昭和51年
年次世界経済報告
持続的成長をめざす世界経済
昭和51年12月7日
経済企画庁
第1部 景気回復下の世界経済
第4章 共産圏経済の動向
1975年の生産動向は,中国当局が断片的な資料しか発表していないが,公表資料をもとにした西側推計によれば,GNP成長率は8.0%と74年の伸び(5.9%)を上回っている。これは工業生産が前年の伸び率8.0%を上回って10%増となったことに加えて,食糧生産(大豆をふくむ)も,2億9,000万トンと前年の2億7,490万トンを上回ったためである。
76年の農業生産は小麦・早稲が増産で,また秋期作も好調であることから食糧生産は前年を上回るとみられている。穀物輸入量は72年の不作の後,73年には760万トンにまで急増したが,74年以後の増産などにより,75年330万トン,76年(9月末現在)165万トンに減少した(第4-1表)。一方,工業生産は上昇しているものの,そのテンポはふたたび鈍化しているようである。中国当局の発表によると,76年上期の工業生産は前年同期比7%増にとどまり,第1四半期の前年同期比13.4%増を大幅に下回った。
中国の60年代後半以降の生産動向をみると,第4-1図のように変化が大きい。
これは1つには,生産構造のなかで比較的比重の高い農業生産が天候条件によって左右され,その影響が他の経済分野に波及しやすいこと,2つには制度変革あるいは工業化政策の方向が大きく変化することが多いためである。
農業生産の豊凶が経済変動をもたらし易いということは,国民総生産に占める農業生産の割合いが,57年43%,65年33%と比較的大きかったこと(アメリカのD.H.パーキンズ推計)から推測できる。
しかし中国経済に占める農業生産の比重は,工業化の発展,あるいは石油生産の増大につれて次第に低下し,国民総生産に占める農業生産の比重は,70年29%,75年24%となった(D.H.パーキンズ推計)。また経済諸部門に対する農産品のシェアも,工業原材料,輸出商品,国内消費材などの需要増加や多様化にともなって,工業品が増加するにつれて低下傾向を示している。
つぎに工業についてみると,国民総生産に占める工業生産の割合いは,57年33%,64年43%(D.H.パーキンズ推計)とその割合いは次第に高まり,とくに60年代以降になって,自力更生の目標のもとで開発されている電力,石炭,鉄鋼,肥料など地方小規模工業の急速な発展と,70年代に入って石油開発にともなう石油化学,肥料工業など近代工業の建設の促進によって国民総生産に占める工業生産比重は,70年48%,75年52%となり,経済成長に対する工業生産の寄与率が高まってきた(65年から74年までのGDP増加寄与率,工業64%,農業16%,D.H.パ一キンズ推計)。こうした工業生産の比重の高まりのなかで小規模工業の育成,企業経営の地方分散化,あるいは企業管理方式等をめぐる工業化路線について,路線の推進を急速に進めようとする時期と,段階的に進めようとする時期とがあって,これに対応した経済変動を示している。
工業の近代化にとって重要な対外貿易面についてみると,中国は基本的には貿易依存度を高めないよう,自力更生を主としながら,先進国との技術格差是正などのために必要なプラント・技術および供給不足の生産財の輸入を最低限度確保するという政策をとってきた。ただ,これまでの経過をみると,プラント・技術の導入が高まったのは53~58年,63~66年,72~75年の3つの時期で,工業化に必要なプラント・技術の導入が急進的に進められた時期と,ほとんど導入が停止された時期とが截然と分かれている。
しかし,ここ2~3年来の成長過程をみると,第4-1図に示されるように経済変動はかなり小幅化している。
このように変動幅が小さくなった要因の一つとしては,国民総生産に占める農業生産の比重低下に加えて農業重視政策のもとで,灌概・排水用地の拡大,化学肥料の増投,農業機械化などの農業近代化が進行し農業生産が安定化してきたことがあげられる。一方工業については,国民総生産に占める工業生産の比重の高まりの中で近代化が進み,工業生産が安定してきた。しかし制度変革あるいは工業化政策の方向については,なお流動的である。
70年代に入って,中国の国際化傾向は非常な高まりを示した。71年秋の国連参加につづいて,72年2月には米大統領が中国を訪問し,米中間に戦後初めて直接取引が再開された。また72年9月には日中間の国交が正常化し,つづいて西ドイツ,オーストラリアなど先進国をはじめ,多くの発展途上国どの間につぎつぎと国交が成立し,中国を承認する国は,76年10月末現在111カ国を数えるに至った。このような国際化の高まりのなかで,両側諸国との経済交流が活発となり対外貿易も急増した。70年に37億5,500万ドルであった貿易総額は,75年には147億1,400万ドル(ジエトロ推計)となり,5年間に4倍弱増大したことになる。
また国際化が進むなかで,中国の貿易総額に占める西側諸国の比重が高まり,65年の70%から74年には85%を占めるに至った。この結果,中国の対外貿易は西側先進国の景気変動の影響をうけて変動する可能性が大きくなった。
第一に先進工業国の不況の影響をうけて,輸出上昇テンポが鈍り,73年には貿易収支は赤宇に転じた。74年に入って赤字幅はさらに拡大したが,外貨難に陥った中国は,74年末から輸入を抑制し輸出を積極的に伸ばすという貿易収支調整策をとりはじめ,75年には政策効果があらわれて,前年に約10億ドルに達した赤字幅は1億4,600万ドル程度に縮小した(第4-2図)。
第二に70年代に入って西側諸国からのプラント・技術の輸入が急増した。これは中国の経済開発の促進と,西側諸国の不況による輸出努力強化の結果である。プラントの輸入成約高は72~75年中に累計29億ドルに達した。しかし,74年末になって,中国側の輸入抑制策の影響をうけてプラントの新規成約は不活発になった (第4-2表)。
なお,75年後半になっても,プラント・技術の輸入成約の停滞がつづいて主要国との貿易(上半期)いるが,これは外貨難による輸入抑制のほか,75年秋以降から「外国からのプラント・技術の導入についての批判キャンペーン」が展開されはじめたことも,ある程度影響しているものとみられる。
プラント・技術導入についての批判キャンペーンが展開されるに至った背景には,1つには中国の技術吸収能力にも問題が出てきたことである。72~75年に導入されたプラント・技術の業種が発電,石油開発,石油化学など重要基幹産業に属し,先端的技術を必要とするため,これに対応する国内の技術者教育のテンポが遅れたのではないかとみられること,2つには,貿易収支の赤字幅拡大に陥ったため,輸入決済面に問題が出はじめたことなどが考えられる。
ところで,75年に貿易総額で147億1,400万ドル(ジェトロ推計)と。前年の140億500万ドルに比べほぼ横這いに推移した対外貿易は,76年に入っても主として輸入の停滞がつづき,主要国との貿易動向をみると,76年上期の前年同期比伸び率は,中国の輸出10.7%増,中国の輸入1.6%増,貿易総額で5.3%の増加となっている (第4-3表)。各国別でみると,日中貿易,米中貿易が大幅な減少となり,日中貿易は1~8月間に前年同期比16.3%減,米中貿易は1~6月間に前年同期比7.1%減となった。一方,EC諸国(とくに西ドイツ,フランス,イタリア)とコメコン諸国の増勢が目立っている。コメコン諸国の増大は,貿易収支の赤字に悩む双方の国で,外貨を必要としない清算勘定方式による貿易拡大を指向しているためと思われる。EC諸国の増大は,化学肥料の輸出攻勢が伝えられており,主として経済的理由によるものとみられる。
日中貿易は74年から75年にかけて急増したが,中国の赤字幅が増大した。76年においては日本の景気回復の遅れや,日本の主要輸出商品の鉄鋼,肥料の商談の遅れもあって輸出入とも減少している。またプラント輸入については,第5次5カ年計画(76~80年)で目標となっている近代化のためのプラント輸入の増大が期待されるが,その場合でも,日中貿易の増大には貿易赤字が問題となろう。結局,中国からの伝統的商品の輸入増大があまり期待できないため,中国産原油をどの程度日本が輸入しうるかに懸っているといえよう。中国産原油は76年に入って増産テンポがやや低下し(76年上期10.3%増,75年上期24.0%増),国内需要も予想外に増加する可能性があり(石油化学プラントの増設および石炭増産テンポの鈍化による),また日本側においても,当初公害防止の観点から硫黄分の少ない中国産原油が歓迎されていたが,国内需要の重点が重質油から軽質油に移行しており,中国産原油が重質性であるという問題がある。