックにより79年に684億ドルヘ再拡大し,80年には1,150億ドルに達するものと見込まれている(IMF推計)。

80年のオイル・マネーの規模は実質的には74年のそれに相当する。すなわち先進国の工業製品輸出価格指数でデフレートすると80年のオイル・マネーの実質値は670億ドルと74年の678億ドルとほぼ同規模になる。また世界の輸出額(共産圏を除く)と比較すると74年には8.9%に相当していたが,80年は6.3%になるものと推計される。

こうして前回と実質的にほぼ同規模(あるいはやや小さい)のオイル・マネーに対して,今回も前回のように順調な対応ができるだろうか。

結論的に言えば,今回は前回とかなり様相を異にしている。それはフローの面では前回とほぼ同程度であっても,今回はそれがかなりの期間持続すると考えられるうえ,オイル・マネーの仲介者側でも借り手側でもより悪化した初期条件(ストック)の上に追加されることになるからである。オイル・マネーの累積額も73年末には111億ドルであったが,79年末には2,360億ドル,80年末には3,510億ドルに達するものと推計される(イングランド銀行,IMFによる,第3-1-3図)。

(オイル・マネーの持続)

第1の相異はオイル・マネーは今後はかなりの規模で存続する(少くとも前回のように急速には縮小しない)と考えられることである。

そう考えられる理由は2つある。第1は石油輸出国の輸入の伸びが前回ほど急速なものとならない可能性が大きいことで゛ある。前回オイルショック後,石油輸出国では国内開発のため拡大的な政策が導入され,石油輸出国の輸入額は74,75年と金額ベースで前年比約60%の大幅増加となった。しかしこうした急速な輸入の増加は石油輸出国に少なからず経済的混乱を引き起し,インフラストラクチャー整備の遅れによる供給面での隘路の発生等からインフレを高進させることになった。こうした経済的混乱がひいてはイラン革命に典型的にあらわれたような急速な近代化と伝統的社会とのあつれきを生むに至ったと見られる。

今回石油輸出国ではこうした点の反省に立って拡大的な政策運営に対する見直し気運が高まっている。とくに第1次石油危機後年平均40%で拡大して来たイランの輸入は,イラン革命やアメリカによる資産凍結の影響もあって79年は39.2%減となった。一部のハイ・アブソーバー諸国においては77年,78年の引締めの反動もあってなお依然として高い輸入の伸びが続くと思われるものの,石油輸出国全体としての輸入の伸びは第1次石油ショック後に見られたような急速なものとはならない可能性が大きい。

オイル・マネーが今後ともかなりの規模で続くとする第二の理由は実質価格が横ばいないしは上昇すると見られていることである。第1次石油ショック以降,石油収入の相当部分がインフレの海に沈んでしまったのに対し,石油輸出国としては今後この実質価格の維持・上昇について最も腐心することになるだろう。現に産油国側ではその長期戦略の一環として石油の公式販売価格をインフレ率,為替レートの変化率及び実質成長率にリンクさせる価格戦略を検討している。

なお石油消費国側の石油輸入需要については,脱石油の進展というそれをへらす要因と不況が前回程深くならないという逆の要因とが作用すると思われる。

(民間部門を通ずる還流の困難化)

前回と今回のオイルショックにおける条件の違いの第二は市場を通じたオイル・マネーの還流が前回よりは困難になると見られることである。第1次石油ショック以降,石油輸出国のオイル・マネーと石油輸入国の借入れ需要をつなぐ役割を果した国際銀行部門は今回の還流問題に際してさまざまな環境,条件の悪化に直面している。

その第1は国際業務の急速な進展によって銀行(特に米銀)の資本・資産比率(資本の貸出しに対する比率)が悪化していることである。たとえば米銀の資本・資産比率は1972年末の4,5%から79年9月には3.5%に低下したといわれている(モルガン・ギャランティ・トラスト,ただし,資本・資産比率がどの程度制約となるかは国により異なる)。

第2は今回の石油ショックまでの間に非産油途上国に対する貸付が相当進んでおり,銀行の債権構成が悪化していることである。

第3は前述のとおり国際金融市場が76年以降借り手市場化していく過程でスプレッドが縮小し,貸出期間が長期化するなど貸出条件が銀行にとって不利なものとなっていったことである。80年になってからはスプレッド,貸出期間とも銀行に有利なものになってきているが,その改善はまだ十分ではない。加えて今回はこれまでのところ先進国でもエネルギー関連投資をはじめとして投資資金需要が強く非産油途上国への貸出しを急ぐ必要が小さくなっている。

第4にカントリー・リスク(海外の特定国への信用供与に伴う危険)の高まりがある。非産油途上国のカントリー・リスクは,累積債務の増大,債務返済比率の上昇等に加えイラン・アフガニスタン情勢など政治的不安の高まりもあって増大している。

こうしたことから民間銀行の途上国融資はその能力の面からも意図の面からも制約されてくる恐れもあろう。

(国際銀行活動に対する監視の強化)

こうして民間銀行の国際貸付業務の拡大に伴いそのリスクが増大する中で,主要国の政策当局は民間銀行の国際貸付活動の監視を強化する動きを見せている。

すなわちアメリカは米銀のカントリー・リスク度を評価するプログラムを開発しており,また西ドイツではルクセンブルクにある子会社との連結財務諸表の提出を義務づけ,イギリスでも6か月ごとに国別・対象別の融資状況をイングランド銀行に報告することが義務づけられた。

さらに先進10か国グループとスイスは国際決済銀行(BIS)に「銀行活動の規制と監督に関する委員会」を設けてこの問題の検討を進め,次のような提言を行なった(80年4月)。すなわち第1に国際銀行活動の及ぼす影響を定期的に監視するため中央銀行間の取極を強化すること,第2に銀行の国際活動に関する監視制度を改善すること(特に連結財務諸表による銀行監査,銀行のカントリー・リスク評価・マチュリティ・トランスフォーメイション-短期借りの長期貸し-の監視),第3に国際銀行活動に対する各国間の公的規制の格差を縮小するよう努力することがそれである。

民間銀行の国際貸付活動に対する監督の強化は,国際資本市場が円滑に機能するためには銀行活動の健全性を維持することが必要不可欠との認識に基づくものであり,銀行活動の健全性への信頼がオイル・マネーのリサイクリングの前提となるが同時に監督,規制が過度に急激かつ厳格なために銀行貸出しが大幅に鈍化し,借り手の長期的ニーズを不当に阻害することのないよう注意すべきともされている。

本年に入ってからのユーロ・バンクの途上国への融資額は急速に減少した。すなわちユーロ・バンクの非OPEC途上国に対する貸出額は1980年1-8月で前年同期の234億ドルに対し134億ドルとなった(第3-1-4図)。特にこれまでのところ中進国への貸出しの減少が目立っている。これは本年に入ってからのユーロ市場の金利の急騰等も影響したものと思われるが,基本的には途上国融資への警戒感によるものであろう。

以上のようにオイル・マネーの還流をめぐる条件は総じて今回の方が悪化している。もっとも非産油途上国にとって今回のほうが条件のよい面もある。その一つは今回の石油ショック時における非産油途上国の外貨準備が前回よりも手厚いことである。前回石油ショック直後の74年には経常赤字(369億ドル)は外貨準備高(387億ドル)とほぼ同規模となり,さらに75年には経常赤字額(459億ドル)が外貨準備高(361億ドル)を大きく上回った,これに対して今回は外貨準備が大きく積み増された結果,79年の経常赤字(529億ドル)は外貨準備高(854億ドル)の62%にとどまっている(第3節参照)またIMFファシリティの役割りも拡大されている。