昭和52年

年次世界経済報告

停滞の克服と新しい国際分業を目指して

昭和52年11月29日

経済企画庁


[次節] [目次] [年次リスト]

第3章 緩慢な回復の背景と脱出の条件

第1節 国際収支難による景気停滞の国際波及

1. 政策対応の相違とインフレ・国際収支格差

1972年から73年にかけて,ほとんどの先進国では急速な景気上昇がつづき,インフレの昂進を経験した。さらに73年秋のOPECによる石油価格の大幅引き上げによって,インフレが一段と激化し,また経常収支が大幅な赤字に転じたことも加わって,73~74年には多くの国が財政金融面から引締め政策を採用した。これにOPEC諸国経常収支の大幅黒字によるデフレ効果も加わって,先進国経済ば74年から75年にかけて戦後最大の不況に見舞われたのである。

しかし,引締め政策発動の時期とその強さには国によってかなりの相違があり,その結果,各国の生産低下や,インフレ鎮静化の時期と程度,国際収支改善の推移にも少なからぬ格差が生じた。先進国20数国はそれぞれ固有の事情から独自の動きをみせているが,大まかに分類すると,①比較的早めに引締めに転じ,インフレの鎮静化も比較的早かったアメリカ,西ドイツ,日本,②引締めへの転換がやや遅れ,インフレの抑制もおくれたフランス,イギリス,イタリア,及び③雇用水準維持に重点をおいて引締め政策の採用が遅く,10%近いインフレ傾向がつづいた西欧小国(スイス,オランダを除く)の三つのグループに分けることができる。

(1)景気後退時期のずれ

引締め政策に転換した時期は国によってかなりの差があった結果,各国が景気後退に入ったタイミングにもずれがみられる。これを鉱工業生産がピークに達した時期でみると,第1グループのアメリカ,西ドイツ,日本ではいずれも73年10~12月期にピークを示したのに対して,第2グループに属するフランス,イタリアでは74年4~6月期か7~9月期で,両者の間では6~9か月のずれがみられる。イギリスでは73年7~9月期をピークにむしろ早めに生産が低下しはじめたが,これは主として炭鉱ストの影響による(燃料不足から一時は週3日制がとられた)もので,73年上期中に最低貸出金利の低下がつづいたことにも表われているように,引締め政策への転換はかなり遅かった。

また,西ヨーロッパの小国(第3グループ)についてみると,生産のピークは74年4~6月期ないし7~9月期の国が多く,ノルウェーは同年末,スウェーデンでは75年1~3月期まで生産上昇がつづいた。

一方,景気後退がつづいた時期をみると,米,独,日が75年上期中に底入れしたのを除いて,ほとんどの国が75年7~9月期に生産が底をついている。試みに各グループに属する国の生産下降期間を単純平均してみると,第1グループでは5四半期余,第2グループは4~5四半期(イギリスを除く)に対して第3グループでは3~4四半期にとどまっている。さらに生産低下の程度も第3グループの諸国ではベルギー,スペインを除いて10%以下で,比較的小幅であった。

このように,英,仏,伊や西欧小国では景気後退の開始が遅れ,後退期間も短く,76年の経済活動水準は比較的高いものとなっている。たとえば,76年の実質GNPの水準を石油ショック直前の73年とくらべると,米独日3か国では平均して3.5%上回ったのに対して,英仏伊3か国では4.5%ふえている。さらに北欧小国では6.8%,南欧諸国ではこの3年間に108 7%も上昇したことになる。

(2)インフレ鎮静化のずれ

このように,英仏伊3か国や西欧小国では国内需要の抑制がおくれ,抑制

の程度も比較的弱かっTこといえる。これは,①多くの国で労働組合の力が強

く,また福祉重視の立場から雇用維持により多くの重点をおいて政策が運営されたこと(英仏伊,スウェーデン,デンマークなど),②74~76年にかけて総選挙が行なわれた国が多く 〔イギリス74年2月,10月,ギリシャ74年11月,フランス(大統領選挙)74年5月,ポルトガル76年4月,イタリア76年6月,スウェーデン76年9月〕,また,その結果多くの国で少数単独ないし連立政権が誕生したことにより,強力な引締め策がとりにくかった,など政治情勢も少なからず影響していると考えられる。

その結果,英仏伊や西欧小国の多く(スイスを除く)ではインフレの鎮静化は著しく遅れた。

いま,先進国を4っのグループに分け,74年以来の各グループの消費者物価上昇率を比較すると第III-1表の通りである。米独日3か国の平均(経済規模による加重平均)でみると,74年の二桁インフレから,75年には早くも一桁となり,76年の上昇率は6%強まで低下している。これに対して,英仏伊では76年に入っても平均13%と大幅な上昇をっづけている。さらに,北欧7か国についてみると,74年のインフレは12%でむしろ主要国より小幅であったが,その後ほとんど鎮静化がみられず,スウェーデンでは75年後半から物価上昇はむしろ加速化する傾向を示している。南欧諸国のインフレはもっとも激しく,77年に入ってから,再び20%の物価上昇(前年同月比)をみている。

(3)国際収支の格差

以上のような各グループの間にみられる成長率と物価上昇テンポの相違は,当然それぞれのグループの経常収支にも大きな影響を与えないではおかない。とくに74年以来, OPEC諸国の大幅黒字の結果,先進国全体として赤字基調となっているため,成長率や物価上昇率の高い国では,ほとんどが大幅な赤字に陥っている。

まず,米独日の3か国についてみると,第III-2表のように,各国の動きには大きな相違があるが,3か国合計では一貫して黒字を続け,74~76年の3年間で合計250億ドルの黒字となっている。OECD事務局の予測によると,77年には日本の黒字が大幅に増加する一方,アメリカは輸入の著増から大幅な赤字が予想されているが,オイル・マネーの流入がつづいているので,当面とくに大きな困難はないとみられている。

他方,英仏伊の3か国は,いずれも74年には大幅の赤字となり,75年には不況による輸入の減少から赤字幅はかなり縮小したものの,76年には景気回復とともに再び赤字幅が拡大した。その結果,74~76年を累計すると387億ドルという巨額の赤字を計上している。ただ76年に緊縮政策を採用し,為替レートが大きく低下したことも加わって,77年には赤字幅は55億ドルに半減すると見込まれている。

これに対して,北欧,南欧の小国では,74年に大幅な赤宇に転じ,その後76年まで年々赤字幅は拡大をつづけた。その結果74~76年の3年間の累積赤字は合計447億ドルの巨額に達している。さらに注目されるのは,77年にも事態はほとんど改善されず,合計190億ドルの赤字になると見られていることである。

いま,76年における各グループの経常収支バランスを,同年のGNPと比較してみると,米独日ではGNPの0.2%に相当する「黒字」であったのに対し,英仏伊の赤字はGNPの1.6%,北欧7か国の赤字はGNPの3.9%,南欧4か国ではGNPの5.4%にものぼる経常収支の赤字を計上したことになる。これら西欧小国11か国は,石油ショック前の73年には小幅(GN Pの0.3%)ながら黒字を示していたことを考えると,これは容易ならぬ事態だというほかない。

2. 地域別貿易収支の特色

各国の経常収支にみられる大きな格差は,基本的には需要水準や物価上昇率の差にもとづくものであるが,それが各国の地域別貿易収支にどのようにあらわれているか,また各国間の輸出入関係を通じて,先進国の景気にどのような影響を与えているかを,やや具体的に検討してみよう。

先進国のうち,①米独田②英仏伊,③西欧小国(EC加盟国以外のOECDヨーロッパ)の三つのグループについて,石油危機以後の地域別貿易収支(通関ベース)の推移をみると,第III-1図のとおりである。

米独日の3国を合計してみると, OPEC諸国との間では大幅な赤字となっているが,その大半を先進工業国との黒字でバーし,さらに,非産油発第途上国や共産圏に対しても黒字となっている。

もっとも,国別にみると大きな違いがあり,アメリカの貿易収支は,74年の25億ドルの赤字から76年には68億ドルへと赤字幅を拡大した。これは対西欧貿易収支ば黒字幅を拡大したが,石油輸入の増大から対OPEC赤字が大幅に拡大し(81→102億ドル),日本との間の赤字も大きくなったうえに,74年には黒字であった対非産油発展途上国貿易も赤字に転じたからである。

西ドイツの貿易収支は,石油危機以後も黒字(74年202億ドル,76年143億ドル)を示しているが,とくに注目されるのは, OPECへの輸出が大きく伸びた結果,対OPEC収支は74年には41億ドルの赤字であったものが,76年にはわずかに4億ドルの赤字とほぼ均衡状態に達していることである。

しかし,対ECでは黒字幅が縮小したほか対日貿易赤字は拡大し,また,アメリカと非産油発展途上国との収支は,74年の黒字から76年には赤字に転じている。

わが国の場合,貿易収支は74年には66億ドルの入超であったが,76年には24億ドルの出超に転じている。対OPEC赤字は年間100億ドルをこえる巨額であるが,74年から76年にかけてはやや縮小している。一方,その他地域との間では,オーストラリア,ニュージーランドに対する赤字がやや拡大したほかは,ほとんどすべての地域で黒字幅を拡大している。

これに対して,英仏伊や西欧小国の貿易収支は, OPEC諸国との間が大幅な赤字となっているだけではなく,先進国との間でも赤字をつづけ,また,非産油発展途上国や共産圏に対しても,ほぼ均衡ないし若干の輸入超過となっている点が,米独日の場合と対照的である。また,74年から76年までの変化をみると,英仏伊では対OPEC赤字が大幅に縮小(178→104億ドル)したことを中心に全体としての赤字幅が331億ドルから247億ドルへかなり縮小した。これに対して西欧小国では対OPEC赤字がほとんど縮小しないのに加えて,先進国との間の赤字幅もむしろ拡大したため,全体としての赤字も74年の230億ドルから,76年の257億ドルへと増加をつづけている。

3. 景気停滞の国際波及

以上のように,米,独,日以外の先進国では大幅な経常収支の赤字がつづいたために,英仏伊では76年春から秋にかけて緊縮政策が採られ,また西欧小国でも76年末以来,かなりの国で為替レートの切下げ,金融引締めなどの措置が講じられている。その結果,これら赤字諸国の輸入の伸びが鈍化し,それがついで近隣諸国の輸出にブレーキをかけ,景気回復を阻害する一因となっている。ここでは,各グループの貿易の推移を中心に景気の国際波及過程がどのようになっているかを検討してみよう。

第III-3表ば,主要グループ別に輸出入の増加テンポを多くの国の貿易が底入れした75年下期から76年下期までの一年間(前期)と,その後77年上期まで(後期)の二つの期間について比較したものである。

まず,英仏伊3か国についてみると,76年秋ごろから輸入の増勢が弱まる一方,輸出の伸びはたかまっている。すなわち,この3か国の輸入額は76年下期までの1年間では17%ふえたのに対して,その後は年率12%にやや鈍っている。これに対して,輸出の増加率は同じ期間に10%から24%へと目立ってたかまっている,この結果,この3か国の貿易収支が77年に入って著しく改善されたことは第1章でのべた通りである。

また,西欧小国をみると,前期には輸入が年19~20%のテンポで伸びていたが,後期には北欧では年率6%,南欧では同マイナス12%へと大きく低下している。これは,76年末から77年にかけて,金融引締め政策(スウェーデン76年10月,デンマーク同10月,スペイン77年2月,ポルトガル同2月),輸入抑制策(スペイン,ポルトガル,76年10月および77年1月),為替レートの切下げ(北欧3か国,76年10月,77年4月,ポルトガル77年2月),増税(スウェーデン77年4月),などの施策がとられたことによるところが大きい。しかも,これらの国では,本年6月以後も,オーストリア(6月),スペイン(7月)における公定歩合の引上げ,スペイン・ペセタの切下げ(7月),北欧3か国におけるレート切下げ(8月),ポルトガル(8月),トルコ(9月)のレート切下げなど相ついでレート調整や引締め措置をとっており,今後西欧小国の輸入は一段と鈍化する可能性が大きい。

しかし,西欧小国の場合は,英仏伊と違って,輸出の伸びも76年秋以後やや鈍化し,とくに77年に入って弱含みに転じている。このように西欧小国の輸出の伸びが77年に入って著しく鈍っているのは,世界貿易が全体として拡大テンポを落していることによるのはもちろんであるが,とくに先進国の輸入鈍化が大きくひびいている。たとえばスペインの77年4~6月期の輸出額は76年10~12月期にくらべてほぼ横ばいであったが,発展途上国(OPECを含む)への輸出はこの間16%ふえているのに対し,先進国向けは4%減少している。

他方,英仏伊や西欧小国の輸入の鈍化は,アメリカや西ドイツの輸出にも悪影響を与えている。たとえば,アメリカについてみると,77年4~6月期までの1年間に,輸出の伸びは7%にとどまっているが,ここでも,発展途上国(OPECを含む)への輸出が11%にふえたのに対して,先進国向けの伸びは6%にとどまり,とくに西欧小国(11か国)への輸出は4%しかふえていない。アメリカの輸出依存度は比較的低い(76年で6.8%)ので,輸出の停滞が最気に与える影響はそれほど大きいとはいえないが,輸入の増大と相まって,この1年間にGNP成長率を0.6%低める効果を及ぼしている。また,西ドイツにも同様な現象がみられることは前述の通りである(第1章第2節参照)。

また,77年に入ってからも経常収支黒字をつづけている先進国(日本,西ドイツ,オランダ,スイス)では国内需要の伸びが鈍く,輸入が停滞していることも注目される。77年前半におけるこの4か国の輸入額は,76年後半にくらべて年率6%の増加にとどまった。

以上のように,77年に入ってからは,経常収支黒字国の輸入が著しく鈍化したうえに,英仏伊や西欧小国の輸入の伸びも鈍くなり,それがお互に輸出の不振を招くこととなった。


[次節] [目次] [年次リスト]