昭和55年

年次世界経済報告

石油危機への対応と1980年代の課題

昭和55年12月9日

経済企画庁


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第1章 1980年の世界経済

第7節 困難な調整段階にある共産圏経済

1. 調整政策を進める中国経済

(79~80年の国内経済概況)

華国鋒政権成立(76年10月)以来の中国は経済重視政策をとり,78年2月には120の大型プロジェクト建設などを盛り込んだ「国民経済発展の10か年計画(76~85年)」を発表した。しかし文革期(66~69年)以降の政治変動の影響に加えて,計画があまりにも野心的な目標を掲げ,かつその目標相互の整合性を欠いていたことなどから,産業部門間のアンバランス,エネルギーや資金面での隘路が表面化した。このため,79年6月には,計画を実質的に棚上げとし,79~81年の3年間は,「調整,改革,整頓,向上」の八字方針に集約される調整政策を実施し,高成長よりも産業部門間にバランスのとれた安定成長,民生の向上をめざすことが決定された。

調整政策の具体的内容は,①農業,軽工業の重視,②エネルギー,交通運輸,建材部門の強化,③基本建設投資(固定資本形成)の削減と投資効率の向上,④輸出拡大と外資の活用,技術導入の促進,⑤経済管理体制の改革,⑥民生の向上,科学技術,教育事業の発展,⑦人口増加の抑制,⑧価格調整などである。

調整初年度に当たる79年には,天候に恵まれたことに加え,農産物買い付け価格の引上げを始めとする優遇策の実施などにより,農業生産が計画(4.0%増)を上回り,前年比8.6%増と好調であった。また,工業も軽工業の好調に支えられ,8.5%増と計画(8.0%増)を上回った(第1-7-1表)。実質国民所得は7.0%増となり,消費の増大などから蓄積率()は33.6%と78年(36.5%)に比べやや低下した。そして,集団所有制企業を中心に,目標の750万人を上回る903万人が新規に就業した。

しかし,その反面,つぎのような問題を生じた。まず,民生向上のための措置(農産物買い付け価格,労働者の賃金引上げなど),基本建設投資額,国防費の増大などにより,歳出が急増し,財政収支が170.6億元(歳出の13.4%)の大幅赤字を記録した(第1-7-1図)。また,労働者の賃金,農産物及び副食品価格の引上げや,企業の不当値上げなどから,物価が上昇し,79年のインフレ率は前年比5.8%高となった。

80年の工業,農業生産の伸びは,計画では,それぞれ6.0%増,3.8%増とされている。農業については,79年秋以来の天候不順から,小麦を中心とする夏収作物が10%以上の減産となったほか,早稲も減産となった。80年の穀物生産は豊作であった79年とは打ってかわって減産と予想されている。工業生産は,80年に入って一層優遇策の強化された軽工業が好調なため(1~9月,21.5%増)1~9月に前年同期比11.7%増となっている。しかし,エネルギー部門の伸びは,前年同期比0.4%減となった。

(対外経済交流の進展)

78,79年には西側先進国からの技術,プラント輸入の急増などから貿易額の伸びはそれぞれ30.3%増,28.2%増となり,貿易収支は19.8億元,31億元(約12億ドル,20億ドル)の赤字を記録した。

しかし,80年上期には,貿易収支は2億元(1.3億ドル)の黒字となった。これは輸出が石油価格の上昇等から前年同期比35.5%増と急増したのに対し,輸入は現在の必要性に照らして輸入量を抑制するという調整政策の政策効果もあり,7.8%増にとどまったためである。80,81年計画では貿易額の伸びは,それぞれ13.6%増,8.1%増と低水準にとどまる見込みであり,両年の貿易の拡大テンポは,78~79年(29.3%)の水準には及ばないものと思われる。

しかしながら,中国と西側諸国との経済交流は委託加工,補償貿易など貿易の多様化に加えて,外資導入面でも新しい展開を示しつつある。中国は従来の借款,投資,援助は受け入れないという方針を翻し,79年中に民間,公的ベースを含め約270億ドルの信用枠を獲得している。基本的には金利の高い商業銀行の融資よりも,長期低利の政府借款及びIMF,世界銀行など,国際金融機関の融資獲得に重点を置き,その方針に沿ってまず日本から500億円(79年度分)の政府借款供与を受けることが決定された。また,80年春には,IMF,世界銀行にも加盟し,9月には出資割り当て額の増大が承認され,選任理事国に就任した。現在,すでに世界銀行に対しエネルギー資源開発関連融資を要請している。79年に導入した借款は歳入の3.2%(22.8億ドル)を占めるに至っているが,今後当分の間債務返済比率が20%を上回らぬよう慎重に配慮していく方針を表明している。

また,直接投資については,資金の節約と同時に経営管理技術の習得が可能な合弁事業を積極的に進める意向であり,79年7月に「中外合資経営企業法」を制定した。79年中は,関連法規の未整備などから,中国側が期待するほどの進捗ぶりは示さなかったが,80年に入り,サービス業,製造業などの分野で徐々に合弁企業が設立されつつある。80年9月より,「中外合資経営企業所得税法」(税率は利潤の30%,地方税込みでは33%)を施行しているが,今後会社法など関連経済法の整備が進み,投資環境が整備されれば,合弁企業設立の動きも一層活発化しよう()。

また,経済管理体制の分権化に伴い,対外貿易のみならず外資導入(合弁事業)も一定限度内において地方政府独自で進められることとなっている。

とくに,広東,福建両省については,香港・マカオに近いという地理的条件などから,大幅な裁量権が与えられている。広東省の深川,珠海,仙頭では,台湾,韓国の輸出加工区と近似した「経済特別区」を設立し,外国企業を積極的に誘致するため,所得税減税,原材料などの輸入関税免除などの特別措置をとることが許可されている。

(体制改革に着手した中国経済の今後)

従来の中国の経済管理システムは,極めて中央集権的,行政介入的であった。国営企業の経営管理にしても原材料調達,生産,投資,製品販売,労働者の雇用,賃金などすべて国家計画に組入れられ,企業が自主性を発揮する余地がなかった。また,欠損を出しても国家により補填され,利潤はすべて財政収入として吸い上げられたため,企業経営の良し悪しが企業や,そこで働く労働者の利益と結びつかず,非効率な経済運営がなされていた。

このため,調整政策の一環として提起された経済管理体制の改革では,企業の自主権を拡大するとともに,計画経済に市場メカニズム,競争概念を導入し,その効率化を促進することが図られている。経済運営も従来の行政的手段による管理から,価格や金利など経済的手段による管理に変えることをめざし,財政金融,価格,流通,労働管理,対外貿易制度など,すべての面にわたって今後徐々に改革を推し進めようとしている(第1-7-2表)。78年秋から試行されている企業の自主権拡大は,80年6月時点で6,600の国営工業企業(国営工業企業生産総額の45%)に及ぼされているが,81年から全国の国営工業企業で実施し,その内容も価格操作,労働管理などにおいて一層拡大することとされている。

こういった経済管理体制の改革は,80年9月に華国鋒首相に代わり新首相に就任した趙紫陽首相のもとで,今後積極的に進められることとなっているが,改革の内容は多岐にわたっており,段どりを追って慎重に行わないと経済活動に混乱を来たす恐れもある。加えて,現在の中国は,以下のような多くの問題点を抱えている。

その一つは,財政赤字問題である。79年に生じた170.6億元の赤字を80年に80億元,81年には50億元まで縮小するためには,歳出削減,歳入増大の両方の措置が必要である。しかし,食糧・副食品など重要民生物資の買付け価格と小売価格の逆ざやを埋める価格差補給金が年間200億元にのぼること,社会文化費など民生向上のための出費は今後も増大する傾向にあること等を考えると,基本建設投資の削減が順調に進まなければ,歳出削減は難しい。

一方,歳入面では,政府の期待どおり上納利潤や税収が順調に増加するかどうか問題がある。それは企業管理上の問題や価格の不合理性などから,国営企業の4分の1近くが赤字経営であり大量の在庫を抱えるなど非効率企業も多いからである。

第2に,当面エネルギーの増産見通しが暗く,とくに,石油は今後減産の恐れもあることである。そのため,すでに81,82年の対日輸出量削減を要望している。現在中国は溺海,南海,黄海などにおいて,西側先進諸国と海上油田の探査開発契約を締結しているほか,陸上油田,石炭開発にも外資を導入してエネルギー資源開発を急ぐこととしているが,エネルギー不足が生産拡大を制約する恐れもあり,重要な外貨獲得源の一つである石油生産の不振は,近代化のための資金調達にも影響する。

第3は,失業者の吸収,雇用拡大問題である。政府は集団所有制企業,個人経営企業の発展,サービス部門の拡充などにより,雇用の拡大をはかっており,79年には一応の成果をあげた。しかし30歳以下の人口が総人口の65%を占める中国では,都市における新規学卒者が毎年200万人以上を数える状況にあり,失業者の吸収も含めて雇用機会の確保は困難な課題である。雇用の拡大は当面要請される生産性向上と対立することも問題をむずかしくしている。また,人的資源の質についても国民の科学技術,教育水準は依然として低く,近代化のための人材養成が急務となっている。

80年8月末に開催された全国人民代表大会では,80,81年においても調整政策を堅持し,さらに,81年には新たに「10か年計画要綱」を定め,それに従って「第6次5か年計画」を実施することが明らかにされた。今後10年間は,調整政策の基本方針が引き継がれると思われるが,その間にどのように現在の問題点を克服し,将来の高度成長へ向けての礎を築くかが中国経済の課題である。

2. 厳しさ増すソ連・東欧経済

ソ連・東欧の経済は,生産性の伸び悩み,計画経済特有の硬直性等構造的問題に天候不順による農業不振,さらに,石油危機以降の対外経済環境の変化など,経済的困難が増大している。ソ連の経済成長は79年には計画の4.3%に対して2.0%にとどまり,また,80年の計画も4.0%と低められたにもかかわらず,3.8%にとどまると見込まれている。第11次5か年計画の初年度に当たる81年目標も3.4%と極めて低く設定された。東欧諸国の79年の成長率もポーランドがマイナスになったのを始め,軒並み計画を下回る低成長となった。

(経済的困難の増大するソ連・東欧経済)

79年のソ連・東欧経済の国民所得(物的純生産高)成長率は平均2.4%とかつてない低水準にとどまった(計画の平均は4.4%)(第1-7-2図)。これは,工業生産の鈍化に加えて,天候不順の影響もあって農業生産が多くの国で減少したためである。80年に入っても,こうした動きには目立った改善は見られない(第1-7-3表)。

こうしてソ連・東欧経済のパフォーマンスは最近著しく悪化しているが,その経済成長率は長期的にも低下傾向を示している。とくに,現行5か年計画期(1976年~80年)に入ってそれが一層顕著となり,控え目に設定した計画目標さえ未達成となる事態が続いている。これは,次のような長年の問題が積み重なって来たためである。すなわち,その第1は労働力の確保が困難化する中で,労働生産性も伸び悩んでいることである。第2は,長年にわたる工業中心の経済政策のしわ寄せから,各国とも総じて農業生産が伸び悩んでいることである。中でも食肉の不足は多くの国で恒常化している。第3は農産品等生活必需品の価格を低位に安定させようとした結果,国家補助金が多額に上り,逆に工業投資に向ける財政資金が不足を来していることである。投資効率自体も悪化している。第4はソ連の石油供給余力が乏しくなったことから,東欧でぱエネルギー源をソ連に全面的に依存してきたこれまでの体制を見直す必要に迫られていることである。そのほか,運輸,建設部門などの基盤の弱体化,対外依存度の増大に伴う外部要因に対する脆弱性の増大なども問題となっている。

ソ連,東欧諸国の経済的困難を象徴する形で,ポーランドでは,80年7月初めの食肉価格引上げを端緒に労働争議が頻発し,政権首脳の交替を招いた。

東欧諸国の経済的困難は西側に対する累積債務の増大ぶりにも現われている。東欧諸国の西側諸国に対する純債務残高は,貿易収支の赤字化に伴って70年代初頭より増大の一途を辿り,79年末には約490億ドルに達したとみられている。ポーランドはその内の約4割を占めている(第1-7-3図)。

(東西貿易の動向)

最近の主要国の東西貿易(対ソ連・東欧諸国との貿易)をみると,まず輸出面では,アメリカが79年に前年比54%増と大幅に増大し,フランスも38%増加したが,イギリス,イタリアは1桁の伸び,また,日本は微増にとどまった。80年1~6月期になると,アメリカが前年同期に比べ15%減り,日本も微減したが,イギリスが41%増と大幅にふえたほか,フランス,イタリアが20%前後の増,西ドイツが13%増となっている。

一方,輸入面をみると,79年には西ドイツが前年に比べ42%増と大幅に増加したほか,日本,フランス,イギリス,イタリアは30%強増加し,また,アメリカは24%増となった。80年1~6月期になると,アメリカが前年同期比9%減少した。また,イギリスが7%増,日本が9%増となったが,輸入価格の上昇率を考慮すると実質輸入額はマイナスとなったとみられる。これに対して,フランスは77%増,イタリアが55%増と大幅に増大し,西ドイツもかなり増加している(第1-7-4表)。

西側主要国の東西貿易に対する依存度をみると,西欧諸国の依存度の高いのが分る。まず輸出面では,輸出全体に占める対ソ連,東欧輸出の比率は79年で西ドイツの6.5%を筆頭に,フランス4.1%,イタリア3.7%と大陸諸国は日本の3.2%,アメリカの3.1%をかなり上回っている(第1-7-5表)。輸出全体でなく工作機械,鉄鋼等特定の品目をとると,それはさらに高く,EC全体で1~2割,国によってはもっと高くなっている。

一方,輸入面でみても,西欧諸国はソ連,東欧諸国からの原燃料輸入を拡大しており近年の世界のエネルギー需給情勢からみて,これらの輸入を無視することはできなくなっている(EC諸国の対ソ連,東欧輸入依存度は,1978年時点で石油,石油製品で6.5%,天然ガスで5.7%)。

こうして,東西貿易が伸びつづけている背景には,より重層的な経済関係が,とくに東西両欧の間で70年代を通じて培われて来たという事実がある。

たとえば,東西間の工業協力協定は70年の350件から76年には1,200件を越すまでに拡大したし,西側諸国からの直接投資もハンガリー,ルーマニア,ポーランド,ブルガリアの諸国がこれを認めるに至っている(ブルガリアの場合は,西側の資本参加比率を50%以下に制眼することさえしていない)。こうした東西の経済関係は,とくに東西両欧にとっては貿易依存度が高まってきているだけに,簡単には後退しがたくなっているものと考えられる。

こうした中で79年末のソ連のアフガニスタン軍事介入に対抗してアメリカは対ソ経済措置を発動し,西側諸国にも協力を要請した。アメリカの対ソ経済措置は穀物の輸出制限,高度技術,戦略物資の輸出規制等多岐に亘った。

効率的経済発展と民生向上を目指すソ連にとって東西貿易の果す役割は大きく,対ソ経済措置の影響がどう現われるかが注目されている。

(問題点と見通し)

ソ連・東欧諸国は次期5か年計画(1981~85年)に向けて,経営管理制度や計画制度そのものの手直し,物価体系の改革などの改革努力を迫られている。これら諸国を取り巻く基本的条件には当面変化は期待し難いが,こうした種々の制度的手直しを実施しつつ経済的困難に対処していくことが,ソ連・東欧経済の課題となっている。