昭和51年

年次世界経済報告

持続的成長をめざす世界経済

昭和51年12月7日

経済企画庁


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第2部 70年代前半の構造変化とその影響

第2章 変動の影響と各国の対応

第3節 二桁インフレにたいする各国の対応

1. インフレ鎮静化過程にみられる国別格差

前述のような要因が重なり合って,73~75年の間には,ほとんどすべての国で消費者物価の年上昇率が10%をこえるという異常なインフレが生じた。

とくに石油価格の4倍引き上げはもとより,食料や原材料価格の高騰は,先進工業国のすべてに大きな影響を及ぼした。しかし,この期間におけるインフレ進行の程度,さらに鎮静化の時期や程度には国によって非常に大きな相違がみられる。すなわち,アメリカ,西ドイツ,スイスなどでは,物価の鎮静化はもっとも早く,消費者物価の上昇率は74年中に鈍化に向かい,上昇率そのものも比較的小さかった。その後もほぼ順調に鎮静化を示しており,76年1~8月の上昇率は,アメリカ,西ドイツでは年率5~6%,スイスでは1%にとどまっている。日本でも物価上昇幅は大きかったものの,鎮静化は比較的早くからみられ,消費者物価の上昇率も75年末には年10%を下回るようになった。

これにたいして,イギリス,イタリア,アイルランドなどでは,物価上昇が大幅であっただけでなく,鎮静に向かったのもおそかった。とくにイギリスでは,75年後半まで前年比20%を上回る上昇がみられた。その後の鈍化も緩慢であり,76年央においても前年比13~14%の上昇率を示している。

一方,フランス,ベルギー,オランダ,スウェーデンなどの諸国は両者の中間にあり,76年8月の前年比上昇率は8~10%を示している。

以下では,この三つのグループに属する主要国についてインフレの性格,インフレ対策の特色などに重点をおきながら,このような相違をもたらした原因を検討してみよう。

2. インフレの性格

第一に,インフレの性格について考えてみると,西ドイツ,アメリカ,日本などでは,賃金コスト圧力は比較的小さく,一方,イタリア,イギリス,フランスなどでは賃金コストの上昇が大きなインフレ要因になっていたという対照が目立っている。

アメリカ,西ドイツでも,70年代に入ってから賃金上昇が加速されたことは否定できないが,賃金コスト圧力は,それほど強くなかった。たとえば,1969~73年における,製造業の賃金コストの上昇率を比較してみると,アメリカでは年平均3.1%,西ドイツでも5.5%の上昇であり,イタリアの10.4%,イギリスの7.6%にたいして,かなり下回っている。(第2-13表)

また,物価が大幅に上昇した73,74年の製造業賃金上昇率(年平均)をみても,イタリアでは26%,フランス,イギリスでは17~18%も上昇したのに,アメリカは7%西ドイツでは11%にとどまっていた。(日本ではこの2年間に平均24%という大幅な上昇をみたが,75年には11.5%に下るなど,賃金はかなり弾力的である。)

つまり,今回の二桁インフレに際しては,石油,原材料,食料などの大幅な値上りが,多くの国でコストをたかめ,また賃金コストの上昇は従来より大幅になったという意味では,ほとんどの国がコスト・インフレに悩まされたといえる。しかし,賃金コストについては,国によって大きな差があり,この意味では,アメリカ,西ドイツはどちらかといえば需要インフレの色彩が強く,イギリス,フランス,イタリアは賃金コスト・インフレの性格をもっていたといえよう。

3. 政策の重点

第二に,経済政策の重点が,雇用水準の維持とインフレの抑制のいずれにおかれていたかについてみよう。もちろん,この両者はいずれも重要な政策目標であるし,とくに近年においては,両者は二者択一の問題,あるいはトレード・オフの問題ではなく,インフレの抑制こそが,経済の成長,完全雇用の達成にとっての大前提であるとの見方が広まっている。しかし,少なくとも70年代初においては,インフレの抑制か,雇用の維持か,というトレード・オフの関係は多くの国で明瞭に意識されていた。

この点,西ドイツやスイスでは,伝統的に物価の安定こそがすべての経済運営の大前提であるとの考え方が一貫してとられ,物価が上昇しはじめると,政府は躊躇なく財政・金融面からの引締め策をとってきた。

たとえば,西ドイツでは消費者物価の前年比上昇率が6%を上回りはじめた72年秋に,いちはやく公定歩合を引上げて引締政策に転換し,73年夏までに公定歩合は6回にわたって,3%から7%に引上げられた。アメリカでも,公定歩合は72年末の4.5%から,73年6月までに7回にわたり,7.5%に引上げられた。これにたいして,イタリアでは公定歩合の引上げは73年秋に入ってからであり,フランスでも,72年末に多少の引上げが行われたものの,本格的引上げは73年7月からであった。

もとより,アメリカや西ドイツでも,雇用状態を無視して物価の安定のみを図ったわけではなく,物価上昇が峠をこえ,一方,失業が増大したので,74年秋には,むしろ他の国に先がけて緩和政策に転換している。

しかし,どちらかといえば,アメリカ,西ドイツではインフレ対策を重視したのにたいし,イギリス,フランス,イタリアでは雇用維持の観点から,引締政策の発動が遅れたことは否定できない。

4. インフレ対策の特色

第三に,インフレ抑制のために採用された政策も,アメリカ,西ドイツとイギリス,フランス,イタリアの間にはかなりきわだった相違がみられる。

まず,西ドイツのインフレ対策は,総需要の抑制を中心とし,これに競争政策,必要に応じて為替レートの切上げをあわせて行なうというもので,直接的な賃金・物価の統制は全く行なわれていない。もっとも,「経済安定成長法」にもとづいて,毎年政府が翌年の経済予測について,成長率,物価,賃金などに関するいくつかのケースを試算し,これを労使の代表者に提示して討論するという方式(いわゆる協調行動方式)は,経済情勢と,その中における賃金上昇率のもつ意味について関係者の理解を深め,これを通じて不当な賃上げ要求を抑えるという効果をもっているが,法的な所得政策やガイドライン方式とは性格を異にしている。

アメリカでも,ガイドライン方式はケネディ政権下にとられたことがあるが,賃金・物価の直接的規制は71年夏の「新経済政策」による物価凍結と,その後74年までつづけられた賃金・物価の規制以後,とられていない。とくに,74年秋に招集されたインフレ問題に関する最高会議は,総需要の抑制,農産物作付制限の撤廃,独禁法の運用強化などの政策を打ち出している。

一方,イギリスでは,70年代に入ってからも,賃金・物価への政府の直接介入,または自主的な規制が相ついで行なわれており,それだけ総需要抑制政策にかかる負担を軽くして,景気のおちこみを緩和するという政策がとられてきた。

すなわち,価格,配当,利子,家賃については,前保守党政権が1972年11月に導入した法的規制(当初5カ月間凍結,その後は上昇率規制)を現労働党政権も,緩和の方向で手直しを加えながらひきつづき適用している。

賃金については,72年11月以降の法的規制は74年7月末に廃止され,自主規制方式に移行している。これは労働党政権の「社会契約」の一環であり,その規制内容は年々更新されている。74年8月~75年7月では賃上げを実質賃金の維持にとどめ,つぎの賃上げまで少なくとも1年置くという単なる目標であったが,75年8月以降の新インフレ対策からは,賃上げ限度の提示とともに,これを守らない企業にたいしては,価格規制を通じる法的な制限が加えられることとされている。

またフランスでも,賃金への介入はなされていないが,物価については,戦後ほとんどひきつづいて何らかの規制が行なわれてきた。とくに,70年代に入ってインフレの高進にともなって,一時的な凍結,上昇幅の規制,マージンの規制などを通ずるきめ細かい政策がとられている。

とくに,72年以降は生産段階の規制が強化され,その際,政府と業界等の間で一定期間(通常1年)の価格引上げに関する協定を結び,その枠内では民間の自主決定に委ねる方法(協定方式)が活用された。

また,一次産品の高騰に際し,一時(73年4月~74年9月)そのコストを価格に反映できるようにし,EC共同フロート離脱(76年3月)に際しては,フラン下落に伴う便乗値上げを抑制するため輸入品価格凍結を実施するなど状況に応じ機動的な運営が行なわれた。

こうした物価規制と総需要抑制策により二桁インフレを一応切り抜けたが,76年にはいっても前年比9%台の物価上昇が続いている。このため政府は76年9月に一時的物価凍結,賃金の自粛呼びかけ,金融引締めなどの広般なインフレ対策を発表した。

イタリアの場合は,政府は所得政策の必要性をしばしば表明しているが,導入のための前提である労使の協調の場が十分整っておらず,総需要の抑制についても,財政面の措置は制度の不備や行政機構の非能率もあって実効があまり期待されず,もっぱら金融面での措置にたよらざるをえないのが実状であった。

しかし,70年代前期のインフレ高進を背景に,部分的ながら価格の直接規制が行なわれた。すなわち,新設の物価閣僚委員会(CIP)による73年7月からの90日間の凍結(対象は食料品,工業品,低所得者住宅家賃),ついで,74年7月末までの行政指導による一部商品価格の上昇規制,21品目についての価格改訂(74年8月),一部を監視制とするなど緩和が行なわれた。

所得については,高所得層の生計費スライド制による所得増分の半分を凍結する措置が最近とられた(2年間,76年10月発表)。

以上の諸点を要約し,やや極端に類型化すると,つぎのようになる。西ドイツ,アメリカでは,インフレの原因として賃金コストの上昇はそれほど大きくなく,したがってインフレ対策も総需要抑制が中心となっている。また,どちらかといえば,インフレ抑制に政策の重点がおかれていたといえる。

一方,イギリス,フランス,イタリアでは,賃金コストがインフレの大きな原因となっており,このため,インフレ対策も,総需要抑制策とともに,賃金・物価への直接的介入というかたちでの所得政策を併用する傾向がみられる。同時に労働組合の力が強いとか,人口増加が大きいという社会的な事情もあって,インフレの抑制よりも雇用の維持・拡大にかなり重点をおいた政策がとられる傾向があった。

以上,主要国について,73~75年の二桁インフレへの対応の仕方をみてきた。その結果を要約すると,アメリカ,西ドイツのように,インフレ抑制を重視して,早期に総需要抑制を採用し,かつ,これを比較的長く維持した国の方が,雇用に配慮して総需要抑制策のおくれた国にくらべて,インフレの鎮静化が早く達成されただけでなく,その後の景気回復や,国際収支の面でも,より良好なパフォーマンスを示しているということができよう。

しかし,アメリカにしても,西ドイツにしても,インフレの早期鎮静という点ではかなりの成果をおさめたものの,経済活動の沈滞,とくに失業の大幅増大という大きな犠牲が払われていることは見逃せない。


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