昭和53年度

年次世界経済報告

石油ショック後の調整進む世界経済

昭和53年12月15日

経済企画庁


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第4章 中進工業国の進出と先進国経済

第1節 拡大つづく発展途上国経済

1 非産油途上国の成長

石油ショック以後,先進諸国が低成長と高失業に悩まされているのに対して,発展途上国の経済は,1970年代の国際開発戦略の成長目標(年率6%)は達成していないものの,全体としてみると比較的高い成長をつづけている。その結果,1973年頃までは先進国の輸入の急増を中心として拡大をつづけてきた世界貿易も,近年ではむしろ発展途上国の輸入需要の増大に支えられている。とくに注目されるのは,巨額の石油収入で潤っているOPEC加盟国だけでなく,非産油途上国の経済が比較的高い成長を示していることである。

第IV-1-1表は,先進国,発展途上国のそれぞれについて,経済成長率や輸入数量の年平均増加率を示している。まず,実質経済成長率をみると,先進国のそれは石油ショック以前(1967~73年)の4.8%からその後73~77年にはわずか2.1%へと著しく鈍化している。これに対して非産油途上国の成長率は,67~73年の6.3%から73~77年には4.8%へと低下したにとどまっている。

輸入数量についても,67~73年には先進国の年平均10.2%増に対して,発展途上国の伸びは7.8%増と下回っていた。ところが73~77年についてみると,先進国の増加率が年平均2.6%へと大きく低下したのにくらべて発展途上国の輸入数量の伸びは年平均8.4%へとむしろ高まっている。豊富な油石収入をバックに,急速な経済開発を進めているOPEC諸国の輸入が急増をつづけていることはいうまでもないが,非産油途上国の輸入も年平均6.9%と高い伸びを示している。

この結果,世界の輸入総額(共産圏をのぞく)に占める発展途上国の割合は,1953年の27.4%から73年には18.6%へと戦後一貫して低下傾向をつづけていたが,その後は逆転,上昇し77年には23.5%に高まっている(非産油途上国だけの割合をみても,53年の23.0%から73年の14.8%に低下したのち,76年は15.4%に回復している)。

この間,非産油途上国の外貨事情も決して悪化していない。非産油途上国の外貨準備高は77年末では551億ドルで,同年の輸入額の33.8%であったが,この比率は70年の29.5%を上回っている。

もとより,以上述べたことは非産油途上国全体としての話であって,国別の格差は大きく,中には経済成長の停滞,大幅な国際収支赤字に悩まされている国が少なくないことも忘れてはならない。また,国によっては対外債務の累積をもたらしていることも無視できない。

しかし,全体としての非産油途上国経済の拡大が,石油ショック以来沈滞している先進国に代って世界経済の拡大に貢献していることは注目に値する。また,後述するように非産油途上国の順調な成長の結果,先進国のこれら諸国向けの輸出が資本財を中心に増大し,先進国の景気にとっても少なからぬ好影響を与えている。

2 成長持続の原因

石油ショック直後には,石油の大幅値上げによって最も大きな打撃を受けるのは,所得水準が低く,石油を輸入し,従来から国際収支の赤字に悩まされていた非産油途上国だと考えられていた。実際に,石油ショック以前でも年平均98億ドル(70~73年の平均)にのぼっていた非産油途上国の経常収支の赤字は,74年には299億ドル,75年には377億ドルに増大した。しかし,その後は赤字幅が縮小する一方,前述のように年々4~5%の経済成長を実現し,同時に,外貨準備も大幅に増加させることができた。

この原因としては,第一に一部の発展途上国で工業化が進展し,工業品の輸出が大幅に増加したこと,第二に資本流入が順調に増加したため国際収支が経済成長にとって大きな制約条件にならなかったこと,第三に食料の豊作によって国際収支の負担が軽減されたこと,そして第西にエネルギー依存度が低かったために石油価格高騰の影響が比較的小さかったこと,などが挙げられる。第一の工業品輸出増大については次節でとり上げることにして,ここでは第二~第四の原因をみておこう。

(1) 資本流入の増大

非産油途上国の経済が比較的順調な拡大をつづけている最も基本的な原因は,これらの国が経済開発に努力していることであるが,経済開発政策が遂行できたのには,資本流入が大幅に増加した結果,国際収支が経済拡大にとって大きな制約とならなかったことが幸いしている。

石油ショック前の4年間とその後の3年間を比較してみると,非産油途上国全体の経常収支赤字幅は,70~73年の年平均98億ドルから74~76年には309億ドルヘ3倍になった。この間,民間の直接投資や公的資本の純流入額は86億ドルから198億ドルへと2.3倍に増大したものの,この期間に世界の輸出価格が80%近く上昇したことを考慮すると,実質的な増加は小幅であった(第IV-1-2表)。これに対して,ユーロ市場からの借入れや貿易信用をはじめとするその他の借り入れの黒字は,同じ期間に44億ドルから157億ドルへと3.6倍に増加している。

このように,主としてユーロ資金など民間借入れの著増によって,資本収支の黒字幅が拡大したために,外貨準備は石油ショック後の3年間,年平均51億ドル増大し,77年にはさらに116億ドルも増加した。

(2) 穀物の豊作

第二に,1973年以来発展途上国の食料生産が順調で,とくに穀物の豊作が最近3年つづいたことである。農業生産の増大自体,発展途上国の経済成長,国民生活の向上にとって大きな役割を果すことはいうまでもない。さらに食料輸入の削減を可能にし,貴重な外貨を開発資材などの購入に振向けられるといういみで,大きなプラスになる。

74~77年の発展途上国の食料生産は,その前4か年にくらべて13%増大し,人口一人当りでも2%の増加となった。

この結果,70年代に入ってからも急テンポで増大していた発展途上国の穀物純輸入量は,76年以来急速に減少し,とくに77年には25百万トン(一部推定を含む)と72~73年の水準にまで低下した(第IV-1-1図)。75年の水準にくらべると約9百万トンの減少であり,75年の平均単価(トン当り201ドル)で試算すると,この穀物純輸入の減少によって発展途上国の貿易収支は年間約18億ドル改善されたことになる。

この点でとくに顕著なのは6億をこえる人口を抱えているインドである。

インドでは70年代に入ってから穀物生産が停滞し,このため74~76年には穀物輸入が著増し輸入総額の21%を占めた。しかし,75年から3年連続して豊作に恵まれ,75~77年の穀物生産は前3か年の年平均にくらべて14.5%も増大した。このため,77年には穀物輸入はほとんどゼロになり,75年にくらべると14億ドルも減少した。インドの貿易収支は75年から77年にかけて22億ドル改善したが,この改善額の6割以上が穀物輸入の減少によるものであった。

第IV-1-2図 インドの穀物生産・輸入および貿易収支

(3) 低い石油輸入依存度

第三の要因として,発展途上国では先進国にくらべて,石油をはじめとするエネルギーへの依存度が低いことがあげられる。そのために,石油価格の高騰による経済活動への悪影響も先進国ほど大きくなかったと考えられる。

発展途上国では国民の生活水準が低く,また,エネルギーを多量に消費する工業部門も相対的に小規模である。このため,人口一人当りでみればもとより,GNP一単位当りのエネルギー消費量も少ない。1976年について,GNP1ドルの生産に要したエネルギー消費量をみると,先進国では石炭換算0.81kgであったのに対して,「低所得国」(76年の一人当りGNPが250ドル以下の国)では0.35kgと半分以下であり,「中所得国」(同じく250ドル以上の非産油途上国)では0.7kgであった(世界銀行WorldDevelopmentRe-portによる試算)。

また,石油,石炭など鉱物性燃料の輸入額も経済規模に比較して小さい。たとえば,石油ショック直前の72年についてみると,非産油途上国の鉱物性燃料の純輸入額は25億ドルで,これは同年のGNPの0.6%に相当した。これに対して,西ヨーロッパ諸国の場合にはこの比率は1.2%にのぼり,日本では1.6%に達していた(アメリカは0.3%)(第IV-1-3表)。

この比率が比較的低いアメリカと非産油途上国では石油ショック以後の経済成長が比較的順調なことは注目に値しよう。

もとより,発展途上国の多くは所得水準は低く,経常収支は大幅な赤字であり,大きな問題をかかえていることに変りはない。とくに一部の最貧国ではバングラデッシュ,ビルマなど一人当り実質GNPが過去数年間を通じてほとんど増加していない国や,減少さえした国も少なくない。また,ペルー,ガーナのように外貨準備の減少に苦しんでいる国もある。ただ,全体としてみると,石油ショック以後その打撃に予想外に耐えて拡大傾向を維持しているのは,上述のような要因によるところが大きいと思われる。


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