昭和54年

年次世界経済報告

エネルギー制約とスタグフレーションに挑む世界経済

経済企画庁


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第3章 スタグフレーションと世界経済

第3節 先進国のインフレ体質の悪化

先進国の物価上昇率は60年代後半,70年代前半,同後半と時代を追うごとに高まっている。とくに73年の第一次石油危機以降は各国とも物価上昇率が著しく高まった。これは73年前後に世界的な景気の同時過熱,農産物の不作及び第一次石油危機というインフレ悪化要因が集中して世界経済を襲ったことが直接的な理由であるのはいうまでもない。しかし,さらに事態を一層悪化させているのは,こうした直接的な諸要因が消滅または弱まった後でもインフレが従前の水準にまで減速しないことである。そのため時期を追って過去のインフレが累積し,物価上昇率の底を押し上げることとなっている。

いずれの先進国経済も,こうした一旦始動されたインフレが減衰しにくい体質は時と共に悪化している。しかしその度合いは国によって異なる。主要国では第一次石油危機以降,日独のインフレが収まったのに対して,伊,英,仏のインフレは減衰せず,また一時鎮静化に向った,米,加も,その後再加速している。最近の主要なインフレ始動要因の多くが各国に共通のものであるにもかかわらず,国によってこうしたインフレ面のパフォーマンスに差が生じるのは,このインフレ体質の差によるところが大きい。

そこで本節では,こうしたインフレ体質の強まりに寄与していると見られるいくつかの原因を取り上げてそのインフレに及ぼす影響を分析してみょう。

1. 賃金コストの重要性

長期的に見て物価を決定する一つの重要な要因は賃金コストである。賃金コストの変化が短期的に価格の変化にどう反映されるかは,輸入コスト等その他のコスト要因,当該生産物市場の需給状況,当該企業の利潤,価格支配力等様々な要因に依存するのはいうまでもない。しかしながら,中長期で見ると,価格の動向と賃金コストの動向には,かなり密接な関連がみられる。第3-3-1図は主要国の卸売物価上昇率と製造業賃金のコスト上昇率の関係を示したものであるが,両者の間に密接な関係があるのが分る。

いま主要国の製造業・賃金コスト(名目賃金/生産性)の推移を長期的に見ると(第3-3-2表),63~67年には各国とも賃金コストは極めて安定していたが,68~73年には3%から7%の上昇を示し,第一次石油危機以降は更に一段と加速している。とくに伊(年平均18.0%),英(同16.4%),仏(10.7%)の諸国は二桁に上る上昇率となっている。これに対して西独のみは3.4%と第一次石油危機以前の4.0%をも下回る低率の伸びにとどまっている。日(9.5%),加(7.6%),米(5.5%)の諸国が両者の中間に入るが,日本の場合は74年,75年の異常な高騰の後急速に鈍化を示している。

アメリカについて消費者物価上昇率と賃金コスト上昇率の関係を図示すると第3-3-3図のように極めて密接な動きとなる。両者の相関係数を68~78年についてみると94.5%にも上る。これは58~68年には83.7%であった。労働シェアの上昇に伴って最近程両者の関係が密接になっている。

そこで,以下賃金コストに焦点を合わせて,その近年の動向(長期的上昇傾向と下方硬直性)を調べて見ることにする。

2. 賃金上昇率の長期的加速

    (1)第3-3-4表は主要国の製造業の時間当り賃金上昇率である。これによると西ドイツと日本を除いて主要国で賃金上昇率が最近になる程高まっているのが分る。これを下方硬直性という観点から見るため,景気後退期の賃金上昇率の変化を見ると,第3-3-5表から,第3-3-9表のようになる。アメリカでは,景気後退のたびに賃金上昇率の減速の度合が小幅になって来ており,前々回(69~70年),前回(73~75年)の景気後退期には,その前の景気の山における賃金上昇率をはるかに上回るに至っている。またイギリスにおいてはすでに60年代初から70年代のアメリカと同様な動きとなっている。これに対して西ドイツでは,こうした動きは見られない。また日本でも景気の谷の賃金上昇率は景気の山に比して著しく減速している。

    第3-3-6表 イギリスの景気循環と製造業賃金上昇率(注)

    第3-3-7表 西ドイツの景気循環と雇用者1人当り賃金上昇率

    第3-3-8表 日本の景気循環と製造業賃金上昇率(注)

    (2)こうして日,独以外の主要国で景気後退期にも賃金上昇率が鈍化しなくなったのは,賃金上昇率が当期の労働市場の需給によってよりも,当期(あるいは前期,前々期等)の消費者物価上昇率(生計費)によって影響される度合いが増大していることによる。この間の事情をアメリカについて見ると,賃金上昇率を失業率,前期,前々期の賃金上昇率及び消費者物価上昇率で説明する場合,54年から69年までは,説明変数たる消費者物価上昇率のパラメーターはほとんどゼロであったが,計測期間を77年まで延ばすとそれが約0.2に高まるという計測結果がえられている(ブルッキングス研究所のG.ペリーによる。なお他の説明変数パラメーターは余り変化しない)。

    このように日,独を除いて賃金上昇率の需給感応度が低下し,物価感応度が増大しているのは,根強いインフレの過程で労働組合等が生活防衛のためできる限り実質賃金を維持しようとし出したためである。こうした動きは制度面では賃金決定過程における物価スライド制の普及となって現われている。

    アメリカでは,生計費エスカレーター条項(COLAと呼ばれる。 Cost of Living Adjustmentの略)付の労働協約がひろまり,それに伴ってCOLAによる調整金額も大きくなっている。

    COLAの具体的内容は,労働協約によってまちまちであるが,たとえばアメリカの代表的労組である全米自動車労組が79年9月にジエネラル・モーターズ社と結んだ賃金協約についてみるとつぎのようになっている。すなわち,契約初年度及び第2年度については消費者物価指数(上昇率ではなく1967年=100の指数そのもの)が0.3ポイント上昇するごとに時間当り賃金率を1セントふやし,契約最終年度の第3年度については0.26ポイントごとに1セントふやす。この調整は四半期ごとに行なう(これによって物価上昇による名目賃金の目減り分の82%をとりもどすことになるという)。なお本賃金協約では上記のCOLAのほか,毎年3%の賃上げ,年金給付の改善等が合意された。その結果年平均8%の消費者物価上昇率を前提とすると現在時間当り14ドル28セントの基準賃金は3年間で4ドル77セント引き上げられることになり,引上げ率は33.4%,年率10.1%(複利)となる(ビジネス・ウィーク,79年10月1日号による)。

    COLAの普及ぶりを,適用対象となる労働者数で見ると,1965年には200万人であったのが78年には580万人と約3倍にもふくれ上っている。又労働協約対象労働者数に占める比率も65年にはる%にすぎなかったのが78年には60%に増大している。労働協約対象労働者の賃金上昇率中COLAに基づく分も68年には6.0%中の0.3%にすぎなかったが,78年には8.2%の内の2.4%,約3割になっている。また,77年時点でみるとCOLAによって物価上昇率のうち,約57%を回復している。

    ただ,アメリカの労働者の組織率は,78年現在2割強なので,COLAをもつ労働者の非農業民間労働者に占める比率は10%強にすぎないが,問題なのは,COLAが自動車,トラック輸送等相場を主導する産業に集中していることである。また,COLAのない賃金決定においても,下方硬直性が強まる傾向がみられる。

    イタリアでは,スカラ・モビレとよばれる賃金の物価スライド制が戦後間もないころから実施されている。,スカラ・モビレの規定とその改訂は政府の提案と調停のもとに,経営者団体と労働者団体間での合意にもとづく「団体協約」によって行なわれる。その締結後は共和国大統領により法律と同一の効果が付与される。これによって生計費の四半期中の変化に応じて一定の物価調整手当が翌四半期の賃金に上乗せされる。この制度に加えて3年に1度の賃金交渉における賃上げ率も高いため,結果的にみた年々の賃金上昇率は常時かなり大きなものとなっており景気が大きく落込んだ1975年(鉱工業生産は前年比9.2%減)にも,製造業における実質賃金は9.6%も上昇した〈第3-3-9表)。

    フランスでは,最低賃金が1970年以降,消費者物価にスライドして上昇することに改められている。すなわち,消費者物価指数が,最低賃金改訂後2%以上上昇した場合には,指数発表の翌月から最低賃金が自動的に同率引上げられるのである。もっともフランスの場合最低賃金が適用されるのは全労働者の約5%にすぎない。

    (3)以上のような各国の物価スライド制はインフレの弊害を中立化することにより労使間のいらざる紛争を回避しようとの意図から生まれた制度であり,インフレがおだやかな時代にはそれなりの役割を果したものと評価される。またインフレが減速している時にはむしろ逆にインフレ期待の悪影響をとり除く作用をもつ。しかしインフレが加速し,しかも石油危機のごとき海外への所得移転を伴うインフレが出現して来ると,その本来のメリットを超えた弊害が現われて来る。

    物価スライド制の弊害が大きくなるのは石油危機時だけではない。より一般的に交易条件の悪化,為替レートの下落,間接税の引上げなど物価上昇の原因が国内の労働資本以外の第三者(つまり政府,外国)にある場合がそれである。

    輸入インフレ等に基因する弊害を除くためには賃金調整に使用する物価指数から輸入インフレ分を除外する等の工夫が考えられる。例えばオーストラリアでは労使紛争を鎮める目的で1975年に導入された賃金の物価スライド制でそれに用いる物価指数から豪ドル切下げや石油価格上昇による分を除外する等により賃金上昇率を消費者物価上昇率以下に抑える一方,景気回復による生産性の上昇もあって,79年春までインフレは鎮静化してきた(第3-3-10表,第3-3-11表)。もっとも労組側の不満も高まっているようであり,本方式の成否は今後の進展にかかっていると言えよう。

    賃金と物価の関係は結局のところ国民所得の分配の問題である。民主的な市場経済では生産要素の稀少性の変化等を反映しつつも,公正な分配関係が得られるのが望ましいのはいうまでもない。その意味で不当に実質賃金が削減されることに対して,労働者の生活を防衛する何らかのメカニズムは必要である。しかし,すでに分析したように生産性の低下とか交易条件の悪化は,一国経済の実質的なパイの減少を意味するものである。したがってそれらに基づく物価上昇によって実質的な生活水準が低下してもそれは本来名目賃金の上昇によっては補填し切れないものである。しかるに形式的な物価スライド制等は物価上昇の要因とは無関係に名目賃金の増大を惹き起し,それが次の物価上昇への圧力を生み出すことになる。

3. 労働生産性の伸び悩み

労働コストの上昇傾向には,上述の名目賃金上昇率の加速化と合わせて,労働生産性の伸び悩みが大きな原因となっている。

主要国の労働生産性の伸びの動向を,第一次石油危機の前後で比較すると,第3-3-12表のようにいずれの国も3割~6割のダウンとなっている。

米国の場合をやや詳しく見ると,民間部門の労働生産性の伸びは1948~65年の3.2%から65~73年には2.3%に低下した後,第一次石油危機後は73~77年1.0%,78年1.1%,79年1~9月期には年率マイナス1.4%となっている。

こうした生産性の伸び悩みの原因として指摘されるものに,①設備投資不足に基づく資本装備率の伸びの鈍化,②研究開発投資の低迷等に伴う技術進歩の停滞,③低生産性部門(農業等)から高生産性部門(製造業等)への労働や資本の移動の完了,④需要の伸びの鈍化による生産数量の伸びの鈍化,⑤政府規制の強化,⑧労働力の年齢,男女別構成の変化等がある。米国についてはこれらの諸要因を統一的なフレームで分析したケンドリックの研究がある(第3-3-13表)。第一次石油危機以降の米国の生産性の伸び1.1%は,戦後20年ほどの時期に比べて年率2.4%ポイントの大幅鈍化となっている。ケンドリックの分析によると,上記各要因の生産性上昇率鈍化に対する寄与度は,①がマイナス0.4%ポイント,②がマイナス0.6%ポイント,⑧,④がマイナス0.5%ポイント,⑤がマイナス0.3%ポイントとなっており,それぞれほぼ同程度の寄与をしていることが分る。⑧はマイナス0.1%ポイントの寄与となっているが質の改善をふくめた労働力全体の貢献は教育水準の向上によってプラス0.1%ポイントとなっている。

アメリカ以外の主要国についてこうした統一的分析を行なった例は見当らないが,上記要因の内①~④について,データの許す限り,独,英等との比較を行ないながら,その中味を検討していこう(⑤は5節で検討する)。

① 資本装備率の伸びの鈍化

1948~73年には年率2.2%の伸びを示していた米の資本装備率は73年~78年はわずか0.9%の伸びにとどまっている。これは第一次石油危機以後の回復過程で相対的に設備投資が伸び悩んだためである(第1章第2節参照)。

いま労働生産性を(ア)資本・労働比率と(イ)資本の生産性と分けて,米・独を比較すると,米では(ア),(イ)とも伸びが低下する形となっているのに対して,西ドイツでは(イ)の伸びは低下しているものの(ア)は1960~65年の年率3.7%増に対して73~77年では同5.7%増と,むしろ高まっている。このことからすれば,西ドイツは米のように資本不足によって労働生産性が伸び悩む状態には陥っていない。もっとも西ドイツの資本・労働比率の高まりは就業者の減少(73~77年マイナス0.7%)によるところもあることを考えると,西ドイツにおいても就業者を増加させながら資本・労働比率を高めていくだけの設備投資が行なわれたとは言えない。

設備投資の伸び悩みは,西ヨーロッパ主要国に共通した問題である。いま,民間設備投資の対GN P比率を70~73年と74~78年について比較すると,西ドイツでは16.0%→12.2%,仏でも12.7%→10.3%に著しく低下した。英,伊では比率は若干上昇している(それぞれ9.0%→9.5%,8.4%→9.3%)もののその水準は低い。英における民間設備投資比率の第一次石油危機以降の上昇には北海油田関連投資の増大の影響がある。

こうした西欧諸国の設備投資の伸び悩みには,(ア)景気回復が不十分で稼働率が低く利潤自体も少ないこと,(イ)実質賃金の上昇,実質エネルギー・コストの上昇等から企業利潤のシェア(法人所得/分配国民所得)が低下傾向にあること,(ウ)石油の供給制約もあって中期的な成長率の見通しが低い一方で,インフレ率は高く,企業のコンフイデンスの回復が十分でないこと,などが影響しているとみられる。

② 研究開発投資の低迷

研究開発投資の低迷とこれに伴う技術進歩の停滞は米の労働生産性鈍化の最大の要因とされている。GNPに占める研究開発投資の比率の推移を見ると,米では1964年にピークの3.0%に達した後漸減して78年には2.2%にまで低下している。これは主に軍事宇宙関係研究開発の減少に起因するが,それが民間分野への技術のスピン・オフを減少させている可能性もある。また民間分野自体の研究開発も公害防止等,生産性向上効果の少ない部門のウエイトが増大しているものと見られる。

研究開発投資比率の低下は60年代後半から英・仏でも見られる。これに対し,日本は横ばい,独は70年初頭まで上昇したのち,低下傾向を示している(第3-3-14図)。

研究開発投資による新技術開発がアメリカで停滞していることは,アメリカの特許許可件数に占める外国人によるものの比率が増大していることにも現われている(第3-3-15図)。これを国別にみるとイギリスの低下と日本の上昇が目立つ。日本は70年代初にはイギリスを抜き,70年代央には西ドイツをもやや上回るに至っている。

このように70年代に入る頃から日本を除く主要国で研究開発投資の対G NP比率が低下しているのは,設備投資の場合と同じく需要の長期見通しが悲観的なのが最もひびいていると思われる。

③ 部門間移動の完了

戦争直後から60年代半ばまでのアメリカにおける労働生産性の高い伸びは,農業から非農業への労働移動(第3-3-16表)によるところが大きかった。しかしこの原因は70年代にはほぼ消滅している。

農業から非農業への労働移動の鈍化現象は西ドイツでも見られる。53年に23.2%であった西ドイツの農業人口比率は63年には13.7%へ大幅に低下したが,70年に7.5%へ下った後はテンポが鈍り,75年で6.4%となっている。

④ 需要の伸びの鈍化による生産数量の伸びの鈍化

第一次石油危機後の世界景気の低迷により,73~78年の生産の伸びは68~73年と比べて各国とも大幅に鈍化した。いま生産の伸びの鈍化が労働生産性と雇用にどう振り分けられたかを主要国の製造業について見ると,第3-3-17表のように三つのグループに分けられる。すなわち,(ア)生産の鈍化を雇用の削減でより大きく吸収して生産性鈍化を相対的に小規模に抑えた独・日・加,(イ)雇用を維持したため生産鈍化がそのまま(あるいはそれ以上に)生産性鈍化に響いた英,伊及び,(ウ)生産鈍化を労働生産性の鈍化と雇用の削減の双方で負担した米である。前節で見たとおり,(ウ)の米国が生産性の伸び悩みから78年,79年とインフレが悪化した事実を考えると,(イ)のグループのインフレが定常的に高かったのは当然であろう。また(ア)の独・日は雇用面の改善が遅れた反面,賃金と生産性のバランスを回復することに成功した。

以上の諸要因の他,エネルギー価格が大幅に高騰したため,①エネルギー・コストが上昇し,これがエネルギー集約度を低下させることから資本集約度の低下につながり,労働生産性を鈍化させる,または,②エネルギー多消費型の設備が経済的に陳腐化し,それが生産性にも影響しているともいわれている。

以上は経済全体(あるいは製造業)での話であるが,次に産業別の動向をアメリカについて見てみよう(第3-3-18表)。

これを見ると労働生産性は第一次石油危機を境にして製造業でも低下しているが,それ以上に著しい変化を示しているのが鉱業,公益事業,商業及びサービス業である。これらにはそれぞれ特殊要因がある。まず鉱業の生産性の大幅ダウンは,石炭鉱業での労働安全規制の強化のために1人当り出炭量が大幅に減少しているのが響いている。公益事業の鈍化は環境・公害規制の強化の影響が大きい。卸売業の生産性鈍化の原因は不明であるが,小売業・サービス業等の生産性鈍化は,スーパーの普及が限界に来たことに加えて小売店の営業時間の延長,女子・若年雇用の増大等によるものと思われる。

イギリスの二次産業の生産性を,産業別にみると第3-3-19表のとおりである。米国と対照的に鉱業における生産性の上昇率がきわめて高くなっているが,これは,北海油田探掘の成功によるものである。また,一般機械電気機械の持ち直しは,人べらし合理化の結果である。これに対し金属,繊維,輸送機械の各産業は74年以降急速に生産性の伸び率を減少させている。特に国際競争力の観点からすると繊維産業は,あとでみるごとく,GATTの例外規定による輸入制限を導入している。

4. 市場機構の硬直化

アメリカや西ヨーロッパの主要国においては,生産物の価格や賃金水準等の決定,さらには,生産諸資源の配分が,基本的には,市場機構を通じて実現されているが,それが機能する民間部門において,その程度が長期的に弱まってきている可能性がある。

景気の後退の中でも価格が上昇を続ける傾向がみられる背景の一つとしては,賃金コスト等の上昇を製品需給とはあまり関係なく製品コストに転稼できることがあげられよう。このような転稼の容易さを生み出すものとして,第一には産業の集中度の高まり,第二は保護主義の強まり,が考えられる。

1)産業の集中度の高まり

産業の集中度が高まる場合には,つねに競争が制限されるとは言えないが,一般に集中度が高い場合には競争が十分に行われている状態に比べて,価格や生産量等が需給の変化に応じて変動しにくくなる等により産業間の資源の最適配分が達成されにくくなるとされている。

最近の主要国の産業の一般もしくは個別集中度の変化についてみると,一般集中度については,アメリカの製造業の総付加価値集中度が第3-3-20表のようになっている。上位50社,上位100社のシェアは60年代前半までに高まった後,その後横ばいとなっているが,上位150社,上位200社のシェアはその後も上昇をつづけており,全体として集中度はいぜん高まっていると見ることができよう。

また,西ドイツの一般集中度については,第3-3-21表のように製造業売上高に占める上位,10,20,30,40,各社のいずれのレベルにおいても,集中度が高まっている。

個別集中度については,イギリスの製造業売上高集中度の変化を見ると,やはり年とともに高まっている。すなわち1975年には5社累積売上高集中度が60%以上の品目が285品目中167品目と68年(157品目)よりもかなり増加している(第3-3-22表)。また,平均集中度も上昇している。

このように,米,独,英にみるごとく欧米主要国では,最近において,産業の一般もしくは個別の集中度が高まっていると考えられるが特に個別産業集中度の高低と,価格の変化の関連をアメリカにみると次のとおりである。

第3-3-23表は,アメリカの前回及び前々回の景気後退期における価格反応度を示している。集中度が68~100%と高い産業の製品価格は,前回の景気後退期には年率19.4%上昇と直前の景気上昇期の増加テンポ(2.8%)を16.5ポイントも上回っている。これに対して,集中度が低い産業では上回り幅が小さく,前々回の景気後退期には,集中度が0~33%の産業の製品価格上昇率は1.8%と直前の上昇期をむしろ1.2%下回ったほどであった。このようにアメリカでは,集中度の高い産業ほど景気後退期における価格反応度が鈍く,しかも前回の景気後退期には前々回に比べて価格反応度が著しく減退している。

2)保護貿易圧力の高まり

最近数年,先進国では輸入制限を求める動きが強まっている。

保護貿易圧力の高まりの背景としては以下の四点をあげることができる。第一には,1974~75年不況からの回復がはかばかしくなかったことである。大量の失業と設備過剰の下で,各国は輸出拡大ないし輸入制限の方策を追求することとなった。

第二には,いわゆる中進国が工業品輸出を急増させていることである。

中進国の工業品はその相当部分が先進国に輸出されており,先進国では,中進国からの輸入増大によって脅威を受ける産業が,低賃金国の不公正な輸出を抑えるべきだという名目で,保護を要求することとなった。

第三には,経済活動に対する政府の介入の増大である。この結果,他国政府が不公正な輸出補助金を支給しているとの名目で,個別産業が政府に対して何らかの保護を要求する風潮が強まった。

第四には,第一次石油危機後の先進国間の国際収支格差の拡大である。

国際収支の大幅赤字国では,赤字を減らすために,財政金融の引締めという政治的困難を伴いがちな方法だけでなく,輸入制限の方法も採用されたという面がある。

第3-3-24表は,アメリカ,カナダ,ECが71年から77年までに行った輸入制限措置の数を年ごとに示したものである。本表の輸入制限措置には,反ダンピング関税,国内産業に悪影響を与える輸入にかかる特別関税(いわゆるエスケープ・クローズあるいはセーフ・ガート行動),他国の輸出補助金にかかる相殺関税,数量制限,特別輸入付加税が含まれている。さらにカナダについては他国のカナダ向け輸出自主制限も含まれている。これをみると,76,77年と各国が輸入制限の程度を強めていることがわかる。

こうした動きを鉄鋼業についてみると,各国の景気回復の遅れと,世界的需給の緩和から欧米諸国の鉄鋼国内市況は低水準で推移していたため,生産削減やレイ・オフという事態が生じたが,このような状況下での鉄鋼輸入の増加は,国内産業をより一層苦しめ,失業の増加を招くという理由で,.輸入制限措置を要求する圧力が高まりをみせた。

こうした中でアメリカ政府は77年12月に,ダンピング調査を促進するため,トリガー(引金)価格制度を設定した。これは最も効率の高い鉄鋼生産国の生産コストを基に算出したトリガー価格を下回る輸入鉄鋼品に対しては直ちにダンピング調査を開始し,ダンピングと認定されたものからは税金を徴収するというものである。

それまで工業品全体とほほ歩調を合わせた上昇にとどまっていた鉄鋼価格は本制度設定後鉄鋼需要の増大もあって,急速に上昇し,78年12月には工業品全体の8.6%高(前年同月比に対し,11.7%高)となった(第3-3-25図)。

ECにおいても域内鉄鋼業の構造改善及び輸入改善を柱とするダヴィニオン・プランに加えて,78年1月から,GATT第21条(国家安全保障に係わる例外措置条項)に基づき,鉄鋼輸入について基礎価格制度(ベーシック・プライス)を設定し,またECへの鉄鋼輸出国との二国間交渉によって各国に対EC輸出数量,価格について自主規制を迫るなどの措置がとられている。

また,繊維・衣料に関しては,74年1月にGATT例外規定として「繊維製品の国際貿易に関する取決め(MFA)」が締結され,品目別の輸出枠の設定と国内市場かく乱の危険がある場合の協議要請等の調整が行われるようになっている(なお,この取り決めの有効期間は満4年間となっていたが,その後81年末まで延長された)。現在MFAに参加している国は輸出国,輸入国をあわせて40か国にのぼり,IMFによれは78年のアメリカの繊維・衣料輸入の80%はこの取り決めによるものとなっている。MF AのもとでECは78年6月にアルゼンチンからのウール衣料輸入について,同年7月にはギリシャからの繊維品輸入について数量制限を行った。

このほかイギリスも同年7月に衣料のフィリピンからの輸入を,さらに9月にはシンガポールからの輸入を数量制限した。カナダでも中国,台湾,香港,韓国,フィリピン,ポーランド,ルーマニアからの繊維輸入数量を制限している。

こうした保護主義的傾向の強まる中で,79年4月には,自由貿易体制の維持・強化を目指して東京ラウンドが実質的に合意を見た。東京ラウンドの精神の下に今後保護主義的傾向が防ぎとどめられていくことが強く期待されている。

5. 政府部門の比重の高まり

    (1)賃金の下方硬直性,生産性の伸び悩み,保護主義,現状維持主義のまん延等市場機構自体の弾力性を阻害する諸要因と合わせて,最近市場経済の活力維持にマイナスの影響を及ぼしているのではないかと世界的に再検討の対象とされているのが資源配分面等における政府の役割である。

    政府は資源配分面においては公共財の提供,又所得分配面においては所得の再配分という市場機構には委せておけない役割を本来的に持っている。しかしこうした面での政府のウエイトが過度に高まると経済成長の原動力である設備投資をはじめパイを拡大していく役割を荷っている民間部門への資源が不当に制約されたり,貯蓄・投資・労働のインセンティブが弱められたりして,肝心の成長力,経済効率が阻害されるようになると考えられている。また労働者が実質可処分所得を維持しようとする力が強い経済では,税負担の増大は貨上げ水準を一段と高め,賃金プッシュ・インフレをひき起すということも言われている。

    1960年代には先進工業国は有利な交易条件にも助けられて順調な高度成長を達成し,その成果を社会福祉の充実等に振り向けることができた。しかし1970年代に入ると各国経済のスタグフレーション体質が強まって高度成長が不可能になった上,産油国の力が強大になって,所得の絶えざる流出を強いられるようになった。こうしてもととなるパイの拡大がそもそも制約された上に,累進課税構造の下でインフレ昂進から絶えず実質的な増税を強いられる一方で,政府部門が民間に提供するサービスの質も一向に改善しない苛立ちが,「小さな政府」を求める国民の声を強めている。そのため世界的に,政府部門の効率化,政府部門の比重の抑制,政府規制の再検討が求められる気運にある。

    (2)たとえば米国ではカーター現大統領はすでに1976年の大統領選挙で連邦政府のGNPに占めるシェアを1981年までに21%に引き下げることをその重要な公約の一つに掲げて,以降その方向への努力を重ねている。

    又1978年10月のインフレ対策強化に際しては,財政金融政策面での引締め,賃金物価のガイドラインと合わせて政府規制の再検討を三本柱の一つに据えている。

    イギリスでは前述のように政府支出の削減,所得税の大幅減税,国有企業の民間への移譲等政府部門の本格的縮小を公約にかかげたサッチャー保守党が絶対多数を獲得してそれまでの労働党政権にとって替り,公約を踏まえた1979年度予算を提案している。

    またフランスでも78年春に成立した第3次バール内閣は,工業製品価格に対する政府規制等を漸次撤廃して,民間のイニシアチブと競争に基づてフランス産業の体質改善,国際競争力強化を図る方向を打ち出し,伝統的な政府介入から市場重視へ政策スタンスを転換している。

    OECDは,79年9月,政府規制が先進国社会の活力喪失をもたらさないよう,規制を生じさせた当初の理由が現在も存在するか,規制の利益が規制のコストを上回っているか,等を検討し,規制が必要な場合であっても,規制の目的と合致する範囲での競争の拡大,独占禁止法の一層の適用と適用除外制度の見直しの必要があると勧告している。

    始めにも述べたとおり,政府部門はそれなりの重要な役割を荷っており,こうした「小さな政府」志向が行きすぎることは,また逆に危険であるが,こうした動きは十分注目する必要がある。そこでここでは,1960年代,70年代を通じて膨張して来た政府部門の実状を検討することとしよう。

    (3)経済全体に占める政府部門の比重は各国とも60年代,70年代と高まる傾向を見せている。いま政府部門の比重を示す1つの指標として国民所得に占める租税税外負担総額の比率を見ると,第3-3-26表のようになっている。また中央政府歳出額のGNPに対する比率は第3-3-27表のように推移している。

    つぎに政府支出の中味を見ると,多くの国で個人に対する直接的所得移転等物価感応度の高い支出のシェアが増大している。主要国財政(中央・地方を通じた一般政府)における所得移転のシェアを見ると(第3-3-28表),西ドイツで1960年の46.3%から77年の47.8%と1.5%ポイントの上昇にとどまっているのを除いて,各国とも移転支出の比率はかなり急速に高まっている。とくに日本,イタリアは17年間に15%ポイント高まり,アメリカも12%ポイント高まった。

    こうした変化は年金需要の増大等社会のニーズの変化に対応して生じたものであることはいうまでもないが,こうした支出には物価スライド制が入っているものが多く,政府支出をインフレ悪化に伴って増大しやすいものにしていることは否めない。また,財政資金が生産的目的から消費的目的により多く振り向けられるようになったともいえよう。

    これに関連してもう一つの問題点は財政支出の中でいわゆる義務的経費のシェアが増大していることである。義務的経費とは過去のコミットメントによって規定され,制度等を変更しない限り抑制することが不可能な経費である。財政支出トータルの中に占める義務的経費の増大はそれだけ財政の伸縮性を阻害することとなる。この推移をアメリカについて見ると1967年の59%から73年には70%へ上昇した後78年には74%にまで高まっている(The Budget of the United States Government,1980,p.561)。

    こうして財政の硬直化が強まる一方で,一般に財政支出が物価の上昇に応じて自動的に膨張する事態を防止しようとする動きも見られる。たとえばイギリスでは従来は公共支出計画は調査価格(調査時点の価格)で表現されており,執行年度に対する支出金額を決定する場合には現金予算額へ変換する必要があるため,物価等が上昇すると名目支出額が自動的にふえる仕組みとなっていた。しかし1976年以降は,キャッシュ・リミット(Cash Limit)制度が導入された。これは,社会保障給付等を除く中央政府の全支出と,地方政府及び一部国有企業の資本支出に対して,時価による単年度の,支出上限を設定するものである。これにより,各省は,年度内の物価上昇率が政府見通しを大きく上回った場合においても,実際の現金支出を予算額の範囲に抑え込まなければならないことになっている。

    (4)つぎに政府規制は,規制される民間部門に規制を遵守するためのコストを強制するだけでなく,そのための政府支出も必要となり,経済全体としては二重のコストを払うこととなる。政府規制は,いうまでもなく,それなりの経済的社会的役割を果しているが,その経済に課すコストがその果している社会的役割に対して過大になると,社会全体としては望ましくないことになる。そうした場合にはインセンテイブシステムの活用等より効率的な規制の方法を考えるなど規制の再検討も必要となって来よう。

    アメリカの場合,連邦政府による規制活動は,社会の複雑化に対応して70年代に入って急増した (第3-3-29表)。 すなわち50年代半ばにおいては反トラスト,金融,輸送,通信等に限定されていた連邦政府の規制活動は,60年代以降環境,職場の健康,安全,エネルギー等広範な分野に広がり,その数も急増している。

    連邦政府の各種規制が民間部門のコスト増からインフレをどれだけ悪化させているかについては,ブルッキングス研究所のクランドールの推定がある。それによると,航空,トラック,船舶輸送に係る規制によってGNPデフレーターが0.3%~0.6%ポイント押し上げられているほか,食肉,鉄鋼,砂糖の輸入制限が0.1%~0.2%ポイント,最低賃金が0.2%ポイントのインフレ悪化要因として働いているとされている。

    これは僅かなポイント数と見られるが,たとえば引締めによって物価を1ポイント引下げようとすれば実質GNPの5%を失うことを堪え忍ばなければならぬということを考えると,(ブルッキングス研究所オーカンの計算)1%ポイントのインフレ要因は重大であるといえよう。

    アメリカ政府はすでに78年に航空規制を廃止した外,現在トラック輸送,鉄道輸送の規制見直しに取り組んでいる。また環境,安全規制等についても,先に述べたインフレ対策の一環として再検討を行なっている。