昭和51年
年次世界経済報告
持続的成長をめざす世界経済
昭和51年12月7日
経済企画庁
第2部 70年代前半の構造変化とその影響
第1章 70年代前半の経済変動の背景
戦後25年にわたって,国際通貨制度の柱となっていた固定相場を原則とするIMF体制は,1970年代に入ってから,度重なる通貨危機によって大きく動揺し,71年夏のニクソン米大統領による「新経済政策」,同年12月のスミソニアン合意をへて,73年はじめには主要国の通貨が一斉にフロートに移行することになった。
このような大きな変革が生じた原因の主なものとしては,以下の3つを挙げることができよう。第一は,西ヨーロッパや日本の経済力が充実し,アメリカの相対的地位が低下したことである。60年代における年平均経済成長率をみても,アメリカの3%に対して,西ドイツ,フランス,イタリアは4~6%,日本では10%にのぼり,アメリカとの生産性の格差もかなり縮小した。この結果,アメリカの国際収支は大幅な赤字となり,基軸通貨であるドルに対する信認の低下が避けられなくなった。第二は,各国の間に物価上昇率に大きな格差がみられたことである。たとえば,1965~70年の5年間についてみても,アメリカの輸出価格が年3.1%の上昇をみせたのに対して,西ドイツ,イタリアでは1.3~1.4%,日本は2.2%にとどまっていた。5年,10年と物価上昇の格差が累積し,しかも各国が完全雇用を目指して成長をつづければ,固定レートの下では,国際収支に不均衡が生ずることは避けられない。
もとより,IMF体制のもとでも,構造的不均衡が生じた場合にはレートを変更することが認められていた。しかし多くの国は,自国通貨のレート変更,とくに切上げには消極的で,60年代後半に実施された主要国のレート変更は,67年11月の英ポンドの切下げ(14.3%),69年8月のフランス・フランの切下げ(11.1%),同年10月の西ドイツ・マルクの切上げ(9.3%)の3回に限られた。
第三に,このような国際収支不均衡にも拘らず,固定相場制が維持されたために,アメリカの大幅赤字による世界の国際流動性の急増と相まって,国際通貨投機が頻発したことである。とくに,ユーロダラーを中心とする巨大な国際短資市場の出現はこの傾向に拍車をかけた。
このような情勢の中で,71年8月にはアメリカが金・ドルの交換性停止を中心とする「新経済政策」を打出し,同年12月にはドルの切下げ,マルク,円の切上げを中心とする「スミソニアンの合意」の成立をみた。スミソニアン合意は,固定相場制の再建をねらいとしたものであったが,その後も,各国の経済パフォーマンスの格差と固定相場制の矛盾は,相つぐ通貨危機の発生としてあらわれた(72年6月のポンドのフロート制移行,73年2月のマルク投機,ドルの10%切下げ等)。
73年3月以後,主要国の通貨はフロート制に移行することになった。この結果,70年5月から73年7~9月の3年間に,主要国の実効為替レートは大きく変化した。とくに,マルクは28%,円は23%この間に上昇し,一方,ドルの実効レートは約20%,ポンドは13%の低下をみた。(第1-1表)