昭和51年
年次世界経済報告
持続的成長をめざす世界経済
昭和51年12月7日
経済企画庁
第2部 70年代前半の構造変化とその影響
第2章 変動の影響と各国の対応
前述のように,固定レート制末期の1970年から,主要国通貨がフロートした73年までの間に,各国の為替レートは大幅に変化した。この間の変化を,70年5月と,73年平均の実効為替レートについてみると, 第2-1表のとおりで,日本と西ドイツが,それぞれ23%,19%と大幅に切上がったのに対して,アメリカは18%,イギリスは13%,イタリアも10%の低落を示した。
ここではまず,このように大幅なレートの調整が,各国の輸出競争力や国際収支にどのような影響を与えたかを検討することにしよう。
為替レートの変化は,もっとも直接的には,各国の外貨建ての輸出価格を変化させ,価格面での輸出競争力に大きな影響を与える。
しかし,実際の価格競争力は,レートの変化だけでなく,その国の輸出価格(自国通貨建て)の動向にも左右されることはいうまでもない。したがって,この3年間における価格競争力の変化は,第2-1表(A)欄の実効レートの変化率と,(B)欄に示されている輸出価格(自国通貨建て)の差として表われる。これが(C)欄である。たとえば,この3年間に,アメリカのドル表示の輸出価格は24%上昇したが,この間に実効レートが18%も低落したので,外貨建ての輸出価格は2%の上昇にとどまったことになる。
一方,西ドイツと日本では,自国通貨建ての輸出価格の上昇は7%にすぎなかったが,この間に為替レートが大幅に上昇したため,外貨建ての輸出価格は,日本では32%,西ドイツでは27%と大幅に上昇している。つまり,この両国では,物価上昇率はアメリカより低かったのに,レート変化の結果,輸出競争力では,アメリカにくらべて著しく悪化したことになる。この点では,日本や西ドイツの国際収支の黒字,アメリカの赤字を調整しようとした,スミソニアン合意に象徴される為替レートの調整は,所期の方向に効果を発揮したということができる。
このような価格競争力の変化は,当然,各国の貿易収支はもとより,経常収支全体にも大きな影響を与えるはずである。しかし,この点を実証的に検討するには,大きな困難がある。第一に,レート変化の影響が十分に表われるにはかなりの期間(通常1~2年といわれる)が必要とされ,レートの変化の直後には,貿易収支にはむしろ逆の効果が生ずることである。71年末にドルが切下げられたにも拘らず,72年のアメリカの貿易収支赤字が64億ドルと,前年の23億ドルを上回ったのも,主としてこのためであった。したがって70~73年のレート調整の影響をみようとすれば,1年ずらして71~74年の貿易収支を検討することが必要になる。ところが,第二に,74年の貿易収支は,石油危機の影響で著しく変化し,ほとんどの工業国が大幅の赤字に陥っている。これが主として石油輸入価格の高騰によるものであったことはいうまでもない。
したがって,ここでは,石油価格上昇の影響をできるだけのぞいてレート調整の効果をみるために,工業品に限って71~74年の動きを,その前の65~71年と比較しながら検討することにする。
最初に,工業品(SITC国連標準国際貿易商品分類5~8類)全体について,主要6カ国(米独日仏英伊)の輸出総額に占める各国の輸出の割合(シェア)をみよう (第2-2表)。アメリカのシェアは60年代には徐々に低下し,65年の26.6%から,71年には22.5%に下っていたが,ドルが大幅に下落した71年から74年にかけては,シェアの低下は完全に止まっている。これは主として,上述の価格競争力の強化が反映されたものと考えることができる。つぎに,この間に実効レートが最も大きく上昇した日本についてみると,65~71年の6年間に4.7ポイントも上昇していたシェアの拡大テンポは,かなり鈍化し71~74年の3年間では1.9ポイントの上昇にとどまっている。アメリカの場合とは反対に,円の上昇により,輸出競争力が60年代にくらべて弱まった結果と考えられる。
このように,アメリカと日本については,レート変化の影響が,輸出シェア,ないし競争力の動きにはっきりと表われている。
これに対して,70~73年に実効為替レートが10%以上低落したイギリスとイタリアの場合には,その影響は輸出シェアには余り表われていない。イギリスのシェアは71~74年も,急速な低下傾向をつづけているし,イタリアのシェアも,71~74年にはわずかながら下っている。その最大の理由は,70~73年に,この両国の輸出価格(自国通貨建て)が,26~27%も上昇したことにあると考えられる。その結果,外貨建ての輸出価格は,イタリアでは14%の上昇となり,6カ国の平均上昇率(17%)にくらべ,多少下回る程度にとどまった。また,イギリスの場合は,ポンドの低落が大幅だったため,価格競争力は有利化しているにも拘らず,60年代と同様に輸出シェアが低下をつづけている点は注目され,産業構造,納期の長さなど,価格以外の要因も少なからず影響しているとみられる。
これと全く反対の動きを示しているのが,西ドイツである。マルクの実効レートは70~73年に19%も上昇したのに,工業品の輸出シェアは増大をつづけ,そのテンポも,65~71年の1.5ポイント増から,71~74年の2.0ポイント増へとむしろ高まっている。レート調整後の輸出価格の上昇が6カ国の平均をかなり上回っていることを考えると,主な理由は非価格競争力の強さにあると思われる。
(商品別の輸出競争力)
上述のように,レート調整の影響は,各国の工業品輸出のシェアの変化にかなり明確に表われているが,同じ国についても,商品によって,その影響の受け方は必ずしも一様ではない。
ここでは,工業品を,その性格によって,①繊維品,雑貨などの「労働集約的軽工業品」,②ラジオ,テレビ,家電製品,カメラなどの「軽機械類」,⑧化学品,金属,セメントなど「資本集約的中間財」,④資本集約的であると同時に,加工度の高い自動車,航空機,工作機械などの「重機械」の4つのグループに分けて検討してみよう。
工業製品を以上の4グループに分け,それぞれについて,6カ国の輸出総額に占めるシェアの推移を示したものが 第2-2表である。
この表からよみとれる注目すべき点は,つぎのとおりである。
第一に,労働集約的軽工業品では,レート変化の影響がもっとも明瞭に表われている。たとえば,レートの低下したアメリカでは,工業品全体としてのシェアは,65~71年(前期)に低下していたものが,71~74年(後期)では下げ止まった程度であるが,労働集約的軽工業品では,前期に4ポイント近く低下したシェアは,後期には3ポイントも上昇している。日本の場合も,全工業品のシェアは上昇率が鈍ったにとどまるのに対して,軽工業品では,後期にはシェアが大幅に低下(20→16%)している。この種の商品については,製品差別化が比較的小さいなどのため競争力は価格に主として支配されているためと考えられる。
第二は,その反面として,資本集約度が高く加工度の高いものほど,非価格競争力の重要性がたかまるために,レート調整の効果の表われ方が小さくなる傾向をもっていることである。たとえば,重機械のアメリカのシェアは71~74年にもわずかに低下しているし,反対に日本のシェアは後期においても,前期に劣らぬ大幅な拡大を示している。
第三に,西ドイツでは,大幅なレート上昇にも拘らず,すべての商品群でシェアが上昇をつづけていることである。特筆に値するのは,繊維品など,非価格競争力がそれほど重要ではないといわれる商品群でも,後期にシェアが大幅な拡大をつづけたことである。西ドイツの輸出がレート切上げ後も堅調をつづけている理由として,通常は,重機械の割合が高く,この分野で西独製品が品質,のれん等ですぐれていることが挙げられている。しかし,軽工業品についても強い輸出力をもっているのは驚くべきことといえる。
第四に,イギリスとイタリアでは71~74年に,ほとんどすべての商品群において,シェアが低下している。
つぎに,輸入の面も加味して,主要国の工業品の輸出・輸入の比率が,レート変化によって,前期と後期でどう動いたかを検討してみよう。ここでいう輸出超過率というのは,ある商品の輸出額の輸入額に対する比率であり,この数値が1をこえていれば,その国は当該商品では輸出超過(つまり黒字)を計上していることになる。また,この数値が低下するときには,輸出超過が縮小する方向に動いていることを示す。
主要6カ国の工業品の対OECD諸国向け輸出入額をもとにして,輸出超過率の推移を,工業品全体及び4商品グループ別に,65年,71年,74年について示したものが第2-1図である。
レート変化がこの輸出超過率に及ぼした効果は,前項に述べた輸出シェアの場合とほぼ同様である。すなわち,アメリカでは,前期(65~71年)には低下する方向(つまり収支悪化の方向)をたどっていたものが,後期(71~74年)では上昇に転じている。日本では,後期にこの比率が大幅に低下しているが,重機械ではむしろ後期にこの比率の上昇テンポが高まっている。また,西ドイツではマルクの上昇にも拘らず,輸出超過率はむしろ後期になってすべての商品群でたかまっている(注)。
以上のように,70~73年に生じた大幅な為替レートの調整は,西ドイツを例外として,概して,70年代初頭にみられた主要国間の経常収支の不均衡を是正する方向に働いたということができる。
しかし,一部の国(とくに英,伊)では,為替レートはかなり下ったものの,国内のインフレが激しかったために外貨表示の輸出価格は依然として高い上昇を示し,レート切下げの国際収支調整効果が減殺されている。一方,西ドイツと日本では,国内の物価上昇が比較的低かったために,レートが上昇した割には価格競争力は損われず,また,アメリカでも,インフレが比較的ゆるやかであったために,レート低落による国際収支調整効果を十分に発揮することができた。
つまり,レート調整という条件のもとでも,各国の経済パフォーマンスの差によって,その効果が十分に活かされた国と,必ずしもそれを活かせなかった国がみられる。さらに,西ドイツのように,価格面での不利化にも拘らず,輸出の堅調を持続している場合もあることが注目に値する。
70~73年にみられたような主要国間の為替レートの大幅な変化は,資本取引の面にも影響を与えている。ここでは資料の制約もあるので,主としてアメリカと西ドイツの統計によって,欧米における海外直接投資にみられる最近の動きを検討してみよう。
第2-3表は,アメリカの海外直接投資残高と,海外からの対米直接投資残高の60年代以降の増加率を示している。この表からは,つぎのような特徴的な動きがよみとれる。
すなわち,アメリカの海外直接投資はほぼ一貫してかなりの増加をつづけているが,73年を境にして,他の国からの対米直接投資が急速に増大していることである。たとえば,69~72年の3年間についてみると,アメリカの海外直接投資残高が33%ふえたのに対して,海外からの対米直接投資残高は26%の増加にとどまっていた。これに対して,72~75年の3年間についてみると,アメリカの海外直接投資が47%増加したのに対して,海外からの直接投資は80%もふえている。
最近における海外からの対米投資の増大は,石油輸出国の投資による面も少なくないが,アメリカと西ヨーロッパの間についても,上述のような傾向は明瞭にあらわれている。すなわち,アメリカの対西欧製造業直接投資は,69~72年に42%,72~75年に49%の増加を示したのにくらべて,西ヨーロッパからの対米製造業直接投資は,69~72年は37%の増加にとどまったのに対して,72~75年では70%もふえ,アメリカの対西欧直接投資の伸びを大きく上回っている。
もとより,絶対額でみれば,アメリカの対外投資残高は,海外からの対米投資残高を大きく上回っている。しかし,前者の後者に対する比率は,60年の4.6倍から,72年に6.1倍に増大した後低下しはじめ75年にも5倍に下っている。
近年,諸外国,とくに西ヨーロッパの対米直接投資が著しく積極化したことは,対米投資の増加形態にもあらわれている。第2-4表にみられるように,60年代の西ヨーロッパの対米投資増加額の62%は,収益の再投資と既存設備の再評価によるもので,新規資本の流入は38%を占めるにとどまっていた。しかし73~75年についてみると,この比率は逆転し,新規資本の流入が,全体の64%を占めるようになっている。
近年,西ヨーロッパ諸国の対米直接投資が著しく活発になっていることは,74年におけるフランスのタイヤ・メーカー,ミシュランの新工場建設,76年に決定されたフォルクスワーゲンの自動車工場新設などの事例にも示されている。一方,アメリカの海外投資の中には,グッドリッチ社(タイヤ)のオランダ子会社の売却,ウエスチングハウス(電機)のフランス子会社の売却など,一部に後退ないし縮小の動きが伝えられている。
1973年ごろから,アメリカの対西欧投資が鈍化し,西ヨーロッパの対米投資が著増するという傾向は,西ドイツの統計によっても確認される(第2-5表)。西ドイツの対外直接投資残高は,69~72年に51%,72~75年に58%と急テンポでふえつづけている。とくに対米投資は,69~72年の52%増に対し,72~75年には89%と尻上りにふえている。これに対して,アメリカからの対西独投資のふえ方は,69~72年の46%から,72~75年には29%へと著しい減速を示している。さらに,わが国の「海外投資許可実績」の推移をみても,72,73年ごろからアメリカへの投資の伸びがたかまっている(第2-6表)。
このように,アメリカをめぐる直接投資の流れが,73年ごろから大きく変化した原因としては,多くのことが考えられる。高い経済成長によって西ヨーロッパや日本の企業の力が強化され,多国籍企業化が進んでいること,石油危機を契機として,資源面におけるアメリカの優位性が改めて見直されたこと,一部西欧諸国における社共連合勢力の拾頭,などいずれもその一因と考えられよう。しかし,もっとも大きな要因は,為替レート調整の結果,西ヨーロッパや日本との賃金コストの差が急速に縮小したことにあると考えられる。試みに,主要国の製造工業の時間当り賃金を,ドルに換算して比較してみると,第2-7表の通りで,70年以後,西ヨーロッパや日本の賃金水準が,為替レートの変化によって,急速にアメリカの水準に接近していることが看取される。アメリカの賃金水準を100とすると,西ドイツの賃金は,65年の40から,70年には49へと上昇したにすぎないが,その後の5年間には,賃金の上昇の他マルクの切上げの影響も強く,77にたかまっている。日本の場合にも同様のことがいえる。この結果,75年についてみると,西ドイツの平均賃金は,ドルに換算すると,アメリカの低賃金地域の賃金を上回っており,日本の水準も,これにかなり近づいているということができる。
また,この間に,ドルがマルクに対して35%,円に対しては26%など,大幅に低落したため,アメリカの既存企業の買収が著しく容易になったことも,諸外国の対米投資をふやす大きな誘因になったものと考えられる。
73年はじめに,主要国が相次いでフロートに移行して以来,すでに4年近くが経過している。この間,各国のめ為替レートはかなり変動した。しかし,この期間におけるレートの変動は,70~73年の大幅な変化とは全く性質を異にしている。70~73年の変化は,主として,60年代を通じて国定レート制のもとで累積されていた各国通貨価値の不均衡を是正するという性格のものであったのに対して,73年以来の変動は,フロート制のもとで,各国経済のそのときどきの実情―物価上昇率,金利水準,景気動向,国際収支状況等々―を反映した比較的自由な為替相場の動きによるものであった。
ここでは,為替相場の動きを時系列的に説明することよりも,戦後はじめての経験であるフロート制4年間の歴史を振り返って,①フロート制下における各国為替レートの変化がいかなる要因によって左右されてきたか,②それがどのような効果をもっていたか,という点を検討してみよう。
変動相場制のもとにおいて,為替レートに影響を与える要因は複雑多岐にわたる。各国の物価動向の格差と金利水準の格差のほか,そのときどきの景気循環局面,これらの結果としての経常収支や資本収支の状態,政治の安定性そして,これら要素の将来に対する評価など,数えあげればきりがない。
そのなかでも短期的に重要な要因の一つである各国間の金利差,中・長期的要因である物価上昇率の格差1こついてみよう。
まず,金利差と為替レートの関係をみてみよう。第2-2図は,ドイツ・マルクの対ドル・レートと,米独間の金利差の動きを示している。これでみると,74年秋以後,両者の間にはかなり密接な相関関係がみられる。すなわち,74年秋から75年はじめにかけては,アメリカの短期金利の下げ足がヨーロッパにくらべて速かったため,西ドイツの金利は相対的に上昇し,これを反映して,マルクの対ドル・レートも上昇した。その後75年6月からアメリカの金融政策がやや引締め気味となり,短期金利が上昇する一方,西ドイツでは春から夏にかけての金融緩和政策によって金利が軟化したため,西ドイツの金利が相対的に低下し,これを反映して,マルクの対ドル・レートはかなり低下している。同年秋に入ると,ニューヨーク市の財政危機や景気回復促進の観点からアメリカの金融政策が再び緩和に転じ,短期金利が下落する一方,西ドイツの金利はほぼ横ばいに推移したため,マルクは再びやや堅調となった。米ドルとスイス・フランの関係についてみても,同様に両国間の金利差によって大きく左右されている。
もとより,為替レートの決定要因は金利差だけではないから,レートの変化と,金利差の変化が常に一致するわけではない。74年秋から75年にかけてのアメリカと西ドイツでは,ともに国際収支が黒字傾向を示し,物価上昇もともに比較的低かったため,金利差によるレートの影響が,はっきりと検証できたのである。しかし,この事実は,他の場合にも,金利差がレート変化に影響を及ぼしていることを示唆している。
次に,各国の物価上昇率の格差とレートとの関係をみよう。第2-3図は,各国がフロートに移行する直前の72年第4四半期を基準として,その後における各国の卸売物価と実効レートの推移を示したものである。これでみると,短期的には例外もみられるものの,概して,卸売物価の上昇が相対的に高いときには,為替レートが下落し,物価上昇が他の国にくらべて低いときにはレートがよ昇するという傾向が,かなり明瞭に表われている。言いかえれば,為替レートは,物価上昇率の国別の格差を相殺する方向に動いている。
(物価格差の調整)
73年以降の為替レートの変動にみられる最大の特徴は,それが各国間の物価よ昇テンポの格差を相殺する方向に機能してきたことであるといえよう。この期間には同時的ブームの出現,石油危機,戦後最大の不況など大きな変動があり,各国の物価は大幅に上昇しただけでなく,国別の格差も大きかった。たとえば,73年はじめから74年末までの卸売物価の上昇率をみると,もっとも大きいイタリアの64%から,もっとも低い西ドイツの20%まで大きな差がみられる。
しかし,実効為替レートで調整した卸売物価の推移をみると,第2-8表のように73年中や,とくに石油危機直後の74年までは,各国の上昇率にかなりの開きがみられたが,フロート移行後約3年を経た75年後半には,レート調整後の物価上昇率は,ほぼ同一になっている。すなわち,72年末から,75年末までの3年間におけるレート調整後の上昇率は,6カ国とも,40~50%となっている。その後76年に入って,再び若干のかい離がみられるが,やや長い目でみれば,各国の価格競争力は均等化される方向に調整されており,フロートの国際収支調整効果は,この点ではかなり有効に働いているということができよう。
(国際収支の調整)
このように,物価上昇率の格差がフロート下のレート変動によってかなり縮小されていることは,当然,価格効果を通じて,各国の国際収支,とくに経常収支の不均衡を是正する働きをもつと考えられる。
しかし,現実には,76年に入って以来の主要国の経常収支の動きにもみられるように,フロート制のもとでも,各国間の経常収支不均衡は必ずしも払拭されていない。76年上期の経常収支をみると,西ドイツと日本が黒字を示しているのに対して,米,仏,英,伊は赤字となり,しかも,仏,英の赤字幅は,フラン,ポンドの大幅な低落にも拘らず,76年央になってむしろ拡大している。
けれども,大局的にみると,やはり各国間の不均衡は次第に是正されていると考えられる。いま,主要6カ国の経常収支尻の絶対値を合計してみると,74年には393億ドルにのぼっていたものが,75年には209億ドルヘ76年には166億ドル(OECD予測)へと次第に縮小している(第2-9表)。
ただ,問題なのは,個々の国にとってみると,レートの変動が必ずしもその国の経常収支を短期間に均衡化させる方向に働くとは限らない点にある。すなわち,レートが上昇(下落)した場合,ごく短期的には経常収支を改善(悪化)させる効果をもつことである。レートが上昇した場合には,一時的に黒字がふえても,輸入価格の低下によるインフレ抑制効果も働くので問題は少ない。しかし,レートが低落する場合には問題は厄介になる。つまり,インフレが激しく,また国際収支が赤字であるためにレートが低下すると,ごく短期的には経常収支はむしろ悪化する可能性があるうえに,輸入価格の上昇を通じて,国内のインフレが加速される傾向がある。しかも,このような現象が生じると,先行きについての危惧が生じ,その国の通貨に対する売り投機が行なわれ,その結果,為替レートが一段と下落するということになりかねないからである。76年春から秋にかけての,リラやポンドの引き続く下落はこのような事情によるところが少なくない。また景気局面の違いによる経常収支の不均衡も,為替レートの変化によっては,短期的には,充分に調整されないという面もある。
このような問題をかかえているが,73年以来のフロートは,大勢としてかなりよく機能してきていると評価してよいであろう。物価上昇率格差の縮小を通じて,各国の国際収支を,短期的にはともかく,やや長期的にみれば調整する方向に作用しているし,また,フロート下の変動によって,世界貿易の拡大が大きく阻害されたという事実も見出せないからである。