昭和51年
年次世界経済報告
持続的成長をめざす世界経済
昭和51年12月7日
経済企画庁
第1部 景気回復下の世界経済
第2章 景気回復過程の問題点
60年代にゆるやかな上昇に留まっていたロイター商品相場指数は,世界的な景気上昇を背景に72年頃から急騰に転じ,原油価格の大幅値上げの影響などもあって74年2月には,1479.7という史上最高値に到達した。その後,深刻な不況にともなって,一次産品需給が緩和し,相場は75年央まで下落していった。75年下期には反騰に転じ,本年7月には前回のピークを上回る水準に到達した。こうした反騰の要因として,一つにはこの間のポンド相場の下落があげられる(7月のピークは対ドル為替相場の下落分で調整すると,ボトムに比べ25%高く,前回のピークに比べ16%低い)。更にこの他先進国の工業生産の回復,ソ連の農作物不作による大量の穀物輸入等や,ポンド相場下落などを背景とする投機の発生などが考えられる。この間,大きく上昇した品目は,銅,錫,ゴム,綿花,皮革,コーヒー,ココア,大豆などである。
その後7月上旬を境として,農産物の豊作見込や景気上昇テンポの鈍化,それにともなう投機筋の投げも加わって多くの商品の相場が反落に転じている。
個々の一次産品の価格変化には,それぞれ固有の複雑な事情があるが,一次産品全体としての価格,とくに,原材料のそれは,主として世界の工業生産の動向と密接に関連していると思われる。
しかし,近年のように,全体的なインフレが進行している場合には,原材料の価格水準そのものの動きだけでなく,相対価格の変化として捉えることも必要である。ここではまず,一次産品価格と,工業製品価格との関係をみよう。両者の動きと,その相対価格の動きをみると, 第2-11図の通りである。大きな流れを見てみると,第二次世界大戦,朝鮮動乱等によって高騰した一次産品輸出価格は,51年から60年まで低下した後に,再上昇に転じた。これに対して,製造業製品価格は微騰を続けていたが,60年代後半になってその上げ足を速めた。このため相対価格は大きな流れとしては71年頃までは傾向的に低下した。72年に入ると,世界景気の同時的上昇と石油価格の値上げなどにより一次産品価格が急騰,相対価格も上昇し,74年第1四半期には51年の水準にまで上昇した。しかし,その後は世界的な不況による一次産品相場の下落と,おくれて上昇して来た製造業製品の値上がりにより,相対価格は急激に低下し,76年夏にはほぼ60年代初めの水準にまでもどっている。
そこで,このような価格の動きが,何によってもたらされたかを,工業用原料を中心に検討してみよう。
エコノミスト工業用原料価格指数と先進国の製造業製品輸出価格指数との比をとり,これをOECD鉱工業生産と対比してみると,第2-12図のようになる。一次産品の相対価格が連続的に上昇し始めた72年の第3四半期から,ピークとなった74年の第1四半期まで,鉱工業生産指数は11ポイント上ったのに対し,相対価格は0.68ポイント上昇した(比率は0.06)。また,このピークから,価格の底である75年第2四半期迄は,鉱工業生産指数は13ポイント下落したのに対し,相対価格は0.74ポイント低下した(比率は0.06)。このように,工業用原料の相対価格は実需の動向を反映して動き,鉱工業生産が底となった75年第2四半期には71年の水準にまでもどった。
その後鉱工業生産は上昇に転じたにも拘らず,相対価格は低迷を続け,76年に入ってから上げ足を速めたのも,主として投機的な動きによるものであった。そして7月中旬以降はまた下落している。相対価格低迷の最大の理由は,不況中に進行した在庫水準の大幅な上昇にあると思われる。すなわち第2-17表に見られるように75年における在庫量はかなり大きく,とくに銅の在庫は72年末に比べて2倍以上にのぼっている。またその他の非鉄金属についても,72,73年の好況時に消費を下回っていた生産の伸びが74,75年には軒並み,消費を上回って,在庫が累増したであろうことがうかがわれる(第2-18表)。
さらに供給能力についても,たとえば世界の銅および亜鉛精製の稼働率が73年においてさえ,それぞれ82.5%および87.0%であったにすぎず,その後生産が減退したことを考慮に入れると,現在相当な余力があると推定される。このため今後しばらくの間,相対価格はおおむね横ばい傾向を,続けるものと思われる。
次に目を転じて一次産品の価格そのものにも簡単にふれておこう。価格が実需の動向のみでは説明できないことは, 第2-13図の①を見れば明瞭である。すなわち,72年末からの価格の急上昇および,74年末以後の価格の落ち込み幅の小ささなど,実需の動きとはパラレルではない。72年末からの価格の急上昇については,国際流動性の急増を背景にした各国のマネー・サプライの増加とインフレ心理によって,投機が盛んになった結果であることは想像に難くない。価格変動の要因として,マネー・サプライを加えた結果は②に示す通りで,説明力の増大が見られる。しかし,このようにしても75年以降の価格の動向は依然説明されないで残っている。すなわち,低下幅が小さいまま上昇に転じている点である。この説明要因として無視できないのが資源ナショナリズムあるいは資源カルテル化傾向の強まりなどによる資源価格の下支え効果である。1973年のOPECの価格引上げの成功が資源保有国に与えた影響ははかり知れないものがあり,主要な資源の生産国を中心とするグループ,同盟などの機構設立,あるいは団体活動の活発化を促進した。すなわち,74年以降,IBA(ボーキサイト生産国機構),水銀生産国グループのように,新しく団体が設立されたものが多い (第2-19表)。このような動きは,経済の政治化の波にのって,既成カルテルの強化とともに価格支配力を強めたものと思われる。いま工業用原料価格を説明する要因としてOECDの鉱工業生産およびマネー・サプライの動きに加えて,74年以降の資源カルテル化等を反映したダミー変数(74年以降1,それ以前は0)をいれて函数式を推計すると,原料価格の動きの94%を説明できる (第2-13図の③)。
第2-14図はこの函数式によって原料価格の変動を要因別に分解したものである。まず72年から73年の上昇については,当初生産の伸びからくる実需要因による面が強かったが,次第にマネー・サプライの増加による投機要因が大きく働いていることがわかる。その後74年に入ってからの低下は,引締めによるマネー・サプライの低下およびそれに伴う投機要因の鎮静化によるところが大きい。ついで74年後半に及ぶにつれて生産停滞が浸透し,実需の軟化が価格を低落させる主因となった。しかし,この間資源カルテル化などの影響が,もう一段の低下を下支えしていたことがわかる。75年末からは,生産の回復が徐々に価格上昇に及んでいっている。
このように,価格の動きは,特に72,73年の急騰時において,マネー・サプライの急伸などによる投機要因に大きく左右されているが,この投機は少しおくれて,製造業製品価格にも及んだとみられる。原料価格と製品価格の相対比が実需を反映した動きとなるのはこのためである。次いで74年後半から75年初にかけて原料価格は急落したが,資源のカルテル化等の動きが,もしそれがなければ暴落したであろう価格を実需の低下に見合った下落に留める働きをしたのではないかと思われる。
その後,相対価格は,需要の回復にも拘らず,76年に入ってからの一時的な上昇はあるものの大勢として横這いであるのは,74~75年の間に在庫が大幅に蓄積されたこと,供給に余力があることなどによるものであることは既にのべた通りである。
(石油需要の回復)
不況の影響や各国の節約努力の結果,74,75年と減少をつづけた世界の石油消費は,75年後半から,主要工業国の景気回復を反映して増大に転じている。
北米,西ヨーロッパ,日本という世界の三大消費地の石油消費は,74,75年には,いずれも前年比4.3%の減少となり,75年の消費量は,72年にくらべても2%下回った(第2-20表)。72年に比較して,とくに減少が大きいのは,西ヨーロッパ(6%減)であり,日本は2%上回り,アメリカは1%の減少にとどまっている。
しかし世界景気が回復するにつれて76年年初から世界の石油需要は回復に転じた。まず世界の石油消費の3割弱を占めるアメリカについてみると75年第3四半期前年同期比3.2%減,第4四半期同4.2%減と需要が減退したあと,76年に入ると第1四半期4%増,第2四半期3.0%増と回復基調に転じた。その他日本,ヨーロッパなど殆んどの消費地域で工業生産の回復を反映して76年に入り消費が増大しており,独,仏,英,伊の本年第1四半期の消費は,前年同期を7.0%上回っている。
76年に入ってからの動きをみると第一に各国における石油輸入の伸びが消費の伸びを上回る点が注目される。統計的な制約から同じ上昇期間の比較は困難であるが72年,73年の年間の動きと76年第1四半期あるいは第2四半期のそれとを比較してみると,76年の石油輸入の消費に対する弾性値は,石油需給がひっ迫した72年,73年に匹敵するものであるとみられる。とくにアメリカにおける石油輸入の伸びは大きく,76年に入って第1四半期11.1%増,第2四半期23.4%増という強い増勢を示している(第2-15図)。これにはアメリカ国内での原油や天然ガスの生産が減少したことが大きく影響している。このような輸入増大の結果,石油消費(製品・原油)の輸入依存度は74年の36.7%から76年上期には39.4%へと上昇した。
第二はアメリカでOPECへの依存度が高まっていることである。アメリカの原油輸入に占めるOPECのシェアは73年の6割弱から次第に高まり75年では77%に達した。この間これまで主要な原油供給先であったカナダ,ベネズエラからの輸入量が減少し,これに代ってアラブ諸国からの輸入量が大きく増大した。とりわけサウディアラビアのアメリカの原油供給先としての地位は大きく上昇し,76年1月には総輸入量の22%を占めナイジエリアをぬいてトップを占めるに至った。伝統的な供給先であったカナダ,ベネズエラが後退した理由としては,前者については自国の資源保護のための輸出規制を実施していること,また後者については国有化後の販売契約が遅れていることが影響したものと考えられる。アメリカにおいては,1977年あるいは78年にアラスカのノーススロープ原油の生産が本格化するまでこうしたOPEC依存がつづくものとみられる。
ヨーロッパ地域についてはEC9ケ国の石油輸入は76年に入って急速な回復に転じているものとみられる。例えば最近のEC資料(76年10月)によるとECにおける76年の石油消費の伸びは75年にくらべ6%増加するものと見込まれている。
以上みたような需要の好転から,OPEC諸国の原油生産も76年に入って回復に転じた。サウディアラビアの生産はすでに75年から急速な回復をみせていたが76年年初にはOPEC諸国のうち中東以外の地域でもベネズエラを除いて急増をみた。この結果,75年下期には27.8百万b/dであったOPEC諸国の原油生産は,76年8月には30.7百万b/dに増大し,74年7月以来の最高に達した。(第2-16図)
(石油価格の動き)
① 需給緩和期における油種間格差の表面化
原油価格は現在基本的にはOPECによって決定されている。原油価格の動向をみると,75年9月のOPEC総会において10月以降マーカー原油(アラビアンライト種)の10%値上げが決定され,それまでの10ドル46セントから11ドル51セントへと政府販売価格の引き上げが行われた。それ以来,原油価格は一応据え置かれた形になっている。しかしマーカー原油以外の原油価格についてはOPEC内部の各国政府に委ねられた形となっている。
74年,75年の景気後退期には大幅な石油需要の減少が生じたが,この間にOPEC内部における油種間の価格差調整問題が大きくクローズアップされることとなった。工業生産の停滞から重油など工業用燃料の需要は大きく減退したが,ガソリンなど軽質油に対する需要は景気後限期にもひきつづき堅調に推移した。こうした傾向はロッテルダムにおける各種製品価格の動きに明瞭にあらわれている。
75年末にはナフサ,レギュラーガソリンなど軽質油はトンあたり10ドル~20ドル近くも上昇をみせたが,工業用燃料である1%サルファ,5%サルファは逆に5ドル強も下っている。
こうした製品需給の相違は,抽出される製品含有量の相違する原油価格にも反映された。ガソリンなど軽質油の多くとれるリビア,ナイジェリア,アルジェリアなどアフリカ原油の需給がひっ迫する一方,重質油の多い中東原油は需要が相対的に減少した。その結果,サウジアラビア,クウェートなどでは原油価格の値下げが行われたが,一方アフリカ原油については76年以降段階的に値上げが実施された (第2-17図)。
こうした傾向は政府販売価格のみならず限界的な需給を示すスポット価格にもあらわれている (第2-18図)。こうした油種間の価格差をどのように統一的に調整していくかがOPEC内部での重要な課題の1つとなったが,76年5月に開かれたOPEC総会においても油種間調整に製品需給の動きをより的確に反映するいわゆるアルジェリア方式の採用が検討されたが結論を得るに至らなかった。
② 原油価格の動向
世界の石油消費が76年に入って増加しているために,原油の需給関係はかなりタイトになっているとみられ,スポット価格も上昇している(第2-18図)。とくに夏以後は,12月のOPEC総会での値上げ決定を見越した駆込み需要も加わり,イランの生産は9月には能力一杯に近づいたとみられているし,12月分までの中東原油はすべて売りつくされたとも伝えられている。
原油価格の決定は,政治的要因に依存するところが大きいものの,このような需給のひっ迫は,次回OPEC総会の価格決定にも少なからぬ影響を与えるものと思われる。しかしながら石油の実質価格という観点から世界の工業品輸出価格とOPECの輸出価格との相対価格の動きをみると75年,76年と先進諸国のインフレが鈍化したため,前回の石油の値上げが行われた75年第4四半期にくらべ,最近ではわずか3%の低下にとどまっている (第2-19図)。