昭和51年

年次世界経済報告

持続的成長をめざす世界経済

昭和51年12月7日

経済企画庁


[前節] [目次] [年次リスト]

第1部 景気回復下の世界経済

第2章 景気回復過程の問題点

第5節 国際収支の国別不均衡と通貨問題

1. 地域別国際収支パターン

石油価格高騰の結果,世界の地域別国際収支構造は1974年以来大きく変貌し,産油国の大幅黒字,その他諸国の赤字という構造となっている。しかし,この基本的構造の中で,各地域別の国際収支は,景気循環を反映して年々かなりの変化を示している。

74年には原油価格の高騰によって生じた産油国の大幅な黒字を,先進国と非産油発展途上国がほぼ同額の赤字として分け合った(第2-21表)。75年に入ると産油国の黒字は半減した。これは世界不況による石油需要の減退に伴って原油輸出が減少する一方,国内経済開発を積極的に促進した結果,工業国からの輸入が急速に増加したためであった。反面先進工業国の経常収支は,主として輸入の減少により,黒字に転じた。先進非工業国(一次産品輸出国)は赤字を持続し,非産油発展途上国では,不況による先進国向け輸出の減少のため赤字幅が著しく拡大した。

76年に入ると,先進工業国では,景気回復に伴い石油を始めとする原燃料を中心として輸入が急増した。一方輸出は,75年下期より増加には転じたものの,輸入の伸びを下回っている。これは,産油国向けの輸出が鈍化したうえに,非産油発展途上国への輸出も,これら諸国の外貨事情の悪化から余りふえていないためである。この結果,先進工業国の経常収支黒字は,75年の190億ドルから,76年には30億ドル程度に縮小すると見込まれている。このような工業国の黒字幅の縮小は,①非産油発展途上国の赤字幅の縮小,先進一次産品輸出国の赤字の減少,③産油国の黒字の増大というかたちで,ほぼ40~50億ドルづつ配分されることになりそうである。

2. 発展途上国の経常収支

産油国の経常収支については,多くの推計がなされているが,IMFによると74年には670億ドルの大幅な黒字を記録したが,75年には,主として先進国の石油需要の減退と輸入の急増から黒字幅は縮小,350億ドルとなった。しかし76年にはやや拡大して400億ドルの黒字となる見込みである。この理由としては,まず,先進国の景気回復にともなう石油収入の増加があげられる。一方輸入は,産油国側の要因,すなわち労働力不足ないし熟練労働者などの人材不足,港湾設備能力や内陸交通網がボトルネックとなってその増加テンポは弱まりつつある。

オイルマネーの投資についてみると,当初の流動性の高い投資から,74年末以来安定的で収益率の高い株式,中長期債などの非流動性投資の比率が高まり,76年に入ってこの傾向が一層顕著になっている (第2-22表)。また発展途上国への直接貸付も増加しており,いままでのところ,オイルマネーの還流は比較的順調に行なわれている。

非産油発展途上国の経常収支については第3章第2節にのべる通りである。

3. 工業国間の国別跛行性と西欧通貨の動揺

(1) 国際収支と物価動向の格差

前述のように,76年の先進工業国の経常収支は,全体としてみれば小幅ながら黒字を示すとみられている。しかし,国別にみると,西ドイツ,日本などの黒字国と,イギリス,イタリア,フランスなどの赤字国に分極化している (第2-20図)。

すなわち,アメリカでは,景気回復がもっとも早かったうえに,今回の世界景気が消費中心で設備投資が出遅れているため,アメリカの主力輸出品である資本財の伸びが低く,この結果,経常収支の黒字幅は76年に入って急速に縮小している。しかしこれは従来の回復期にもみられた現象である。西ドイツでは,75年中縮小傾向にあった経常収支の黒字幅は,76年に入ってむしろ拡大する傾向をみせている。また,日本の経常収支もアメリカ向けを中心とする輸出の急増を反映し,76年に入ってかなりの黒字に転化している。

これに対して,フランスとイタリアでは,景気回復に転じて間もなく,75年秋以来経常収支は再び赤字に転じており,イギリスでも,次第に縮小傾向をたどっていた赤字幅が76年春以来再び拡大し始めるなど,経常収支の悪化が目立っている。

このように,イギリス,イタリア,フランスの国際収支が景気回復後間もなく再び悪化しはじめた原因は2つある。第一は,すでにみたように,これら諸国の物価鎮静化がおくれ,アメリカや西ドイツなどとの格差が大きくなっていることである。第二は,後に詳しく述べるよりに(第2部第2章),石油危機後の国内需要の水準が,これら3国では相対的に高い伸びを示していることである。

いま,OECD全体の鉱工業生産のボトムである75年第2四半期から1年間と,前回回復期でこれに相応する70年第4四半期からの1年間について主要6カ国の物価,国際収支の動きを比較をしてみると, 第2-21図の通りである。

すなわち,70年不況からの回復期においては,消費者物価の上昇率は,イギリスの9.4%を別として,おおむね4~6%の範囲内にあり,もっとも上昇率の低いアメリカ(3.9%)と,もっとも高いイギリスとの差も5%強にとどまっていや。これに対して,今回の回復局面についてみると,最低の西ドイツ(4.9%)と,最高のイギリス(16.1%),イタリア(16.0%)の間には11%以上という大きな開きがみられる。

また,同じ期間について,貿易収支の変化幅を比較しこみると,70~71年の回復期には,わが国の貿易収支が約10億ドル改善し,アメリカのそれが約17億ドルと大幅に悪化したのが目立つが,それ以外の諸国では変化は比較的小幅で,大きくても数千万ドルにとどまっていた。これに対して,今回の回復局面においては,わが国が4億ドル余の改善,アメリカが14億ドル余の悪化を示している点は前回と共通しているものの,その他諸国の貿易収支がかなり大幅に悪化していることが特徴的である。

(2) 西欧諸通貨の動揺

このような国際収支や物価動向の国別格差が主因となって,西ヨーロッパの外国為替市場では,76年はじめから動揺がくり返されている。

まず,1月には,経常収支の悪化と政局不安に伴う資本逃避から,イタリアのリラが下落し,下旬には為替市場への公的介入が停止されたのを契機に動揺が生じた。3月にはポンドとリラが大幅に低落,フランもEC共同フロートからの離脱を余儀なくされ,一方マルクは上昇をつづけた。このため,イタリアでは2,3月に公定歩合を大幅に引き上げるとともに,増税などの厳しいリラ防衛策を講じ,イギリスの最低貸出金利も4月には引上げられた。

しかし,その後もリラ,ポンドの低落は止まらず,イタリアは5月に対外支払に対する預託金制度の導入などの措置をとり,また,ポンドについてはBIS(国際決済銀行)と主要国による50億ドル余のスタンド・バイ方式による短期信用供与が発表されるに及んで,リラ,ポンドはようやく小康状態に入った。

その後,7~8月にも,フランの低落,マルクの上昇とそれにともなうE C共同フロートの緊張などが繰り返されていたが,9月にはポンド,リラが再び急落,イギリスはこれに対処するために最低貸出金利を15%(史上最高)へと大幅に引き上げ,イタリアでも公定歩合が15%(同)に引き上げられるなど,各種の引締め策がとられた。フランスでも,フラン防衛とインフレ抑制の見地から,2回にわたって公定歩合を引き上げる等の措置をとっている。

この間,マルクは上昇傾向を続け,10月には,EC共同フロート通貨相互間の平価調整が行なわれ,マルクはUC(EC通貨単位)に対して2%切上げられた,なお,ベルギー・フラン,オランダ,・ギルダーは据え置き,スウェーデン・クローナ,ノルウェー・クローネは1%切下げ,デンマーク・クローネは4%切下げられた。

米ドルは年初来ほぼ堅調に推移している。このような動きの結果,年初来10月中旬までの主要国通貨の対ドル・レートは, 第2-23表のように,マルクが7%,円が4%上昇する一方,ポンドは23%,リラは26%の大幅な下落,フランス・フランも11%の低下となっている。(第2-22図)

(3) 一部西欧諸国の金融引締め

このように,一部の西欧諸国では,通貨防衛を主眼として金利引き上げをはじめとする引締め策がとられている。為替レートの変化は,当面は輸入価格の変化を通じて,レート低下国のインフレを助長し,物価格差を拡大する傾向をもっている。また,レート低下による輸出数量の拡大,輸入数量の縮小にはかなりの期間を必要とするため,短期的には国際収支をむしろ悪化させる可能性をもっていることは見逃せない。

この点は,76年1月から3月にかけてのイタリア・リラの低落の結果,卸売物価が3~5月のわずか3カ月間に12.4%も上昇し,(その前3カ月の上昇は6%)貿易収支赤字も,75年12月~76年2月の15.6億ドルの赤字から,76年3月~5月には19.5億ドルの赤字へとむしろ悪化したという例に端的に示されている。2月から5月末にかけてポンドが急落したイギリスについても,同様の現象がみられる。

このような傾向を阻止するために,当局は金利引き上げをはじめとする引締政策の採用を余儀なくされた。

この点を再び前回の回復期と比較してみよう。前回の場合,OECD全体として生産が底入れしたのは70年第4四半期であったが,その後主要国の公定歩合が引き上げに転じたのは,もっとも早かったイギリスが6四半期後であり,西ドイツ,フランスは8四半期後,最も遅いイタリアは11四半期後となっていた。ところが今回は,OECD全体の生産が底入れした75年第2四半期から,わずか3四半期後の76年2月にはイタリアが,ついで4月にはイギリスが,早くも公定歩合の引き上げに転じフランスも5四半期後には引き上げに至っている。

しかも,今回の場合,引き上げ幅は極めて大幅であり,76年10月には,イタリア,イギリス,フランスの公定歩合は10%をこえ,主要国中最低の西ドイツと,最高のイタリアとの差は11.5%に及んでいる。これに対応する72年3月の各国の公定歩合をみると,その開きは3.5%にすぎなかった。

このように,物価の上昇と国際収支の悪化に悩む上記3国が,景気回復後一年にも満たず失業水準が著しく高い時期に,強い金融引締めを採用していることは今回の回復期にみられる大きな特色である。

4. 国際通貨制度改革の動き

1971年以来の国際通貨制度改革作業は,75年から76年にかけて新たな進展がみられ,IMF協定第2次改正案という形で結実した。そこで第2次改正案に於ける,為替相場制度及び金の取扱いに関する内容が決定するに至った経緯をみよう。

為替相場制度については,75年秋,主要国首脳会議において,実体経済の安定化,必要に応じた通貨当局の市場介入等により安定的な為替相場をめざす方向で,主要国の合意が得られた。

更に,76年1月の工MF暫定委員会で,IMF新協定では,各加盟国が自由な為替取り決めを選択できる旨(例えば,他国通貨やSDRへのペッグ,フロート,共同フロート等)定めることが合意された。こうして為替相場制度の一応の方向は定まったわけであるが,実際の為替市場では,1月下旬以降リラ・ポンドを始めとする欧州通貨が動揺を続けており,国際収支赤字国に対するファイナンスの問題とあわせ,今後どのようにして国際通貨の安定を図っていくかということが現実的な問題となった。

こうした認識のもと,76年6月のプエルト・リコ主要国首脳会議において,

    (イ)各国が,慢性的又は構造的な国際収支不均衡を是正し又は回避すべく,それぞれの経済と国際通貨を管理することが重要である。

    (ロ)一時的な国際収支赤字をファイナンスする援助が必要な場合には,基礎的な均衡を回復するための確固たる計画を前提としたかつ多角的な手段を通じて提供されるべきである。と謳われた。

さらに76年10月のIMF暫定委員会では,

    (イ)国際収支調整は,赤字黒字両国間で対称的に行なわれるべきである。

    (ロ)黒字国,赤字国とも,この目的に沿った国内経済運営に努めるべきである。(ハ)為替レートは国際収支調整過程で適当な役割を果すべきである。

    ことが確認された。

次に,金の取扱いについては,従来各種の議論がなされたが,金の役割を漸次低下させていく方向では各国とも意見が一致し,75年8月の工MF暫定委員会の原則合意を経て,76年1月のIMF暫定委員会でIMF新協定に盛り込むべき内容についての合意が成立した。これらの合意の内容は次の通りである。

    (イ)金の公定価格を廃止するとともに中央銀行の取引を自由化する(ただし歯止めとして10カ国蔵相会議参加国間で,①IMF及び10カ国の通貨当局が現在保有している金の総量を増加させないものとする事,②金価格を固定するようないかなる措置も行なわないものとする事,等についての申し合わせが成立している。)。

    (ロ)出資払込みの一部等,対IMF取引について金使用を義務づけた諸条項を削除する。

    (ハ)IMF保有金の6分の1(25百万オンス)を市場売却して発展途上国の国際収支上の困難を援助するための信託基金の財源等にあてる。6分の1は出資国に現行協定上の公定価格で返還する。また残余のIMF保有金(約1億オンス)については,IMF協定改正案では85%の特別多数決によって,その処理を決定できることとする。

こうした一連の合意にもとづき,76年6月よりIMF保有金の売却が開始されている。またIMF協定改正案は76年3月のIMF理事会で決定され,4月のIMF総務会の表決を得ており,各国の批准を経て発効となる予定である。