昭和51年

年次世界経済報告

持続的成長をめざす世界経済

昭和51年12月7日

経済企画庁


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第2部 70年代前半の構造変化とその影響

第1章 70年代前半の経済変動の背景

第2節 資源価格の高騰

1950,60年代を通じて,比較的安定していた一次産品の価格は,70年代に入って堅調となり,73~74年には史上前例をみないほどの大幅な高騰を示した。これを国連の一次産品輸出価格指数(1970年=100)でみると,60年代には90~95で変動しながらもほぼ横ばい状態にあったものが,71年から急テンポで上昇しはじめ,74年には308に上昇した。この間,もっとも大幅に上昇したのは石油の6.4倍であったが,食料,非食用農産物(いずれも2.3倍),非鉄金属鉱石(1.8倍)など多くの一次産品価格が著しい上昇を示した。

このように,70年代に入って一次産品価格が大幅に上昇した理由としては,大きく分けて以下の3点が挙げられる。

第一は,経済の政治化である。第2次大戦後,少なくとも市場経済諸国の間では,経済問題はもっぱらIMF・GATT体制の下で,そのルールに従って,政治問題とは一応切りはなして処理するという傾向が貫かれていた。

しかし,20余年にわたる経済発展の過程で,①アメリカ経済力の優位性が相対的に低下する一方,②各国間の相互依存性が次第にたかまるにつれて,他国の経済の動きが国内経済に大きな影響を与えるようになり,③とくにインフレ問題が激化するに従って,輸出増大による国内需給の逼迫や価格の上昇が国民の関心をひくようになってきた。④また先進工業国の多くは,その原燃料,食糧などをますます海外からの輸入(とくに一次産品産出国からの輸入)に依存するようになり,供給面でのヴアルナラビリティー(脆弱性)も著しく増大している。

このため,70年代に入って,OPECによる石油輸出制限をはじめ,マニラ宣言,アメリカによる輸入課徴金の賦課など,自国の利益を守るため,ないし,相手国に直接の脅威を与えるために,市場機構原則とは相容れないような措置がとられるようになっている。

第二に,上述の点とも関連するが,発展途上国の国際経済社会における発言力がたかまる一方,資源ナショナリズムが拾頭してきたことである。南北間の格差是正を求める発展途上国の動きは,戦後次第に強化されてきていたが,とくに,1964年の第1回UNCTADの開催,67年の77カ国グループの結成等を契機として,その発言力は著しく強まっている。さらに,1960年のOPEC結成にみられるように,資源を先進国の開発利用に委ねることをやめ,これを出来るだけ温存したり,有利な条件で販売しようとする資源ナショナリズムが拾頭してきたこと,74年の第6回国連特別総会にみられるように,世界経済の運営に,発展途上国の利益を強く反映させるための「新国際経済秩序」を求める動きが活発になってきたことが注目される。

とくに,発展途上国77カ国が76年2月に採択したマニラ宣言は,主要一次産品18品目の需給の均衡と外貨収入の安定を図るため緩衝在庫基金の設立等を要求して,UNCTADにおける「一次産品総合プログラム」への全面的支持を表明した。また,主要な資源生産国による輸出・生産調整のための機構も70年代に入ってつぎつぎとつくられている。

このような発展途上国の発言力の強化が,後述のように一次産品需給の逼迫化を契機として,OPECによる原油価格の大幅引き上げをはじめ,多くの一次産品の供給,ひいては価格の上昇や堅調に,少なからぬ影響を及ぼしていると考えられる。

また,1971年に発表された「ローマ・クラブ」の報告書「成長の限界」を契機として,資源有限意識がたかまったことが挙げられる。もとより,この報告書は,もっと長期的な視野に立つもので,当面の成長が資源の涸渇によって脅かされると言っているわけではない。それにも拘らず,その発表は世界の注目を集め,資源の有限性についての関心を呼び起こし,その結果,先進国,発展途上国を通じて,資源ナショナリズムが抬頭する一因となったものと考えられる。

第三の理由として,70年代に入る頃から,多くの一次産品の需給関係が,逼迫化の方向に変化したことが挙げられる。

まず石油についてみると,先進国の石油消費はエネルギー消費全体より急速な伸びをつづけていたが,石油の輸入はさらにこれを上回る増加を示した。たとえば,アメリカ,西ヨーロッパ,日本の石油消費量は,1965~70年の5年間に年平均8.2%ふえたが,輸入量はこれを上回り10.2%の増加を示した。とくにアメリカでは,国内の石油生産の増勢が鈍化し,71年をピークに減少に転じたために,石油の輸入依存度は,65年の29%から,70年には31%へ,さらに74年には37%へと急速にたかまった。このように旺盛な需要に支えられ, OPECの結成とも相まって,石油の輸出価格(国連指数)は,すでに71年には上昇しはじめ,前年比27%高を記録している。

農産物については,1972年央から1974年央にかけて著しく高騰した。すなわち高騰前の1972年初めからピークまでに農産物の輸出価格(国連統計)は2.1倍に上昇し,とくに,砂糖(8.4倍),米(6.9倍),小麦(4.1倍),とうもろこし(3.2倍)の騰貴が著しかった。

このような穀物を中心とする農産物価格の高騰は,それまでおおむね過剰基調で推移してきた世界の食糧需給が逼迫に転じてきたことに,その原因の一つがある。

穀物等についていえば,アメリカ,カナダのような大生産国においては,1970年代に開始された生産制限の効果があがり,60年代には世界の年間消費量の20%をこえていた穀物の在庫が,1971/72,72/73年度には15%前後まで低下した。

このような状態の中で1972年にソ連をはじめとする主要生産国で穀物が不作となり,ソ連等の小麦,飼料穀物の大量買い付けを行なったため世界穀物需給をよ逼迫に転じた。

食肉や砂糖に対する需要の増大や石油価格の高騰等に伴うコストの増大も,農産物価格の高騰を加速した。

このような背景に加えて,72~73年の主要工業国の同時的な景気拡大による需要の急速な増大や投機のたかまりが生じたため,OPECによる原油価格の4倍引き上げをはじめ,一次産品価格は73,74年に著しい高騰を記録した。この結果,先進工業国の交易条件は大幅に悪化し,同時に,世界の国際収支構造に大きな変貌をもたらした。すなわち,1973年まで年々数十億ドルの経常収支黒字を示していたOECD諸国は,石油輸入額の著増を中心として,74年には245億ドルの大幅な赤字となる一方,産油国の黒字幅は,73年の30億ドルから74年には一挙に665億ドルに増大した。73年までは100億ドル程度であった非産油発展途上国の経常収支の赤字幅も,74年には250億ドルに拡大した(OECD推計)。さらに,このような一次産品価格の上昇,とくに石油の値上がりは,74~75年における先進諸国の二桁インフレの大きな要因ともなった。


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